もう、今年もいよいよ押し迫ってまいりました・・・と一応かしこまって・・・。
昨年は東京で一人新年を迎え、それなり年末は妹宅でおせち料理作りで忙しかったけれど、今年は京都の妹宅で年を越すことになり、おせち料理作りはしないで済みそうだ・・・と思っていたが、以前ご近所にいらっしたお友だちから黒豆を送っていただいたので、黒豆だけ煮るのも、何か淋しい気がして、ごまめを作り、そのあたりにうろうろして、気になっていた栗の甘煮があったので、結局キントンを作ることになった。
一部京都に持って行き、一部はご近所のお友だちに差し上げることにした。 やっぱり私は料理をするのがすきなんだなあ~と自画自賛。 ただ、今年は、いわゆるおっつけ仕事と言うか、廃物利用?と言うか、出来上がりは、余り良くないかも?
2010年12月26日日曜日
2010年12月22日水曜日
二人のお手伝いさん
何十年ぶり? 私達夫婦が未だ五反田に住んでいたころ、私の家で家事手伝いをしていてくれたお手伝いさんのAちゃん、と同じころ母の家でお手伝いさんをしてくれていたHちゃんがそれこそ40年ぶりで会いにきてくれるということになり、お昼にお弁当をたのみ、簡単な前菜と茶碗蒸しを作った。 今日は偶然にも、父の祥月命日でもあったので、下の妹も来てくれた。
母の家にいたお手伝いさんは以前妹宅で会ったことがあったが、私の家にいた人とは何十年も連絡がつかず、母のうちにいたお手伝いさんが偶然にも連絡をつけてくれて、ようやく会えることになった。
その頃下の妹はまだ大学生だったようで、Aさんはその記憶が強く、立派に美しく?成長した妹を見て、大感激していた。 私もAちゃんが結婚したことは風の便りで知ってはいたが、孫もいて、不幸なことにご主人は私の夫よりもっと若い64歳で亡くなったとか、彼女は家にいた時私の夫の姉に洋裁を習っていたが、それが元で、その後洋裁学校に三年も通って、今では洋服を仕立てたり、今はやりの”お直し”で身を立てているという。 話しているうちに40年前に戻って思い出話に花が咲き、話が尽きず、彼女が「今、家に着きました」と報告の談話があった後も、一時間くらい話つずけた。
母の家にいたお手伝いさんは以前妹宅で会ったことがあったが、私の家にいた人とは何十年も連絡がつかず、母のうちにいたお手伝いさんが偶然にも連絡をつけてくれて、ようやく会えることになった。
その頃下の妹はまだ大学生だったようで、Aさんはその記憶が強く、立派に美しく?成長した妹を見て、大感激していた。 私もAちゃんが結婚したことは風の便りで知ってはいたが、孫もいて、不幸なことにご主人は私の夫よりもっと若い64歳で亡くなったとか、彼女は家にいた時私の夫の姉に洋裁を習っていたが、それが元で、その後洋裁学校に三年も通って、今では洋服を仕立てたり、今はやりの”お直し”で身を立てているという。 話しているうちに40年前に戻って思い出話に花が咲き、話が尽きず、彼女が「今、家に着きました」と報告の談話があった後も、一時間くらい話つずけた。
2010年12月5日日曜日
長~い風邪
クラス会のお世話で疲れた所為でもないだろうが、その後二週間も鼻とのどとの風邪で、毎朝洟をかんで、遂にティッシュ箱二箱が空になった。
ようやく今日あたりから元に戻ったと思ったら軽い口内炎で、思うように食べ物が噛めない。
それでも、昨日嬉しいことに妹の次男夫妻が夕食に招いてくれて、近所のイタリアンレストランでご馳走してくれた、そのお料理は不自由もなくすべて美味しく頂けたのは何故? 精神的なものもあったのかしらね?
少し早めに成城学園に行き英里ちゃんのバレーの教室をのぞいた。 英里ちゃんはすぐ、大ばばに気ずいて手を振ってくれた。 その後、甥の家でお茶を頂き、二人の姉妹と少し遊ぶ。 二人の遊び方が、少し変わってきた気がする。 夕食は幹ちゃんのお友だちがシェフをしている、新しいスタイルのイタリアンで前菜とメインのヒレ肉のステーキは興味深いものだった。
先週の日曜日は、下の妹の長男が2歳の萌彩ちゃんと来宅、一緒に夕食をした。 夏以来のことだったのに子供の成長の速さには驚かされる。 すべて理解して驚くほどの食欲でよく話し方もしっかりしてきて嬉しいこと!
子供が育っていくということは、大人は日々衰えて行くわけで、子をもつことも、当然ながら孫をもつことも出来なかった私に、それを悟らせないように、いたわってくれる甥たち夫妻には泪が出るほどの感謝を感じている。 そして、大ばば!と慕ってくれる子供たちにも~
ようやく今日あたりから元に戻ったと思ったら軽い口内炎で、思うように食べ物が噛めない。
それでも、昨日嬉しいことに妹の次男夫妻が夕食に招いてくれて、近所のイタリアンレストランでご馳走してくれた、そのお料理は不自由もなくすべて美味しく頂けたのは何故? 精神的なものもあったのかしらね?
少し早めに成城学園に行き英里ちゃんのバレーの教室をのぞいた。 英里ちゃんはすぐ、大ばばに気ずいて手を振ってくれた。 その後、甥の家でお茶を頂き、二人の姉妹と少し遊ぶ。 二人の遊び方が、少し変わってきた気がする。 夕食は幹ちゃんのお友だちがシェフをしている、新しいスタイルのイタリアンで前菜とメインのヒレ肉のステーキは興味深いものだった。
先週の日曜日は、下の妹の長男が2歳の萌彩ちゃんと来宅、一緒に夕食をした。 夏以来のことだったのに子供の成長の速さには驚かされる。 すべて理解して驚くほどの食欲でよく話し方もしっかりしてきて嬉しいこと!
子供が育っていくということは、大人は日々衰えて行くわけで、子をもつことも、当然ながら孫をもつことも出来なかった私に、それを悟らせないように、いたわってくれる甥たち夫妻には泪が出るほどの感謝を感じている。 そして、大ばば!と慕ってくれる子供たちにも~
2010年11月30日火曜日
未だ終わらない、最後のクラス会幹事
先日四人の幹事があつまって、私が作った収支報告書を皆さまにお送りすることで、すべておしまいにするつもりだった。
ようやく終わった!とほっとした。 ところが その後、几帳面なお友だちの一人が、郵便局から青山学院の奨学金募集係に残金を送って頂いたが、その際郵便局から受け取った領収書を皆さまに送る・・・と言いだされ、私は今、その小さな領収書のコピーをとって、手書きの説明書をつけフートーに入れ切手も自己負担で、出席者の半数の方々に受領書を送る仕事をしているところ・・・。
あ~あ、幹事って疲れる仕事! この後、名簿を作って? なんて・・・言わないでよね!
今、先日出席なさったお友だちの一人からお電話があって、先日の総合写真の中でどうしてもお名前がわからない方があるから、教えて?と仰る。 私は夕食もそこそこ、テーブルの上に名簿、便せん、封筒などをとり散らしていて、先日の集合写真をどこへしまったが、探すのもうっとうしかったが、お友だちの説明を聞いてその写真の場所も覚えていたので、即座に答える事が出来てほっとしたが、それからしばらくお話に付き合った。 その方は偶然田園都市線の沿線にすんでいらっしゃぅて、Kクリニックに罹ったこともある・・・と話が伸びる。 あ~あ、疲れた!
ようやく終わった!とほっとした。 ところが その後、几帳面なお友だちの一人が、郵便局から青山学院の奨学金募集係に残金を送って頂いたが、その際郵便局から受け取った領収書を皆さまに送る・・・と言いだされ、私は今、その小さな領収書のコピーをとって、手書きの説明書をつけフートーに入れ切手も自己負担で、出席者の半数の方々に受領書を送る仕事をしているところ・・・。
あ~あ、幹事って疲れる仕事! この後、名簿を作って? なんて・・・言わないでよね!
今、先日出席なさったお友だちの一人からお電話があって、先日の総合写真の中でどうしてもお名前がわからない方があるから、教えて?と仰る。 私は夕食もそこそこ、テーブルの上に名簿、便せん、封筒などをとり散らしていて、先日の集合写真をどこへしまったが、探すのもうっとうしかったが、お友だちの説明を聞いてその写真の場所も覚えていたので、即座に答える事が出来てほっとしたが、それからしばらくお話に付き合った。 その方は偶然田園都市線の沿線にすんでいらっしゃぅて、Kクリニックに罹ったこともある・・・と話が伸びる。 あ~あ、疲れた!
2010年11月17日水曜日
最後のクラス会の幹事
先日のクラス会の時の写真が出来た・・・ なるべく早くかたずけたい、というお友だちの一人からのお電話だったので、私は最後の締めの会計報告書を作った。
今度でクラス会も最後と言うことは、収支報告を少なくとも出席頂いた方がたには写真と共にお送りすべきだと言うのが私の意見で、したがってその収支報告書を作る羽目になった。
幹事のお一人が何度要求してもその方が立て替えてくださった金額の報告をして下さらない!ともう一人の幹事が強く攻めて、なにしろなだめすかすのも私の役目。 急あつらえの幹事、長く生きて来た自信がそれぞれを強くさせている・・・と気にしながらようやく昨日集まって、結局私が気を使いながら最後のけじめをつけた。 それぞれが封筒と写真、私の作った収支報告書を手分けしてそれぞれにお送りした。
もうひとつの懸案、残金については、母校の奨学金(私が学校に電話して)係りの方と奨学金にするのがいいだろうということで、会計をして下さったお友だちに電話した。 大して多い金額ではなかったが、必ず今度の学院広報に載せてください、とお願いした。
ようやく、肩の荷が下りた。 私は自分をほめた。 これは、15年間自治会の副会長として、当初はワ―プロで後にパソコンで自治会の書類、月例会や自治会の総会の資料などを作った経験が役に立った!と自画自賛している。
今度でクラス会も最後と言うことは、収支報告を少なくとも出席頂いた方がたには写真と共にお送りすべきだと言うのが私の意見で、したがってその収支報告書を作る羽目になった。
幹事のお一人が何度要求してもその方が立て替えてくださった金額の報告をして下さらない!ともう一人の幹事が強く攻めて、なにしろなだめすかすのも私の役目。 急あつらえの幹事、長く生きて来た自信がそれぞれを強くさせている・・・と気にしながらようやく昨日集まって、結局私が気を使いながら最後のけじめをつけた。 それぞれが封筒と写真、私の作った収支報告書を手分けしてそれぞれにお送りした。
もうひとつの懸案、残金については、母校の奨学金(私が学校に電話して)係りの方と奨学金にするのがいいだろうということで、会計をして下さったお友だちに電話した。 大して多い金額ではなかったが、必ず今度の学院広報に載せてください、とお願いした。
ようやく、肩の荷が下りた。 私は自分をほめた。 これは、15年間自治会の副会長として、当初はワ―プロで後にパソコンで自治会の書類、月例会や自治会の総会の資料などを作った経験が役に立った!と自画自賛している。
2010年11月10日水曜日
最後のクラス会の幹事
青山学院女子専門学校の英文科という前世紀とも聞こえる学校を卒業してから、57年!経って、ほとんどの方が80歳になる。
卒業当時はクラス会はオリンピック・イヤーにしましょう・・・と決めていたけれど、年を経るに従って2年ごとになり、今回は一応最後にしましょう・・・と約束して、私が先ず手を挙げ(今まで幹事をしたことがなかったので)4人が幹事となった。
実は私には腹案があって、以前ジムのお友だちにお連れ頂いたレストランが青山学院中等部のすぐ近くだったのと雰囲気、従業員の態度、料理もまあまあだったので、最後のクラス会はここで、と決めていた。
当日は、朝少し風が強かったけれど晴天でドタキャンもなく、一安心。 私が前もって出席者と欠席者、お亡くなりになった方、返事のない方、住所に住んでいない方などを振り分けて人数分の表をパソコンで作っておいた。 それをもとにして幹事の一人に出席者をチックし、更に何時もグループ同士で席をとることを避けるため、札を作って番号札、席札に着席をお願いした。 出席者は26人だったので、私達幹事の席から完全に皆さまを見渡せた。
結果として、私が司会をするハメになった。 すべてが私の指揮のもとに会が進みそうだった。 3年間の学生生活のうち、入学当時私は体の調子が悪く、ほとんど一学期は欠席していたので、当初から気おくれした学生生活がはじまった。 その習慣が卒業まで続いていたと思う。 私の高校時代の親友が以前仰ったように
私は「さなぎから蝶になった」のかしら? 私は落ち着いて開会宣言をして、乾杯の音頭も・・・という友人達の声だけには従わず、同じ幹事をしていた学生時代にはBクラスの委員をしてくださったOさんにお願いした。(途中で昨日のお礼の長電話1時間以上!)があったので、つずきはまた明日!
卒業当時はクラス会はオリンピック・イヤーにしましょう・・・と決めていたけれど、年を経るに従って2年ごとになり、今回は一応最後にしましょう・・・と約束して、私が先ず手を挙げ(今まで幹事をしたことがなかったので)4人が幹事となった。
実は私には腹案があって、以前ジムのお友だちにお連れ頂いたレストランが青山学院中等部のすぐ近くだったのと雰囲気、従業員の態度、料理もまあまあだったので、最後のクラス会はここで、と決めていた。
当日は、朝少し風が強かったけれど晴天でドタキャンもなく、一安心。 私が前もって出席者と欠席者、お亡くなりになった方、返事のない方、住所に住んでいない方などを振り分けて人数分の表をパソコンで作っておいた。 それをもとにして幹事の一人に出席者をチックし、更に何時もグループ同士で席をとることを避けるため、札を作って番号札、席札に着席をお願いした。 出席者は26人だったので、私達幹事の席から完全に皆さまを見渡せた。
結果として、私が司会をするハメになった。 すべてが私の指揮のもとに会が進みそうだった。 3年間の学生生活のうち、入学当時私は体の調子が悪く、ほとんど一学期は欠席していたので、当初から気おくれした学生生活がはじまった。 その習慣が卒業まで続いていたと思う。 私の高校時代の親友が以前仰ったように
私は「さなぎから蝶になった」のかしら? 私は落ち着いて開会宣言をして、乾杯の音頭も・・・という友人達の声だけには従わず、同じ幹事をしていた学生時代にはBクラスの委員をしてくださったOさんにお願いした。(途中で昨日のお礼の長電話1時間以上!)があったので、つずきはまた明日!
2010年10月28日木曜日
奥沢辺り
今日、ジムの若いお友だちが奥沢のフレンチレストランでお昼をしませんか?と誘ってくださった。 何時も家に来て下さってお茶をするお友だちと二人、二人とも食いしん坊なので、直ぐお誘いに乗った。
生憎の雨だったが、その年下のお友だちが大きいベンツで送り迎えをしてくださるというので、大喜びで11時すぎにピックアップして頂いた。 先月、下の妹の次男一家が奥沢のイタリアン・レストランにつれて行ってくれたばかりで、急に「奥沢」が身近になった感じ。
結婚するまで何十年も大岡山に住んでいたのに、奥沢は知人を尋ねたことと、結婚する前、お友だちが行きつけのお寿司屋さんに招待してくださった以来、のこと。 甥がご馳走してくれたイタリアンもピザ、スパゲッティなども美味しかった。 自由が丘の隣の駅なので、ケッコウ穴場なのかも?
そのフレンチレストランも先日甥達につれて行ってもらったレストランと同じくらいの大きさのお店だった。
12時になったらお店は満員。 ほとんどが、30代の女性客ばかり。 メニュ―を見て驚いた! 何とお安いこと! お二人に従って、2000円のコースを選んだ。 前菜、メイン(私はお魚を選んだ)皮がからりと揚がっていて(はただった) お友だちは二人とも肉料理ビーフストロガノフを選んだけれど、私はそれは自分でも作れると思ってあえて魚を選んだ。 最後に出たデザートが女性好みでかなり豪華、アイスクリーム、とイチゴのシャーベット、チョコレートのケーキがトテモおいしかった。
奥沢を見直さなければ・・・というのが私の今日の感想。
生憎の雨だったが、その年下のお友だちが大きいベンツで送り迎えをしてくださるというので、大喜びで11時すぎにピックアップして頂いた。 先月、下の妹の次男一家が奥沢のイタリアン・レストランにつれて行ってくれたばかりで、急に「奥沢」が身近になった感じ。
結婚するまで何十年も大岡山に住んでいたのに、奥沢は知人を尋ねたことと、結婚する前、お友だちが行きつけのお寿司屋さんに招待してくださった以来、のこと。 甥がご馳走してくれたイタリアンもピザ、スパゲッティなども美味しかった。 自由が丘の隣の駅なので、ケッコウ穴場なのかも?
そのフレンチレストランも先日甥達につれて行ってもらったレストランと同じくらいの大きさのお店だった。
12時になったらお店は満員。 ほとんどが、30代の女性客ばかり。 メニュ―を見て驚いた! 何とお安いこと! お二人に従って、2000円のコースを選んだ。 前菜、メイン(私はお魚を選んだ)皮がからりと揚がっていて(はただった) お友だちは二人とも肉料理ビーフストロガノフを選んだけれど、私はそれは自分でも作れると思ってあえて魚を選んだ。 最後に出たデザートが女性好みでかなり豪華、アイスクリーム、とイチゴのシャーベット、チョコレートのケーキがトテモおいしかった。
奥沢を見直さなければ・・・というのが私の今日の感想。
2010年10月26日火曜日
クラス会の幹事って? その2
およそ、五十人の方々に三人の幹事が手分けしてハガキの宛名書きをした。
「中々、お返事もらえないわよ!」と四人の幹事のうちの一人がそう仰ったとおり、ハガキを出して三日経った頃、三通、その翌日に又三通とぽっりぽっり・・・。 今日ようやく27通となった。
そのうち「宛所にたずねあたりません」として戻ってきたはがきが三通。 「他界いたしました」との御家族からのお返事ガ悲しい。 「ケア・ハウスに入りました」と言う方が二人。 その裏側で起きたことをお察ししながら、考え込んでしまう。
幹事四人を含めて今のところ二十人がご参加いただけるかな? 考えようによっては、齢八十歳にして、五十人のうち、二十人以上の方々がご出席なされるというのは、立派なことかな~と思ってみる。
未だ、指定の日まで五日ある。
「中々、お返事もらえないわよ!」と四人の幹事のうちの一人がそう仰ったとおり、ハガキを出して三日経った頃、三通、その翌日に又三通とぽっりぽっり・・・。 今日ようやく27通となった。
そのうち「宛所にたずねあたりません」として戻ってきたはがきが三通。 「他界いたしました」との御家族からのお返事ガ悲しい。 「ケア・ハウスに入りました」と言う方が二人。 その裏側で起きたことをお察ししながら、考え込んでしまう。
幹事四人を含めて今のところ二十人がご参加いただけるかな? 考えようによっては、齢八十歳にして、五十人のうち、二十人以上の方々がご出席なされるというのは、立派なことかな~と思ってみる。
未だ、指定の日まで五日ある。
2010年10月18日月曜日
帝釈天
月曜日はジムもお休みだし、昨日の日曜日は勢を出して家のかたずけをしたし、歩かなかったし・・・の理由で急に思い立って近所の友人を誘って、彼女が行きたがっていた柴又の帝釈天に行かないか?と誘ってみた。
思い立ったのがまるで急だったので、行き方などをパソコンで調べてみたけれど、どのルートで行くのがいいか、決めかねて、とりあえずGOOGLEの説明通り東京駅から小岩行きのバスに乗って~に従おうとしたが小岩行きのバスが無い。 とりあえず、駅そばの交番のお巡りさんとバスの運転手さんのお勧めにしたがって、
都バスで最寄りの?駅まで行き、そこからタクシーを拾って柴又に着いた。
家を出たのが遅かったので二人ともかなりお腹が空いていたので、タクシーが止まってくれた川魚で有名に”川甚”でかなり高価な?幕の内弁当を頂き、二人ともお腹がいっぱい!
ところで肝心のの帝釈天はそこから5分ほどのところにあった。 テレビなどでよく見たことのあるお寺より実物はかなり堂々とした古めかしいお寺だった。 本堂を包むように生えている松の緑が鮮やかだった。
思ったほど所謂俗っぽくはなかった。 参道に沿ってある店もテレビを通して見るよりこまごましていて、
妙に草団子にあんこのついた折を売っている店が多かった。 下町の所為か人々がトテモなつっこく感じた。 柴又駅の真ん中に‘寅さん”の銅像が懐かしそうに例のかばんを持って私達を見下ろしていた。
帰る道はバカバカしいほど、簡単だった! 柴又駅からつぎの駅、高砂で降りて乗換、まっ直ぐ五反田。
行きはよいよい、帰りは怖い!の真反対!
ちなみに、たったひとつ買った干支の木彫りの午の”ねずけ”の店の名前は’園田’だった!
思い立ったのがまるで急だったので、行き方などをパソコンで調べてみたけれど、どのルートで行くのがいいか、決めかねて、とりあえずGOOGLEの説明通り東京駅から小岩行きのバスに乗って~に従おうとしたが小岩行きのバスが無い。 とりあえず、駅そばの交番のお巡りさんとバスの運転手さんのお勧めにしたがって、
都バスで最寄りの?駅まで行き、そこからタクシーを拾って柴又に着いた。
家を出たのが遅かったので二人ともかなりお腹が空いていたので、タクシーが止まってくれた川魚で有名に”川甚”でかなり高価な?幕の内弁当を頂き、二人ともお腹がいっぱい!
ところで肝心のの帝釈天はそこから5分ほどのところにあった。 テレビなどでよく見たことのあるお寺より実物はかなり堂々とした古めかしいお寺だった。 本堂を包むように生えている松の緑が鮮やかだった。
思ったほど所謂俗っぽくはなかった。 参道に沿ってある店もテレビを通して見るよりこまごましていて、
妙に草団子にあんこのついた折を売っている店が多かった。 下町の所為か人々がトテモなつっこく感じた。 柴又駅の真ん中に‘寅さん”の銅像が懐かしそうに例のかばんを持って私達を見下ろしていた。
帰る道はバカバカしいほど、簡単だった! 柴又駅からつぎの駅、高砂で降りて乗換、まっ直ぐ五反田。
行きはよいよい、帰りは怖い!の真反対!
ちなみに、たったひとつ買った干支の木彫りの午の”ねずけ”の店の名前は’園田’だった!
2010年10月10日日曜日
クラス会の幹事って?
