ジムのお友達に誘われて、青山のフレンチレストランに行った。
朝から雨で、以前待ち合わせて日本橋に行った時も雨だったので「何方か雨女がいらっしゃるのじゃない?」と言ったら、4人ともが晴れ女だと言う事で、4人集まると雨になる・・・と結論ずけた。
そのフレンチレストランの名前は’MUSEAM 1999 ロアブッシュ という店で青山学院中等部の裏手にあった。 大正時代に建てられた古い建物で以前は鍋島公爵邸だったとか。 建物の中にアチコチにロシアの画家の珍しい絵が飾ってあり、ウエッジウッドの古いお皿などもあった。 雰囲気抜群! という感じ。
夏季限定のお値段だったのでフルコースでサービス料なども入れて一人およそ5000円は安い! 最後のデザートのケーキの数の多さには驚いた。 前種類を頂く事は不可能だった。 それに、話をしながらゆっくり出来たのは最高! 簡単な結婚披露やパーティなども出来そうな感じだった。
レストランを出て雨の中、青山学院の中を通って、説明しながら、そして懐かしみながら銀杏が沢山落ちている銀杏並木を表門まで歩いた。 先日青山学院のリーフレットに昔本部と呼んでいた礼拝堂と真島記念館(戦災で回りだけは焼け残りその後修復された)は永久保存すると書いてあった。 学校内の様子は可也変わっていたけれど、クロ―バーが生えていた記念館前の植え込みは以前のままだった。 礼拝堂の前の乙女椿の木は枯れてしまったのかしら? あれから半世紀以上も経っているのだから・・・。
2008年9月29日月曜日
2008年9月28日日曜日
東京ミッドタウンに初めて行った
御近所のお友達が大分前から六本木のミッドタウンにある名古屋のお店に行ってみたいと仰っていた。 何時も親切にしてくださるので、何時かご一緒しようと思っていたが、丁度今日はご主人さまがお友達と一泊旅行にでかけられたということで、急に思い立って六本木に行く事にした。
関西に住んでいる姪がこちらにいた頃はアチコチ連れて行ってくれたのだけれど、最近は同じ所をウロウロしているだけで、ミッドタウンもテレビなどで見ているだけで、行った事はなかった。 無論お友達は東京辺りには詳しくないので、私が案内しなければならない。 五反田から六本木までバスが出ている事は知ってはいたが、何処まで行くのか検討もつかなかった。 お友達が行きたいと仰っている店が六本木のどの辺りにあるのか? 何しろ六本木ヒルズに行ったのは何年も前、オープンしたばかりの頃大混雑の中だったので、全く検討もつかない。
五反田からのバスは懐かしいソニービル辺りを通った。 驚いた事にあの大きかったソニービルは跡形もなくなっていた。 その後高輪泉岳寺を通り以前私が運転して夫を送った事のある病院の辺りを過ぎて赤坂を抜け六本木辺りに着いた。 けやき坂でバスを降りたのが先ず間違っていて、彼女の行きたいお店はミッドタウンにあった。 六本木ヒルズから小さなバスに乗って、ミッドタウンはヒルズから可也離れた所にあった。
初めてのミッドタウンには色々な店があったが、魚介味醂粕漬けの’鈴波’は直ぐに見つけられて、そこで昼食に粕ずけ定食を頂いた。 安くて粕漬けの魚もたっぷりしていて、二人とも満足。 粕漬けの魚などを求めて、周りのお店を眺めてパンなどもトテモ美味しそうだったけれど、トテモ高く、その上、お腹が一杯だったので、余り求める気もせずに、少し残念だった。 また、そのうち行きたいな~。
関西に住んでいる姪がこちらにいた頃はアチコチ連れて行ってくれたのだけれど、最近は同じ所をウロウロしているだけで、ミッドタウンもテレビなどで見ているだけで、行った事はなかった。 無論お友達は東京辺りには詳しくないので、私が案内しなければならない。 五反田から六本木までバスが出ている事は知ってはいたが、何処まで行くのか検討もつかなかった。 お友達が行きたいと仰っている店が六本木のどの辺りにあるのか? 何しろ六本木ヒルズに行ったのは何年も前、オープンしたばかりの頃大混雑の中だったので、全く検討もつかない。
