2008年12月27日土曜日

御節料理

昨年につずき、今年もおせち料理を教えて、と英里ちゃんのママに頼まれたので、泊りがけで妹の家に行った。
京都行きの荷物のこと、御節の材料の事などで、それでなくても記憶力が落ちてきていると自分でも思っている私は色々忘れ物をして自己嫌悪状態。  だだ、料理に必要なものだけは揃って完璧に用意したと信じる。

私の料理のモッとーは手はず、特に正月料理は長持ちするもの、再加熱が可能のものの順に、取り掛かる前に考えて用意する事にしている。 
何時もゴマメを第一に作る。 今年はゴマメを沢山買い過ぎて、調味料の合わせ方等、英里ちゃんのママはすっかり作り方をマスターした、と言って下さった。 嬉しい事!  黒豆、キントンなども熱を入れ安いので早目に作ることが出来る。 それと金柑の甘煮が出来上がった。 残りの宝袋、煮物などは妹の専門分野として、来年はもう出張料理は必要ないだろう。 

料理も楽しいけれど、二人の女の子と遊ぶのも又楽しい。 最初の一日は妹の夫が子供たちの世話をしてくださったが、今日は私が楽しませていただいた。 そうこうしている内に、子供たちに指導できるくらい長い生きをしなければ・・・などと、ほぼ不可能な事を夢見たりする。 妹にはもう一人生まれたばかりの女の赤ちゃんがある。 おせち料理が代々受けつずけていけたらホントにうれしいこと。

2008年12月25日木曜日

R,0.さんの思い出

R・Oさんのご主人から先ほど電話があった。 直接お電話をしなくて、失礼しました、ということと私がお送りしたお悔やみ状とお香典のお礼をおっしゃり、私は御通夜やご葬儀に伺えない事のお詫び、そして年が明けて必ず御参りにお伺いさせていただく旨をお話した。 長~いご闘病生活でご主人もさぞや大変だっただろう。

Rさんは何時も何事にも私を立ててくださった。 言い方を代えればまるで召使のように付き合ってくださった。
例のHさんのこと、私は彼が彼女のことを貴族的とおっしゃってた、と言うことを伝えた。 ケッコウいいカップルになるかな~とさえ私は思っていた。 それから何年か経ってその方は奈良の天理学園の教師となられて、奈良のご実家に戻られ、私とは時々手紙の交換をしていた。 

何年か後、私は友人達と京都、奈良の旅をした。 京都の観光を済ませて、奈良に行きそれぞれ目的によって何組かに分かれて行動することにした。 そして最終的に奈良駅で集合する事にしていた。 当時は新幹線など無い時代で東京まで8時間ほどもかかり、列車に乗る前に駅で並んで改札を待ったものだった。 Rさんは少し遅れて待ち合わせ場所に来られた。 その時遠慮気に立って私を見ている男性があり、それがHさんだった。 どうして?私はわけがわからなかった。 後で知ったのは、RさんがHさんに会うために天理学園を訪れ、Hさんは私達に会いたくて駅まで来てくださったのだった。 私は思いつきもしない驚きでHさんを無視してしまった。 私は特にHさんに好意を持っていたわけではなかったが、二人の仲を取り持つ事もしたくない気がした。 

Rさんは私より大分早く結婚なさった。 学士会館でのお式にも出席させていただいた。 そして直ぐお子様を授かった。 お義母様が大変格式の高い方で、ずい分大変だった・・・とつわりの重いことをこぼしていらした。 
それにご主人の背骨の手術でも可也辛い時があったと記憶している。 
 

R.0.さんの思い出

去る12月22日(奇しくも亡き父と同じ命日)に亡くなった青山学院時代の親友と言える方の死は、予期しないわけではなかったが、突然やって来た。  

女は長い間、病床にあって保土ヶ谷の老人施設に5年くらい前からご主人と向かい合いの部屋で療養生活を送っていらっした。  私も友人と一緒にお見舞いがてら、思い出話をしに何回か伺った。 病名は分からなかったが、歩く事も立ち上がることも難しい状態だった。 食事もかろうじてスプーンで流し込む状態だった。 ご主人様は東大出のお医者様だったが、とうに引退していらっしゃった。

初めて彼女にお会いしたのは青山学院の今は本部と言われている教会の二階の教室で英文学の生徒は50人ほどだったし、彼女は大磯からの通学だったので湘南電車でお家から渋谷までは2時間以上かかり時々遅刻する事があって、そのお教室は入り口が前しかなかったので、何時も申し訳なさそうに入室なさる姿だった。

その後席が近くになって話すようになったけれど、彼女は、常に引っ込み思案で地味なかんじで、何時も授業が終ると急いで帰宅なさり、私たちのように授業を抜け出して映画を見に行くなどという事は絶対なかった。 どういう切っ掛けでお友達になったか記憶は定かではない。 彼女の成績は常に上位2,3番だった事を知って私は仰天した。

その後突然大磯に遊びに来るようお誘いを受けて、海にも連れて行っていただき母上はトテモ気を遣う方で、泊めて頂いた後も御近所の有名なはんぺんやさんで沢山のお土産を買って持たせてくださった。 多分その前何度か私の家にもお呼びした事があったような気がする。 彼女のご実家は日本橋の紙問屋さんだのだが、そのことを知ったのはお知り合いになってから何年も経ってからだった。 

当時私の父は、製鉄会社が最も盛んだった頃の役員だったけれど、私はそんな事をひけらかしたりした事は無かったと思う。 だだ、就職の時、父の勤めていた会社の外人役員の秘書に彼女を推薦して入社が決まっていたのに、ご家庭の都合で父上の代わりの事業を継ぐことになったことで、父に迷惑をかけたことを何時までもトテモ気にしていらぅした。 

もう一つは、卒業後私は時々従兄とその友人達私の友達と集まってパーティを開いていた。  Hさんという男性(その方は従兄の友人ではなく、私の卒業した女学校の生物の教師だった方で、男性の数が足りなかったのと、背が高くハンサムだったので仲間に入っていただいた)Hさんの彼女への感想は「貴族的な方ですね」というものだった。

R.0.

R,O<

2008年12月23日火曜日

一日早いクリスマス

下の妹の次男宅でのクリスマス会に招いてくれた。  英里ちゃん里彩ちゃんたちに会うのも久しぶりの事で、お茶の時間に間に合うように訪問した。  英里ちゃん、里彩ちゃん姉妹が嬉しそうに玄関で出迎えてくれた。 妹が選んでくれていた、英里ちゃん達へのクリスマスプレゼントは二人ともトテモ喜んで早速遊んでいた。

英里ちゃん達のママは実に手際よくいろいろな料理を作って、その組み合わせも抜群! 私が老婆心までに作っていった鶏の丸焼きは必要なかったかな?と思わせられた。 前菜はまるで一流イタリアンレストランのメニューだと思う。 やっぱり、食いしん坊は料理上手の代名詞。 私も何時も悩むのは前菜なのだけれど、彼女は三・四種の前菜を作ってくださった。 

ここま、書いたところで、今青山時代のお友達が亡くなったという御知らせを受けた。ご葬儀が27日ということで、私はその日は出席できないので、後日お伺いする事に決めた。 

今晩は妹が家まで車で送ってくれて、仏壇に線香をあげて「命日だから・・・・・」と言っていたが私は昨日が亡き父の命日だったということをすっかり忘れてしまっていた。 去るもの日々に疎し・・・という諺があるけれど、親の回忌を忘れるとは・・・・! どうりで、昨夜は眠れなくて、先ほどこのブログを書きながら眠ってしまっていた。  お父様、ごめんなさい。 そして、静かに亡くなったOさんのご冥福をお祈りいたします。 合掌。

2008年12月19日金曜日

結婚記念日?

今日は下の妹の結婚記念日だと言う。 何年目?と尋ねたら、41回目と・・・。 私は、もし夫が在世だったら、50年目ということになる。 私の結婚は当時としては遅めだったので、12歳も年下の妹と9年しか差が無いことに改めて私が園田家に居座ったことを少し反省した。

妹の夫が所用で今日の結婚記念日に共に外で祝う事が出来ないので、一緒に、食事をしてくれないか、と言うのでクリスマスの夜景を楽しみながら銀座で夕食をする事にした。 

銀座のクリスマスは余り華々しいものではない事は何年か前、姪夫妻とオペラ座の怪人を見に行った帰りに銀座に出てみて、がっかりした経緯がある。 その所為ばかりではなかったが、歩いているうちに銀座のメイン通りからだんだん離れてしまった。 久しぶりの銀座だったが、私の思い出の銀座は、はるか彼方で、以前にも書いてけれど想い出をたどるのも難しいほど、変貌したしまった。 殆どがブランド品の店ばかり・・・・。

妹が’ウエスト’に行きたいと言うので、並木どおりの本店がまだそのままあるかどうか訝りながら並木どおりに出た見たら、あった! 在った! 昔のまま。 この店は戦後割りに早い時点で銀座に出店して、お茶も飲めることから時々訪れた懐かしい店だ。 今では各デパートに出ていて、リーフパイは売りだ。
私は少し足が痛んできたので、妹には申し訳なかったけれど、並木どおりから少し入ったところにある中華料理店へ入った。 ここは銀座に本店がある店なのだけれど、以前は飲茶が美味しかったのだが、そのメニューはなく、内容もがっかりだった。 折角の結婚記念日なのに申し訳なかったと思ったり、相手が違うでしょう?と自分に言い聞かせたり・・・。 

銀座のクリスマス飾りはトテモ地味で、「これが、銀座!」と主張しているように私には思えた。

2008年12月12日金曜日

ヒト・ひと・人

今日は色々な方に出会った。 
先ず、書道教室を終えて友人と路地から家の前の道路に出たら、真っ白な高級外車が私の前で止まった。 そして久しぶり華やかな方が車から下りていらっした。 以前ジムで知り合って「ここで、話を出来るのは英子さんしかいません」などと仰って、私が当時通っていた雪谷の英会話教室まで附いて来られたり、しばらくお付き合いをした。

その当時はジャズ歌手を志しクリスマスごろには小さなホールを借りてジャズコンサートなどをなさって、お付き合いをした。 あれから何年?御近所なのに、ご子息の学校のこと、ご主人が定年後軽沢の病院長になられたりして、お付き合いも薄くなっていた。 いきなり「英子さんは、ピンクなど着ていらっして、ちつとも変わらない、お若いです」と仰った。 彼女は細いので、少しお顔にしわがふえたかな? 今ゴルフに夢中だと、私が想像していたお応えだった。 「何故連絡なさらないの?」と私は彼女には割りにズケズケとモノを言える。 「だって、何時も雨戸がしまっているから・・」と彼女。 妙に以前の事を覚えていて「姪御さんは結婚なさった?」とか色々立ち話をした。

書道をご一緒していた、私より一歳年上のお友達が最近お断りも無く欠席なさって、少し認知症ぎみらしく、皆で心配しているので、私が代表で昨夜お電話してみた、「今、デイ・サービスに通っていて、疲れるので暖かくなるまでしばらくお休みしますけれど、お習字だけは止めたくないので、お歳暮だけは支払う、と仰ったので、私がお立替して今日先生に差し上げた。 帰宅したところで、そのお友達からお電話があり「これからお立替分をお支払いに行く」と仰るので「私が途中まで、出ます」とお昼もそこそこ、家を出た。 途中でお会いする積りが、とうとうお家まで歩いてしまっつた。 お金の入った白い封筒を受け取って少しお話しをして、角まで歩いたところ、後ろから「伊藤さ~ん」という声がして「私、お代お渡しするの忘れていた」と私のほうへ歩いていらっしたので、「頂きましたよ!」と遠くから叫んだ。 もう一つ白い封筒を手に持っていらっした。 

その後、夕方又申し訳なさそうにお電話があって「伊藤さんにお金お渡ししたかしら?」と仰る。 「確かに頂きました」と再度応えながら、少し悲しくなってきた。 あんなにお家の中をキチントカタズケていらっしゃる方なのに? 「ご心配なく、私は何でもはっきり申し上げるから」と繰り返し言った。

次は、今日の午後、田園調布へ買い物に行った。 帰りのバスは可也混み合っていたので、私は荷物も重くなったので、座って帰りたくて、次のバスまで、辺りを一回りして来て座ることが出来た。 バスが出る直前一人の老婦人が乗ってこられた。 帽子をかぶりお洒落で上品な老婦人が運転席の側で窮屈に立っていらっしゃりその方が、私は気になった。 しばらくして、少し空いて来てその方が老人席に座ろうとなさる時私に声をかけられた。 「私はずーっと貴女のことわかってたわよ」と仰ったその方を改めて見て、三木さんだ!と分かった。 三木さんは久が原辺りの古い地主さんのお一人で、私が久が原南自治会の副会長として区の’わが町’に出ていた頃、西の自治会のお一人として出ていらっして、その後も時々ダイシン辺りでお会いして、他の自治会役員との個人的なお付き合いは無かったのに、私は特別よくして頂き、お家に招かれたりした仲だった。

2008年12月10日水曜日

何日経ったかしら?

しばらく書き込まなかったら、パスワードを入れ直したり、ややこしい事になっていた。

年賀状を印刷して、それに書き込みをして、なにより厄介なのは、アメリカのアナハイムに住むアメリカ人の御友達に英語で長―いお手紙を書かなければならない事だった。 彼女とは長いお付き合いで、私が結婚後大森の大きな家の洋間を借りていて、私が引っ越した跡に彼女と夫が住んだ・・・という仲で40年以上のお付き合いになる。

30年位前、初めて夫とディズニーランドへ行った時、やや強引に彼女の家に泊れと言ってくれて、ディズニーランドのすべてを彼女が支払ってくれた経緯がある。 年をとると妙にセッカチになり、色々早くカタズケなければ・・・と焦りまくる。 明日にはカードも投函できるだろう。

ところで、今日はジムのお友達のお父様が亡くなったので、その方をお慰めするために、五反田と大崎広小路の間にあるフレンチレストランに何時もの4人の仲間で行くことになった。  第二京浜の二本大崎よりのビルの地下にそのレストランはあって、入ってみたら雰囲気もお料理も品数が多く前菜、スープ、メインとデザートで4000円と5000円のコースがあり、少し古い形のフレンチだったけれど、ソースは色々あって、それぞれ違うメニューを注文して楽しんだ。 

私は2時半に歯医者を予約していたので、気にしながら、それでも2時には終えることが出来た。 外の3人は私の娘くらいの年齢で一番年上でも59歳とかで、皆気を遣って下さって、ホントに有り難いことだ。 それより、五反田近くにこんなに美味しいフレンチがあるのが分かったのは、嬉しい事だ。

2008年11月28日金曜日

自治会のバス旅行

毎年秋に行われる自治会のバス旅行は今年は横浜の三渓園と保土ヶ谷近くにある海洋研究開発機構の見学という。

9時に自治会館を出発、なんとも聞きなれない海洋開発とは?着いて分かった事は自治会の防災部で活躍してくださっている男性がお勤めなのと、この旅行の主催が自治会文化部なので、観光だけでなく美術館見学などの文化的な見学を入れることになっている。

バスが久が原を出るころから小雨が降ってきて、この旅行始まって始めての事と、心配したがさほどの事も無く、海洋研究開発機構という私どもにはやや聞きなれない研究所に着いた。 入ってみて驚いたのはその設備と建物の広さ、清潔さだった。 一同いぶかしげに建物に入り、自治会委員の男性の説明を聞いて、暗い部屋荷は入り、スクリーンに写されたのは深海探索船が深海6500mにもぐり深海の生物(魚)を写し、地球の底と言うか芯を探り。地球の汚染なども研究しながら今後の地球についてしらべ、天気予報、台風の進路なども適切に調べ公開する事が出来る。 

別の大きな部屋には地球シュミレーターが沢山並んでいて昼夜休むことなく稼動している様子を見せてくれた。  科学に弱い私は分かったような分からなかったような、だだ感心してこういう世界もあるんだ・・と思った。 何人か同道した男性方は可也興味を持った方方もあったようだった。

その後、目的の三渓園に着いて直ぐ昼食。 和菓子と抹茶の接待があり三々五々の自由散策となった。 私は来たのは初めてだったので、アチコチお友達と一緒に歩き回り大きな池、合掌造の古い建物、真黄色に色ずいた大銀杏、紅葉の下を歩き回ってお友達が写真を撮ってくださった。この三渓園は生糸で財をなした原三渓の屋敷だったそうで、 お天気だったらもっと色々楽しめたのに・・・。 

その後横浜の赤レンガ倉庫、山下公園などと市内を回って、久が原に着いたのは午後四時前だった。

2008年11月23日日曜日

昨日のつずき・・・ドイツ村

昨日のバス旅行のメイン、養老渓谷散策で思ったほど紅葉が進んでなく、多分同行の皆様も欲求不満気味だったと思う。 私は当初から若しかしたら、最後のドイツ村のクリスマス、ニュー・イャーのイルミネィションが今回のハイライトではないかと、密かに思っていた。 私の予感は当たった。 

バスが富津市を出て、木更津方面に向かい、袖ヶ浦ICから少し行った所で、辺りもすっかり暗くなり、遠方に信じられないほどの色とりどりのイルミネーションが見え、近ずくに従ってブルーの池、レインボー・アーチ、流星群、などが見られた。 丘の上には赤いイルミネーションの館があり、その裏の坂は芝生なので、小さな子供も転んでも危なくないようだ。  与えられた時間は40分なので、アチコチ行くことは出来なかったが、英里ちゃん、里彩ちゃん達が来たら、さぞ喜んで駆け回るだろうな思った。 昨日は可也暖かかったのと連休初日だったので、パパとママが子供を連れて訪れている数が多かった。 ただ、入場料金 大人1、200円はやや高いかな?

連休で高速道路は可也混み合っていて、出発時夕食のお弁当を予約しておいてよかった、とお友達と話した。 バス旅行も以前は食事つきだったけれど経費節約か?お昼一食しかつかず、夕食はオプシヨンとなった。 蒲田着は午後9時すぎだった。 好天気が今日の一番の贈り物!

2008年11月22日土曜日

連休中の行楽地

今年は紅葉の時期が少し遅いと思っていたが、結局、連休中の今日しかなく、待望の養老渓谷に行くことにした。
何時ものように個人的に行く方法を考えたけれど難しそうだったので、以前時々利用していたクラブツーリズムに応募した。 

蒲田駅午前9時集合で、案の定、養老渓谷への道路はかなり混み合ってこいた。 途中お昼にはお結びと少しのおかずつき。 ただ以前は確かお茶のサービスがあった気がしたけれど・・・・。 養老渓谷の紅葉はまだ早すぎた。 河を渡る為に置かれた飛び石を何度も飛び越えるので、バランスの悪い私はトテモ怖かった。
しばらく車でそれでも、道中何本かの紅葉を眺めながら亀山湖という可也大きな湖で止まり、次におみやげ物を買うために立ち寄った場所に近ずくにつれて、私はトテモ驚いた。 のこぎり山を遠くに望む富津市という海岸沿いの店なのだけれど、その海岸は思い起こせば(少し大げさかな?)戦前、私が板橋の小学校の六年生の時、つまり今から70年以上も前の夏休みの臨海学級で10日間過ごした海浜だったのだ。
 
その頃はひなびた海浜で左手にのこぎり山があって、その浜辺には今ではトテモ信じられないことながら、朝早く起きて浜に行くと、黄色、ピンク、白などの直径二センチほどのそれは信じられないほど美しい桜貝が散らばっていたもので、それを拾うのが楽しく、朝早起きをして浜に行ったものだった。

今夜はここまで・・・。、今、TBSテレビの大スクープ! 外のチャンネルではどのチャンネルでも未だ報じていない・安住アナは又これで名を挙げるだろう。 例の犯人が麹町警察署に自首したことを落ち着いて報じている。

2008年11月19日水曜日

医院のはしご

午前中はジム。 相変わらず何時もウオーキング・マシンで張り合っているお二人が私の動きを気にしていらっしゃるのを意識しながら、一人の方としばらく付き合ってお話し、私は私なりのマシンをこなす。 案の定、もうひとりの方がウオ―キング・マシンを終えられて、紙切れを持って私に近ずいて来られた。
私にとり飯の作り方を教わりたいという事だと思った。  先日その方のお宅へ行った時鶏飯を作って行き、それがお気にいって?明日アメリカから久しぶりで帰国なさるご主人のために作りたいということだった。 私は時々、両方にいい子で居る事に苦痛を感じるので、時間をずらしたりしている。 何で私が・・・。 「お二人、揃われると気を使うわ」とインストラクターのKさんに言うと「お察しします」と彼は理解してくださっているようだ。

今日はジムの後思い立つて、眼医者さんに行った。 「相変わらず伊藤さんの眼は1.0と、よく見えますね~60代の眼です」と満足そうに仰る。白内障の氣も無いし、眼底もきれいですと言われて嬉しかった。 
気をよくして、先日から気になっていた歯医者さんに予約を取ろうと、受付に行った所、今日これからでも大丈夫ですよ、と受付の方の応えで、そのまま、待つ事にした。 昨年の11月にいらっしてくださいましたね、と先生はお喜びの感じ。 とても優しく物静かな先生だと思っていたが、今日はトテモよく話してくださった。 私の口腔は上顎がカタチよく丸く口腔の巾も広いので、入れ歯がトテモ作りやすいのです・・・と仰った。 二つの医院で、今日は先生からお褒めの言葉を頂いて、これはある意味親に感謝かな?と思った。

2008年11月18日火曜日

六本木辺り

昨夕、御近所のお友達のご主人が箱根に泊りがけで友人と紅葉狩りに行って留守だというので、突然思い立って六本木のミッドタウンの”ライトアップ”を見に行こう、ということになった。 
午後四時ごろには薄暗くなって、ライトアップされるということだったので、午後三時半ころに家を出て、バスで五反田に行き、そこから又バスで六本木の森ビルに着く。 予定ではそこから所謂”チー・バス”でミッド・タウンに行くのだけれど、私は赤坂辺りを少し歩いてみたくて、途中でバスを降りた。 ところが森ビルまで歩いて行って、チー・バスに乗る場所をそこで働いている方、通りがかりの方に聞いても、マチマチの返事で、要領を得ず、このビルの設計に問題ありと見た。 

ようやくの思いでミッドタウンに行き着いて、そこで夕食を頂き外に出たら、周りの木にブルーの電飾がつきトテモ綺麗だった。 帰り道はミッドタウンの案内の女性にチー・バスの停留所をよ~く尋ねた。 バスを待っている間に通行人が「ここは元防衛庁だったんだよね」と言っているのを聞いて、ようやくこのビルの建つ以前のことに気が付いた。 まだ夫が東宝に勤めていたころ、私達の記念日に、(待ち合わせ場所として、よく利用されていた)六本木の’アマンド’で待ち合わせ、当時少なかったイタリアンなどに行き、その帰り道、防衛庁の裏口近くにあった‘ビー玉‘という今で言うレストラン・バーに寄ってウイスキーを1,2杯飲んだことがあった。 ビー玉は以前日劇の男性ナンバ―ワンの踊り手で(下の妹がフアンだった)当時は地の利がよかったので、作家の五木さん俳優さんたち、私が会ったのは越路吹雪さんのヘヤ―・デザイナーだった方、新劇俳優さんなど・・・・。 思い出を友人に話しているうちにチー・バスが来た。

少し長くなったけれど・・・そのバスは六本木のアマンドがある交差店を過ぎて、そのまま赤坂方面まで行き、その後、赤坂小学校、赤坂見附を過ぎて六本木からだんだん離れてきた。 そのうち赤坂プリンスホテル(ホテルの壁にクリスマス・ツリーが画いてある} ホテルニュー・大谷、赤坂御所、遂には青山一丁目。 お友達は「夜の東京めぐり」と私の焦りを気にせず、楽しんでいる。
これから、何処へ行く?私は気が気ではなく、ドコで降りればいいのか焦りまくる。 そのうち又同じ道に戻る。

私が余り気にしているので友人は運転手さんに訊きに行ってくれた。 結局は森ビルが終点だった。 「たった100円で伊藤さんの説明つきで夜の東京見物が出来て、よかった!」と大喜び、私は疲れ果てた。 

2008年11月14日金曜日

十一月十二日のコンサート

昨日、ニューヨークの励ちゃんのコンサートについて長々とブログに書き込んだのに、消えてしまって、書き替える気にならず一日経ってしまった。    改めて・・・・。

今回のコンサートはウイーク・ディだった所為か、当初彼の伯父の仁ちゃんが心配していたが、80パーセント位のの入りで、まずまずだったと思う。  イザイの生誕150周年を記念してと謳っている所為もあって、全部で10曲の演奏の内イザイのものが6曲だった。  日本ではイザイは余りポピュラーではなく、外の方の演奏は聴いたことがないが、励ちゃんはさすがジュリアードを主席で卒業したということと、イザイの研究家だということで、その技術は大変優れていた、と思う。 ただ、どの曲も同じように私には、聞える。 以前どちらかと言うと玄人好み・・・という批評があったがイザイの曲はどれも、衿を立てて緊張して聞く、と言う感じが否めない。

 「彼はエンターティナーではないね」という声とかその技術的なことについて、特に左の指の動きを感心している声があった。 所謂玄人らしい男性が一人で来て、熱心に聴き入っていらっしゃる・・・という方を何人か見た。
何時も遠くから励ちゃんのコンサートに来てくださる、妹のお友達が「一度、オーケストラとの演奏を聴いて見たいわ」と仰った。 私はパガニーニのものを聴いて見たい!と思っている。 

一昨日は雨も夜には止んで、寒さも左程厳しくなかったが、大分遅くなったので、途中からタクシーを拾って、家に着いたのは10時半だった。

2008年11月13日木曜日

2008年11月11日火曜日

胡蝶蘭

京都の妹の夫が旭日中授賞を受けるので、色々な方方から祝電やお花が送られてきて、可也の大きな家でも、沢山の胡蝶蘭のプレゼントに置き場に困って、妹と私宅へ回送してくれた。 

昨日、宅急便業者から電話があって、その花の鉢が今時のエコ車に載り切れず、指定の時間より早めに持っていっていいか?と可也強引な電話があった。 その声も感じのいいものではなかった。  そちらが指定した午後四時、車が止まって業者が鉢の箱を下ろすのを見て、初めて、これは大変!と私は思った。 家の中に持ち入れる大きさではない、と見た。  
ガレージでは可也みっともないので、とりあえず玄関への道へ入れてもらった。 その箱は有に大人一人が入れるほどの大きさだった。  それから30分以上も掛って箱を解体し、花の鉢を取り出し、翌日が資源ごみの収集日だったので、箱をつぶし私のこの重い身体で、押しをしてその後椅子の下に敷いて更につぶして紐で結わえてホッとした。 所用時間は30分以上。 つまり、翌日は粗大ゴミの収集なので、早く起きてゴミ捨て場に運ぶ。 今日は更に亡夫が使っていたゴルフセット二組も出すので、異常に緊張したが、無事ごみ捨て完了!

その上、お昼を、この春ニューヨークから来ていた英美ちゃんが在日中お茶のご指導、歌舞伎や能などへ道をつけて下さった妹のお茶の先輩に、お世話になった御礼として、フランス料理をご馳走することに決めていて、実は夏前にと思っていたのがその先輩が脚を痛められて、ようやく今日果たせる事になったのだった。
待ち合わせ場所を間違えられて三十分も御待ちしたけれど、お料理をトテモ気に入って喜んでくださり、ホッとした。 その先輩はお話し好きな方で、色々お話しが尽きず、実は少々疲れた。 その後近くのデパートで高嶺の花のお茶道具、塗り物、器などを見て目の保養をした。

2008年11月9日日曜日

得意分親でセーブマネー?

