今週の木曜日は横浜に行き、金曜日はインフルエンザの注射をしたので、運動は控えてくださいとお医者様のご注意があったので、ジムを休んだ。
今日は楽しみにしている健美操の日なので、勇んで?出席した。
ジムの中で私のブログを読んで下さる方が三人いらっして、その中のお一人が私のブログを見て心配して仲良しのお友だちに「伊藤さん、少しおやせになったのじゃない?」とたずねてくださったとか。 ご本人?としては痩せた、ということに喜んで敏感に反応する事を、そのお友だちは伝えてくださったかしら?
もうひとり、ブログを読んでくださっているお友だちは今日のクラスで、何時も私の前の席でパフォーマンスをなさる方が、帰りがけのロッカーで高価なお昆布の包みをそっと下さった。 「神宗」と記してあるので、
たしか、ご利益があるのではないかしら? 大事に味あわせていただきます。
以前、私のブログを見て直ぐに電話をした下さった方、何時でも自転車でかけつけて私の話を聞いて下さる方。 先日のヨガの後、病院近いから、何度でもお見舞いに行きますからね、とやさしい言葉を掛けてくださった方。 そんな方々に囲まれて私はホントに有り難く幸せに思う。
2009年10月31日土曜日
2009年10月29日木曜日
秋の中華街元町散歩
例年、今頃は秩父、千葉県辺りに出かけることにしているのだけれど、今年は私の入院もあり、何時も一緒に散歩するお友だちのご主人が前日真夜中に酔っぱらって帰宅、お風呂場で倒れて救急車で大森の女子医大に運ばれて、異常はなかったものの、まるで眠れなくて疲れ果てたとのことで、近場の中華街に行こうということにした。
私宅から横浜は地の利がよい。 田園調布までバスで行き、そこから中華街までまっすぐ。 終点で降り、出口が元町に近かったけれど、二人ともお腹が空いていたので中華街まで行き、以前行ったことのある‘ヘイチンロー’で飲茶を彼女にご馳走になった。 この店は雰囲気もいいし、味もいい店なのだけれど、最後の麺は二人とも無理やり・・・という感じ。
そのあと元町に戻り名の知れた店をアチコチ冷やかし、彼女は輸入品の店でトレンドン?の素敵なカップとレターセットを求め、大満足のようだった。 次にはABCで私もスポーツ・シューズを買った。 かなり良い買い物だったと思う。 彼女が言っていたのは・・・元町の店の定員さん達の感じのよさ、どこの店でもにこやかに嫌な顔を見せずに品物を出してくれる・・・と、以前名古屋の三越で外商をしていた彼女が言うのだから・・・そうなんだ!と・・・。 私は今日はお伴です。 でも、雨にも会わず楽しいそぞろ歩きだった。
私宅から横浜は地の利がよい。 田園調布までバスで行き、そこから中華街までまっすぐ。 終点で降り、出口が元町に近かったけれど、二人ともお腹が空いていたので中華街まで行き、以前行ったことのある‘ヘイチンロー’で飲茶を彼女にご馳走になった。 この店は雰囲気もいいし、味もいい店なのだけれど、最後の麺は二人とも無理やり・・・という感じ。
そのあと元町に戻り名の知れた店をアチコチ冷やかし、彼女は輸入品の店でトレンドン?の素敵なカップとレターセットを求め、大満足のようだった。 次にはABCで私もスポーツ・シューズを買った。 かなり良い買い物だったと思う。 彼女が言っていたのは・・・元町の店の定員さん達の感じのよさ、どこの店でもにこやかに嫌な顔を見せずに品物を出してくれる・・・と、以前名古屋の三越で外商をしていた彼女が言うのだから・・・そうなんだ!と・・・。 私は今日はお伴です。 でも、雨にも会わず楽しいそぞろ歩きだった。
2009年10月26日月曜日
色々考えて・・・だけど・・・・
昨夕ジムの若いお友だちから電話があった。 ブログ見ました・・・と仰って、彼女のお友だちが同じ病院で乳がんの手術をなさったとかで、色々様子を話して下さった。 そのうちもっと詳しい事を伺ってみようと思っている。 周りのお友だちのご親切な思いやりには感謝、感謝。 ふと、立ち寄ってくださったUさんは
言葉の掛けようもない困った様子だった。
私は隠しておくことが好きではないのと、身内?というものが無いので、つい話してしまう。 色々お知恵をいただくこともある。 一人っきりということは、こんな場合ある意味とてつもなく淋しくなる瞬間がある。
土曜日に外科のお医者様が書いてくださった(字とは言えないほど読みにくい図入りの紙を見たら、(インフォームド・コンセント?) 手術時間は2時間半、心配することの中に年齢的なことで脳血栓を起こすこともある・・・と書いてあった。
20年前の子宮筋腫の手術と同じ条件ではないということを悟らざるを得ない。 その瞬間まで、色々準備しなければならないことで頭がいっぱいだったけれど、一応頭の整理がついたところで、少し涙が滲んできた。 すべて、自分でかたずけなければならない・・・という張り詰めた糸が一瞬切れかかった。 に
言葉の掛けようもない困った様子だった。
私は隠しておくことが好きではないのと、身内?というものが無いので、つい話してしまう。 色々お知恵をいただくこともある。 一人っきりということは、こんな場合ある意味とてつもなく淋しくなる瞬間がある。
土曜日に外科のお医者様が書いてくださった(字とは言えないほど読みにくい図入りの紙を見たら、(インフォームド・コンセント?) 手術時間は2時間半、心配することの中に年齢的なことで脳血栓を起こすこともある・・・と書いてあった。
20年前の子宮筋腫の手術と同じ条件ではないということを悟らざるを得ない。 その瞬間まで、色々準備しなければならないことで頭がいっぱいだったけれど、一応頭の整理がついたところで、少し涙が滲んできた。 すべて、自分でかたずけなければならない・・・という張り詰めた糸が一瞬切れかかった。 に
2009年10月24日土曜日
いよいよ入院・手術となりました
今日午後12時半に外科に来るように言われて、待つこと3時間!