先週、クラス会の幹事四人が集まって、相談することになった。
場所は以前ジムのお友だちが紹介してくださった青山学院中等部近くの瀟洒なフレンチレストランがいいだろうと私は独りで決めていた。
幹事のうちお一人はそのレストランに直接行く、ということで残り三人は渋谷駅で待ち合わせるととにした。渋谷は通学時に利用していたわけだから,分かりやすいだろう…と思っていた私は甘かった。 三人のうち一人は、山手線の池袋方面から来られるので、池袋駅の階段下、ということに決めた。 もう一人は井の頭線だというので、山手線の池袋に近い出口・・と言った私が悪かった! 待てど暮らせどその方は現れない。私はもう一つの出口と行ったり来たり二回も往復したけれど、いらっしゃらない! 三度目の時にふと、気がついた。 私はよく説明したつもりだったけれど、井の頭線からまっすぐ来たところの出口でその方は立っていらっした。
’ロアラブッシュ’というレストランの場所、環境、お料理、従業員のマナーなどはトテモ喜んでいただいてお店の中で午後三時ごろまで居て下相談をした。 お金を預かる方、往復ハガキと印刷を担当する方、
そして私は店の紹介者?なのでハガキを受け取って出席者をチエックしてレストランに連絡する係。
ケッコウ返事が遅くてこの係りは大変らしい。 その上ハガキにあて名書きは手分けですることになった。
学生時代はわたしはどちらかと言うとおとなしい方だったのに、長ずる?に及んでトテモ行動的になったらしい? すべて電話は私にかかってくる。 一日に三人と応対するのもケッコウ大変! そして結果もそれぞれに報告しなければならない。 やっぱり幹事って大変! まだまだ、これから~
場所は以前ジムのお友だちが紹介してくださった青山学院中等部近くの瀟洒なフレンチレストランがいいだろうと私は独りで決めていた。
幹事のうちお一人はそのレストランに直接行く、ということで残り三人は渋谷駅で待ち合わせるととにした。渋谷は通学時に利用していたわけだから,分かりやすいだろう…と思っていた私は甘かった。 三人のうち一人は、山手線の池袋方面から来られるので、池袋駅の階段下、ということに決めた。 もう一人は井の頭線だというので、山手線の池袋に近い出口・・と言った私が悪かった! 待てど暮らせどその方は現れない。私はもう一つの出口と行ったり来たり二回も往復したけれど、いらっしゃらない! 三度目の時にふと、気がついた。 私はよく説明したつもりだったけれど、井の頭線からまっすぐ来たところの出口でその方は立っていらっした。
’ロアラブッシュ’というレストランの場所、環境、お料理、従業員のマナーなどはトテモ喜んでいただいてお店の中で午後三時ごろまで居て下相談をした。 お金を預かる方、往復ハガキと印刷を担当する方、
そして私は店の紹介者?なのでハガキを受け取って出席者をチエックしてレストランに連絡する係。
ケッコウ返事が遅くてこの係りは大変らしい。 その上ハガキにあて名書きは手分けですることになった。
学生時代はわたしはどちらかと言うとおとなしい方だったのに、長ずる?に及んでトテモ行動的になったらしい? すべて電話は私にかかってくる。 一日に三人と応対するのもケッコウ大変! そして結果もそれぞれに報告しなければならない。 やっぱり幹事って大変! まだまだ、これから~
2010年10月8日金曜日
多分、青山学院’英三”最期のクラス会
以前は’青山学院専門部英文科”のクラス会は三年に一回の割合で開きましょう・・・と卒業時の約束だった。 そしてこれまでは台湾系出身のお友だちが中心になってすべてを決めてくださっていたので、私達は、ただ、出席をすればいい・・という立場だったけれど、昨年のクラス会の前日に日本橋の高島屋で、倒れられそのあとしばらく入院された後、あっけなく亡くなってしまった。
今年はほとんどのお友だちが八十歳になられるので、今年で最後にしようと、いうことで、今まで世話役をしたことがなかった、私を含める四人が世話役を引き受ける羽目になった。 今、急に思い出したことは、
四十年くらい前、その友人が豪邸?を建てた時、そのお宅でクラス会をして、私は彼女のために、招いたお友だちのために巻きずしや前菜など作ってあげたことがあったっけ。 無論何のお礼もなしだった。
私たちは、戦後、三年目の英文科のクラスだったので、学生の数は5五十人だった。 その後二年生のころ昭和女子大から五人ほど編入学生があったりで、卒業時は七十人ほどだったけれど、今度名簿を見るとお亡くなりになった方々、海外サ在住者などを除くと五十七人になっていた。
今年はほとんどのお友だちが八十歳になられるので、今年で最後にしようと、いうことで、今まで世話役をしたことがなかった、私を含める四人が世話役を引き受ける羽目になった。 今、急に思い出したことは、
四十年くらい前、その友人が豪邸?を建てた時、そのお宅でクラス会をして、私は彼女のために、招いたお友だちのために巻きずしや前菜など作ってあげたことがあったっけ。 無論何のお礼もなしだった。
私たちは、戦後、三年目の英文科のクラスだったので、学生の数は5五十人だった。 その後二年生のころ昭和女子大から五人ほど編入学生があったりで、卒業時は七十人ほどだったけれど、今度名簿を見るとお亡くなりになった方々、海外サ在住者などを除くと五十七人になっていた。
2010年9月30日木曜日
ネットス―パー
今日、ようやくネットスーパーの宅配便を利用することに成功した。
夏の暑い日、これから来る冬の寒い日に往復30分かけて、重い買い物を引きずりながら、往復するのは可也辛いものだった。 今日のような雨の日にもキャリーバック?を引っ張って坂をのぼっての買い物は、年とともに厳しくなる。 特に料理教室のための買い物とかお米、水ものをなどを求めると思わず途中で立ち止まって一息つくこともあった。
二か月ほど前から、何時も行くスーパー・マーケットがネット販売を始めるというので、何度かトライしたものの、ようやく完成した?と思ったら、「只今、お申込みが混雑していますので、しばらくこのままでお待ちくださいとのサインが出て、不成功。
昨夜ようやく通じて洗剤、果物など、重そうなものを配達していただく事が出来た。
私は、常時はパソコンを開いてはいないのだけれど、たまたま品物が到着する時間ごろ、パソコンを開けていたら、「お品物は3時半ごろお届けいたします・・・と、次に又メールが入り、家の近くで、またまたメール。 そして予定時間より5分早く家に到着したら「予定より5分早く着いて、申し訳ございません」との挨拶の後、洗剤、果物など別々に袋に入れた品物を丁寧に説明をしながら、玄関先に並べてまた丁寧に頭を下げて行って、おそれ入りました。 週に一回くらいの割合で利用するのも、いいかな~?三千円以上の品物を頼むとポイントが着くとか、サービスがあるとか?
夏の暑い日、これから来る冬の寒い日に往復30分かけて、重い買い物を引きずりながら、往復するのは可也辛いものだった。 今日のような雨の日にもキャリーバック?を引っ張って坂をのぼっての買い物は、年とともに厳しくなる。 特に料理教室のための買い物とかお米、水ものをなどを求めると思わず途中で立ち止まって一息つくこともあった。
二か月ほど前から、何時も行くスーパー・マーケットがネット販売を始めるというので、何度かトライしたものの、ようやく完成した?と思ったら、「只今、お申込みが混雑していますので、しばらくこのままでお待ちくださいとのサインが出て、不成功。
昨夜ようやく通じて洗剤、果物など、重そうなものを配達していただく事が出来た。
私は、常時はパソコンを開いてはいないのだけれど、たまたま品物が到着する時間ごろ、パソコンを開けていたら、「お品物は3時半ごろお届けいたします・・・と、次に又メールが入り、家の近くで、またまたメール。 そして予定時間より5分早く家に到着したら「予定より5分早く着いて、申し訳ございません」との挨拶の後、洗剤、果物など別々に袋に入れた品物を丁寧に説明をしながら、玄関先に並べてまた丁寧に頭を下げて行って、おそれ入りました。 週に一回くらいの割合で利用するのも、いいかな~?三千円以上の品物を頼むとポイントが着くとか、サービスがあるとか?
2010年9月28日火曜日
ランチ・クルージング
お友だちが私の80歳の誕生日を祝って、ランチ・クルージングに招待してくださった。
私の誕生日は六月で、大分日にちが経っていたけれど、この夏は私も出かける事が多かったので、今日まで延ばして予約をした下さっていた。
生憎、今日は朝から可也雨脚が強く、日延べしましょうか?とお友だちが仰ってくださったけれど、大分お待たせしてしまっていたのと、天気もだんだん晴れそうだったので、予定どおり伺うことにした。 途中かなり激しい雨だったけれど、埠頭に着き乗船するころには雨も小ぶりになってきた。
以前、京都の妹夫妻に誘われて、’飛鳥’で船旅をしたことを懐かしく思いながら、”ロイヤルウイング”という思ったより大きな船に乗る。 ウイークディなのに乗客は可也多く、乗船してすぐヴァイキングを頂くことになり、思いもかけず料理は中華料理で、品数も可也多く。 残念ながら、年のせいもあって、全品取り付ける事が出来なく、残念だった。 私はお友だちが譲ってくださったので海を眺めながら優雅?にお料理を楽しんだ。
外洋には出ないようだったけれど、横浜の街が美しかった。 夜景は、さぞや、と思わせた。
そういえば・・・私はハワイでも妹夫妻と姪とで夜のクルージングを楽しんだことがあり、又何年か前、友人とニュージランドでもクルージングで外洋まで出て、船の左舷から右舷まで転がったことを思い出した。
おかげさまで遅まきながらの80歳の誕生祝いを楽しむことが出来て、有難うございました!!
私の誕生日は六月で、大分日にちが経っていたけれど、この夏は私も出かける事が多かったので、今日まで延ばして予約をした下さっていた。
生憎、今日は朝から可也雨脚が強く、日延べしましょうか?とお友だちが仰ってくださったけれど、大分お待たせしてしまっていたのと、天気もだんだん晴れそうだったので、予定どおり伺うことにした。 途中かなり激しい雨だったけれど、埠頭に着き乗船するころには雨も小ぶりになってきた。
以前、京都の妹夫妻に誘われて、’飛鳥’で船旅をしたことを懐かしく思いながら、”ロイヤルウイング”という思ったより大きな船に乗る。 ウイークディなのに乗客は可也多く、乗船してすぐヴァイキングを頂くことになり、思いもかけず料理は中華料理で、品数も可也多く。 残念ながら、年のせいもあって、全品取り付ける事が出来なく、残念だった。 私はお友だちが譲ってくださったので海を眺めながら優雅?にお料理を楽しんだ。
外洋には出ないようだったけれど、横浜の街が美しかった。 夜景は、さぞや、と思わせた。
そういえば・・・私はハワイでも妹夫妻と姪とで夜のクルージングを楽しんだことがあり、又何年か前、友人とニュージランドでもクルージングで外洋まで出て、船の左舷から右舷まで転がったことを思い出した。
おかげさまで遅まきながらの80歳の誕生祝いを楽しむことが出来て、有難うございました!!
2010年8月30日月曜日
何時まで続く、この暑さ
今年の暑さは何時まで続く? 天気予報によると、九月に入ってからも、しばらくは、この暑さがつずくと言う。
今日も銀行に行く用事があったので、午前中に済ませ、ついでに少し離れたス―パー・マーケットに寄って、気になっていた買い物を済ませた。 気がつくとお年寄りの(むろん私もそのうちの一人?)買い物客が多かった。
遅い昼ご飯をしようとしていたら、私より一歳年下の従妹から電話がかかってきた。
足が痛んでほとんど外出が出来ないという。 相変わらずほとんど彼女のこぼし話を聞くだけで、私がしばらく箱根に行っていたと言っても、まるで無視。 大体の方々と同じように五分の四は相手の方の話の聴き手であって、私が独りでいかに過ごしているか?そして、私も冬には右足が痛くて歩けなかったこととか、昨年の11月に入院したことなどについては一言も聞いて呉れそうもなかった。
股関節の手術をするとかしないとかは、私が意見を言う立場にはないと思い、「ご自分で決心するしかないのでは?」と応えた。 私はひとで暮らしていて何でも自分で決めなければならないのに、立派な息子と嫁もいる彼女は羨ましく思うことはあっても、羨ましがられることは何もない! ただ、この年になっても、他人から相談を受ける身であることは、多分誇らしく思ってもいいのかもしれない。
今日も銀行に行く用事があったので、午前中に済ませ、ついでに少し離れたス―パー・マーケットに寄って、気になっていた買い物を済ませた。 気がつくとお年寄りの(むろん私もそのうちの一人?)買い物客が多かった。
遅い昼ご飯をしようとしていたら、私より一歳年下の従妹から電話がかかってきた。
足が痛んでほとんど外出が出来ないという。 相変わらずほとんど彼女のこぼし話を聞くだけで、私がしばらく箱根に行っていたと言っても、まるで無視。 大体の方々と同じように五分の四は相手の方の話の聴き手であって、私が独りでいかに過ごしているか?そして、私も冬には右足が痛くて歩けなかったこととか、昨年の11月に入院したことなどについては一言も聞いて呉れそうもなかった。
股関節の手術をするとかしないとかは、私が意見を言う立場にはないと思い、「ご自分で決心するしかないのでは?」と応えた。 私はひとで暮らしていて何でも自分で決めなければならないのに、立派な息子と嫁もいる彼女は羨ましく思うことはあっても、羨ましがられることは何もない! ただ、この年になっても、他人から相談を受ける身であることは、多分誇らしく思ってもいいのかもしれない。
2010年8月29日日曜日
忙しくて、楽しかったった八月
八月初旬、例年のように京都の森田家の箱根の別荘に招待してくれて、これもまた例年のように十里木に来ている妹夫妻と箱根のイタリアンレストランで八月生まれの妹、姪、そして下の妹の夫三人のバースディ・パーティを妹の夫が計画してくれた。 箱根に行くたびに訪れているレストランなのだけれど、その日は特別二階に部屋を予約して、一歳になったばかりの諒ちゃんも、自由に動けて楽しそうだった。
一旦、東京に戻って、ガスオーブンの入れ替え、美容院、ジムのお友だちの54歳のお誕生祝いを恵比寿のロブションで祝ったりして18日にまた箱根に戻って、今度は妹の夫は仕事でメキシコ二出張して来られないので、妹と姪夫妻、妹の孫の諒ちゃんの5人になり、姪の夫の車で、’彫刻の森‘ 湖のあたりをドライブしたり、諒ちゃんを近くのホテルの芝生の庭で遊ばせたり、して過ごすことができた。 仙石辺りもだんだん開けてきて、それでも車なければ・・・?
私は諒ちゃんと遊ぶことがたのしくて、私が一週間経って東京から戻って来た時、諒ちゃんは、嬉しいことに私に頭突きのように頭をぶつけてきて、そのあと顔に親愛の’ちゅう’をしてくれた。 朝から夜おそくまで、諒ちゃんと遊べるのがトテモ楽しみだったし、辛抱ずよく一つのことを飽きずに集中して繰り返してする行動にも驚いた。 そう言えば、ロンドンの下の妹の次男の家に泊めていただいた時、2歳(?)くらいだった英里ちゃんが私達(妹と私)の部屋に入って来て、「ぽっぽいないねぇ?」と言い、私のスーツケースを触りたがっっていたのを思い出したりした。
一旦、東京に戻って、ガスオーブンの入れ替え、美容院、ジムのお友だちの54歳のお誕生祝いを恵比寿のロブションで祝ったりして18日にまた箱根に戻って、今度は妹の夫は仕事でメキシコ二出張して来られないので、妹と姪夫妻、妹の孫の諒ちゃんの5人になり、姪の夫の車で、’彫刻の森‘ 湖のあたりをドライブしたり、諒ちゃんを近くのホテルの芝生の庭で遊ばせたり、して過ごすことができた。 仙石辺りもだんだん開けてきて、それでも車なければ・・・?
私は諒ちゃんと遊ぶことがたのしくて、私が一週間経って東京から戻って来た時、諒ちゃんは、嬉しいことに私に頭突きのように頭をぶつけてきて、そのあと顔に親愛の’ちゅう’をしてくれた。 朝から夜おそくまで、諒ちゃんと遊べるのがトテモ楽しみだったし、辛抱ずよく一つのことを飽きずに集中して繰り返してする行動にも驚いた。 そう言えば、ロンドンの下の妹の次男の家に泊めていただいた時、2歳(?)くらいだった英里ちゃんが私達(妹と私)の部屋に入って来て、「ぽっぽいないねぇ?」と言い、私のスーツケースを触りたがっっていたのを思い出したりした。
2010年8月15日日曜日
今日は第65回目の敗戦記念日
あれから、もう65年経った。 例年この日には必ずブログに何か思い出を書くことにしている。
あの敗戦の時私はいくつだったかなあ~?と考えるのだけれど、今年は可也わかりやすい。 それは、今年、私が80歳になったわけだから、各メディアでしつこく報じている終戦伍65年という、いかに数字に弱い私でも明確に引き算が出来る。
日本のメディアは「終戦」という言葉を多く使っているけれど、この日は明らかに無条件降伏なのだから、敗戦と呼ぶべきだと私は65年前当時からそう思っていた。 今更カッコウ着けることもないだろうに・・・とも思っていた。 そして、それまでの男性上位時代から少しは女性上位に国が変わっていくに違いないとも思っていた。(昨今では、明らかに仕事の面でも一部女性の方が上位の感があるようにと思う)
以前にも書いたけれど、65年前、の今日、私たちは東京と埼玉の県境、荒川の埼玉よりに引っ越していた。
中の妹が小学校低学年生で親元から離され地方に強制学童疎開を迫られていたのが最大の理由で、父は家族が離れる事をトテモ不憫に思い、その頃父は大手の軍需産業の工場長をしていたので、その工場の近くに社宅として、可也の土地附きの家を確保して移り住んでいた。 その土地がその後の家族の食料事情の大いなる助けとなった・・・ことは以前に書いたことがある。
65年前の今日、一台しかないラジオで、朝から「今日、天皇陛下の重大な玉音放送がありますので、全員
ラジオの前にお集まりになって、その放送を聞き逃さないでください!」としつこく放送していた。
いざ時間が来てその放送を直立姿勢で聴くことになったけれど、雑音と陛下の少し現代離れした(私にはそう思えた)お話になり方、難しいお言葉の数々で全部を理解することは15歳の私には理解することができなかった。 「耐えがたきを耐え、忍びがたきを、忍び・・・」というお言葉も今までもす~っと忍びがたきを偲んできたじゃない?と思い。 雑音と途切れかかる玉音放送を聞き逃さないように、らジオをたたきながら耳を傾け その玉音放送が終わった後、父親に「どうしたの? どうしたの?」と何度も尋ねたけれど、父は戦争が終わったらしい」としか応えてくれなかった。
以前にも書いたが、翌日からB29の来襲も空襲もないのだ・・・。 ホントに? そう思って青空とジ‐、ジ‐蝉の鳴き声だけが何となく心に残る日となった。
今日の敗戦記念日を忘れないために?大田区では区民の寄付による花火大会を多摩川べりで、行うことになっている。 例年家にいる事もないけれど、今晩は家の前の道路で花火を見ようと思う。
手の湿疹とアレルギ―性目のぐしゃぐしゃ?でしばらくブログを書く気がしなかったけれど、今日は敗戦を体験した一人として、書き込む責任を感じている。 (いかに、数字に弱いとは言え、65年前の終戦記念日のことを35年前と連記していて、心から恥じています)
あの敗戦の時私はいくつだったかなあ~?と考えるのだけれど、今年は可也わかりやすい。 それは、今年、私が80歳になったわけだから、各メディアでしつこく報じている終戦伍65年という、いかに数字に弱い私でも明確に引き算が出来る。
日本のメディアは「終戦」という言葉を多く使っているけれど、この日は明らかに無条件降伏なのだから、敗戦と呼ぶべきだと私は65年前当時からそう思っていた。 今更カッコウ着けることもないだろうに・・・とも思っていた。 そして、それまでの男性上位時代から少しは女性上位に国が変わっていくに違いないとも思っていた。(昨今では、明らかに仕事の面でも一部女性の方が上位の感があるようにと思う)
以前にも書いたけれど、65年前、の今日、私たちは東京と埼玉の県境、荒川の埼玉よりに引っ越していた。
中の妹が小学校低学年生で親元から離され地方に強制学童疎開を迫られていたのが最大の理由で、父は家族が離れる事をトテモ不憫に思い、その頃父は大手の軍需産業の工場長をしていたので、その工場の近くに社宅として、可也の土地附きの家を確保して移り住んでいた。 その土地がその後の家族の食料事情の大いなる助けとなった・・・ことは以前に書いたことがある。
65年前の今日、一台しかないラジオで、朝から「今日、天皇陛下の重大な玉音放送がありますので、全員
ラジオの前にお集まりになって、その放送を聞き逃さないでください!」としつこく放送していた。
いざ時間が来てその放送を直立姿勢で聴くことになったけれど、雑音と陛下の少し現代離れした(私にはそう思えた)お話になり方、難しいお言葉の数々で全部を理解することは15歳の私には理解することができなかった。 「耐えがたきを耐え、忍びがたきを、忍び・・・」というお言葉も今までもす~っと忍びがたきを偲んできたじゃない?と思い。 雑音と途切れかかる玉音放送を聞き逃さないように、らジオをたたきながら耳を傾け その玉音放送が終わった後、父親に「どうしたの? どうしたの?」と何度も尋ねたけれど、父は戦争が終わったらしい」としか応えてくれなかった。
以前にも書いたが、翌日からB29の来襲も空襲もないのだ・・・。 ホントに? そう思って青空とジ‐、ジ‐蝉の鳴き声だけが何となく心に残る日となった。
今日の敗戦記念日を忘れないために?大田区では区民の寄付による花火大会を多摩川べりで、行うことになっている。 例年家にいる事もないけれど、今晩は家の前の道路で花火を見ようと思う。
手の湿疹とアレルギ―性目のぐしゃぐしゃ?でしばらくブログを書く気がしなかったけれど、今日は敗戦を体験した一人として、書き込む責任を感じている。 (いかに、数字に弱いとは言え、65年前の終戦記念日のことを35年前と連記していて、心から恥じています)
2010年7月21日水曜日
ようやく、家の改装が終了
昨年、屋根のかぶせ工事に始まって、洗面所、台所のレンジの取り換え工事、そして考えながら・・・思い切って二階と階下のトイレの段差を平らにする修理を終えた。 資金と時間との調整のため、一年半かけて、最後のトイレの段差調整作業は、高温の真っただ中の昨日、今日の二日かかってしまった。
最近の建築では、トイレとか風呂場とかは段差なしのことが多いけれど、二十年以上前の建築では段差をつけるのが当たり前だったようだ。 年をとるとその段差が意外に気になって、特に二階のトイレは夜中に起きていく時、トテモ辛く感じるようになって来ていた。 昨夜は段差に慣れていた所為か逆に少し戸惑った感じもあった。 母が最期のころ、その段差に辛い思いをしたことも、私の記憶に残っていた。
少しずつの工事にも、嫌な顔をしないで、優しく付き合って相談に乗ってくださった、背の高いハンサムなUさんにも、感謝! 改装だけでなく、色々人生相談?もしたし、何時も聴き役だけの私の話もよく聞いてくださって、来て下さるのがトテモ楽しみだった。 お互いこれからも・・・と話して別れた。
思い通りの改装が出来て、これからの毎日が楽しみだし、しばらくご無沙汰しているお友だちをお呼びする事を考えなければ・・・・でも、この暑さはなんとも~ですね~。
最近の建築では、トイレとか風呂場とかは段差なしのことが多いけれど、二十年以上前の建築では段差をつけるのが当たり前だったようだ。 年をとるとその段差が意外に気になって、特に二階のトイレは夜中に起きていく時、トテモ辛く感じるようになって来ていた。 昨夜は段差に慣れていた所為か逆に少し戸惑った感じもあった。 母が最期のころ、その段差に辛い思いをしたことも、私の記憶に残っていた。
少しずつの工事にも、嫌な顔をしないで、優しく付き合って相談に乗ってくださった、背の高いハンサムなUさんにも、感謝! 改装だけでなく、色々人生相談?もしたし、何時も聴き役だけの私の話もよく聞いてくださって、来て下さるのがトテモ楽しみだった。 お互いこれからも・・・と話して別れた。
思い通りの改装が出来て、これからの毎日が楽しみだし、しばらくご無沙汰しているお友だちをお呼びする事を考えなければ・・・・でも、この暑さはなんとも~ですね~。
2010年7月11日日曜日
参議院選挙と地域の防災訓練と英里ちゃん、里彩ちゃんのバレーの会と・・・
選挙は今回はパス。 前日投票という手立てもあったが、野球選手、柔道選手、女優などと余り納得したくない立候補者が多いことに、今回は少し嫌気というか、抵抗を感じて、あえて棄権した。
地域の防災訓練は朝9時からで、毎日自治会の広報車が近所を回って宣伝してくださったのと、地域の住民の出席が余りに少なく、反対に消防署の方々、の数の多さに申し訳なく、出来る限り少しでも・・・と思って9時から’煙体験‘ 消火器による消火訓練に参加した。
十何年か前、私が副会長をしていた頃、大田区の久が原出張所に事務員として働いていて、特に地域情報誌「くがはら」の編集を手伝っていてくださったHさんが懐かしそうに声を掛けてくださった。 大分出世なさったらしく「お役に立つことがあったら、何でも呼び出して、言いつけてください」と仰ってくださった。 彼も余り変わってはなかったけれど、私も余り変わってなかったかしらね?とお友だちに言ったら「伊藤さんはお変りになってませんよ!」とまんざらお世辞ではなく応えてくださった。
一旦家に戻って着替えをして、妹と待ち合わせ成城学園駅近くのホールに行く。 今日のため熱心に練習をしたに違いない英里ちゃん、里彩ちゃんの属している”成城 前田バレーつぼみ会”は予想していたより大きなバレーの会のようだ。
妹と私は前から二番目の列に席をとる事が出来た。 妹は余り近くて里彩ちゃんが気ずいて、手を振ったりしたら・・・と言ったが、それはそれで・・・・ということになった。
オープニングの全員紹介で、里彩ちゃんがお化粧をしてかなりおすましで舞台に出て来た。 私たちにきずいたようだったけれど、妹の顔を認めてもおすましして下手に下がった。 一段上にいた英里ちゃんは一段下の妹を気ずかって目で追っているのがトテモいじらしかった。 里彩ちゃんもママが心配していたかも知れない事は?なく無事少し口をとがらせておすまししたまま、舞台から消えて行った。
そのあと英里ちゃんも出番のガボットを彼女の性格をそのままにキッチリ正確に回りとも合せて無事こなして下がった。 そのあとは大分大きなお姉さま達の見事なソロが何組かあった。 こういう方たちは単なる趣味でおわるのかな~?と余計な心配をしてしまった。
地域の防災訓練は朝9時からで、毎日自治会の広報車が近所を回って宣伝してくださったのと、地域の住民の出席が余りに少なく、反対に消防署の方々、の数の多さに申し訳なく、出来る限り少しでも・・・と思って9時から’煙体験‘ 消火器による消火訓練に参加した。
十何年か前、私が副会長をしていた頃、大田区の久が原出張所に事務員として働いていて、特に地域情報誌「くがはら」の編集を手伝っていてくださったHさんが懐かしそうに声を掛けてくださった。 大分出世なさったらしく「お役に立つことがあったら、何でも呼び出して、言いつけてください」と仰ってくださった。 彼も余り変わってはなかったけれど、私も余り変わってなかったかしらね?とお友だちに言ったら「伊藤さんはお変りになってませんよ!」とまんざらお世辞ではなく応えてくださった。
一旦家に戻って着替えをして、妹と待ち合わせ成城学園駅近くのホールに行く。 今日のため熱心に練習をしたに違いない英里ちゃん、里彩ちゃんの属している”成城 前田バレーつぼみ会”は予想していたより大きなバレーの会のようだ。
妹と私は前から二番目の列に席をとる事が出来た。 妹は余り近くて里彩ちゃんが気ずいて、手を振ったりしたら・・・と言ったが、それはそれで・・・・ということになった。
オープニングの全員紹介で、里彩ちゃんがお化粧をしてかなりおすましで舞台に出て来た。 私たちにきずいたようだったけれど、妹の顔を認めてもおすましして下手に下がった。 一段上にいた英里ちゃんは一段下の妹を気ずかって目で追っているのがトテモいじらしかった。 里彩ちゃんもママが心配していたかも知れない事は?なく無事少し口をとがらせておすまししたまま、舞台から消えて行った。
そのあと英里ちゃんも出番のガボットを彼女の性格をそのままにキッチリ正確に回りとも合せて無事こなして下がった。 そのあとは大分大きなお姉さま達の見事なソロが何組かあった。 こういう方たちは単なる趣味でおわるのかな~?と余計な心配をしてしまった。
2010年7月7日水曜日
ベルちゃんの葬儀に・・・
もともと、飼い主の一人だった?妹の長男家族はハワイに出かけて留守だったけれど、帰りは待っていられないということで、日曜日に妹夫妻、次男夫妻とその子供英里ちゃん里彩ちゃんたちと私でベルの葬儀をする事になった。
午後3時までに葬儀場に行くことだったので、早お昼を済ませて妹宅へ行った。 ベルはご近所の方々から送られた花束の中で、眠るように横たわっていて、声を掛けたら起きてきそうだった。
葬祭場は妹の家から車で10分くらいのところにあり、妹達はこの日のために前もって色々調べていたので、順序良く事は運んだ。 待合室には、その朝亡くなったばかりの猫ちゃんを連れ、悲しみで目を泣き腫らした若い、しかもお腹に赤ちゃんが・・・という女性がその夫といた。 この方たちも今朝まで、ネコちゃんと家族同様に暮らしていたに違いない。
しばらく待って、火葬場に案内され、人間と同じように、棺桶におさめられ、回りに皆でありったけの花をいれ、妹は、ハワイに行っていて来られなかった長男がメールで送ってきた思い出の記と自分で書いたお別れ文をそっとお棺に納めていた。 妹の泣き声が狭い火葬場に響いて、16年と言う長さを共に過ごした愛犬との別れの悲しさを感じた。
一時間半ほど、待合室で待った後、又火葬場に案内され、お骨拾いとなる。 驚いたことに、ベルの頭の先から、しっぽの先の先まできれいに並べられていて、お骨拾いするのが、はばかられるほどだった、 一応の説明があって、人間と同じように二人で一つずつの骨を拾った。
骨壷におさめられ、人間と同じように骨壷の上の方に頭とのど仏を置きふたをして、金蘭の布袋におさめられた。 妹の話によると一年くらい、そのままにして、やがて一般のお墓に移されるそうだ。
こんなに立派な葬儀をしてもらったベルはホントに幸せ。 これからしばらくは妹達夫妻もベルをしのんで辛い日々を送らなければならないだろう。
午後3時までに葬儀場に行くことだったので、早お昼を済ませて妹宅へ行った。 ベルはご近所の方々から送られた花束の中で、眠るように横たわっていて、声を掛けたら起きてきそうだった。
葬祭場は妹の家から車で10分くらいのところにあり、妹達はこの日のために前もって色々調べていたので、順序良く事は運んだ。 待合室には、その朝亡くなったばかりの猫ちゃんを連れ、悲しみで目を泣き腫らした若い、しかもお腹に赤ちゃんが・・・という女性がその夫といた。 この方たちも今朝まで、ネコちゃんと家族同様に暮らしていたに違いない。
しばらく待って、火葬場に案内され、人間と同じように、棺桶におさめられ、回りに皆でありったけの花をいれ、妹は、ハワイに行っていて来られなかった長男がメールで送ってきた思い出の記と自分で書いたお別れ文をそっとお棺に納めていた。 妹の泣き声が狭い火葬場に響いて、16年と言う長さを共に過ごした愛犬との別れの悲しさを感じた。
一時間半ほど、待合室で待った後、又火葬場に案内され、お骨拾いとなる。 驚いたことに、ベルの頭の先から、しっぽの先の先まできれいに並べられていて、お骨拾いするのが、はばかられるほどだった、 一応の説明があって、人間と同じように二人で一つずつの骨を拾った。
骨壷におさめられ、人間と同じように骨壷の上の方に頭とのど仏を置きふたをして、金蘭の布袋におさめられた。 妹の話によると一年くらい、そのままにして、やがて一般のお墓に移されるそうだ。
こんなに立派な葬儀をしてもらったベルはホントに幸せ。 これからしばらくは妹達夫妻もベルをしのんで辛い日々を送らなければならないだろう。
2010年7月2日金曜日
ベルちゃん、有難う! そして、さよ~なら!