昨日ジムの友人宅に突然お呼ばれして、ご挨拶に持っていくものも、買いに行く時間もなく、考えた挙句「鶏飯を持っていくわ」と友人に言っておいた。 友人はウオーキング・マシンを降りて私を追いかけてきて「どうせお昼を頂かなければならないので、私はお寿司を少し取っておくので、ご一緒にお昼しましょうよ」と言われた。  お昼が遅くなるのは嫌だったけれど、以前からお寿司、お寿司と仰っているので、お言葉に甘えた。 お掃除は得意なようだったけれど、そのお友達はお料理は不得意のようだったので、私も考えあぐんで、前の晩の鶏飯の種が残っているのを思い出したからだ。 ご飯を炊いて、錦糸玉子を作ってどうやらカタチが出来た。 二人の友人はトテモ喜んで下さった。 昨夜はお昼が遅かった上、家に着いたらベルが鳴って、お習字でご一緒のお友達が生烏賊と柿を白味噌で和えたものをお届けくださったので、それだけ頂いた。 よその方のお料理は思いもかけない、献立で参考になるし、美味しく頂いた。

昨日の鶏飯も冷蔵庫を漁ってごぼう、人参、とり、椎茸などで沢山出来てしまったものだった。 また今日は、買いもに行くのが億劫になったので、冷凍庫を見て、鯛の切り身、豚肉のうす切り三枚で鯛は昆布出汁を取って葱、春菊などを入れ、たっぷりのお汁を作り、豚肉はニンニク、キャベツ、一つだけ残っていたピーマンを入れて炒め、黒みそで中華風に仕上げた。 その他に買い置きのモズクの酢の物などで多分栄養的にも充分だと自負している。 献立を考えるのは少し忘れ易くなっている脳の活性化に役立つかしら? 多分買い物に出たとすれば余計なものを買ってきてしまうだろうから、可也セーブマネーで来たことは確かだ。

2008年11月8日土曜日

好かれても・・・

今朝少し寝過ごして、慌ててゴミ出しをして、少し遅めに朝食をとっていたら、8時半に電話が鳴った。 こんなに早く・・・と訝りながら電話をとったらジムで、周りの方方から少し敬遠されている方からのものだった。 先日も「どうしたら、貴女に家に来ていただけるの?」と言われて返事に窮した事があった。 そして、私が時々行き来しているお友達もご一緒にいらっして、とのお誘い。  その方にお電話してみたら行ってもいい、と仰るので、健美操を終えて、そのお友達と一緒にお訪ねした。 前以て、ジムの方達の話を避けるよう、打ち合わせた。

そちらのお宅はお掃除摩と仰っているとおり、お家の前の道路からお玄関、応接間に至るまでピカピカ! お玄関先には先日は雪舟の掛け軸だったけれど、今日は備前焼きの、何やら高価そうな壷が飾ってあり、お軸も古めかしいものが掛けてあった。 応接間に入るまでに色々ご説明があって、今日はお昼をご馳走してくださるという事で、食卓には古いお盆、お皿、お碗などがそろえてあった。 彼女のご実家からのものだ、と仰る。 ご実家は?と聞くと、京都よ、と仰る。 何しろ凄いお金持ちらしい? お琴の間があって、お琴が二竿置いてあり、三味線も、それらを収める京塗りの入れ物があり、講釈も多い。 何故こんなにお金持ちなのかしら?と知りたくなるのを、抑える。

ご自分が出演なさった地唄舞のテープを見せてくださる。 三味線を弾きながらの歌声は、ホント、貴女?を言いたくなるほどお見事! ご一緒したお友達も褒め上手なので、彼女もご機嫌、ご満足だったご様子。 お家を出てからそのお友達も楽しかったわ、と仰ったのでホッとした。 

2008年11月3日月曜日

文化の日

最近、今日は連休になってしまうので、今日は何の祝日だったかしら?と考えてしまう。 
今朝の新聞を開いてみて、義弟がこの秋の叙勲で「旭日中授賞」授と言うのが正確には糸偏・・・を受けるので、新聞で確かめた。 確かに載っていた。 京都の新聞では大きな写真入で載っていた。 今日は文化の日だら・・・。 義弟はその前に中国政府から勲章を受けるために妹同道で上海からもどってきたばかり。 勲章を受けると言うのは大変名誉な事ではあるが、その式典に出るための服装を揃えるのが一苦労だったようだ。  その上、中旬にはスペイン国王が来日されて、京都を訪れると言う。 こんなに良いことが重なると反って心配になる・・・と義弟は言っている。

今日は妹夫妻と姪夫妻が上京していて、近所のフランス料理店に私も招待された。 これでは反対では? 二人の話しによると、今朝京都を発つ前、何十通もの電報がアチコチから来て、お花が{主に胡蝶蘭)が何十鉢も届いた由。
そして、近所のお寿司やさんからは沢山のお寿司が・・・。  近ければお花もいただけるのにね~・・・と妹と話した。  近くのフレンチレストランでもシェフが「おめでとうございます!」と言ってくれた。 

2008年11月2日日曜日

昨日と一昨日と・・・。

最近はやたら連休が多いと思う。 私達の夫達が働いていた頃は無論土曜日は休みではなく、私の夫などは日曜日までも出勤しなければならなかったり、働きすぎのまま身体も使い果たした向きがある。

ところで、一昨日は下の妹の友人で妹と私が仲立ちして結婚した方が5年くらいも前から鬱症状になり、最近ようやく、親しい人だけに会いたいと言うことで、妹とそのお友達とその方の妹さんとの総勢5人で昼食をすることになった。  妹と私は一度彼女のご家族に招かれて夕食をご一緒した。 その折に比べて大分回復されたようだったが、私は気を遣い過ぎたので、血圧が上昇して可也気分が悪くなってしまった。

その日は妹宅に泊めてもらう事になっていたので、とりあえず落ち着く事が出来た。 考えてみたら私も、若しかしたら周りに慰めていただいても良い年齢なのになあ~、それでも、まだ回りを慰められる状態なのは幸せと思うべきなのかも?

翌日の午後は三ヶ月ぶりで英里ちゃん里彩ちゃん家族に会った。  子供は三ヶ月会わないとずい分色々な点で成長しているのに驚かされる。 特に下の里彩ちゃんは前は単語で話をしていたのが、完全に文章で話し、理解力もずい分増してきていた。 妹と幹ちゃんが夕食の用意をしてくれている間、子供たちと久しぶりで遊んでいて、そのうちこちらが遊んでもらっている感覚になって来た。 女の子の遊びは男の子の遊びと比べてかなりバラエティがあるのを感じた。 何十年も前、彼女らの伯父さまと遊んであげて以来のことかしらネ?  その頃はレゴとかミニ・カー遊びが主だった様な気がする。 ともかく邪心がなく夢中で遊ぶのを見るのは楽しい事。 

2008年10月29日水曜日

情けないよ~

少しずつ、少しずつ、家の中の整理をしていて、先日は思い切って、一度も使ったことのない麻の夏座布団を捨てた。 その時、捨てようかどうしようか迷ったキラキラしたロングスカートの処置を考えた。
そうだ! 先日夏のものから冬のものに代えようとしているクッシヨンを作ろう! 少し古くなったクッシヨンのカバーを外して、スカートと合わせてみたら、4つ分はとれそう。

私としては少し丁寧に物差しを出して、クッションの巾を計って、4つ分裁断した。  後はミシンをかけて、中身のパンヤの入ったものを入れて閉じればよい。 本来のセッカチに加えて、年令が追い討ちをかける。  今晩中に仕上げよう! 夕方食事の用意を済ませてから、卓上ミシンを出した。  それからが大変!  糸をかけて、いざ針穴に糸を通そうとしたが、何十回試みても針のメドに糸が通せない。 改めて食後また試みた。 目が疲れるので時々目を休めたり目薬をさしたりした。 何時間掛っても、細い絹糸はメドを外れる。  とうとう午後10時も過ぎてしまった。 京都の妹から電話が掛ったのを機に、もう明日にしようと諦めた。  年をとったものだ。 自分にあきれ、苛つく。 もう、自分でする事は不可能とみた。

今日、近所のお友達に来て頂いて、メドを通すのをお願いした。 快く来てくださったお友達はわたしより、十歳以上も若い。 2,3度試みてすぐ通った。 無論その後、周りを縫って、パンヤをいれ、一部をくけて、忽ち完成!やれやれ、疲れたこと、それに、情けないこと!

2008年10月27日月曜日

秋の佐原めぐり

何時もご一緒に日帰り旅行をしているお友達が、佐原に行ってみたいと大分前から仰っていた。 私は何十年も前水郷に行ったことがあり、余り魅力を感じなかったが、色々調べているうちにその気になって、今日午前10時ごろ家を出て東京駅八重洲中央口に向かった。  今まで関心もなく、気ずかなかったのだけれど、中央口からはアチコチへハイウエイバスが出ている。 佐原まで、一人1700円の所二人なら1500円でいい、という。 
東京駅はまだ改装中でガードマンの指示に従ってバスターミナルへ行って驚いた次第。 近くでお結びとちょっとしたおかずを買い込んでバスに乗った。  総勢6人くらいの乗員で、およそ一時間半で、佐原に着いた。

バスを降りて目に入ったJRの佐原駅は、入り口に「佐原」と染め抜いた紺の暖簾がかかっていて、周りは白木の格子と言うユニークな感じの駅舎だった。 駅の前に案内所があったので、そこでトイレをお借りしながら様子を伺った。 係りの女性がお茶を出してくださり、訪れた近所の女性がご自分が作った揚げ煎餅をご馳走してくれた。

佐原は日本ではじめて地図を作った伊能忠敬が九十九里で生まれ佐原村に養子に来たという。 その伊能家は当時米の売買、酒造りなどを営む大きな商家だった由だ。  お友達がゴーヒーが飲みたいと言って、私が選んだ家は古い風情のある喫茶店で伊能という表札がでていて、親戚関係のような話だった。

その後お友達がどうしても河下りをしたいと言うので、付き合わざるを得なかった。 この料金も200円引きの1300円でいいよ、という事で、大原女のような着物と菅笠をかぶった遠目には早乙女のようで、近ずいてみたらまるでお婆さんの女性に案内されて、これもまた、おじいさんの船頭さんのモーターつきの和船に乗って、30分くらいの河下りを楽しんだ。 船の上から見上げる街並みは百年以上前に建てられた、商家や蔵なども見えて、船頭さんの説明に佐原が川越と同じように小江戸と呼ばれることが納得できた。

帰りのバスも乗客は5人ほどで、運転席の後ろに座ったら、運転手さんが話し掛けてきて、昨日は満席だったそうだ。 浦安を過ぎた辺りから、前方の窓に稲光が見えてそのうち、大粒の雨が叩きつけるように振り出し、俄かに大雨になり、バスの到着時間が道路混雑のため、遅れそうになって、運転手が会社と連絡をとっていたが相手に通じず「お客さん、上を行きますか、それとも下にしますか、決めてください」と言う。
 
今日ふれあった方達は皆優しく暖かい方達で、少し疲れたけれど、楽しい一日だった。

2008年10月25日土曜日

明け方近く亡夫の夢を見た

秋になると殊更亡夫のことを思い出す事が多い。 初めて会ったのも、結婚したのも秋だから・・・? それに今年は結婚してから、50年になる・・・・若し夫が在世していたら・・・・。

ところで、その夢は、(珍しくはっきり覚えている)妙なことに、幼馴染の少しは結婚を意識した方の家でその奥様と三人で親しく話をしていたら「ふさ子ちゃん、旦那の事見てきたほうがいいよ」と幼友達が、以前私をそう呼んでいた呼び方で言ったので「そうね、そうするわ」と私は隣の自分の家へ戻り(夢の中では隣だった)、部屋を覗くと、大勢の人人の中で楽しそうに、忙しそうにしている夫を見て、声も掛けられず、又隣の家に戻って「なんか、私のこと気にもしなかったわよ」と言い「そんなら、仕方がないね」と話したところで目がさめた。
なぜ、話かけてくれなかったのかしら? 目が醒めてしばらく考えてみた。 話し掛けたら呼んでしまうことになるからかしら? などとも考えてみた。 

時々、夫が海外出張先から送ってくれた手紙の束を開いて読んでみる。 ロンドン、スコットランド、コペンハーゲンからのもの、ニューヨークにの覧会の時のもの。オーストラリア、ニュージーランドからのもの・・・。
1960~1961年の英国出張先からのものは、ペンの色もだんだんあせてきている。 それらの手紙の束は大きな文箱一杯で、整理しようと思ったけれどそのまま、時々つまみ出しては読み耽ったりする。 出張先での色々な思いがそれなりに伝わってくる。 その当時通じにくかった事で、今なら理解出来ることもある。 若しかして、そんな手紙の束が身近にある事は幸せなのかもしれない。

2008年10月22日水曜日

お久しぶり!

二年くらい前に大倉山にお引越しされたお友達からお電話があり、是非お昼を一緒にしませんか、とお家にお誘いいただいた。 以前、一回お招きいただいたことがあって、今度はこちらにご招待をと思っていたけれど、お言葉に甘えて、御近所の以前、副会長としてご一緒に自治会活動をしていたTさんとお伺いした。

大倉山辺りは山(大倉山)があったりして田園調布からほんの10分くらいの所なのに、都心のマンションと違って周りはのんびりした感じだし、玄関も可也広く、畳一畳くらいあり、トイレも二つあってバスルームにも窓があり、可也住み良さそうだった。 これで二回目の訪問だったけれど、改めてマンシヨン暮らしもいいな~と改めて思った。 ただ、二年間そこに住んでいらっしゃるお友達は、私が同行したお友達と同じく、無類の植物、というかお花好きで、久が原に御住みのころ、お庭には一杯お花を育てていらっしゃったけれどマンションのベランダでは植物を育てるのが可也難しく、枯れたり、消えてしまったりして、悲しいと仰っていた。 

家具とかお皿などは倉庫に入れていて、必要に応じて連絡して持って来ていただくということで、やはり一戸建ての家からマンションに移るとメンドウなこともありそう。 お友達は「最近お一人暮らしの犯罪が多いので、伊藤さんお気をつけてね! その点マンションは管理人はいるし、4階なので、そういう心配はないのよ」と仰る。
 
お手ずくりの昼食を頂きながら、最近の御近所の話、自治会の話、ご家族の話で切れ目もなく、気が付いたら5時近くなっていて、慌てておいとまをする。 又近,じかお会いしましょうねと別れをおしみながら・・・・。

2008年10月20日月曜日

捨てる?・・・って、難しい

ジムのヨガ教室でご一緒のお友達が、まだ30代だと思われるのに、既に老後のことを考えて、その方面にトテモくわしい。 少し前、妹のお友達のご主人の事で色々伺ったら、積極的なご意見を仰って下さった。

先日ロッカーで二人っきりだったので、少し話を向けてみたら、何しろ不必要と思われるものは、今の内に捨てるべきだ、と強く仰る。  私は今のところ、まだ施設に入る気はないけれど、確かに家の中に普段使わないものが沢山ある。 洋服なども夏・冬入れ替えの時に少しは捨てるけれど、殆どはそのまましまって、ダンボール箱で五つはある。 

何から捨てたらいいか? 寝ながら考えた、夫の遺したものも、まだ捨てられないでいるものもある。 以前海外公演で撮った数多くの写真。 プログラム、ポスター類。 先日恐る恐る、箱を開けて見たら1957年からのパスポート、が何枚も入っていた。 私のものも三通あった。 思い切ってそれらは破いて捨てた。  海外公演のプログラムなどは、東宝で資料として使わないかしら? 一体どういう積りでそれらを引越しの時に捨てて来なかったのかしら? 私には子がないので子孫が見る事はないだろう。 残った人達が困るに違いない。 

私の日記帳は思い切って6冊捨てた。  読み返しながら、私がいなくなった時、妹達がそれを見るだろうか? そして「お姉さまはお父様やお母様のことでケッコウ大変だったのね~」と話すだろうか? 今捨てるのを迷っているのは、夫と私のゴルフセット、いずれも海外出張の時夫が勇んで?買って来たものだった。 今はどんな高かったものでも全部変わっている。 揃えて区の大ごみで捨てるしかない。 そうすればその場所に色々入れることが出来るだろう。 さあ、決心しなければ!

捨てる・・・?って難しい・・・。

2008年10月17日金曜日

大田区長寿健康診断の結果?

10月6日に受けた健康診断の結果をようやく聞きに行った。 
年に一度無料の健康診断を区で行ってくれる事になっている。 改めて「長寿」とあったのを見て「アア、そうか?」と思った。

10月は、毎年検査をする月と考えている。先日大腸検査を受けて、相変わらず腫瘍がある(良性ではあるが)区の診断の結果を聞きに行くのを一日延ばしにしていたが、いよいよ、血圧の薬がなくなってきた。 今日はどうしても・・・。
今朝はさわやかなお天気だったので、医院に入ったら先?患者が4人もいらっした。 お一人は以前プールでご一緒した86歳の方で、どこも悪い所がない、と仰る。 羨ましい事!  こわごわと診療室に入った。 「伊藤さんは乳がんにかかった事はないですよね?」と、私は慌てて「子宮癌になったことはあります」と言って、何てバカなことを・・・・。「いいえ、子宮筋腫で摘出しました」と応えた。 

調査用紙を御覧になりながら、先生は「血圧がたかいだけです」と言われた。 コレステロール値、気にしていた血糖値も正常。尿の潜血もすべてが基準値より下。 家に帰ってゆっくりを見直してみた。 すべてOK。 昨年より改良されていた。ジムで運動をしている所為?  核酸を飲んでいるから? とりあえず大安心!  ただ、少しスリムになる様に心がけなければ・・・。

昨日、ジムのロッカーで以前老人施設の話をして下さった30代?のかたと二人っきりになって、彼女の話しによると
もう、老後施設の入る事の用意をしているという。 先日も入居される方の荷物を整理してあげた、とか。 何しろものを少なくする事です。 と仰る。 その通りだけれど、中中モノは捨てられない。 

2008年10月15日水曜日

人間関係

三ヶ月くらい前、私の属しているジムに新しい方が入会なさり、その方が可也自己主張の強い方で、スタジオの空気が何となく穏やかではない。 私よりずい分長く会員になっていらっしゃる方が、私にその方のことを「皆、彼女が自慢話ばかりしていて、周りの人がいやがっている」と仰り、その方は「あの方は皆にきらわれている」と仰る。
私はどちらも、どちらと思うけれど後から入会なさった方はそれなりの遠慮があっていいのに~・・・と思うし、どちらかの味方をすれば、私に反って来ては困るので、適当に応えている。 

実は後から入会なさった方は私の家の近所で、一度無理やりお家に招き入れられて、ご自慢話ばかりで、私も少し辟易していた。 電話番号を交換したり、私に抱きついて親密さを表したり、私も特にその方と親交を持ちたいとは思っていないけれど、ジムでは仲良くお話をしたいとは思っている。 どうも、私は個性の強い方に好かれる傾向がある。 以前にも可也派手めの方が「このジムでお話するのはふさ子さんだけです!」などと宣言されて少しお付き合いした方があった。 あと二人、皆に敬遠されている方方とも私は分け隔てなくお話だけはするつもり。

最初ジムに通うようになったころ、ジムの中の方たちとは、その中で世間話をしたり、その場限りにしよう、と思っていたが、若い三人の方たちとは話が合って、グルメ友達として、時々ご一緒に食事に行ったりしている。 その方たちとは、中の方方の批判めいた話は絶対にしない。 もう一組、家にお呼びして夕食をご一緒した方方もあるが、
その二人とも明るく笑ってばかりのお友達で、時々スタジオでご一緒にサイクリングをしながら楽しい話をする。

道場あらし、のようなその方が今後回りに嫌われて来られないようになるのもお気の毒だけれど、二人とも私にこぼし話や悪口を仰らないで下さいネ。

2008年10月13日月曜日

年を重ねるということは・・・・

先週の金曜日の書道の時、私はうっかりしてジムに行ってしまって、書道教室の日だと言う事に気が付いて、クラブへ取って返したのだけれど、先生ともう一人年下の方だけだった。 私より少し年上の方がすっかり落ち込んで、来られないという話を聞いて、私は昨日力ずけと様子を見におかずを持ってたずねてみた。 

宮沢賢治じゃないけれど、北に困った人が居れば・・・・というわけ。  お友達は案外お元気そうだったので、安心した。 先生ご自身も、二年前鬱症状になって、レッスンの後何度となくお話を聞いてあげ、更に夜にも1時間も繰り返し同じことを言われ、原因を突き止めてあげて、回復なさったと私は自負しているのだけれど、その先生にお友達は30分も電話でこぼされたとか・・・。 二階にご長男のご家族が住んでいらっしゃるのに、一日誰とも話す事がない・・・と。 私だって独り暮らしなのだから、一日誰とも話さない日もある。 そんな時は思い気つて、外へ出る。 今日もそうだったので、蒲田まで出かけた。 何時もと違う景色を見る、そして、簡単なものを求めた。 
今朝5時過ぎにトイレに起きた際、足指がしびれて、固まり、このまま歩けないのではないか?と思うほどで、靴下を履いて寝たら朝には良くなった。 だんだんこういうことも増えてくるだろう。 

夜になって、長いお付き合いの友人から電話があった。 もう、83歳になられる方なので、健康の不安は私以上。
先日転んで腰を打って痛みがとれず更に胸腺が大きくなってレントゲンで肺に黒い点があるそうで、もうダメかもしれない、と仰る。 「何でも下向くに考えてはいけないわ」と力ずける。 「大丸に行きたいから、頑張るわ!」と。 「もう直ぐお誕生日だから、ご一緒に美味しいものでも頂きましょうよ!」 力ずけるのは難しい。

2008年10月12日日曜日

十月十二・十三日はお会式

毎年十月十二日・十三日は池上本門寺のお会式で、今晩は沢山の’万燈’と呼ばれる美しい、竹で作られた大きな籠様なものに桜の花を模した白やピンクの花をつけたものを日本中の信者?が踊りながら担いで本門寺の階段を上って寺の中へ入る。(実は参道を通って階段を上っていくところまでしか見たことがないので、その後どうなるか、正確には知らない)古くからこの辺りに住む方から聞いた所によると、もし万燈に付いて上って行ったら、今日中には戻れない・・・と言うことだ。

そのさくらの花は弘法大師がこのお寺の辺りでなくなった後、季節外れの桜の花が咲いたので、それを偲んで花をつけているのだそうだ。 その万燈の中には色とりどりの提灯がつけてあり、出発地の町名などが書いてある。 

今夜は風の所為か’ドンドコ’という太鼓の音は聞こえてこない。 今ごろは、踊りながら練り歩いている真っ最中だろう。 この辺りの万燈も最後に加わるらしいのだけれどそれは真夜中近くになるらしい。 何時もは車が沢山通る道路のアチコチに夜店が沢山出ていて、それをひやかしながら歩くのも楽しいことだ。 池上警察もこの日は多分応援を頼んで、人ごみや車の整理に声を嗄らしていることだろう。
 
私も一緒に行く相手が見付かれば、大体一年おきに行って見る事にしている。 言い伝えによれば、この夜は必ず雨が降るという。 それに昔は、お会式にはコートを着るほど寒かった・・・と聞く。  今夜は連休ということもあって、さぞ人出が多いことだろう。

2008年10月11日土曜日

ようやく・・・・

10月8日の下の妹の長男夫妻に女の子が授かった。
早速翌日妹と病院を訪ねた。  池袋で甥と待ち合わせ東部東上線で和光市の先まで行きそこから車で5分くらいの所に慈恵会病院系のまるで外国のホテルのような立派な産院があって、入り口を入って沢山の赤ちゃん達が丸いガラス張りの中の小さなベッドにい横たわっているのを見て初めて産院だということが分かるほどで、エレベーターで上に上がると周りの景色も見渡すことができて、アチコチにある待合所の椅子なども可也立派で文字どおり外国のホテルのロビーに居るような感じだった。 

赤ちゃんは生まれたばかりで、それでも昔の赤ちゃんと違ってお鼻も高く、髪の毛もシッカリ生えていて、まるでもう見えるかのごとく時々目を開いて見せてくれた。 産んだばかりのママも元気で普通に話が出来て、下の甥の二番目の子が生まれたときも産院で感激したものだったが、ほんとに今のママ達は幸せだこと・・・・、と一度も産んだ経験のない私でもこんなステキナ処で産後を過ごせるのならもう一度生まれ変わって産んでみてものだ・・・などと無責任な事を思ったりした。 
 
命名のお手伝いをして、その連絡係で何日か少し気を使ったけれど、ようやく落ち着いて、明日から元の生活に戻り今日は今まで不義理をしていた御近所のお友達のお家三軒をお訪ねして歩き回り少し疲れた。

予報によると、ようやく明日は秋らしいさわやかな日が巡ってくるらしい。 夜の月も美しい事だろう。

2008年10月6日月曜日

明日は大腸検査

ゆったりした海外旅行の話はチョッとお休み。

今日は年に一回の無料で老人健康検査を受ける日で、偶然に別の医院で予約した大腸検査がその翌日に決まった。 自分で決めた事で仕方がないか?と半ば諦め半ばメンドウだから一緒に済ませたほうが・・・と思っていた。 私は見かけによらず?気が小さくて、その二つの検査のことを考えて、特に大腸検査は一日ではあるけれど、惨めな食事をしなければならない。 例年ハウス食品で出している検査食を利用していたのだけれど、まずいお粥、薄い味噌汁などの事を考えただけで気分が悪くなるので、今年から自分で作る事に決めた。

朝食はコーヒーとバターなしトースト、お昼はうどんに卵を入れたもの、夕食はお粥に鳥のささみを刻み込んだものと豆腐の味噌汁、と献立を決めた。 こんなもの、作る楽しみなんてあったもんじやない!  余り考えすぎた所為ばかりではないだろうが、今朝になって血圧が200以上に上がった。 計る度にだんだん高くなり血圧計では計れないほどになった。 「これは、やばい、かも?」 とりあえず予約時間の午前9時前に係りつけの医院に電話した。 「検査には異常ありませんよ」とのお返事。 訝りながら歩いて出かけた。 「血圧の数字は、書き入れないで下さい」とだけお願いした。 レントゲン、心電図、採血など無事に終った。  その後家に戻って血圧を計ったら、可也下がっていて安心した。

ところが、久しぶりで最近夫(従兄)を亡くした従姉から長~い電話が掛ってきた。 何時もご自分のことばかり、ご自慢話とこぼし話がおよそ1時間半。 お腹は減っているし、話を聞いているだけで疲れて又血圧が上がりそう。
その電話が終って、ついでだから・・・・?最近、後継ぎのご長女を脳腫瘍で亡くされたお友達にお電話をした。
そのお友達はご自分が背骨の手術をなさり、ご主人が何年もご病気で入院後、今は施設に入れていらっしゃるので、お気の毒な感じ。 高額な老人施設に入っていらっしゃるのに、肺炎に罹っていた事が分からず、あわてて入院なさったところだ、ということだった。

次の電話はこわごわ出た。 その電話は以前この辺りに住んでいらっした方で、はじめてホッとした。 それは、
もう一人ご近所のお友達と遊びに来ないか?との嬉しいお誘いだった。

2008年10月5日日曜日

思い出の旅

土曜日の午前中の番組「旅サラダ」で歌手で女優の岩崎宏美さんが。大好きな都市プラハを訪れる、とういう番組を見た。  私も今から8年前ベルリンからポツダム、ライプチッヒ、マイセン、エルベ河を下ってドレスデンを訪れモルダブ河沿いのプラハへの旅をした。 この旅は同行者にも恵まれてトテモ有意義な旅だった。

まだ幼稚園に通っていたころ、私はキンダー・ブックという絵本にあったチェコソロバキアという未知の国に大した意味もなく憧れた記憶がある。 チェコは歴史的にいろいろ厳しい時代を過ごして来たと思うが、訪れてみて中世からの古い建物、玩具のような街並み、古いカレル橋は広くて長く欄干にキリストの12使徒の像があり、更に、モルダブ河のクルージングで橋の下をくくりながら見られた事は最高の経験だった。 カレル城からの眺望もまた素晴らしかった。 プラハはご一緒したお友達のご子息が是非行って御覧なさい、とのお勧めに従って選んだ旅だったのだけれど、深く印象に留める都市だった。 又来週の放映を見るのが楽しみだ。

この旅とニースからパリへの旅が一番記憶に留めておきたいステキナ旅だったと思う。  
明日はこの南フランスの旅の話を書きます。

2008年10月4日土曜日

早くも選挙・・・?