五反田からのバスは懐かしいソニービル辺りを通った。 驚いた事にあの大きかったソニービルは跡形もなくなっていた。 その後高輪泉岳寺を通り以前私が運転して夫を送った事のある病院の辺りを過ぎて赤坂を抜け六本木辺りに着いた。 けやき坂でバスを降りたのが先ず間違っていて、彼女の行きたいお店はミッドタウンにあった。 六本木ヒルズから小さなバスに乗って、ミッドタウンはヒルズから可也離れた所にあった。
初めてのミッドタウンには色々な店があったが、魚介味醂粕漬けの’鈴波’は直ぐに見つけられて、そこで昼食に粕ずけ定食を頂いた。 安くて粕漬けの魚もたっぷりしていて、二人とも満足。 粕漬けの魚などを求めて、周りのお店を眺めてパンなどもトテモ美味しそうだったけれど、トテモ高く、その上、お腹が一杯だったので、余り求める気もせずに、少し残念だった。 また、そのうち行きたいな~。
2008年9月24日水曜日
シルバー・パスと絵の展覧会
今日、下の妹に誘われて妹の夫の何回目かの絵の展覧会に行った。 今回の展覧会場は京橋から歩いて1分、都営地下鉄の宝町から歩いて3分ということで、私は何時もの池上警察からバスで中延まで行き、その後都営地下鉄の宝町で降りた。 今月支給されたシルバー・パスを使って無料で展覧会場まで行けるわけ。
このシルバー・パスを利用できることは、年金受給者の私達にとっては大変有り難い事なのだ。 例年9月の敬老の日辺りに色々な書類と昨年までのパスを提出して新しいパスを支給されるわけなのだけれど、私は区から送られてきた書類をよく読んで、必要書類を揃えて差し出したところ、係りの方に「こうして出してくださると、私どもは大変助かります」と言われた。 一番分かり難いのは、私のように収入が少なく、1000円でパスを支給される人にはそれを証明する介護保険領収書が必要になるわけで、それが理解出来ない方が多いようだった。
ところで、肝心の義弟の絵については(昨年は見にいけなかったけれど・・・)大分ご上達ですね・・・という感じ。 色合いもやわらかく、始められた頃は、裸婦を画かれたものがどう見ても裸夫に見えたものだった。 {失礼!) 今日も脳の発達の中で老年になっても発達することが出来るのは絵を画く事だ、と脳内研究の著名な先生がテレビで話していらっしゃった。 頑張ってください。
このシルバー・パスを利用できることは、年金受給者の私達にとっては大変有り難い事なのだ。 例年9月の敬老の日辺りに色々な書類と昨年までのパスを提出して新しいパスを支給されるわけなのだけれど、私は区から送られてきた書類をよく読んで、必要書類を揃えて差し出したところ、係りの方に「こうして出してくださると、私どもは大変助かります」と言われた。 一番分かり難いのは、私のように収入が少なく、1000円でパスを支給される人にはそれを証明する介護保険領収書が必要になるわけで、それが理解出来ない方が多いようだった。
ところで、肝心の義弟の絵については(昨年は見にいけなかったけれど・・・)大分ご上達ですね・・・という感じ。 色合いもやわらかく、始められた頃は、裸婦を画かれたものがどう見ても裸夫に見えたものだった。 {失礼!) 今日も脳の発達の中で老年になっても発達することが出来るのは絵を画く事だ、と脳内研究の著名な先生がテレビで話していらっしゃった。 頑張ってください。
2008年9月23日火曜日
天高く馬肥ゆる・・・
’天高く馬肥ゆる秋’も近ずいている。
それ以前に私は箱根、ハワイで色々美味しいものを頂きすぎて、二キロ近くも肥えてしまった。 さあ、大変! 十月六日の検査日までに元にもどさなければ・・・・。
