私がクライスト・チャーチという都市名に親しみを持ったのは、今からおよそ50年前のこと。
その頃、今は亡き夫を黒田初子先生から紹介され、その翌年夫は会社の命令で、大勢の踊り子さん、越路吹雪さん、ジェームス繁田さん達とオーストラリア、ニュジーランドへ公演旅行に行ってしまった。 (まさに、行ってしまった、という言葉が適切だと思う)
結婚したのちも、台湾、香港、イギリスのロンドンなどへ行かされた後再びオーストラリア、ニュージーランドへ行く羽目になった。
夫は、ニュージーランドのクライスト・チャーチが気に入っていて「緑がトテモきれいだし、見せてやりたいよ!」と言っていた。 移住したいなどと、恐ろしいことも言ったりしていた。
夫が亡くなってから、一度、是非ニュージーランドに行こう!という思いが強くなった。 高校時代の友人とヨーロッパ旅行をしてしばらくして、その思いが実現できる機会が来た。
そのお友達が旅行会社にニュージーランド旅行があるわよ! と知らせてくれて、ただちに応募した。
夜ニュジーランド航空で、成田を発つて、翌朝クライストチャーチに到着。
11月だったので、ニュジーランドは春の盛り。 空港からバスで、桜咲く道をクライストチャーチで、ガーディニングで優勝した方のお庭を案内してくれるという、私にはトテモ幸せなクライストチャチの第一歩だった。 そんなに広いお庭ではなかったが、桜、桃の花が満開、地面には三色すみれ、私の好きな野すみれ、ドイツすみれなど所せましと咲き乱れていた。 あまり英語を話せる方がいなかったので、私は一人で、質問をした。
そのあと、ホテルから歩いて、テレビの画面に出てきている、街と芝生の広い公園を通って、疏水(運河)のある場所に行き、手漕ぎボートに乗った。 その運河はロンドン郊外のケンブリッジ大学の傍の運河にそっくりで、たぶんそれを模したのだろう・・・と母国から移住した方たちの、英国に対にするノスタルジーを感じた。
そのあと、ホテルに戻る前、私が誘って添乗員さんも一緒に喫茶店に入り、うかつにも、私はその店に買ったばかりのデジカメを置き忘れた。 そのことは承知していたが、その夜も、翌朝も私は取りにいかなかった。
クライストチャーチへのお土産! そう思った。 その中にはロンドンで撮った写真も入ったいた。
私って、ヘン?
2011年2月23日水曜日
2011年2月21日月曜日
イタリアン・レストラン
ジムのお友達がランチに誘ってくださった。 月曜日はジムがお休みなので、ジムのお友達三人で、バス停で待ち合わせた。
そのレストランは五反田駅から歩いて五分くらいのどころにある。 先日京都から出て来ていた、姪の家族と下の妹と行ったファミレスの反対側にこんな素敵なイタリアン・レストランがあったとは・・・?
お昼時で、そのレストランはほぼ満員。 例によって、そのほとんどのお客が中年以上の女性客! それでも場所がよいことと、値段もそこそこなので、男性の姿も何人か・・・。
私たちはランチを注文したけれど、前菜は大きめの生ハム、野菜もたっぷりだった。 カニのショウト・パスタ、コーヒー、デザートつきで1850円は高くはない・・・と思った。 そのレストランが経営しているパン屋さんでパンを求めて、満足! パンはややハード系だったが、種類は多かった。
五反田も駅向こうにはいろいろ素敵なレストランもあるのを、何十年も五反田に住んでいても気が付かなくって、大分損した! その上、先夜、皆で夕食をしたとき知っていれば、よかったのに~。 姪と何年か前、五反田で食事するところを探したが、このレストランはその後にできたのかしら?
ジムの食いしん坊友達のおかげで、いろいろレストランを紹介していただいて、嬉しいこと!
そのレストランは五反田駅から歩いて五分くらいのどころにある。 先日京都から出て来ていた、姪の家族と下の妹と行ったファミレスの反対側にこんな素敵なイタリアン・レストランがあったとは・・・?
