2010年7月21日水曜日

ようやく、家の改装が終了

昨年、屋根のかぶせ工事に始まって、洗面所、台所のレンジの取り換え工事、そして考えながら・・・思い切って二階と階下のトイレの段差を平らにする修理を終えた。 資金と時間との調整のため、一年半かけて、最後のトイレの段差調整作業は、高温の真っただ中の昨日、今日の二日かかってしまった。 

最近の建築では、トイレとか風呂場とかは段差なしのことが多いけれど、二十年以上前の建築では段差をつけるのが当たり前だったようだ。 年をとるとその段差が意外に気になって、特に二階のトイレは夜中に起きていく時、トテモ辛く感じるようになって来ていた。 昨夜は段差に慣れていた所為か逆に少し戸惑った感じもあった。 母が最期のころ、その段差に辛い思いをしたことも、私の記憶に残っていた。

少しずつの工事にも、嫌な顔をしないで、優しく付き合って相談に乗ってくださった、背の高いハンサムなUさんにも、感謝! 改装だけでなく、色々人生相談?もしたし、何時も聴き役だけの私の話もよく聞いてくださって、来て下さるのがトテモ楽しみだった。 お互いこれからも・・・と話して別れた。

思い通りの改装が出来て、これからの毎日が楽しみだし、しばらくご無沙汰しているお友だちをお呼びする事を考えなければ・・・・でも、この暑さはなんとも~ですね~。

2010年7月11日日曜日

参議院選挙と地域の防災訓練と英里ちゃん、里彩ちゃんのバレーの会と・・・

選挙は今回はパス。 前日投票という手立てもあったが、野球選手、柔道選手、女優などと余り納得したくない立候補者が多いことに、今回は少し嫌気というか、抵抗を感じて、あえて棄権した。

地域の防災訓練は朝9時からで、毎日自治会の広報車が近所を回って宣伝してくださったのと、地域の住民の出席が余りに少なく、反対に消防署の方々、の数の多さに申し訳なく、出来る限り少しでも・・・と思って9時から’煙体験‘ 消火器による消火訓練に参加した。 

十何年か前、私が副会長をしていた頃、大田区の久が原出張所に事務員として働いていて、特に地域情報誌「くがはら」の編集を手伝っていてくださったHさんが懐かしそうに声を掛けてくださった。 大分出世なさったらしく「お役に立つことがあったら、何でも呼び出して、言いつけてください」と仰ってくださった。 彼も余り変わってはなかったけれど、私も余り変わってなかったかしらね?とお友だちに言ったら「伊藤さんはお変りになってませんよ!」とまんざらお世辞ではなく応えてくださった。

一旦家に戻って着替えをして、妹と待ち合わせ成城学園駅近くのホールに行く。 今日のため熱心に練習をしたに違いない英里ちゃん、里彩ちゃんの属している”成城 前田バレーつぼみ会”は予想していたより大きなバレーの会のようだ。 

妹と私は前から二番目の列に席をとる事が出来た。 妹は余り近くて里彩ちゃんが気ずいて、手を振ったりしたら・・・と言ったが、それはそれで・・・・ということになった。

オープニングの全員紹介で、里彩ちゃんがお化粧をしてかなりおすましで舞台に出て来た。 私たちにきずいたようだったけれど、妹の顔を認めてもおすましして下手に下がった。 一段上にいた英里ちゃんは一段下の妹を気ずかって目で追っているのがトテモいじらしかった。 里彩ちゃんもママが心配していたかも知れない事は?なく無事少し口をとがらせておすまししたまま、舞台から消えて行った。

そのあと英里ちゃんも出番のガボットを彼女の性格をそのままにキッチリ正確に回りとも合せて無事こなして下がった。 そのあとは大分大きなお姉さま達の見事なソロが何組かあった。 こういう方たちは単なる趣味でおわるのかな~?と余計な心配をしてしまった。  