二人の妹達の上の妹はなにやら高価そうなジュースだけ、下の妹は夫に付き合ってテレビでも放送された’バナナ・ダイエットを実行して、下の妹は元来痩せがたなのに、気にしていた下腹が平らになったという。 この私はたった一日下の妹のまねをして、朝、バナナ二本と紅茶の朝食を試みた。 トテモ、ムリ! 好きなはずのバナナが午後まで鼻について、翌朝は元に戻った。
言わせていただけば、戦争中、戦後の育ち盛りにひもじい思いをしたので、食べ物に対して妙に執着がある。 それに私は無類の食いしん坊、これはトテモ、ムリだから、私はジムに行って鍛えるしかない・・・・という結論に達した。 それゆえに、箱根から帰京した翌日からジムに通いマシン、とかヨガ、健美操に励んでいる。 昨日も月曜日でジムがお休みなので、久が原の医院まで往復歩いた。 久が原の医院は午後二時半に着いて、三時から診察開始なのに終ったのは五時近かった。 往復で一時間は歩くことになった。 痩せるために運動してもやっぱり食べ物も控えなくては・・・という事は分かってはいるが習慣とは恐ろしいもの。
それ以前に私は箱根、ハワイで色々美味しいものを頂きすぎて、二キロ近くも肥えてしまった。 さあ、大変! 十月六日の検査日までに元にもどさなければ・・・・。
二人の妹達の上の妹はなにやら高価そうなジュースだけ、下の妹は夫に付き合ってテレビでも放送された’バナナ・ダイエットを実行して、下の妹は元来痩せがたなのに、気にしていた下腹が平らになったという。 この私はたった一日下の妹のまねをして、朝、バナナ二本と紅茶の朝食を試みた。 トテモ、ムリ! 好きなはずのバナナが午後まで鼻について、翌朝は元に戻った。
言わせていただけば、戦争中、戦後の育ち盛りにひもじい思いをしたので、食べ物に対して妙に執着がある。 それに私は無類の食いしん坊、これはトテモ、ムリだから、私はジムに行って鍛えるしかない・・・・という結論に達した。 それゆえに、箱根から帰京した翌日からジムに通いマシン、とかヨガ、健美操に励んでいる。 昨日も月曜日でジムがお休みなので、久が原の医院まで往復歩いた。 久が原の医院は午後二時半に着いて、三時から診察開始なのに終ったのは五時近かった。 往復で一時間は歩くことになった。 痩せるために運動してもやっぱり食べ物も控えなくては・・・という事は分かってはいるが習慣とは恐ろしいもの。
2008年9月21日日曜日
元の生活に戻りました その2
今日は一ヶ月ぶりの料理教室の日だった。 今日はやや、家庭的な洋食?の献立にしたのだけれど、夫が好んだジェリード・スープが時間が足りず固まりそびれてようやく夕方になって、良い状態になったのは残念なこと。
一人残ってカタズケをしてくださった方が問わずガタリに結婚の話になり色々相談を受けた。 その方のお母様は以前雪谷の英会話教室でご一緒だったし、ご家庭の様子も分かっていたのでそれなりのお話しをしてあげた。 私は自分で言うのもおかしいけれど、色々な方方に色々な問題で相談を受ける事が多い。 年の所為ばかりでないだろうと自負している。
ただ時々ムダな気の使いすぎで疲れたり後悔したりすることがある。 それは相手次第なのだから人を見て・・・?と言うことか? それでも、久しぶりでジムに行ったら、アチコチから「しばらくですね~、どうなさったのですか?」と声がかかり、ヨガや健美操のインストラクターさん達も特別挨拶をして下さる。
そして、早速フランス料理に誘われたり、ご近所の方から「又家に来てくださいね」と誘われ、昨日は夜のおかずが届けられたりした。 しみじみしあわせだな~と思った次第。
結局、私は今までどうりこれからも、人に優しく、相手を理解し、親切に気を遣って生きて行く事になりそう。