私が呼ばれたのは最後だった。 待ちくたびれて少々自棄気味になって腰が痛くなったので、目立たぬように屈伸運動をしたり、足の運動をしたりして、ついに受付に「伊藤ですが、私入ってますよね?」と言ったら「次です」と遂に最後。 それなのに前の方の長いこと、長いこと20分以上も先生の話声だけが聞こえた。
私は前もって用意しておいた三年まえからの腸内の写真を出した。 先生はそれをちらっとご覧になっただけで、パソコンの私の大腸の写真を指しながら、また紙に図を書きながら私の腫瘍が2センチ大になっていることを示された。 その腫瘍は悪性でないことも付け加えられた。 先生が話していらっしゃる間、口をはさむことはできない。 どんどん手術の方へ向いて行く。やうやく「昨年までは1cmだったものがどうして大きくなったのですか?と この腫瘍は遺伝的なもので、ストレスによって大きくなるので、まれに悪性化することもあります。 その悪性という部分には可也神経を使って話された。 まさに母が横行結腸がんだったし私の腫瘍も横行結腸にある。 ここまで話が進んでいくと「手術をしません」とは言えない。 自分の腸を大写しにされ腫瘍の場所は色がかわっている。 科学も進歩したものだ!と遂には感心してきた。
もう午後4時過ぎて、院内は静かに人影も少ない。 予備検査がおわっての看護師さんの話しによると、手術後、集中治療室に二日。 手術後も歩けないといけないのでリハビリが必要だということで、入院期間は2週間だそうだ。 完全に老人扱い?確かに79歳という私の年は老人には違いない。 残念ながら・・・・。
私が呼ばれたのは最後だった。 待ちくたびれて少々自棄気味になって腰が痛くなったので、目立たぬように屈伸運動をしたり、足の運動をしたりして、ついに受付に「伊藤ですが、私入ってますよね?」と言ったら「次です」と遂に最後。 それなのに前の方の長いこと、長いこと20分以上も先生の話声だけが聞こえた。
私は前もって用意しておいた三年まえからの腸内の写真を出した。 先生はそれをちらっとご覧になっただけで、パソコンの私の大腸の写真を指しながら、また紙に図を書きながら私の腫瘍が2センチ大になっていることを示された。 その腫瘍は悪性でないことも付け加えられた。 先生が話していらっしゃる間、口をはさむことはできない。 どんどん手術の方へ向いて行く。やうやく「昨年までは1cmだったものがどうして大きくなったのですか?と この腫瘍は遺伝的なもので、ストレスによって大きくなるので、まれに悪性化することもあります。 その悪性という部分には可也神経を使って話された。 まさに母が横行結腸がんだったし私の腫瘍も横行結腸にある。 ここまで話が進んでいくと「手術をしません」とは言えない。 自分の腸を大写しにされ腫瘍の場所は色がかわっている。 科学も進歩したものだ!と遂には感心してきた。
もう午後4時過ぎて、院内は静かに人影も少ない。 予備検査がおわっての看護師さんの話しによると、手術後、集中治療室に二日。 手術後も歩けないといけないのでリハビリが必要だということで、入院期間は2週間だそうだ。 完全に老人扱い?確かに79歳という私の年は老人には違いない。 残念ながら・・・・。
2009年10月22日木曜日
昨日のつずき
内視鏡での検査が終わったら、点滴も途中で外され、そばで待ってていた下さったCTの係りの技術者?先生?が車いすを押しながら「もしかしたら、悪いものではないようなので腹腔内摘出?、で取られたら、毎年検査なさらなくてもすみますね」と仰る。 私も実はそのことを考えていて、お医者がそれを勧めるのではないか?と思っている。
ところで腹部CTは・・・?私はCTスキャンを撮るのはこれで二回目。 以前、椅子から落ちて、頭を切り同じ病院で頭のCTを撮っていただいた。 車椅子を押して行って下さった先生は、その時の方だと、思い出した。
腹部CTは直ぐに終わった。ガスを肛門から注入して息を吸って止め、3秒くらいで終わり。 ところがそのあとが大変! 支払いが済んで、のどが渇いたので、ジュース・スタンドで立ち止まったら、ガスの連発! 幸い病院業務も終わって人はいなかったので、ほっとして病院の入口を出るときに又5,6連発!
これではバスに乗るわけにはいかないし、途中で久しぶり?の食事の何かを買うのも気が進まず、技師先生がそのことを仰って下さればよかったのに・・・と少し恨みながら池上駅に着いた。まだ心配なので、駅の端っこに立って電車を待ち、丁度電車が駅に入ってきたところで又連発! 電車の音でかき消されたのが幸いした。
千鳥町の駅に着くころには治まったようだった。 これから夕食に何を?食べよう?歩きながら空腹感もつのって、やぶれかぶれ・・・のところに携帯が鳴った。 ご近所のお友だちからで「今日おはぎを作って、伊藤さんのところへ電話したけど、お留守だった」とのこと、文字どおり「地獄に仏」 感謝、感激しきり!
