2008年1月30日水曜日

退屈・たいくつ・・・

薬の所為か昼に夜に眠くて眠くて午後10時ごろベッドに入ってうとうとしているうちに眠ってしまったところ
へ下の妹から電話があった。 私のブログを昨夜見て、珍しくも私が風邪で熱を出しているのを知っての電話だった。 私の電話での声も可也ヘンだったようだ。

そして、今朝また電話があって「行こうか?」と言ってくれた。 どうやら食べる物はもう二・三日分はどうにかなるとは思ったものの、ここの所外に出ることも出来ず、ともかく退屈でどうしようもなかった。、夫が午後から出かけるので・・と言うので、ハンバーグを食べたくなったのでそれを買ってきてもらうよう頼んで、私はターニップ・クリームとサラダを作った。  

昨年六月の転倒して頭を打った時以来のこと、お風呂もまだ入れない、外へは出られない・・・・あの時は一週間閉じこもりだったっけ。 今週末は亡き父母のそれぞれ十七回忌、二十三回忌なので、それに出られなかったら大変、更に用心しなければ・・・。 

今年の風邪は熱が高く出なければ長いのだそうよ・・と妹は言う。 私の場合そのどちらだろう? もっとも、お医者さまに行って薬を頂いて呑んだ後37度から38度まで上がって、それから翌日ようやく平熱に戻ったのは抗生物質を飲んだ効果なのか? のどの痛みとか驚くべき赤さは取れてきたがまだ痛みは少し残っている。

2008年1月28日月曜日

私は風邪引かない・・・なんて言うんじゃなかった

「風邪引かないようにね?」と周りに言われて「私は風邪ひかないみたい」・・・なんて言うんじゃなかった。 やっぱり私も人間だから風邪を引くらしい。 午後眼科に行って、検眼の時、どうも目がかすむようだと思った。
何時ものように目医者さんは「伊藤さんは目がいいので、もう少し見えませんか?」などと仰る。 「1.2、ですよ」とムリに検眼表を読ませられる。 何だかその際も少し頭が重い気もした。

土曜日健美操が終って、着替えをしていた時、隣の方が洟をズルズルさせていた。 「風邪引いたの?」と訊ねたら「花粉症か風邪かわからないの」とその方は仰った。 

作日は料理教室だったので、外へは出なかった。 何処で風邪がうつったのだろう? 夕食前熱を計ったら37・2度あった。 平熱が36度くらいだから、大分高い。 そういえば喉が張り付くように痛い。 とうとう風邪をひいてしまったらしい。 午前中弟から電話で「風邪を引かないようにしてくださいよ!」とか言っていた。 そんなことを言われると、若しかして風邪を引くかも?とそのとき思った。
 
多分昨夜眠れなくて夜中に起きて睡眠体操をした。 それでも何度も目が醒めてウロウロしたのがよくなかったのかしら? ともかく、今年は大分寒いようだから、風邪を引いたと思ったら、早目に用心すること・・・ですよ!皆様!

2008年1月27日日曜日

今年初めての料理教室

今日は今年初めての料理教室の日。 
長い間料理教室を続けてきていても、しばらくぶりだとやはり少し緊張するものだ。
今日は日本料理の日で一月なので、「お口とり」と洒落込んでみた。  それと言うのも、今年は家のゆずの木に沢山実がなって、それを使いたかった・・・という理由もあつて、ゆず釜(中にいくらの大根おろし和え)を入れ、銀杏の串刺し、海老とこはだの黄身寿司、今シーズンの牡蠣雑炊、汁は和風カレー汁、牡蠣雑炊にセリを使ったのが受けた。 
 
何しろ生徒さんの中に60代のベテラン主婦が一人いらっしゃるので、献立もケッコウ大変。 二週間前には何をするか決めてパソコンで材料と作り方を打ち出して印刷して置かなければならない。  出来上がるとお二人のお嬢さんたちが携帯で写真を撮る。 これはよい考え。 そして、一口食べて「美味しい!」と言う言葉が聞こえる瞬間が私にはトテモ嬉しい。 60台の彼女は何時も私の教え方が楽しいと言ってくださり、お友達に話して羨ましがられたと仰って下さった。 こんな先生はいらっしゃらないわよ・・・と毎度お褒めに預かっている。

ただ、何時も反省することは、自分が早く作りたくって、果たしてお若い方方が理解してくださっているかしら? 私が何時も言うことは、献立をたててから調理に入る前に順序をシッカリ頭に入れて出来上がる時は一緒に揃うように・・・と。 時間をかけるからよく出来るということではなく、味の調和、暖かい物は暖かく、冷たいものは冷たくテーブルに出すこと・・・を口をすっぱくして言っている。