お昼時で、そのレストランはほぼ満員。 例によって、そのほとんどのお客が中年以上の女性客! それでも場所がよいことと、値段もそこそこなので、男性の姿も何人か・・・。
私たちはランチを注文したけれど、前菜は大きめの生ハム、野菜もたっぷりだった。 カニのショウト・パスタ、コーヒー、デザートつきで1850円は高くはない・・・と思った。 そのレストランが経営しているパン屋さんでパンを求めて、満足! パンはややハード系だったが、種類は多かった。
五反田も駅向こうにはいろいろ素敵なレストランもあるのを、何十年も五反田に住んでいても気が付かなくって、大分損した! その上、先夜、皆で夕食をしたとき知っていれば、よかったのに~。 姪と何年か前、五反田で食事するところを探したが、このレストランはその後にできたのかしら?
ジムの食いしん坊友達のおかげで、いろいろレストランを紹介していただいて、嬉しいこと!
2011年2月19日土曜日
「最後の皇帝」の弟君の・・・・
今日の朝日新聞の夕刊に清朝「最後の皇帝」の弟、海越ゆる愛という見出しに目をとめた。
何年かに一回は清朝最後の皇帝の弟君愛新覚羅溥儀様の弟君、溥傑様と結婚なさった浩様の話題を見る。
偶然、私は浩様の弟様そしてまだ幼かった浩様のお子様方にお会いしたことがある。
浩様の弟様S様とは戦後流行っていた社交ダンスの会でご一緒だったし、その奥様とは私たちの仲人だった方の料理教室でご一緒で、その後もご一緒にドレスデン、ウィーンなどにも旅行したり、ときたま密にお付き合いさせていただいていた。 (悲しいことに彼女は一昨年急に御病気で亡くなった。 お会いしましょうよ~とお電話があって、それも叶わぬことだった。
今日の夕刊で改めて思い出したのは・・・その記事は溥傑様と浩さま(その頃はまだ国交がなく、溥傑様と浩様は中国と日本に別れて住んでいらっしやった)が交換なさったお手紙がM様方で発見された・・・という記事を見て、そのMさん、つまり浩様の妹様のご長女に私は何年か前、自宅でお料理を教えていた。 それも、かなり偶然の出会いだった。
浩さまが住まわれていたお宅にお尋ねしたこともあった。 そのお友達からいろいろニュースで報じられなかったお話もうかがったことがある。
あれから、もうずいぶん長い日が過ぎている~
何年かに一回は清朝最後の皇帝の弟君愛新覚羅溥儀様の弟君、溥傑様と結婚なさった浩様の話題を見る。
偶然、私は浩様の弟様そしてまだ幼かった浩様のお子様方にお会いしたことがある。
浩様の弟様S様とは戦後流行っていた社交ダンスの会でご一緒だったし、その奥様とは私たちの仲人だった方の料理教室でご一緒で、その後もご一緒にドレスデン、ウィーンなどにも旅行したり、ときたま密にお付き合いさせていただいていた。 (悲しいことに彼女は一昨年急に御病気で亡くなった。 お会いしましょうよ~とお電話があって、それも叶わぬことだった。
今日の夕刊で改めて思い出したのは・・・その記事は溥傑様と浩さま(その頃はまだ国交がなく、溥傑様と浩様は中国と日本に別れて住んでいらっしやった)が交換なさったお手紙がM様方で発見された・・・という記事を見て、そのMさん、つまり浩様の妹様のご長女に私は何年か前、自宅でお料理を教えていた。 それも、かなり偶然の出会いだった。
浩さまが住まわれていたお宅にお尋ねしたこともあった。 そのお友達からいろいろニュースで報じられなかったお話もうかがったことがある。
あれから、もうずいぶん長い日が過ぎている~
2011年2月15日火曜日
雪が降って・・・・
昨日は珍しくかなりの雪。
いい年なのだから?ジムに行くのはよそう・・・と思ったものの、しゃべる人もなくごちゃごちゃ身近な引き出しをかたずける。 何しろ、この暖かい部屋から出たくなかった。
今日も雪解けで、滑ったりしたら~・・・と思って、家にとどまることに決めた。
日が差してきたので、二階の和室の戸棚を整理することを思いつき、妙なものを見つけて、午前中はそれらを読みふけって過ごしてしまった。
一つは、学校時代の通信簿、小学校から高校までの成績表。 まあ~、まあ~・・・好成績とは言えないものの、とっておくものでもないと思って破り捨てた。