作夕、下の妹から電話があった。 来客も帰り、これから夕食の支度をしようと思っていたところだった。
「ぺルが死んだ!」余りにも直接的で、声が泣き声とともに聞こえてきて、そのまま電話が切れた。
先日妹宅を訪問した時は、飼い犬のベルはかなり弱ってはいたが、右足を引きずってはいたけれど、食欲はあって、まだまだ大丈夫だと思っていた。 妹は怒るけれど、テーブルの下でお菓子のかけらをあげたら喜んで食べていた。 元気はないようだったけれど「まだ、まだ一カ月、一週間以上は大丈夫のように見えた。
初めて児玉家の一員になった日のこと、和室の廊下のすだれに飛びついて、檻から出ようと必死だった。
初めて車に乗って児玉家の十里木の別荘に行く途中トンネルの灯りに興奮した時のこと、何度も何度も投げたおもちゃを必死になって咥えて戻って来て、もう一度!と催促した時のこと。 色々思いでハ尽きない。
何より、久しぶりで児玉家を訪れても、私が玄関を入るや否や迎えに来て廊下から食堂のテーブル周りを二回りして、ちょこんと座った姿の可愛かったこと! 私には、時々妹に内緒で彼女に食べ物をあげるという隠し技があった。 お互い食いしん坊同士? テーブルに置きっぱなしにしていたチョコレートを全部食べてしまった!と妹から興奮した電話がかかったこともあった。 私が置きっぱなしで妹と買い物に行ったあと、私のサングラスをめちゃくちゃに噛み切ってしまったこともあったっけ。
どんどん、私の年を越えて行って、それでも可也長生きしえクrたベル、思いだはまだまだ尽きない。
「ぺルが死んだ!」余りにも直接的で、声が泣き声とともに聞こえてきて、そのまま電話が切れた。
先日妹宅を訪問した時は、飼い犬のベルはかなり弱ってはいたが、右足を引きずってはいたけれど、食欲はあって、まだまだ大丈夫だと思っていた。 妹は怒るけれど、テーブルの下でお菓子のかけらをあげたら喜んで食べていた。 元気はないようだったけれど「まだ、まだ一カ月、一週間以上は大丈夫のように見えた。
初めて児玉家の一員になった日のこと、和室の廊下のすだれに飛びついて、檻から出ようと必死だった。
初めて車に乗って児玉家の十里木の別荘に行く途中トンネルの灯りに興奮した時のこと、何度も何度も投げたおもちゃを必死になって咥えて戻って来て、もう一度!と催促した時のこと。 色々思いでハ尽きない。
何より、久しぶりで児玉家を訪れても、私が玄関を入るや否や迎えに来て廊下から食堂のテーブル周りを二回りして、ちょこんと座った姿の可愛かったこと! 私には、時々妹に内緒で彼女に食べ物をあげるという隠し技があった。 お互い食いしん坊同士? テーブルに置きっぱなしにしていたチョコレートを全部食べてしまった!と妹から興奮した電話がかかったこともあった。 私が置きっぱなしで妹と買い物に行ったあと、私のサングラスをめちゃくちゃに噛み切ってしまったこともあったっけ。
どんどん、私の年を越えて行って、それでも可也長生きしえクrたベル、思いだはまだまだ尽きない。
2010年6月21日月曜日
梅雨の晴れ間に・・・・
今年の梅雨は晴れ間が多く、晴れあがると、もう夏の暑さだ。
ジムでお知り合いになった30代の若いお友だちが、お茶にお誘いくださった。 ”出世観音”のバス停で待ち合わせたので、もしかしてその方のお家は以前女優の淡路惠子さんが住んでいらっしタ場所ではないかしら?と思っていたら、ばっちり!
そこは、まるで戦後アメリカ人の家族のために作られた一角のように、またサンフランシスコあたりにある高級住宅地でゲートがあって・・・木も多く、公園の中に家が建っている・・・という特殊な地域で、以前母とそのあたりを散歩しながら「どういう方たちが住んでいらっしゃるのかしらね?」などと半ば羨ましく思っていた、まさしくその中の一軒だった。
門を入ると広い玄関があって南に面した場所に応接間と言うかリビングがあり、木が生い茂っているので前の道を通る車も人も気にならない。
先日我が家にいらっして頂いた時も、ケーキを焼いてきて下さったけれど、今日もプリンの下にスポンジ・ケーキのついたケーキを焼いていてくださった。 頂くよりも話がはずんで、ただ、私とは40歳以上も若いので、最近の小説・エッセーなどの話は中々通じにくかった。 若いころは本を離した事はなかったが今は目が疲れて読むこともむずかしくなった。 昨日も25歳のU君と話していても、私の文学論は古く、通じにくくなっているな~と年齢の差はいかんともしがたい。 私は私で昔、読んだ本の話をするしかない。 若い方たちが経験したこともない?本を読みたくても買えなくて(出版数がすくなくて) マーレット・ミッチェルの ”GONE WITH THE WIND” などは借りる順番を紙に書きいれて順番をきめたものだった。 やっと上・中・下を買いそろえた時はトテモ嬉しかったのを今でも覚えている。 「本は財産」だったのだ。
ジムでお知り合いになった30代の若いお友だちが、お茶にお誘いくださった。 ”出世観音”のバス停で待ち合わせたので、もしかしてその方のお家は以前女優の淡路惠子さんが住んでいらっしタ場所ではないかしら?と思っていたら、ばっちり!
そこは、まるで戦後アメリカ人の家族のために作られた一角のように、またサンフランシスコあたりにある高級住宅地でゲートがあって・・・木も多く、公園の中に家が建っている・・・という特殊な地域で、以前母とそのあたりを散歩しながら「どういう方たちが住んでいらっしゃるのかしらね?」などと半ば羨ましく思っていた、まさしくその中の一軒だった。
門を入ると広い玄関があって南に面した場所に応接間と言うかリビングがあり、木が生い茂っているので前の道を通る車も人も気にならない。
先日我が家にいらっして頂いた時も、ケーキを焼いてきて下さったけれど、今日もプリンの下にスポンジ・ケーキのついたケーキを焼いていてくださった。 頂くよりも話がはずんで、ただ、私とは40歳以上も若いので、最近の小説・エッセーなどの話は中々通じにくかった。 若いころは本を離した事はなかったが今は目が疲れて読むこともむずかしくなった。 昨日も25歳のU君と話していても、私の文学論は古く、通じにくくなっているな~と年齢の差はいかんともしがたい。 私は私で昔、読んだ本の話をするしかない。 若い方たちが経験したこともない?本を読みたくても買えなくて(出版数がすくなくて) マーレット・ミッチェルの ”GONE WITH THE WIND” などは借りる順番を紙に書きいれて順番をきめたものだった。 やっと上・中・下を買いそろえた時はトテモ嬉しかったのを今でも覚えている。 「本は財産」だったのだ。
2010年6月19日土曜日
傘寿
傘寿。 80歳とはよくも長く生きたものだと思う一方、’あっという間’に・・・という感じもある。
子供もなく当然孫をもっことが出来なかった私にとって、何時も親しく私を思いやって下さる親戚、上の妹夫妻とその長女夫妻、昨年生まれたばかりの諒ちゃん。 下の妹とその長男夫妻と娘の萌彩ちゃん、下の妹の次男夫妻と何時もブログに登場する英里ちゃん、里彩ちゃん達を恵比寿の”ロブション”に招待した。
何時も忙しく時間に追われて過ごしている京都の妹の夫も何時も都合をつけて参加してくださる。 世話役と司会はよく気がついて私も頼りにしている下の妹の長男に何時も通りお願いすることにしている。
小学一年生になった英里ちゃんと、もうすぐ誕生日を迎える諒ちゃん達4人はケッコウなじんで遊びまわっていて安心した。
ロブションの料理もさすが!と思えるほど、繊細でサービスするフランス人だけどフランス語は下手というマネジャーも気を使ってくれて嬉しかった。
独り一人が私にお祝いの言葉を言ってくれて、又カードに書き込んでくれたけれど、それぞれが私が子供たち孫達の面倒を見たこと、両親の面倒を見たことに感謝の言葉を言ってくれたことが私は涙が出るほど嬉しかった。 分かってくれていたのね・・・と。
雨の予想が朝から晴れあがって、甥たち、姪夫妻からのおまけの
プレゼントの傘寿の傘の出番はなくて、よかったかな?
子供もなく当然孫をもっことが出来なかった私にとって、何時も親しく私を思いやって下さる親戚、上の妹夫妻とその長女夫妻、昨年生まれたばかりの諒ちゃん。 下の妹とその長男夫妻と娘の萌彩ちゃん、下の妹の次男夫妻と何時もブログに登場する英里ちゃん、里彩ちゃん達を恵比寿の”ロブション”に招待した。
何時も忙しく時間に追われて過ごしている京都の妹の夫も何時も都合をつけて参加してくださる。 世話役と司会はよく気がついて私も頼りにしている下の妹の長男に何時も通りお願いすることにしている。
小学一年生になった英里ちゃんと、もうすぐ誕生日を迎える諒ちゃん達4人はケッコウなじんで遊びまわっていて安心した。
ロブションの料理もさすが!と思えるほど、繊細でサービスするフランス人だけどフランス語は下手というマネジャーも気を使ってくれて嬉しかった。
独り一人が私にお祝いの言葉を言ってくれて、又カードに書き込んでくれたけれど、それぞれが私が子供たち孫達の面倒を見たこと、両親の面倒を見たことに感謝の言葉を言ってくれたことが私は涙が出るほど嬉しかった。 分かってくれていたのね・・・と。
雨の予想が朝から晴れあがって、甥たち、姪夫妻からのおまけの
プレゼントの傘寿の傘の出番はなくて、よかったかな?
2010年6月13日日曜日
傘寿に傘!
先週の健美操が終わった後、ジムのロッカーで、仲良くして下さる年下のお友だちが「お誕生日、おめでとうございます! 遅くなってごめんなさい!」と細長いものを渡された。 「何?」」「傘寿だから、傘なんです。少し持ちにくいけれど・・・」と仰って棒状の箱を渡された。 (中々、洒落てる!)私は早く家に帰って中を見たかった。
ジムの中でも、長いお付き合いになると、色々もめごともあって、先日も古くからいらっしゃるお二人が,ちょくとしたことで、口げんか状態になり、私にそれぞれが説明というか、言いつけにいらっしゃった。 どちらも、どちらで、仲裁する気もしなかった。 聴いてあげるだけで、終わりにした。
家に戻って、箱を開けてみた。 華やかなピンクの可愛い傘だった。 トテモ軽くて、持ちやすそう。 これから雨の季節だし、お友だちは私がピンクのスポーツ・シャツをよく着ているのと、年を重ねると華やかなほうが・・・という優しい思いだと、心から有難うを・・・・・!
ジムの中でも、長いお付き合いになると、色々もめごともあって、先日も古くからいらっしゃるお二人が,ちょくとしたことで、口げんか状態になり、私にそれぞれが説明というか、言いつけにいらっしゃった。 どちらも、どちらで、仲裁する気もしなかった。 聴いてあげるだけで、終わりにした。
家に戻って、箱を開けてみた。 華やかなピンクの可愛い傘だった。 トテモ軽くて、持ちやすそう。 これから雨の季節だし、お友だちは私がピンクのスポーツ・シャツをよく着ているのと、年を重ねると華やかなほうが・・・という優しい思いだと、心から有難うを・・・・・!
2010年6月8日火曜日
傘寿!
いよいよ来た! 今年になってから、あ~あ、今年はいよいよ80歳になる・・・とずーっと思っていた。
亡くなった母がついこの間、80歳のお祝いをしたばかりだったような気がしている。 まぎれもなく今日80歳の誕生日を迎えた。
朝九時に電話が鳴った。 下の妹からの祝い電話に違いないと思って、出たら、男性の声。 「今日はお誕生日おめでとうございます」「誰?」 聴きなれない声の主は証券会社の係りの方からだった。 そのあと京都の妹から、そしてお昼前京都の姪からも・・・。 何時もかけてくださる、長いお付き合いの友人からは、ない。 今年初め私が退院後彼女をお訪ねする約束をしたのに、行かなかったことに機嫌を損ねて、もうお付き合いをしません、と一方的に絶交を言い渡された。 わがままな方なので、ほっとした反面、時々思い出して、お元気でいらっしゃるかな、と気にすることもある。
誕生日というものは、本人は意外に意識していて、おめでとうを言ってもらいたいと思っているものだ。 特に今年は’花の80歳! 午後ヨガから戻って、自分で自分を祝うために何かをしよう?と昨日から考えて買い置きのもち米と小豆でお赤飯を作り、何時も親切に接して下さるお友だちにお届けした。 私の誕生会本番は19日に妹達夫妻、甥、姪夫妻とそのこどもたちで賑やかに過ごすのを楽しみに!
食後、下の妹の次男家族からも「大ばば、お誕生日おめでとうございます!」と電話があった。
英里ちゃん、里彩ちゃん、妹の長男の長女の萌彩ちゃん、私と同じ誕生月の諒太ちゃん。幸せなことに皆私にとって孫のように大事で可愛い存在をもてて私は幸せな80歳を迎えた。
亡くなった母がついこの間、80歳のお祝いをしたばかりだったような気がしている。 まぎれもなく今日80歳の誕生日を迎えた。
朝九時に電話が鳴った。 下の妹からの祝い電話に違いないと思って、出たら、男性の声。 「今日はお誕生日おめでとうございます」「誰?」 聴きなれない声の主は証券会社の係りの方からだった。 そのあと京都の妹から、そしてお昼前京都の姪からも・・・。 何時もかけてくださる、長いお付き合いの友人からは、ない。 今年初め私が退院後彼女をお訪ねする約束をしたのに、行かなかったことに機嫌を損ねて、もうお付き合いをしません、と一方的に絶交を言い渡された。 わがままな方なので、ほっとした反面、時々思い出して、お元気でいらっしゃるかな、と気にすることもある。
誕生日というものは、本人は意外に意識していて、おめでとうを言ってもらいたいと思っているものだ。 特に今年は’花の80歳! 午後ヨガから戻って、自分で自分を祝うために何かをしよう?と昨日から考えて買い置きのもち米と小豆でお赤飯を作り、何時も親切に接して下さるお友だちにお届けした。 私の誕生会本番は19日に妹達夫妻、甥、姪夫妻とそのこどもたちで賑やかに過ごすのを楽しみに!
食後、下の妹の次男家族からも「大ばば、お誕生日おめでとうございます!」と電話があった。
英里ちゃん、里彩ちゃん、妹の長男の長女の萌彩ちゃん、私と同じ誕生月の諒太ちゃん。幸せなことに皆私にとって孫のように大事で可愛い存在をもてて私は幸せな80歳を迎えた。
2010年6月7日月曜日
長電話
年に二回くらいの割で、神奈川県に住んでいて、再々婚をした友人から電話がある。 申し訳ないことながら、瞬間的に「いや~だ!」と思う。
ほとんど一時間くらい、こぼし話なのだから・・・・。 「その後お体はいかが?」先ず私は尋ねた。 彼女は子宮がんにかかって子宮と卵巣をとり、骨にも転移したと他のお友だちからうかがっていたので・・・。
そちらの方は可也淡々とした応対で、治療のため毛が抜けて、しばらく鬘をつけていた、とか転移した骨が痛むなどの、がん特有の、話を淡々と話して下さった。
そのあとがお決まりのぼやき。 御主人が認知症になられて、それでも日中は施設に通いお昼もそちらで済ますので、彼女はその間に病院に行ったり、掃除に来てくれる人に色々頼んだりして、それなりに暮らしていらっしゃる様子。 そのあと、何時もの愚痴が始まる。
ご主人の妹さんが近くに住んでいて、お医者さまで可也のお金持ちなのに無類のケチんぼだという。 確か彼女の家は、へーベル・ハウスだと思うけれど、床が腐っても修繕するお金がおしくて、床を替えるのを反対して、上にものを置いている、とか食事も作ることはしないで、その辺のものを買って、彼女は作るのが好きなので、おちらしなどを作ると「もったいない」とか言う・・。
以前それらの話を聞いていて、こうしたら? ああしたら?と忠告をしたけれど、どうしようもない様子。
色々、話を聞いてあげたあと、何時も思うのは「彼女は、若いころから、ず~っと不平不満を言う人だったな~」とばかばかしくなる。 私に話していることで彼女は・・・・? 私は何時も、何方とでも聴き役のことが多い。 もしかしたら、私はこぼずことがないのかしら?またはこぼせる人がいないのかしら?
ほとんど一時間くらい、こぼし話なのだから・・・・。 「その後お体はいかが?」先ず私は尋ねた。 彼女は子宮がんにかかって子宮と卵巣をとり、骨にも転移したと他のお友だちからうかがっていたので・・・。
そちらの方は可也淡々とした応対で、治療のため毛が抜けて、しばらく鬘をつけていた、とか転移した骨が痛むなどの、がん特有の、話を淡々と話して下さった。
そのあとがお決まりのぼやき。 御主人が認知症になられて、それでも日中は施設に通いお昼もそちらで済ますので、彼女はその間に病院に行ったり、掃除に来てくれる人に色々頼んだりして、それなりに暮らしていらっしゃる様子。 そのあと、何時もの愚痴が始まる。
ご主人の妹さんが近くに住んでいて、お医者さまで可也のお金持ちなのに無類のケチんぼだという。 確か彼女の家は、へーベル・ハウスだと思うけれど、床が腐っても修繕するお金がおしくて、床を替えるのを反対して、上にものを置いている、とか食事も作ることはしないで、その辺のものを買って、彼女は作るのが好きなので、おちらしなどを作ると「もったいない」とか言う・・。
以前それらの話を聞いていて、こうしたら? ああしたら?と忠告をしたけれど、どうしようもない様子。
色々、話を聞いてあげたあと、何時も思うのは「彼女は、若いころから、ず~っと不平不満を言う人だったな~」とばかばかしくなる。 私に話していることで彼女は・・・・? 私は何時も、何方とでも聴き役のことが多い。 もしかしたら、私はこぼずことがないのかしら?またはこぼせる人がいないのかしら?