何時も『選挙」が近いということが報じられると、或る宗教団体に属して活躍していられる女学校時代の友人から電話が掛ってくる。 そして一くさり同期のお友達の近況を話してくださる。 彼女は私が卒業した女学校の近く?に住んでいらっしゃるのと、クラス会にもマメに出ていらっしゃるので、可也の情報通とみた。

彼女の話しによると、昨年から今年にかけてお二人の方が亡くなられたと言う事だった。 お一人は乳がん、もう一方は薬局を経営していらっしたが、心臓か脳の病気で急死だったそうだ。 お二人ともよく覚えている。 乳がんで亡くなった方はトテモ綺麗なかただった。

私達の年齢にしては亡くなる方の数がそう多くはないと時々思っているけれど、もう80歳に近い年なのだから、亡くなる方が出るのも当然なこと。 死に方を選べないけれど、なるべく周りに迷惑を掛けないで逝きたいと思うのは誰しも同じだろう。 夜、友人の死を聞きと何となく今夜は滅入りそう。

選挙のことの話は申し訳ないけれど、何時も聞き流し。 妙に逆らうのも反ってヘンな感じなので・・・。

2008年9月29日月曜日

今日はおフランス

ジムのお友達に誘われて、青山のフレンチレストランに行った。
朝から雨で、以前待ち合わせて日本橋に行った時も雨だったので「何方か雨女がいらっしゃるのじゃない?」と言ったら、4人ともが晴れ女だと言う事で、4人集まると雨になる・・・と結論ずけた。

そのフレンチレストランの名前は’MUSEAM 1999 ロアブッシュ という店で青山学院中等部の裏手にあった。 大正時代に建てられた古い建物で以前は鍋島公爵邸だったとか。  建物の中にアチコチにロシアの画家の珍しい絵が飾ってあり、ウエッジウッドの古いお皿などもあった。 雰囲気抜群! という感じ。

夏季限定のお値段だったのでフルコースでサービス料なども入れて一人およそ5000円は安い! 最後のデザートのケーキの数の多さには驚いた。 前種類を頂く事は不可能だった。 それに、話をしながらゆっくり出来たのは最高! 簡単な結婚披露やパーティなども出来そうな感じだった。

レストランを出て雨の中、青山学院の中を通って、説明しながら、そして懐かしみながら銀杏が沢山落ちている銀杏並木を表門まで歩いた。  先日青山学院のリーフレットに昔本部と呼んでいた礼拝堂と真島記念館(戦災で回りだけは焼け残りその後修復された)は永久保存すると書いてあった。 学校内の様子は可也変わっていたけれど、クロ―バーが生えていた記念館前の植え込みは以前のままだった。 礼拝堂の前の乙女椿の木は枯れてしまったのかしら?  あれから半世紀以上も経っているのだから・・・。

今日はオフランス

2008年9月28日日曜日

東京ミッドタウンに初めて行った

御近所のお友達が大分前から六本木のミッドタウンにある名古屋のお店に行ってみたいと仰っていた。 何時も親切にしてくださるので、何時かご一緒しようと思っていたが、丁度今日はご主人さまがお友達と一泊旅行にでかけられたということで、急に思い立って六本木に行く事にした。

関西に住んでいる姪がこちらにいた頃はアチコチ連れて行ってくれたのだけれど、最近は同じ所をウロウロしているだけで、ミッドタウンもテレビなどで見ているだけで、行った事はなかった。  無論お友達は東京辺りには詳しくないので、私が案内しなければならない。 五反田から六本木までバスが出ている事は知ってはいたが、何処まで行くのか検討もつかなかった。 お友達が行きたいと仰っている店が六本木のどの辺りにあるのか? 何しろ六本木ヒルズに行ったのは何年も前、オープンしたばかりの頃大混雑の中だったので、全く検討もつかない。

五反田からのバスは懐かしいソニービル辺りを通った。 驚いた事にあの大きかったソニービルは跡形もなくなっていた。 その後高輪泉岳寺を通り以前私が運転して夫を送った事のある病院の辺りを過ぎて赤坂を抜け六本木辺りに着いた。 けやき坂でバスを降りたのが先ず間違っていて、彼女の行きたいお店はミッドタウンにあった。 六本木ヒルズから小さなバスに乗って、ミッドタウンはヒルズから可也離れた所にあった。

初めてのミッドタウンには色々な店があったが、魚介味醂粕漬けの’鈴波’は直ぐに見つけられて、そこで昼食に粕ずけ定食を頂いた。 安くて粕漬けの魚もたっぷりしていて、二人とも満足。 粕漬けの魚などを求めて、周りのお店を眺めてパンなどもトテモ美味しそうだったけれど、トテモ高く、その上、お腹が一杯だったので、余り求める気もせずに、少し残念だった。 また、そのうち行きたいな~。

2008年9月24日水曜日

シルバー・パスと絵の展覧会

今日、下の妹に誘われて妹の夫の何回目かの絵の展覧会に行った。 今回の展覧会場は京橋から歩いて1分、都営地下鉄の宝町から歩いて3分ということで、私は何時もの池上警察からバスで中延まで行き、その後都営地下鉄の宝町で降りた。 今月支給されたシルバー・パスを使って無料で展覧会場まで行けるわけ。

このシルバー・パスを利用できることは、年金受給者の私達にとっては大変有り難い事なのだ。 例年9月の敬老の日辺りに色々な書類と昨年までのパスを提出して新しいパスを支給されるわけなのだけれど、私は区から送られてきた書類をよく読んで、必要書類を揃えて差し出したところ、係りの方に「こうして出してくださると、私どもは大変助かります」と言われた。  一番分かり難いのは、私のように収入が少なく、1000円でパスを支給される人にはそれを証明する介護保険領収書が必要になるわけで、それが理解出来ない方が多いようだった。

ところで、肝心の義弟の絵については(昨年は見にいけなかったけれど・・・)大分ご上達ですね・・・という感じ。 色合いもやわらかく、始められた頃は、裸婦を画かれたものがどう見ても裸夫に見えたものだった。 {失礼!) 今日も脳の発達の中で老年になっても発達することが出来るのは絵を画く事だ、と脳内研究の著名な先生がテレビで話していらっしゃった。 頑張ってください。

2008年9月23日火曜日

天高く馬肥ゆる・・・

’天高く馬肥ゆる秋’も近ずいている。 
それ以前に私は箱根、ハワイで色々美味しいものを頂きすぎて、二キロ近くも肥えてしまった。  さあ、大変! 十月六日の検査日までに元にもどさなければ・・・・。

二人の妹達の上の妹はなにやら高価そうなジュースだけ、下の妹は夫に付き合ってテレビでも放送された’バナナ・ダイエットを実行して、下の妹は元来痩せがたなのに、気にしていた下腹が平らになったという。  この私はたった一日下の妹のまねをして、朝、バナナ二本と紅茶の朝食を試みた。 トテモ、ムリ! 好きなはずのバナナが午後まで鼻について、翌朝は元に戻った。 

言わせていただけば、戦争中、戦後の育ち盛りにひもじい思いをしたので、食べ物に対して妙に執着がある。 それに私は無類の食いしん坊、これはトテモ、ムリだから、私はジムに行って鍛えるしかない・・・・という結論に達した。 それゆえに、箱根から帰京した翌日からジムに通いマシン、とかヨガ、健美操に励んでいる。 昨日も月曜日でジムがお休みなので、久が原の医院まで往復歩いた。 久が原の医院は午後二時半に着いて、三時から診察開始なのに終ったのは五時近かった。 往復で一時間は歩くことになった。 痩せるために運動してもやっぱり食べ物も控えなくては・・・という事は分かってはいるが習慣とは恐ろしいもの。 

2008年9月21日日曜日

元の生活に戻りました その2

今日は一ヶ月ぶりの料理教室の日だった。 今日はやや、家庭的な洋食?の献立にしたのだけれど、夫が好んだジェリード・スープが時間が足りず固まりそびれてようやく夕方になって、良い状態になったのは残念なこと。

一人残ってカタズケをしてくださった方が問わずガタリに結婚の話になり色々相談を受けた。 その方のお母様は以前雪谷の英会話教室でご一緒だったし、ご家庭の様子も分かっていたのでそれなりのお話しをしてあげた。 私は自分で言うのもおかしいけれど、色々な方方に色々な問題で相談を受ける事が多い。 年の所為ばかりでないだろうと自負している。 

ただ時々ムダな気の使いすぎで疲れたり後悔したりすることがある。 それは相手次第なのだから人を見て・・・?と言うことか?  それでも、久しぶりでジムに行ったら、アチコチから「しばらくですね~、どうなさったのですか?」と声がかかり、ヨガや健美操のインストラクターさん達も特別挨拶をして下さる。
そして、早速フランス料理に誘われたり、ご近所の方から「又家に来てくださいね」と誘われ、昨日は夜のおかずが届けられたりした。  しみじみしあわせだな~と思った次第。  

結局、私は今までどうりこれからも、人に優しく、相手を理解し、親切に気を遣って生きて行く事になりそう。

ようやく、元の生活に戻りました

しばらくこのブログへの書き込みをご無沙汰してしまいました。

この夏の間に感じたことの心の整理もあり、健康診断、大腸検査のこと、自分だけで決めなければならない預金の選択。 この秋は今まで心ならずも休止してたことの決心をつけなければならない。 

2008年9月7日日曜日

お祭のち雷雨

今年はこの辺り東部神社の本まつりで、今年のお祭もお手伝いをお願いします、と会長からの書中見舞いに書いてあったので、予定していた料理教室を延期してそれに備えた。
 
正午にお神輿が神社を出て、私の家の前の会長宅でお神輿が一休みすることになっている。 この辺りにはお店がないので、一休みする場所もなく、2年前からそういうことになった。 先ず子供神輿が来て、15分後に本神輿が来る。 子供のためにお菓子の袋とアイスクリームを用意し、大人の神輿の担ぎ手にはビールやおつまみを出す事になっている。 私だけではどうしようもないのでご近所の気の合うお友達にお手伝いをお願いした。 会長の奥様やご長女のご家族が私の言うこと従って配置などもして下さり、これが二度めのことなので、順序よく支度が出来た。

正午少し過ぎた頃、急に太鼓の音がして予想外に大勢の子供たちがお神輿を引いて来た。  その数の多さに皆驚いた。 お菓子が足りない! 殆どが見たこともない子供たちだった。 お神輿の係りの方達が大変立派に子供たちを監督してくださって助かったけれど、中には大人たちのために用意した棒チーズやソーセージを何本も持って行く女の子が居て、注意したがしばらくして大きな袋を待ってきて入れようとしていたので、私は遂大声を出して制してしまった。 お友達が後ろに大人がいるかもよ?と言っていた。 悲しいこと!

本神輿と神主さんがいらっして、私達におはらいをしてくださった。 私のほうに近寄ってきて親しげにお辞儀をしてくださった青年を見直したら、何時も出前を届けてくれる近所のお蕎麦屋さんの若い衆だった。 氷につけて冷やしておいたビールは殆ど飲む方はなく、お茶やウーロン茶が次々と空になった。 

今度から考え直さなければ・・・。 もう二年先は私も80才になるわけだから、もうお手伝いはムリかも・・・。
私の家のガレージには大勢の方達が座ったり、中にはねそべぅてりょうをとっていた。 ほんとに今日は暑かった。
午後近くのホームセンターに行って戻ってきて、妹と電話で話していたら急に空が曇ってきて雷と雨が強くなった。
果たしてお神輿は最後まで無事回れただろうか?

2008年9月5日金曜日

少し早めの墓参

例年秋のお彼岸近くに夫の甥が多磨霊園にある伊藤家の墓地に連れて行ってくれる。 今年は彼がその頃アメリカの息子のところに行くことになったので、少し早目の彼岸の墓参となった。

以前、私が車を運転していた頃は夫やその妹を乗せて行っていたものだったけれど、帰ってくると疲れてベッドに雪崩れ込んでしばらく横になっていた。 それかといって電車で行くのには可也遠い。 毎年気にしながら、甥の好意に甘えている。 今日も10時半ごろ何時ものベンツで迎にきてくれた。 

霊園に着いて、墓所まで何時も歩く道を迷ってしまうので門前のお茶屋さん、米内屋さんで道順を書いた地図を頂いた。 その地図には色々有名人の墓所が書いてあり暇があったら歩いてお参りしてみたいと思った。 入り口近くには私が学生時代よく読んでいた横光利一さん、その少し奥には私達とほぼ同年齢で台湾で飛行機事故でなくなった大好きな向田邦子さんのもの、有島武郎さん、三島由紀夫さん、岡本一平、かの子、太郎さん、伊藤家の墓所の近くには岸田国士さんのお墓・・・という風に文壇人のお墓が多くあった。 

それでも毎年訪れる度にお墓が新しく変わり、そのために道を迷ってしまう。 今日はまた物凄い暑さで、お線香をつけながら汗がしたたり落ちた。 果たして何歳になるまでここへ御参りにこれるかしら?と独り言を言ったら、甥が何歳になっても来れるよ、と優しい言葉を掛けてくれた。

途中、何時ものように甲州街道沿いの神戸やで昼食を取りながら、しばらく昔話をし、甥は私に世話になったことを思い出しながら、彼がアメリカに留学していたとき、夫がニューヨーク博のためニューヨークに滞在していて、甥がホテルに夫を訪ねたとき、夫はその前夜と言うか朝まで小澤征爾さんとホテルのバーで話していて、彼が訪れた時ノックをしても、中中ドアーをあけてくれなかった・・・などと話してくれた。 だんだん思い出が遠くなる。

2008年9月2日火曜日

三十三回忌法要

ホノルル滞在四日目、今回の目的である義弟の父上の三十三回忌の法要のため六年前と同じお寺に向かう。
お寺の祭壇は日本のお寺と同じように立派に飾られていた。  二十七回忌の時と同じお坊様がお経を読まれ、参加者が次々とご焼香をする。 遠いハワイの地とは思えないほど厳かに進められる。  すべて終ったあとお坊様がこれまでのご苦労と今の宗教離れの大変さを話された。 それも六年前と同じ。

その後、私達は例のダックスフンド状の車、他の方方はバスで日本料理やさんに案内される。 そのお店で出されたご馳走には驚かされた。  先ず突き出し、三品、さしみ、豆乳の滝川豆腐、酢の物、松茸の土瓶むし、天ぶら、茄子の焼き味噌、この辺りで可也満腹を感じたが、次にサンマの塩焼き(さば、鮭のチョイス)この辺りで白いご飯?と思っていたらこの店の売り、お寿司が出た。 殆どの方がそのお寿司には手をつけられなかった。  何しろアメリカ人は大食漢! 驚くべきものだ。

その日の夕食は私が皆様にご馳走する番で、当初創作フランス料理の予定で、やや高かそうだったけれど、残念なことに予約がとれず、義弟の提案でフィッシャーマンズ・ウオルフに行った。 湾を望める夜景の美しい所にあった。
驚いたことに、前菜に小えびのカクテルを頼んだら、大きな海老が六匹も連なって出て、皆驚いた。 たでその次のクラム・チャウダーは思ったほど大きな器でなくてホッとした。  メインは魚や肉の盛り合わせを頼んで、もう食べ飽きた、と言う感じだった。 この店は窓が大きく向こう岸まで見えて、それが売りだろうと思った。

今日はキッチリ一ヶ月ぶりでジムに行った。 入り口でインストラクターのKさんにだけ小さなお土産を渡した。
すべての方方が「しばらくね~」と声を掛けてくださり、お休みした理由を説明したり、懐かしがってくださる方方にご挨拶が忙しかった。

2008年9月1日月曜日

ホノルルの風はさわやか

姪の夫が車をレンターしてくれていて、北の方に行きませんかとドライブに誘ってくれた。 私は無論直ぐ応じたが、妹の夫は箱根に居た時から腰の痛みが良くならず、少し躊躇していたが、結局同行した。 姪の夫は以前何度もハワイに来たことがあるようだったので、右ハンドルにも、赤信号でも左折できる、などの交通規則にも直ぐに対応していた。 何しろ、日本での運転免許証が有効だと聞いて驚いた。 

道路はそんなに渋滞もなく、美しい海と緑の中を通って北の端にあるホテルで昼食。 そのホテルはゴルフ場もあり、ハワイアンオープンなどで見たことがある気がした。 日本の田中首相とアメリカのニクソン大統領が会談したホテルであり、更に驚いたことには姪がまだ4歳くらいだったころ、家族で泊ったことのあるホテルだったことだ。
姪は「私は覚えてないわよ!」と言っていたが、その時に別の島で少し年上の男の子の後に付いて、崖から飛び降りて頭を打ったことだけはいよく覚えていると言っていた。

ドライブの途中で、日本人のやっているグロサリーで氷菓子を売っていて、それが大うけで列をなしていた。 私は姪達夫妻とその列に加わって、日本の氷菓子より少し目の細かい氷にレインボーという7色の果汁をかけたものを選んで、満足だった。   

その日の夜は姪達夫妻が雑誌でみつけていた中華料理店に招待してくれた。 魚介類の料理がトテモ美味しく、かにの甲羅つきのものをマメと卵で絡めたものなどは、その量の多さにあきれるほどだぅた。さすが、その店のお客は殆どが中国人のようだった。  一旦書いたものが消えてしまうと、二度めは何か気が入らないし、疲れる。

京都からハワイへ

ハワイから帰ってこのブログに二回も書き込んだのに、どういうわけか入らなかった。

先週、妹達と同行するために、一旦京都の妹宅へ泊って、翌日関空からハワイに向かった。 可也の雨が降っていたので出発が遅れるかと思っていたが殆ど予定通り出発することが出来た。  10時10分?だったけれど、しばらくして機内食が出た。 ホノルル着は翌朝になるわけで、どうしても機内で眠らなければならないということだった。 ビジネス・シートでしかも隣は空席だったけれど、どうしても眠ることが出来ずに、ホノルル空港に到着。

ホテル差し回しの、時々日本でも見る事のあるダックスフントの様な車に乗って少し恥ずかしい思いをしながら繁華街にあるウエスティン・ホテルに着く。 入り口から海が見えて、エントランすの処にはロッキング・チェアーが沢山おいてあって、大勢の人が揺れながら涼をとっていた。

私は一人なのにキングサイズの大きくて高さも高いベッドのある部屋を頂いた。 だた、妹達が言っていたように、洗面台が小さく、粗末なのには困り果てた。 窓の下には海岸があって、遠くに泳いだり、サーフィンを楽しんでいる人人があった。 このホテルはトテモ便利なところにあって、ABCストアーや免税店などにも歩いていける。
その日の夕食は歩いていける日本料理店で日本より豪華な幕の内弁当をご馳走になった。 
私は割りに時差を感じないので、その夜はゆっくり眠れたが翌朝は寝すぎてしまった。

2008年8月30日土曜日

2008年8月20日水曜日

箱根は涼しかったですよ!

8月4日から昨日、19日まで箱根の小塚山、通称紅葉山にある京都の妹宅の別そうに招かれて行った。 妹夫妻は京都から小田原へ出て来るので私は独り新宿から高速バスで仙石まで行き、それからタクシーかバスに乗る予定だったが、メンドウになって、仙石原から別荘まで歩いて行って妹夫妻を驚かせた。

何しろ家の周りは多くの紅葉と深い緑に覆われていて、家の食堂から見る庭には岩たばこの群生で花はもう終ったようだったけれど、毎日、自家用温泉に入れるし、妹の夫は普段の疲れを癒すのに最適と言うわけだったが、当初から腰の痛みがあって、遂に滞在中には回復しなかった。

滞在前パンは十里木に来ていた下の妹が犬のベル連れで二泊して、それと入れ違いに芦屋から姪夫妻が来て、近くのイタリアン・レストランへ行ったり、湖畔にあるフレンチの名店オーベルジュ・オーミラドでご馳走になった。 その後は外大関係のお客様が二組泊られたり、少し緊張状態があった。 正直なところ、お客さまを外のレストランで済ませて頂くと妹も私もホッとするのだけれど、お昼をイタリアンで済まされてもお泊りとなると、夕食の前菜なども、買い置きの食材で料理しなければならず、知恵を絞らなければならなかった。

後半はお盆、オリンピックが始まり妹は真夜中まで観戦に熱中していた。 義弟は余り関心がないらしく、他のドキュメンタリーなどを自室で見ていた。 終戦記念日の頃の番組などは私も同時代なので、時々はお付き合いして見たりもした。 オリンピックの番組は、午後11時ごろから始まるものが多く、妹も私も少し睡眠不足になって来てしまった。 

当初長いと思っていた箱根滞在も終わりごろはトテモ早く過ぎていく気がした。 そして、仙石原途中の’ガラスの城’から高速バスで新宿でバスを降りて、しばらく振りで雑踏の町に立ってみて、なんと人の多いことかと、怖れに近いものを感じて、新宿から又バスに乗り継いで渋谷に行き渋谷から又バスで大崎広小路で降りて、そこからタクシーで久が原に着いた時、静まり帰ったb街並みに心からホッとした。 ここに住んで27年?私もようやく久が原ラーナになったのかな?

2008年8月3日日曜日

原爆63年目の真実、について

昨夜のテレビ朝日のドキュメンタリー形式の開局50周年特番「爆心地でほほえむ少女」について私は色々の思いを持った。 廣島の原爆については今までにも可也色々な報道がされていて、私の夫の親戚が廣島で受けた被爆についての話しなども聞いてきたし、廣島を訪れて原爆記念館にも行ったし、すざましい当時の話を夫の従兄たちから聞いたこともある。
  
廣島に原爆が落とされた後、当初は北九州の小倉に焦点を定めていたけれど、空が曇っていたので、長崎を襲撃することになったそうだ。 ともかく、二箇所に原爆を落とされることを避けることは出来なかったのだろうか? 先ずその事を残念に思うのは私だけではないだろうと思う。 長崎はまだ行ったことはなかったけれど、坂の多いそれでも何となく情緒のある都市のように思われる。 「爆心地で微笑む少女」について放送される前に何度もその情景が放送されていて、その美しい少女が、原爆を受けた後何故微笑んでいるのか? 微笑まされているのか? その応えはなかった。

 子供を背負ったその少女を訪ねて、石原さとみというタレントが長崎を訪れた。 その写真はアメリカ人のダニエル・マクガバンという人で、故人であった。 長崎の爆心地の辺りの建物から、小学校が分かりその小学校にあった古い写真からその少女の兄弟を探し出し、遂にはその少女に会うことが出来た。 

私が特に強い関心を持ったことの一つはその少女が多分私と同じ年ではないか、ということとその少女が、多分アメリカ人と思われる相手に何かをもらって満面の笑みを浮かべてお礼を言っている姿を自分に移し代えて見たからだ。
見付かったその少女はやはり、今78歳だった。 すっかり腰が曲がっていて、歩くのもたどたどしい様子だったけれど、今でもとても綺麗な老婦人だった。 

以前書いたことがあったと思うけれど、私も終戦後、駐留のために川越街道を通ったアメリカ軍人から、チョコレートやチュ―イン・ガムなどをもらって妹達や母を喜ばせようとの思いに誇りを捨てたことがあった。 あの少女のアノ笑顔も促がされたものばかりではないものもあっただろう。 あの画面ではその答えは無かった。

2008年7月28日月曜日

今日も朝から暑かった

最近のお役所?はホンとにキチンとしていないというか全くたるんでいる。
先日は隣の貸家のことで、税金未納との間違った連絡があり、今度は固定資産税未納の督促状が都税事務所から私宛に来た。 ところが例年は私宅の固定資産税の払込がくる殆ど同時に隣の貸家の固定資産税の払込通知書が来ていた。 私はメンドウなので金融機関で一括して収める手つずきがしてあるので、大して気にもしていなかった。 そこへ督促状、、ときた。 怒りを抑えながら都税事務所に電話して事情を聞いた。 「残ってはおりません」と言う
つまりお出ししたはずだというわけ。 お出ししたものだったら手元にあるはずでしょう? あんな分厚いものが・・・。 とりあえず一期分だけ支払いに金融機関まで行った。

その脚で千鳥町から池上駅まで一駅だけれど電車に乗った。 降りた池上駅が異常な雰囲気だった。  パトカーが2,3台バスも3,4台、白バイ、東急バスの社員らしい制服の人たちが大勢、駅前はごったかえしていた。 お会式の時より込み合っていた。 そのなかを独りの背広姿の老人がウロウロ歩いて警官に話かけようとしていたが、警官はそれを避けているように見えた。 暑いのと急ぐので私は銀行へ直行した。 夕方のニュースで事情が分かった。 「今日午前11時ごろ東急池上駅で85歳の女性が東急バスにブッカつて死亡した」と言っていた。 そうするとあの老人はその方の夫だったのかしら?  アノ駅前は交番もあるもののあまりにも狭くバスも多数行き交い、タクシー乗り場にタクシーが並び本とに危険で私は何時も注意して歩道をわたっている。  
朝から日差しも強く、人も車もイライラしているのでいよほど気をつけなければ・・・と言いたい。

2008年7月27日日曜日

ホタル・ほたる・蛍

先日英里チャンたちに’ほたる’を見せたい、と妹の次男の嫁の幹ちゃんが言っていたので、この辺りの洗足池で、先週の土曜日、‘ホタルまつり‘があることをメールした。 私はあまりそのことについての知識が無かったのでそれを主催している青少体の御友達に伺ってみようかとも思っていたが、あまりにも日にちが迫っていて、しかも十里木から帰って来たばかりでそれも出来なかった。 幹ちゃんからのメールで可也混むらしいことをネットで調べたので諦めます・・・ということだった。

私は子供の頃九州の八幡市、今の北九州市で生まれて12歳まで住んでいたので、少し離れた所へ行けばホタルを見たり捕まえたりすることが出来た。(無論それは戦前のことで今ではそんなことは不可能だろうが・・・)捕まえて蚊帳の中に放したり、あの青臭い匂いまで今もおぼえている。 なんとも神秘的な光に、「ホタルの光、窓の雪・・・」という小学唱歌のホタルの光は何匹集めたら本が読めるのかしら?などと子供心に考えたものだった。

地球温暖化とか汚染とかでだんだんこういう話も活字の上のことだけになるのかしらねぇ?  

今朝は暑さも少しは楽で、エア・コンを入れなくてすみそうだ、と思っていたら、前の道路を「久が原南自治会の広報車です・・・」と聞きなれた私の後任の副会長のTさんの声が聞こえてきた。 今ごろ何?耳をすましたら「今日午後**時から南自治会のクラブの二階でホタル大会を開催します。 カキ氷などもございますので、ご家族でおこしください!」と聞こえた。 さては洗足池のホタルの生き残りを運んできたのだ! そう言えば去年もそんなことがあったっけ? 急に私はそのことを思い出した。 英里ちゃん、里彩ちゃん、来年は是非見に来てね!

2008年7月24日木曜日

英里ちゃん里彩ちゃんたちと十里木に行きました

先週土曜日、有難い事に、お昼頃英里ちゃんたち一家がわざわざ車で私の家まで迎えに来てくれて、近くのファミリ―・レストランで軽く昼食をとって妹の家に行き、私は妹の車に乗り換えて十里木に向かった。 連休なのに東名は案外空いていた。 何しろ着いて感じたことは、涼しい!ということ。 何時も淋しく夕食をとっている私には、妹、甥達夫妻、英里、里彩ちゃんたちとの食事は賑やか過ぎるくらいのものだった。

翌日は三島に出て甥が楽しみにしていた鰻を久しぶりで頂くことになったが、雑誌などにも出ている所為かその店は特別の込み具合で暑い中を一時間待ちという。 甥が見つけてくれて近くのスーパーマーケットで時間つぶしをしたが、結局1間40分待ったことになる。 それでも席について、一口頂いた瞬間皆が「やっぱり、美味しいねぇ」と口をそろえて言った。

お天気にも恵まれて、翌日は甥達一家は近くのサファリ―・パークへ行き、妹と私は洗濯などをしながらゆっくり過ごした。 帰ってきた英里チャンたちは興奮して動物達とのふれあいを話してくれた。 甥だけが仕事があるので帰京した翌日は近所の遊園地へ行った。 昨年も行ったので様子が分かり、昨年よりずい分成長した娘達は疲れも知らず走り回って楽しんでいた。 昨年は私が疲れ果てて早く家に戻りたかったのだけれど、今年は妹が気を遣った所為か、早く戻りたいと言うことで、家に戻りその日の夕食は御殿場の行きつけの中華料理店で済ませた。 

時間がたっのが早くて、何時も思うのだけれど、来てしまうと帰るのがいやになる。特にこの度は二人の小姪が一緒なので殊更・・・。 ただ、痛切に感じ、自己嫌悪に陥ったのは、自分が忘れることが著しく、情けなく感じることが多かったこと、昨年頭を切って、MRIを撮った時、先生が記憶の血管が細くなっていると仰った事をしみじみ感じた。 どうしても、普段独りで暮らしているので、刺激も少ないからと言うこともあるのかなあ~?