ところで腹部CTは・・・?私はCTスキャンを撮るのはこれで二回目。 以前、椅子から落ちて、頭を切り同じ病院で頭のCTを撮っていただいた。 車椅子を押して行って下さった先生は、その時の方だと、思い出した。
腹部CTは直ぐに終わった。ガスを肛門から注入して息を吸って止め、3秒くらいで終わり。 ところがそのあとが大変! 支払いが済んで、のどが渇いたので、ジュース・スタンドで立ち止まったら、ガスの連発! 幸い病院業務も終わって人はいなかったので、ほっとして病院の入口を出るときに又5,6連発!
これではバスに乗るわけにはいかないし、途中で久しぶり?の食事の何かを買うのも気が進まず、技師先生がそのことを仰って下さればよかったのに・・・と少し恨みながら池上駅に着いた。まだ心配なので、駅の端っこに立って電車を待ち、丁度電車が駅に入ってきたところで又連発! 電車の音でかき消されたのが幸いした。
千鳥町の駅に着くころには治まったようだった。 これから夕食に何を?食べよう?歩きながら空腹感もつのって、やぶれかぶれ・・・のところに携帯が鳴った。 ご近所のお友だちからで「今日おはぎを作って、伊藤さんのところへ電話したけど、お留守だった」とのこと、文字どおり「地獄に仏」 感謝、感激しきり!
2009年10月21日水曜日
やっぱり辛い大腸内視鏡検査
今日、午後3時半に腸の内視鏡、午後4時にはCTを撮る予約をしていたので、昨夜6時に素うどん少々を頂いただけで後は4種類の下剤を飲む。 3時間後くらいからトイレに通って当然熟睡は出来ない。 翌朝は8時から2時間かかってムーベンという腸をきれいにする溶液を2リットル飲む。 以前に比べて少しは飲みやすくなったけれど、朝から何もできずにコップとにらめっこ。 半分くらい飲んだところで、トイレに出たり入ったり。 お茶類はいくらでも飲んでいいとは言われても、これ以上の液体がどこに入るの? ビロウな話しながら、経験のある方はおわかりでしまょうけれど、どうして肛門からあんなに水が出るのかしら?
病院に行く頃はすっかり疲れ果ててしまう。 内視鏡を待っている方は3人もいて、どうも私が最後のようだった。 ようやく私の番が来て、内視鏡の部屋に入った。 左に点滴、右には血圧測定器を。 「よろしくお願いします」と声をかけた白衣の人は、まだ20代のように見えた。 私も「よろく、おねがいします」と答えた。 何となく内視鏡の扱いがたどだどしく、私の反応に「痛いですか?」と気を使っている。 昨年までの女医さんとは大分感じが違う。 「何しろ、早く終えてよ!」CTの技師から未だか? と電話がある。
そのうち、白髪交じりの、お顔はよく見えないが白衣の先生がいらっして、その若そうな先生と代わって内視鏡をあやつり始めた。 そして内視鏡の持ち方の指示をなさっている。 私は「試験台?」 少しいら立った態度をした。 若い先生は見学者になった。 今日はここまで・・・・・。
病院に行く頃はすっかり疲れ果ててしまう。 内視鏡を待っている方は3人もいて、どうも私が最後のようだった。 ようやく私の番が来て、内視鏡の部屋に入った。 左に点滴、右には血圧測定器を。 「よろしくお願いします」と声をかけた白衣の人は、まだ20代のように見えた。 私も「よろく、おねがいします」と答えた。 何となく内視鏡の扱いがたどだどしく、私の反応に「痛いですか?」と気を使っている。 昨年までの女医さんとは大分感じが違う。 「何しろ、早く終えてよ!」CTの技師から未だか? と電話がある。
そのうち、白髪交じりの、お顔はよく見えないが白衣の先生がいらっして、その若そうな先生と代わって内視鏡をあやつり始めた。 そして内視鏡の持ち方の指示をなさっている。 私は「試験台?」 少しいら立った態度をした。 若い先生は見学者になった。 今日はここまで・・・・・。
2009年10月20日火曜日
白月
先日、秋の月についての思い出を書いた。
今日の午後ジムから戻って来てテレビをつけた。 出がけにつけていたNHKのままのチャンネルだった。
美輪明宏さんが華やかに歌っていた。 番組はもう後半に近かかった。 特に見たいプログラムもなかったので、そのまま見ていた。 「月をうたった“白月”この歌は明治時代の唄です」と言って歌い始めた唄は出る~月の影さし~て・・・・先日私が月に関して少女時代に友人の伴奏をしたアノ曲だった。
美輪明宏さんは夫が未だ若かりし頃、銀座の(今もあるかしら?)ヤマハの地下?にあったシャンソン歌手が
集まって歌っていた(名前は・・・・?)その中で彼を当時の日劇の上にあったミュージック・ホール(ヌード・ショウに抜擢して、その頃はまだ珍らしかったシスター・ボーイとして出演、「お前はず~っとこのまま女形でいたほうがいいよ」と言ったとか。 夫は自慢話とか芸能界の話はしなかったけれど、そして彼はそんなことは覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、ホントの話。
今日の午後ジムから戻って来てテレビをつけた。 出がけにつけていたNHKのままのチャンネルだった。
美輪明宏さんが華やかに歌っていた。 番組はもう後半に近かかった。 特に見たいプログラムもなかったので、そのまま見ていた。 「月をうたった“白月”この歌は明治時代の唄です」と言って歌い始めた唄は出る~月の影さし~て・・・・先日私が月に関して少女時代に友人の伴奏をしたアノ曲だった。