2010年6月4日金曜日
国営武蔵丘陵森林公園
どきどき、ご近所のお友だちと近郊を散策する。
昨日は東上線の森林公園駅からバスで少し行ったところに広大な森林公園があり、ところどころに花畑などもあるということで、今は、けしの花、ルビナスなどが咲いているということだった。
東上線は私の卒業した、今の高校、その頃は都立の女学校が東武練馬という駅近くにあったので、思い出深いと言いたいところながら、戦後の嫌な思い出と重なってどうしてもイメージガ良くない。 込み合った電車に行きも帰りもぎゅうぎゅうずめだった。 何人かは電車の屋根にまで乗っていた。
あれから、五十年以上も経っているので、むろん電車の車体も想像もつかないほど良くなっているし、準急に乗ったので、私がその頃乗っていた”下板橋”女学校のあった”東武練馬”は忽ち通り過ぎて終点の森林公園駅に着いた。
森林公園駅というだけあって、駅前には大木が何本も経っていた。 バスで森林公園まではミ駅ほど、ただこの公園は物凄く大きいので北駅、南駅など、目的を定めて行かなければ,とんだことになる。
お友だちが少し前に独りで行ってきたということだったが、何しろ文字通り深い森を指示する看板を頼りに歩く。 道はトテモよく整備されているのだけれど、花畑も可也離れたところに点在している感じだった。
滝あり、沼あり、アスレティツクの場所もあり、喫茶店もある。 少し歩き疲れて友人と石垣沿いにあったベランダに座った。 しばらく汗をぬぐっていたら、友だちが突然「蛇!」と言って立ち上がった。 何よりも嫌いな言葉を聞いて私は咄嗟にベンチから立ち、荷物も置いたままで飛び去った。 恐る恐る、友人の座っていたベンチの左下を眺めたら、二匹の絡まった蛇がまるで、荷物のように転がって伸びていた。
友だちは「まるで、タイヤが落ちたような音がした」と言い二人で震え上がった。 その少し前私は「まさか、蛇はでないよね?」といったばかりだった。
その後、園内を回っている窓わくもないバスに乗って花畑まで行き残り咲きのルピナスを見たりハーブ・ガーデンを見たりした。 最初からバスに乗っていればあんな、いやな思いをしなかったのにね~と最後まで吃驚した印象が昨日のハイライト。
昨日は東上線の森林公園駅からバスで少し行ったところに広大な森林公園があり、ところどころに花畑などもあるということで、今は、けしの花、ルビナスなどが咲いているということだった。
東上線は私の卒業した、今の高校、その頃は都立の女学校が東武練馬という駅近くにあったので、思い出深いと言いたいところながら、戦後の嫌な思い出と重なってどうしてもイメージガ良くない。 込み合った電車に行きも帰りもぎゅうぎゅうずめだった。 何人かは電車の屋根にまで乗っていた。
あれから、五十年以上も経っているので、むろん電車の車体も想像もつかないほど良くなっているし、準急に乗ったので、私がその頃乗っていた”下板橋”女学校のあった”東武練馬”は忽ち通り過ぎて終点の森林公園駅に着いた。
森林公園駅というだけあって、駅前には大木が何本も経っていた。 バスで森林公園まではミ駅ほど、ただこの公園は物凄く大きいので北駅、南駅など、目的を定めて行かなければ,とんだことになる。
お友だちが少し前に独りで行ってきたということだったが、何しろ文字通り深い森を指示する看板を頼りに歩く。 道はトテモよく整備されているのだけれど、花畑も可也離れたところに点在している感じだった。
滝あり、沼あり、アスレティツクの場所もあり、喫茶店もある。 少し歩き疲れて友人と石垣沿いにあったベランダに座った。 しばらく汗をぬぐっていたら、友だちが突然「蛇!」と言って立ち上がった。 何よりも嫌いな言葉を聞いて私は咄嗟にベンチから立ち、荷物も置いたままで飛び去った。 恐る恐る、友人の座っていたベンチの左下を眺めたら、二匹の絡まった蛇がまるで、荷物のように転がって伸びていた。
友だちは「まるで、タイヤが落ちたような音がした」と言い二人で震え上がった。 その少し前私は「まさか、蛇はでないよね?」といったばかりだった。
その後、園内を回っている窓わくもないバスに乗って花畑まで行き残り咲きのルピナスを見たりハーブ・ガーデンを見たりした。 最初からバスに乗っていればあんな、いやな思いをしなかったのにね~と最後まで吃驚した印象が昨日のハイライト。
2010年5月31日月曜日
大腸内視鏡検査
昨年の11月に大腸の腫瘍を切除してから半年が経過したので、先日はCTを撮り、今日は大腸の内視鏡検査を受けることになっている。
内視鏡の検査それ自体は大したこともないのだが、その前日が大変! ご経験のある方はお分かりだと思うが前日下剤とムーベンという液体を20ml呑まねばならないということ。 以前は前日に食事制限があったけれど今回は夕食のみ、うどんとかおかゆを摂るということだけで朝食、昼食は特に制限がない。
そのあと午後7時に下剤を呑んで、夜中にトイレに通うことになる。 私にとって辛いのはそのあと、午前6時にムーベンを2時間かけて呑むこと。 飲みやすいように、柑橘系の臭いがつけてあるのだが、以前飲んだ感じがまだ残っていて、吐き気をもよおす。 以前は余り気にならず飲みほしたものだったけれど、今回は残りコップ2杯分がどうしても飲みきれなくてしばしにらめっこ。 そのあと10分くらいの間隔でトイレ通い。 予約時間にやっと間に合う時間にすべてが終えた。
10時半の予約だったのに、検査が始まったのは12時半。 昨年2回受けて時よりす~っと楽だと感じたのは検査器具が改良されたからなのか? 検査室を麻酔でふらつきながら出るとき、先生が「何もない!」と仰ったのは、なにも悪いものはない、きれいだった・・・ということと解釈して大安堵!
念のため?なのだけれど、これって必要?
歯医者、内科、皮膚科、外科と今年になって通った病院もこれで、一段落…ということにして下さいね、神様!!
内視鏡の検査それ自体は大したこともないのだが、その前日が大変! ご経験のある方はお分かりだと思うが前日下剤とムーベンという液体を20ml呑まねばならないということ。 以前は前日に食事制限があったけれど今回は夕食のみ、うどんとかおかゆを摂るということだけで朝食、昼食は特に制限がない。
そのあと午後7時に下剤を呑んで、夜中にトイレに通うことになる。 私にとって辛いのはそのあと、午前6時にムーベンを2時間かけて呑むこと。 飲みやすいように、柑橘系の臭いがつけてあるのだが、以前飲んだ感じがまだ残っていて、吐き気をもよおす。 以前は余り気にならず飲みほしたものだったけれど、今回は残りコップ2杯分がどうしても飲みきれなくてしばしにらめっこ。 そのあと10分くらいの間隔でトイレ通い。 予約時間にやっと間に合う時間にすべてが終えた。
10時半の予約だったのに、検査が始まったのは12時半。 昨年2回受けて時よりす~っと楽だと感じたのは検査器具が改良されたからなのか? 検査室を麻酔でふらつきながら出るとき、先生が「何もない!」と仰ったのは、なにも悪いものはない、きれいだった・・・ということと解釈して大安堵!
念のため?なのだけれど、これって必要?
歯医者、内科、皮膚科、外科と今年になって通った病院もこれで、一段落…ということにして下さいね、神様!!
2010年5月28日金曜日
青春時代を過ごした場所を訪ねて・・・・その2
大岡山駅から以前住んでいた家までの道には、いろいろな思い出そのごがある。
21歳から結婚して大岡山を出た28歳まで、駅から家までの道を色々な思いと色々な方達と歩いた。」
初恋の女学校時代の教師と、母の無愛想な態度を申し訳ないと思いながら、何も言えずに駅まで送って別れ、それが最後でその方はその後何カ月後か経ってに亡くなった。
亡き夫が結婚を申し込んだのも・・・、オーストラリアから帰国した夫が駅まで送って行った私に、今更ながら名刺を渡して、演劇部の第二演劇課の課長に昇進したのは、喜ばしいことながら、収入が大分減った、と言い、私達を紹介してくださった「黒田先生にYESの返事をしに行ってもいいでしょうか?」と言うなり、タクシ―を拾って消えた。
幼な友だちだった人と恋に落ち、その頃「私は恋愛と結婚は別よ!」と言い、とうとう別れる羽目になった彼と歩いた道。 「ふさ子ちゃんのそういう考えは訂正した方がいいよ!」と言ってくれたのに・・・。
ちょっと素敵だったY.R.ニューヨークから来日していたGIでニュー.ヨーク大学を出ていて、ピアノが上手かった。 朝霞の基地から時々遊びに来て家族とたのしく過ごした。 来宅する時、何時も送り迎えをしてあげた。
そんな大岡山の商店街の道を通って見て、何と狭くてごちゃごちゃしていることか、と驚いた。 このあたりに比べてお店は色々あって楽しそうだけれど、なんともせせこましくむしろ下町的だと思った。
21歳から結婚して大岡山を出た28歳まで、駅から家までの道を色々な思いと色々な方達と歩いた。」
初恋の女学校時代の教師と、母の無愛想な態度を申し訳ないと思いながら、何も言えずに駅まで送って別れ、それが最後でその方はその後何カ月後か経ってに亡くなった。
亡き夫が結婚を申し込んだのも・・・、オーストラリアから帰国した夫が駅まで送って行った私に、今更ながら名刺を渡して、演劇部の第二演劇課の課長に昇進したのは、喜ばしいことながら、収入が大分減った、と言い、私達を紹介してくださった「黒田先生にYESの返事をしに行ってもいいでしょうか?」と言うなり、タクシ―を拾って消えた。
幼な友だちだった人と恋に落ち、その頃「私は恋愛と結婚は別よ!」と言い、とうとう別れる羽目になった彼と歩いた道。 「ふさ子ちゃんのそういう考えは訂正した方がいいよ!」と言ってくれたのに・・・。
ちょっと素敵だったY.R.ニューヨークから来日していたGIでニュー.ヨーク大学を出ていて、ピアノが上手かった。 朝霞の基地から時々遊びに来て家族とたのしく過ごした。 来宅する時、何時も送り迎えをしてあげた。
そんな大岡山の商店街の道を通って見て、何と狭くてごちゃごちゃしていることか、と驚いた。 このあたりに比べてお店は色々あって楽しそうだけれど、なんともせせこましくむしろ下町的だと思った。
2010年5月27日木曜日
青春時代を過ごした場所を訪ねて・・・その1
私がお願いしている美容院のオーナーが、私達一家が戦後から私が結婚するまでの間住んでいた大岡山のマンションに住んでいて、大岡山の話をときどきする。「変わりましたよ~」とオーナーさんが何時も話す。
結婚してしばらく住んでいた大森辺りはどきどき行ってみてその頃あった水路もふさがり跡形もなく思い出だけが残っている、という感じ。
今日の午後、雪谷辺りに行く積りだったのが、物凄い大雨が降ってきたので、旗の台まで行き、そのまま足を延ばして、大岡山まで行ってみた。、大岡山駅に着いたら、雨がやんだ。 エスカレータで改札口まで出て、先ず駅周りの広場に驚いた!
何時も歩いていた北口通りの何と細いこと。 以前にまして、小さい店が沢山並んでいる。 その頃、背の高いハンサムな青年二人が経営していた本やさん(本郷」はシャッターは降りていたが同じ場所にあった。 その店で、よく本を求めた。 その角を左に曲がって又右に曲がり、しばらく行くと「ハクガ」という何時もお世話になっていた美容院が建て変えて同じ場所にありその隣に「大田や」という古美術店がすっかり古ぼけてそれでも昔のまま建つていた。 時々宝石などの出物を求めたり、五反田の私の家にも来ていただいたことがあった。 もう、あのおやじさんもとうに亡くなっただろう。 その少し駅寄りに下駄屋さんがあって「お嬢様、今日は三越、明日は歌舞伎座ですか?」などと私にはその頃わかったようなわからないようなお世辞を言った、のも思い出した。
結婚してしばらく住んでいた大森辺りはどきどき行ってみてその頃あった水路もふさがり跡形もなく思い出だけが残っている、という感じ。
今日の午後、雪谷辺りに行く積りだったのが、物凄い大雨が降ってきたので、旗の台まで行き、そのまま足を延ばして、大岡山まで行ってみた。、大岡山駅に着いたら、雨がやんだ。 エスカレータで改札口まで出て、先ず駅周りの広場に驚いた!
何時も歩いていた北口通りの何と細いこと。 以前にまして、小さい店が沢山並んでいる。 その頃、背の高いハンサムな青年二人が経営していた本やさん(本郷」はシャッターは降りていたが同じ場所にあった。 その店で、よく本を求めた。 その角を左に曲がって又右に曲がり、しばらく行くと「ハクガ」という何時もお世話になっていた美容院が建て変えて同じ場所にありその隣に「大田や」という古美術店がすっかり古ぼけてそれでも昔のまま建つていた。 時々宝石などの出物を求めたり、五反田の私の家にも来ていただいたことがあった。 もう、あのおやじさんもとうに亡くなっただろう。 その少し駅寄りに下駄屋さんがあって「お嬢様、今日は三越、明日は歌舞伎座ですか?」などと私にはその頃わかったようなわからないようなお世辞を言った、のも思い出した。
2010年5月24日月曜日
大田区よりの「親展」
最近、大田区よりの「親展」が二通届いた。
一通は大分前に、提出した年金についての問い合わせ、の結果報告で、その際面倒だと思いながらも、私が昭和26年11月から27年11月まで社会経験として、遠い親戚が副社長をしている会社に勤めていた事に対して、年金を受ける資格があるという、報告だった。 私は今既に夫の老齢遺族年金と自分自身の国民年金を受け取っているので、果たしてたった一年、ほとんど遊び半分で勤めていた会社の厚生年金を受け取れるものかどうか社会保険事務所に電話をして確かめた。 係りの方の話によると私が今受け取っている国民年金より、一年間勤めた厚生年金の方がお得だという話。 面倒だったけれど、一応必要事項を書き込んで事務所に送った。
もう一通は「医療費等通知書」だった。 これは多分税金の支払いのためのものだろう。 昨年は入院手術したので、総合して百万円以上と明記してあった。 私は後期高齢者なので、実際支払ったのは一割なのだけれど、昨年21年7月から12月まで、かかった医院、内科、外科、眼科、薬を頂いた薬局の名称までもれなく印刷してあって入院外に頂いた薬局、入院中の薬局名まで明らかで、まるでつけられていたみたいで、驚いた。
一通は大分前に、提出した年金についての問い合わせ、の結果報告で、その際面倒だと思いながらも、私が昭和26年11月から27年11月まで社会経験として、遠い親戚が副社長をしている会社に勤めていた事に対して、年金を受ける資格があるという、報告だった。 私は今既に夫の老齢遺族年金と自分自身の国民年金を受け取っているので、果たしてたった一年、ほとんど遊び半分で勤めていた会社の厚生年金を受け取れるものかどうか社会保険事務所に電話をして確かめた。 係りの方の話によると私が今受け取っている国民年金より、一年間勤めた厚生年金の方がお得だという話。 面倒だったけれど、一応必要事項を書き込んで事務所に送った。
もう一通は「医療費等通知書」だった。 これは多分税金の支払いのためのものだろう。 昨年は入院手術したので、総合して百万円以上と明記してあった。 私は後期高齢者なので、実際支払ったのは一割なのだけれど、昨年21年7月から12月まで、かかった医院、内科、外科、眼科、薬を頂いた薬局の名称までもれなく印刷してあって入院外に頂いた薬局、入院中の薬局名まで明らかで、まるでつけられていたみたいで、驚いた。
2010年5月16日日曜日
久が原南自治会総会
今日は私も15年間副会長として尽くしていた自治会の年に1回の総会の日。
生憎、今日は我が家の料理教室の日とダブってしまった。 総会が午前10時の始まり、教室が11時半からなので、今回は総会も、もめることもないだろうとの予想のもとで、生徒さん達には「もし、遅れても待っていてね」とあらかじめ電話をしたおいた。
総会の出席者は31人で全自治会員1008人に対していつものことながら少ないけれど委任状で成立した。
今年から会長も代わり、他の役員さん達も少し代わったようだ。 私も議事録署名人をお頼まれしていたので、適当な席に着いた。 私より少し前の席に40台前半らしき、余り見たことが無い男性が座っていた。
議事が進むにつれ、その男性が会計、予算報告について、実に適切ば質問をする。 久が原地区に移転されて余り日にちがたってないと御断りなさりながらも、この町になじんでいきたいという温かさも感じられた。
私も確かめたいことなどもあったけれど、今日は時間が迫っていて、ただ、無事に終了したこと、見慣れた顔の方々だけでなく、若い方々の自治会に対する関心が深まることを期待しながらも少し安堵した。
予想どおり、11時半には終わらず、生徒さん達を15分も待たせてしまった。 今日は中華料理だったので、時間がかかるかと思ったが、皆手際よく進めてくれて助かった。
生憎、今日は我が家の料理教室の日とダブってしまった。 総会が午前10時の始まり、教室が11時半からなので、今回は総会も、もめることもないだろうとの予想のもとで、生徒さん達には「もし、遅れても待っていてね」とあらかじめ電話をしたおいた。
総会の出席者は31人で全自治会員1008人に対していつものことながら少ないけれど委任状で成立した。
今年から会長も代わり、他の役員さん達も少し代わったようだ。 私も議事録署名人をお頼まれしていたので、適当な席に着いた。 私より少し前の席に40台前半らしき、余り見たことが無い男性が座っていた。
議事が進むにつれ、その男性が会計、予算報告について、実に適切ば質問をする。 久が原地区に移転されて余り日にちがたってないと御断りなさりながらも、この町になじんでいきたいという温かさも感じられた。
私も確かめたいことなどもあったけれど、今日は時間が迫っていて、ただ、無事に終了したこと、見慣れた顔の方々だけでなく、若い方々の自治会に対する関心が深まることを期待しながらも少し安堵した。
予想どおり、11時半には終わらず、生徒さん達を15分も待たせてしまった。 今日は中華料理だったので、時間がかかるかと思ったが、皆手際よく進めてくれて助かった。
2010年5月10日月曜日
築地市場
急に思い立ってご近所のお友だちを誘って築地市場に行った。
以前ジムの友人たちが連れて行ってくださったルートをとったが、地上の方が楽よ、階段が無いから、と友人は言った。
二度目だったのと一緒に行った友人がユーモラスな人なので、寄る店、店で愛嬌をふりまいて、笑いを誘っていた。 私は先ず削り節を求めた。 友人はその削り節を袋に入れる青年の手つきに惚れた、と言って一袋求めていた。 さすが商売というか、右手でかき上げながら袋に入れる手つきは、いかにも削り節が柔らかい・・という手つきでに見えた。 色々な店で掛け合い漫才をしながら、見事に値切る友人の技はさすが!
途中で、入ったお寿司屋さんのネタは新鮮で種類も一貫ずつだったが、先ずマグロの赤身、次に大トロとイカも柔らかく最期のアナゴも満足満足! 色々な買い物そした後、外側の店でサツマイモ5本220円というのは重いのは、分かってはいても、遂に求めてしまった。 帰り道、丸の内側でバスを降りたのは良かったが大丸でお茶を飲もうと思って、八重洲側に出ようとして工事中のため出られなくて駅を大回りしたのは疲れた。
以前ジムの友人たちが連れて行ってくださったルートをとったが、地上の方が楽よ、階段が無いから、と友人は言った。
二度目だったのと一緒に行った友人がユーモラスな人なので、寄る店、店で愛嬌をふりまいて、笑いを誘っていた。 私は先ず削り節を求めた。 友人はその削り節を袋に入れる青年の手つきに惚れた、と言って一袋求めていた。 さすが商売というか、右手でかき上げながら袋に入れる手つきは、いかにも削り節が柔らかい・・という手つきでに見えた。 色々な店で掛け合い漫才をしながら、見事に値切る友人の技はさすが!
途中で、入ったお寿司屋さんのネタは新鮮で種類も一貫ずつだったが、先ずマグロの赤身、次に大トロとイカも柔らかく最期のアナゴも満足満足! 色々な買い物そした後、外側の店でサツマイモ5本220円というのは重いのは、分かってはいても、遂に求めてしまった。 帰り道、丸の内側でバスを降りたのは良かったが大丸でお茶を飲もうと思って、八重洲側に出ようとして工事中のため出られなくて駅を大回りしたのは疲れた。
2010年5月9日日曜日
母の日
毎年五月の第二日曜日「母の日」は母になれなかった私は何か言いようのない淋しい思いをすることになる。
赤いカーネイションがほしいわけでも、プレゼントがほしいわけでもない、と思う。 結婚して子供を持ちその子供が結婚したら、そのカップルの二人から母、義母として「お母様、ありがとう」と言われるわけだ。
余りに欲張ってない? 子どものない人達はこの日は半端者になるわけだ。 瞬間的にそう思うことのある私を慮ってか? 昨日は下の妹の二人の息子達から誘いを受けた。 先着順で、先に声を掛けてくれた長男に恵比寿のウエスティン・ホテルで夕食をして頂き、その娘とたのしい時を過ごさせてもらった。 「明日は母の日だから・・・」と彼はさりげなく言った。
妹の次男夫妻も妹と一緒に私を食事に誘ってくれた。 誘ってくれた・・・ということだけで、感謝・感謝なのだ。 その後、今日、京都にいる姪から突然電話があった。 「何?」と、私は先日二人と諒ちゃんを招待したことの、遅まきながらのお礼かな? と思ったら、彼女は少し照れながら「今日は母の日だから…」と言う。 私には所謂「お腹を痛めない何人かの母なのだ・・・とカーネーションはないけど、温かい心を頂いた(母の日}だった。
赤いカーネイションがほしいわけでも、プレゼントがほしいわけでもない、と思う。 結婚して子供を持ちその子供が結婚したら、そのカップルの二人から母、義母として「お母様、ありがとう」と言われるわけだ。
余りに欲張ってない? 子どものない人達はこの日は半端者になるわけだ。 瞬間的にそう思うことのある私を慮ってか? 昨日は下の妹の二人の息子達から誘いを受けた。 先着順で、先に声を掛けてくれた長男に恵比寿のウエスティン・ホテルで夕食をして頂き、その娘とたのしい時を過ごさせてもらった。 「明日は母の日だから・・・」と彼はさりげなく言った。
妹の次男夫妻も妹と一緒に私を食事に誘ってくれた。 誘ってくれた・・・ということだけで、感謝・感謝なのだ。 その後、今日、京都にいる姪から突然電話があった。 「何?」と、私は先日二人と諒ちゃんを招待したことの、遅まきながらのお礼かな? と思ったら、彼女は少し照れながら「今日は母の日だから…」と言う。 私には所謂「お腹を痛めない何人かの母なのだ・・・とカーネーションはないけど、温かい心を頂いた(母の日}だった。
2010年5月3日月曜日
諒ちゃん初めての我が家
連休で京都から車で上京している姪夫妻が昨日、仏壇にお参りしに我が家を訪れた。
諒ちゃんは初めて彼の母方のひいおじい様、おばあさまにお線香をあげることで、生後一年未満での来宅。
車の中で少し眠っていたようだったけれど、私が車のドアーを開けると、少し考えた後、にっこりほほ笑んでくれて私に抱かれて家の中に入った。 先日京都で会ったので覚えてくれていたのかしら?
夕食の支度はお昼過ぎまでに出来あがっていたので、ご機嫌のいい諒ちゃんと遊ぶ方を先行したかった。
未だ、歩くことも話すこともできないけれど、色々なことの判断はできるようで、近頃の子供はいずれもおもちゃやぬいぐるみなどには興味を示さず、ガラスの入れ物の中に入っているキャンディを入れたり出したりして遊んでいた。 もしかして?と思って・・・献立の中にマッシュド・ポテトを使った一品をいれたいたら、嬉しそうにそれを食べてくれた。
姪もケッコウ神経質にならずに、マイ・ペースで子育てをしているようで、四時間余り家にいた間、一度も泣いたり、ぐずったりせず食後に出したイチゴも二粒満足そうに食べてくれた。
私自身には子も孫もないけれど、おかげさまで、妹達の孫達と時々会うことができるのでトテモ幸せと思っている。
今度は誰ちゃんに会えるかな?
諒ちゃんは初めて彼の母方のひいおじい様、おばあさまにお線香をあげることで、生後一年未満での来宅。
車の中で少し眠っていたようだったけれど、私が車のドアーを開けると、少し考えた後、にっこりほほ笑んでくれて私に抱かれて家の中に入った。 先日京都で会ったので覚えてくれていたのかしら?
夕食の支度はお昼過ぎまでに出来あがっていたので、ご機嫌のいい諒ちゃんと遊ぶ方を先行したかった。
未だ、歩くことも話すこともできないけれど、色々なことの判断はできるようで、近頃の子供はいずれもおもちゃやぬいぐるみなどには興味を示さず、ガラスの入れ物の中に入っているキャンディを入れたり出したりして遊んでいた。 もしかして?と思って・・・献立の中にマッシュド・ポテトを使った一品をいれたいたら、嬉しそうにそれを食べてくれた。
姪もケッコウ神経質にならずに、マイ・ペースで子育てをしているようで、四時間余り家にいた間、一度も泣いたり、ぐずったりせず食後に出したイチゴも二粒満足そうに食べてくれた。
私自身には子も孫もないけれど、おかげさまで、妹達の孫達と時々会うことができるのでトテモ幸せと思っている。
今度は誰ちゃんに会えるかな?
2010年5月1日土曜日
また火事!
今日、少し早めに買い物に行った。 帰り道、何時ものだらだら坂を上り、右に曲がり、第二京浜国道からの道に出て、その道を横切ろうとしてその先の道の下方が妙に霧が出たような感じに曇って見えたので、おかしいなあ~と思いながら二国からの道を横切り二国の方へ歩いていたら、突然右側の家から白煙が上がり,忽ち煙が空に向かって激しく燃え上がるのが見えた。
間違いなく,火事!家の中から男女の騒がしい声が聞こえて来た。「どうしよう?」 私の前を歩いていた中年の男性が携帯で電話をしているのが見えたので、多分?119番に電話して下さったものと信じ、私は家へ急いだ。 振り返りながら、パトカーが二台現場に行くのが見えた。 消防車は? 振り返り見ていたら,ようやく小さい消防車が来ているのが見えた。 救急車も来た。 私は明日来ることになっている姪夫妻と諒ちゃんのための生ものも持っていたので,一旦家に入り、又恐る恐る外へ出てみた。 大勢の見物人が家の前の道路をぞろぞろ歩いて現場の方へ向かっていた。 そのうち黄色いテープが貼られ[立ち入り禁止」となった。 空にはヘリコプター、見物人も私の家の近所の方がたは少し恥ずかしそうに・・・。 普段見たこともない人々も集まったいた。 今年のお正月の時の嫌な思いだが蘇った。
近くに自治会長がいらして「今年はこれで二回目ですよ、困ったことに・・・」と仰ったので、私はわざと、「消防署にお詫びにいらっしゃらなければ、いけませんね」と念を押した。 確かお正月の火事の時は会長は留守だった。 何年か前、私どもの自治会内で火事があった時、私は会長の代わりに(その日、京都へ発つ事になったいたのに)消防隊長にお詫びに行ったことがあった。 前の会長からの引き継ぎで都合三回お詫びに行ったっけ! 真昼間の出来事だったので、人身被害はなかったようだった。
最近火事が多いと思いません? 気をつけましょう。
間違いなく,火事!家の中から男女の騒がしい声が聞こえて来た。「どうしよう?」 私の前を歩いていた中年の男性が携帯で電話をしているのが見えたので、多分?119番に電話して下さったものと信じ、私は家へ急いだ。 振り返りながら、パトカーが二台現場に行くのが見えた。 消防車は? 振り返り見ていたら,ようやく小さい消防車が来ているのが見えた。 救急車も来た。 私は明日来ることになっている姪夫妻と諒ちゃんのための生ものも持っていたので,一旦家に入り、又恐る恐る外へ出てみた。 大勢の見物人が家の前の道路をぞろぞろ歩いて現場の方へ向かっていた。 そのうち黄色いテープが貼られ[立ち入り禁止」となった。 空にはヘリコプター、見物人も私の家の近所の方がたは少し恥ずかしそうに・・・。 普段見たこともない人々も集まったいた。 今年のお正月の時の嫌な思いだが蘇った。
近くに自治会長がいらして「今年はこれで二回目ですよ、困ったことに・・・」と仰ったので、私はわざと、「消防署にお詫びにいらっしゃらなければ、いけませんね」と念を押した。 確かお正月の火事の時は会長は留守だった。 何年か前、私どもの自治会内で火事があった時、私は会長の代わりに(その日、京都へ発つ事になったいたのに)消防隊長にお詫びに行ったことがあった。 前の会長からの引き継ぎで都合三回お詫びに行ったっけ! 真昼間の出来事だったので、人身被害はなかったようだった。
最近火事が多いと思いません? 気をつけましょう。
2010年4月25日日曜日
英美ちゃんのコンサート
昨日は久しぶり、英美ちゃんがニューヨークから、韓国人のピアニスト孫さんとのデュオによるコンサートを開くために来日、午後7時開演ということだったが、その場所が神奈川県の町田市なので、妹とたまプラーザ駅で待ち合わせ早めの夕食をとって、妹任せの行程で所定のコンサート会場に行く。 妹宅からは一度乗換の場所だったけれど、駅付近で通りがけの若い女性に場所を尋ねて、コンサート会場に行く。 そのホールの持ち主は芸術家タイプの方のようだったが、いきなり外ずけのらせん階段を上ってホールへ入るということに吃驚!
