昨日は久しぶり、英美ちゃんがニューヨークから、韓国人のピアニスト孫さんとのデュオによるコンサートを開くために来日、午後7時開演ということだったが、その場所が神奈川県の町田市なので、妹とたまプラーザ駅で待ち合わせ早めの夕食をとって、妹任せの行程で所定のコンサート会場に行く。 妹宅からは一度乗換の場所だったけれど、駅付近で通りがけの若い女性に場所を尋ねて、コンサート会場に行く。 そのホールの持ち主は芸術家タイプの方のようだったが、いきなり外ずけのらせん階段を上ってホールへ入るということに吃驚!
ホールと言うよりはサロンといった感じで入口の狭いホールにどういう方法でグランドピアノを持ち込んだかいぶかられた。 ピアノを囲む感じで簡単な椅子がピアノを囲むようにおいてあった。 開演時間が近ずくにつれ、席はほとんど埋め尽くされた。 なんだか少し安心した。
時間ぴったりに、久しぶりの英美ちゃんがにこにこしながらピアニストの孫さんと入室、最初の曲はモ―ツアルトのソナタ、ピアノとヴァイオリンのディオを聴くのは初めて、英美ちゃんは少しふくよかになったように見えたけれど、ある意味逞しさを感じた。 ピアノの孫さんも可也の腕の方のように思えた。 重い曲目の中に誰もが聞き親しんでいる小曲を混ぜたプログラムは聴く人々には受け入れやすかったと思う。 アンコールの二曲を入れて演奏時間は二時間余り。 久しぶりでコンサートを楽しんだ。 英美ちゃんも中々のテク二シアンだと感心した。 孫さんとの息も合っていタと思った。
帰り道が大変、途中池上線の洗足駅で降りてタクシーで家まで帰ったけれど、帰宅時間は午後10時45分だった。 年にしては若い、と言われつつも私はもうお婆に属する年なのだから・・・・。
2010年4月25日日曜日
2010年4月20日火曜日
私って元気?
今日、易の先生と電話でお話していて、京都の妹が「お姉さま、トテモ元気で・・・」と言っていたわよ!と仰った。 先日、京都に行った時、日にちが短かったのと雨天だったので、かなりムリな行程にも附いていった。 気を使って下さるお友だちにご迷惑をかけてはいけないという気もあった。 さすが、雨の中、仁和寺の庭園を歩いた後、竜安寺まで歩いたのは、かなり大変だった。
亡くなった母もそうだったように、私も毎日、努力をしているつもり、ジムにも出来れば週三回以上行くことにしているし、買い物に行くのも往復、買い物時間も入れて一時間はかかる。 雨が降ったり、風が強かったり日が照ったり、今日はやめたいな~と思ったりしても自分に鞭打って出かけることにしている。 ジムまで歩いて7分くらいなのは、私にとって幸せなこと。
今日も午後12時25分という半端な時間から始まるヨガに行った。 多分私が一番年上で、鏡に映る自分の姿を見て冷や汗をかくほど恥ずかしかった。 もう10年若かったら・・・と何時も思う。 それでも、毎週続けているうちに、少しずつ腕も伸び、形も整ってくる?と思っている。
先年、二週間入院して手術した後の回復が早かったのも、普段ジムで鍛えているからだ・・・と私も思い、友人たちもそう言っている。
そんな事を考えながら、何しろ毎日自分に鞭打ちながら、努力しながら過ごしているから~・・・
亡くなった母もそうだったように、私も毎日、努力をしているつもり、ジムにも出来れば週三回以上行くことにしているし、買い物に行くのも往復、買い物時間も入れて一時間はかかる。 雨が降ったり、風が強かったり日が照ったり、今日はやめたいな~と思ったりしても自分に鞭打って出かけることにしている。 ジムまで歩いて7分くらいなのは、私にとって幸せなこと。
今日も午後12時25分という半端な時間から始まるヨガに行った。 多分私が一番年上で、鏡に映る自分の姿を見て冷や汗をかくほど恥ずかしかった。 もう10年若かったら・・・と何時も思う。 それでも、毎週続けているうちに、少しずつ腕も伸び、形も整ってくる?と思っている。