美輪明宏さんは夫が未だ若かりし頃、銀座の(今もあるかしら?)ヤマハの地下?にあったシャンソン歌手が
集まって歌っていた(名前は・・・・?)その中で彼を当時の日劇の上にあったミュージック・ホール(ヌード・ショウに抜擢して、その頃はまだ珍らしかったシスター・ボーイとして出演、「お前はず~っとこのまま女形でいたほうがいいよ」と言ったとか。 夫は自慢話とか芸能界の話はしなかったけれど、そして彼はそんなことは覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、ホントの話。
2009年10月17日土曜日
秋の夜長と虫の音と・・・
色々なことが終わって、秋が深まり、ようやく自由になったと思ったら、季節の所為か急に色々なこと・・・行く末の不安を感じて来て、鬱状態に陥りそうになっている。 そんな時の友人の訪れはホントに嬉しく感じる。 でもそれは一時的なこと。 結局は一人。
私は長女なので、頼られることには慣れて?いるが頼るのは上手ではない、と思っている。 長じては父に頼られ、母に頼られ、晩年には頼れると信じて結婚した夫にまで頼られて来た、と思う。 だんだん年をとって来ている私は誰に頼ればいいのかしら?などと考えつずけていたら、眠れないこともある。 私は人に頼るのが上手ではないのかな~と反省したりもする。
今夕も、何十年もお付き合いしている友人から電話があり(以前にも何度かあったことながら)虫の息のような声で「ふさ子さん、私、今日頭を打って、今はそうでもないけれど、頭が痛いのよ! 病院に行ったほう がいいかしら?」と仰る。 私が家の玄関で椅子から落ちて血だらけになって救急車で運ばれた時のことなど、何の反応も見せないのに~と思ったけれど、私は以前大雪の翌日、転んで頭をうち、外科の先生に伺った事を「打ったところを、冷やし安静にしていらっしゃい」と応じた。「やっぱり、ふさ子さんに訊いて良かったわ!」…というのが彼女のお返事。
先日の友人のお別れ会の時に知ったのだけれど、ご夫妻でケアーつきのマンションに移った方が何人かいらっしゃる。 入会金が三千万円で毎月三十万かかると仰る。 トテモ、払えないわ、と言ったら「家を売れば出来るわよ!」と思い切りのいい答えが返ってきた。 貴女はどう思います?
私は長女なので、頼られることには慣れて?いるが頼るのは上手ではない、と思っている。 長じては父に頼られ、母に頼られ、晩年には頼れると信じて結婚した夫にまで頼られて来た、と思う。 だんだん年をとって来ている私は誰に頼ればいいのかしら?などと考えつずけていたら、眠れないこともある。 私は人に頼るのが上手ではないのかな~と反省したりもする。
今夕も、何十年もお付き合いしている友人から電話があり(以前にも何度かあったことながら)虫の息のような声で「ふさ子さん、私、今日頭を打って、今はそうでもないけれど、頭が痛いのよ! 病院に行ったほう がいいかしら?」と仰る。 私が家の玄関で椅子から落ちて血だらけになって救急車で運ばれた時のことなど、何の反応も見せないのに~と思ったけれど、私は以前大雪の翌日、転んで頭をうち、外科の先生に伺った事を「打ったところを、冷やし安静にしていらっしゃい」と応じた。「やっぱり、ふさ子さんに訊いて良かったわ!」…というのが彼女のお返事。
先日の友人のお別れ会の時に知ったのだけれど、ご夫妻でケアーつきのマンションに移った方が何人かいらっしゃる。 入会金が三千万円で毎月三十万かかると仰る。 トテモ、払えないわ、と言ったら「家を売れば出来るわよ!」と思い切りのいい答えが返ってきた。 貴女はどう思います?
2009年10月15日木曜日
遅ればせの墓参
昨日のブログが消えてしまい、このブログの期限が切れた・・・ということで大騒ぎして復元したら目が疲れてしまってつずける気力がなくなってしまった。
改めて・・・例年秋の彼岸ごろになると、夫の甥が「多磨墓地に行く?」と誘ってくれる。 今年は彼も長い間アメリカにいたので無理だろうと半ばあきらめていたら、電話があって、昨日午前10時半に車で迎えに来てくれた。 先ほどメールで「僕も一年に一回多磨墓地に行くことが習慣になっているので、気にしないで、と車が必要な時は何時でも言ってくれ・・・」とやさしい言葉が添えてあった。
この年になると、多磨墓地まで電車を乗り継いで行くのは可也つらいことで、例年年会費を納めてお墓の掃除とか祥月命日には花を供えてもらっている。
伊藤家の隣のお墓は枯れ草に覆われ、墓石も倒れかかっていた。 後継者が無いのか?又地方に住んでいて面倒が見られないのか? 伊藤家のお茶屋さんの米内やさんに伺ったところ、周りのお墓の方が「どうして、放ってあるかを都に問い合わせ、後継者とか関係者がいない事が証明されれば、初めて所有権を替える事が出来るのだそうだ。 そういう場合、その御遺骨は共同の墓所に収められる・・・と伺って、なぜかホッとした。
改めて・・・例年秋の彼岸ごろになると、夫の甥が「多磨墓地に行く?」と誘ってくれる。 今年は彼も長い間アメリカにいたので無理だろうと半ばあきらめていたら、電話があって、昨日午前10時半に車で迎えに来てくれた。 先ほどメールで「僕も一年に一回多磨墓地に行くことが習慣になっているので、気にしないで、と車が必要な時は何時でも言ってくれ・・・」とやさしい言葉が添えてあった。
この年になると、多磨墓地まで電車を乗り継いで行くのは可也つらいことで、例年年会費を納めてお墓の掃除とか祥月命日には花を供えてもらっている。