次に見つけたのは、20歳ころに書き留めた”小説” 書き殴りのものながら、ケッコウよく書けているというか、その頃翻訳ものや、日本人の作家のものもいろいろ読みふけっていたので、かなり古臭い言い回しが我ながら笑止。 今でも、時々、小説を書いてみたいと思うこともある。
古い写真も子のない私はとっておく理由もないかと思いながらも捨て去る勇気はなかった。
それに、30年くらい前、サンフランシスコに住んでいた下の妹からのエヤー・メールの束もそのまま収めた。
それでも、空き箱などもどけると可なりかたずいた・・・と私は思いたい。
いい年なのだから?ジムに行くのはよそう・・・と思ったものの、しゃべる人もなくごちゃごちゃ身近な引き出しをかたずける。 何しろ、この暖かい部屋から出たくなかった。
今日も雪解けで、滑ったりしたら~・・・と思って、家にとどまることに決めた。
日が差してきたので、二階の和室の戸棚を整理することを思いつき、妙なものを見つけて、午前中はそれらを読みふけって過ごしてしまった。
一つは、学校時代の通信簿、小学校から高校までの成績表。 まあ~、まあ~・・・好成績とは言えないものの、とっておくものでもないと思って破り捨てた。
次に見つけたのは、20歳ころに書き留めた”小説” 書き殴りのものながら、ケッコウよく書けているというか、その頃翻訳ものや、日本人の作家のものもいろいろ読みふけっていたので、かなり古臭い言い回しが我ながら笑止。 今でも、時々、小説を書いてみたいと思うこともある。
古い写真も子のない私はとっておく理由もないかと思いながらも捨て去る勇気はなかった。
それに、30年くらい前、サンフランシスコに住んでいた下の妹からのエヤー・メールの束もそのまま収めた。
それでも、空き箱などもどけると可なりかたずいた・・・と私は思いたい。
2011年2月13日日曜日
今日は亡母の祥月命日
先のブログに書き忘れた!
今日は母が亡くなって、15回目の祥月命日だ・・・ということを記憶はしていたが、ブログに書いていなかった。 とりあえず、母が好きだった花束を買って、友人から頂いていた、珍しいお菓子を仏前に供えた。
午前中、京都の妹から電話があって、「今日はお母様の御命日ね?」と言っていたが、他には特にコメントはなかった。 長男からは何のメッセージもない。 長女の私が仏壇を預かっているのだから、少なくとも命日だけは、覚えていて、それなりのお供えとか、お花を仏前に供えなければ・・・と、今日は家にいようと思っていたが、駅前のお花屋さんに行って、いつもより少し華やかな花束を買って供えた。
自分も80歳になって、むろんアチラへの道のほうが断然近くなっているのだから、仏のことは、丁寧にするべきだと、思いはいても、在世の事?のほうが優先してしまう。
母が隣と私の家の間を花ばさみと、切った花を持って、静かに歩いていた姿を懐かしく思い出し、15年前の最期の瞬間のことを、今は静かに、冷静に思い出すことができる。 ずいぶん年月が過ぎたような、ついこの間の事のような~・・・・。
今日は母が亡くなって、15回目の祥月命日だ・・・ということを記憶はしていたが、ブログに書いていなかった。 とりあえず、母が好きだった花束を買って、友人から頂いていた、珍しいお菓子を仏前に供えた。
午前中、京都の妹から電話があって、「今日はお母様の御命日ね?」と言っていたが、他には特にコメントはなかった。 長男からは何のメッセージもない。 長女の私が仏壇を預かっているのだから、少なくとも命日だけは、覚えていて、それなりのお供えとか、お花を仏前に供えなければ・・・と、今日は家にいようと思っていたが、駅前のお花屋さんに行って、いつもより少し華やかな花束を買って供えた。
自分も80歳になって、むろんアチラへの道のほうが断然近くなっているのだから、仏のことは、丁寧にするべきだと、思いはいても、在世の事?のほうが優先してしまう。
母が隣と私の家の間を花ばさみと、切った花を持って、静かに歩いていた姿を懐かしく思い出し、15年前の最期の瞬間のことを、今は静かに、冷静に思い出すことができる。 ずいぶん年月が過ぎたような、ついこの間の事のような~・・・・。
ハロー?諒ちゃん!