先年、二週間入院して手術した後の回復が早かったのも、普段ジムで鍛えているからだ・・・と私も思い、友人たちもそう言っている。
そんな事を考えながら、何しろ毎日自分に鞭打ちながら、努力しながら過ごしているから~・・・
2010年4月15日木曜日
雨と桜と京都・・・宇治と
三日目帰り支度をして、友人達の泊まっているホテルに行き、そのまま京都駅に行く。 三日目はようやく晴れた。
その日は以前から行きたいと思っていた宇治の平等院へ、京都駅のロッカーに荷物を入れ、JRの快速で宇治駅までほんの十五分余り、駅から平等院まで徒歩十五分。 気持ちが急いでいたので無愛想な運転手の態度に怒りを感じながら、タクシーで平等院に行く。
紫と白の藤棚を横に見て少し歩いて行くと、急に開けて例の十円玉の裏側の建物が目に入った。 思ったより厳かで1052年に建てられたということが信じれれないような優美な木造建築だと思った。 鳳凰を模った建て物はバランスもよく、モダンな感じさえした。 建て物の前の池に鳳凰の形の建て物がそのまま映っていて、その建物の中ほどの格子の中に梵鐘が見られたのも驚きだった。 しばらく座って全景を眺め、帰り道は門前通りを通り、途中で茶そばのお昼を頂き、”上林茶店”という店が何軒もあるのに驚かされた。
お茶をしていた母が戦前、九州に住んでいるころから”上林”から所謂お抹茶を送っていただき、今、母の後を継いでお茶をしている妹も先年自宅でお茶会をした時’上林”からお茶を送ってもらっていた。 ただ、聞くと見るとでは違うというご多分にもれず、上林というお茶屋さんは何軒もあって、私がお茶を求めて出た隣の上林茶屋の女将が「うちが本家の上林です!」と声掛けをしている姿は少しあさましい感じをもった。
その日は以前から行きたいと思っていた宇治の平等院へ、京都駅のロッカーに荷物を入れ、JRの快速で宇治駅までほんの十五分余り、駅から平等院まで徒歩十五分。 気持ちが急いでいたので無愛想な運転手の態度に怒りを感じながら、タクシーで平等院に行く。
紫と白の藤棚を横に見て少し歩いて行くと、急に開けて例の十円玉の裏側の建物が目に入った。 思ったより厳かで1052年に建てられたということが信じれれないような優美な木造建築だと思った。 鳳凰を模った建て物はバランスもよく、モダンな感じさえした。 建て物の前の池に鳳凰の形の建て物がそのまま映っていて、その建物の中ほどの格子の中に梵鐘が見られたのも驚きだった。 しばらく座って全景を眺め、帰り道は門前通りを通り、途中で茶そばのお昼を頂き、”上林茶店”という店が何軒もあるのに驚かされた。
お茶をしていた母が戦前、九州に住んでいるころから”上林”から所謂お抹茶を送っていただき、今、母の後を継いでお茶をしている妹も先年自宅でお茶会をした時’上林”からお茶を送ってもらっていた。 ただ、聞くと見るとでは違うというご多分にもれず、上林というお茶屋さんは何軒もあって、私がお茶を求めて出た隣の上林茶屋の女将が「うちが本家の上林です!」と声掛けをしている姿は少しあさましい感じをもった。
2010年4月14日水曜日
雨と桜と京都
京都の二日目は妹宅の近所のバス停で友人達と待ち合わせ、仁和寺の桜を見に行くことになった。 仁和寺は妹の夫宅の墓所があるところで、毎年お正月には妹達とお墓参りに行ったが、隣の仁和寺はしばらく訪れたことが無かった。 仁和寺はテレビで紹介されている御室御所で、先ず御所の中を見て、所謂御室さくらを見るために奥の門から入る。
妹の家を出る時に「御室に行く」と妹宅のお手伝いさんに言ったら「私は御室の八重桜、花(鼻)は低くても、人が好く」という詩があります、と教えてくれた。 お友だち達とその日一緒に過ごして下さったお母様と揃って美人のお譲さま達にその詩を御披露した。 この詩は’おかめ’のことを言っているのかも?