一人残ってカタズケをしてくださった方が問わずガタリに結婚の話になり色々相談を受けた。 その方のお母様は以前雪谷の英会話教室でご一緒だったし、ご家庭の様子も分かっていたのでそれなりのお話しをしてあげた。 私は自分で言うのもおかしいけれど、色々な方方に色々な問題で相談を受ける事が多い。 年の所為ばかりでないだろうと自負している。
ただ時々ムダな気の使いすぎで疲れたり後悔したりすることがある。 それは相手次第なのだから人を見て・・・?と言うことか? それでも、久しぶりでジムに行ったら、アチコチから「しばらくですね~、どうなさったのですか?」と声がかかり、ヨガや健美操のインストラクターさん達も特別挨拶をして下さる。
そして、早速フランス料理に誘われたり、ご近所の方から「又家に来てくださいね」と誘われ、昨日は夜のおかずが届けられたりした。 しみじみしあわせだな~と思った次第。
結局、私は今までどうりこれからも、人に優しく、相手を理解し、親切に気を遣って生きて行く事になりそう。
ようやく、元の生活に戻りました
しばらくこのブログへの書き込みをご無沙汰してしまいました。
この夏の間に感じたことの心の整理もあり、健康診断、大腸検査のこと、自分だけで決めなければならない預金の選択。 この秋は今まで心ならずも休止してたことの決心をつけなければならない。
この夏の間に感じたことの心の整理もあり、健康診断、大腸検査のこと、自分だけで決めなければならない預金の選択。 この秋は今まで心ならずも休止してたことの決心をつけなければならない。
2008年9月7日日曜日
お祭のち雷雨
今年はこの辺り東部神社の本まつりで、今年のお祭もお手伝いをお願いします、と会長からの書中見舞いに書いてあったので、予定していた料理教室を延期してそれに備えた。
正午にお神輿が神社を出て、私の家の前の会長宅でお神輿が一休みすることになっている。 この辺りにはお店がないので、一休みする場所もなく、2年前からそういうことになった。 先ず子供神輿が来て、15分後に本神輿が来る。 子供のためにお菓子の袋とアイスクリームを用意し、大人の神輿の担ぎ手にはビールやおつまみを出す事になっている。 私だけではどうしようもないのでご近所の気の合うお友達にお手伝いをお願いした。 会長の奥様やご長女のご家族が私の言うこと従って配置などもして下さり、これが二度めのことなので、順序よく支度が出来た。
正午少し過ぎた頃、急に太鼓の音がして予想外に大勢の子供たちがお神輿を引いて来た。 その数の多さに皆驚いた。 お菓子が足りない! 殆どが見たこともない子供たちだった。 お神輿の係りの方達が大変立派に子供たちを監督してくださって助かったけれど、中には大人たちのために用意した棒チーズやソーセージを何本も持って行く女の子が居て、注意したがしばらくして大きな袋を待ってきて入れようとしていたので、私は遂大声を出して制してしまった。 お友達が後ろに大人がいるかもよ?と言っていた。 悲しいこと!
本神輿と神主さんがいらっして、私達におはらいをしてくださった。 私のほうに近寄ってきて親しげにお辞儀をしてくださった青年を見直したら、何時も出前を届けてくれる近所のお蕎麦屋さんの若い衆だった。 氷につけて冷やしておいたビールは殆ど飲む方はなく、お茶やウーロン茶が次々と空になった。
今度から考え直さなければ・・・。 もう二年先は私も80才になるわけだから、もうお手伝いはムリかも・・・。
私の家のガレージには大勢の方達が座ったり、中にはねそべぅてりょうをとっていた。 ほんとに今日は暑かった。
午後近くのホームセンターに行って戻ってきて、妹と電話で話していたら急に空が曇ってきて雷と雨が強くなった。
果たしてお神輿は最後まで無事回れただろうか?