ともあれ、今日もトテモ喜んでいただいた。

2008年1月26日土曜日

お茶のお稽古

作日、ニューヨークから日本へ留学して来た夫の姪の娘が先ず手始めに妹宅でお茶のお稽古をすることになった。

私にも来てほしいということだったので、昨日は午前中書道教室だったが少し早目に引き上げようと思っていたら書道教室は生徒さんたちが3人とも欠席だったので、先生と少し無駄話をしただけで引き上げた。 英美ちゃんは待ち合わせの時間より十分前に待ち合わせの場所に来てくれた。 何時もの事ながら自分で着物をキッチリと着ていて、まことに恐れ入りました。

私にも席に座るように言われたが、私は膝と言うか脚の具合が悪くって、椅子で見学をすることになった。
ニューヨークで二年間茶道を学んでいると言うことだったが、御炭出前、お濃茶、お薄とすらすらとこなして可也辛口の妹も感心して褒めてくれた。 好きほどものの上手なり、と言うほどに、なおされるところも直ぐに取り入れてくれ、ニューヨークでお茶を習つた・・・、と幾分マイナスを考えていた妹も私も多分お教えくださる先生もキチットした方に違いないと、感心ししていた。 私も幼い頃から母がお茶を習ったいたので、自分は習うことは積極的にはなれなかったけれど、少しの知識はあるつもりなので、妹の教え方にもひそかに感心したのも事実だ。

お稽古が終って、今日は初めてなので・・・ということと妹の夫が出かけていたので、夕食を誘ってくれて、三人で色々彼女のこれから数ヶ月の日本での留学期間を有意義に過ごしていけるように色々話し合った。 彼女もパソコンを使って彼女なりに計画を立てているようで、反ってあまり張り切って疲れないように・・・と思ったりする。

2008年1月24日木曜日

最近の大相撲

亡き父が相撲が好きで、その所為ばかりではないが、その時期になると常に相撲番組をテレビでみていた様な気がする。 子供の頃は双葉山が全盛で神様のような存在だった。 全勝、全勝で毎度優勝していたので、たまに他の力士が勝ったりすると妙な気がしたものだった。  

最近の相撲は外国人力士が大勢で私個人としては、そのことが受け入れられない所為もあって、殆どすもう番組はみなかった。 ところが例の朝青龍問題が起きて、彼が負ける所を見たくって時々その時間だけテレビを見ることがある。 そして感じることは、最近のお相撲さんは簡単に負けすぎるような気がする。 直ぐに寄り切られたり、叩き落されたり・・・・以前の力士達は土俵際でもっと粘っていたような気がする。 水入り相撲などはあまり無いのでは? すべてを見ているわけではないので、強くは言えないが、私の見る限り勝負が凄く早いような気がする。 それは今ごろの若者が粘りとか辛抱が無いことにも通じるのではないだろうか?

朝青龍のように相撲の持つ武士道に近いような礼儀作法をわきまえない人がその腕力の強さだけで、日本の相撲を牛耳って行くとしたら、ガマンが出来ないほど腹立たしいと私は思う。 他にもそう思ってる方が多いだろう。 何日か前の見物客の一人が私と同じように「朝青龍が負ける所が見たいので、来ました」とテレビの画面で言っていた。
日本人の力士さんたち! 頑張ってよ!

2008年1月23日水曜日

とうとう雪が降った

朝起きてみたら可也烈しく雪が降っていた。 これは積もるかもしれない、年をとってくると雪の積もるのはあまり嬉しくない。 通学の子供たちの声だけが何時もより高めにはしゃいで聞こえてくる。 

「どうしようかな~?」寒いし道も厳しいだろうし・・・でも家にいて、じっとしてても運動不足になるし、思い切って外へ出てみた。 雪は雨に代わっていた。 ジムは気のせいか何時もより空いていて、それでも顔なじみの方方の姿があった。 やっぱり、皆頑張るんだ! 一日休むとそれだけ身体もなまる。 

家に戻ってから、書道の練習をしたり、ピアノを弾いたり、退屈しのぎに色々試みた。 いずれも目が疲れるものばかり・・・・。やっぱり、午前中ジムに行ってよかった。 インストラクターとも仲間とも話したし・・・。 