2010年7月7日水曜日

ベルちゃんの葬儀に・・・

もともと、飼い主の一人だった?妹の長男家族はハワイに出かけて留守だったけれど、帰りは待っていられないということで、日曜日に妹夫妻、次男夫妻とその子供英里ちゃん里彩ちゃんたちと私でベルの葬儀をする事になった。 

午後3時までに葬儀場に行くことだったので、早お昼を済ませて妹宅へ行った。  ベルはご近所の方々から送られた花束の中で、眠るように横たわっていて、声を掛けたら起きてきそうだった。

葬祭場は妹の家から車で10分くらいのところにあり、妹達はこの日のために前もって色々調べていたので、順序良く事は運んだ。 待合室には、その朝亡くなったばかりの猫ちゃんを連れ、悲しみで目を泣き腫らした若い、しかもお腹に赤ちゃんが・・・という女性がその夫といた。 この方たちも今朝まで、ネコちゃんと家族同様に暮らしていたに違いない。

しばらく待って、火葬場に案内され、人間と同じように、棺桶におさめられ、回りに皆でありったけの花をいれ、妹は、ハワイに行っていて来られなかった長男がメールで送ってきた思い出の記と自分で書いたお別れ文をそっとお棺に納めていた。 妹の泣き声が狭い火葬場に響いて、16年と言う長さを共に過ごした愛犬との別れの悲しさを感じた。

一時間半ほど、待合室で待った後、又火葬場に案内され、お骨拾いとなる。 驚いたことに、ベルの頭の先から、しっぽの先の先まできれいに並べられていて、お骨拾いするのが、はばかられるほどだった、 一応の説明があって、人間と同じように二人で一つずつの骨を拾った。 

骨壷におさめられ、人間と同じように骨壷の上の方に頭とのど仏を置きふたをして、金蘭の布袋におさめられた。 妹の話によると一年くらい、そのままにして、やがて一般のお墓に移されるそうだ。 

こんなに立派な葬儀をしてもらったベルはホントに幸せ。 これからしばらくは妹達夫妻もベルをしのんで辛い日々を送らなければならないだろう。

2010年7月2日金曜日

ベルちゃん、有難う! そして、さよ~なら!

作夕、下の妹から電話があった。 来客も帰り、これから夕食の支度をしようと思っていたところだった。
「ぺルが死んだ!」余りにも直接的で、声が泣き声とともに聞こえてきて、そのまま電話が切れた。

先日妹宅を訪問した時は、飼い犬のベルはかなり弱ってはいたが、右足を引きずってはいたけれど、食欲はあって、まだまだ大丈夫だと思っていた。 妹は怒るけれど、テーブルの下でお菓子のかけらをあげたら喜んで食べていた。 元気はないようだったけれど「まだ、まだ一カ月、一週間以上は大丈夫のように見えた。

初めて児玉家の一員になった日のこと、和室の廊下のすだれに飛びついて、檻から出ようと必死だった。
初めて車に乗って児玉家の十里木の別荘に行く途中トンネルの灯りに興奮した時のこと、何度も何度も投げたおもちゃを必死になって咥えて戻って来て、もう一度!と催促した時のこと。 色々思いでハ尽きない。


何より、久しぶりで児玉家を訪れても、私が玄関を入るや否や迎えに来て廊下から食堂のテーブル周りを二回りして、ちょこんと座った姿の可愛かったこと! 私には、時々妹に内緒で彼女に食べ物をあげるという隠し技があった。 お互い食いしん坊同士? テーブルに置きっぱなしにしていたチョコレートを全部食べてしまった!と妹から興奮した電話がかかったこともあった。  私が置きっぱなしで妹と買い物に行ったあと、私のサングラスをめちゃくちゃに噛み切ってしまったこともあったっけ。

どんどん、私の年を越えて行って、それでも可也長生きしえクrたベル、思いだはまだまだ尽きない。