正午にお神輿が神社を出て、私の家の前の会長宅でお神輿が一休みすることになっている。 この辺りにはお店がないので、一休みする場所もなく、2年前からそういうことになった。 先ず子供神輿が来て、15分後に本神輿が来る。 子供のためにお菓子の袋とアイスクリームを用意し、大人の神輿の担ぎ手にはビールやおつまみを出す事になっている。 私だけではどうしようもないのでご近所の気の合うお友達にお手伝いをお願いした。 会長の奥様やご長女のご家族が私の言うこと従って配置などもして下さり、これが二度めのことなので、順序よく支度が出来た。
正午少し過ぎた頃、急に太鼓の音がして予想外に大勢の子供たちがお神輿を引いて来た。 その数の多さに皆驚いた。 お菓子が足りない! 殆どが見たこともない子供たちだった。 お神輿の係りの方達が大変立派に子供たちを監督してくださって助かったけれど、中には大人たちのために用意した棒チーズやソーセージを何本も持って行く女の子が居て、注意したがしばらくして大きな袋を待ってきて入れようとしていたので、私は遂大声を出して制してしまった。 お友達が後ろに大人がいるかもよ?と言っていた。 悲しいこと!
本神輿と神主さんがいらっして、私達におはらいをしてくださった。 私のほうに近寄ってきて親しげにお辞儀をしてくださった青年を見直したら、何時も出前を届けてくれる近所のお蕎麦屋さんの若い衆だった。 氷につけて冷やしておいたビールは殆ど飲む方はなく、お茶やウーロン茶が次々と空になった。
今度から考え直さなければ・・・。 もう二年先は私も80才になるわけだから、もうお手伝いはムリかも・・・。
私の家のガレージには大勢の方達が座ったり、中にはねそべぅてりょうをとっていた。 ほんとに今日は暑かった。
午後近くのホームセンターに行って戻ってきて、妹と電話で話していたら急に空が曇ってきて雷と雨が強くなった。
果たしてお神輿は最後まで無事回れただろうか?
2008年9月5日金曜日
少し早めの墓参
例年秋のお彼岸近くに夫の甥が多磨霊園にある伊藤家の墓地に連れて行ってくれる。 今年は彼がその頃アメリカの息子のところに行くことになったので、少し早目の彼岸の墓参となった。
以前、私が車を運転していた頃は夫やその妹を乗せて行っていたものだったけれど、帰ってくると疲れてベッドに雪崩れ込んでしばらく横になっていた。 それかといって電車で行くのには可也遠い。 毎年気にしながら、甥の好意に甘えている。 今日も10時半ごろ何時ものベンツで迎にきてくれた。
霊園に着いて、墓所まで何時も歩く道を迷ってしまうので門前のお茶屋さん、米内屋さんで道順を書いた地図を頂いた。 その地図には色々有名人の墓所が書いてあり暇があったら歩いてお参りしてみたいと思った。 入り口近くには私が学生時代よく読んでいた横光利一さん、その少し奥には私達とほぼ同年齢で台湾で飛行機事故でなくなった大好きな向田邦子さんのもの、有島武郎さん、三島由紀夫さん、岡本一平、かの子、太郎さん、伊藤家の墓所の近くには岸田国士さんのお墓・・・という風に文壇人のお墓が多くあった。
それでも毎年訪れる度にお墓が新しく変わり、そのために道を迷ってしまう。 今日はまた物凄い暑さで、お線香をつけながら汗がしたたり落ちた。 果たして何歳になるまでここへ御参りにこれるかしら?と独り言を言ったら、甥が何歳になっても来れるよ、と優しい言葉を掛けてくれた。
途中、何時ものように甲州街道沿いの神戸やで昼食を取りながら、しばらく昔話をし、甥は私に世話になったことを思い出しながら、彼がアメリカに留学していたとき、夫がニューヨーク博のためニューヨークに滞在していて、甥がホテルに夫を訪ねたとき、夫はその前夜と言うか朝まで小澤征爾さんとホテルのバーで話していて、彼が訪れた時ノックをしても、中中ドアーをあけてくれなかった・・・などと話してくれた。 だんだん思い出が遠くなる。