2008年7月18日金曜日

友達の輪

先週の健美操の時間に介護士をしていらっしゃる御友達に久が原にある介護付き有料老人ホームのことについてお尋ねしてみた。 下の妹の友人のご主人様が介護つきのホームを探していらっしゃると言うことを聞いて、何か助けになるかと思ったからだ。 そのお友達は、その場でご主人がお医者様というお友達をご紹介くださり、大崎駅の近くに介護情報舘という処があると仰って、次のヨガの時に資料をお持ちしますと約束してくださった。  

実のところ妹のお友達は色々苦労なさって、アチコチ施設を調査されて、その時点で久が原にあるアライブ久が原という施設にほぼ決めていらっしたらしかった。 それとなく、伺った事に対してお約束のヨガ教室の時には、そのご紹介いただいたお友達は欠席だった。 ところが、思いもかけず、木曜日の夕方、そのお友達のお友達のお友達で私がお親しくしているSさんが私をお訪ねくださり、ご紹介されたお友達からのメモを持って来てくださった。
 
シニア情報舘というシニア住宅情報舘の紹介と場所、電話番号などがメモされていた。  ありがたいやら、申し訳ないやらで、もっと早目に伺っておけばよかった、と思った。 そのメモは何かの時にと思って取っておくことにした。

 ジムの仲間の間にもいろいろ問題があるらしいことも時々聞いているけれど、私はお陰さまで周りの方方からもよくして頂いて、ホンと感謝、感激の毎日なのです。

2008年7月16日水曜日

毎日あついですねぇ~、でもまだ梅雨は明けないようです

30度以上の日が続くと、夜まで何となく暑さが残って、それでも夜はエア―コンは入れないで窓を少し開けて寝ている。 朝の目覚めはよいので、まあ当分はこのまま過ごせそう。

昨日は特に予定はなかったので、誘われるまま上の妹の渋谷の家に行った。 南からの風が割りに涼しく昼食後応接間のソファーに寝そべっていい感じ・・・だった。  昼食は近所のお寿司を頂き、夕飯は近くの私は初めて行くイタリアンに連れて行ってくれた。 妹の家の付近には鰻やさん、フレンチ・レストラン、中華料理の店など毎日行っても行ききれないだろう。 それに比べて私の家の近所の惨めなこと!

ところで昨夜行ったイタリアンの店は中は質素でお客も少なかったけれど、イタリー料理の特徴の一つの前菜も変わっていて、我々がオーダーしたいかのペペロンチーネはいか、ニンニク、赤唐辛子が利いていた。ほうれん草のニョッキも適当な歯ざわりで、ゴルゴンゾラ・チーズの入ったクリームのスープは絶品で出されたパンにつけて頂いた。 この辺りで二人とも可也お腹が一杯になって最後のメイン料理の豚の料理は二人でシェアーしても、もうデザートまでは手が出なかった。 周りの上品な老紳士が召し上がっていた真っ赤なオレンジのシャ―ベットは次のお楽しみ。

夜は可也涼しくなったので、私が決めている楽々コース、渋谷からバスで大崎広小路、そこから五反田駅まで少し歩いて、池上警察まで又バス・・・・交通費無料、の時間はかかるけれど、座ったまま帰れる道を選んで帰宅。

2008年7月11日金曜日

お盆って何時から何時まで?

昨日は下の妹がお盆の仏様参りに来てくれた。 久しぶりの来宅だったのと考えてみたら彼女には余りキッチッとしたご馳走?をしてあげてないのを思って、私流のフランス料理を作ってあげる事にした。
スープは先日と内容を変えてマッシュルームの冷製、メインは舌平目の重ねクリーム添えサラダは先日と同じライス・サラダにした。  少し遅い来宅だったので、色色故人の思い出話などをして、心地よく過ごしてくれた。

今日は京都の妹がお昼近くに来宅。 私はその前に書道教室に行き、お昼は頂きものの笹寿司と彼女の喜びそうな新サツマイモの蒸して焼いたもの、味噌汁果物好きの彼女のために桃、キーウィ、マンゴなどを盛り合わせて「貴女は何時もご馳走をいただくことが多いので・・・」と注釈をつけて出して喜んでくれた・・・と思う。

私は家を留守にすることが多い所為か、長らく連絡の無かった夫方の甥{ニューヨークの英美ちゃんの伯父)から5ヶ月ぶりで?電話があった。 英美ちゃんのことをよろしくとお願いされて以来のことで、私も色々メンドウを見てくれた妹達にも所謂合わせる顔のない状態だったので、少し声を荒げてしまったかもしれなかった。 彼は昨年生まれた長男の有ちゃんのメンドウを見るために、カリフオル二アへ大分長い間行っていたようだった。 妹がいたので余り長い話は出来なかった。

次は英里ちゃんと里彩ちゃんからの十里木行きのお誘いの可愛い声の電話が掛ってきた。 まだすっかり決心がついていないので、彼女達のママの優しい思いやりにも「前向きに考えます・・・」としか応えられなかった。 どうしよう?

妹と夕食は簡単にと、ケンタッキーのチキンとサラダありあわせのスープなどを頂き終わった頃、玄関のベルが押された。 「今度は又何かしら?」と出てみたら、亡母とお親しくしていただいたご近所の奥様が大きな花束を持って立っていらっした。 何ヶ月前かにその方にお会いしたときに「母の位牌は私宅にあります」と申し上げたのを覚えていてくださり、お盆の御参りにいらっしてくださったのだと思い、おあがり頂いた。「お母様の夢をよく見ます、何時もキチントご立派なお着物を召していらっしゃいますよ」と仰り、お線香をあげてくださった。 13年も経っているのに・・・と有り難いことと思った。

2008年7月8日火曜日

何か起きると、又何かが起きる・・・。

昨日はジムのお友達三人をお呼びして、昼食会をする約束をしていた。
何しろ顔の腫れがまだ引かず、うっとうしい限り。 目の周りだけではなく頬のほうまだ赤くなって来た。 毎年今時に必ずと言っていいほどこういう状態になるのに、その予防法がわからない。 お友達をお呼びするのを伸ばそうかとも思ってみたが、それもメンドウだったので、念のため朝一で皮膚科のお医者様へ行った。 そして、飲み薬とクリーム状の付け薬を頂いた。  それをつけて少し良くなりそうな気になった。

11時丁度にそれぞれが思い思いのプレゼントを持って来てくださり、私は教える約束をしたキッシュを指導して作った。 前以てオードブルと冷製スープ,ライスサラダは作っておいたので、賑やかにお話をしながらの昼食になった。 デザートに洋ナシのタルトと手作りの牡丹餅を頂き、皆、動けないほどお腹一杯になった。 私も薬も効いてきて朝より大分楽になった気がした。 私意外の3人は皆50代で私の娘くらいの年齢だと思った。 その中の少し年長の方はご主人を57歳でなくされ、後のお二人ともお子様がいらっしゃらない。 今はお子様のない方も多いのだなあ~と思った。
私の時代では”三年子なしは去る’、とか親戚からもさんざんイヤミをいわれたものだった。 今は子はなくても週何回もジムに通うことも出来るわけ? 

今日の困ったことは・・・先日、二階のトイレが水びたしになり、トイレの敷物が濡れてぼってりしているのを発見したことだ。 周りを見回しても、床を見ても水がこぼれてる様子はなく、マサカ!?私が夜中にトイレに起きて、フタを開けずにそのまま用足しをしたわけでもあるまいし? そんな?ボケて? 明るいところで、狭いトイレの隅々まで調べてみたら、僅か水滴が滴っている所が見付かった。 直ちに電気やさんに来てもらって、便器を変える羽目になった。 お値段は? 恐る恐る聞いてみた。 29、000円だと言う。 結果、設置料金+古いもの廃棄料金=37,000となった。 仕方ないか・・・・。 なんだか余計の出費の有る時は有る物さ。

もう一つの今日の話題は、お昼ごろから警察のヘリコプターが飛び交い、又何か事件?と思ったら、そのうち空中から「中馬込辺りで作業員さんが作業中にのみ河にながされました。 様子をご存知の方は110バンするか、池上警察にご連絡お願いします!」といっていた。  先ほどのニュースでは、まだ行方不明のままだという。 

2008年7月6日日曜日

目が醒めたら・・・

先週の金曜日の夜はトテモ寝苦しかった。 雨戸を開ければよかったかも知れなかったけれど、ジムのお友達が独りだから戸は閉めて寝る・・・・と言われたので、耐え忍んで七転八倒して寝られなかった所為なのか?・・・と思ったのだけれど、朝起きて鏡を見て、ひっくり返るほど驚いた。 右目が腫れ上がって文字どおり、まるでお岩さん!

土曜日は何時ものように健美操に行って、その後1時から弟夫妻が早めすぎるお盆参りにくるという。  今まで一度も食事を共にしたことがなかったので、何か作って・・・と思い前日から冷たいスープとか鶏シチューとかサラダなどの下準備をしていたので、「さて、どうしよう?」と? 特に痛みはなかったけれど、何回鏡を見てみても、右目はまるで潰れてしまっていた。 とりあえず何時もの眼医者さん行くことにした。 九時少し過ぎに行ったので患者さんは二人しかいなかった。 受付の女性は可也吃驚したようだった。 この間したばかりなので、検眼なんかしなくたって! 先生は落ち着いたもので、目の周りを押してみて、痛みがないのを試した後「皮膚ですね」とお薬を処方して下さった。 

弟夫妻は何時ものように10分前に来宅。 どうやら支度も整った。 二人の食べるテンポの速いこと! 余ほど空腹だったのか? うっかりすると私の分が無くなりそうな勢い。 次の冷たいスープを出したら「こんな美味しいもの食べたことがない!」と弟が言う。 嬉しい反面私はお嫁さんに気を遣った。 それでも彼女も一緒になって「美味しい、美味しい」と言う。 そして「何時もインスタントの料理ばかりだから・・・・」とまるで悪びれない。
私も「仕事していらっしゃるからね」と応じる。 

それからお茶を頂きながら、珍しく四時ごろまで色々話をした。 その中で、命より大事だった車の運転も止めようかと思うなどとも言っていた。 彼の言うように今日は土曜日なのにこの辺りもめっきり車の往来が少ないように思えた。 紅葉マークをつけるのも彼には屈辱的なのかもしれない。 それに年間の係りも大変のものだ、という。

2008年7月1日火曜日

クリアランス・セールとセールの違い

先週土曜日に京都から来ている妹と何時ものTOCで催されている高島屋のセールに行った。 妹が私の遅ればせの誕生祝を求めてくれるためだった。  何しろ混み合っていて五反田から出ているバスも4台待ちと言う。 以前その辺りに住んでいた私は待つのを止めて、歩いてTOCまで行った。

入場してみるとその割には混んではいなかったけれど、余り気に入ったものがなく、何も買わずに帰った。
今日、7月1日からは日本橋の本店でクリアランス・セールがあると言うので、妹を誘って行ってみた。 店内全部がセールでしかも初日だったので、見るもの、見るもの欲しくなって先日迷って買わなかったワン・ピースもTOCのセールより少し安かった。  止せばいいのに、遂ジャケットと少し足し前して、ワンピースも求めてしまった。

  何も買う気がないと言っていた妹も予定以上のものを求めていた。 ただ、ショックだったのは、今まで妹が何時も定員さんに勧められるままに求めていた店が消えてしまっていたことだ。 少し高価だったかもしれなかったけれど、ケッコウいいものを置いていたのに・・・。 そう言えば先日私がその店を覗いたときに、妙に品物が少ないので不審に思った理由が理解できた。 

やっぱり、クリアランス・セールはデパートの意地をかけているのかもしれないと感じた。 二人ともいい買い物が出来てホクホク!  夕食を済ませて丁度ラッシュの時間かな~と思っていたけれど、私の乗る日本橋~西馬込行きの都営地下鉄は何時ものように座って五反田まで行くことが出来て、五反田から池上警察署前までのバスもゆったり座って帰ることが出来た。 しかも私はいずれも老人パスで無料と言うわけで、これは今の値上げの世の中でケッコウ有り難いことなのだ。

2008年6月30日月曜日

風と共に去りぬ

マーガレット・ミッチエルの”風と共に去りぬ’は私にとっても戦後初めて読んだ長編小説だった。 この本を友人からお借りするために、何日間も順番を待ったものだった。 当時この前・中・下の本を手に入れることは絶無だった。(今の方方には信じられないことだろうけれど・・・

病院でKさんと映画の話になり、私はそのヒロインのヴィヴィアン・りーの大フアンだったこともあり、K氏と長い時間をかけてその話をした。 私は二度も映画を見たことを話し、彼は戦騒末期東大の講堂でその映画が上映されたという嘘のような本当の話をしてくださった。 その映画は途中15分間の休憩を設けて続けられた。 二度目にその映画を見たとき、余り気の進まなかったお見合いをすっつぽかして、伯母さまに酷く叱られたことがあった。 
ヒロインのスカーレットの様な生き方をしたいとは思わないし、私はそんなに強くはない。 だだ、彼も書いているように「また、明日、考えよう!」と言う部分私の中にもあるかもしれない。

彼の新聞のエッセーは正に「空襲下の風と共に去りぬ」が題名だった。 この文の中で彼はアメリカ留学中に求めた「GONE WITH THE WIND」1084ページを読むことを医師に願い出てようやく許されたと、そしてそのために目が悪くなって眼鏡をかけるハメになった、とある。 新聞に載っている彼の写真は眼鏡をかけて優しい微笑みを持った初老の紳士と見えた。  ずい分長い時が過ぎた。 

改めてこの記事を読んでみて、マサカ彼が私を意識して書かれたとは思わないけれど、私の中では「風と共にさりぬ」とKさんとの思い出は、懐かしい青春の一部分として忘れられないことであり、一生心のどこかに閉っておきたいことでもある。 

最後に私は、亡くなった夫と結婚したことを決して後悔しているわけではない。 前にも書いた様にケッコウおもしろい人生だったし、同じような環境に生まれ、育ったと言うことが毎日の生活に不自然なことは無かったと思う。 ただもう少しは長生きしてもらいたかったけれど、妙に潔く逝ってしまったことが残念だし、又今度生まれ変わって結婚したいと思うのは亡くなった夫だと言い切れる。 ただ、私の夫への接し方は変えたい・・・と思う。

2008年6月29日日曜日

甥夫妻の新居訪問

今日は、私の思い出話の結論をお休みして、昨年11月に浦和に新しく新居を構えた甥夫妻を訪ねた。
京都の妹は三島から新幹線で来て品川駅で私と待ち合わせ。 芦屋から上京している姪夫妻は渋谷から~というわけで、都合よく会えるかどうか心配だった。

妹は品川駅で新幹線を降り、5分で京浜東北線のホームに来てくれて都合よく快速に乗ることが出来た。 快速と言っても通過する駅は都内だけで、やはり大分時間はかかった。
姪達は既に浦和駅に着いていて、しばらくして甥が迎にきてくれた。 戦後直ぐ浦和は通ったことがあったが、思い出せる切っ掛けさえなく、大都市に変貌していて驚いた。 駅近くにデパートが二つも出来ていた。 甥は近所で老舗として知られている鰻の美味しい店に案内してくれた。 この店は可也古く回りに小庭があって小部屋になっていて、くつろげた。 鰻も間違いなく天然もので、上品な味だった。

食後近所の古いお宮を案内してくれた。 先日、朝の地井散歩で紹介された狛犬の代わりにコマうさぎ?が入り口にあって可也由緒あるお宮のようだった。 明日がお祭だと言うことだったが、緑の薦で編みこんだくぐりとか飾りが面白かった。 引っ越してきてからまだ半年ほどしか経ってないのに、甥はもう何年も住んでいるかのようにいろいろ説明してくれた。 そのお宮からほんの5分くらいの所に彼らの新しい新居であるマンシオンがあった。

お嫁さんの彩子さんはオメデタで少しお腹が膨らんでいるようだったけれど、背が高いので余り目立たないように思った。 お顔がすっきり綺麗に見えたので、明らかに女の子だろう???。  お構いなく、と何度も言ったけれど私の遅い誕生日を祝ってくれ、姪夫妻がフルーツの沢山のったタルトのケーキと甥夫妻からブルーのバラなどの花束を頂いて私はテレながら、蝋燭の火を吹き消した。 

彼らの趣味で家の中は落ち着いた色彩でまとめられていて間取りも使いやすそうだった。 何しろワン・フロアーで過ごせるのはいいなあ~とマンシオン暮らしをしていらっしゃるお宅を見るたびに羨ましく思う。  
梅雨真っ最中で時々雨が降ってきたけれど、心温まる時を過ごすことができた。 私は浦和から終点駅は蒲田で一直線、そのアト池上線に乗り換えてのんびり帰宅した。  

2008年6月28日土曜日

マーカレット・ミッチエルの風と共にさりぬ

それから4ヶ月くらい経ってから、彼の叔母さまからハガキを頂き、彼が結婚されたとあった。 
色々詮索する気も、もうその頃はなかった。 それより、私は自分の結婚相手を探さなければ・・・・という思いが強かった。 そして2,3年後亡くなった夫と黒田初子先生のご紹介で結婚した。 

そのことは叔母さまを通じて彼にも伝わっていたと思う。 叔母さまとの文通で(その頃は叔父様のお仕事の都合で名古屋に転勤していらっしゃった)彼は、私が結婚した人のことをよくご存知で、また、お話をしに大阪へ行ってくださった小母さまのご主人(同じ会社の上司)のところへ挨拶にいらっしたと聞いた。 その場で種明かしがあったと言うことも・・・。 そう言えばその当時A社と日劇はお隣同士だった。

その頃は私の夫は華々しく、日劇の踊り子を引き連れてオーストラリア、台湾、イギリスへ海外公演の団長として新聞などにも写真も載ったりしていた。

そして、或る日A紙の一面に名入りで彼の記事が出た。 ワシントン総局長K特派員発とあった。  それから又何年か経って、多分彼はA紙を経済部長のあと引退なさったのだと思う。 残念なことに彼のおば様は若くして亡くなられてしまったので、お互い連絡の方法がなくなっていた。

そして又何年か経って本題の日本経済新聞文化面の彼の記事「空襲下の風と共に去りぬ」なのだ。

2008年6月27日金曜日

思い出話

私の思い出話に付き合ってくださって有り難うございます。 

だんだん終局に近ずいて来ました。  彼の叔父さまとのお話しで彼はその頃退院なさってご実家で療養中なので、尋ねて行っては?とのお話があった。 先に書いたように大阪まで8時間かかったのだから彼の生家まではもう2時間くらいはかかりそうだし、泊まるところも考えなければ・・・と私は気が進まなかった。 その前後、彼から小包みが届いた。 開いてみたら白い額に入った花の油絵だった。 正直言って上手とは思えない、どちらかと言うと少し気が小さい、というか神経質な感じの画だった。 彼の義理の叔母さまは画家で、そちらからも油絵を頂いていた。 その画は今でも手元にある。

「終った!」・・・・と私は涙にくれた。 それでもしばらく経ってから予告なしに大阪の本社まで彼を訪ねた。
少し待たされたものの、彼は出て来てくださり、少し待つように言われた。 「行きましょう」と言いながら確か阪急電車で三宮まで行き、洒落たレストランで伊勢海老アメリカンを頂いた。 途中止せばよかったのだけれど、私は或る小説家と縁談がある・・・と言った。 その時「その人だったら一生食うに困らないですよ!」と言われた。
感じが悪かったのは、それまで眼鏡をかけていらっしゃらなかったのに、目立つ黒ぶちの眼鏡をかけ「眼がわるくなった」とわざと言ったこと。 明らかにいやがらせ・・・。 そしてもっと酷い嫌がらせは、帰りの電車で無論大阪駅まで見送って下さると思っていたのに、途中(駅の名前は覚えてないが)「今日、友達に赤ん坊が生まれるので、行かなくてはならないのです」と電車を降りた。 私はお別れの言葉さえ交わせないままだった。 その時は余りピント来なかったのだが、回りの方方が、それはおかしい、友達に子供が生まれるのに行くなんて? と叔父様、叔母様、そして何でもお話しを聞いてくださった、私の大好きな、尊敬する小母さまもそう仰った。

そして、そのおば様が大阪に行って、彼に会って話をしてきてあげる、と仰ってくださった。 その方のご主人様は偶然のことながら、A紙の局長さんだった。 でも、そのことは言わないで彼と話してくる・・・と仰ってそれからしばらくして、大阪へ行ってくださった。 

そのお返事は、おば様のお話によると「トテモ感じよく会って下さり、貴女に好意を持っていらっしゃるのは明らかだったわよ」と、そして「彼女、小説家のMさんと話があるそうじゃないですか?」と仰ったので、私はそう言ったことをトテモ後悔していらっした・・・と言っておいたわよ、と言うことと入院中に東京から訪れる私のことで、病院の中で酷いいじめにあったそうよ、と話してくださった。 多分お医者様からも・・・。 そう言えば、まだ個室に居た時にお医者様が彼を呼び出して、しばらくして病室に戻ってきた彼が「手術をしなければならないかもしれない、と言われたとベッドに横になって、しばらく動けなかったことがあった。

大分、本筋から話が反れてしまったけれど、今度はほんとに書きたかった彼の新聞記事のこと、で完結となる、と思います。

2008年6月26日木曜日

書き始めたら、長くなって・・・・まだまだ続きます。

彼の叔父様夫妻特に叔母さまには時々お目にかかってお話させていただいた。 どちらかというと彼の女性の好みは細身の(その頃は私も今ほどは太めではなかったが・・・)なよなよ?した方だったらしくアメリカから帰国した時もそんな女性と御一緒だとか。 叔父さまの話の中で、叔父様が芦屋の病院に御見舞いにいらっした時、女性が御見舞いに来ていたので、追求なさったら、その人とは結婚する気はない、と言ったとか。 彼は東京に転勤することを強く望んでいたし、東京の女性と結婚したいと思っていたことは確かだった。 

彼は地方の出身だったし、ご実家もお兄様は家業を継いでいらっして、お母様は当時の地方の師範学校を出ていらっして、巻紙のお手紙を頂いたその字はほんとに見事なものだった。 お母様も彼の叔父様にすべて任せていらっしゃる感じがした。

一方私の方は、母を納得させるのは簡単なことだったが、父は当時所長として地方の会社にいた。 父は結婚相手として弁護士と新聞記者は好まないようだった。 そこで私は母と策を練って、父が関西方面に出張の時を選んで、大阪のホテルで彼とお会いすることになった。 その日私は少し早めに病院に彼に会いに行った。 その頃は彼も大分回復なさって、大部屋に移っていた。 下で彼に連絡したら、部屋まで来てくれ、といわれて二階に行った。 そこは所謂大部屋で、十床くらいあっただろうか?  何故わたしが10人もの患者さんたちの好奇の目に合わなければならないのか?と考える余地もなかった。 彼は多分一番奥のベッドだった記憶がある。  自分で言うのも可笑しいが私はその頃帽子製作もしていたので、東京風の可也キマッタ服装をしていたと思う。 その上晴れの日だったから・・・。 

電車で大阪まで行ったと思う。 今ははっきり思い出せない。 父は一目で彼を気に入ったようだった。 むしろ、はしゃいでいるように見えた。 父はケッコウ面食いだったので、すらっとした長身を見ただけで気に入ったように見えた。 

退屈だったら読まないでね! まだまだ、先があるのよ!

2008年6月25日水曜日

その又続き・・・

五十年以上も前のことなので、はっきりしている所とそうでないところもある。
最初に独りで病院に行った時、彼は東京の叔父さまに会ってくれと言われた。 幸せなことにそのお宅は私のその頃住んでいた所と余り遠くないところにあったので、帰京して母と一緒にお訪ねした。 ご夫妻ともトテモ歓迎してくださり、その後何度もお訪ねすることになる。

確か三度目に病院を訪れた時、彼のお誕生日だった。 時々私はその方の行動でわかりにくいことがあった。 その一つはお誕生祝いにその方がお好きそうな色のネクタイを服部和光で求めて行った。 彼はそのネクタイをご自分の掛け布団の中に抱え込んだ。 他人が入って来て見られるのが嫌なのかな?と私は思った。 もう一つ私はカーネーションの束を持って行った。 大き目の花瓶にはバラの花が入れてあり、私は少し嫌な気がした。 キット誰か女性が・・・と感じた。 棚の上にそれを置こうとしたら余り花が多くて倒れかけた。  彼は両腕で花瓶を抑えようとし、私を挟むことになった。  私は反射的に彼の腕をくぐって逃れた。 そのことを私は、後に何時までも後悔していた。 もう一つは、私がもう帰らなければ・・・というのを引き止めて、「ここに泊ることも出来ますよ。付き添いのためのベッドがあるから・・・」と言った。 今時の女性なら従ったかもしれない。 だけどいまから50年以上も前の私達は、とんでもないことを言う人だ!と思った。 もう一つ病院の側に小高い丘があり、そこへ行こうと誘われて、山に登るとき手を差し伸べてくださったのも断った。 その時撮った写真は今でも手元にあるかな? 今考えるとむしろ私はヘンな女! その時、病室の窓からの見ている幾つかの目も私は少し恐ろしかった。

その辺りで感じていたことは大阪の方方は可也強い東京コンプレックスがあるのかな~と思い、それはしばらく経って、可也決定的な答えとして私は思い知らされる。   

2008年6月24日火曜日

昨日の続き・・・・

大阪からのお返事は中中来なかった。  しばらくして来たお返事は、結核で芦屋の病院に入院なさっているという。 当時結核は不治の病とされていた。 私はそれでも、お目にかかれるようお願いした。 当時、東京、大阪間は特急でも8時間掛った。 小母さまにご無理を言って朝早く東京をでて、大阪に行き、そこから阪急電車で六甲山の中腹にある朝日が丘病院に行った。 その日はただご紹介していただいただけ。 その日のうちに帰京。

お付き合いをすると言っても相手が入院中しかも大阪と東京は可也遠い。 当時は信じられないかもしれないが、電話をかけるのにも、一度かけて、交換手が出てしばらくたってからベルが鳴って、本人が出るという感じだった。 今の時代では信じられない事ながら、外国にかけるより大変なことだった。  東京に帰ってしばらくして、芦屋から電話が掛って来た。 さすが、新聞記者だ!とトテモ感激した。

私は神戸のお知り合いの家に泊めて頂くことにして、それからしばらくして又病院に行った。 彼は個室に入院していらっしたので、勝手に病室に入ることが出来た。 一日中それこそ、いろいろなことを話し合った。 彼はその話の中で(今はその作家の名も題名も覚えていない、が若くして亡くなった作家の本を読んでください、と言った。
私は本を読むのは大好きで可也読んだものだったが、その頃はロマン・ロラン、バルザック、ツルゲーネフなど日本人のものは藤村、漱石、有島などのものしか読んでいなかった。 帰京して早速その本を読んでみた。 二人の親友が独りの女性を争う・・・といった内容で、何故彼がそう言ったかその時は理解できなかった。  

2008年6月23日月曜日

この年になったから、語れること・・・。

家の中のかたずけをしていると、色々なものが出てくる。 結婚する時、過去のものは捨て去って来るべきなのかもしれないが、私はそれが出来ないでいる。

昨日も書類を捨てようと整理していたら、古い、少し黄色くなった新聞が出て来た。  1986年3月28に日ずけの日本経済新聞。 文化の欄。 私が結婚を真剣に考え、願った人の文がのっていた。 
もう50年以上も前のことだし、夫も亡くなっているのだから思い出として、思い出してもいいだろう。 誰にでも一つや二つ、そんな思い出があることだろうし。 その記事が載っていた頃は夫がまだこの世にいたので、その記事を、ジックリと読んではいなかった。 

その方は知人を通じて、その知人のご子息の友人として当時のことだから、そのご子息も含めて三人の青年が海軍の制服を着て写っている写真をみせてくださった。 アノ時代のことだから学徒出陣の記念の写真だったと思う。 その写真を見て今で言う「ビビッ」と来たわけ。 ご職業も私の憧れの新聞記者だという。 東京大学を出て、ウイスコンシン大学にフルブライトで会社から留学したというお話に私は他の条件は目をつぶった。 お背の高さも183センチと言う。

ご紹介くださる小母様は、ご自分のご子息に私を・・・と時間が経つに連れて、思ってくださったようだけれど、その方は興業銀行にお勤めで眼鏡をかけていらっしゃったので、私は銀行員と眼鏡アレルギーだったので、とてもその気になれなかった。 それでも、礼儀としてそのご子息にもお目にかかった。 気になるその方はその当時は大阪勤務だということだった。   続きは、また明日・・・・

2008年6月22日日曜日

最近見逃したくないテレビドラマ

独り暮らしの私は、どうしてもテレビが外せないお友達。

ところで、最近必ず見ている連続ドラマは 先ずNHKの大河ドラマ「篤姫」。 今まで大河ドラマは時間つぶすだけの存在だった。 その「篤姫」の中で特に気になる存在が「徳川家定」を演じている境雅人という人物。 見ているうちにすっかり取り込まれてしまった。 歴史として家定がどういう人物であったかは、歴史に興味がなかった私には分からないことだけれど、ドラマの上では、’うつけ’を装ってはいるが実は頭脳明晰な将軍だという。 その、うつけ、から正常への表情の変化が特に素晴らしいと思うし、先週のペリーとの接見で畳を何枚も重ねた上での歌舞伎でいう、ミエのきりかたなど、実に見事だと思った。 一体どういう経歴の持ち主なのだろう?