伊藤家の隣のお墓は枯れ草に覆われ、墓石も倒れかかっていた。 後継者が無いのか?又地方に住んでいて面倒が見られないのか? 伊藤家のお茶屋さんの米内やさんに伺ったところ、周りのお墓の方が「どうして、放ってあるかを都に問い合わせ、後継者とか関係者がいない事が証明されれば、初めて所有権を替える事が出来るのだそうだ。 そういう場合、その御遺骨は共同の墓所に収められる・・・と伺って、なぜかホッとした。
2009年10月13日火曜日
お別れ会の後
献花にいらっしゃった方々とご主人を囲んで事務所で少しの間Nさんの思い出話をする。
彼女は卒業以来クラス会の幹事を引き受けてくださり、皆それに甘えていた。 奇しくも、彼女が突然倒れて入院なさったのは、クラス会の前日だった。
突然高島屋の店内で倒れて救急車で運ばれて、半年間の入院を余儀なくされ、ようやく退院なさった翌日心臓発作で亡くなったと、ご主人からの電話で知った。 せめて、最後のクラス会にお出になりたかっただろう。
彼女は英文科のAクラスで私はBクラスだったけれど席が近かったので話す機会が多かった。 彼女は中国系台湾生まれで結婚前は中国系の名前だった。 最初銀座のど真ん中に{セリボン}という喫茶店をお父様が経営していて、その後西銀座にタイガ菜館という中華料理屋さんを経営して、彼女の代に画廊を経営する事になった。
どういうわけか、三十年くらい前は、彼女は私の近くにいて、私の夫とも気があって、度々家に来て食事をしたり、話をしたり、今の7歳も年下のご主人とどうやって結婚に至ったか? その作戦?もよく覚えている。 六本木のマンションに夫と伺ったのは私達夫妻だけだったかも。
ご主人は余りにも老けられ、やっれて見えたので、どんなに年下でも、妻は決して夫より先に逝ってはいけない、と改めて切に思った。
彼女は卒業以来クラス会の幹事を引き受けてくださり、皆それに甘えていた。 奇しくも、彼女が突然倒れて入院なさったのは、クラス会の前日だった。
突然高島屋の店内で倒れて救急車で運ばれて、半年間の入院を余儀なくされ、ようやく退院なさった翌日心臓発作で亡くなったと、ご主人からの電話で知った。 せめて、最後のクラス会にお出になりたかっただろう。
彼女は英文科のAクラスで私はBクラスだったけれど席が近かったので話す機会が多かった。 彼女は中国系台湾生まれで結婚前は中国系の名前だった。 最初銀座のど真ん中に{セリボン}という喫茶店をお父様が経営していて、その後西銀座にタイガ菜館という中華料理屋さんを経営して、彼女の代に画廊を経営する事になった。
どういうわけか、三十年くらい前は、彼女は私の近くにいて、私の夫とも気があって、度々家に来て食事をしたり、話をしたり、今の7歳も年下のご主人とどうやって結婚に至ったか? その作戦?もよく覚えている。 六本木のマンションに夫と伺ったのは私達夫妻だけだったかも。
ご主人は余りにも老けられ、やっれて見えたので、どんなに年下でも、妻は決して夫より先に逝ってはいけない、と改めて切に思った。
2009年10月12日月曜日
お別れ会
八月二十四日に亡くなった青山学院時のお友だちのお別れ会を今日、日本橋の彼女の画廊で致しますのでよろしく、とご主人からご連絡があり、それにまつわってお友だちの一人から、私にはご通知が来ないと、私に電話で文句を仰る方があって、ご主人にご連絡したり・・・・
彼女の画廊は日本橋高島屋の近くなので、親しいお友だちと高島屋で待ち合わせた。途中で何人かのお友だちにであった。
小じんまりした新しいビルの中の画廊には彼女の遺霊と毒舌家の彼女らしからぬほんのりしたお写真が飾ってあり、一人ひとりが白いカーネーションをささげた。 次の部屋には彼女の幼いころの写真、海外で撮られた写真などが貼ってあって、彼女の最近の生活を偲ばせた。
ずいぶん多くの友人達がグループできてくださったようだった。 私は久しぶりでご主人にご挨拶を、と思ったが、それらしい方が見当たらないので周りの男性に伺った。「あちらにいらっしゃいます」と言われて、近ずいても、分からないくらい彼は白髪で一段と小さく見えた。 お話してみて、ようやく認めた。 お友だちの何方も彼にご挨拶をなさらなかったと思う。 このつずきはまた明日。
彼女の画廊は日本橋高島屋の近くなので、親しいお友だちと高島屋で待ち合わせた。途中で何人かのお友だちにであった。
小じんまりした新しいビルの中の画廊には彼女の遺霊と毒舌家の彼女らしからぬほんのりしたお写真が飾ってあり、一人ひとりが白いカーネーションをささげた。 次の部屋には彼女の幼いころの写真、海外で撮られた写真などが貼ってあって、彼女の最近の生活を偲ばせた。
ずいぶん多くの友人達がグループできてくださったようだった。 私は久しぶりでご主人にご挨拶を、と思ったが、それらしい方が見当たらないので周りの男性に伺った。「あちらにいらっしゃいます」と言われて、近ずいても、分からないくらい彼は白髪で一段と小さく見えた。 お話してみて、ようやく認めた。 お友だちの何方も彼にご挨拶をなさらなかったと思う。 このつずきはまた明日。
2009年10月11日日曜日
黄花ほととぎす
今、家の門を入った狭い路地?に置いてある植木鉢の一つに’黄花ホトトギス’が咲いている。 葉っぱは薄茶色で余りはっきりしないけれど、先の方に真っ黄色の花が二つずつ、ついている。 一本切って来て鶴首花瓶に挿したら、もう一週間以上も、もっている。 次々に花をつけているので、しばらく楽しめそう。