なるほど、御室の桜は私達の背より低く、ぽってりした感じの花だった。 かなり広いお庭にはレンゲつつじもあちこちで色を添えていた。 この日は止むことなく雨がふりつずき、そこから龍安寺までの道は晴れていれば、それほどでもないのだろうけれど、狭い歩道を友人を先頭に私の後に若いお嬢様が守るように附いて歩いて頂き、竜安寺に入ったら石庭のバックに美しいしだれ桜が今を盛りと咲き誇り、四人でしばらく座って眺める事が出来た。
丁度お昼ちかくになったので、そこから岡崎へ行き、そのあたりの京料理店でお友だちのお友だちがら春らしいお料理を御馳走になった。 その後平安神宮へ歩いて行き、裏庭の池のある庭園でしだれ桜などを充分楽しんだ。 池の向こうでは綿帽子をつけた花嫁が挙式を待っている風景がまるで映画のシーンのように見られた。
雨の中にしては、かなり充分に?桜を楽しむことが出来た。 三人を誘って妹宅へ戻り、姪と諒ちゃんとを
紹介し、友人が近くの大徳寺、あぶり餅で有名な今宮神社に行ったことが無いと仰るので、送りがてら誰もいない今宮神社にお参りし、あぶり餅を皆で楽しんだ。 とても、充実した一日となった。
妹の家を出る時に「御室に行く」と妹宅のお手伝いさんに言ったら「私は御室の八重桜、花(鼻)は低くても、人が好く」という詩があります、と教えてくれた。 お友だち達とその日一緒に過ごして下さったお母様と揃って美人のお譲さま達にその詩を御披露した。 この詩は’おかめ’のことを言っているのかも?
なるほど、御室の桜は私達の背より低く、ぽってりした感じの花だった。 かなり広いお庭にはレンゲつつじもあちこちで色を添えていた。 この日は止むことなく雨がふりつずき、そこから龍安寺までの道は晴れていれば、それほどでもないのだろうけれど、狭い歩道を友人を先頭に私の後に若いお嬢様が守るように附いて歩いて頂き、竜安寺に入ったら石庭のバックに美しいしだれ桜が今を盛りと咲き誇り、四人でしばらく座って眺める事が出来た。
丁度お昼ちかくになったので、そこから岡崎へ行き、そのあたりの京料理店でお友だちのお友だちがら春らしいお料理を御馳走になった。 その後平安神宮へ歩いて行き、裏庭の池のある庭園でしだれ桜などを充分楽しんだ。 池の向こうでは綿帽子をつけた花嫁が挙式を待っている風景がまるで映画のシーンのように見られた。
雨の中にしては、かなり充分に?桜を楽しむことが出来た。 三人を誘って妹宅へ戻り、姪と諒ちゃんとを
紹介し、友人が近くの大徳寺、あぶり餅で有名な今宮神社に行ったことが無いと仰るので、送りがてら誰もいない今宮神社にお参りし、あぶり餅を皆で楽しんだ。 とても、充実した一日となった。
2010年4月13日火曜日
雨tと桜と京都と・・・・その1
11日から春の京都の桜を見に行った。短い期間だったけれど、トテモ充実した三日間だったと思う。
例年、年末から正月まで京都の妹宅で過ごしていたが、今年は何年ぶりかで友人が京都で桜を見ようと計画を立てていただき(短い日数だったけれ)、友人は駅近くのホテルで大阪に住むお友だちと泊まる事にして、私は大徳寺近くの妹の家に泊まった。
一日目は、曇りがちの天気だったが、三人で冷やかし半分に円山公園辺りの桜を眺め、友人二人と別れた。 まだまだ、桜は大丈夫とタクシーの運転手さんの話で、安心しながら・・・。
その日、私は妹宅へ行き、たまたま東京から長男宅を訪れていた従妹と長男、姪夫妻と久しぶりに会う諒ちゃんと一緒に、開店以来百年経ったというフレンチレストランに妹夫妻が招待してくれた。 この都では、震災も空襲もなかったので、百年という単位が簡単に使われる…と京都を訪れる度に思う。
昨年六月末に生まれた諒ちゃんも、全員に、にこにこ愛嬌をふりまきながら一同に’なごみ’を与えてくれた。 赤ちゃんは天使! お風呂が沸いたので、つずきは又・・・。
例年、年末から正月まで京都の妹宅で過ごしていたが、今年は何年ぶりかで友人が京都で桜を見ようと計画を立てていただき(短い日数だったけれ)、友人は駅近くのホテルで大阪に住むお友だちと泊まる事にして、私は大徳寺近くの妹の家に泊まった。