以前、私が車を運転していた頃は夫やその妹を乗せて行っていたものだったけれど、帰ってくると疲れてベッドに雪崩れ込んでしばらく横になっていた。 それかといって電車で行くのには可也遠い。 毎年気にしながら、甥の好意に甘えている。 今日も10時半ごろ何時ものベンツで迎にきてくれた。
霊園に着いて、墓所まで何時も歩く道を迷ってしまうので門前のお茶屋さん、米内屋さんで道順を書いた地図を頂いた。 その地図には色々有名人の墓所が書いてあり暇があったら歩いてお参りしてみたいと思った。 入り口近くには私が学生時代よく読んでいた横光利一さん、その少し奥には私達とほぼ同年齢で台湾で飛行機事故でなくなった大好きな向田邦子さんのもの、有島武郎さん、三島由紀夫さん、岡本一平、かの子、太郎さん、伊藤家の墓所の近くには岸田国士さんのお墓・・・という風に文壇人のお墓が多くあった。
それでも毎年訪れる度にお墓が新しく変わり、そのために道を迷ってしまう。 今日はまた物凄い暑さで、お線香をつけながら汗がしたたり落ちた。 果たして何歳になるまでここへ御参りにこれるかしら?と独り言を言ったら、甥が何歳になっても来れるよ、と優しい言葉を掛けてくれた。
途中、何時ものように甲州街道沿いの神戸やで昼食を取りながら、しばらく昔話をし、甥は私に世話になったことを思い出しながら、彼がアメリカに留学していたとき、夫がニューヨーク博のためニューヨークに滞在していて、甥がホテルに夫を訪ねたとき、夫はその前夜と言うか朝まで小澤征爾さんとホテルのバーで話していて、彼が訪れた時ノックをしても、中中ドアーをあけてくれなかった・・・などと話してくれた。 だんだん思い出が遠くなる。
2008年9月2日火曜日
三十三回忌法要
ホノルル滞在四日目、今回の目的である義弟の父上の三十三回忌の法要のため六年前と同じお寺に向かう。
お寺の祭壇は日本のお寺と同じように立派に飾られていた。 二十七回忌の時と同じお坊様がお経を読まれ、参加者が次々とご焼香をする。 遠いハワイの地とは思えないほど厳かに進められる。 すべて終ったあとお坊様がこれまでのご苦労と今の宗教離れの大変さを話された。 それも六年前と同じ。
その後、私達は例のダックスフンド状の車、他の方方はバスで日本料理やさんに案内される。 そのお店で出されたご馳走には驚かされた。 先ず突き出し、三品、さしみ、豆乳の滝川豆腐、酢の物、松茸の土瓶むし、天ぶら、茄子の焼き味噌、この辺りで可也満腹を感じたが、次にサンマの塩焼き(さば、鮭のチョイス)この辺りで白いご飯?と思っていたらこの店の売り、お寿司が出た。 殆どの方がそのお寿司には手をつけられなかった。 何しろアメリカ人は大食漢! 驚くべきものだ。
その日の夕食は私が皆様にご馳走する番で、当初創作フランス料理の予定で、やや高かそうだったけれど、残念なことに予約がとれず、義弟の提案でフィッシャーマンズ・ウオルフに行った。 湾を望める夜景の美しい所にあった。
驚いたことに、前菜に小えびのカクテルを頼んだら、大きな海老が六匹も連なって出て、皆驚いた。 たでその次のクラム・チャウダーは思ったほど大きな器でなくてホッとした。 メインは魚や肉の盛り合わせを頼んで、もう食べ飽きた、と言う感じだった。 この店は窓が大きく向こう岸まで見えて、それが売りだろうと思った。
今日はキッチリ一ヶ月ぶりでジムに行った。 入り口でインストラクターのKさんにだけ小さなお土産を渡した。
すべての方方が「しばらくね~」と声を掛けてくださり、お休みした理由を説明したり、懐かしがってくださる方方にご挨拶が忙しかった。