ホールと言うよりはサロンといった感じで入口の狭いホールにどういう方法でグランドピアノを持ち込んだかいぶかられた。 ピアノを囲む感じで簡単な椅子がピアノを囲むようにおいてあった。 開演時間が近ずくにつれ、席はほとんど埋め尽くされた。 なんだか少し安心した。
時間ぴったりに、久しぶりの英美ちゃんがにこにこしながらピアニストの孫さんと入室、最初の曲はモ―ツアルトのソナタ、ピアノとヴァイオリンのディオを聴くのは初めて、英美ちゃんは少しふくよかになったように見えたけれど、ある意味逞しさを感じた。 ピアノの孫さんも可也の腕の方のように思えた。 重い曲目の中に誰もが聞き親しんでいる小曲を混ぜたプログラムは聴く人々には受け入れやすかったと思う。 アンコールの二曲を入れて演奏時間は二時間余り。 久しぶりでコンサートを楽しんだ。 英美ちゃんも中々のテク二シアンだと感心した。 孫さんとの息も合っていタと思った。
帰り道が大変、途中池上線の洗足駅で降りてタクシーで家まで帰ったけれど、帰宅時間は午後10時45分だった。 年にしては若い、と言われつつも私はもうお婆に属する年なのだから・・・・。
ホールと言うよりはサロンといった感じで入口の狭いホールにどういう方法でグランドピアノを持ち込んだかいぶかられた。 ピアノを囲む感じで簡単な椅子がピアノを囲むようにおいてあった。 開演時間が近ずくにつれ、席はほとんど埋め尽くされた。 なんだか少し安心した。
時間ぴったりに、久しぶりの英美ちゃんがにこにこしながらピアニストの孫さんと入室、最初の曲はモ―ツアルトのソナタ、ピアノとヴァイオリンのディオを聴くのは初めて、英美ちゃんは少しふくよかになったように見えたけれど、ある意味逞しさを感じた。 ピアノの孫さんも可也の腕の方のように思えた。 重い曲目の中に誰もが聞き親しんでいる小曲を混ぜたプログラムは聴く人々には受け入れやすかったと思う。 アンコールの二曲を入れて演奏時間は二時間余り。 久しぶりでコンサートを楽しんだ。 英美ちゃんも中々のテク二シアンだと感心した。 孫さんとの息も合っていタと思った。
帰り道が大変、途中池上線の洗足駅で降りてタクシーで家まで帰ったけれど、帰宅時間は午後10時45分だった。 年にしては若い、と言われつつも私はもうお婆に属する年なのだから・・・・。
2010年4月20日火曜日
私って元気?
今日、易の先生と電話でお話していて、京都の妹が「お姉さま、トテモ元気で・・・」と言っていたわよ!と仰った。 先日、京都に行った時、日にちが短かったのと雨天だったので、かなりムリな行程にも附いていった。 気を使って下さるお友だちにご迷惑をかけてはいけないという気もあった。 さすが、雨の中、仁和寺の庭園を歩いた後、竜安寺まで歩いたのは、かなり大変だった。
亡くなった母もそうだったように、私も毎日、努力をしているつもり、ジムにも出来れば週三回以上行くことにしているし、買い物に行くのも往復、買い物時間も入れて一時間はかかる。 雨が降ったり、風が強かったり日が照ったり、今日はやめたいな~と思ったりしても自分に鞭打って出かけることにしている。 ジムまで歩いて7分くらいなのは、私にとって幸せなこと。
今日も午後12時25分という半端な時間から始まるヨガに行った。 多分私が一番年上で、鏡に映る自分の姿を見て冷や汗をかくほど恥ずかしかった。 もう10年若かったら・・・と何時も思う。 それでも、毎週続けているうちに、少しずつ腕も伸び、形も整ってくる?と思っている。
先年、二週間入院して手術した後の回復が早かったのも、普段ジムで鍛えているからだ・・・と私も思い、友人たちもそう言っている。
そんな事を考えながら、何しろ毎日自分に鞭打ちながら、努力しながら過ごしているから~・・・
亡くなった母もそうだったように、私も毎日、努力をしているつもり、ジムにも出来れば週三回以上行くことにしているし、買い物に行くのも往復、買い物時間も入れて一時間はかかる。 雨が降ったり、風が強かったり日が照ったり、今日はやめたいな~と思ったりしても自分に鞭打って出かけることにしている。 ジムまで歩いて7分くらいなのは、私にとって幸せなこと。
今日も午後12時25分という半端な時間から始まるヨガに行った。 多分私が一番年上で、鏡に映る自分の姿を見て冷や汗をかくほど恥ずかしかった。 もう10年若かったら・・・と何時も思う。 それでも、毎週続けているうちに、少しずつ腕も伸び、形も整ってくる?と思っている。
先年、二週間入院して手術した後の回復が早かったのも、普段ジムで鍛えているからだ・・・と私も思い、友人たちもそう言っている。
そんな事を考えながら、何しろ毎日自分に鞭打ちながら、努力しながら過ごしているから~・・・
2010年4月15日木曜日
雨と桜と京都・・・宇治と
三日目帰り支度をして、友人達の泊まっているホテルに行き、そのまま京都駅に行く。 三日目はようやく晴れた。
その日は以前から行きたいと思っていた宇治の平等院へ、京都駅のロッカーに荷物を入れ、JRの快速で宇治駅までほんの十五分余り、駅から平等院まで徒歩十五分。 気持ちが急いでいたので無愛想な運転手の態度に怒りを感じながら、タクシーで平等院に行く。
紫と白の藤棚を横に見て少し歩いて行くと、急に開けて例の十円玉の裏側の建物が目に入った。 思ったより厳かで1052年に建てられたということが信じれれないような優美な木造建築だと思った。 鳳凰を模った建て物はバランスもよく、モダンな感じさえした。 建て物の前の池に鳳凰の形の建て物がそのまま映っていて、その建物の中ほどの格子の中に梵鐘が見られたのも驚きだった。 しばらく座って全景を眺め、帰り道は門前通りを通り、途中で茶そばのお昼を頂き、”上林茶店”という店が何軒もあるのに驚かされた。
お茶をしていた母が戦前、九州に住んでいるころから”上林”から所謂お抹茶を送っていただき、今、母の後を継いでお茶をしている妹も先年自宅でお茶会をした時’上林”からお茶を送ってもらっていた。 ただ、聞くと見るとでは違うというご多分にもれず、上林というお茶屋さんは何軒もあって、私がお茶を求めて出た隣の上林茶屋の女将が「うちが本家の上林です!」と声掛けをしている姿は少しあさましい感じをもった。
その日は以前から行きたいと思っていた宇治の平等院へ、京都駅のロッカーに荷物を入れ、JRの快速で宇治駅までほんの十五分余り、駅から平等院まで徒歩十五分。 気持ちが急いでいたので無愛想な運転手の態度に怒りを感じながら、タクシーで平等院に行く。
紫と白の藤棚を横に見て少し歩いて行くと、急に開けて例の十円玉の裏側の建物が目に入った。 思ったより厳かで1052年に建てられたということが信じれれないような優美な木造建築だと思った。 鳳凰を模った建て物はバランスもよく、モダンな感じさえした。 建て物の前の池に鳳凰の形の建て物がそのまま映っていて、その建物の中ほどの格子の中に梵鐘が見られたのも驚きだった。 しばらく座って全景を眺め、帰り道は門前通りを通り、途中で茶そばのお昼を頂き、”上林茶店”という店が何軒もあるのに驚かされた。
お茶をしていた母が戦前、九州に住んでいるころから”上林”から所謂お抹茶を送っていただき、今、母の後を継いでお茶をしている妹も先年自宅でお茶会をした時’上林”からお茶を送ってもらっていた。 ただ、聞くと見るとでは違うというご多分にもれず、上林というお茶屋さんは何軒もあって、私がお茶を求めて出た隣の上林茶屋の女将が「うちが本家の上林です!」と声掛けをしている姿は少しあさましい感じをもった。
2010年4月14日水曜日
雨と桜と京都
京都の二日目は妹宅の近所のバス停で友人達と待ち合わせ、仁和寺の桜を見に行くことになった。 仁和寺は妹の夫宅の墓所があるところで、毎年お正月には妹達とお墓参りに行ったが、隣の仁和寺はしばらく訪れたことが無かった。 仁和寺はテレビで紹介されている御室御所で、先ず御所の中を見て、所謂御室さくらを見るために奥の門から入る。
妹の家を出る時に「御室に行く」と妹宅のお手伝いさんに言ったら「私は御室の八重桜、花(鼻)は低くても、人が好く」という詩があります、と教えてくれた。 お友だち達とその日一緒に過ごして下さったお母様と揃って美人のお譲さま達にその詩を御披露した。 この詩は’おかめ’のことを言っているのかも?
なるほど、御室の桜は私達の背より低く、ぽってりした感じの花だった。 かなり広いお庭にはレンゲつつじもあちこちで色を添えていた。 この日は止むことなく雨がふりつずき、そこから龍安寺までの道は晴れていれば、それほどでもないのだろうけれど、狭い歩道を友人を先頭に私の後に若いお嬢様が守るように附いて歩いて頂き、竜安寺に入ったら石庭のバックに美しいしだれ桜が今を盛りと咲き誇り、四人でしばらく座って眺める事が出来た。
丁度お昼ちかくになったので、そこから岡崎へ行き、そのあたりの京料理店でお友だちのお友だちがら春らしいお料理を御馳走になった。 その後平安神宮へ歩いて行き、裏庭の池のある庭園でしだれ桜などを充分楽しんだ。 池の向こうでは綿帽子をつけた花嫁が挙式を待っている風景がまるで映画のシーンのように見られた。
雨の中にしては、かなり充分に?桜を楽しむことが出来た。 三人を誘って妹宅へ戻り、姪と諒ちゃんとを
紹介し、友人が近くの大徳寺、あぶり餅で有名な今宮神社に行ったことが無いと仰るので、送りがてら誰もいない今宮神社にお参りし、あぶり餅を皆で楽しんだ。 とても、充実した一日となった。
妹の家を出る時に「御室に行く」と妹宅のお手伝いさんに言ったら「私は御室の八重桜、花(鼻)は低くても、人が好く」という詩があります、と教えてくれた。 お友だち達とその日一緒に過ごして下さったお母様と揃って美人のお譲さま達にその詩を御披露した。 この詩は’おかめ’のことを言っているのかも?
なるほど、御室の桜は私達の背より低く、ぽってりした感じの花だった。 かなり広いお庭にはレンゲつつじもあちこちで色を添えていた。 この日は止むことなく雨がふりつずき、そこから龍安寺までの道は晴れていれば、それほどでもないのだろうけれど、狭い歩道を友人を先頭に私の後に若いお嬢様が守るように附いて歩いて頂き、竜安寺に入ったら石庭のバックに美しいしだれ桜が今を盛りと咲き誇り、四人でしばらく座って眺める事が出来た。
丁度お昼ちかくになったので、そこから岡崎へ行き、そのあたりの京料理店でお友だちのお友だちがら春らしいお料理を御馳走になった。 その後平安神宮へ歩いて行き、裏庭の池のある庭園でしだれ桜などを充分楽しんだ。 池の向こうでは綿帽子をつけた花嫁が挙式を待っている風景がまるで映画のシーンのように見られた。
雨の中にしては、かなり充分に?桜を楽しむことが出来た。 三人を誘って妹宅へ戻り、姪と諒ちゃんとを
紹介し、友人が近くの大徳寺、あぶり餅で有名な今宮神社に行ったことが無いと仰るので、送りがてら誰もいない今宮神社にお参りし、あぶり餅を皆で楽しんだ。 とても、充実した一日となった。
2010年4月13日火曜日
雨tと桜と京都と・・・・その1
11日から春の京都の桜を見に行った。短い期間だったけれど、トテモ充実した三日間だったと思う。
例年、年末から正月まで京都の妹宅で過ごしていたが、今年は何年ぶりかで友人が京都で桜を見ようと計画を立てていただき(短い日数だったけれ)、友人は駅近くのホテルで大阪に住むお友だちと泊まる事にして、私は大徳寺近くの妹の家に泊まった。
一日目は、曇りがちの天気だったが、三人で冷やかし半分に円山公園辺りの桜を眺め、友人二人と別れた。 まだまだ、桜は大丈夫とタクシーの運転手さんの話で、安心しながら・・・。
その日、私は妹宅へ行き、たまたま東京から長男宅を訪れていた従妹と長男、姪夫妻と久しぶりに会う諒ちゃんと一緒に、開店以来百年経ったというフレンチレストランに妹夫妻が招待してくれた。 この都では、震災も空襲もなかったので、百年という単位が簡単に使われる…と京都を訪れる度に思う。
昨年六月末に生まれた諒ちゃんも、全員に、にこにこ愛嬌をふりまきながら一同に’なごみ’を与えてくれた。 赤ちゃんは天使! お風呂が沸いたので、つずきは又・・・。
例年、年末から正月まで京都の妹宅で過ごしていたが、今年は何年ぶりかで友人が京都で桜を見ようと計画を立てていただき(短い日数だったけれ)、友人は駅近くのホテルで大阪に住むお友だちと泊まる事にして、私は大徳寺近くの妹の家に泊まった。
一日目は、曇りがちの天気だったが、三人で冷やかし半分に円山公園辺りの桜を眺め、友人二人と別れた。 まだまだ、桜は大丈夫とタクシーの運転手さんの話で、安心しながら・・・。
その日、私は妹宅へ行き、たまたま東京から長男宅を訪れていた従妹と長男、姪夫妻と久しぶりに会う諒ちゃんと一緒に、開店以来百年経ったというフレンチレストランに妹夫妻が招待してくれた。 この都では、震災も空襲もなかったので、百年という単位が簡単に使われる…と京都を訪れる度に思う。
昨年六月末に生まれた諒ちゃんも、全員に、にこにこ愛嬌をふりまきながら一同に’なごみ’を与えてくれた。 赤ちゃんは天使! お風呂が沸いたので、つずきは又・・・。
2010年4月8日木曜日
満開の桜も寒いのでは・・・・
桜の開花以来今日は珍しく晴れあがった。 今年ほど花がもったのも珍しい事だと報じている。
今日は午前中目黒まで買い物に出た。 バスは乳母車に子供を乗せた若いママが目立った。 行きのバスでは、乳児を胸に抱き乳母車に二歳くらいの幼児を乗せた若いママが馬込辺りから乗り込んできた。 乳母車の持ち手には大きな荷物が下げてあった。 バスは左程混んではいなかったので、そのママは座ることが出来た。 そのバスの運転手は可也ブレーキを強く踏むので、幼児を乗せた乳母車は運転席の方に転がって行きそうになった、私は少し離れた席にいたけれど、慌てて立ち上がって乳母車を押さえ、車の向きを車の進行方向に平行にしてあげた。
段差のある下側の席は老人、弱者のためのものなのに、若い人たちが座っていて、私の動きに対しても少しの反応も見せない。 私の前席の女性はどう見ても30~40代。 そのママが降りる時、私は少し様子を見た。
乳飲み子を抱えている母親は乳母車を独りでバスから降ろすのは可也難しそうだったので、私は又立ち上がって出口にひっかかっている前輪を外してあげた。 ママは何度も私にお礼を言って乳母車を押して行った。
バスの乗客は私の行動をどう思ったのだろう? 決して美談ではない、私は当然の事をしただけだ。 多分運転手は感謝したに違いない。 だったら、「ありがとうございます」くらい言えば!
帰りのバスは横向きの席は70歳以上の女性が座っていて、そこへ一歳少しの女の子を乳母車に乗せたママが乗ってきた。 そこでは実に和やかな空気が満ち満ちていた。 女児をあやす老女、その方におもちゃを手渡す幼児、しばらくラりーがつずいた。 私も思わず微笑んだ。
その後訪ねて来た25歳の青年にそのことを話した。 ロンドンに行った時、混みあった地下鉄の階段で二人の若い男性、と女性が同時に私の荷物を持って階段を下りてくれた話もした。 彼は「持ちましょう?と言って断られるのがいやなんですよ、多分」と応え「特に男の年上は席を譲っても、必ず断られるのです」と
言う。 なんだか、淋しい、人の情けの通じにくい国になってしまったのかしら? でも、この私もバスで初めて席を譲られた時は、かなり言いようのないショックに近いものを感じたのは確かなこと・・・・。
今日は午前中目黒まで買い物に出た。 バスは乳母車に子供を乗せた若いママが目立った。 行きのバスでは、乳児を胸に抱き乳母車に二歳くらいの幼児を乗せた若いママが馬込辺りから乗り込んできた。 乳母車の持ち手には大きな荷物が下げてあった。 バスは左程混んではいなかったので、そのママは座ることが出来た。 そのバスの運転手は可也ブレーキを強く踏むので、幼児を乗せた乳母車は運転席の方に転がって行きそうになった、私は少し離れた席にいたけれど、慌てて立ち上がって乳母車を押さえ、車の向きを車の進行方向に平行にしてあげた。
段差のある下側の席は老人、弱者のためのものなのに、若い人たちが座っていて、私の動きに対しても少しの反応も見せない。 私の前席の女性はどう見ても30~40代。 そのママが降りる時、私は少し様子を見た。
乳飲み子を抱えている母親は乳母車を独りでバスから降ろすのは可也難しそうだったので、私は又立ち上がって出口にひっかかっている前輪を外してあげた。 ママは何度も私にお礼を言って乳母車を押して行った。
バスの乗客は私の行動をどう思ったのだろう? 決して美談ではない、私は当然の事をしただけだ。 多分運転手は感謝したに違いない。 だったら、「ありがとうございます」くらい言えば!