一日目は、曇りがちの天気だったが、三人で冷やかし半分に円山公園辺りの桜を眺め、友人二人と別れた。 まだまだ、桜は大丈夫とタクシーの運転手さんの話で、安心しながら・・・。
その日、私は妹宅へ行き、たまたま東京から長男宅を訪れていた従妹と長男、姪夫妻と久しぶりに会う諒ちゃんと一緒に、開店以来百年経ったというフレンチレストランに妹夫妻が招待してくれた。 この都では、震災も空襲もなかったので、百年という単位が簡単に使われる…と京都を訪れる度に思う。
昨年六月末に生まれた諒ちゃんも、全員に、にこにこ愛嬌をふりまきながら一同に’なごみ’を与えてくれた。 赤ちゃんは天使! お風呂が沸いたので、つずきは又・・・。
2010年4月8日木曜日
満開の桜も寒いのでは・・・・
桜の開花以来今日は珍しく晴れあがった。 今年ほど花がもったのも珍しい事だと報じている。
今日は午前中目黒まで買い物に出た。 バスは乳母車に子供を乗せた若いママが目立った。 行きのバスでは、乳児を胸に抱き乳母車に二歳くらいの幼児を乗せた若いママが馬込辺りから乗り込んできた。 乳母車の持ち手には大きな荷物が下げてあった。 バスは左程混んではいなかったので、そのママは座ることが出来た。 そのバスの運転手は可也ブレーキを強く踏むので、幼児を乗せた乳母車は運転席の方に転がって行きそうになった、私は少し離れた席にいたけれど、慌てて立ち上がって乳母車を押さえ、車の向きを車の進行方向に平行にしてあげた。
段差のある下側の席は老人、弱者のためのものなのに、若い人たちが座っていて、私の動きに対しても少しの反応も見せない。 私の前席の女性はどう見ても30~40代。 そのママが降りる時、私は少し様子を見た。
乳飲み子を抱えている母親は乳母車を独りでバスから降ろすのは可也難しそうだったので、私は又立ち上がって出口にひっかかっている前輪を外してあげた。 ママは何度も私にお礼を言って乳母車を押して行った。
バスの乗客は私の行動をどう思ったのだろう? 決して美談ではない、私は当然の事をしただけだ。 多分運転手は感謝したに違いない。 だったら、「ありがとうございます」くらい言えば!
帰りのバスは横向きの席は70歳以上の女性が座っていて、そこへ一歳少しの女の子を乳母車に乗せたママが乗ってきた。 そこでは実に和やかな空気が満ち満ちていた。 女児をあやす老女、その方におもちゃを手渡す幼児、しばらくラりーがつずいた。 私も思わず微笑んだ。
その後訪ねて来た25歳の青年にそのことを話した。 ロンドンに行った時、混みあった地下鉄の階段で二人の若い男性、と女性が同時に私の荷物を持って階段を下りてくれた話もした。 彼は「持ちましょう?と言って断られるのがいやなんですよ、多分」と応え「特に男の年上は席を譲っても、必ず断られるのです」と
言う。 なんだか、淋しい、人の情けの通じにくい国になってしまったのかしら? でも、この私もバスで初めて席を譲られた時は、かなり言いようのないショックに近いものを感じたのは確かなこと・・・・。
今日は午前中目黒まで買い物に出た。 バスは乳母車に子供を乗せた若いママが目立った。 行きのバスでは、乳児を胸に抱き乳母車に二歳くらいの幼児を乗せた若いママが馬込辺りから乗り込んできた。 乳母車の持ち手には大きな荷物が下げてあった。 バスは左程混んではいなかったので、そのママは座ることが出来た。 そのバスの運転手は可也ブレーキを強く踏むので、幼児を乗せた乳母車は運転席の方に転がって行きそうになった、私は少し離れた席にいたけれど、慌てて立ち上がって乳母車を押さえ、車の向きを車の進行方向に平行にしてあげた。
段差のある下側の席は老人、弱者のためのものなのに、若い人たちが座っていて、私の動きに対しても少しの反応も見せない。 私の前席の女性はどう見ても30~40代。 そのママが降りる時、私は少し様子を見た。
乳飲み子を抱えている母親は乳母車を独りでバスから降ろすのは可也難しそうだったので、私は又立ち上がって出口にひっかかっている前輪を外してあげた。 ママは何度も私にお礼を言って乳母車を押して行った。
バスの乗客は私の行動をどう思ったのだろう? 決して美談ではない、私は当然の事をしただけだ。 多分運転手は感謝したに違いない。 だったら、「ありがとうございます」くらい言えば!