次はやはりNHK土曜日夜の「監査法人」というドラマ。 これは会計士のドラマなのだけれど、妹の次男が公認会計士なので、特に彼がどんな仕事をしているのか?興味を持って見ている。 でも心優しい彼がこの冷血、無情といわれる世界で、どうやってバランスを取って行くのか心配になる。 だけど、これはドラマなんですよね?

最後の一つは「渡る世間は鬼ばかり」という所謂ホームドラマ。 これはいささか惰性なのだけれど、ドラマの中で誰も、どの家庭でも思い当たるフシの一つや二つはありそうなのと、どういうわけか、どちらかと言うと余り興味を持ちそうもない夫もずーっとこのドラマを一緒に見ていた。 
長寿ドラマはそれだけの理由があって、続くのだろうと私は思う。

私の住むあたりのこと

昨日芦屋に住む姪から携帯のメールで「午後9時から東京テレビの「アド街ック天国」という番組で池上本門寺」辺りをやるよと報せてきてくれました。 彼女は関西在住なのに何故東京テレビが・・・?と思ったけれど、その時間にテレビをつけてみて、長々と感想をいれたが、消えてしまった。

改めて今朝思い出しながら内容を書いてみる。 
本門寺は家から歩いて10分くらいの所にあり、以前は度々訪れた。 最近は気が向けば11月12日のお会式に行ってみたりする。 その日あたりは、風の向きによっては一日中太鼓の響が伝わってくる。 多くの夜店を見て回るのも楽しみの一つ。

今回改めて知ったのは、池上梅園は著名な画家伊東深水の別荘だったということ、境内の五重塔は関東地区で一古いものだということと寺の周りにある松涛園は小堀遠州作のものであり、幾つかの質問に応えれば、園内の散策が出来るということなど、など。 池上辺りの食べ物やさん甘味どころなどは、あまり入ったことがなく著名な葛餅でしられている浅野屋などもお茶を飲みに入った程度。 だだ、本門寺が葛餅発祥の地だということは知らなかった。

食べ物関係では五重の塔近くのフレンチレストラン「シェ・リュウ」は眺めがよく夜の食事にはお茶ずけが出ることで評判だが、この辺りの方は余り行かれないようだ。 

報じていたその他のことで印象に残ったのは最近相撲部屋「尾上部屋」が出来て時々お相撲さんの姿を見かけるということと、藍染の古い家が、確か火事で焼けて、今はマンシォンで作業をしているということ、私は行ったことはないが、黒い水の温泉があることなど。 あやかり組として「本門寺あんぱん」とかあんみつの問屋もあるけれど、何度か試してみたが所謂まあ、まあ。

毎朝五時と夕方六時に鐘楼の鐘を打つ方がある、という事はここに長く住んでいるものにとっては余り気にしていないことで、申し訳ない思いがした。  

2008年6月21日土曜日

2008年6月20日金曜日

この年では、一日に三箇所は、辛いかな~

昨日は少し迷ったけれど午前中ヨガ教室に出て、午後一時、予約を入れていた美容院でヘヤ―・カットをしていただき、夕方たまブラ―ザ― まで行くことになっていた。  美容院が割りに早く終ったので、家に戻り一休みしてからたまプラーザに向かった。 話しには聞いていたが、その時間帯は何十年ぶりかで体験する満員電車状態で、それでも時間どおりたまブラ―ザ駅に着いた。
 
昨日の会食は、下の妹の学生時代から仲のよかったお友達が色々な環境の変化で鬱状態になられ、最近ようやく少し良くなったとかで、夕食をご一緒したい・・・とのお誘いがあった。  その方は妹と私が結婚の仲立ちをしたのと、不思議なことに、妹の長男と次男がその方のご子息たちと全く同い年であり、高校まで同じ学校だったというご縁がある。 また、彼女のはやく亡くなってしまったご主人は私たちの以前のご近所だったし、その他色々のかかわりがある。 駅近くのフレンチレストランに着いて見たら(私の想像どおり、そのレストランは最近よく行く渋谷の妹宅近くのレストランのシェフが以前働いていた所だった) 

そのお友達は、時の経過によるものと、ご子息それぞれにお子様が授かった所為もあって、お会いした瞬間、ずい分回復されたように見えて、妹と共に心から喜んだ。 驚いたことに、レストランには彼女のご一家も来ていらっした。 お孫さんは男のお子さまで、やはり動きが可也烈しいように見えた。 思い出話やお料理の話で盛り上がった。 渋谷のフレンチと比べると、家庭的というか、量も少し多め、野菜も多くランクとしては、場所柄もあり、少し・・・?かな。
  
さあ、美味しいお料理を頂いて、又電車に乗って遠い距離を戻るのかなあ~と少し辛く、又腹ごなしにはいいか?と思っていたら「車が用意してありますので、とわ子さんを送って、その車で久が原までいらっしてください、料金はご心配なく」とのお申し出で。 私達はそれぞれでお食事の代金を払う積りでいたのに・・・・。 そのお言葉に甘えさせていただき、夜道が明るく、近く感じたことでした。

2008年6月17日火曜日

西武百合園に行ってきました。

考えることがあって、このブログを閉じようか?と思いましたが、見てくださる方がある限りは続けた方が・・・と思い直しているところです。

今日は、何時のものご近所のお友達と西武球場あたりの百合園に行って来ました。 パソコンで検索した結果、新宿から西武新宿線に乗っていくほうがいいだろうと思ったのがそもそも始めのの過ち!  JRの新宿から西武の新宿まで上ったり、降りたり、歩いたり・・・ようやく電車に乗ったものの、所沢駅に着く前に回って来た車掌さんに尋ねたのが悪かったのか? その上途中の駅で同行したお友達が駅員さんに行きかたを尋ねるために降りてしまい、私は乗ったまま次の駅でその友人を待ったが次の電車に乗ってなくて、困り果て携帯電話でようやく連絡をとって、遊園地前で出会えた時は友人は大声を揚げて喜んでくれた。 遊園地とか公園とか球場とか、まことに紛らわしい。

百合園は所沢の西武球場と同じ駅、そこから歩いて5分くらいのところにあった。 入って見るなり二人で感嘆の声を揚げた。 そこら中色とりどりの百合の花が丁度今は最盛期らしく、匂いは殆どないのだけれど、黄色、オレンジ色、白、赤、薄紫と遠くから眺めたら浄土はかくや?と思わせるような美しさだった。 自然の状態を保つために森のまま木を置いて、歩く所には木くずをひいて歩きやすくしてあったし、森の木々の間から見る何十種類ものすかし百合の群生はどうやって植えたのかしら、と皆話していた。

帰り道は簡単! 西武球場で行われていた都市対抗野球の歓声が終らない中に所沢球場駅を出なければ・・・と友人を急かせた。 そのことを聞いていた側で絵を描いていた二人連れの方方も、私の話に従って画材をカタズケて私についていらっした。 無論ことなく、池袋駅に到着、往のアレは何だったのかしら? 

2008年6月9日月曜日

年の所為とばかりは言えないかも?

78歳になったから・・・ばかりではなく自分の生来のいい加減さと言うか早合点のクセと言うか、今日は反省事項が二つも明らかになった。

その一つはこのブログに、可愛い小姪の名前、里彩を逆さに、彩里と書いてしまっていたこと。
もう一つは今日ジムでお知り合いになった年下のお友達と’日本橋界隈めぐり’の集まりの時間を間違えて?一時間前に行ってしまったこと。 これは多分私だけが悪いのではない、とは思っている。 最初この企画をうかがった時三越前で10時待ち合わせと聞いていた。 ジムで個人的な話はしずらいので、お友達が10分過ぎね!と仰ったので、多分9時10分過ぎだと思って、私は9時に蒲田駅の指定された場所で三人を待った。 20分過ぎても何方もいらっしゃらないので、何度もお友達のお宅とか携帯にお電話をしたけれど、通じず、困り果ててとりあえず目的場所の高島屋に行った。 そこで高島屋のコンサルジュに尋ねたら「以前は10時でしたが、11時に変わりました」という事だった。

ところでこの日本橋めぐりは先ず高島屋の近くの地図専門店に行き、日本中の色々な地図を売っているのが分かった。 小雨の中、次は八重洲通り近くの京都のすべてを案内している店に連れて行かれ、そこで京都の和菓子とお濃茶を振舞っていただき、八重洲の鉄鋼ビルの中の図書館で小一時間本を読む時間を与えられた。 私は眼鏡を持って行かなかったので、写真入りのロンドン近郊の運河の説明、以前訪れた場所を懐かしく見た。 これは時間待ちか?

その後日本橋にある昔文士達が集ったという日本料理店で昼食をとり、高島屋に戻って、二階のロブションでコーヒーとケーキを頂い解散となった。 これで3000円とは、安い! その後友人達と日本橋近くまで歩き友人は’うさぎ屋’という甘味どころでどら焼きなどを求めていた。  何時も私達姉妹が歩く場所とは違った日本橋を歩いた。 私は朝の立ちんぼうが祟って可也くたびれたけれど、三人のお友達がそれぞれに気を使ってくださり、まるで女王様気分を味あわせていただいた。  帰りは無料のバスで東京駅まで戻り、私の誕生祝に小さな地球儀を皆様からいただいたので、そのお返しに先日京都の妹が教えてくれた大丸の”イノダ・コーヒー店でコーヒーをお返しした。 大分疲れたけれど、楽しい1日だった。

2008年6月8日日曜日

今日は尾78回目の誕生日

ずい分長く生きてきたものだ。 自分でもそう思うのだから、他の方方も・・・。

毎朝、仏壇にお線香をあげてお祈りするのだけれど、今日は、先ず両親の位牌に「私を生んでくれて有り難うございました」と生まれ初めての挨拶をした。 私の今までの人生がとりあえずは、この年まで無事であることを次に夫の位牌にお礼を言った。 

お誕生日を迎えて、私もう年だから、お誕生日なんかおめでたくないわよ!と仰る方がある。 でも私はそうは思わない。 その人がこの世の中にいるということに意義があり、意味があると私は思うから、幾つになってもお誕生日はおめでたいと思うべきだ。 

今朝から有難い事に多くのハッピー・バースディの電話を頂いた。 始めは下の妹から、今日プレゼントをあげたいので、目黒まで出て来て、という。 次に京都の妹から、その後英里ちゃんのパパとママと英里ちゃん達、出かける支度をしていたら、長くお付き合いしているお友達から・・・。 

下の妹と昼食をして、家に戻ってきたら玄関先に真っ赤なハワイの花?の植木鉢がご近所のお友達から届いていた。 ハッピ・バースディのタグがついていた。 よく覚えていてくださったこと! 

夜になって、甥夫妻と芦屋の姪夫妻からも電話で「お誕生日おめでとうございます!、昼間かけたけれど留守だったので・・・」との電話。 今日は残り物の淋しい夕食を済ませたけれど心は暖か~いハッピー・バースディでした。

皆様有り難うございました!! 今後ともお忘れなくよろしくお願い致します!

英里ちゃん、彩里ちゃん来宅!

昨日、梅雨真っ最中の我が家に英里ちゃん、彩里ちゃんの可愛らしい声が家を明るくしてくれた。
 
先日成城の尚剛宅へお呼ばれして以来ご無沙汰していたので、その気になったので、尚剛一家を招待したのだけれどパパは仕事で来られなくなって幹ちゃんママと二人のお姫様が来てくれた。 下の彩里ちゃんも車の中で眠っていたらしかったが、目を覚まして私の顔を覚えていてくれて、にっこり笑ってその後可也ハイテンションで私の作った料理を皆で楽しんでくれた。 特に英里ちゃんは鳥の手羽元と小さい新じゃがが気に入ったらしく、テレながらも何度もおかわりしてくれた。 彩里チャンは専らお赤飯に夢中で他のものには手を出さなかった?

不思議に思ったことには、上の英里ちゃんが階段の途中にかけてある色々なお面(由緒あるお寺の写し?)とかベニスで求めた仮面のお面とかを異常に怖がって、二階へ行くのを強く拒んだ。 そう言えば彼女のパパも伯父さんも、伯母さんもこわがっていたかな~?  だけどトモ君伯父さんはあのお面でおねしょが治ったし、パパも、そうだったのよ、と言っても聞き入れなかった、アノお面がある大ばばの家には行きたくないなどと言われては困るので、はずしておこうかしら・・・?  何か怖い・・・理由があるのかしらね?

二人とももっと遊んでいたかった様子だったが、パパが気の毒なので、8時過ぎにはバイバイした。  又来てね!

2008年6月2日月曜日

幸せの考え方

今朝、弟から電話があり、今月から例の老人運転者の義務になる’紅葉‘マークを買いに近所まで来ているので、チョッと顔を見に行く、と言う。 今日はジムもお休みで二階のカタズケをしていたが「寄ったら?」と応える。

時々電話をかけて来るけれど、その度にあつちが痛い、こつちがヘンだ、と体の不調ばかり訴えてくる。 年なのだから仕方がないわよ、と私は応えている。 今日はその紅葉マークが何処へ行っても売り切れで、どうしたらいいか?と困っている様子、家に来て、池上警察に電話してみたら?と電話をかけたが、ここでは取り扱ってないけれど田園調布警察なら免許証も取り扱っているから、あるかもしれないという返事だったらしい。

仏壇にお線香をあげて、お昼でも?と言ったけれどお茶だけ飲んで、そそくさと帰る様子、帰りざま「お姉さまは一人で淋しいでしょう?」と何時も思っている・・・と言う。 彼はこれから帰ってカップ・ラーメンでも食べますと言いながらドイツ製の最高級車に私の頼んだ古新聞を「何かお役に立ちたいと思って」と言いながら軽々と積み込んで行った。

 私は独りで暮らしていることを少しも不幸だとは思っていない。 妹達、甥達の家族、姪達夫妻、そしてご近所やジムで知り合ったお友達と楽しく過ごしている。 負け惜しみなどではなく、自分が淋しいなどと思ったことはない。 敢えて言わせて頂けば、夫が居た頃の方が淋しかったかもしれない。 

幸せということの意味もいろいろで、必ずしも独り暮らしが幸せではないということと決め付ける事はない、と思う。

2008年5月31日土曜日

ご無沙汰しました・・・。

毎年、年賀状は交換しているものの、またお住まいは割りに近いのに、何年もの間お会いしたいと思いながらご連絡しなかった方に、今日お電話してみた。 彼女とは7年くらい前? ご一緒にベルリンからドナウ河、モルダヴ河、エルベ河(それらは国が変わるにつれて名称が変わる)などを通ってライップチッヒ、ドレスデンに行き、その後ウイーン、チェコのプラハ、ハンガリーのブタペストなど楽しい船旅をしたことがあった。 「又ご一緒しましょうね」と言いながら果たせなかった。 

「お変わりない?」との私の問に「それが、お変わりあるのよ!」とのお返事。「実は、家のことで色々あって、多分ストレスで酸素不足になって、酸素の入った器具を引いて歩くようになったのよ」と仰る。「だから、遠くへ旅行することが出来なくなったの」とのこと。 「でも、田園調布あたりだったら、大丈夫だからお会いしましょうよ」と・・・。 時々小さな車の附いた酸素ボンベを引いて歩いていらっしゃる方をお見かけすることがある。 そんなことが彼女に起きているとは・・・。 私より一歳くらいはお年上だけれど、やっぱり色々なことが起きる年齢になってきた。 彼女も、今年はご主人様の10年忌(神道だから)を京都でしなければならないのよ、とも仰っていた。 色々溜まったお話をなさりたい様だったので、近いうちに田園調布でお会いしましょう、とお約束した。

2008年5月29日木曜日

少し早目の誕生祝い

京都から上の妹が上京して来て、土曜日には帰らなければならないので、大分早めだけれど、今週中に私の誕生祝の会食をしようと言ってくれた。 下の妹は当初夫と十里木に行くので・・・と言っていたので、二人でやりましょう・・・・ということだったが、ずーっと雨天つずきの予報だったので、下の妹も十里木行きをやめて来られる事になり、三人で久しぶりに銀座の松坂屋で待ち合わせた。 そこの地下の店の甘味どころで下の妹にお茶をご馳走になった。 お茶屋が経営している店なのでお茶がトテモ美味しかった。

京都の妹は松坂屋で私の誕生祝のものを見繕ってくれるはずだったけれど、見て歩いたかぎり私の欲しいものはみつからなかった。 三人とも久しぶりの銀座だったけれど、雨降りで銀ブラの気分にもなれず、地下道を通って松屋に行ったけれど、松屋はどちらかと言うと若い人ムキの感じだった。 ここでも特に欲しいものも見つけられず、残念。 次の機会まで考えておく事にした。

松屋から、・・・上の妹が予約をしておいてくれた帝国ホテルの最上階のインペリアル・バイキングに会食に行った。 このホテルは妹の夫の定宿なので、少しの割引は効くという。  何年ぶりかで訪れたバイキングはこの8月1日で50周年を迎えるという。 今気がついたのだけれど、1958年、昭和33年の8月に・・・という事は若し夫が生きていたとすれば、今年は結婚50周年になるという事になる。 

このホテルはずい分前夫がシアター・レストランのプロデュ―スをお頼まれして、人形浄瑠璃などを仕掛けて外人にも喜ばれたことがあり、当時の犬丸一郎氏は慶応義塾の後輩で「おい、ワンちゃん!」などと言っていたことなども懐かしく思い出す。 

ところで、久しぶりのバイキングは前菜が豪華で、メインもラム肉と定番のローストビーフなども以前の通り美味しかったし、妹の夫のお陰でVIP扱いで窓際の良い席につくことが出来た。 だだ、料理のあるところまで、少し歩かなければならなかったが、下の妹が「少し歩くほうがお腹が空くからいい・・・」などと言いながら、私も欲ばってお腹がはじけそうなくらい頂いた。 デザートなどもケーキとアイスクリームも3種類ずつくらい、この後何週間も少しダイエットしなければ大変!  ご馳走様でした!!

年金特急便第二段

昨日ジムで何人かの方に話し掛けれれて、少し疲れて帰ってきたところ、ポストに「年金特急便」の封筒が入っていた。 先日苦労してようやく出したのに・・・・またか!?とうんざりして、昼食を頂く気にもならなかった。 隣に住んでいた母がその類の連絡物が届く度にパニック状態になって、私のところへもってきたのを思い出す。 私も急いで封を切ってみた。 何度も読み返して説明書も見てみて、ようやく亡くなった夫の遺族年金に関する追調査だということを理解するまで何時間もかかってしまった。

さて、それからが又大変! 私達は結婚する前に所謂お見合いとして必要な書類を交換してなくて、果たして夫が昭和何年に東宝株式会社に入社したかまるで分からない。 書類に依れば彼は昭和23年入社とある。 そうなると・・・? 以前話の中で慶応義塾大学卒業ー即入社しなかった・・・という話は聴いたことがあるが大学卒が余りにも年齢に合わない。 何か証拠を・・・困り果てて思いついたのは亡き義母が覚書程度に書いてくださっていた結婚前の紙切れ(に等しい)を手紙の束の中から見つけ出した。  昭和21年卒、とあった。 だから、書類は正しいことが分かった。 そう言えば夫が「戦後、大学に行きなおした」と言っていたのも思い出した。 

ようやく、解決! なんとも疲れた。

2008年5月26日月曜日

晴れの月曜日

毎週月曜日はジムがお休みなので、今日は午前中早目に何時もの掛り付けの医院に血圧の薬を頂きに行った。
最高血圧が138、下が85とまあまあの状態。 ここの所、血圧は割りに落ち着いている。

一日家に居られて、晴れの日はカタズケごとに忙しい。 ベッドの電気毛布もカタズケ、羽根布団も夏用に代え、毛布も夏毛布に代えた。 ついでにベッドを動かしながらベッド下の綿ごみを掃除機で吸い込み、そうなると何時ものクセで何となくベッドルームの配置を少しだけ換えたくなる。 

洗濯物も思いっきり乾き、羽根布団の縫い目のごみを掃除機で吸い取って日に干してから収まう。 これで今夜は心地よく眠ることが出来るだろう。 

これだけの事をすると、年をとるにつれ、疲れが重くなるのを感じる。 夕飯の支度は、にんにくと赤唐辛子とを入れていため、玉葱を入れて又炒めて、昨日の残っている豚肉も炒めて、しゃぶしゃぶの残りに人参とじゃがいもと玉葱、肉も入れ、カレールーを入れて、久しぶりでカレーを作った。 それと以前から冷蔵庫に入っていた柔らか昆布に出し、削り節を入れて煮た。 食べすぎないよう、気をつけているので、なるべくカレーは作らないようにしているけれど今日は買い物に行く気がしないのと疲れたのと、残り物の整理と・・・でこうなってしまった。

2008年5月24日土曜日

京成バラ園

昨日、近所のお友達と京成バラ園に行った。  
パソコンで詳しく行き道を検索しておいたので、とてもスムースに目的地に着くことが出来た。 私は自分のために少しでも楽な?行きかたを・・・・と思い。 先ず都営地下鉄で日本橋まで行きそこから地下鉄東西線快速に乗り八千代台緑ヶ丘に予定通り着き、私達が、その辺りは田舎の小さな駅だろうとの思いとは異なり超モダンな新しい駅ビルに先ず驚き、その駅ビルの中にあるラーメン店で昼食をとった。 大きなチャーシュウが3枚ものっていて、更に餃子が三つついて950円とは、まるで安い。 又その餃子が可也のもの。 先ず腹ごしらえをして、そこからバスで10分くらいの所に目的のバラ園がある。 何しろ駅ビルの中も駅前のロータリーにも美しいバラの花が沢山、来るお客を和ませてくれる。 

バスはバラ園のまん前に止まり、降り立ったらバラの匂いが私達を迎えてくれた。  65歳以上は入場料500円ということで、赤いバラのアーチをくぐると色とりどりのバラの花が丁度今は最上の季節らしく咲き競っていた。
バラの植え方も最近はヨーロッパ(英国風)に1メートルくらいの高さに花茎を伸ばして、その上に丸いボール状に花を咲かせているのがアチコチにあった。 その種類の多いこと・・・! しかも固まって咲いている花々は、赤、黄色でも濃い、うすい色、ピンクの濃いもの、薄紫のもの真っ白の花々・・・と殆どが腰丈ほどに整えてあって、アーチ状のものも所々に作られている。  

老人ホームの一団が付き添いの方たちに伴われて車椅子などで訪れていたが、世話をする方たちの大変さを目の当たりに見て頭が下がる思いがした。 殆どの方方が認知症気味で、花をたのしむより、自分の荷物のことを気にして何度も何度も、付き添いの女性に確かめていたり、目は花にではなく、空とか世話をする方たちに向いているように私には見えた。 なんとも切ない風景だった。

2008年5月21日水曜日

五月晴れ、文字どおり・・・。

今日は天気予報どおり、久しぶりの五月晴れ、朝から気持ちがよい。 一昨日来の風と雨が信じられないほどだ。
昨日は火曜日だったので、ジムに行く予定だったけれど、朝起きた頃はまだ風が強かったので、出そびれてしまった。 
近所の友人と今週金曜日に千葉県の「京成バラ園」に行くことになったので、パソコンで行きかたを調べていたら色々な道順があって、遂には私の思い通りの行き方を見つけることが出来た。 なるべく乗り換えの簡単なこと、乗り換え駅の階段が少ないこと、等々・・・ 何しろ年をとって来たからばかりではなく、時として脚が痛み昨年末から時々トテモ辛い思いをする。 それに私は以外に気が小さく、遠慮深い?ので一緒に行動する方たちに気を使いすぎてしまう・・・らしい。 先日もジムのお友達4人とフレンチに行った時も誰かが気を使っているのではないかと思ってがんばってしまう。 

話が反れたが、そういうわけで、昨日はパソコンに熱中し、その後、携帯電話のメールに移った。 夕方下の妹から携帯のメールが入って、それに返事をいれ、友人からのメールを見直そうと思って「送信済み」を出したら、
「暗礁番号」と出て、開ける事が出来なくなった。 暗証番号、なんか入れてないのに・・・・? 私はどうも携帯のメールは好きではない。  くやしくて、夕食の支度もしたくなくなり、色々な数字を入れてみた。 私は暗証番号なんか入れた覚えはない! そう独り言を繰り返しながら、夕食後、もしかして?これでダメだったら、明日ジムに持っていってインストラクターのKさんにお尋ねしよう、と決心し最後の数字「0000」」を入れてみた、解決! 分かってしまうと何でもないこと・・・と言うのがつずく・・・・・。

2008年5月19日月曜日

窮すれば・・・・

窮すれば通ず・・・と言う言葉がある。

ここ、一ヶ月くらいトイレの水の流れが悪いと言うかトロトロと流れる。 タンクを開けてみて浮きを輪ゴムで止めてみたりしたけれど、巧く行かない。 昨日は料理教室だったので、生徒さんたちがトイレを利用するたびに気になっていた。 

今日は一日予定も無く、朝から、鍋磨きをしたりダイニングキッチンの戸棚を整理したりした。 殆ど毎日のように午前中はジムに通っているので中中丁寧に掃除する暇が無い、と言うかしない。

午後からは思い立ってトイレの掃除をした。 重曹を水に溶いて便器の中を丁寧に拭いた。 最近トイレの掃除に熱心で、色々試みている。 トイレの水垢は中中取れにくい。 下のトイレを磨きながら、フト思いついてタンクを開けて、ハンドルの付け根をねじ回しでしめて見た。 そしてハンドルを回したら水は勢いよく音を立てて流れた。大成功! 原因がわかってしまえば簡単なこと!