お寺の祭壇は日本のお寺と同じように立派に飾られていた。 二十七回忌の時と同じお坊様がお経を読まれ、参加者が次々とご焼香をする。 遠いハワイの地とは思えないほど厳かに進められる。 すべて終ったあとお坊様がこれまでのご苦労と今の宗教離れの大変さを話された。 それも六年前と同じ。
その後、私達は例のダックスフンド状の車、他の方方はバスで日本料理やさんに案内される。 そのお店で出されたご馳走には驚かされた。 先ず突き出し、三品、さしみ、豆乳の滝川豆腐、酢の物、松茸の土瓶むし、天ぶら、茄子の焼き味噌、この辺りで可也満腹を感じたが、次にサンマの塩焼き(さば、鮭のチョイス)この辺りで白いご飯?と思っていたらこの店の売り、お寿司が出た。 殆どの方がそのお寿司には手をつけられなかった。 何しろアメリカ人は大食漢! 驚くべきものだ。
その日の夕食は私が皆様にご馳走する番で、当初創作フランス料理の予定で、やや高かそうだったけれど、残念なことに予約がとれず、義弟の提案でフィッシャーマンズ・ウオルフに行った。 湾を望める夜景の美しい所にあった。
驚いたことに、前菜に小えびのカクテルを頼んだら、大きな海老が六匹も連なって出て、皆驚いた。 たでその次のクラム・チャウダーは思ったほど大きな器でなくてホッとした。 メインは魚や肉の盛り合わせを頼んで、もう食べ飽きた、と言う感じだった。 この店は窓が大きく向こう岸まで見えて、それが売りだろうと思った。
今日はキッチリ一ヶ月ぶりでジムに行った。 入り口でインストラクターのKさんにだけ小さなお土産を渡した。
すべての方方が「しばらくね~」と声を掛けてくださり、お休みした理由を説明したり、懐かしがってくださる方方にご挨拶が忙しかった。
2008年9月1日月曜日
ホノルルの風はさわやか
姪の夫が車をレンターしてくれていて、北の方に行きませんかとドライブに誘ってくれた。 私は無論直ぐ応じたが、妹の夫は箱根に居た時から腰の痛みが良くならず、少し躊躇していたが、結局同行した。 姪の夫は以前何度もハワイに来たことがあるようだったので、右ハンドルにも、赤信号でも左折できる、などの交通規則にも直ぐに対応していた。 何しろ、日本での運転免許証が有効だと聞いて驚いた。
道路はそんなに渋滞もなく、美しい海と緑の中を通って北の端にあるホテルで昼食。 そのホテルはゴルフ場もあり、ハワイアンオープンなどで見たことがある気がした。 日本の田中首相とアメリカのニクソン大統領が会談したホテルであり、更に驚いたことには姪がまだ4歳くらいだったころ、家族で泊ったことのあるホテルだったことだ。
姪は「私は覚えてないわよ!」と言っていたが、その時に別の島で少し年上の男の子の後に付いて、崖から飛び降りて頭を打ったことだけはいよく覚えていると言っていた。
ドライブの途中で、日本人のやっているグロサリーで氷菓子を売っていて、それが大うけで列をなしていた。 私は姪達夫妻とその列に加わって、日本の氷菓子より少し目の細かい氷にレインボーという7色の果汁をかけたものを選んで、満足だった。
その日の夜は姪達夫妻が雑誌でみつけていた中華料理店に招待してくれた。 魚介類の料理がトテモ美味しく、かにの甲羅つきのものをマメと卵で絡めたものなどは、その量の多さにあきれるほどだぅた。さすが、その店のお客は殆どが中国人のようだった。 一旦書いたものが消えてしまうと、二度めは何か気が入らないし、疲れる。
道路はそんなに渋滞もなく、美しい海と緑の中を通って北の端にあるホテルで昼食。 そのホテルはゴルフ場もあり、ハワイアンオープンなどで見たことがある気がした。 日本の田中首相とアメリカのニクソン大統領が会談したホテルであり、更に驚いたことには姪がまだ4歳くらいだったころ、家族で泊ったことのあるホテルだったことだ。