この黄花ホトトギスは、下の妹宅の十里木の別荘の近くの、道端?で二年前に採集?したものだ。 そのあたりは所謂風致地区で草花を取ってはいけないということなのだろうけれど、こんな都会のしかも植木鉢の中で見事に咲いて一人暮らしの淋しい私を慰めてくれているので、どうぞお許しください。
妹にも見せたいのだけれど、中々機会がない。 今まで私はこんな見事なホトトギスを見たことはない。
真っ黄色で花の長さは2cm~2.5cmはある。 ふっくらとして、まさに黄色のホトトギス(鳥の)のよう。 昨年まで沢山咲いていた普通の?ホトトギスは遠慮したのか、今年は余り咲いてないようだ。
この黄花ホトトギスは、下の妹宅の十里木の別荘の近くの、道端?で二年前に採集?したものだ。 そのあたりは所謂風致地区で草花を取ってはいけないということなのだろうけれど、こんな都会のしかも植木鉢の中で見事に咲いて一人暮らしの淋しい私を慰めてくれているので、どうぞお許しください。
妹にも見せたいのだけれど、中々機会がない。 今まで私はこんな見事なホトトギスを見たことはない。
真っ黄色で花の長さは2cm~2.5cmはある。 ふっくらとして、まさに黄色のホトトギス(鳥の)のよう。 昨年まで沢山咲いていた普通の?ホトトギスは遠慮したのか、今年は余り咲いてないようだ。
2009年10月10日土曜日
エコ・ポイント
八月三十一日日に冷蔵庫を近所の電気店から求めた。
なんだかんだで値引きがすくないな~と思っていたら、その電気やさんが帰り際に「冷蔵庫にはエコポイントがついていますからこの書類に書いて出して下さい」冷蔵庫はケッコウポイントが高いですから・・・とか言った。
忙しくてしばらく放っておいたけれど気になって少し読んでみた。 現金ではなくお米券とか商品券とかが帰ってくるらしいのは理解できた。 それでも、何回読んでも理解できない部分がある。 面倒だから、
しばらく放っておいた。 どうせ大したことはないわ!
偶然、遊びに来て下さったジムの若いお友だちにそのことを話した。 その方は「やってあげましょうか?」とトテモありがたいお申し出で。 大喜びでエコポイントのリストと提出する書類をお預けした。 もう一枚不足な書類がある、とその方は雨の中また訪ねてくださった。
今日、完成した書類を、所定の封筒に入れ更にご自分で切手まで貼ってジムで「このままお出ください!」と渡して下さった。 Yさん有難うございました! 母が隣に住んでいたころ、ほんの些細な書類でも私に尋ねに来たことを覆いだす。 私もそんな年になったのよね?
なんだかんだで値引きがすくないな~と思っていたら、その電気やさんが帰り際に「冷蔵庫にはエコポイントがついていますからこの書類に書いて出して下さい」冷蔵庫はケッコウポイントが高いですから・・・とか言った。
忙しくてしばらく放っておいたけれど気になって少し読んでみた。 現金ではなくお米券とか商品券とかが帰ってくるらしいのは理解できた。 それでも、何回読んでも理解できない部分がある。 面倒だから、
しばらく放っておいた。 どうせ大したことはないわ!
偶然、遊びに来て下さったジムの若いお友だちにそのことを話した。 その方は「やってあげましょうか?」とトテモありがたいお申し出で。 大喜びでエコポイントのリストと提出する書類をお預けした。 もう一枚不足な書類がある、とその方は雨の中また訪ねてくださった。
今日、完成した書類を、所定の封筒に入れ更にご自分で切手まで貼ってジムで「このままお出ください!」と渡して下さった。 Yさん有難うございました! 母が隣に住んでいたころ、ほんの些細な書類でも私に尋ねに来たことを覆いだす。 私もそんな年になったのよね?
2009年10月6日火曜日
夕食ご飯抜き?!
先週の金曜日、お医者様の梯子をした。 というか、せざるを得なかった。
ここ五年くらい前から、毎年秋に大腸の検査をするハメになった。 大腸にポリープではなく、良性?の腫瘍があって、毎年検査を余儀なくされている。 昨年まで行っていた医院が評判がよくて、もう今年は検査が満杯だというので、仕方なく駅近くの胃腸専門の医院に行ってみた。
過去の大腸の写真とか色々必要と思われるものを持参して先生にお伺いを立てたけれど、その医院には大腸検査の機器がなくて、仕方なく以前頭を割って救急車で運ばれた池上の病院に行った。 その日の受けつけは私が最後だった。
午後三時四十分から、私が呼ばれたのは六時近かった。 先生は「大変お待たせしました」と丁寧なご挨拶をしてくださった。 そして、大腸の内視鏡だけではなく、MRIをとって腫瘍の内容物を調べましょう、と仰った。 なるほど、大病院だから色々医療器械があるわけだ、それとともに医療費も稼ぐわけだ・・・とミョゥなことに感心した。 更に先生は「夕飯に、お魚、お肉類、お野菜はいくら摂ってもよろしいですが、ご飯は召し上がらない方がいいですよ」と仰った。 むろん私のお腹に沢山脂肪がついていて、検査に支障がでるからかな?と考えた。
私は金曜日、その日以来夕ご飯にご飯を頂いていない。 思いっきり検査日の二十一日までこれを続けてみよう!と決心した。 ただ、所謂和食はご飯がなくては・・・・余りにも情けないので、洋風にしたり鍋ものにしたり、たとえば今夕はかぼちゃのポタージュとハンバーグにつけ合わせ野菜山ほど・・・とした。
ここに白状したのは食いしん坊のわたしに対する戒め一環だと思ってください!