先日洗面所の水が漏って修繕していただいたら2万5千円もかかった。 水洗を修理するのにも出張費などもとられるだろう。 この家も、もう建ててから25年にもなるのだから色々不都合が出てくるのも仕方のない事ながら、独り暮らしの私は何かを決めるのも、相談する人も無く、自分ひとりでしなければならない。 ボケては居られない。

2008年5月16日金曜日

お役に立ちます・・・

今朝ジムに出かけようとしていたところへ、昨年引越しをされたHさんから電話があり、およそ40分にわたり、こぼし話。 引っ越されてから余りいいことが無く、今は認知症のお兄様の看護に遠くまで通っていらっしゃりとか、お慰めと力ずけしか出来ない。
  
その後ジムに行ったら、私と同じ年のお友達が近寄って来られ、乾燥したモズクの料理法を尋ねられた。 少し水につけてやわらかくなったら熱湯をかけて二杯酢か三杯酢に漬ける・・・と教える。 それからしばらくして、すべてのマシンを終えて屈伸運動をしていたら、お料理好きの50代の方が近かずいて来られ「昨夜鰹の叩きをしたんですけれど、息子が帰ってこなくって、沢山余って、しその葉、しょうがなどつけたままなのだけれど、どうしたらいいかしら?」とのお尋ね。 私は生姜だけ残して、甘辛く煮たら美味しいと思うわよ」と応えた。 「それしかないでしょうね~」とそのお友達は仰った。 

私は仲間内でお料理の先生だということで、時々料理に関しての質問を受けることがあって、その際は出来るだけ親切にお答えすることにしている。 先日などは男のインストラクターに男でも出来る簡単なご飯かけ料理を尋ねられた。 私は簡単に作れるハヤシ・ライスの作り方をお教えした。 果たして作ってくださったかどうかは、その後尋ねる機会がない。

2008年5月14日水曜日

英美ちゃん、さよなら!

5ヶ月の予定で日本に留学していた英美ちゃんが、明日ニューヨークに帰る。 
今日は下の妹と共にささやかなお別れの食事をすることにした。 彼女のブログに依ると、フランス料理、イタリー料理などが多かったみたいだったので、日本料理はいかが?と聞いたら、余りない、とのことだったので、時々訪れる渋谷の”甍”というレストランで夕食をすることにした。

その前に、近所のホテルのティ・ルームでお茶をして、彼女はケーキが3個?乗ったケーキセット、妹と今ダイエットに努めている?私はケーキ1個で色々反省会?と思い出話に花を咲かせた。 私は彼女が5ヶ月と言う長いとはいえない日本滞在期間にお茶を始めとして、三味線、お能、歌舞伎の見学、俳句の会、焼き物にまで挑戦して、ホンと日本に住んでいる私達だって一生掛っても出来ない経験をしたことは彼女の熱意はモチロン経済的にも中中叶わぬことをやり遂げたことは賞賛に値する・・・と思う。 

”甍’は余り込んでなくて、彼女も一皿、一皿楽しんでくれてホンと良かった! 小さい器に少しずつしか盛られていないので、いかがかと思ったけれど、最後にはケッコウお腹いっぱいになり、お茶も4,5回も出してくれて、ゆっくり楽しむことが出来た。 先日私がブログに書いた、一応のお皿が終ってご飯が出るときに、サービスする女性が、きっと「これからお食事になります」と言うわよ!と話していたら予想通り「これから、お食事になります」と言ったので、三人とも笑いをこらえるのに苦しかった。 その後日本語が乱れているという話で盛り上がった。

英美ちゃん、送る方は送られる方より淋しいけれど、大分日本を楽しんでくださったわね? 又来てくださいネ!
今ごろは荷物の整理で汗をかいていることでしょう。 ボン・ボヤージ!

2008年5月13日火曜日

御待ちかねのフレンチ

4月はじめごろからジムのお友達と渋谷の妹宅の近くあるフランス料理店に行きましょうと誘いながら、中中果たせないでいた。 お誘いをした直ぐ後に京都から妹達が来て、姪夫妻とニューヨークから来ている英美も誘ってくれて妹の夫がご馳走してくれることになったからだ。  

連休中はそれぞれに予定があってようやく今日行くことになったわけ。  当初ジムで何時も食べ物の話しばかりしている私と同じくらい食いしん坊のお友達と二人で行く予定だったのが、日にちが経つにつれ、「私もごいっしょしていい?」という方方が増えて5人になった。 ヨガでわりに側で実技をする方はお友達がないので・・・と言われもう一方は「伊藤さんとお話がしてみたいので・・・」などと仰る。  

11時に池上警察前のバス停で待ち合わせだったのが、私が5分前くらいに、行くとヒルズの前に4人揃って私の通るのを待っていてくださった。  レストランには10分前についたらまだお店は閉まっていた。 丁度12時にお店は開けられた。  先日のウエーターが出迎えてくれて、シェフも「何時も有り難うございます」と挨拶してくれた。

最初のオードブルはホワイトアスパラとかにの身、次はホアグラの焼いたものいずれも白いお皿に美しくバランスよく盛ってあって、最初のものは冷たく、ホアグラは熱く美味。 メインは牛の頬肉の赤葡萄酒煮込み、これもとろけるようなやわらかさで皆感激していた。 デザートはさっぱりしたクリーム状のものとコーヒー。 5人の方方に連休過ぎにお会いすることが無かったのとそれぞての予算とか好みも分からないので何度もレストランに電話をして、予算も変えたりいささか困り果てていたけれど、最終的に一人3800という約束をしたのだったけれど・・・その内容と、お値段のことが心配になった来た。 トイレに入って「もし、5000円以上だったらどうしょう?」などど一人で心配した。 お一人を除いては余りお話をしたことがなかったし、それぞれのご家庭も知らなかったし・・・?  最後にシェフが「お任せで、よろしいですね}と言いチェックをみて、急いで5人で割って、一人3600円なのが分かってほんとにホッとした。 4人とも、「トテモ美味しかったし、伊藤さんがいらっしたのでずい分サービスしてくださったのじゃない」と仰ってくださり、喜んでいただけて嬉しかった。 

何時ものように私達が角を曲がって見えなくなるまでシェフは出口で私達を見送ってくださって、皆あきれ、恐縮していた。

2008年5月11日日曜日

自治会の総会、その後・・・・

今日は年に一回の自治会の総会。 過去三年にわたって’自治会あらし’と言うのが適切かどうかは分からないが、ある方が意味もなく?自治会の活動や予算などについてイチャモンをつけて、役員達を困らせている。 今日も相変わらず二人で組んでその上一代前の会長まで加わってそれぞれ離れた席に陣取って議事を妨げている。 それまでは1時間近くで終了していた総会が、その倍の時間がかかっても、終りそうも無い状態。 今年はシニアークラブの会長と私が議事録の署名人を頼まれたので、注意深く議事の進行に気を配る。  役員達と反対派のやり取りを聞いていて、私も疲れてしまった。 

午後になり、今日は「母の日」で母になり得なかった私は一人淋しくそのことを考えていたら、なんと午後、たてつずけに、下の妹、上の妹から二回、ご近所のお友達、ジムのお友達、姪からの電話があって、夕食の支度も出来ないほどゴチャゴチャになって来て、オマケにご近所のお友達が取り立ての蕗を沢山持って来てくださり、茹でた蕗を今日副会長を辞任されたお友達にお届けがてらお慰めしに行き、そのことに疲れ果ててしまった。 今日はもうこれ以上考えるのは止そう。

2008年5月7日水曜日

連休中の富士山

下の妹に半ば強引に誘われて富士山の麓の妹宅の別荘に行ってきました。
出かけた日はまあまあのお天気でしたが、翌日は雨、その雨の中を妹の運転で箱根まで出かけ、「星の王子様」のレストランで昼食をとりました。 大分前に行った時は出来たばかりで料理も働いている人たちのマナーもチグハグでしたが、ようやく様になった感じ。 その翌日は生憎の雨、それでも妹宅の周りの新緑は美しく目を和ませてくれました。 

庭には白、薄紫、濃い紫のスミレが沢山生えているのですが、何しろアチコチにスギナが生えこんでいて、若しかして土筆も沢山生えたのかもしれなかったのですが、そのスギナを抜くのが大変な作業でした。 突然のように妹の家の周りのアチコチに一面にスギナが生えてきたのはどういう理由なのか誰も説明がつかないようでした。

お天気の日には富士山が目前に迫ってくるように、五月は1年で一番美しく見られるときだそうですが、この度は裾野の裾まですっかり見ることが出来ました。 あの山が何時か噴火する等と言うことはあってはならないことと思います。 妹は一日に5000歩は歩くのだ、と一生懸命周りの山坂を歩いていましたけれど、私は情けないほど歩くのがつらく、疲れやすくなってきたのと、物忘れが酷くなってきているのを感じて、何となく落ち込んでしまっています。 
着いた時はまだそれとは分からなかった紅葉の赤い芽が帰る頃は所謂’紅葉の手’となり、五寸あやめの花を着け、
芝桜もたれさがって咲き、山つつじもアチコチで薄ピンクから薄紫の花を今をサカリに咲きほこっていました。

美しい富士山と沢山の花々を心行くまで味あうことが出来た一週間でした。

2008年4月29日火曜日

楽しいお食事

今朝ジムに行こうとしていたら英里ちゃんから明るい声で電話が掛ってきた。「大ばば。今日、家へ来ない?」と英里ちゃんのシッカリした声が聞こえてきた。 無論即座に「行きたい!」と応えた。 ば~ばも誘っていい?と英里のパパに訪ねた。 私一人で行くとキット僻むに違いないと思ったからだ。 そして無論二人で訪ねることになった。 英里とに会うのはバレーの発表会、里彩ちゃんとは熱海への一泊旅行以来のこと。

今日はお天気も穏やかで成城学園あたりは人が大勢出ていた。 最初、はにかんだ感じだった理彩ちゃんも少し経つとしなだれかかってきたりおどけたりケッコウ面白い。 ママが一人でお料理を作ってくださっている間二人と色々な遊びを楽しむことが出来て、ホント幸せ。 ママのイタリア料理は何時もの事ながら、プロ級、ば~ばが「レストランテ・ミキ」と言うのもうなずける。 英里ちゃんと里彩ちゃんのソーセージの奪い合いもほほえましい。 なにしろ、料理はおもてなしの心があるのが招待された人たちにとって、心温まる嬉しいことなのだから・・・。

時間の経つのが早すぎて、帰るのが辛くなる。 英里ちゃんは学習院幼稚園に行き始めているので、この連休が過ぎたら夏休みまで中中時間が取れないのだろう。 私の周りの甥達、姪達家族は皆心優しい人たちばかりで、私にも優しく接してくれるので、幸せだと何時も思う。

2008年4月28日月曜日

痛風?

時々右足の親指の付け根の辺りが少し腫れて、痛むことがある。 それでも貼り薬を貼ってしばらくすると腫れもおさまって痛みもなくなる。 多分靴擦れの所為だろうと大して気にしなかった。  ところが5日ほど前の明け方、刺すような痛みで目が醒めてしばらく眠れなくなって、考えたら、親指の付け根の痛みは若しかしたら痛風ではないかしら?と思い始めたらますます目がさえてしまった。 痛風の痛みは風が吹いても痛いと言うから、この痛みはそれほどでもないから・・・などと思って治めた。 それでも一応医学書を見てみたら、怖いことが書いてあり、そう言えば、脚のアチコチの痛みは若しかして、痛風と関係があったりして・・・?等とも考え、ともかく主治医に相談しようと決めた。

昨日、甥と易の先生のお宅へ行ったので、先生にそのことを伺ってみた。 易学上では「その痛みは左の腰から来ているので、痛風ではないわよ」と仰った。 それで少し安心した。 母の看病のため母の家と私の家を行ったり来りしたことと、トイレで立ち上がらせるために、母を持ち上げたりしたことも原因にあるのかしら? 

今朝、血圧の薬などを頂くために主治医の所へ行き、先生に靴下を脱いで足を見て頂きながら「痛風ではないでしょうか?」と恐る恐る伺った。 先生はカルテを御覧になりながら「11月の検査では別に尿酸値は高くないから、痛風ではないでしょう。 今のところ特に検査の必要はありなせん」と言われた。 年を重ねると色々なことを考え悩んでしまうことが多くなる。 

今晩も今年81歳になられるお友達から長い電話があり、彼女は胸腺が、普通、ある年齢になると消えてしまうのだけれど、彼女の場合大きくなって、肺を半分蔽ってしまい、それが破裂したら、命の危険がある・・・と電話の度に何時もこぼされる。 私もなんとお応えしていいかその度に困ってしまう。 もつと早く手術なりなさればよかったわけだけれど、ご自分がそれを拒否なさったのだから・・・・となじるのは簡単なことだけれどそれでは余りにも非情ことなので、同情する言葉を気を遣いながら返すだけ。 年をとると色々です。

2008年4月25日金曜日

ボケと認知症の違い・・・・?

ボケと認知症のい着いて考えてみた。 ボケはある程度の努力と周りの助けで戻ることがあるが、認知症は、若年性のものもあって、医療にたよるしかなく、それでも遂にはどうしようもなくなったしまうものらしい。 
  
今日書道教室で、昨年秋から心臓病で入院され、その後お庭で転んで手首を骨折なさり、長い間教室を欠席なさっていたお友達が久しぶりで今日から様子を見ながら出席なさることになった。 人数が少ないので皆トテモ喜んだ。

何時ものように、先生が一番に来られ、その方と私が次に来るのが習いとなっている。 そのお友達は私より一つだけ年上なのだけれど「私、まだ完全に良くなってはいないけれど、ボケたから妹が書道に行ったほうがいいわよ」と言ったので・・・」と仰った。 確かに、お月謝のことをトテモ気になさって、三度も「先生、これ受け取って下さい」と先生がご説明なさったのに三度も同じ台詞で白い封筒に入れてあるお月謝を先生に差し出された。 私も少しショックを受けながら聞き流した。 その他には何のことも無くお清書も一番に書いていらっして、安心した。 

年齢を重ねると、色々器官が衰えるらしく、私もその例外ではなく、人様の名前を中中覚えないし、また直ぐ忘れてしまう。 特に数字とか日ずけについては自分のいい加減な性格もプラスして、記憶に留めておくのが中中難しい。 こらは明らかにボケの範ちゅうだと、時々自己嫌悪におちいる。 ボケはこうして始まるのか? 人と付き合ったて話をすることは色々な器官を刺激するので、トテモ大切だと思い、ジムでも多くの方方と話をするように勤めている。 やっぱり年齢の違いによって話題を考えることは可也脳を刺激すると思う。

そう言えば、母が大腸癌で入院した時、回復不可能か、と思われるほどのボケ症状があって、看護士さんたちを困らせ遂には、私達付き添いが帰宅したあとはベッドに縛られている様子だったりしたが、退院してからはまるで嘘のようにほぼ元通りに戻った。 子供、特に娘は容赦なく親を批判したり鍛えたりする。 本人の努力だけでなく、言われて悔しいと思う反発心がボケを止める作用がある気がする。 私は娘も子もないので、周りのお友達に鍛えていただくしかないのかしら?・・・と思っている。

2008年4月21日月曜日

2000年前?

昨年11月に引越しされた方からお電話があった。 その前の電話で、彼女の引越された跡の土地が業者によって深く掘り起こされ、古い壷が出土したという。 今日の話しによると大田区で調べた結果、その壷は2000年前のもので、キズも無く掘り出されたのは初めてのことで、区の貴重なものとして、保存されると言うことだった。

この辺りは高台だという理由で古代から住居として人々が住み、弥生時代の食器などは度々出て来ている。 最近は狭い土地に何軒も家が建てられるので、深く掘った場所にガレージを造るお宅が増えてきて、土器などが出てくると、その調査のため何ヶ月も家が建てられない場合がある。 

今回も彼女の家の跡に2軒の家が建つことになり、ブルドーザーが入ったら、器の割れたものが出て来たので、慎重に掘って行ったら、壷が無疵な形で出てきたということだった。 「私達何十年もの間、その上に住んでいたわけよ!」と友人は笑っていた。 その壷が新たな展示物として、そのうち区のどこか?又は若しかして国の何処かへ飾られるかもしれない。 私の今住んでいる場所も少し掘ったらキット何か出てくるに違いない。

2008年4月20日日曜日

フレンチ美味しかった!

京都の妹夫妻が今日上京して、姪達夫妻と英美ちゃんも呼んでくれて、妹宅の近所のフレンチレストランに行った。
妹達はそのレストランがトテモ気に入っていて、何度も行っている。 見つけたのは私で~す!

シェフはまだ若いのだけれど、色々チャレンジして、季節のもの、旬の食材を使って料理してくれる。
今日も突き出しに旬の桜海老をパイ皮に混ぜて出してくれたり、貝類の取り合わせ、ぜんまい、菜の花蚕豆などを巧く組み合わせて黒鯛。牛ヒレもやわらかく美味しかった。 

英美ちゃんは代々木でコンサートがあって、来店が少し遅れ、姪達夫妻は新幹線で芦屋の自宅に帰らなければならないので、私は実は気を揉んだ。 それでも英美ちゃんは皆が前菜を終えた頃到着したし、姪達も新幹線の時間を少しずらしたので、フルコースを済ませることが出来た。 シェフの話では、今日は昼間は空いていたけれど、夜は満杯で料理の出が少し手間取ったことを帰りに義弟に詫びていた。
 
皆音楽好きなので、話もはずんで、時間がもっとあると良かったのに・・・と思った。 

ジムの仲間達もこのレストランに是非来たいと言っていて、日にちが過ぎるごとに、連れてってと言う友人の人数が増えていく。 私は少なくとも10日は間を置きたいのだけれど・・・。

2008年4月19日土曜日

妙なお天気つずきですねえ~

四月半ばにしては薄ら寒く、晴れたかと思ったら急に風、時々雨で戸惑ってしまう。
今日は午前中は何時ものように健美操でアチコチの筋を伸ばす運動をしていただいて、脚が軽くなった。 

夕方、関西から出て来ている姪と久しぶりのなつかしい、ルートで夕食を共にした。 目黒駅で待ち合わせて彼女とあらかじめ昨夜の新幹線からのメールで決める積りだったが、結局東京についてから、目黒の「豚喜」に行くことになった。

以前行って見たところの支店はもはやなく交番で尋ねて、本店に行った。 彼女は学生時代に行ったきりだと言うし、私も夫と、当時養子にし様かしらと迷っていた20台の子?と行って以来だったので、それこそ、35年以上振だった。 何しろ先月まであった・・と思われる店が急に潰れてしまう世の中なので、色々心配。 「豚喜」は昔からある、所謂老舗で店に入ると入り口から、二階への階段から大勢の人が並んでおとなしく、順番を待っていた。 それは以前と同じこと。 ニューヨークから来ている英美ちゃんが「日本人は並ぶのが好きですね~』とよく言うが、並ぶと言うのはそこが著名で又日本人はお行儀がよいので並ぶのだ、と思う。 

周りにベンチが置いてあって、そこに座って待つのだけれど、初老の仕切り人が店の中に居て、メニューを先に決め、順番を並び順ではなく、お客の顔を覚えていて「次はそちら、どうぞ」と言い席に着くと直ぐ間違いなくオーダーどおりのメニューがお客の前に直ちに出される。なんともスムーズなこと。 姪が思い出したように「香港のぺニンシュラー・ホテルの入り口のティ・ルームの案内人も凄かったよね~?」と言った。 ほんとにぺニンシュラーも混雑した人の中から、見事に順番どおり裁いていたのを思い出した。 さすが、プロはこうでなければ・・・という感じ。 カツの周りはカリッとしていて、キャベツもドンドン追加して、実にテキパキとしている。 お値段も無論適切。

その後、場所を変えてお茶を飲みながら、色々積もる話をした。

2008年4月18日金曜日

行く春を送る花々

ジムに行く途中、ご近所の庭に咲いている花を見ながら季節の移ろいを楽しんでいる。 

ついこの間まで、桜が咲いていた。 今年の桜は特に長くもった気がする。  今は八重桜がぽってりとした色っぽい花をつけて、雨に濡れながらもがんばっている。 今年は妙にアメリカうつぎが沢山花をつけているような気がする。 何時の間にか、赤い色の花をつけたうつぎが増えて来て、遠くから見ても華やかだ。
桃の花も今が満開、道すがら一本の木にピンクと白の花をつけた桃の花はトテモ、チャーミング。

 私の家のプランターにも色々な種類のスミレが花をつけていて、家に出入りする度に立ち止まって眺めるのが楽しみだ。 だだ私の一番好きな紫色のスミレが私の家にはなつかない。 前の家から頂いた鉢も1年しかもたなかった。 クラブに行く途中のお家の道沿いにそのスミレが群がって沢山咲いているのだけれど「いただけますか?」とお願いするのを躊躇している。 その方はお暇が沢山ある方で長話になりそうだから・・・。 花泥棒は罪にならないとすれば、夜こっそり・・・。

そう言え今年は’すおう’がまだ咲いてない気がする。 ボケの花も少なくなった。 花にも流行りがあって、この辺りでは夏に咲く夾竹桃の花がすっかり消えてしまった。 

2008年4月17日木曜日

貴女はどちら派?

先週書道教室で先生も、もう一人私と同い年の方も夜の食事にご飯を殆ど召し上がらない、と仰る。『メタボ・・・が心配だから」とも・・・私が側から眺めさせていただいた感じでは、下腹が少しは・・・?という感じだけれど、私に比べれば殆ど無きに等しい、と見た。

ずい分前、家族中でかかっていた、浅草のお医者様も「お腹が減って死ぬことは先ずありません」と過食を戒められた。 しばらくお世話になっていた整体師の先生も細くてきりりと袴をはかれ、一日に召し上がる食事の量におどろいたことがある。 その先生も「空腹の感じを覚えていただきたい」と仰った。 体重を落とすには、運動も大切だけれど、ダイエットをしなければ・・・」 という事は百も承知! 

ジムのスタジオでヨガとか健美操をする時、回りの鏡を見ると中でも私が目立って太め。 ここの所、脚が痛かったり血流、筋が痛くて歩くのが辛いのは無論この肥満が原因の一部だと言うことは充分承知している。 私の意志のよわさ、人並み以上の食いしん坊がこの結果をもたらしている。 亡夫が亡くなる数ヶ月?くらい前「お前は、とうとうやせなかったね」と言ったのを時々思い出す。 (結婚した時より10キロ以上も増えたのだから。) 彼は結婚した頃はトテモ肥っていたが、糖尿病をわずらったことが分かって11キロも体重を落とした。 無論私の食事療法も援けになったことは事実だけれど。

戦争時代の食料危機を経験している私達世代は「美味しいものを食べなきゃ生きてる甲斐が無い」と思って一向健康のことを考えない方たちと、節制とカセをかけて、食べ物の量を加減したり肥らないよう涙ぐましい努力をする方たちとに分かれるようだ。 

私も今思い直して、家に一人でいる時はダイエットをする決意をした、事をここにお誓いいたします。 

2008年4月15日火曜日

開店二連チャン

今朝、易の先生から長い電話があったので、ジムに行く時間が何時もより遅れてしまったので、行くのを止め、ご近所のお友達と蒲田の東急系?のグランデュオ蒲田に行くことにした。 この辺りのお宅には昨日と今日の二日間特別ご招待の券が入っていて、記念品贈呈と書いてあった。 
思ったほど混み合ってはなかったのは、入り口と出口を一箇所に決めて制限していた所為だろう。 何時の間にかこんなに立派な建物が出来上がって!?という感じ。 蒲田駅直結で駅をまたいで東舘と西舘が出来ている。 地下の食料品売り場は私の最も興味をもっところ。

今まで無かった名店がならんでいて、これで蒲田もようやく他の地域のデパート並みになったと言える。 今日は混み合っていたので特に目立ってお安い値札のものだけ買った。 悔しかったのは先日ユニクロで求めたシャッが半値で出ていた。

レストラン街には行って見なかったけれど、以前に比べて大分美味しそうな店が出ていたようだ。  ところで、記念品は500円券だったので、私はお茶を買うのに使った。 使えないヘンなものより現金の方がいいわよね?と友達と話し合った。 友達は私より沢山買い物をしたので、蒲田からタクシーで帰った。 折角安い買い物をしなのにね~。

しばらく休んで今度は近所に出来た東急ストアーに行って見た。 友達が洗剤を買いたいと言っていたので、入る前に近所のマツモトキヨシに先ず寄ってみたら’アタック’がわずか195円で買うことが出来た。 ちなみにお友達は東急で他の洗剤をもう一つ190円で求めていた。 なにしろ、後期高齢者保険金が今日(?)引き落とされると言うので少しでも安いものを買って、それに備えなければ・・・。 東急の食品売リ場はさすが品ぞろえはよかったが、お値段は? 何しろ混み合って大変疲れた。  今日は一日おばさんをしました。 でもケッコウ楽しかった。

2008年4月11日金曜日

お食事?(ご飯食べ)に行く?

私のように昭和一桁生まれの者にとっては、最近の言葉の乱れにガマン出来ないことがたびたびある。

例えば、「今晩、一緒に食事しない?」という代わりに「今晩、ご飯しない?」と来る。 テレビの司会者までが「**さんと**さんが一緒にご飯食べたそうで・・・」とか言っている。 しかも旅館とか日本食レストランで一応の料理が終って、最後にご飯が出てくるはずの時、「これからお食事になります」などと言う。 それは「ご飯が出ます」と言うことなのに・・・・ お食事というのは、朝のお食事、昼のお食事、夕方のお食事・・・そして外でお食事をする、と言うのではないかしら?

ところが周りがそう言っているのを度々聞いているうちに、何時の間にか私も「ご飯食べに行く・・・」と言ってしまいそうな気がして、拒否反応が反対にならないようにしたいと思う。

その昔?は男言葉と女言葉があって、女の方は言葉尻に「わ」という言葉をつけて話したりした。 例えば「私は東京へ行きたいわ」とか「これ**さんにいただいたの」とか女性だけの表現があった。 今では多分一部の小説の中にだけしか見当たらない言葉になってしまったのかもしれない。  

2008年4月9日水曜日

その日によって・・・

その日によって、やる気がする時とその気にならない時がある。 皆様もそうですか?