姪は「私は覚えてないわよ!」と言っていたが、その時に別の島で少し年上の男の子の後に付いて、崖から飛び降りて頭を打ったことだけはいよく覚えていると言っていた。
ドライブの途中で、日本人のやっているグロサリーで氷菓子を売っていて、それが大うけで列をなしていた。 私は姪達夫妻とその列に加わって、日本の氷菓子より少し目の細かい氷にレインボーという7色の果汁をかけたものを選んで、満足だった。
その日の夜は姪達夫妻が雑誌でみつけていた中華料理店に招待してくれた。 魚介類の料理がトテモ美味しく、かにの甲羅つきのものをマメと卵で絡めたものなどは、その量の多さにあきれるほどだぅた。さすが、その店のお客は殆どが中国人のようだった。 一旦書いたものが消えてしまうと、二度めは何か気が入らないし、疲れる。
京都からハワイへ
ハワイから帰ってこのブログに二回も書き込んだのに、どういうわけか入らなかった。
先週、妹達と同行するために、一旦京都の妹宅へ泊って、翌日関空からハワイに向かった。 可也の雨が降っていたので出発が遅れるかと思っていたが殆ど予定通り出発することが出来た。 10時10分?だったけれど、しばらくして機内食が出た。 ホノルル着は翌朝になるわけで、どうしても機内で眠らなければならないということだった。 ビジネス・シートでしかも隣は空席だったけれど、どうしても眠ることが出来ずに、ホノルル空港に到着。
ホテル差し回しの、時々日本でも見る事のあるダックスフントの様な車に乗って少し恥ずかしい思いをしながら繁華街にあるウエスティン・ホテルに着く。 入り口から海が見えて、エントランすの処にはロッキング・チェアーが沢山おいてあって、大勢の人が揺れながら涼をとっていた。
私は一人なのにキングサイズの大きくて高さも高いベッドのある部屋を頂いた。 だた、妹達が言っていたように、洗面台が小さく、粗末なのには困り果てた。 窓の下には海岸があって、遠くに泳いだり、サーフィンを楽しんでいる人人があった。 このホテルはトテモ便利なところにあって、ABCストアーや免税店などにも歩いていける。
その日の夕食は歩いていける日本料理店で日本より豪華な幕の内弁当をご馳走になった。
私は割りに時差を感じないので、その夜はゆっくり眠れたが翌朝は寝すぎてしまった。
先週、妹達と同行するために、一旦京都の妹宅へ泊って、翌日関空からハワイに向かった。 可也の雨が降っていたので出発が遅れるかと思っていたが殆ど予定通り出発することが出来た。 10時10分?だったけれど、しばらくして機内食が出た。 ホノルル着は翌朝になるわけで、どうしても機内で眠らなければならないということだった。 ビジネス・シートでしかも隣は空席だったけれど、どうしても眠ることが出来ずに、ホノルル空港に到着。
ホテル差し回しの、時々日本でも見る事のあるダックスフントの様な車に乗って少し恥ずかしい思いをしながら繁華街にあるウエスティン・ホテルに着く。 入り口から海が見えて、エントランすの処にはロッキング・チェアーが沢山おいてあって、大勢の人が揺れながら涼をとっていた。
私は一人なのにキングサイズの大きくて高さも高いベッドのある部屋を頂いた。 だた、妹達が言っていたように、洗面台が小さく、粗末なのには困り果てた。 窓の下には海岸があって、遠くに泳いだり、サーフィンを楽しんでいる人人があった。 このホテルはトテモ便利なところにあって、ABCストアーや免税店などにも歩いていける。
その日の夕食は歩いていける日本料理店で日本より豪華な幕の内弁当をご馳走になった。
私は割りに時差を感じないので、その夜はゆっくり眠れたが翌朝は寝すぎてしまった。
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