ここ五年くらい前から、毎年秋に大腸の検査をするハメになった。 大腸にポリープではなく、良性?の腫瘍があって、毎年検査を余儀なくされている。 昨年まで行っていた医院が評判がよくて、もう今年は検査が満杯だというので、仕方なく駅近くの胃腸専門の医院に行ってみた。
過去の大腸の写真とか色々必要と思われるものを持参して先生にお伺いを立てたけれど、その医院には大腸検査の機器がなくて、仕方なく以前頭を割って救急車で運ばれた池上の病院に行った。 その日の受けつけは私が最後だった。
午後三時四十分から、私が呼ばれたのは六時近かった。 先生は「大変お待たせしました」と丁寧なご挨拶をしてくださった。 そして、大腸の内視鏡だけではなく、MRIをとって腫瘍の内容物を調べましょう、と仰った。 なるほど、大病院だから色々医療器械があるわけだ、それとともに医療費も稼ぐわけだ・・・とミョゥなことに感心した。 更に先生は「夕飯に、お魚、お肉類、お野菜はいくら摂ってもよろしいですが、ご飯は召し上がらない方がいいですよ」と仰った。 むろん私のお腹に沢山脂肪がついていて、検査に支障がでるからかな?と考えた。
私は金曜日、その日以来夕ご飯にご飯を頂いていない。 思いっきり検査日の二十一日までこれを続けてみよう!と決心した。 ただ、所謂和食はご飯がなくては・・・・余りにも情けないので、洋風にしたり鍋ものにしたり、たとえば今夕はかぼちゃのポタージュとハンバーグにつけ合わせ野菜山ほど・・・とした。
ここに白状したのは食いしん坊のわたしに対する戒め一環だと思ってください!
2009年10月5日月曜日
中国風ちまき
何時も仲良くしていただいている友人達が中国風ちまきの作り方を教えてほしい、と乞われてから、ずいぶん日にちが経つてしまったが、今日ようやく実現した。 色々材料を持ちあつて、もち米、豚肉、筍、シイタケ、ネギ、干しエビ、銀杏、ショウガなどを入れ竹の皮で包んで蒸す。 可也ゴージャスのものができた。
ついでに、出盛りのサツマイモでスゥート・ポテトを作った。 これは急ぎすぎて余り良くできなかったが、とりあえずお味は先ずます。 お二人ともトテモ喜んでくださって、お持ち帰りも出来た。 次はは何にしましょう? 私は無類の食いしん坊なので、作るのも頂くのも大好き! それに「美味しい!」と喜んで下さるのが、何よりうれしい。
ついでに、出盛りのサツマイモでスゥート・ポテトを作った。 これは急ぎすぎて余り良くできなかったが、とりあえずお味は先ずます。 お二人ともトテモ喜んでくださって、お持ち帰りも出来た。 次はは何にしましょう? 私は無類の食いしん坊なので、作るのも頂くのも大好き! それに「美味しい!」と喜んで下さるのが、何よりうれしい。
2009年10月4日日曜日
満月に思うこと
先ほど東の空を眺めたら、美しい満月が見えた。 残念なことにその月は電線の間にあって、何とも無様だった。 それから10分くらいたってもう一度東の空を見たら、完全に中空に光り輝いて見えた。
しばらく眺めていて、月にまつわることで、今日思い出したことは、私がまだ15歳のころ(戦後ようやく学校生活ができるようになって)当時私の通っていた女学校は所謂年中行事を大切にしていて、秋には芸術祭を行い、その中で私はその後芸大の声楽科に入学した友人のピアノ伴奏をしたこと。 月に関する曲、二曲。
今でもその唄は歌える気がする。 「出る月の影さし~て、雁がねの・・・」というのともう一曲。
私は無類のあがり症で、果たしてキチンと弾けるかどうかだった。 伴奏者というのは当然独唱者を助け、控えめであることだった。 とりあえず間違えなく弾いて、友人が「ピアノ気にしなくて歌えたわ」と言った。 今考えるとヘンなこと! 当時はピアノを弾ける人、所有している人が少なかったので、そういうハメになったのだけれど、今考えると紅顔のいたり。
その後、下級生から何通かの”付け文”をもらった。 当時の女学校では ’S’と言って男女交際が不可能な時代だったので、上級生、下級生の間で手紙のやり取りがあって、廊下で手渡されたり、友人を介して渡されたりしたものだった。
月に関する思い出話が、とんでもない結末になったが、私は秋から冬の月が好きで、まだまだ思い出は沢山ある。 又の機会に・・・・。
しばらく眺めていて、月にまつわることで、今日思い出したことは、私がまだ15歳のころ(戦後ようやく学校生活ができるようになって)当時私の通っていた女学校は所謂年中行事を大切にしていて、秋には芸術祭を行い、その中で私はその後芸大の声楽科に入学した友人のピアノ伴奏をしたこと。 月に関する曲、二曲。
今でもその唄は歌える気がする。 「出る月の影さし~て、雁がねの・・・」というのともう一曲。
私は無類のあがり症で、果たしてキチンと弾けるかどうかだった。 伴奏者というのは当然独唱者を助け、控えめであることだった。 とりあえず間違えなく弾いて、友人が「ピアノ気にしなくて歌えたわ」と言った。 今考えるとヘンなこと! 当時はピアノを弾ける人、所有している人が少なかったので、そういうハメになったのだけれど、今考えると紅顔のいたり。