昨日、京都から上京している、姪夫妻と諒ちゃんに会いに行った。
下の妹の夫が旅行中だったので、妹も誘い、雪にならないといいなあ~と思いながら富ヶ谷へ向かった。
私が妹宅への坂道を歩いていたら、偶然姪たちが道に立って諒ちゃんはパパにだっこされて、私を見て、嬉しそうにニコニコ笑ってくれた。 お正月に何日か一緒に遊んだので覚えてくれていたらしい。
姪が買って来ていた積木で、しばらく遊んで、昼食をいただいたころ、下の妹が合流した。 皆で楽しくお茶をして、夕食は私を車で送りかたがた家まで送ってくれた。
以上は、昨日の事で・・・・。 今朝、下の妹と電話中、割り込み電話がかかってきた。 「誰から?」とりあえず妹との電話を切って、その電話に出た。 「う~、う~」と聞き覚えのある声が伝わってきた。 「諒ちゃん?」と私が訊ねた。 また「う~、う~」と返事が返ってきた。 諒ちゃんからに違いない。 まだ一年八か月の諒ちゃんからの電話に驚いて、私は「お馬、ひ~ん、ひ~ん、 牛、、もう、も~も~、
鶏さん コケ~コッコウ!」と言ったら、また「う~、う~!」と何か言って、電話はがしゃ、がしゃと不規則な音で切られた。
私は少しあわてて、もしほかの方だったら?・・・と思って折り返して電話した。
パパが出て、諒ちゃんからだという証明をしてくれて、安心した。 手近にある電話が気に入って、暗証番号が入っている私に電話したに違いない。 昨日も姪が110番にしないでよ!と言っていた。 どの子も一時電話に興味を持って、大人が想像できないようなことをしてしまうこともある。
下の妹の夫が旅行中だったので、妹も誘い、雪にならないといいなあ~と思いながら富ヶ谷へ向かった。
私が妹宅への坂道を歩いていたら、偶然姪たちが道に立って諒ちゃんはパパにだっこされて、私を見て、嬉しそうにニコニコ笑ってくれた。 お正月に何日か一緒に遊んだので覚えてくれていたらしい。
姪が買って来ていた積木で、しばらく遊んで、昼食をいただいたころ、下の妹が合流した。 皆で楽しくお茶をして、夕食は私を車で送りかたがた家まで送ってくれた。
以上は、昨日の事で・・・・。 今朝、下の妹と電話中、割り込み電話がかかってきた。 「誰から?」とりあえず妹との電話を切って、その電話に出た。 「う~、う~」と聞き覚えのある声が伝わってきた。 「諒ちゃん?」と私が訊ねた。 また「う~、う~」と返事が返ってきた。 諒ちゃんからに違いない。 まだ一年八か月の諒ちゃんからの電話に驚いて、私は「お馬、ひ~ん、ひ~ん、 牛、、もう、も~も~、
鶏さん コケ~コッコウ!」と言ったら、また「う~、う~!」と何か言って、電話はがしゃ、がしゃと不規則な音で切られた。
私は少しあわてて、もしほかの方だったら?・・・と思って折り返して電話した。
パパが出て、諒ちゃんからだという証明をしてくれて、安心した。 手近にある電話が気に入って、暗証番号が入っている私に電話したに違いない。 昨日も姪が110番にしないでよ!と言っていた。 どの子も一時電話に興味を持って、大人が想像できないようなことをしてしまうこともある。
2011年2月6日日曜日
ようやく、落ち着いたかな?