2008年1月21日月曜日

ランチと幼稚園と

何時もランチに誘ってくれる夫の甥が、ニューヨークから日本に短期留学するために18日に来た夫の姪の娘の英美ちゃんを伴って誘いに来てくれた。 車に乗ってもう一人、いえ二人後部席に乗っていたのが、もうずーっと前にカリフォルニアに帰国したものだ、と勝手に思っていた、甥の息子の嫁と生まれて4,5ヶ月たった有ちゃんだった。

 アリちゃんと言うその子はホントにいい子ちゃんで皆がビュッフェ・スタイルの昼食をしている間ずーっと
おとなしく眠っていた。 そのため、なかなか有ちゃんの起きたお顔を見ることが出来なかった。

昼食後、上の子の樹里ちゃんの通っているプレ・幼稚園に迎えに行き、英語だけでお遊びをしている子供たちの様子を見るために中へ入れていただいた。 先生達も日本人らしい方も、長いことアメリカにいらっしたとかで一緒に中に入った二人ともがアメリカ在住なので、私にも英語で話し掛けられるので、私も仕方なく英語で答えたりした。

子供たちへのしつけも可也厳しく、手をしっかり洗えとか、帰りの挨拶、椅子をキチント元の場所へ戻せ・・・とか
皆英語で子供たちに言っていた。 子供たちは見慣れない大人が4人も入っていったので、気をとられながらも従っていた。 何ともかわいいこと! 30人くらいのなかで白人の子は一人っきり。 何だか少し変。

2008年1月20日日曜日

雪が降らなくってよかった

例年、京都の妹宅から超高級なローストビーフを頂いてきて、ステーキの大好きな甥達夫妻にご馳走することにしている。 彼らは昨年引っ越したばかりで中中時間が取れないようだったが、今晩なら・・・ということで、他に先日下の甥家族の時ボストンクラムチャウダーを作ったので、今度はマンハッタン・クラムチャウダーとビーフの付け合せに最近フランスレストランで時々試みている大根の焼いたもの、生椎茸、芽キャベツをつけ、チョッと目先を変えて、ちらし寿司と京都で求めたよもぎ生ぶ、と水菜の白味噌仕立ての味噌汁とこれも京都で求めた赤蕪のつけものを用意した。

牛肉があまりにも上等で霜降りなので、さすがの牛肉好きの甥も参った、ようだった。 「オレも年で食べられなくなった」と心残りの様子。 三人で大笑い! デザートも甥達が持つてきてくれた珍しい栗の入った周りがパイで出来たモンブランのあげたケーキ、それに私が買っておいた苺も頂いて、ホントにフル。

甥には久しぶりで会ったのだけれど、以前に比べて二人とも夫婦らしく落ち着いてツー・カーの感じがあって、新居を持ってこれからだな~と嬉しかった。  芦屋の姪達夫妻、成城学園に住む英里ちゃんのママ達夫妻、それぞれに
幸せにそれぞれの生活を守りながら仲良く暮らしているのをみるのは、子供のない私にとっても、楽しみで嬉しいことだ。

2008年1月18日金曜日

ハッピー・バースディ!

今日は下の妹の60+?回目の誕生日。 丁度京都の妹夫妻も上京していて、義弟が東京宅の近所のフレンチ・レストランでご馳走してくれるということで、私も仲間に入れていただいた。 義弟も1月24日が誕生日なのに、周りにばかりご馳走してくれるやさし人! そこのフレンチはトテモ研究熱心は若いシェフが日本独特の野菜を使って
巧みなフレンチを料理してくれて、何時も感激する。

私は下の妹より12歳も年上なので、彼女の生まれた時のことをよ~く覚えている。 正に第二次世界大戦が(当時は大東亜戦争と言っていた)が始まったばかりで、そろそろ食べ物も少なくなり、配給制になっていた。 産めよ増やせよ・・・という時代だったので、妊産婦には特別な配給があった。 母は自分に配給されたカステラなどを私達子供に分けて食べさせてくれた。 その所為ばかりではなかっただろうけれど、生まれた赤子はトテモ細くて小さかった。 その頃は産婆さんが来て家でお産をするのが、あたりまえのことだった。

上の妹は、父の務めの関係で九州の八幡市で生まれ、私の彼女との初対面は、何と丸々と太って、特に大きい目のあかちゃんで、まるでその頃流行ったキューピーチャンそっくり。 ああ、赤いから赤ちゃんって言うんだ!と思った記憶がある。

ところが下の妹の場合はお世辞にも可愛いとか丸々太った・・・というには程遠い、痩せて、脚などは持ち上げてもへたへたと下に落ちてしまうような赤ちゃんで、寒い季節に生まれた所為か喉がゼイゼイ言って、しわがれた声で力なく泣いていて、子供心にも果たし育つものか?と心配した記憶がある。 今ではそんなことは信じられないほど無事に、健康に育っているわけで、親に感謝! 