年金特急便のことも毎日早く書かなくては・・・と思いながら数日以上経ってしまった。 
今日ジムでインストラクターのKさんと色々話をしている中にその話になり「先ず電話をなさってみて・・・」という言葉に押されたというか、天気が良くなった所為か、とりあえず午後1時ごろ電話をかけてみた、案の定「ただ今大変混み合っていますので・・・」というお決り文句。 それでも掛け始めるとやや意地になって又3時頃掛けてみた。 すぐ係りの方が出た。 私は疑問の一つ昭和33年に結婚して厚生年金を支払っている夫の籍に入ったのに、私が国民年金の資格を得たのが昭和36年になっている、と訪ねたら、国民年金制度は36年に始まった、との返事。 電話の相手の男性はトテモ親切な感じで「他には?」と尋ねられたので、一年間お勤めをしていたことを言ったら「是非それも書いてください」とご親切な応対。 かなり機嫌がよく?なった。

夕方易の先生との電話も年金のこと後期高齢者の保険料支払いのことなど世間話が長くなり、ここ2回ほど私を頼っていらっしゃる様子が見られるところが見られた。 冗談じゃない!
先生は大変な修行をしていらっしゃるし、記憶力もよく難しい卦を立てることも大変なことだと何時も尊敬しているわけだけれど、人間やはり弱い部分もあるのだろう。 卦を立てて、相手にお話になるとき少し加減なさるでしょう?と尋ね、どのくらい弱めるのですか?と不躾に伺ってみたら70パーセントで話すようにしている、とのこと。 それは先生の先生から教わったとのことと仰った。 その通り話すと相手を傷つけるので・・と仰った。 「私には本音を仰って下さいね?」と申し上げた。
 

2008年4月7日月曜日

次から、次へと・・・

ここの所、次から次へと色々なことがあって、少しめげている。 

その一つは社会保険庁から送ってきた「年金特別便」のこと。 回答を送り返さなければならないのでけれど、少し納得のいかないことがあって、訂正したいのだけれど、電話をするのも、社会保険事務所に出かけていくのも、メンドウだ。 私が結婚したのは昭和33年年10月だから、夫の扶養家族になって、当然11月にはサラリーマンの妻として、の国民年金に自動的に加入していることになるはずなのに、その資格獲得が昭和36年からになっている。
三年の差ということは、結果としてどうなるのか、考えるのもメンドウ。

もう一つは、今日ようやく送ることが出来たのだけれど、先日英美ちゃんと義妹の家を訪ねた翌日、義妹からファックスが入って、英美ちゃんをまた連れて来てくれ・・という事と次女の英利子ちゃんが昨年11月に結婚した・・・と言うことで、慌ててお祝いを・・と思いながら「寿」のいわい袋が無くて中中送れなかったこと。 

年をとるとだんだんセッカチになり、次々と急いでカタズケなければ、という思いが強くなる。 ところが、三つ目に、又急いでしなければならないことが起きた。  それは突然携帯電話が壊れてしまったのだ。 土曜日に下の妹と目黒で待ち合わせたのだけれど、急いでいたので携帯を持っていくのを忘れて、テーブルの上に逆さに置いて出かけたら、帰宅後充電が出来なくなってしまった。 

困ったことになった。 先日易の先生が仰ったように「今年は、大金ではないけれどチョコチョコお金が出るわよ」と仰ったとおり、洗面所の水漏れに始まって私にとっては必ずしも小金ではなく、この調子でまだ今期三ヶ月も経たないのに小金が出るのは、つらいこと。

次から、次へと・・・

2008年4月6日日曜日

日劇と夫

今、テレビで偶然4チャンネルをつけてみたら、’日劇のウエスタン・カーニバル’をやっていた。 50年前に・・・・と言っている。 アレから50年経ったのだ。 1957年亡夫が最初のオーストラリア公演に行っていて、その前の年黒田初子先生に夫を紹介されたまま中中会うことも出来ず、その間今も日劇の歴史に残っている’ウエスタン・カーニヴァル’を企画して渡辺プロに任せて忙しく過ごしていたわけだったことを結婚後しばらくして知らされた。
 
懐かしい人たちが画面に出ている。  アノ頃は皆、そう言っては失礼ながら、チンピラだった。 前にも書いたけれど、観客が失神したり、テープを投げたり、パンティまでも投げたりしたのは本当?・・・と夫に尋ねたら「モチロンやらせだよ」と応えた。 文春から「天皇陛下に申し訳ない」と言う題材で記事を書いてくれないか・・・と申し込まれたが、会社員なので・・・とお断りした、とも言っていた。 

私は楽屋には一度も訪ねた事も無かったが当時中学生だった下の妹は、何度か訪ねたことがあって、ミッキー・カーティス等は決してサインをしない人だったけれど「サインしてやれよ」と言って夫の兄の娘などは部屋に飾って友達達を羨ませていたということもあった。

日劇と言っても60台以前の方はご存知ないだろう。 もうその存在は’歴史’なのだから・・・。 今夫が生きていたら何と言っただろう。 彼はどちらかと言うと働きすぎて早くあの世に行ってしまったわけだけれど、こうして時々育てた人たちとか日劇のことを思い出させて下さるのは、私は何と思ったらいいのかしら?

2008年4月5日土曜日

今日一日

土曜の午前中は楽しみにしている健美操の日。 今日は少し出るのが遅くなったので何時もの決まった場所は取れないだろうと思っていたら、最前列のお友達が私の席と私の前の席をとって置いてくださった。 私の前の方は、何時もその場所なので、「貴女が私の前だったら落ち着くわ」と先週言っていたのを、その方は覚えていてくださった。
その方も私も感激した。

妙な習慣があって、古くから通っていらっしゃる方方は、その場所が他の方に先にとられると少しムッとする女学生的なところがある。 特にこの健美操は大人気で、忽ち一杯になってしまうので、気にしながらもそういうご好意が嬉しい。 だけど私は初めての方にも気を使って声をかけてあげる。 私がこの教室にはじめて参加した時、何だか入りにくいところがあったからだ。 そんなことを言っては悪いかも知れないが、60代にもなると女性も少し自己主張が強まるのかしら?

ところで、家に戻って遅めの昼ごはんを終えたところに、下の妹から電話があった。 夫が今日は京都に泊まるということで、キットお声掛りがあるだろう・・・とは思っていた。 両方の交通の便を考えて、目黒で会うことになった。 アノ辺りにも五反田駅辺りと同じように適当な食事場所がない。 結局何時も同じところでお茶し、食事をすることになってしまう。 それでも話は尽きず、帰宅したのは10時半になった。  脚の痛みもそれほどではなく気持ちのいい夜だった。

2008年4月4日金曜日

何か原因?

周期的というか、ひざの外側が痛んで、歩くのもつらくなる。 歩きすぎた? 階段を降りすぎた? 家に居て、ずーッと坐りつずけていた?  何が原因でそうなるのか分からないが、何週間に一回歩くのも辛くなるほど痛むこともある。 先日、ヨガ教室のときに私の前に何時もマットを置くお友達が「私だったら直ぐ整形に行くわ、歩けなくなったらどうなさるの?」と親切に仰って下さった。 ジムのインストラクターのKさんも、アドバイスをしてくださる。 でも、私はどうしても整形外科に行く気がしない。 レントゲンを撮って電気をあてるだけ・・・じゃない?と思ってしまう。 それでも、いよいよ、決心をしなければならないか・・・?と思ってきた。

ところが、昨日ヨガをして、そのあと、スタジオでマシンとサイクリングを軽めにしたら、ずい分楽になり、インストラクターのKさんの仰るように、少しお風呂にも長く浸かったりしてみた。 今日も又ジムで一時間ほど動いたら、痛みはすっかり引いてきた。 血流とかいわゆる筋が硬くなってるのでは?とKさんに聞いたら、筋も血流も結局はおなじです、とKさんのお返事。  そう言えば、易の先生が「今年は筋が突っ張るわよ」と仰ったっけ。
何しろ、体重を減らすのが一番肝心なこと・・・という事は百も承知!

 

2008年4月2日水曜日

バレリーナの英里ちゃん

足が痛かったり、色々あって行くのを少し躊躇していたけれど、今日は英里チャンの二度目のバレリーナとしての晴れ舞台。 今度は新宿の文化会館なので、妹と渋谷で待ち合わせて、会館まで行った。 大分早く着いた積りなのに、会館の中は人で一杯。 それでも可也良い席をとることが出来た。 最初のプログラムは成人の本格的なバレーで男性の踊り手の脚が長くて格好良くなったことに先ず驚く。 

始まって五幕目くらいに出演者の紹介があって、我ら愛しの「児玉英里」ちゃんと報じられた。 妹とドキドキしながら出を待った。 ピンクのバレー衣装をまとった一団が左手から出て来た。 「可愛いい!」思わず叫んでしまった。 向かって右から二人目、英里ちゃんのお凸が光っていた。 「あれ、英里!」と妹が「パパに似ているから・・・」とおばあ様ぶりを発揮。 小さいピンクのお姫様たちがトウで立って踊っていた。 英里が最後に舞台からそでに入った。 手を後ろに引き、胸を張って一人前のバレリーナのような’引き’だった。

見に来てよかった! 少し経ったら「大ばば!」と英里の声がして、席までお土産を持って来てくれた。 触ってみたら、バレリーナ・ヘヤーの髪が汗で少し湿っていた。 一生懸命にやったのよね?英里ちゃん!

その後新宿の高島屋でお茶をして、しばらくうろついて夕食に中華料理をご馳走になった。 

2008年4月1日火曜日

花散りの風

英美と本門寺の桜を見に行く約束をしていたが、昨日の雨と今日の風で花も散ってしまった・・・と思い、密蔵院の枝垂れ桜を見に行った。 英美とは午後三時に千鳥町駅で待ち合わせ、歩いて行ったけれど、何年か前に行った時よりはるかに遠く感じたのは私が老いた故か? 足も衰えた。 途中の疎水にはおたまじゃくしが沢山泳いでいて、英美は声をあげていた。 こんな光景も思い出になれば、いいかしら?

ふと、思い出して、下丸子近くの英美の母が幼少の頃住んでいた所へ行ってみたい?と訊ねたら、見てみたいということで、尋ねながら向かった。 今は建て替えて英美の祖母の妹が住んでいる。 突然なので、無論中へ入ることは予定していなかった。 義妹が吃驚して、しばらく英美の顔を見つめていた。 「もう、拘ってないわよね?」と繰り返し言っていた。 英美の祖母と義妹たちとは余り仲がよくはなかったので・・・。「目元が美樹ちゃんに似ている」と義妹は言って懐かしんでいた。

可也歩いたので、私はもう歩けない感じで、電車で千鳥町まで戻った。 今日は自ずから「食いしん坊」と言っている英美に日本料理を食べさせるのが、私のもう一つの目的。 三、四品出して、揚げ物をしようと振り返ったら、もう、お皿は半分は空だった。 「私食べるのが早いんです」「私も早いけどそれにしても・・・」でも彼女は内容を確かめながら楽しんでくれたようだった。 美味しそうに食べてくれるのは、作り手には嬉しい事。 
いつも彼女とは話が尽きずに、午後九時半ごろまで居て、酷い風の中を帰っていった。  もう、日本滞在も残り一ヶ月半になった。

2008年3月31日月曜日

お久しぶりネ~!

今日は、以前五反田に住んでいた頃のお料理教室の生徒さんたちと二十年ぶりくらいでお会いすることになった。
その中のお一人がお母様の介護で落ち込んでいらっしゃるのを聞いて、皆で集まってお慰めや近況報告をし合おう、という次第。

そのグループは五人だったけれど、お一人は乳がんで三十歳以前で亡くなり、もう一方は新潟に住んでいらっしゃるので、私を含めて四人が揃った。 年上の私が最初に二子玉の高島屋の11階の’たん熊’に着いた。 丁度十一時半に入っていらっした三人ともが口を揃えて「先生、お若い!」と仰って下さった。 嬉しさ、恥ずかしさ半分。 今まで、そんなこと言われたことも無いので嬉しいのが強い。

それぞれのご近況を聞きたいのだけれど、お一人が話し出すと話しつずける恐れがあるので、私は以前の先生ぶりを発揮して、順番を代えて近況を伺った。 私のことについてはジムに通ったりパソコンをしたりブログを持っているという話に皆目を見張って感心してくださった。 

三十台でご主人を亡くされ、二人のご子息を育て上げた方は今はご自分のお母様と同居なさって、ゴルフ三昧の生活をしていたっしゃる。 以前五反田でご近所だった方はたまブラーザに住んでいらっして、ご主人のご両親を看取られ、今はやさしいご主人とお嬢様と建て変えた家に住んでいらっしゃるとか・・・。 もう一人は結婚なさらずに
少し認知症のお母様とお二人で朝から晩までお掃除、お食事の支度に追われていらっしゃるらしい。 余り外にお出になれないので、いろいろ皆で教えてあげ、これからも時々お会いしなければね~?と話し合った。 

そんなことを言っては申し訳ないかも知れないけれど、人生、何だかならしているのかな、と思われる。 それでも
皆まだ六十台なのだから、頑張って生きて欲しいと切に思う。

ところで、東急大井町線に昨日?から急行が通じ、私の乗換駅’旗の台’から二子玉まで停車駅が大岡山、自由が丘しか止まらないので、行きも帰りも急行に乗れてずい分早く着くことが出来た。 

2008年3月30日日曜日

西武線の沿線の桜も綺麗でした

今日は芦屋から来た姪夫妻と原宿で待ち合わせて東大泉の易の先生の所へ行ってきた。 先生のところで突然ケーキ、豚汁、餅菓子などが出されたりするのでお昼は池袋駅で軽く頂いて西武線で東大泉まで・・・。

姪夫妻は先生お墨付きのよいカップルだということだった。 案の定、姪の夫が席に着くや否や、「おでこはひろいし、眉は濃いいし、人気ぼくろはあるし・・・と褒め言葉のあめあられ。 夫婦が埋めあって助け合ってこれからも幸せな家庭を築いていけるよう色々助言をして頂いて、二人とも満足しただろうと思う。

5時ごろそこを出たら予想より早く雨が降ってきた。 池袋でイタリアンの夕食をして、彼らは新幹線で帰途に着いた。 

私は一人淋しく五反田でバスに乗ろうとしたら、前に並んでいた方が声をかけてこられた。 私の前にすわったその方は「私今ジムのかえりなの」「私89歳なんですよ」そしてその方は大岡山に住んでいると言い、私との共通点が二つ見付かった。 89歳でジムに通い今はプールで歩くだけだけれど、週に何回かプールで歩いている・・・という事は私もその年まで、若し生きていれば、ジム通いができるかなということ。 私は結婚前大岡山に住んでいたということでその方が中延で降りられるまで近頃の世情、若い人の生き方など話し合った。 バスをおりてもまだ雨は降っていたけれど、色々思いながら足取りは軽かった。

2008年3月28日金曜日

書道・書道展・買い物のお付き合い

今日は月二回の書道教室。 時間より少し早目に行ったけれど、先生はもういらっしていて、早速宿題を見ていただき、凄くよく書けているのでお家に貼っておいたら・・・とお褒めの言葉を頂いた。 今日はその後、色々予定があったので早目に退出。 もう一人の生徒さんも手を焼けどしたので・・・と早引け。 結局残る生徒さんは一人だけとなった。

一旦、帰宅してお昼をすませ、その脚で渋谷の東急本店で開かれているお友達の書道の展覧会を拝見しに行った。
思ったより沢山の出品作があって、力強い作、流れるような美しいかな文字など、さすが選ばれた方方の作品ばかりだった。 お友達の作品はなぜか何か懐かしさを感じた。 お友達が会場にいらっしてるはずだったけれど、お目にかからずに会場を出た。

東急本店から小型バスに乗って渋谷駅に行き、地下鉄で日本橋高島屋まで思ったほど時間がかからずに着いて、そこで京都の妹と合流、行きつけのブテックで何時ものように一人ファッションショウのお付き合いをしてあげた。 彼女は色々な行事やパーティに出なければならないので、まとめて何着か求めた。 殆どの洋服がポリエステルとかなのに驚いた。 軽くてしわになりにくいのだろう。 私のようにウールとか絹とかを好んで選ぶのは時代遅れなのかもね? 二人とも帰っても一人なので、高島屋の中で中華料理を頂いた。 驚いたことにほぼ100パーセントが女性のお客だった。
幸せなことに、帰り道心配したけれど、一雨降った後だったらしく無事帰宅した。

2008年3月27日木曜日

買い物途中で・・・

午前中、ヨガの後少しスタジオでマシンで鍛えて帰宅、遅めの昼食後古新聞を自治会物置に運んで、午後二時前に家を出たところで、一人の男性が私の出てくるのを待っていらっしゃるようだったので、道を尋ねたいのだろうと思ったら「園田さんのお姉さまですか?」と訊ねられた。 「そうですけれど・・・」と返事をしながら訝った。 確か昨日も家の前を通られ、余り見かけない方だな~と思っていた。 中中のナイスガイ中年過ぎと言った感じの方だった。 「川辺?ですが」とその方は応えられた。 私は記憶の歯車を回して、直ぐに思い出した。 下の妹の学生時代のお友達で、慶応ボーイでその頃もカッコウよく、確かあちらが妹に気があった。 五反田の私の家にも来られたこともあった。 しばらく妹のことなどと彼の近況を伺った。 彼はここから五分くらいの所に住んでいらっしゃるということだった。 無論ここの家の壊される前の家をご存知のはず。 

その方と分かれて少し歩いたところでお嬢様とお孫さんと犬を連れた方に会ってまた少しお話し、五歩くらい歩いたら、私の後任の副会長と私より大分お年上のご近所の方に久しぶりお会いして、ご挨拶して少し立ち話。 桜を見ようと少し遠回りしたら、ご門のところから声を掛けられて、また十分くらい世間話と健康問題のことの相談ごとのアドバイスをしてあげる。 

スーパーマーケットまでの道の遠いこと・・・。 買い物をして、ようやく家に向かいお茶しようと重い荷物を引きながら歩いてきたら、曲がり角で、家の前の会長さんとバッタリ会って、自治会の話をおよそ三十分、午後二時に家を出てから帰宅したのは午後四時過ぎ。

お天気がよいので皆のんびりして立ち話をなさりたかったのでしょうね。 でも私は少し予定が狂いました。

2008年3月26日水曜日

熱海に一泊旅行をしてきました

雨模様だつたけれど、月曜日妹に誘われて英里ちゃんとママと里彩ちゃんの五人で熱海に行った。 英里ちゃんの幼稚園入園祝いということだった。 英里ちゃんのママの運転で、それでも午後三時過ぎには旅館に着き、先ず理彩ちゃんの二歳のお祝いを、妹持参の少し小さいバースデーケーキに二本の蝋燭を立てて、分からないながら理彩ちゃんは食べることを気にしながら吹き消し、得意そうに声をあげて笑っていた。

その後、ママは見事に二人の幼児を操りながらプールで水遊び、泳げない妹と私はただむしろそのインストラクターぶりをあきれながら感心して見学。 次に行った大浴場からは海が美しく見下ろせた。 妹が和食を予約していてくれて、春らしい懐石料理を楽しんだけれど二人の幼児たちは子供の料理の盛り合わせで、ウインナーソーセージの奪い合いをしていた。 時間の経つのが早くて、忽ちお休みの時間が来てしまう。
 
翌朝はレストランでのバイキング。 これは何処も同じ感じ。 そういえば私は日本の旅テルに泊ったのは久しぶり、外国のホテルよりサービスなどは行き届いている気がした。 チップも払わずに十分なサービスと笑顔がある。

熱海も以前に比べて街も賑やかさを少し取り戻した感じがしたが、子連の遊び場所は余りない。 仕方なくMOA美術館に行ってみたが生憎浮世絵が展示してあって、英里ちゃんに遊女の説明などしたけれど分かったかな? 
その後熱海の町で回転寿司の店などを探したが、見当たらずとりあえずお寿司を頂いて、山の上のほうにある公園に行った。 私をはずした四人は沢山の階段を上って上まで行って少し遊んできた。 日の暮が大分遅くなったので、明るいうちに熱海を出ることが出来た。 もう少しおちびちゃん達と遊びたかったかな?

こうして楽しい日は忽ち過ぎてしまった。 

2008年3月23日日曜日

春の休日散歩

英美ちゃんに誘われて、二子玉近くの「静嘉堂」という美術館に国宝級のお茶碗を拝見に行った。 
今日はお天気も良かったので、途中の電車も普段とは違ったくつろいだ感じがあった。 面白かったのは、池上線に乗ったとき、若いパパが2,3歳くらいの男の子を乳母車に乗せて乗り込んできた。 池上線はワンマンで運転をしているので車内アナウンスで「この電車はワンマン運転でございます」と放送されてるのを聞いて、その子はパパに「パパ、わんわん運転じゃ、危ないね?」と可愛いことを訊ねた。 「大丈夫だよ」とそのパパは応えていたが、私はもっと詳しく説明すべきだ・・・と思った。 この子は多分犬が運転していると錯覚を起こしたに違いなかった。

「静嘉堂」は二子玉からバスで6つ目のところにあった。 バスはその停留所でがら空きになった・・・という事は殆ど美術館に行くためのお客だった。 昔は何方かのお屋敷だったのだろうか、しばらく山道を上ると、大正時代か昭和初期に建てられたと思われる古い建物があった。 

展覧しているものは主に江戸時代17,8世紀の天目茶碗で、英美と話し合ったのは、天目茶碗は地味なものだと思っていたけれど、飾ってあったものは華やかな色彩のものも多かったし天目台も’ツイシュ’などが目立った。 茶碗の中には仁清作などのものもあった。 私は、むしろ説明書の最後に書いてあった「岩崎家所蔵」とか岩崎家ー静嘉堂と言う文字が気になった。 それにしても、古い時代のものがこうして立派な形で残っていることは有難いことだと思った。 

2008年3月21日金曜日

お彼岸なのに

今日はお彼岸の最中だけれど、下の妹と一緒に東大泉の易の先生の所へ伺った。 私は先日、上の妹と私自身の今年気をつけることなども伺っていたので特に妹夫妻のことを傍聴?しただけだったけれど、先生はいつも私が一緒に行って間に立って色々ご節介?を焼くのを望んでいらっしゃるし、ある程度客観的な立場で助言もするので、「貴女も来てよ」と必ず仰る。

私もここの所、というか、お彼岸になると気になっていることを恐る恐る伺ってみた。 ・・・・というのは、春と秋のお彼岸の頃になるとヨガ教室でも、スタジオでも「明日は夫のほうのお墓、翌日は私の実家のお墓に行くのよ」と殆どの方が話していらっしゃる。 私は少し後ろめたさを感じながら「お墓は何処?」と訊ねるとケッコウ遠かったりする。

 そこで先生に正直に私は、夫の墓所は多磨墓地で、以前車を運転している頃は一時間半かけて墓所に行き、御参りをしていたけれど、今は一人になったし、同行者もないので、秋のお彼岸だけは夫方の甥に運転してもらって行くようにしているけれど、気になっていると話したら「お墓参りをしても、その帰りに皆で楽しんだり何処かへ寄ったりしては意味がない」と言うことと「貴女はご仏壇を預かって毎朝お水を上げて、拝んでいるからそれでいいのよ!」と言われて、肩の荷が下りた気がした。 私はどんなに忙しくても、朝早く出かけなければならないときも必ずご仏壇に御参りは欠かさない。 そして決まったお念仏を二つの仏壇に唱えている。 

先生がお茶と牡丹餅を出してくださったので、仏様にまだ牡丹餅をお供えしていなかったことを思い出した。 「これをお供えすればいいのよ」と先生が仰って下さった。

2008年3月18日火曜日

’東京大空襲’を見て

昨夜、日本テレビの開局55年記念ドラマ ’東京大空襲’を見た。
あの日のことは時々このブログで書いているように私はその頃板橋に住んでいて、遠くから真っ赤な空を見ていた。
まことに不謹慎なことにその頃あんな修羅場がその下であったことは戦後浅草あたりに住んでいた方方から伺って始めて知ったことだった。 あのとうりで、生きていたことが不思議だ・・・とお二人の方から伺った。 河のほうへ逃げろ、と言われて逃げたが、河は人で一杯だったそうで、川の水は熱かったとか。

だだ、その当時女学生だった私がアノ画を見て、まず違和感を感じたのは髪型・・・。 当時、男性は皆、老いも若きも丸坊主だった。 館ひろしさんの扮する警察官?などは長髪はありえないこと。 長髪の人は兵役検査に不合格だった、当時結核などを患っていたほんの一部の人たちだけだった。 その方たちは’非国民’と言われていた。
{映画撮影」だったとしたら、許されないことだろう。 最後まで私には気になったことだった。 

なんとしても、罪もない多くの人たちが犠牲になったということは、時々思うのだけれど、原爆を落とされたことと非戦闘員が数多く犠牲になったことに対して、アメリカを恨むとか償いをしてもらうことを要求することはしないのか?これは戦争に負けたからなのか? それともあるフランス人が言っていたように「日本人はあっさりしていすぎる。フランス人は決してドイツ人を許さない」というのは、そうかな~と思う。 

改めて、空襲で犠牲になった多くの方方に心からのご冥福をお祈りさせていただきます。

2008年3月15日土曜日

もう、’春’と言ってもいいのよね?

先夜の雷は家を揺るがすほどのもので、この辺りは高台の所為か、雷がよく落ちるので、一人で震えていた。 「ピシャン!」と言う音がした時などは、これは多分テレビのアンテナに落ちたに違いないと思ったりした。

あんなに大きな雷が鳴ったのだから、もう春が来た・・・と言ってもいいのよね? ところが我が家では洗面所の下が水漏れで廊下の方まで沁みてきて、慌ててご近所の建築店に来ていただくようお願いして、すぐ処理にあたってくださったのだけれど、結論を出すまで二日もかかってしまい、洗面台を取り替える様に言われて、20万円もかかるかも知れないとのことで、それこそどうしよう、と金策を考え始めていたら、近所の建築屋さんが、応急の処置を頼んでくださり、とりあえずは、あ~あよかった! 

今朝7時ごろ起きて東側の雨戸を開けたら、斜め前のお宅の垣根沿いにバスより大きい車が止まっていた。 「何?」ああ、そうだ先日「15日か16日にご近所でCFを撮るのでご迷惑を掛けますがよろしく」というチラシが入っていたのを思い出した。 ジムに行く時、側を通ったらそこら中人がいて通り抜けるのもママならぬ様子。 そこは年の功で、「こちら通り抜けていいですか?」と言い、辺りを見ながら、ご近所の家の表札が「赤坂太郎」に変わっていたのとか、若い男女が犬を抱いて立っていたのを見た。  

驚いたことにジムで健美操とスタジオでトレイニングをしての帰り道、まだそのCF撮影はつずいていた。 大変ね~。 しばらくして、ようやく終って引き上げていくスタッフ達の姿の惨めなこと・・・。 服装も、歩く姿も背を丸め、まるで浮浪者のよう。 こういう人たちに支えられて、ほんの短いコマーシャルが作られ、放映されているのだと思った。

2008年3月13日木曜日

色々な一日

昨年末、ご近所のお友達がお引越しされた。 突然だったことと、ご近所といろいろ面倒なことがあってのことだったし、私も言いようのない不快さをもったままのお別れだったので、思い出しては溜息をついていて、今空き地になってしまっている彼女の家の前を通るのを避けていた。

ところが三ヶ月経った今朝、突然彼女から電話がかってきて、こちらのほうへ来られるとの事で、お会いすることに無理やり決めた。  困ったことに丁度お約束をした時間ごろ、我が家の洗面所の水もりの工事の方がみえて、直ぐ済むはずの工事が意外に時間がかかって、しかも今日一日ではカタズかない様子。 

そのお友達が私宅へ来てくださり、ず~っと私の中で解決しなかったことを彼女に話すことが出来たけれど、長いお付き合いのそのお友達が引越し以来肺炎になり、入院されていたとか・・・。会ってしまえば、そのこだわりもどうでもよくなってしまって、いろいろ積もる話を主に、聞いてあげた。  彼女はご家族もあるので、夕飯をご一緒できなくって、遠路はるばる・・・・だったのに、と申し訳なく思った。  考えてみたら4ヶ月ぶりのほっとしたことだったし、彼女もそう思っていられると思う。  午後9時丁度、お電話で今家に着いた、と報告があった。

2008年3月11日火曜日

メリー・ウイドウズ

先日からの痛みが今度は背中にきて、ジムに行くのをよそうかと思ったけれど、暖かかったので思い切って出かけた。 インストラクターのKさんに色々指導していただき、背中の痛みを整える運動も教えいただいて帰宅後試したら、ずい分楽になったけれど、どうしてこんな痛みがアチコチ移動するのだろう? 

昼食後、池上まで買い物に行くことにして、駅前のパン屋さん、オオゼキに寄り、バス停で洗足行きのバスを待っていたらご近所のWさんが少しお洒落なカッコウで私の後に並ばれ、もう少ししたら道を隔てた向こうのTさんも重そうなオオゼキの袋をもって見えた。 「今日はオオゼキのポイントが9倍なのよね」と一人が仰る。 行きがけは歩いてきたけれど、帰りはバスで帰ると言う。 バス料金が無料だから~・・・。 以前は歩いて帰ったわよね?・・・とこれも皆同じ考え。

三人とも未亡人。 お一人は大分若くて死別、その次は私、もう一人の方は3年前にご主人を亡くされた。 

このあたりも未亡人が大分多くなってきた。 そして殆どの方が前向きに明るく、楽しそうに生きていらっしゃる。
中では私が一番年上なので、バスに荷物を持って乗るのを手伝ってくださり、笑いながらご一緒に「貴女の方がバス停に近い!」とか言いながらお別れした。 それだけのお付き合いでも楽しい一時。 三人とも独り暮らし・・・。

2008年3月10日月曜日

下町散歩

ニューヨークから日本へ留学している英美と人形町で待ち合わせて、親子丼で有名な「玉ひで」で昼食をすることにした。 二人とも約束の時間より早めに人形町駅に着いたので、余り長く待たずに入店できた。 親子丼は大変庶民的な食べ物だけれど、鶏はしシシャモを使い卵も選んでいて半熟もいい具合。 でも、鶏の数は少し減った気がした。

玉ひでを出て近所の店を眺めながらしばらく歩き、水天宮まで行って、お参りをした。 英美にも神社の拝み方とお寺の拝礼の仕方を教えてあげた。 ただ、水天宮は安産の神様なので結婚していない彼女には少し早すぎたかな?