帰りのバスは横向きの席は70歳以上の女性が座っていて、そこへ一歳少しの女の子を乳母車に乗せたママが乗ってきた。 そこでは実に和やかな空気が満ち満ちていた。 女児をあやす老女、その方におもちゃを手渡す幼児、しばらくラりーがつずいた。 私も思わず微笑んだ。
その後訪ねて来た25歳の青年にそのことを話した。 ロンドンに行った時、混みあった地下鉄の階段で二人の若い男性、と女性が同時に私の荷物を持って階段を下りてくれた話もした。 彼は「持ちましょう?と言って断られるのがいやなんですよ、多分」と応え「特に男の年上は席を譲っても、必ず断られるのです」と
言う。 なんだか、淋しい、人の情けの通じにくい国になってしまったのかしら? でも、この私もバスで初めて席を譲られた時は、かなり言いようのないショックに近いものを感じたのは確かなこと・・・・。
2010年4月5日月曜日
懐かしい・・・
あれから~もう30年以上も経過したのかしら? 夫が体を壊すまで働き、半生を尽くし、今はすっかり跡形もなく変わってしまった東宝株式会社の日本劇場。(日劇)については、今は相手の年齢を考えながら話をしなければ、通じない事も多い。
あの頃の日劇はニュヨークのカーネギー・ホールのように(今はそうでもないのかも)歌手・タレント達の登竜門だった。 未だテレビが今ほど発達していなかったので、例のロカべりー・ブームも日劇から始まり、夫はその時プロデユースをして、海外公演に出かけたのだった。 裏話も色々ある。 自慢話も・・・。思い出したくないことも・・・。
春・秋のおどりは可也のものだったと思う。 その後パリのフォリー・ベルジェールと比べても決して見劣りはしなかっただろうと今だから私は思う。
これからいよいよ、本題にはいるのだが、今日あだ名を天丼と言われていたトップ男性歌手から手紙が来た。
彼は踊り子さんの一人と結婚して男のお子様独り授かりその方はベルリンにいらっしゃるとか。 彼も唄を教えながら生活をしていらっしゃる。御手紙の中に、懐かしい名前の方々が亡くなってしまったのを知った。
妹がフアンになって楽屋を訪ねていた ビー玉、夫が育て上げてスターにしたM.Kさん、トップダンサーだったH.Sさん、素敵な振付師で当時週刊誌に大きき出たAさんなどなど。 家内も古希を迎え・・・と、時は経ったのだな~と改めて時のすぎるのの速さを思い、しばらくお一人お一人を懐かしく又亡くなった方々の御冥福を祈った。
あの頃の日劇はニュヨークのカーネギー・ホールのように(今はそうでもないのかも)歌手・タレント達の登竜門だった。 未だテレビが今ほど発達していなかったので、例のロカべりー・ブームも日劇から始まり、夫はその時プロデユースをして、海外公演に出かけたのだった。 裏話も色々ある。 自慢話も・・・。思い出したくないことも・・・。
春・秋のおどりは可也のものだったと思う。 その後パリのフォリー・ベルジェールと比べても決して見劣りはしなかっただろうと今だから私は思う。
これからいよいよ、本題にはいるのだが、今日あだ名を天丼と言われていたトップ男性歌手から手紙が来た。
彼は踊り子さんの一人と結婚して男のお子様独り授かりその方はベルリンにいらっしゃるとか。 彼も唄を教えながら生活をしていらっしゃる。御手紙の中に、懐かしい名前の方々が亡くなってしまったのを知った。
妹がフアンになって楽屋を訪ねていた ビー玉、夫が育て上げてスターにしたM.Kさん、トップダンサーだったH.Sさん、素敵な振付師で当時週刊誌に大きき出たAさんなどなど。 家内も古希を迎え・・・と、時は経ったのだな~と改めて時のすぎるのの速さを思い、しばらくお一人お一人を懐かしく又亡くなった方々の御冥福を祈った。
2010年4月1日木曜日
目黒川の桜
昨日、妹が桜を見に行かないか?と誘ってくれた。 例年私は近所の桜を見るだけで充分満足している。 時には少し離れたお寺のしだれ桜を近所の友人と見に行ったり、昨年は少し足をのばして、西武線の奥のお寺の大きなしだれ桜を見に行った。
今年は足にも自信が無くなって余り遠くに行く勇気が出ない。 妹にこのあたりに来てほしかったけれど、余りその気はないようだったので、一度は行ってみたかった目黒川の桜を見に行くことになった。 以前妹の長男夫妻が住んでいたあたりの何となく懐かしい、中目黒駅で待ち合わせた。
途中のバスから祝い提灯がちらちら桜もちらちら見えた。 目黒川沿いに行って見て驚いた。 完全にお祭り騒ぎ、大勢の人が両岸を歩いていた。 カメラを持ってる人、両岸の店でお茶を飲んでいる人々。 たまに、近所?の老人ホームのバスが通って、中をのぞくと、にこやかな老人の笑顔が見えて、嬉しそうに私たちにも手を振って応えてくれた。 桜はホントに人を和ませてくれる。 中目黒あたりは、さすがモダンを売りにしているだけあって、出店もピサパイとか洋風なお菓子とか、クレープなどの出店が多く、おでん、お好み焼きなどの店はほとんど見られなかったし、辺りのレストランもイタリアンが目立つた。
目黒川はどこに発し、どこに流れ着くのか私は今もわからない。 ただ、昨日は歩きつくすことは到底無理だということだけは確信した。 見て歩いているうちに桜はほぼ満開近くになったきた。 驚いたことに、山手通りに出てみたら、遠い地方からの観光客を乗せたバスが何台か止まっていた。
いまや、目黒川岸の桜は東京の名所に名を連ねたらしい。
今年は足にも自信が無くなって余り遠くに行く勇気が出ない。 妹にこのあたりに来てほしかったけれど、余りその気はないようだったので、一度は行ってみたかった目黒川の桜を見に行くことになった。 以前妹の長男夫妻が住んでいたあたりの何となく懐かしい、中目黒駅で待ち合わせた。
途中のバスから祝い提灯がちらちら桜もちらちら見えた。 目黒川沿いに行って見て驚いた。 完全にお祭り騒ぎ、大勢の人が両岸を歩いていた。 カメラを持ってる人、両岸の店でお茶を飲んでいる人々。 たまに、近所?の老人ホームのバスが通って、中をのぞくと、にこやかな老人の笑顔が見えて、嬉しそうに私たちにも手を振って応えてくれた。 桜はホントに人を和ませてくれる。 中目黒あたりは、さすがモダンを売りにしているだけあって、出店もピサパイとか洋風なお菓子とか、クレープなどの出店が多く、おでん、お好み焼きなどの店はほとんど見られなかったし、辺りのレストランもイタリアンが目立つた。
目黒川はどこに発し、どこに流れ着くのか私は今もわからない。 ただ、昨日は歩きつくすことは到底無理だということだけは確信した。 見て歩いているうちに桜はほぼ満開近くになったきた。 驚いたことに、山手通りに出てみたら、遠い地方からの観光客を乗せたバスが何台か止まっていた。
いまや、目黒川岸の桜は東京の名所に名を連ねたらしい。
2010年3月30日火曜日
春の月
今日、ヨガが終わってジムのロッカー・ルームで「今日は満月だそうよ」と誰かが言っている声が聞こえた。
そうだ、最近天気も余り良くなく、月を見る事が無かった・・・と思って、先ほど外に出て東の空を眺めた。
「出てないじゃない」何時ものようにま東を眺めた。 おかしい?と思いなおして少し北がわを見たら、美しい満月が見えた。
秋に月を見る事が多かったので、ほぼ同じ時間帯で空を眺めても秋と春とではその位置が違っていることに小さな驚きを感じた。 今頃、もしかして場所によっては”桜の花と月”を一緒に見る事が出来るのかもしれない。 今日は好天にしては朝から少し冷えたので、余り長い間外で月をながめるのは・・・?と思って、直ぐ中に入ったが、春の月は秋の月に比べて少し膨らんで見えたのはなぜかしら? 秋の月の方が冷たく透き通って見えた気がする。
月については色々な思いを、このブログに書いた気がするが、今夜は父の最期の際に母を車にのせて、病院に向かって北に走っていた時「お母様、今度はお父様は、ダメだと思うわよ」と言ったこと。 そう言いながら運転中の窓の外に見えた月はトテモ美しかったこと。 後部席の母の顔を少し心配でバック・ミラーで見たら、意外に穏やかで、ほっとしたことを・・・。
そうだ、最近天気も余り良くなく、月を見る事が無かった・・・と思って、先ほど外に出て東の空を眺めた。
「出てないじゃない」何時ものようにま東を眺めた。 おかしい?と思いなおして少し北がわを見たら、美しい満月が見えた。
秋に月を見る事が多かったので、ほぼ同じ時間帯で空を眺めても秋と春とではその位置が違っていることに小さな驚きを感じた。 今頃、もしかして場所によっては”桜の花と月”を一緒に見る事が出来るのかもしれない。 今日は好天にしては朝から少し冷えたので、余り長い間外で月をながめるのは・・・?と思って、直ぐ中に入ったが、春の月は秋の月に比べて少し膨らんで見えたのはなぜかしら? 秋の月の方が冷たく透き通って見えた気がする。
月については色々な思いを、このブログに書いた気がするが、今夜は父の最期の際に母を車にのせて、病院に向かって北に走っていた時「お母様、今度はお父様は、ダメだと思うわよ」と言ったこと。 そう言いながら運転中の窓の外に見えた月はトテモ美しかったこと。 後部席の母の顔を少し心配でバック・ミラーで見たら、意外に穏やかで、ほっとしたことを・・・。
2010年3月29日月曜日
三姉妹で墓参
お彼岸ちかくになると、ジムのロッカー・ルームで、「昨日、お墓に行ってきた」とか「明日のお中日に行く」とかいう話が聞こえてくる。 そのたびに私は、未だ行ってない、と気にはなる。 夫の墓地は多磨墓地なので、春は失礼して、門前のお茶屋さんに頼んでお花を供えていただいている。 実家のお墓は下の妹宅から車で20分くらいの春秋苑にあるので、かなり行きやすい。
今年は、上の妹が上京していて「お墓に行きたい」と言ったので、都合をつけて三人で待ち合わせて妹の車で行った。 亡父が属していたゴルフ場に近かったので・・・と生前に墓地を求めていた。、新しくて、明るい墓地でしかも水場から近いのでホントによかった、と思う。 今は父と母だけが入っている。
時々妹達と話すのだけれど、このお墓も弟達夫妻の後はお参りする人がいなくなるのかもしれない? 私達の多磨墓地のお墓も私の後は無縁墓地になってしまうかもしれない。 お墓も無縁になれば、大勢の方々と一諸の無縁仏として、墓地入口の無縁の塔に収められて、無縁の墓は売りに出るのかもしれない。 それでも、あの世に行ってしまっていれば、どうなろうと関係ないだろう。 少子化でそういうケースは増えて来るに違いない。
夫の長兄がそんなことを心配して、生前に伊藤家の墓所を父親の出身地の広島の庄原に求めてくれ伊藤家の菩提寺にお願いをしてくれていたけれど、そんな遠隔地に治まる気持ちはない。 子供が少なかったり、私のように子のない家では、後のことを考えても切りのないこと。
今年は、上の妹が上京していて「お墓に行きたい」と言ったので、都合をつけて三人で待ち合わせて妹の車で行った。 亡父が属していたゴルフ場に近かったので・・・と生前に墓地を求めていた。、新しくて、明るい墓地でしかも水場から近いのでホントによかった、と思う。 今は父と母だけが入っている。
時々妹達と話すのだけれど、このお墓も弟達夫妻の後はお参りする人がいなくなるのかもしれない? 私達の多磨墓地のお墓も私の後は無縁墓地になってしまうかもしれない。 お墓も無縁になれば、大勢の方々と一諸の無縁仏として、墓地入口の無縁の塔に収められて、無縁の墓は売りに出るのかもしれない。 それでも、あの世に行ってしまっていれば、どうなろうと関係ないだろう。 少子化でそういうケースは増えて来るに違いない。
夫の長兄がそんなことを心配して、生前に伊藤家の墓所を父親の出身地の広島の庄原に求めてくれ伊藤家の菩提寺にお願いをしてくれていたけれど、そんな遠隔地に治まる気持ちはない。 子供が少なかったり、私のように子のない家では、後のことを考えても切りのないこと。
2010年3月25日木曜日
少し遅れましたが・・・
先週の土曜日、何時も朝食をとりながら見ている神田正輝司会の“旅サラダ”という番組で池内淳子さんが尊敬している松本清張さんの生地、北九州市の小倉を訪ねるという。 何とも懐かしい! と言う私は北九州市の八幡で生まれ12歳まで住んでいたから・・・。
と言っても、それは戦前のことで、どんなに変わってしまっているのかしら?と画面を見つめた。 小倉では魚町というのが一番賑やかで・・・と思いだしていたら、魚町が画面に出た。 その頃同居していた父の養母が(父が養子として当時の中学校時代に面倒を見てもらったらしい)私をトテモ可愛がってくれて、口癖のように「今度、小倉へ行って湖月堂の栗まんじゅうを買ってくる・・・」と言っていたけれど、私の記憶の中では、それは実現していなかった。 その懐かしの?まさしく、湖月堂の栗まんじゅうが画面に出た。 「出た!」私は思わず叫んでしまった。 無論、どこのお菓子やさんでも求める事が出来るものではあっても、祖母が言っていたように、小倉の栗まんじゅうは有名なんだ! と私は今更のようにその頃を思い出していた。
栗まんじゅうの代わりに私が祖母からもらったものは周りにお砂糖をまぶした飴玉だった。 それも、母や当時のね~や(お手伝いさん)に隠すように渡してくれた。 少し迷惑だったけれど、私は二人に隠して飴をなめた。
70年以上も前の記憶が戻って来て、小倉の魚町のお祭りの山車が子供心に怖かったこと、東京に行くために門司駅で沢山のバナナ売りの列をかき分けるようにして当時の特急’つばめ’の寝台車に乗ったこと、思いだは次々とそれこそ、文字通り走馬灯のように頭を廻り廻った。
と言っても、それは戦前のことで、どんなに変わってしまっているのかしら?と画面を見つめた。 小倉では魚町というのが一番賑やかで・・・と思いだしていたら、魚町が画面に出た。 その頃同居していた父の養母が(父が養子として当時の中学校時代に面倒を見てもらったらしい)私をトテモ可愛がってくれて、口癖のように「今度、小倉へ行って湖月堂の栗まんじゅうを買ってくる・・・」と言っていたけれど、私の記憶の中では、それは実現していなかった。 その懐かしの?まさしく、湖月堂の栗まんじゅうが画面に出た。 「出た!」私は思わず叫んでしまった。 無論、どこのお菓子やさんでも求める事が出来るものではあっても、祖母が言っていたように、小倉の栗まんじゅうは有名なんだ! と私は今更のようにその頃を思い出していた。
栗まんじゅうの代わりに私が祖母からもらったものは周りにお砂糖をまぶした飴玉だった。 それも、母や当時のね~や(お手伝いさん)に隠すように渡してくれた。 少し迷惑だったけれど、私は二人に隠して飴をなめた。
70年以上も前の記憶が戻って来て、小倉の魚町のお祭りの山車が子供心に怖かったこと、東京に行くために門司駅で沢山のバナナ売りの列をかき分けるようにして当時の特急’つばめ’の寝台車に乗ったこと、思いだは次々とそれこそ、文字通り走馬灯のように頭を廻り廻った。
2010年3月22日月曜日
春のお彼岸
昨日、余りにも晴れあがったよい天気だったので、御近所のお友だちを誘って近所を歩くことにした。
お互い、どこへ行く?と言いながら足は自然に本門寺の方へ向いた。 しばらくは、今日がお彼岸だということに思い至らなかった。 なんだか車が多く、人が多い・・・と話しているうちに、お彼岸だからでということに気がついた。
何時もは中に入れないお寺も今日は開いていて中まで入ることができた。 お庭もきれいに掃除してあり、卒塔婆が沢山壁に立てかけてあった。 一方通行の道を車が絶え間なく通って何時もの本門寺あたりとはまるで様子が異なって見えた。 例年お正月にはお参りしていた本門寺も何年もおまいリしてない。 お友だちと道沿いのお寺に入ってお賽銭を供えて、手を合わせた。 お彼岸に多磨墓地を訪れたことが無いことを、申し訳なく思う。
以前、易の先生にそのことを伺ったら「貴女は仏様をお預かりして、御仏壇に毎日テを合わせているのだから、気にしなくていいわよ」と仰った。 「御仏壇に手を合わせた後墓地の方がくにテを合わせたら、とも言われた。 どんなに遠くても、独りでもお墓参りをする方もあるのに~と反省だけは何時もしているのだけれど・・・・。
お互い、どこへ行く?と言いながら足は自然に本門寺の方へ向いた。 しばらくは、今日がお彼岸だということに思い至らなかった。 なんだか車が多く、人が多い・・・と話しているうちに、お彼岸だからでということに気がついた。
何時もは中に入れないお寺も今日は開いていて中まで入ることができた。 お庭もきれいに掃除してあり、卒塔婆が沢山壁に立てかけてあった。 一方通行の道を車が絶え間なく通って何時もの本門寺あたりとはまるで様子が異なって見えた。 例年お正月にはお参りしていた本門寺も何年もおまいリしてない。 お友だちと道沿いのお寺に入ってお賽銭を供えて、手を合わせた。 お彼岸に多磨墓地を訪れたことが無いことを、申し訳なく思う。
以前、易の先生にそのことを伺ったら「貴女は仏様をお預かりして、御仏壇に毎日テを合わせているのだから、気にしなくていいわよ」と仰った。 「御仏壇に手を合わせた後墓地の方がくにテを合わせたら、とも言われた。 どんなに遠くても、独りでもお墓参りをする方もあるのに~と反省だけは何時もしているのだけれど・・・・。
久しぶりの銀座
下の妹が草履の修理を頼みに銀座にでかけるので、銀座で会わない?と電話があったので、午前中の健美操の後何時ものように松坂屋で待ち合わせた。 一応松坂屋の中を見て回ったが、特にほしいものも見つからず、銀座のデパートの将来もお先真っ暗ではないかと思われる。
以前にも書いた記憶があるが、銀座の変貌には、悲しみさえ覚えるのは、私だけではないだろう。 私は銀座が大好きで、銀座を離れたくないため、地方に住む方とは結婚したくないとさえ思っていた。 そして、その意志だけは?通して?銀座に会社のある亡夫と結婚した。 無論、夫との待ち合わせも銀座だった。
その頃は、少なくとも、一週間に一回は銀座に行きたいと思っていた。 ところが最近何カ月に一回も訪れる事もなく、行くたびに、その当時と余りにも違ってしまった銀座にがっかりしている。 銀座四丁目の角の三越デパートには余り寄らなかったが、その前の服部和光、三愛は通って見るだけ、今は店が二・三軒建っている小松ストアーは化粧品、衣類など可也選ばれた物があって、楽しかったし、その斜め前のコックドールはレイモンド氏の設計の喫茶店で妹達とその店でチョコレート・パフェを頂くのが大変楽しみだった。
銀座のはずれにあった‘千匹屋’も植物が沢山置いてあって、高価な果物もその喫茶店で頂くのは何となく豊かな気分を味合うことができた。 その店も今はない? 昔から有る店を探していくのがむずがしくなったきた。 和装小物の店、’くのや’は色々研究してケッコウ集客しているようだった。 そんな店を見ると’がんばって!と声を掛けたくなる。
以前にも書いた記憶があるが、銀座の変貌には、悲しみさえ覚えるのは、私だけではないだろう。 私は銀座が大好きで、銀座を離れたくないため、地方に住む方とは結婚したくないとさえ思っていた。 そして、その意志だけは?通して?銀座に会社のある亡夫と結婚した。 無論、夫との待ち合わせも銀座だった。
その頃は、少なくとも、一週間に一回は銀座に行きたいと思っていた。 ところが最近何カ月に一回も訪れる事もなく、行くたびに、その当時と余りにも違ってしまった銀座にがっかりしている。 銀座四丁目の角の三越デパートには余り寄らなかったが、その前の服部和光、三愛は通って見るだけ、今は店が二・三軒建っている小松ストアーは化粧品、衣類など可也選ばれた物があって、楽しかったし、その斜め前のコックドールはレイモンド氏の設計の喫茶店で妹達とその店でチョコレート・パフェを頂くのが大変楽しみだった。
銀座のはずれにあった‘千匹屋’も植物が沢山置いてあって、高価な果物もその喫茶店で頂くのは何となく豊かな気分を味合うことができた。 その店も今はない? 昔から有る店を探していくのがむずがしくなったきた。 和装小物の店、’くのや’は色々研究してケッコウ集客しているようだった。 そんな店を見ると’がんばって!と声を掛けたくなる。
2010年3月15日月曜日
お誕生日会
ジムで仲良くさせていただいている4人にお友だちの一人の56回めのお誕生日祝いを東京駅近くのイタリアンで・・・ということで、トテモ楽しみにしていた。 私以外のお友だちは50代、60歳になったばかりの方々なので、色々なところを見つけて来て下さって、トテモありがたいこと。
今日は東京駅から歩いてほんの5分ほどのところのイタリアン・レストランで以前テレビなどでも紹介されたことのある京都の八坂に本店のある"IL GHIOTTONE" というレストランテで、前菜からデザートまで、見事な料理だった。 京野菜を使ってというのが売りなのだけれど、器と言い盛りつけと言い素材の良さ、季節感をとりいれ、日本独特な山椒の芽、やまいもなどを使ったもの、メインの鴨肉の大きさ、柔らかさにも感激した。 デザートもかわいらしい感じで、余り押しつけがましくなく、それぞれ違った種類をつつき合って楽しんだ。
お友だちの一人と、丸ビルの12階のイタリアン(以前私の77歳の誕生祝いをした)ところとの大差を呆れながら、 又そのレストランテとの比較をしながら、お昼にしては少し多めかな?と思いながらも全員完食した。
今日は東京駅から歩いてほんの5分ほどのところのイタリアン・レストランで以前テレビなどでも紹介されたことのある京都の八坂に本店のある"IL GHIOTTONE" というレストランテで、前菜からデザートまで、見事な料理だった。 京野菜を使ってというのが売りなのだけれど、器と言い盛りつけと言い素材の良さ、季節感をとりいれ、日本独特な山椒の芽、やまいもなどを使ったもの、メインの鴨肉の大きさ、柔らかさにも感激した。 デザートもかわいらしい感じで、余り押しつけがましくなく、それぞれ違った種類をつつき合って楽しんだ。
お友だちの一人と、丸ビルの12階のイタリアン(以前私の77歳の誕生祝いをした)ところとの大差を呆れながら、 又そのレストランテとの比較をしながら、お昼にしては少し多めかな?と思いながらも全員完食した。
2010年3月14日日曜日
めっきり春らしい日の散歩
今日は朝から晴れあがって気持ちのよい春光が見られた。
家の中が思い通りには片ずいていないので、気になりながらも、余りの好天と今日はジムに行かないので、御近所のお友だちを誘って、春の花を見つけながらの散歩に出かけた。
先ずは、何時もジムに通う時に通る道を通って、少し盛りをすぎた避寒桜をみて、呑川沿いに出て、川沿いの桜のつぼみが大分膨らんでいるのを見つけた。 その後、以前母とよく立ち寄った花やには、赤色のクリスマスローズが安価で数多くあった。 そこで、友人はパンジーを買い、私はパセリを求めた。
今は、こぶしの花、花は似ているが、少し大きめな木蓮の花が同時に咲いている。 白い木蓮は花を多くつけてはいても、なんだか少しさびしげに見えると思うのは私だけかしら? 梅、桃、とピンク色の花の後は白い花、黄色のジャスミン、さんしゆ、先日書いた万作など、これからしばらくは、楽しみだけれど、この久が原あたりでもお庭が小さくなって、花の名前を確かめながら歩く喜びがだんだん減っていくのは悲しいことだ。
家の中が思い通りには片ずいていないので、気になりながらも、余りの好天と今日はジムに行かないので、御近所のお友だちを誘って、春の花を見つけながらの散歩に出かけた。
先ずは、何時もジムに通う時に通る道を通って、少し盛りをすぎた避寒桜をみて、呑川沿いに出て、川沿いの桜のつぼみが大分膨らんでいるのを見つけた。 その後、以前母とよく立ち寄った花やには、赤色のクリスマスローズが安価で数多くあった。 そこで、友人はパンジーを買い、私はパセリを求めた。
今は、こぶしの花、花は似ているが、少し大きめな木蓮の花が同時に咲いている。 白い木蓮は花を多くつけてはいても、なんだか少しさびしげに見えると思うのは私だけかしら? 梅、桃、とピンク色の花の後は白い花、黄色のジャスミン、さんしゆ、先日書いた万作など、これからしばらくは、楽しみだけれど、この久が原あたりでもお庭が小さくなって、花の名前を確かめながら歩く喜びがだんだん減っていくのは悲しいことだ。
2010年3月13日土曜日
午後から、ず~っと・・・・
ジムから戻って丁度正午近く、私より5歳年上の、長い付き合いのあった友人から電話があった。 いきなり、貴女元気?と聞かれたので「元気になりました」と答えたら「元気になったのに、電話もなければ、その電話の時、直ぐにでも来るような話だったのに、連絡もないし、貴女が今元気なのなら、このまま、お付き合いは止めます」と言いなり、電話が切れた。 その方もお風呂場で頭を打って、私の入院より少し前、入院なさっていた。 その彼女の御様子はお嫁さんから詳しく伺っていた。
そのことがどういうことか、私はしばらく考えた。 私の連絡しなかった理由は? 家の修理で忙しかった、お付き合いして下さる友人が近く大勢に出来た。 彼女に今までのように振り回されたくない。 利用されるばかりで不快等々。 たとえば彼女が入院することになって、御自分には御子息もお嫁さんもお孫さんもあるのに、私に入院するためのハブラシ、タオル,テッシュなどを持ってきて、と頼まれたことがあった。
今までも、私の中では、何時も利用されている気がしていて、強いてこちらから電話をすることは少なかったと思う。結婚前からのお友だちではあったけれど、私は彼女の身勝手な生き方には、どうしても同調することが出来なかった。 彼女は19歳で無理やり親に強いられて、愛情のもてない相手と結婚させられたことを不満に思って、三人の方と今でいう不倫があり、正当化するためか、その方々を紹介された。
午後から、ず~っとその言葉を考えて何ともやりようのない気分で、下の妹に電話した「丁度よかったじゃない!」と妹は言った。 それでもなんだか気が落ち着かないので、何時もの易の先生に電話した。(先生にも以前御紹介したことがあったので・・・)先生も同じお答え「縁が切れてよかったわよ!」と仰った。
自分の気持ちを治めるために、ブログに思いを述べる事はよいことではないのかもしれない、でも私の中でまだふっきれない思いがある。 彼女が私より先が短い。5歳も年上であるということ。
そのことがどういうことか、私はしばらく考えた。 私の連絡しなかった理由は? 家の修理で忙しかった、お付き合いして下さる友人が近く大勢に出来た。 彼女に今までのように振り回されたくない。 利用されるばかりで不快等々。 たとえば彼女が入院することになって、御自分には御子息もお嫁さんもお孫さんもあるのに、私に入院するためのハブラシ、タオル,テッシュなどを持ってきて、と頼まれたことがあった。
今までも、私の中では、何時も利用されている気がしていて、強いてこちらから電話をすることは少なかったと思う。結婚前からのお友だちではあったけれど、私は彼女の身勝手な生き方には、どうしても同調することが出来なかった。 彼女は19歳で無理やり親に強いられて、愛情のもてない相手と結婚させられたことを不満に思って、三人の方と今でいう不倫があり、正当化するためか、その方々を紹介された。
午後から、ず~っとその言葉を考えて何ともやりようのない気分で、下の妹に電話した「丁度よかったじゃない!」と妹は言った。 それでもなんだか気が落ち着かないので、何時もの易の先生に電話した。(先生にも以前御紹介したことがあったので・・・)先生も同じお答え「縁が切れてよかったわよ!」と仰った。
自分の気持ちを治めるために、ブログに思いを述べる事はよいことではないのかもしれない、でも私の中でまだふっきれない思いがある。 彼女が私より先が短い。5歳も年上であるということ。
2010年3月8日月曜日
春の花ばな
今日、池上方面に歩いて行く途中、沿道に何本か植えてあるこぶしの花が咲きそうになっているのを見た。
今年は温かくなったかと思うと、突然雪が降ったりと気候峨不順の所為か、花の咲き方も乱れているような気がする。
我が家の狭い庭でも、福寿草がいつの間にか咲き、一輪草もひそやかに片隅に群がって咲いていた。 その花の数も年ごとに減って来ている気がするけれど、季節を忘れず咲いてくれるのは嬉しい。
亡夫の母が、結婚する前の私に「秋田に住んでいたころ、裏山にまんさくが沢山咲いていた」と話してくれて、その頃私はまんさくの花がどんな花か知らなかった。
それからずいぶん経って、私の母がお茶の花として、まんさくの木を庭に植えた。 可也の古木で以前より小さくなってしまった庭には不適切なほどその木は大きくなっている。 二人の母はとっくに亡くなったものの、まんさくは今年も見事に花をつけている。 今は他人様に家を貸りて頂いているが、側を通ってみて、地味だけれど枝を広げて静かに咲いている枝を一本切って、仏壇に供えたかったけれど、私の背には届かなかった。
今年は温かくなったかと思うと、突然雪が降ったりと気候峨不順の所為か、花の咲き方も乱れているような気がする。
我が家の狭い庭でも、福寿草がいつの間にか咲き、一輪草もひそやかに片隅に群がって咲いていた。 その花の数も年ごとに減って来ている気がするけれど、季節を忘れず咲いてくれるのは嬉しい。
亡夫の母が、結婚する前の私に「秋田に住んでいたころ、裏山にまんさくが沢山咲いていた」と話してくれて、その頃私はまんさくの花がどんな花か知らなかった。
それからずいぶん経って、私の母がお茶の花として、まんさくの木を庭に植えた。 可也の古木で以前より小さくなってしまった庭には不適切なほどその木は大きくなっている。 二人の母はとっくに亡くなったものの、まんさくは今年も見事に花をつけている。 今は他人様に家を貸りて頂いているが、側を通ってみて、地味だけれど枝を広げて静かに咲いている枝を一本切って、仏壇に供えたかったけれど、私の背には届かなかった。
2010年3月6日土曜日
帝国ホテルのバイキング?