満期になった預金の書き換え、パソコンのセッテイング、などで何時もと違った人の出入り、しかも、いずれも一回では済まず、再度の訪問で少しイライラしていた。 しかも、このパソコンの代金が「間違って、とりすぎたので、お返しします・・・」とか、郵便局の通帳の入金ミスなど、いずれも相手方のミスのため、それらをすべてクリアーするのに、再度の訪問を受けたり、パソコンの販売店に行ったり・・・それらすべては私のミスではない!と言い切れる。
土曜日ですべて解決して、今日の日曜日は、逆に何をすべきか・・・静かで、やや退屈な日となった。
ぼんやり、テレビのBSでシャンソン歌手のエデッと・ピアフの人生とパリを映していたので、それからこれへと、思い出を~・・・廻らせた。
初めてパリに行ったのは、42年くらい前のことだった。 夫の仕事上、同行した演出家、振付師と色々なショウを見て歩いて、ホテルに戻ったのはいつも午前様だった。 私は夜出かけるときは、無理やり着物を着て行き、その着替えも15分くらいしかなく、今ではとても無理な話だ。 シャンゼリゼ通りを歩いていて、作り付けの帯が解けそうになったのも、思い出せば笑える話だ。
パリのオペラ座で有名な振付師、ヌレエーエフ、その夫人のトップ、プリマドンナ(名前を思い出せない)と握手したのも、パリの思いだの一つ。
土曜日ですべて解決して、今日の日曜日は、逆に何をすべきか・・・静かで、やや退屈な日となった。
ぼんやり、テレビのBSでシャンソン歌手のエデッと・ピアフの人生とパリを映していたので、それからこれへと、思い出を~・・・廻らせた。
初めてパリに行ったのは、42年くらい前のことだった。 夫の仕事上、同行した演出家、振付師と色々なショウを見て歩いて、ホテルに戻ったのはいつも午前様だった。 私は夜出かけるときは、無理やり着物を着て行き、その着替えも15分くらいしかなく、今ではとても無理な話だ。 シャンゼリゼ通りを歩いていて、作り付けの帯が解けそうになったのも、思い出せば笑える話だ。
パリのオペラ座で有名な振付師、ヌレエーエフ、その夫人のトップ、プリマドンナ(名前を思い出せない)と握手したのも、パリの思いだの一つ。
2011年2月4日金曜日
パソコンを新しくしました
今まで使っていたパソコンの調子が悪く、どうにも回復できず、思い切ってパソコンを変えた。 最初に求めたものの三分の一の値段で手に入れることができた。
型は以前に使っていたFMVなのですぐに慣れると思うのだが、あまりにも機能が多くて使いこなすのが難しそう、それに理解力、記憶力の衰えも加わって来てるし・・・。 業者から紹介された技術者にセッティングをお願いしたのだけれど、私の理解力が鈍ったのと、必要書類の整理がいい加減だったので、今まで使っていたパソコンを引き取ってもらうのが、大変だった。
私も若いころから英語お教えたり、華道を教えたり、料理の指導もしてきているので、教えるということは、我慢、辛抱、ということは、よ~く分かっているつもり、しかも私の年齢では・・・・。 ただ、この際感じたのは記憶力の低下、ということで、これは個人差があることだけれど、そのことで落ち込むことは否めない。
はて、何歳くらいまでパソコンと闘うことができるのだろうか・・・・・? これからの私の挑戦! あきらめずに、見守ってください!
型は以前に使っていたFMVなのですぐに慣れると思うのだが、あまりにも機能が多くて使いこなすのが難しそう、それに理解力、記憶力の衰えも加わって来てるし・・・。 業者から紹介された技術者にセッティングをお願いしたのだけれど、私の理解力が鈍ったのと、必要書類の整理がいい加減だったので、今まで使っていたパソコンを引き取ってもらうのが、大変だった。
私も若いころから英語お教えたり、華道を教えたり、料理の指導もしてきているので、教えるということは、我慢、辛抱、ということは、よ~く分かっているつもり、しかも私の年齢では・・・・。 ただ、この際感じたのは記憶力の低下、ということで、これは個人差があることだけれど、そのことで落ち込むことは否めない。
はて、何歳くらいまでパソコンと闘うことができるのだろうか・・・・・? これからの私の挑戦! あきらめずに、見守ってください!
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