2008年1月17日木曜日

古いアルバムと戸棚の整理

皆様は戸棚の整理などをどうしていらっしゃるのかしら?
 
例えば古いアルバムなどは? 私は昨日ようやく女学校時代のアルバムの中の写真を破って捨てた。 1枚1枚確かめながら・・・・まだ小学校時代のものと女学校時代の個人的なアルバムがある。 そのうち捨てるのも大変な時代がくるのだから・・・・、私は独り暮らしだから、後の整理をするのが大変だから、今のの内にどうにかしておかなければ・・・。
 
隣の母が亡くなった後両親の学校時代からの写真を捨てるわけにもいかず、小さな庭で少しずつ燃やしたことがある。 そして一部はあとつぎのいる下の妹に整理して渡した。 夫が亡くなった後もそれは大変だった。 夫は可也キチント写真を整理してアルバムにはってあったので、ことのほか捨てるのに思いっきりがいった。 それでもまだオーストラリア公演、台湾公演で可也のヴィップ待遇を受けた時の写真、1961年のイギリス公演の写真はいまだ整理できないでいる。 それらは本棚の大半を占めている。 いっそ、記録として東宝株式会社に送りつけてやろうかしら?! 

ともかく、私個人の古い写真はどうにかしなければ・・・。  私は結婚する際、あまり大きい家ではなかったのに
嫁入りの時、こまごまと丁寧に色んなものを持って来すぎたのではなかったのか? おおよその方は結婚の時それらを実家に置いて来たのではなかったか?・・・と思ったりする。 あのアルバムははがして捨てよう! 今決心をつけた。 さあ実行!

2008年1月16日水曜日

人間って・・・弱いもの

週一回の割で初歩の英語を教えていた方から、先日電話があり「今年は大丈夫だと思っていたけれど、やはり寒くなったら鬱になってしまって・・・・暖かくなるまでお休みにしてください」と言う。 普段はトテモ前向きで積極的な方なのに、声まで出ないような感じだった。 無論私ではどうしようもないこと、彼女はリュウマチの氣があってそれでも車を運転してアチコチに行かれ、昨年夏には4,5回も北海道に行かれたりした。 私の周りには3人もリュウマチの方がいらっして、それぞれ症状も異なるが、皆様それなりに一生懸命生活をしていらっしゃる。

人間ふとした弾みで鬱状態になってしまう。 私だってその例外ではないと思うことがある。 とりわけ、この度のようにしばらく京都にいて、妹達夫妻、姪達そしてお手伝いさん達と一週間以上も楽しく過ごして我が家に戻り、ある意味ホッとしたとしても淋しかったり退屈だったり一日中人と話すことが無かったり、体調が気になったりすると簡単に鬱予備軍になれる?気がしてくる。 それでも、寒い、メンドウと思いながら気持ちに鞭打ってジムに出かける。 そしてお友達と他愛ない話をしたり、身体を動かしてもどってきて、先日は昨年暮に果たせなかった戸棚のカタズケをしたりする。 それにしても何と捨てるべくして捨てられない物の多いことよ! 今日はここまで・・・。

2008年1月12日土曜日

京都のお正月

京都でのお正月で東京との違いは、先ず注連飾りが少し異なる。 それにお雑煮も京都は白味噌じたてで、その中に入るものは丸もち、人参と大根のみ、所謂動物質の鶏、魚などは入れない。 可也質素なものだ。 無論妹宅は二人とも東京出なので、お雑煮は東京風だ。
 
昔からのしきたりを重んじていることは感心する。 それは妹宅へ来る二人のお手伝いさんが京都出身なので、例えばお飾りは必ず7日に取り下げるとか、昨年中に張ってあったお札とかはキチントお寺やお宮にお返ししてドンド焼きの日に燃やす、とか7日の日には必ず七草粥を作って頂く・・・とか。 

私も今年は8日まで京都に滞在していたので、この七草粥の恩恵にあずかった。 スーパー・マーケットで七草が売っている。  今年はお腹の都合で?妹宅では6日に頂いた。 私はその七草を刻む前に果たして7種類入っているかどうか確かめてみた。「せり、なずな、すずな、すずしろ、ほとけのざ、はこべ・・・もう一つはなんだっけ?  はこべなどは自然に映えている物ではなくわざわざ育てた感じだった。 昆布と花がつおのだしをとって、そこにご飯と七草を入れた至を入れただけの御粥はことのほか美味だった。 1月15日には鏡開きでおぜんざいを作るのかな?