帰りのバスは横向きの席は70歳以上の女性が座っていて、そこへ一歳少しの女の子を乳母車に乗せたママが乗ってきた。 そこでは実に和やかな空気が満ち満ちていた。 女児をあやす老女、その方におもちゃを手渡す幼児、しばらくラりーがつずいた。 私も思わず微笑んだ。
その後訪ねて来た25歳の青年にそのことを話した。 ロンドンに行った時、混みあった地下鉄の階段で二人の若い男性、と女性が同時に私の荷物を持って階段を下りてくれた話もした。 彼は「持ちましょう?と言って断られるのがいやなんですよ、多分」と応え「特に男の年上は席を譲っても、必ず断られるのです」と
言う。 なんだか、淋しい、人の情けの通じにくい国になってしまったのかしら? でも、この私もバスで初めて席を譲られた時は、かなり言いようのないショックに近いものを感じたのは確かなこと・・・・。
2010年4月5日月曜日
懐かしい・・・
あれから~もう30年以上も経過したのかしら? 夫が体を壊すまで働き、半生を尽くし、今はすっかり跡形もなく変わってしまった東宝株式会社の日本劇場。(日劇)については、今は相手の年齢を考えながら話をしなければ、通じない事も多い。
あの頃の日劇はニュヨークのカーネギー・ホールのように(今はそうでもないのかも)歌手・タレント達の登竜門だった。 未だテレビが今ほど発達していなかったので、例のロカべりー・ブームも日劇から始まり、夫はその時プロデユースをして、海外公演に出かけたのだった。 裏話も色々ある。 自慢話も・・・。思い出したくないことも・・・。
春・秋のおどりは可也のものだったと思う。 その後パリのフォリー・ベルジェールと比べても決して見劣りはしなかっただろうと今だから私は思う。
これからいよいよ、本題にはいるのだが、今日あだ名を天丼と言われていたトップ男性歌手から手紙が来た。
彼は踊り子さんの一人と結婚して男のお子様独り授かりその方はベルリンにいらっしゃるとか。 彼も唄を教えながら生活をしていらっしゃる。御手紙の中に、懐かしい名前の方々が亡くなってしまったのを知った。
妹がフアンになって楽屋を訪ねていた ビー玉、夫が育て上げてスターにしたM.Kさん、トップダンサーだったH.Sさん、素敵な振付師で当時週刊誌に大きき出たAさんなどなど。 家内も古希を迎え・・・と、時は経ったのだな~と改めて時のすぎるのの速さを思い、しばらくお一人お一人を懐かしく又亡くなった方々の御冥福を祈った。
あの頃の日劇はニュヨークのカーネギー・ホールのように(今はそうでもないのかも)歌手・タレント達の登竜門だった。 未だテレビが今ほど発達していなかったので、例のロカべりー・ブームも日劇から始まり、夫はその時プロデユースをして、海外公演に出かけたのだった。 裏話も色々ある。 自慢話も・・・。思い出したくないことも・・・。
春・秋のおどりは可也のものだったと思う。 その後パリのフォリー・ベルジェールと比べても決して見劣りはしなかっただろうと今だから私は思う。
これからいよいよ、本題にはいるのだが、今日あだ名を天丼と言われていたトップ男性歌手から手紙が来た。
彼は踊り子さんの一人と結婚して男のお子様独り授かりその方はベルリンにいらっしゃるとか。 彼も唄を教えながら生活をしていらっしゃる。御手紙の中に、懐かしい名前の方々が亡くなってしまったのを知った。