昨日、上の妹が「帝国ホテルのサービス券があって、今度上京する時までは期限がもたないので、今日利用したいので出てこれる?」と電話があった。 即座に私は12階のバイキングにしない、と応えて、昨日はポカポカした春日和だったので喜んで出かけた。
先日恵比寿のウエスティン・ホテルで下の妹のお誕生日祝いをバイキングで試したが、以前に比べて内容が少し劣っている気がしたが、帝国ホテルはいかがか?という気もあった。 妹の夫は度々帝国ホテルを利用しているので、サービスする人も丁寧なご挨拶をする。
以前に比べて、お得意様と普通人?との差別が顕著になった気がした。 私の夫だって犬丸氏とは「おい、ワンちゃん」の仲だったし、お頼まれして色々なショウを ”シアター・レストラン”に提供したりしていたこともあったのに~今は昔の物語・・・。
ところで、料理の内容は前にも思ったが前菜が充実していたが、お勧めと言われたエスカルゴはほんの二粒、
人気のローストビーフはローストポークが売りで、ビーフはパイずつみになっていた。 デザートは果物アイスクリーム類、小さなケーキなどはウエスティンとほぼ同じ、 コーヒーはウエスティンの方が(別料金)なので)お代わり自由で、おいしかった。 全体的に見て、料理の質、種類はやはり帝国の方が値段も高いしだけあって、よかったのかしら? ごちろうさまでした。
先日恵比寿のウエスティン・ホテルで下の妹のお誕生日祝いをバイキングで試したが、以前に比べて内容が少し劣っている気がしたが、帝国ホテルはいかがか?という気もあった。 妹の夫は度々帝国ホテルを利用しているので、サービスする人も丁寧なご挨拶をする。
以前に比べて、お得意様と普通人?との差別が顕著になった気がした。 私の夫だって犬丸氏とは「おい、ワンちゃん」の仲だったし、お頼まれして色々なショウを ”シアター・レストラン”に提供したりしていたこともあったのに~今は昔の物語・・・。
ところで、料理の内容は前にも思ったが前菜が充実していたが、お勧めと言われたエスカルゴはほんの二粒、
人気のローストビーフはローストポークが売りで、ビーフはパイずつみになっていた。 デザートは果物アイスクリーム類、小さなケーキなどはウエスティンとほぼ同じ、 コーヒーはウエスティンの方が(別料金)なので)お代わり自由で、おいしかった。 全体的に見て、料理の質、種類はやはり帝国の方が値段も高いしだけあって、よかったのかしら? ごちろうさまでした。
2010年3月4日木曜日
石焼き芋
先月、美容院に行った帰り道、小腹がすいていたせいもあって、近所の八百屋さんで何年かぶりで焼き芋を買った。 太さは10センチくらい、長さは20センチほどもある石焼き芋で、帰宅して食べ始めたものの、四分の一も食べられない。
翌日、生まれて初めて、諒ちゃん一家が上京して、妹と私をフレンチに招待してくれることになっていたので、もしかして、諒ちゃんのパパ、ママ達と妹が食べてくれるかも知れないと思って、少し重かった(ホント)けれど、持っていった。
その日はフレンチを頂いたので、誰も興味を示さなかったけれど、後で聞いたら離乳食を始めた、諒ちゃんもパパも妹も食べてくれたとか、更に驚いたことに、妹は余りを京都までもって帰って妹の夫の口にまで入ったと聞いて、驚いた。 石焼き芋など、求める事が無いらしくて「今度京都に行く時お土産に石焼き芋を持って行こうかしら」と、まんざら冗談でもなく、そう思った。 ホントに私の顔ほどの大きさのサツマイモを石焼きとはいうものの、あんなに上手に焼けるものだと、感心した。
昔懐かしい食べ物が、だんだんこの世の中から消えてしまう気もして、あの、千鳥町の八百屋さんに、来年も石焼き芋を焼いてくださいね、と約束をとっておこうと思う。
翌日、生まれて初めて、諒ちゃん一家が上京して、妹と私をフレンチに招待してくれることになっていたので、もしかして、諒ちゃんのパパ、ママ達と妹が食べてくれるかも知れないと思って、少し重かった(ホント)けれど、持っていった。
その日はフレンチを頂いたので、誰も興味を示さなかったけれど、後で聞いたら離乳食を始めた、諒ちゃんもパパも妹も食べてくれたとか、更に驚いたことに、妹は余りを京都までもって帰って妹の夫の口にまで入ったと聞いて、驚いた。 石焼き芋など、求める事が無いらしくて「今度京都に行く時お土産に石焼き芋を持って行こうかしら」と、まんざら冗談でもなく、そう思った。 ホントに私の顔ほどの大きさのサツマイモを石焼きとはいうものの、あんなに上手に焼けるものだと、感心した。
昔懐かしい食べ物が、だんだんこの世の中から消えてしまう気もして、あの、千鳥町の八百屋さんに、来年も石焼き芋を焼いてくださいね、と約束をとっておこうと思う。
2010年3月1日月曜日
我が家の修理も・・・
我が家も昭和57年に建ててから、もう28年?になる。 途中浴室と台所は改修したけれど、色々不都合も出て来たし、これ以上年をとると面倒なこともあるので、思い切って、先ず屋根の修理に始まり、洗面所の洗面台などを入れ替え、ガスコンロも入れ替えた。 やっと、終わったと思ったら、ガス給湯器の具合がどうもよくない,当初寒さのせいで点火がうまくいかないのかしら?と思っていたが、調べていただいたら、もう17年も経っている事がわかった。
思い切って、それも替えることにして、ようやく大安心。 途中私が入院したりしたこともあって、全部終わるのに一年かかってしまった。 昨日から実に快適に過ごしている。 お風呂などはボタンを押してから15分で沸く。 だだ、吃驚したのは、音声で「もうすぐお風呂が沸きます」と言って、そのあと2,3分でメロディが流れて華やかに「お風呂が沸きました!」と可也大きな声で知らせてくれる。 お隣に聞こえるのではないかしら? 色々なところでエコになるのではないかしら?とこれも楽しみにしている。
思い切って、それも替えることにして、ようやく大安心。 途中私が入院したりしたこともあって、全部終わるのに一年かかってしまった。 昨日から実に快適に過ごしている。 お風呂などはボタンを押してから15分で沸く。 だだ、吃驚したのは、音声で「もうすぐお風呂が沸きます」と言って、そのあと2,3分でメロディが流れて華やかに「お風呂が沸きました!」と可也大きな声で知らせてくれる。 お隣に聞こえるのではないかしら? 色々なところでエコになるのではないかしら?とこれも楽しみにしている。
2010年2月28日日曜日
入院給付金
昨年11月10日から二週間にわたり入院・手術した事について、生命保険会社に入院と手術の給付金を受ける手続をすることで、当事者の私がこんなにストレスを感じなければならないか、これは単に私が老齢化して理解力が鈍ったからたからだとは思いたくない。
とりあえず、担当医からの診断書を頂くのに三か月かかり、それを頂いてから保険会社指定の書類に必要事項を書き込み、保険会社に書類の確認のため電話してたしか、電話に出た事務員が私の保険ナンバーを確かめて「これは、出ないと思いますよ~、今担当者が席を外していますので、戻ってから聞いてお電話いたします」とのこと、それから待つこと4時間半、ようやく同じ事務員から、申し訳なさそうに「すみません、大丈夫だそうです」と私が尋ねた初めの質問はどうなったの?
とりあえず私は保険会社所定の請求用紙に必要事項を書き込み、医師の診断書(5400円)と退院証明書を同封して送付した。 もう投函してから、明日で一週間経つので多分書類は受け入れられたのだろう。 友人に話したら、何しろ保険会社は保険金を中々出したがらないのよ、勧誘する時は強引なのにね~とのこと。彼女の話によると、外資系の保険会社の方がスッキリと合理的だということ、御参考までに・・・・。
とりあえず、担当医からの診断書を頂くのに三か月かかり、それを頂いてから保険会社指定の書類に必要事項を書き込み、保険会社に書類の確認のため電話してたしか、電話に出た事務員が私の保険ナンバーを確かめて「これは、出ないと思いますよ~、今担当者が席を外していますので、戻ってから聞いてお電話いたします」とのこと、それから待つこと4時間半、ようやく同じ事務員から、申し訳なさそうに「すみません、大丈夫だそうです」と私が尋ねた初めの質問はどうなったの?
とりあえず私は保険会社所定の請求用紙に必要事項を書き込み、医師の診断書(5400円)と退院証明書を同封して送付した。 もう投函してから、明日で一週間経つので多分書類は受け入れられたのだろう。 友人に話したら、何しろ保険会社は保険金を中々出したがらないのよ、勧誘する時は強引なのにね~とのこと。彼女の話によると、外資系の保険会社の方がスッキリと合理的だということ、御参考までに・・・・。
2010年2月21日日曜日
Kさんの四十九日法要
一月初旬に六十六歳という若さで亡くなられた妹の中学時代からの親友であり、私にとってはその後私の華道の生徒さん、料理の生徒さんでもあり、お頼まれして、御結婚の御紹介をさせていただいた方でもあったKさん。
今では六十台での他界は余りにも早い。 彼女の夫も亡くなったのは六十九歳だった。 残された二人の御子息の御長男はお父様時代の病院を建て替えられて、現代風な医院にして開業なさり、弟さんは北海道で医院を開業されている。
彼女の菩提寺はご実家の墓地のある泉岳寺なので、ご葬儀と同じ泉岳寺での四十九日の法要と納骨の儀が行われた。 お二人の御立派に成長された御子息が亡き母上のために、十分すぎるほど御立派なご葬儀、しかも私どもまで参加させていただいた七・七日法要をなされたことは子のない私にはホントに羨ましいこと。
そのあとホテルの中華レストランで精進落としの会食に招いてくださり、皆で、それこそ亡き彼女の思い出ばなしが、つきなかった。 その上彼女の亡きご主人が周りの皆さま方にトテモ愛されていらっしたことも分かって、余りにも早いお二方の他界にも、なにかほっとする~というか周りの方々のお話のように、お二方があの世で再び逢って、いらっしゃるのかもしれない~と少し安心した。
皆様とお別れして妹とそのお友だちのお一人と久しぶりでお茶を飲みながら、何年か前亡き彼女と妹、その友人との三人に私がお料理をお教えしていた、あの頃が一番お幸せだったんじゃない? という事は私にとっても幸せな時だったのかな~と思い、なつかしんだ。
今では六十台での他界は余りにも早い。 彼女の夫も亡くなったのは六十九歳だった。 残された二人の御子息の御長男はお父様時代の病院を建て替えられて、現代風な医院にして開業なさり、弟さんは北海道で医院を開業されている。
彼女の菩提寺はご実家の墓地のある泉岳寺なので、ご葬儀と同じ泉岳寺での四十九日の法要と納骨の儀が行われた。 お二人の御立派に成長された御子息が亡き母上のために、十分すぎるほど御立派なご葬儀、しかも私どもまで参加させていただいた七・七日法要をなされたことは子のない私にはホントに羨ましいこと。
そのあとホテルの中華レストランで精進落としの会食に招いてくださり、皆で、それこそ亡き彼女の思い出ばなしが、つきなかった。 その上彼女の亡きご主人が周りの皆さま方にトテモ愛されていらっしたことも分かって、余りにも早いお二方の他界にも、なにかほっとする~というか周りの方々のお話のように、お二方があの世で再び逢って、いらっしゃるのかもしれない~と少し安心した。
皆様とお別れして妹とそのお友だちのお一人と久しぶりでお茶を飲みながら、何年か前亡き彼女と妹、その友人との三人に私がお料理をお教えしていた、あの頃が一番お幸せだったんじゃない? という事は私にとっても幸せな時だったのかな~と思い、なつかしんだ。
2010年2月16日火曜日
新しいヨーガ
何年間か親しんでいたアイカワ・ヨーガ教室が私が入院していたころ撤退して? がっかり、どの教室も可也ハードに見えて、お友だちとも相談して、今日のお昼過ぎ、という少し半端な時刻だけれど、今日初めて出てみた。 アイカワ式は最初足指まわしから始まって可也ゆったりした感じのものだった。
今日のヨーガは一つのポーズが可也長く、少しせっかち気味の私は堪えるのが大変なのと、ポーズも可也ハードだった。 インストラクターはお友だちも仰っていたけれど、若くて、きれいで、優しい方のようで、多分30人くらいの会員の中では私が一番年長だと見た。
四つんばいになって、右手をあげ、バランスをとりながら、左足をあげる。 多分10秒くらいのポーズだけれど、ずいぶん長い。 このポーズはどうやら右横の鏡を見ながら、出来た。 私の苦手はバランス。 転ぶといけないので、そのポーズの時はお休み。 インストラクターが側に来て「もう、いいですよ」と声をかけて下さる。 決して無理をしないように・・・と時々言ってくださる。 恥をかいても・・・と自分に言い聞かせながらついて行く。
一時間、という時間も私には適当。 インストラクターが、終わって部屋を出るとき「又、いらっしてくださいね」とやさしく声を掛けてくださった。 出来るだけ続けてみよう。
今日のヨーガは一つのポーズが可也長く、少しせっかち気味の私は堪えるのが大変なのと、ポーズも可也ハードだった。 インストラクターはお友だちも仰っていたけれど、若くて、きれいで、優しい方のようで、多分30人くらいの会員の中では私が一番年長だと見た。
四つんばいになって、右手をあげ、バランスをとりながら、左足をあげる。 多分10秒くらいのポーズだけれど、ずいぶん長い。 このポーズはどうやら右横の鏡を見ながら、出来た。 私の苦手はバランス。 転ぶといけないので、そのポーズの時はお休み。 インストラクターが側に来て「もう、いいですよ」と声をかけて下さる。 決して無理をしないように・・・と時々言ってくださる。 恥をかいても・・・と自分に言い聞かせながらついて行く。
一時間、という時間も私には適当。 インストラクターが、終わって部屋を出るとき「又、いらっしてくださいね」とやさしく声を掛けてくださった。 出来るだけ続けてみよう。
2010年2月13日土曜日
Memories Of You
夕方、時々ピアノを弾くことがあるが、今日は時間が短かったので、Jazz ナンバーを何曲か弾いた。
何時ものように’Memories Of You”を弾いていて、何時もは亡き夫の事を思いながら弾いているのだけれど、今日は母の命日だということを思って弾いていたら、涙があふれ出て来た。 夫の時はなかったのに?
私は長女の所為か、余り母に甘えた経験は少ない。 逆に母が私に甘えていた気がする。 母が私の今の年齢のころには私は隣に引っ越してきていたし、その前も五反田に住んでいた私は度々両親を看に来ていた。 当時は、近かったし、車も運転していたので父のことなどで電話で呼び出されたり、真夜中に夫と行ったこともあった。
ただ、今思い出すと、後年母が大腸がんになり、手術をした後、もう少し優しく接してあげればよかったかな~と時々思う。 私にもそれには少しの言い訳もある。
私の後を追うように歩いてついてきた母のことを思う。 夜中にトイレに行く時、二・三段階段を踏み外した事を私に言えなかった、母を思う。 茶道に夢中で、どんなに厳しい天候でも、着物を着ていそいそと出かけていた母を思う。 母が亡くなった後、少し家から離れた所に住む方々が「何時もお母様とお歩るきになっていらっしゃつたけれど・・・、どうなさいました?」と聞かれて、涙ぐんだ私。
母が亡くなってしばらくの間、私の家の居間のドアーが換気扇の風圧で開くとき、母が夕食をとるため私宅へ遠慮深く入ってきた気がして、ドキッとしたものだった。
下の妹が「お参りにいけないので、彼女の家の母の写真に母のためにお茶を立てて供えるわ」と言ってくれた。 今宵は亡き母をしのんで私は、独り淋しく仏前に祈る。
何時ものように’Memories Of You”を弾いていて、何時もは亡き夫の事を思いながら弾いているのだけれど、今日は母の命日だということを思って弾いていたら、涙があふれ出て来た。 夫の時はなかったのに?
私は長女の所為か、余り母に甘えた経験は少ない。 逆に母が私に甘えていた気がする。 母が私の今の年齢のころには私は隣に引っ越してきていたし、その前も五反田に住んでいた私は度々両親を看に来ていた。 当時は、近かったし、車も運転していたので父のことなどで電話で呼び出されたり、真夜中に夫と行ったこともあった。
ただ、今思い出すと、後年母が大腸がんになり、手術をした後、もう少し優しく接してあげればよかったかな~と時々思う。 私にもそれには少しの言い訳もある。
私の後を追うように歩いてついてきた母のことを思う。 夜中にトイレに行く時、二・三段階段を踏み外した事を私に言えなかった、母を思う。 茶道に夢中で、どんなに厳しい天候でも、着物を着ていそいそと出かけていた母を思う。 母が亡くなった後、少し家から離れた所に住む方々が「何時もお母様とお歩るきになっていらっしゃつたけれど・・・、どうなさいました?」と聞かれて、涙ぐんだ私。
母が亡くなってしばらくの間、私の家の居間のドアーが換気扇の風圧で開くとき、母が夕食をとるため私宅へ遠慮深く入ってきた気がして、ドキッとしたものだった。
下の妹が「お参りにいけないので、彼女の家の母の写真に母のためにお茶を立てて供えるわ」と言ってくれた。 今宵は亡き母をしのんで私は、独り淋しく仏前に祈る。
2010年2月11日木曜日
寒さの所為?
今日は世間は休日。 相変わらず前の道路は車も人も通らない、静か。
一週間くらい前、首から肩にかけて、こちこちにはっていて、それは多分ストレスによるものだ、と思っていた。
一昨日から、その張りが忘れたようにすっきりして、よかった!と思っていた。 今日は少し寒いけれど、考えながら、恐る恐るジムに行った。 入院以前よりマシンも軽めにして自分では控え目に、ひかえめに・・と用心しているつもり。 何しろお友だちとお話しできるということも、私にとっては楽しい時間なのだ。
帰宅して、しばらくしたら、何となく肩が張っているのを感じた。 夕方になったら首のあたりが痛くなってサロンパスを貼って少し楽になった。 そこで考えたのは、寒い時に出かける時は私の嫌いな、マフラー、スカーフを巻いて行く・・・。 下の妹が口を酸っぱくして言ってくれるように・・・・。 自分で悟らなければ・・・と反省!
暖かくなったら痛みがない、ということは?やっぱり冷えているわけ?
今日ジムで千鳥町付近にマッサージのよいところがあるので、いらっしたら? 家の近くの一歳年上のお友だちもいっていらっしゃるとか・・・。
何しろ、この町はマッサージの店と美容院の多い町。 年よりが多いってことよ、とお友だちの話。
一週間くらい前、首から肩にかけて、こちこちにはっていて、それは多分ストレスによるものだ、と思っていた。
一昨日から、その張りが忘れたようにすっきりして、よかった!と思っていた。 今日は少し寒いけれど、考えながら、恐る恐るジムに行った。 入院以前よりマシンも軽めにして自分では控え目に、ひかえめに・・と用心しているつもり。 何しろお友だちとお話しできるということも、私にとっては楽しい時間なのだ。
帰宅して、しばらくしたら、何となく肩が張っているのを感じた。 夕方になったら首のあたりが痛くなってサロンパスを貼って少し楽になった。 そこで考えたのは、寒い時に出かける時は私の嫌いな、マフラー、スカーフを巻いて行く・・・。 下の妹が口を酸っぱくして言ってくれるように・・・・。 自分で悟らなければ・・・と反省!
暖かくなったら痛みがない、ということは?やっぱり冷えているわけ?
今日ジムで千鳥町付近にマッサージのよいところがあるので、いらっしたら? 家の近くの一歳年上のお友だちもいっていらっしゃるとか・・・。
何しろ、この町はマッサージの店と美容院の多い町。 年よりが多いってことよ、とお友だちの話。
2010年2月10日水曜日
案ずるよりは・・・・
14日の料理教室のメニューを作ろうとして、メニューからワードを開こうとしたら、いつの間にか表紙のメニューのタグが消えていた。 もうひとつ、ブログ、メールを打つ時、文字が飛んで、そのたびに訳が分からず、いらいらしていた。 それはこのパソコンを求めた時からのことだった。
無論、取り説、をよく読んで理解する、という作業を怠ったことの責任は私にある。 2日間色々いじくっていても、中々解決しない。 そこで、今日ようやく決心して、富士通のサポートに電話をかけてたずねることにした。 ジムから戻って昼食を終え、一大決心でかけてみた。 どうせ、30分くらいは待たせられるに違いない! と、覚悟を決めて、それでもパソコンは開いていた。 5分も経たないうちに、相手が出た。
相手の要求通り、カーソルを動かし、忽ちエクセルとワードのタグが表紙に出た。
もうひとつの’文字飛び‘はカーソルに洋服の袖が触るためだということで、パソコンについているカーソルを止める作業をして、マウスだけで操作する手はずを教えられた。 ものの、10分くらいで二つとも解決した。
このブログも字が飛び跳ねることなく無事に書くことが出来ている。 感謝!
無論、取り説、をよく読んで理解する、という作業を怠ったことの責任は私にある。 2日間色々いじくっていても、中々解決しない。 そこで、今日ようやく決心して、富士通のサポートに電話をかけてたずねることにした。 ジムから戻って昼食を終え、一大決心でかけてみた。 どうせ、30分くらいは待たせられるに違いない! と、覚悟を決めて、それでもパソコンは開いていた。 5分も経たないうちに、相手が出た。
相手の要求通り、カーソルを動かし、忽ちエクセルとワードのタグが表紙に出た。
もうひとつの’文字飛び‘はカーソルに洋服の袖が触るためだということで、パソコンについているカーソルを止める作業をして、マウスだけで操作する手はずを教えられた。 ものの、10分くらいで二つとも解決した。
このブログも字が飛び跳ねることなく無事に書くことが出来ている。 感謝!
2010年2月4日木曜日
節分も過ぎて
もう、明けてから一カ月が過ぎてしまった。 二月は逃げる・・・と昔からいわれているので、寒い寒いと言っているうちに、忽ち桜の季節になるだろう。
今年は大大台に乗るので、色々な意味で覚悟と言うか、あきらめと言うか、悲しみというかを年初から感じているところを、今朝、何時もの易の先生から「貴女は昨年末からの疲れがまだ取れてないので、時々気がついたら居眠りをしていることがあるでしょう?」・・・と言われた。 まさに仰る通り、時々ふっと気がつくと、4,5分居眠りをしていた自分がいる。
ジムでほんの一時間半くらいマシンを使っての運動とサイクリングマシンに30分乗り、そのほかに1時間余り近所に買い物に行くくらいの動きしかしていないのに? 特に突っ張っているわけではないけれど年を重ねて行くということを、わかっているけれど、認めたくない。
先日もジムで65歳の男性と話していて「私今年は80歳ですよ」と言ったら「お若いですね、とても、そうはみえませんね~」と言われて喜ぶなんて! 後で考えてなんだかみじめ。 80歳は80歳、確かに80年、この世にいるのだから・・・。
今年は大大台に乗るので、色々な意味で覚悟と言うか、あきらめと言うか、悲しみというかを年初から感じているところを、今朝、何時もの易の先生から「貴女は昨年末からの疲れがまだ取れてないので、時々気がついたら居眠りをしていることがあるでしょう?」・・・と言われた。 まさに仰る通り、時々ふっと気がつくと、4,5分居眠りをしていた自分がいる。
ジムでほんの一時間半くらいマシンを使っての運動とサイクリングマシンに30分乗り、そのほかに1時間余り近所に買い物に行くくらいの動きしかしていないのに? 特に突っ張っているわけではないけれど年を重ねて行くということを、わかっているけれど、認めたくない。
先日もジムで65歳の男性と話していて「私今年は80歳ですよ」と言ったら「お若いですね、とても、そうはみえませんね~」と言われて喜ぶなんて! 後で考えてなんだかみじめ。 80歳は80歳、確かに80年、この世にいるのだから・・・。
2010年2月2日火曜日
何だったのかしら?
京都の妹が夫と上京していて、渋谷の自宅ではなく帝国ホテルに泊まっていて、お昼を一緒にしないか?と言ってくれた。 下の妹も来るということで、11時ごろ家を出た。 最近、バス停にもう少し・・・というところで、五反田行きのバスが出てしまい、今日も10分以上バスを待つハメになった。
バスは空いていて、それでも下の段には席がなく上段の一番前に座った。 馬込近くまで来た頃、妙に胸のあたりがもぞもぞ気持ち悪くなってきた。 痛むというわけではなかったが、五反田に近ずくに従って、なおひどく、ざわざわしてきた。 バスを降りたら倒れるのではないかと思うほどだった。 一旦駅に向かって歩き出したが、ゆらゆらと揺れるようで、トテモ電車に乗って・・・という気がしなかったので、だけど、何としても妹達二人のところへ行った方がいいと判断して、タクシーを拾って、もしも急にヘンになったら、ここの病院、あそこの病院・・と自分で場所を確かめながら、運転手さんと車の話をしながら、話していると少し気が紛れて、ホテルに着いた。
余り心配をかけてはいけないと思ったけれど、状態を話したら、妹が心臓の貼り薬を持っているので、貼ってみたら?と言ってくれたので、トイレでそれを貼った。 食事をしている間もドキドキは回復しなかった。
話も半分上の空、上の妹が京都へ帰るので東京駅まで車で行くということで、便乗して東京駅で別れて、又ドキドキしながら京浜東北線で蒲田まで、そしてそこからタクシーで家まで・・・と決めた。 電車は快速で空いていたので、ホッとしながらタクシーで家に入ったら、ドキドキが治まった。
血圧を計ったけれど異常はなかった。 気分も特に悪くはなかった。 結論として考えたのは、寒冷、と年齢の所為だということ、独り暮らしであることのストレス・・・?