その後、下級生から何通かの”付け文”をもらった。 当時の女学校では ’S’と言って男女交際が不可能な時代だったので、上級生、下級生の間で手紙のやり取りがあって、廊下で手渡されたり、友人を介して渡されたりしたものだった。
月に関する思い出話が、とんでもない結末になったが、私は秋から冬の月が好きで、まだまだ思い出は沢山ある。 又の機会に・・・・。
2009年10月2日金曜日
十里木へ行くはずが・・・・?のその二
たまプラーザの妹の家を訪ねるのは何カ月かぶりだった。 出る時間が遅くなっふたので慌てて家を出たのだけれど、何を思ったか、池上線の千鳥町に行くべきなのを、何時も通り、第二京浜の池上警察へ歩いている自分に途中で気ずいたものの、戻るのも面倒なので、そのまま中延まで行き、大井町線に乗るべきところ、都営地下鉄の中延まで行って、ふと我に返り?大井町線まで歩いた。 駅のベンチに座って「私ボケたのかしら?」と反省しきり。
私達の父親が85歳過ぎてボケが出て、徘徊して私は夫や母と何度かつらい思いをしたことを昨日のことのように思い出した。 最後の徘徊の時は下の妹や弟も共に車で真夜中過ぎまで探し、夜明け近くに保護されたことがあった。 私も若しかしたら父のDNAを継いだかもしれない? でも、私はケッコウ面が売れてるからな~・・・な、自℃と自分に有利な判断をして収めた。
ところで、久しぶりの二子たま駅を通り過ぎる際、ひっくり返るくらい驚いた。 まるで、別世界! 数えるのも不可能なほどの高いビルが(マンションか?)建築中で、不謹慎なことながら、それらはニューヨークのあの事件を彷彿させた。 二子玉川駅のあたりは一つの都市が出来上がりそう。
次に妹達の住むたまプラーザ駅に着いて又新しい驚き! この町も駅舎もすっかり変わっていた。 ここにも新たな大都会が出来かかっていた。 駅を囲んで巨大なビルが建築中で、出来上がったらどうなるのか?
久が原に静かに住まっている私には余りにも刺激が強かった!
私達の父親が85歳過ぎてボケが出て、徘徊して私は夫や母と何度かつらい思いをしたことを昨日のことのように思い出した。 最後の徘徊の時は下の妹や弟も共に車で真夜中過ぎまで探し、夜明け近くに保護されたことがあった。 私も若しかしたら父のDNAを継いだかもしれない? でも、私はケッコウ面が売れてるからな~・・・な、自℃と自分に有利な判断をして収めた。
ところで、久しぶりの二子たま駅を通り過ぎる際、ひっくり返るくらい驚いた。 まるで、別世界! 数えるのも不可能なほどの高いビルが(マンションか?)建築中で、不謹慎なことながら、それらはニューヨークのあの事件を彷彿させた。 二子玉川駅のあたりは一つの都市が出来上がりそう。
次に妹達の住むたまプラーザ駅に着いて又新しい驚き! この町も駅舎もすっかり変わっていた。 ここにも新たな大都会が出来かかっていた。 駅を囲んで巨大なビルが建築中で、出来上がったらどうなるのか?
久が原に静かに住まっている私には余りにも刺激が強かった!
2009年10月1日木曜日
十里木へ行くはずが・・・・?
9月29日から下の妹宅の十里木別荘に行くよていだった。 こちらより大分温度が低いので、衣類も厚めのものを用意したり泊まるのも4泊のよていだったので、とりあえず下準備だけはしていたつもり。
ところが、いかにせん?天気予報が余りにも悪い。 妹から電話があって、このたびはたまプラーザ
の彼女達の家で二泊することになった。
その日は朝からなんだかヘンだった。 洗濯をしようと洗濯機を回しながら妹と電話をしていたら、新装?の洗面所で水の流れる音がして、行ってみたら、洗濯機の流水ホースが外れて水だらけ! 考えるより、先ず床に溜まった水をタオルで拭き取る。 大量の水を拭き取りながら、今朝洗濯機の脱水口辺りに体重計を押しつけて外してしまったのが原因だった。 とりあえず、何枚ものタオルが増えて洗濯機がフル活動。
次の変なことは(今日は疲れたので又明日)
ところが、いかにせん?天気予報が余りにも悪い。 妹から電話があって、このたびはたまプラーザ
の彼女達の家で二泊することになった。
その日は朝からなんだかヘンだった。 洗濯をしようと洗濯機を回しながら妹と電話をしていたら、新装?の洗面所で水の流れる音がして、行ってみたら、洗濯機の流水ホースが外れて水だらけ! 考えるより、先ず床に溜まった水をタオルで拭き取る。 大量の水を拭き取りながら、今朝洗濯機の脱水口辺りに体重計を押しつけて外してしまったのが原因だった。 とりあえず、何枚ものタオルが増えて洗濯機がフル活動。
次の変なことは(今日は疲れたので又明日)
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