昔からの習慣、しきたりはできるだけ守り伝えて行きたい物だとしみじみ思う。

2008年1月11日金曜日

京都でのお正月

「京都でお正月を過ごす・・・」と言うと殆どの方が異口同音に「京都は寒いでしょう?」と仰る。 今年のお正月は特にお天気もよく暖かかったが、京都は盆地であるし、東京のように空っ風もなく、すごし易いと私は思う。

ところで元旦は姪達夫妻は大晦日から元旦に変わる時間に近所の今宮神社に参拝に行った。 妹の家の横の道は今宮神社の参道にあたるが、今年は左程人通りも多くなかったような気がしたが、姪達の話しによると、神前まで可也の長い列があったそうだ。 

御節とお雑煮を頂いてお腹が一杯になってしまって、じっと家にいるのも退屈なので、私の提案で妹宅のお墓参りに行こう、と言って皆同意して姪の夫の運転で近くの墓地へ行った。 その墓地は高台にあるので、市内を見下ろすことが出来、何ともすがすがしい気分になった。

4日は例年のように街中にある古いフレンチレストラン、万葉軒に何時もお世話になるお医者様ご夫妻をご招待するのに、私も同道させて頂いた。 その翌日は午前中に京都を出て、姪達夫妻の住む芦屋に行った。 これも又例年どおり。 姪達夫妻は彼らの近所を説明しながら案内してくれた。 その後彼らの住む駅近くのマンシオンで夕方までくつろぎ、夕食は芦屋の高台にある昨年までイタリアンレストランだったのが今年はフレンチレストランに変わり若いオーナシェフが意気込みも溌剌とフレンチを現代風にアレンジした料理を楽しんだ。 
姪の夫の40歳の誕生祝いと言うことで、姪の夫はテレながらサービスする人たちの「ハッピーバースディ」を受けていた。 40歳なんてまだ若い、若い!

長いと思っていた京都滞在も忽ち過ぎてしまう。 6日には昔の都ホテル、今はウエスティンホテルで妹の夫の主催の外国人教授達を招いた新年会に私も同道させて頂いた。 窓からは東山連山が眺められ、ビュッフェだったが大変な料理の数々で、家族連れで参加していた外国人たちの食欲とおしゃべりには感嘆した。 私も少しは英語を駆使?して、話に加わった。 どなたも礼儀正しく上品な方方が多かった。 さすが・・・!。 
今日はここまで・・・。

2008年1月10日木曜日

京都で迎えた新年

昨年12月28日から1月8日まで例年通り京都の妹宅で過ごしました。 後何年くらい行くことが出来るだろうか~? 年末になる度にそう思う。 
京都駅に着いた直後、困ったことが起きた。 個人タクシーに乗ったのだが、私が断っているのに、運転手さんが私の荷物を親切に後ろのトランクへ入れてくれた。 車中その運転手さんは新年一月中ほどに東京の池袋で甥が結婚式をするので、初めて東京へ行くという話で盛り上がって、妹宅へ着く頃はその運転手は東京へ行くということの不安さで一杯になってきたようだった。 目的地に着いて、私は先に降り、運転手さんが「車を寄せます」と言ったので、当然その後、後ろに回って私の荷物を出してくれると思っていた。 車は門前に一旦車を寄せた後そのまま走り出して角を曲がった。 急いで後を追ったがッ車と私とでは比較にならず、走り去ってしまった。

妹の夫と妹が色々調べてくれたけれど、年末と言うことと6時も過ぎてしまったので、手の施しようもなかった。 考えたら、その荷物の中には可也金額的に高い宝石も入っていた。 出て来なくっても・・・と可也悲観的になっていた。 それから2,3時間過ぎて、ほぼ、諦めかけていた頃、玄関のホーンが鳴った。 「アノ運転手さんが門前に立っていた。 可也恐縮した面持ちで・・・。「夕飯を済ませて、駅に行って気ずきました。 申し訳ありませんでした」と。 なんと言ったって、返って来ればいいのよ! やっぱり京都だから、出て来たのね! 

昨年末、は30日に芦屋に住む姪夫妻も来て、若い人たちが来ると、辺りも和み、妹夫妻もトテモ嬉しそうだった。
日本間に設えた掘りごたつに入って4人で若い頃に戻って深夜までトランプ遊びをした。