バスは空いていて、それでも下の段には席がなく上段の一番前に座った。 馬込近くまで来た頃、妙に胸のあたりがもぞもぞ気持ち悪くなってきた。 痛むというわけではなかったが、五反田に近ずくに従って、なおひどく、ざわざわしてきた。 バスを降りたら倒れるのではないかと思うほどだった。 一旦駅に向かって歩き出したが、ゆらゆらと揺れるようで、トテモ電車に乗って・・・という気がしなかったので、だけど、何としても妹達二人のところへ行った方がいいと判断して、タクシーを拾って、もしも急にヘンになったら、ここの病院、あそこの病院・・と自分で場所を確かめながら、運転手さんと車の話をしながら、話していると少し気が紛れて、ホテルに着いた。
余り心配をかけてはいけないと思ったけれど、状態を話したら、妹が心臓の貼り薬を持っているので、貼ってみたら?と言ってくれたので、トイレでそれを貼った。 食事をしている間もドキドキは回復しなかった。
話も半分上の空、上の妹が京都へ帰るので東京駅まで車で行くということで、便乗して東京駅で別れて、又ドキドキしながら京浜東北線で蒲田まで、そしてそこからタクシーで家まで・・・と決めた。 電車は快速で空いていたので、ホッとしながらタクシーで家に入ったら、ドキドキが治まった。
血圧を計ったけれど異常はなかった。 気分も特に悪くはなかった。 結論として考えたのは、寒冷、と年齢の所為だということ、独り暮らしであることのストレス・・・?
2010年1月28日木曜日
ようやく、一安心
年が改まって、手術、入院から初めての病院予約の日が来た。 肝臓と腎臓のエコーをとるということで退院してから二か月目になる。 そのことが気にかかっているばかりではないだろうが、2.3日前から
肩が張って血圧もあがっている気がしていた。
今朝は朝食抜きで11時までに来院とのこと。 少し早めに家を出たので、検査室には20分前に着き、ベッドが空いていたということで、直ぐ検査が始められ11時には外科の診療室に着いた。 今日は患者さんの数も少なめだったが、予約の11時半より40分待ち。
何時ものごとく静かな呼び声で「伊藤ふさ子様、1番にどうぞ」と呼ばれ、入室したら、先生はにこにこされて「どこも異常はありませんでしたよ」と仰った。 それなのに、なぜかまた5月に次の予約が入っている?
帰宅後、とりあえず妹に電話したり、その後、朝、ご心配して お電話を頂いた易の先生に結果をお知らせした。 先生の御判断の通り異常なかったことを先生も喜んでくださり話が長くなった。
妙なもので、そうこうしている内に背中や肩の痛みが驚くほど軽くなっていた。 やはりストレスは体によくないな~? それに、私の肩から背中首筋までマッサージしてくださったジムのお友だちの御好意もあったからこそ、今日はすっきりすることが出来た いずれも感謝、感謝の一日だった。
肩が張って血圧もあがっている気がしていた。
今朝は朝食抜きで11時までに来院とのこと。 少し早めに家を出たので、検査室には20分前に着き、ベッドが空いていたということで、直ぐ検査が始められ11時には外科の診療室に着いた。 今日は患者さんの数も少なめだったが、予約の11時半より40分待ち。
何時ものごとく静かな呼び声で「伊藤ふさ子様、1番にどうぞ」と呼ばれ、入室したら、先生はにこにこされて「どこも異常はありませんでしたよ」と仰った。 それなのに、なぜかまた5月に次の予約が入っている?
帰宅後、とりあえず妹に電話したり、その後、朝、ご心配して お電話を頂いた易の先生に結果をお知らせした。 先生の御判断の通り異常なかったことを先生も喜んでくださり話が長くなった。
妙なもので、そうこうしている内に背中や肩の痛みが驚くほど軽くなっていた。 やはりストレスは体によくないな~? それに、私の肩から背中首筋までマッサージしてくださったジムのお友だちの御好意もあったからこそ、今日はすっきりすることが出来た いずれも感謝、感謝の一日だった。
2010年1月25日月曜日
料理教室
昨日は3カ月ぶり、我が家での料理教室。
生徒さんから、ご連絡を頂かなかったら、もうやめてしまおうかな~と思ったりした。 今のクラスはもいう三年くらいにもなるので、レシピーも和、洋、中華と毎月三品ずつ教えているので、大分品数も教えつくした気もする。 それでも、考えてみると、まだ教えてない、教えたい料理もあるし、何しろ少しはおこずかい稼ぎができる。 レンジも新しくしたし・・・ということで、昨日は料理教室を再開した。 結論として、三人のうちの未婚のお二人のどちらかが結婚なさるまで・・・・? と大雑把に自分で決めた。
朝から妙に緊張して、久しぶり、ということは、こんなに緊張するものか?と思いながら、三品のうち一品は、塩けが足りず、失敗して妙にへこんでしまった。 そればかりではないだろうけれど、今朝ほどから肩から首筋が凝りまくって、書道のかな字書き、その他と相まって夕方には血圧が上昇した感じ、年なのだから、何事も焦ったり、いらだったり、考えすぎたりしないように、と自分を戒めている。 このブログもストレスにならない程度に・・・・
生徒さんから、ご連絡を頂かなかったら、もうやめてしまおうかな~と思ったりした。 今のクラスはもいう三年くらいにもなるので、レシピーも和、洋、中華と毎月三品ずつ教えているので、大分品数も教えつくした気もする。 それでも、考えてみると、まだ教えてない、教えたい料理もあるし、何しろ少しはおこずかい稼ぎができる。 レンジも新しくしたし・・・ということで、昨日は料理教室を再開した。 結論として、三人のうちの未婚のお二人のどちらかが結婚なさるまで・・・・? と大雑把に自分で決めた。
朝から妙に緊張して、久しぶり、ということは、こんなに緊張するものか?と思いながら、三品のうち一品は、塩けが足りず、失敗して妙にへこんでしまった。 そればかりではないだろうけれど、今朝ほどから肩から首筋が凝りまくって、書道のかな字書き、その他と相まって夕方には血圧が上昇した感じ、年なのだから、何事も焦ったり、いらだったり、考えすぎたりしないように、と自分を戒めている。 このブログもストレスにならない程度に・・・・
2010年1月22日金曜日
書道教室
書道を始めてから、もう何年になるだろう? 私としては、月二回のレッスンはほとんど休むことなく続けている。 自分で言うのもおかしいことながら、漢字については、可也上達してきて、人様にお目せしても褒めていただけるかなと思うほどに上達して、先生にもお褒めていただいている。
ところが、私の提案で三カ月ほど前からひらがな、というか、へんたいがなで書かれた和歌を一首ずつ書くことになった。 今日で三回目になるのだけれど、どうも私には不向き、と言えばカッコウいいが、上手に書けない。 ’字’ではなく、どう見てもマークとしか見えない。 他の二人はすらすらと書いていらっしゃるので、私は焦りまくる。 焦れば焦るほど書けない。 先月も時間内に自分で納得いかなかったので、御清書を出さないで、家に帰ってから、何度も練習したけれども、納得いくものが書けない。
もう、止めたくなった、と言ったら、お友だちの一人が「だって、貴女がひらがなを書きたいと仰ったのじゃない」と少し厳しいお言葉。 この年齢では、これ以上努力しても、進歩することはないのではないか?と自分の中で思う一方、この友人の言葉に、負けられない!と練習に励んでいる次第。
ところが、私の提案で三カ月ほど前からひらがな、というか、へんたいがなで書かれた和歌を一首ずつ書くことになった。 今日で三回目になるのだけれど、どうも私には不向き、と言えばカッコウいいが、上手に書けない。 ’字’ではなく、どう見てもマークとしか見えない。 他の二人はすらすらと書いていらっしゃるので、私は焦りまくる。 焦れば焦るほど書けない。 先月も時間内に自分で納得いかなかったので、御清書を出さないで、家に帰ってから、何度も練習したけれども、納得いくものが書けない。
もう、止めたくなった、と言ったら、お友だちの一人が「だって、貴女がひらがなを書きたいと仰ったのじゃない」と少し厳しいお言葉。 この年齢では、これ以上努力しても、進歩することはないのではないか?と自分の中で思う一方、この友人の言葉に、負けられない!と練習に励んでいる次第。
2010年1月20日水曜日
ようやく、すべてが・・・・
ようやく、すべてが元通りの生活のリズムに戻ってきた。
台所にも新しいレンジがセットされ、気になっていたネズミの穴も職人さんによって塞がれネズミがかじった(信じられないかもしれないけれど、クマネズミがかじって開いた穴が気になっていた)一年間我慢してガムテープを貼っていたのだけれど、ようやくすっきりした。 でも少し使い方を研究する必要がある。
昨日、ジムに行って見て、マシンの位置とか、器具も少し手入れがしてあって戸惑うところもあったが、おなじみのお友だちたちが声をかけてくださり、少し細くなってよかったわね!などと仰りながら私の周りを取り囲んでくださり、涙が出るくらい嬉しかった。 ごく親しいお友だちは「伊藤さん!」と声掛けをしてくださった。
今日もジムに行くつもりで、すっかり用意をして出ようとしていたところ、近所のお友だちが池袋の東武デパートで北海道食品展をしているから行かないか?と誘ってくださったので、急に方向転換をして、彼女に付き合った。 可也込み合っていたけれど、私は出し昆布とハッカ飴を求めた。 友人は蟹、いくら、生うにののったすし飯を誘ったから・・・と私の分まで求めてくださって、夕食に楽しんだ。 そのすし飯の売れる事、売れる事! それに並んで待ちながら料理人さん達の手の動きの速さと正確さに感心しきり。
台所にも新しいレンジがセットされ、気になっていたネズミの穴も職人さんによって塞がれネズミがかじった(信じられないかもしれないけれど、クマネズミがかじって開いた穴が気になっていた)一年間我慢してガムテープを貼っていたのだけれど、ようやくすっきりした。 でも少し使い方を研究する必要がある。
昨日、ジムに行って見て、マシンの位置とか、器具も少し手入れがしてあって戸惑うところもあったが、おなじみのお友だちたちが声をかけてくださり、少し細くなってよかったわね!などと仰りながら私の周りを取り囲んでくださり、涙が出るくらい嬉しかった。 ごく親しいお友だちは「伊藤さん!」と声掛けをしてくださった。
今日もジムに行くつもりで、すっかり用意をして出ようとしていたところ、近所のお友だちが池袋の東武デパートで北海道食品展をしているから行かないか?と誘ってくださったので、急に方向転換をして、彼女に付き合った。 可也込み合っていたけれど、私は出し昆布とハッカ飴を求めた。 友人は蟹、いくら、生うにののったすし飯を誘ったから・・・と私の分まで求めてくださって、夕食に楽しんだ。 そのすし飯の売れる事、売れる事! それに並んで待ちながら料理人さん達の手の動きの速さと正確さに感心しきり。
2010年1月17日日曜日
二か月ぶりのジムその2
昨日は健美操のある日だったので思い切ってジムに行こうと思った。 一週間ほど前から今日こそは、今日こそはと思いつつ、一週間以上も経ってしまった。 二か月以上も行かないと何となく友人達に会うのも、なんだか気恥かしい感じ。
ジムのルールが変わって、十時前には中に入れないと聞いていたので、丁度十時にジムに着いた。 何人かの友人が「しばらくね~、どうなさったの?」と尋ねてくださった。 私は事情を話しながら受付に向かったお友だちから聞いていたようにカードも変わっていた。 健美操は人気があるので、回りの方は余り変わっていらっしゃらなくて、ほっとした。 以前のようにAさんの後ろに場所をとれて、なんだか、ほっとした。
インストラクターも私が休んだ理由を御存じの様で、二か月のブランクを感じないでパフォーマンスをすることが出来た。 ロッカーで、私の入院を御存じの方々は温かい言葉を掛けてくださった。 帰り道、私を待っていて下さったMさんと家の近くまで話しながら、なんだか若い日の女学生に戻ったような心温かい、久しぶりのジムだった。
ジムのルールが変わって、十時前には中に入れないと聞いていたので、丁度十時にジムに着いた。 何人かの友人が「しばらくね~、どうなさったの?」と尋ねてくださった。 私は事情を話しながら受付に向かったお友だちから聞いていたようにカードも変わっていた。 健美操は人気があるので、回りの方は余り変わっていらっしゃらなくて、ほっとした。 以前のようにAさんの後ろに場所をとれて、なんだか、ほっとした。
インストラクターも私が休んだ理由を御存じの様で、二か月のブランクを感じないでパフォーマンスをすることが出来た。 ロッカーで、私の入院を御存じの方々は温かい言葉を掛けてくださった。 帰り道、私を待っていて下さったMさんと家の近くまで話しながら、なんだか若い日の女学生に戻ったような心温かい、久しぶりのジムだった。
2010年1月16日土曜日
二か月ぶりのジム その1
年が明けてから、明日からジムへ行く、と心に決めてから、もう一週間以上も過ぎてしまった。 明日こそ、と思っていたが、その日に下の妹の親友で、また私と妹とで仲人役をした方が突然亡くなったというお報せがあった。
その方は、今、まだ60代半ばで、御主人を亡くされてから、7,8年経ったところでの突然の訃報に妹は電話の向こうで泣きじゃくりながらそのことを私に知らせて来た。 今時の女性にしては信じがたいことに、その方は、御主人を亡くされてから鬱状態になり、最近ようやく私たちにもお会い下さるほどに回復されていた。 そんなこんなで、急きょお通夜とご葬儀も初七日の法要も出席させた頂いた。
何しろ今年は正月元旦からパソコンのプリンターを床に落としてぐちゃぐちゃに壊してしまい、正月から縁起でもない!・・・と思ったりしていたので「来た!」と思ったが、私よりずいぶん若い方の訃報は、いまだに信じがたいこと!
私は割に切り替えの早いタイプなので、プリンターのことも、Kさんのことも旧暦で考える事に決めた。 そして、私の夫も69歳で急に亡くなり、私は当時まだ61歳で、その上老母は隣に住まっていたものの、私には子もなし、孫もなかったわけだ。 彼女には御立派な医師の御子息が二人もいらっしゃる。 お孫さんも二人半。
前置きが妙に長くなってしまった。 ジム行くのことは次の章で・・・。
その方は、今、まだ60代半ばで、御主人を亡くされてから、7,8年経ったところでの突然の訃報に妹は電話の向こうで泣きじゃくりながらそのことを私に知らせて来た。 今時の女性にしては信じがたいことに、その方は、御主人を亡くされてから鬱状態になり、最近ようやく私たちにもお会い下さるほどに回復されていた。 そんなこんなで、急きょお通夜とご葬儀も初七日の法要も出席させた頂いた。
何しろ今年は正月元旦からパソコンのプリンターを床に落としてぐちゃぐちゃに壊してしまい、正月から縁起でもない!・・・と思ったりしていたので「来た!」と思ったが、私よりずいぶん若い方の訃報は、いまだに信じがたいこと!
私は割に切り替えの早いタイプなので、プリンターのことも、Kさんのことも旧暦で考える事に決めた。 そして、私の夫も69歳で急に亡くなり、私は当時まだ61歳で、その上老母は隣に住まっていたものの、私には子もなし、孫もなかったわけだ。 彼女には御立派な医師の御子息が二人もいらっしゃる。 お孫さんも二人半。
前置きが妙に長くなってしまった。 ジム行くのことは次の章で・・・。
2010年1月10日日曜日
年賀状と電話
今年の年賀状の中で、何人かの親しい方に、私が昨年十一月に入院して手術したことを書いた。
そのうちごく親しい友人や従妹からお見舞いの電話をいただいた。
何時ものことながら、私の状態を説明して今はもう大丈夫よ、と御心配をかけたことを詫びたり、感謝したり
した後、およそ、その時間の5倍は、その方の現在の悩みを聞かされる立場に変わる。 そしてその時間はおよそ、一時間。 今は完全に体調も元に戻ったから、いいようなものの、何故? 私は話しやすい人なのか?
その方の方が私よりずっと不幸なのか? 私が一人暮らしでヒマだと思うからなのか? 電話を切った後、しばらく考えてしまうことがある。
多分一人暮らしの私は、家族がある方ほどの悩みが無いか? またはその方達は他にこぼす人がいないからなのかしら? 人間誰だって、自分の思い通りに人生、生きられるはずもないし、何事も考えながら、自分で決めるしかないのでは・・・? こぼしたことでその方の悩みが軽くなるのかしらねぇ?
そのうちごく親しい友人や従妹からお見舞いの電話をいただいた。
何時ものことながら、私の状態を説明して今はもう大丈夫よ、と御心配をかけたことを詫びたり、感謝したり
した後、およそ、その時間の5倍は、その方の現在の悩みを聞かされる立場に変わる。 そしてその時間はおよそ、一時間。 今は完全に体調も元に戻ったから、いいようなものの、何故? 私は話しやすい人なのか?
その方の方が私よりずっと不幸なのか? 私が一人暮らしでヒマだと思うからなのか? 電話を切った後、しばらく考えてしまうことがある。
多分一人暮らしの私は、家族がある方ほどの悩みが無いか? またはその方達は他にこぼす人がいないからなのかしら? 人間誰だって、自分の思い通りに人生、生きられるはずもないし、何事も考えながら、自分で決めるしかないのでは・・・? こぼしたことでその方の悩みが軽くなるのかしらねぇ?
2010年1月3日日曜日
早朝アの火事
昨日は友人と大分歩いたので、ぐっすり寝込んでいた。 午前5時40分過ぎ?たころ、消防自動車のけたたましい音がした。 最近救急車の数が足りずに救急車の代わりに消防車が来ることがあるので、多分そうだろうと思っていた。
ところがその消防車は消火した後にならす鐘を鳴らして、私の家の前に止まった。 少し様子が変だったので
表通りに面した雨戸を開けて外を見た。 消防自動車が少し斜めになって家の玄関先に止まっていた。
はるか空を眺めたら黒煙が上がっていた。 気になりながら、とりあえず又ベッドに戻った。
寒いのと、煙しか見えなかったので、ボヤだろうと思って、朝8時過ぎに目を覚まし外を見たら、まだ消防車は止まっていて顔を煤だらけにした消防隊員が車の上で呆然と立っているのが見えた。 あれから、3時間も経っている・・・若しかしたら、大変なことだったのかしら?と思いながら母校青山学院が40年ぶりに参加している箱根大学駅伝を見ていた。 途中にカットインしたニュースで「久が原の火災で三人亡くなったと報じていた。 そのあとのNHKニュースでも知り合いのIさんがテレビで大写しになって出ていらっした。
駅伝で青山学院が8位で来年の出場権を得たのを見届けて外に様子を見に行った。 火災の場所は意外に近く私が見に行ったころには、新聞記者、テレビ関係者がいっぱいだった。 焼けた家は袋小路になっていて、以前私が自治会の副会長をしていたころ、要望にこたえて、街路灯を設置したところだった。
巷の声は家が4軒とか8軒とか、私の記憶では2軒で、こんなところに、こんな小さな家があったのだ、と驚いた。 可也古いお家だった。 のちほど行って見て、跡形もないほどに燃えつくされていたのには、驚いた。 見物人が大勢で、道は通れないようにアチコチ綱が張りめぐらされていた。 このあたりは道が縦横に通れるようになっているので、見物渋滞にも対応出来るが、その数には驚かされた。
ところがその消防車は消火した後にならす鐘を鳴らして、私の家の前に止まった。 少し様子が変だったので
表通りに面した雨戸を開けて外を見た。 消防自動車が少し斜めになって家の玄関先に止まっていた。
はるか空を眺めたら黒煙が上がっていた。 気になりながら、とりあえず又ベッドに戻った。
寒いのと、煙しか見えなかったので、ボヤだろうと思って、朝8時過ぎに目を覚まし外を見たら、まだ消防車は止まっていて顔を煤だらけにした消防隊員が車の上で呆然と立っているのが見えた。 あれから、3時間も経っている・・・若しかしたら、大変なことだったのかしら?と思いながら母校青山学院が40年ぶりに参加している箱根大学駅伝を見ていた。 途中にカットインしたニュースで「久が原の火災で三人亡くなったと報じていた。 そのあとのNHKニュースでも知り合いのIさんがテレビで大写しになって出ていらっした。
駅伝で青山学院が8位で来年の出場権を得たのを見届けて外に様子を見に行った。 火災の場所は意外に近く私が見に行ったころには、新聞記者、テレビ関係者がいっぱいだった。 焼けた家は袋小路になっていて、以前私が自治会の副会長をしていたころ、要望にこたえて、街路灯を設置したところだった。
巷の声は家が4軒とか8軒とか、私の記憶では2軒で、こんなところに、こんな小さな家があったのだ、と驚いた。 可也古いお家だった。 のちほど行って見て、跡形もないほどに燃えつくされていたのには、驚いた。 見物人が大勢で、道は通れないようにアチコチ綱が張りめぐらされていた。 このあたりは道が縦横に通れるようになっているので、見物渋滞にも対応出来るが、その数には驚かされた。
2010年1月2日土曜日
初詣
妹達はそれぞれ、初もうでをしたという。 私も今日は・・・と思っていたら、弟夫妻が御挨拶と仏様にお参りに来ると、電話があった。
母校青山学院が今年は箱根駅伝に出るということもあって、応援しているうちに弟夫妻が来て、しばらくそれを見ながら三時ごろまで色々な話をしながらお茶をした。
お天気もまずまずだったので、その後ご近所のお友達を誘って、近所の氏神様を手初めに? 散歩がてら久が原東八幡神社から西八幡神宮、次に西八幡神社の近くの出世観音、ついでに甥の通っていた天使幼稚園のソバの教会、何時も通り過ぎるだけのお寺などにも入ってみてお友だちにそのお寺の湧水の話などをしながら、充分すぎるほどの散歩を楽しんだ。
以前、第二京浜の東側、バス停の呼び名も’久が原馬頭観音’と言っていた辺りにも七福神の祠ようなものがあって尋ね歩いたことがあったが、探しながらまた一定の目的を持って歩けば色々面白く、古い話も伝えられると思う。 今日も八幡神社には何人かの参拝者に出会った。 昨日公認会計士の甥が「神社、寺院のお賽銭は経費のかからない収入元だ」と言っていたが、最近のこのあたりの神社の収入は大したことではないだろうと、私は思って何時もより少しお賽銭をはずんだ。 特に見返りを期待していたわけではないけれど・・・。
母校青山学院が今年は箱根駅伝に出るということもあって、応援しているうちに弟夫妻が来て、しばらくそれを見ながら三時ごろまで色々な話をしながらお茶をした。
お天気もまずまずだったので、その後ご近所のお友達を誘って、近所の氏神様を手初めに? 散歩がてら久が原東八幡神社から西八幡神宮、次に西八幡神社の近くの出世観音、ついでに甥の通っていた天使幼稚園のソバの教会、何時も通り過ぎるだけのお寺などにも入ってみてお友だちにそのお寺の湧水の話などをしながら、充分すぎるほどの散歩を楽しんだ。
以前、第二京浜の東側、バス停の呼び名も’久が原馬頭観音’と言っていた辺りにも七福神の祠ようなものがあって尋ね歩いたことがあったが、探しながらまた一定の目的を持って歩けば色々面白く、古い話も伝えられると思う。 今日も八幡神社には何人かの参拝者に出会った。 昨日公認会計士の甥が「神社、寺院のお賽銭は経費のかからない収入元だ」と言っていたが、最近のこのあたりの神社の収入は大したことではないだろうと、私は思って何時もより少しお賽銭をはずんだ。 特に見返りを期待していたわけではないけれど・・・。
明けましておめでとうございます
久しぶりで東京、久が原で一人で迎えた新年。 一人分のお雑煮も少なくなんだか淋しい。
例年通り下の妹家族が集まって新年会をするので私も加わらせていただき、午後一時ごろ妹宅へ、という約束だったが、家を出る前、出し損ねた友人に年賀状をパソコンで印刷しようとして印刷機を、床に落として、壊してしまい、年明け早々縁起でもない・・・とすっかり滅入ってしまった。 そんなこんなで、出かけるのが遅れて、皆に気をつかわせて申し訳なかった。
妹達の孫、総勢三人のお姫様達は私と遊びたがって大歓迎してくれた。 妹は先日作ったおせち料理の他に洋風の前菜やロースト・ビーフ、グラタン、お結びなども作っていて、大変だったわね~と感心しきり・・・私も何十年か前、夫がいて、母が隣にいた時ローストビーフを焼いたり、おせちのほかにお結びを作ったりしたよね~若かったから出来ることもある。
それにしても、妹は素敵なお皿を出したり、グラスを並べたり、客観的に見ても、よくやるよね~と感心した次第。やさしい二人の息子とお嫁さんがいて、三人の可愛い女の子の孫がいて、幸せだよね~・・・と駅から自宅への人っ子一人逢わなかった、道々、羨ましく思いながら灯りのない我が家に戻った。
例年通り下の妹家族が集まって新年会をするので私も加わらせていただき、午後一時ごろ妹宅へ、という約束だったが、家を出る前、出し損ねた友人に年賀状をパソコンで印刷しようとして印刷機を、床に落として、壊してしまい、年明け早々縁起でもない・・・とすっかり滅入ってしまった。 そんなこんなで、出かけるのが遅れて、皆に気をつかわせて申し訳なかった。
妹達の孫、総勢三人のお姫様達は私と遊びたがって大歓迎してくれた。 妹は先日作ったおせち料理の他に洋風の前菜やロースト・ビーフ、グラタン、お結びなども作っていて、大変だったわね~と感心しきり・・・私も何十年か前、夫がいて、母が隣にいた時ローストビーフを焼いたり、おせちのほかにお結びを作ったりしたよね~若かったから出来ることもある。
それにしても、妹は素敵なお皿を出したり、グラスを並べたり、客観的に見ても、よくやるよね~と感心した次第。やさしい二人の息子とお嫁さんがいて、三人の可愛い女の子の孫がいて、幸せだよね~・・・と駅から自宅への人っ子一人逢わなかった、道々、羨ましく思いながら灯りのない我が家に戻った。
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