妹がフアンになって楽屋を訪ねていた ビー玉、夫が育て上げてスターにしたM.Kさん、トップダンサーだったH.Sさん、素敵な振付師で当時週刊誌に大きき出たAさんなどなど。 家内も古希を迎え・・・と、時は経ったのだな~と改めて時のすぎるのの速さを思い、しばらくお一人お一人を懐かしく又亡くなった方々の御冥福を祈った。
2010年4月1日木曜日
目黒川の桜
昨日、妹が桜を見に行かないか?と誘ってくれた。 例年私は近所の桜を見るだけで充分満足している。 時には少し離れたお寺のしだれ桜を近所の友人と見に行ったり、昨年は少し足をのばして、西武線の奥のお寺の大きなしだれ桜を見に行った。
今年は足にも自信が無くなって余り遠くに行く勇気が出ない。 妹にこのあたりに来てほしかったけれど、余りその気はないようだったので、一度は行ってみたかった目黒川の桜を見に行くことになった。 以前妹の長男夫妻が住んでいたあたりの何となく懐かしい、中目黒駅で待ち合わせた。
途中のバスから祝い提灯がちらちら桜もちらちら見えた。 目黒川沿いに行って見て驚いた。 完全にお祭り騒ぎ、大勢の人が両岸を歩いていた。 カメラを持ってる人、両岸の店でお茶を飲んでいる人々。 たまに、近所?の老人ホームのバスが通って、中をのぞくと、にこやかな老人の笑顔が見えて、嬉しそうに私たちにも手を振って応えてくれた。 桜はホントに人を和ませてくれる。 中目黒あたりは、さすがモダンを売りにしているだけあって、出店もピサパイとか洋風なお菓子とか、クレープなどの出店が多く、おでん、お好み焼きなどの店はほとんど見られなかったし、辺りのレストランもイタリアンが目立つた。
目黒川はどこに発し、どこに流れ着くのか私は今もわからない。 ただ、昨日は歩きつくすことは到底無理だということだけは確信した。 見て歩いているうちに桜はほぼ満開近くになったきた。 驚いたことに、山手通りに出てみたら、遠い地方からの観光客を乗せたバスが何台か止まっていた。
いまや、目黒川岸の桜は東京の名所に名を連ねたらしい。
今年は足にも自信が無くなって余り遠くに行く勇気が出ない。 妹にこのあたりに来てほしかったけれど、余りその気はないようだったので、一度は行ってみたかった目黒川の桜を見に行くことになった。 以前妹の長男夫妻が住んでいたあたりの何となく懐かしい、中目黒駅で待ち合わせた。
途中のバスから祝い提灯がちらちら桜もちらちら見えた。 目黒川沿いに行って見て驚いた。 完全にお祭り騒ぎ、大勢の人が両岸を歩いていた。 カメラを持ってる人、両岸の店でお茶を飲んでいる人々。 たまに、近所?の老人ホームのバスが通って、中をのぞくと、にこやかな老人の笑顔が見えて、嬉しそうに私たちにも手を振って応えてくれた。 桜はホントに人を和ませてくれる。 中目黒あたりは、さすがモダンを売りにしているだけあって、出店もピサパイとか洋風なお菓子とか、クレープなどの出店が多く、おでん、お好み焼きなどの店はほとんど見られなかったし、辺りのレストランもイタリアンが目立つた。
目黒川はどこに発し、どこに流れ着くのか私は今もわからない。 ただ、昨日は歩きつくすことは到底無理だということだけは確信した。 見て歩いているうちに桜はほぼ満開近くになったきた。 驚いたことに、山手通りに出てみたら、遠い地方からの観光客を乗せたバスが何台か止まっていた。
いまや、目黒川岸の桜は東京の名所に名を連ねたらしい。
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