それから、しばらく考えて当初の予定通り浅草へ行くことにした。 だだ今日は今年になって初めて右足が痛んで階段の多い地下鉄は、私にとって可也辛いものがあった。 それでも始めは浅草寺に行き、時間も十分だったのと運良く天候も良かったので、西浅草でお茶した後、ふと思いついて河童橋に食器などを見に行った。 英美はお菓子作りなどもよくするし、私と同じ様に食いしん坊なので、キット興味を持ってくれると思ったら、案の定! お菓子作りに使う小さなステンレス製の型とか、私も欲しかった洒落た割り箸なども求め、又ステンレス製の三つそろいのボールなども大変安く買えたようだったが、さあ、どうやってニューヨークまで持って帰るのか? 後で考えよう・・・!?という感じだった。

浅草あたりも以前は、腰に注射してくださるお医者様があって、週に一回行っていたけれど、その先生が亡くなってから、何十年も行くことがなかったので、驚くほど変わっていた。 夕食をジムのお友達ご推薦のお寿司屋さん行こうと思ったが見当たらず、久しぶりで鰻をいただくことになって、帰りはゆっくり慣れ親しんだ道で帰宅。 脚は痛かったが楽しい一日となった。

2008年3月8日土曜日

日増しに暖かく・・・

ここの所一日ごとに暖かくなってきて、少し過ごし易くなってきた。 それなのに作日から腰に少し痛みを感じて、これは木曜日ヨガのときにムリな姿勢をとった所為かもしれない・・・と思った。 私は風邪を引かないと言ったら、風邪を引いてしまい、腰の痛さを感じたことがないと言ったら、腰が痛くなった。 これからは決して予感のような言葉を発するのは止そう・・・と心に誓った?

今日は健美操の日なので、又苦しい体型をとって、酷くなると困るな~と思ったが、多分よくなるに違いないと思って参加することにした。 今日は、インストラクターが花粉症予防のため、ラベンダー、ペパミント、ユーカリなど5種類のハーブをエッセンシヤル・オイルに溶いて綿にしませて持って来てくださる。 それをそれぞれのマットの上に置いて実技をする。 部屋中よい香りで満ち満ちてくる。 私の腰の痛みも次第に治まってきた気がした。 

お友達の一人が、年をとったら花粉症には罹らないそうよと、 花粉症に罹るというのはお若いのよ! と嬉しがらせてくださる。 その勢いでジムにも行って軽くトレイニングをして、帰り道は腰の痛みも軽く従って足取りも軽くなってきたようだ。 

暖かくなれば・・・

2008年3月7日金曜日

お稽古事

下の妹が母から受継いだ茶道を続けていて、この度いよいよ茶道表千家のお名前をいただくことになった、と言う。
何事にも一生懸命に取り組む妹は、易の先生にも相談して、私にも辞典で調べた名前を昨夜ファックスで送って来て意見を求められた。 お茶の場合は二字で上に必ず「宗」がつく。 日本の漢字にはそれ自体に意味を持つので、その意味も踏まえながら彼女は7~8ほどの名前を綺麗な字で書いてきた。 私もそれなりの意見は言ったけれど、決めるのはあくまで本人なので、反って混乱させても・・・と言う気もある。

私も結婚する前から華道、草月流の師範のお名前を頂いていたが、それは私の先生が決めてくださり、お家元のご承認を得て「静峯」という勿体無いようなお名前だった。 現代的だと思われている草月流でさえ、段階的に先生を通して、お家元にお納めする金額もママならず、教える生徒さんが10人以上は無ければ・・・・という感じがして又師範にも等級があり、私は最高の「顧問」を頂いていたが、やれ展覧会、師範だけの講習会が月、一回とかで安月給のサラリーマンの夫、しかもトテモお金使いの烈しい夫だったし、また技術面でもアノ頃は大型なものに挑戦する傾向があって、継続は難しくて、しばらくして辞めてしまった。 それでも私は一つ、師範の研究会で、お家元の勅使河原蒼風先生に「僕には、こういう風なのはいけられないなあ~、だだっ子みたいだ」とお褒めの言葉をいただいたことがあった。

何しろ日本古来のお稽古事はお金がかかること著しい。 特に茶道は古い伝統があるので、驚くばかり。 それも又お勉強の一つかもしれない。 

2008年3月5日水曜日

親の介護も大変

以前、お料理を教えていた生徒さん達からの年賀状に、お母様とかお姑さんの介護で大変だと書いてあったので、それぞれにお電話をしてみた。 そのお一人は舅、姑の介護に長いこと尽くされ、ホンとに文字どおり、ようやく見送られたが、最終的に施設にお預けになったとか・・・。

もう一人は、60歳になられると聞いて驚いたけれど、結婚もなさらないまま今はお母様の介護に取り組み中で、昨年末から、ご自分の塾の先生の仕事も惜しまれながらも辞めて、介護に明け暮れしているとのこと。 私の声を聞いて「あ、先生のお声だ!」と懐かしさに声を詰まらせていらっしゃるようだった。 

その当時の生徒さんたちのお母様、お姑さんたちが85歳くらいになられて、ボケ状態になられる方も多いようだ。 そして、大多数の方方はお身内を施設に預けられることが、そう恥ずかしいことでもなくなって来たことは、むしろ良い傾向だと思う。 そうしなければ、共倒れになったり、鬱になったりして不幸になる。 彼女は一人で余りにも苦しくて、お腹に包丁を当てたこともある・・・と仰った。 私は聞こえなかった振りをしたけれど、充分その苦しさは理解できた。 「お母様は貴女のことトテモ可愛がっていらっしたじゃない?」と私はさりげなく言った。

偶に、ショート・ステイをお願いすることが出来るとのコトなので、その日にもう一人の方ともども「お慰め、元気ずけるために、お会いする日を決めた。

2008年3月4日火曜日

ちょっと、ショック!

最近、年だから、年だから・・・という台詞が多くなった気がして、認めたくない、言いたくないと強がってみるが、毎日のように思い知らされることが増えてきた。 体力、記憶力の減退が著しい、その上持久力もないこともそれにプラスする。

今日もジムに行って、私のスポーツシャツが、他の方のに比べて少し長すぎると思い、家にもどってから、裾を少し切り落として短くし様と思い立ち、久しぶりでミシンを出した。 糸の通し方、下糸の巻き方などはすんなり思い出せたけれど、針目が揃わない。 すなわち中中真っ直ぐ縫えないのだ。  15,6年前には下手ながらスーツ、コートまで仕立てたのに・・・。 こんなはずではなかった。 シャツを何枚か直そうと思っていたが、諦めた。

少し流行おくれでも(最近はウエストギリギリの長さの物が多い)私はお腹が隠れる程度の長さでないと、可也みっともない・・・から仕方がない・・・と結論ずける。 その辺の自分への妥協は忽ち出来る。 

亡くなった母はトテモ字が上手で、お祝い、お悔やみの名前を筆で書くのをお願いしていたけれど、後年は自分で書いたほうが・・・と思ったりした。 それと同じ? いいえ、私の場合、しばらくミシン使わなかった所為ですよねぇ?

ショック!

2008年3月2日日曜日

家にばかり居ると・・・

少し行動範囲を拡げると、疲れてしまう・・・・ということだけけではなく、風邪がどうやらよくなったと思ったら引きつずき今度は花粉症らしい症状に悩まされ始めた。  家にばかりいると別の意味?で疲れてしまうので、一昨日と昨日は近くのお友達を訪ねた。 昨日は、もう二年以上もも前から自治会の役員達を脅かしていることについてのその後を伺いに少し離れたお友達の所へお邪魔した。 ボランティアで自治会のために尽くしていらっしゃる方方への意味不明の騒動には中中解決のメドがつかない。  色々話しているうちに直ぐ時間がたってしまう。 

日が長くなったセイか当然、日の入りが遅くなった。 そういえば日の出も早く、朝雨戸を開けながら気ずくことは、日の出の方向が少しずつ東に寄って来ているということ。 毎日、二階の南側の雨戸を開けるとき「あ~あ、こうやって冬が過ぎて、春になり直ぐ夏がくるのだな~と毎朝感じている。 そして、夫が二度目に入院した時、朝日が出た方向を今でもはっきり覚えている。

毎日、自分にある意味のカセを掛けながら、一日、一週間、一月、そして一年を過ごしている積り。 一人で過ごしていると、全部自分の時間であるけれど、過ごし方によってその一日がかなり無意味だったりすることがある。 今日が正にそう・・・・。  そこで、大分夜も更けて来たけれど、何か書いてみようと思った次第。 
「つれずれなるままに・・・・」

2008年2月29日金曜日

初めてヒルズ・久が原をお訪ねする

今日、ジムでヒルズ久が原にお住まいの方のお一人にお茶のご招待を受けた。 このヒルズからジムに通われている方も可也多い。  

このマンシオンの建設にあたり私は当時久が原南自治会の副会長をしており、しかもその頃会長はあって無き、状態だったので私は自治会代表として説明会などへの出席を迫られた。 私達南自治会の方方は建設に反対の方が多く その当時、グリーン・ハイツと言ってその住人の方達も私達と同じ南自治会に席をおいていたので、同じ自治会員内同士の争いとなり、私はあくまで中立でありたいと思いその話し合いは大変難しかった。 現に「長谷工からいくらもらったのか?」などとのメチャクチャな投書をもらい涙したこともあった。

完成後ヒルズ久が原と改名して、内覧会があってご招待された時も私はそれを受ける気がしなかった。 今日招待してくださった方は、西の方の棟で四階にあった。 そのお友達もそのことをご承知で、私が苦しい思いをしたことも伝え聞いて、他の方方にも話していらっしゃることを知った。 道路を挟んだ隣に同じ長谷工がマンシオンを建築中なので、そちら側の住人達が騒音などの苦情を言っているのを聞いて、私のお友達は彼女達も入居前に周りのそんな争いごとがあって、私が苦労したことをお話になった、という。

20年経って初めてマンシオンの中に入った。 三階までエレベーターで行きそれから四階まで階段で上る。 上からの眺めはいつも私が歩いている道も、違った道のように見えた。 はるか西の空に富士山が綺麗に見えた。 お友達のマンシオンも部屋数も多く住みよさそうで、日当たりも良さそうだった。  ずい分多くの方方が今は幸せに毎日をこのヒルズ・久が原で送っていらっしゃる。 穏やかに・・・・。 あの時から二十年が過ぎている。

2008年2月28日木曜日

風は何時になったら治まるの?

相変わらず朝からひどい風のなか作日は妹宅へ英美ちゃんのお茶のお稽古の見学に行った。  大変無礼なことながら、私は正座ができないので、何時も椅子に座ってえらそうなお客になる。 

それにしても妹も英美もこんなめんどくさいことをよくやるなあ~と思う。 私も小学校低学年の頃(戦前)とか長じてからもお茶を無理やり?習わせられたことがあった。 でも日本古来の古典的なものはどうも性に合わない気がする。 でもお茶を頂くのは大好きだし、今客観的に見て見ればれば、理屈に合った動きをしていることも理解は出来る。

英美ちゃんは昨日もキッチリ着物を着て、こちらで求めたという可愛い帯をしめていた。 こんな姿を眺めていると冗談ばかりでなく「貴女、ホンとに英語話せるの?」と思わず訊いてしまいたくなるほど日本人以上に日本人らしく、私たちの喋っていることもホンとに一日に1語くらい「それ、どういう意味ですか?」と質問するくらいで、殆ど理解している。 妹のお茶の先輩の方がお茶だけではなく古典日本文化にぞうけいが深い方がいらっしゃるので磯の方と妹に任せて色々指導して頂いている。 英美もその感の良さ、頭のよさ、を認めていただいてその先輩にトテモよくして頂いているようだ。

昨夜は妹と英美にささやかな夕食をご馳走して、色々話をした。 英美が日本での5ヶ月間を有意義によい思い出つくりをしてくれるように妹も私も心から願っている。  余り話が盛り上がりすぎて、千鳥町駅についたのは午10時を過ぎていて、強い北風に逆らって坂を上っていて、息が詰まりそうになった。 しみじみ、年だなあ~と思う。
それでも家に戻ってお風呂に入り、一落ち着きして、今朝はすっかり回復、ヨガ教室に行ってジムで一汗かいて、元気!元気! 今度は隣のフレンチに行きましょうね?

2008年2月26日火曜日

雨が降ったり、大風だったり・・・

毎年こんな風だったかしら? と思い出せないけれど、烈しい風が吹いた後、雨、こうして木々の芽はふき、花のつぼみは膨らんでくるわけだけれど、我々人間には辛い季節。 花粉が飛んでくるかもしれないと眼鏡をかけ、マスクをして外出するのだけれど、帰宅すると私の場合は目にきて、しょぼしょぼ、くしゃ、くしゃと目の周りが痒く、そのうち赤くはれ上がってしまう。 

一昨日も昨日も一歩も家から出なかった。 今日はジムに行きその脚で池上の銀行まで行って帰って来たら、早速目が痒くなってきた。 

ところで、作日早めに雨戸を閉めようとしていたら、前の通りを犬を連れて歩いていらっしゃる私より少し年下と思われる女性が声を掛けられた。「ピアノ弾いていらっしゃるの、奥様でしょう? お上手ですね、聞かせていただいています」と仰った。 「え?」 あんな自己流の間違えだらけのピアノを?・・・そういえば、昨年はピアノの上に御まじないを置いたので、一年間ピアノに触れなかった。 

お正月、京都の妹宅で姪と連弾をしようとしたが、まるで指が動かなかった。 生来私は飽きっぽい性格なので、ピアノ曲も同じものを気長に、繰り返し練習するのは苦手。 だから遊び弾きというか、ショパンの簡単な曲を選んで弾いているだけ。 人様にお聞かせするような物ではないと思っているので、弾く時は雨戸を閉めて弾いているわけだけれど、ご近所には素晴らしいピアニストもいらっしゃるわけだし、恥ずかしいきわみ・・・。

2008年2月24日日曜日

平貝のスフレは大成功!

作日からの風が今朝も引きつずきひどく二人は車で来られるが、二十分くらい自転車に乗って来る生徒さんのことが気がかりだったが三人とも予定の時間どうりに来てくださった。

今日は洋食で、鶏のコーンとグリーピースのトマト・シチューは簡単だけれど、平貝のスフレが心配だった。 久しぶりでスフレに挑戦し、しかも平目が入荷してなくて、平貝で作ったのだけれど、それが大成功! 卵白の泡立てとオーブンに気を使ったが、見事にふくらみ、焦げ目も平均していて、平貝もマッチして「反って平貝の方がよかったのではないでしょうか」と年上の生徒さんが仰って下さった。 

「美味しい!」と仰ってくださる言葉が献立に、味の調和を考え、買い物をし、公平に調理に関わっていただけるように気を遣う私には、もっとも嬉しい瞬間。 そして、二人が携帯で写真を撮って下さる。 このスフレにソースをつけるとしたら? 生雲丹のクリーム・ソースかな? 

作日のマイナーな考えは、吹っ飛んで行った。 やっぱり私は、教えるのと、食べるのが好きなのです。

2008年2月23日土曜日

春一番

午前中ジムに健美操をしに行く時は左程とは思わなかったけれど、帰りは可也強い南風が吹いて、歩くのも大変だった。 予報どうり春一番。 冬ともいよいよお別れか? 
 
午後二時ごろ明日の料理教室のための材料を買いに出なければならなかった。 早めに買っておけるものは既に買った置いたけれど、スーパー・マーケットに行ってみたら、インスタント・コーヒーは普段の三分の一の値段、醤油も高級なものがセール中、りんごも一個百円とトテモ安い。 つい籠に入れてしまう。 明日料理に使う白葡萄酒も買わねば、平目が見付からないので、スフレは平貝で作ることにした。 卵、牛乳など求めていたら籠が重くって持ち上がらなくなった。 

眼鏡をかけ、マスクをして行ったので、風をまともに受けても寒さは感じなかった。 手押し車をひいて、風に逆らって坂を上りながら、情けなくなった。 易の先生が、今年はお料理の生徒さんが増えるわよ、と仰っていたけれどかなり辛い物がある。 風が急に北風に変わり、大きなビニールの袋が飛んでくる。 思いもかけない大きな板切れなどまで飛んでくる。 あ~あ、何故こんなこと?などと思ってしまう。  以前にもそんなことを思ったことがあったっけ?

明日になったら、そんなことすっかり忘れて、生徒さんたちの喜んで下さることにキット満足と、感謝と喜びを感じるに違いない。 やっぱり、私は教えること、食べることが好きだから・・・。

ところで’春一番が吹いても明日は冬の寒さだと予報は言っていた。

2008年2月21日木曜日

マスコット・ワンちゃん

ジムで、色々な才能をもっていらっしゃる方があって、先日毛糸で作った犬の可愛いマスコット人形を頂いた。
私も以前は編物などをたしなんだ?こともあって、余り毛糸を捨てずに取っていたものがあったので、御礼方方それを彼女に使っていただくように差し上げた。  今日また小さな犬のマスコットにご丁寧に金具までつけて下さった。 御礼は申し上げたものの実は何処へ下げようかと困っている。

以前車を持っていた頃は車につけたりしてていた。 アチコチ持って回ったけれど、適当な場所がない。  

以前自治会の役員をしていた頃子供祭で頂いた犬やラッコなどの縫い包みをピアノの上に飾るともなく置いていたら、遊びにきた甥が「伯母ちゃま、こんなの沢山置いていると、ヘンに誤解されるよ」と言った。 「変って?」と訊いた「こういうのが好きだと思われるよ」と彼は応えた。 モチロン特に好きなわけでは無いけれど顔のついているものは、捨てるのを躊躇ってしまう。 現に二階のベッドの上に置いてある大きなピンクのくまの縫い包みは、その甥と同じ年の姪が生まれた時、姪の父親の友人が贈ってくれたもので、ずーっと捨てられないでいる。  その送り主は43歳で飛行機の上で亡くなったSさんからのプレゼントだった、と言うことを急に思い出した。 一昨日そのSさんから頂いたデンマークからの絵葉書を見たばかり・・・。 その絵葉書も捨てなければ・・・。

私のように思い出を捨てられなくて、とっておくのは今の世には通用しないのかなあ~。
それにしても、これらの可愛いワンちゃんのマスコットはどうしたらいいのかしら? それ+毛糸で編んである物入れも?

2008年2月19日火曜日

家の中の整理?

先日易の先生に「今年は色々家の中の整理をした方がいいわよ」と言われた。 それでなくても、もう八十歳に近いのだから、アチコチ整理して捨てる物は捨てようと昨年あたりから戸棚の中の整理を始めた。 夫のモノまでま捨てられずにいる。 夫は整理をキチンとする人で、海外公演の資料などもとってある。 海外で受け取った手紙なども関係別に分けてファイルしてある。 それらを捨てようと思って一応目を通していたら、名前の知れた俳優さん、演出家さんなどからの「お世話になりました」との礼状なども含まれていた。

まだ、今ほど海外へ行くことが無かった頃にその方達が外遊される際、現地の方をご紹介して喜んでいただいたようだ。 越路吹雪ご夫妻が初めてヨーロッパに行かれたときも、ロンドンに長く住んでいらっしゃる方をご紹介して喜ばれた。 遂読みふけってしまって、捨てるのを決めるまで時間がかかってしまう。 はかどらない。 

どういうわけか、大分捨てた積りの戸棚が、整理し終えると前と同じように一杯になっている。 私の日記帳も捨ててしまおうと決心した積りで読んでいるうちに父のこと、夫のこと、母の看病日記などもあって、六年分のうち三年分を捨てることにした。 それも破りながらだから手間がかかる。 

明日は又別の棚の整理をして、思い切って捨てよう!

2008年2月18日月曜日

春は間近に

一昨日柚子の実を採るため、庭先に出た。 一週間前にはその芽さえ見られなかった福寿草がつぼみをつけているのを見つけた。 小さな梅ノ木には濃いピンクの花咲き、クリスマスローズも何時の間にか葉の間に頭を下げるように、小さなつぼみをつけていた。

寒かった冬もいよいよ終わりなのかしら? 今度は花粉症の季節がやってくる。 二・三年前までは気にしていなかった花粉の飛来を避けるため、最近は眼鏡をかけ、マスクをして外出をしなければならない。 メンドウなことになった。

今年は柚子が異常に実をつけたので、ジャムを作ることにした。 実を薄く切てから一旦茹でこぼしをすればよかったのだけれど、そのまま煮込んでしまったので、少し苦さが残ったけれど、ケッコウ美味しく出来上がったので、先夜、自治会の相談事で会長と筆頭副会長を連れて行ったご近所の今は弁護士をなさっている方の所へお礼にお届けした。 苦くなければ柚子じゃないでしょう・・・とトテモ喜んで下さった。 私宅の南東の角にあるゆずの木はケッコウ目だっていて、心ある方方に羨ましく思って頂いているようだ。 

春は間近ni

2008年2月17日日曜日

遅まきながらバレンタインについて

十三日、十四日とバレンタインの前日、バレンタイン・ディと二日続いて、出かけることになって、たまたま一日目は池袋の西武デパート、十四日は渋谷の東急デパートを通り抜ける結果となった。  テレビなどでバレンタインのチョコレート売り場のことを見たけれど、通ってみて驚き果てた。 一階の食品売り場はありとあらゆる国のチョコレートがありとあらゆる形で並んでいた。 中でも少し変わった形式の人気のある店にはそれを求める女の子たちが列をなしていた。 

一人で何箱も求めていたり、ケッコウ高価なものを買っている方もあった。 昨年は丁度その日にジムに行くことになっていたので、お世話になっているインストラクターにビター・チョコレートをあげたら、ホワイト・ディにその何倍ものお返しを頂いたので「今年はやめました」と彼に言った。 ホント、異常! ニューヨークから来ている英美もその様を見て驚きあきれていた。 これは、日本だけの行事。 私が’ヴァレンタイン’という言葉をはじめて知ったのは、学生時代作者ははつきりとは覚えていないが、冬が終りに近ずき、春の芽生えと共に、セント・ヴァレンタイン(文字どおり聖人が)花を咲かせたり鳥がさえずったり、人間の男女が恋に落ちたり・・・・という美しい詩の物語だったような気がする。 英語の美しい詩を余り素敵だとは思わない男性の教授が講義した印象がある。

確かにチョコレート屋さんの謀略に躍らせれていてホントの意味から離れてしまっている。  それにしてもチョコレートの種類の多さにも今更ながらあきれた。 十四日の夕方など、売り場ばかりでなく通り道まで店が張り出していて通り抜けるのにトテモ時間がかかった。 日本人は実にいろいろな事に乗せられやすい。 困ったこと。

2008年2月16日土曜日

今年も易の先生の所へ行きました

十三日京都の妹と一緒に東大泉の易の先生のところへ行った。 
風邪を引いたお陰(?)で何もすることがなかったので、易の先生のために久しぶりでスイートポテトを作り、大豆の五目煮を作ったりした。 作ったものを持っていくと先生はトテモ喜んで神棚に供えてくださる。

私の今年の運勢は71歳から81歳までのもので、今年もお料理の生徒さんが増えるとか、なんでも二つすることになる・・・とか83歳まで働く、とか寅年の人の援けがある・・・寅年の方、名乗り出て下さい!
健康面では食べ過ぎることに注意(これはもう始まっている)肥る怖れあり、その上風邪を引きやすい(これも既に経験した)7月から10月まで特に注意することなど、年齢が増えるごとに健康面も心配だ。 相変わらず周辺の争いごとに仲裁の役目を果たしたり、相談に乗ることが必要になると。

全体的には今年も倒産などが多く余り景気がいいとは言えず、天と地が大戦争なので影響が出て当然のことながら生活が苦しくなる。 内輪もめも多いので注意。 先日の世界的な予言に対して、アジアに地震が起きるということについて9月13日が疑われ、地震の星の上に山が乗っている・・・。 南北の旅行はひかえること。 今年の夏の暑さ、にも気をつけること。

当たるも八卦、当たらぬも八卦だけれど、覚悟とか注意をすることは大切で、私自身は毎年大変役立つと思っている。

2008年2月15日金曜日

怠けていたわけではありませんが・・・

しばらく書き込みをしませんでしたが、風邪が長引いて何時までも咳きが止まらず、買い物に出かけるくらいで外へも出なかった所為で、ネタ不足でした。 ようやく今週になって咳きも出なくなってほっとしているわけ。

水曜日、ニューヨークから日本へ短期留学をしている英美ちゃんを家に招待することにして、その前に池上の梅園に案内した。 梅はまだ少し早かったようだったが、お茶室もあり、今度発見したのは’水琴’という、古い仕掛けで、地中深く埋めた竹ずつに柄杓で水を注ぐと琴の音がきこえてくるという、京都辺りの料亭で稀に見られるものが、雪谷の古い家で見付かって移植したものがあってその音を楽しんだ。 

その後、雨の中を本門寺まで歩いていってお参りをし、お昼を寺の裏のレストランでしたのだけれど、ランチの最初に出て来たポタージュはデミタス・カップに入ったもの、サラダは小皿に葉っぱ一枚。 メインのマグロだけは普通の大きさだったけれど、アメリカのサラダ等の量に比べて、その余りにもの少なさに二人とも「え?」と驚きの声を上げた。 
たいした雨ではなかったので、池上まで歩いてスーパーマーケットで夕飯の材料を買い込んで、私も日本のために挽回をしなければ・・・と大とろ、中とろ、赤身のまぐろの刺身、鯛のさしみを買って、鯛の刺身の一部を鯛茶ずけにし、他に精進揚げ、赤出汁のみそ汁など用意した。 楽しんでくれたかな?  

英美ちゃんは5ヶ月の日本留学の間にお茶、お三味線を熱心に学び、私などは退屈と思う、歌舞伎、能、浄瑠璃などを一生懸命見たりして研鑚を深めているようで感心している。

2008年2月8日金曜日

私ってむしろご節介かしら?

今日書道教室で4人の生徒さんの内お一人は白内障の手術のため、もう一人は昨年お庭で倒れて救急車で運ばれ、一ヶ月ほど入院され、その後、ふとしたことで縁側から下へ落ちて左手首を骨折された。 先生へのお電話では右手だけでは家事もママならず、特に食事を作るのが苦になり、店屋物を頼むにも気を使って二人分頼み、最近はお弁当ばかりで、飽き飽きしている・・・とのこと。 二階にはご長男のご家族が住んでいらっしゃるのに・・「会計が違うから」と仰ったとか。
 
そんなお話を聞いて、私のご節介ムシに火がついた。 どうせ一人も二人分も同じこと、今日は牡蠣フライと金平ゴボウ(ハス入り)、白身魚の汁を作るつもりで居たので、少し早目に買い物に行き、少し早目にお届けした。 以前私は二軒先のお宅でご主人のご両親が入院なさっていた時も、二ヶ月間くらい夕飯をお届けして喜んでいただいたことがある。

年を重ねると骨折することが多く、直りも時間がかかる。 そのお友達は私より一歳上だからやはり大変らしいけれど、思ったより落ち込んではいらっしゃらなくて、安心した。 先生のお話では鬱状態のように伺っていたが・・・。 
困っていらっしゃる方があると、遂、そのことが気になって、じっとしていられない私はご節介・・・かしら? 
でも、先ほどその方からお電話があって「とても美味しかった。」と仰って下さり、私はそれで満足なのです。

私ってむしろご節介なのかしら?

2008年2月7日木曜日

気持ちは焦るけれど・・・

今週からジムに行こうと思っていたけれど、夜になると咳きがひどく、昨日も余り天気がよくなさそうなので、家に居ることにした。 食事を済ませて薬を呑むと妙に眠くなって何時の間にかうつらうつらしてしまう。 風邪薬の所為かしら? 

とりあえず食事の支度だけは出来るのだけれど、こんな風に無意味に毎日を過ごしている自分に飽き飽きする。 もう80歳になるのに3年は無いのだから、こうしてはいられない、でもとりあえず咳きが止まらなければどうしようもない。 マメにうがいをしてみたら、今朝は妙にすっきりした感じがした。  今日は思い切ってヨガに行ってみよう。 おそるおそるジムに行った。 受付で何時ものインストラクターのKさんが「伊藤さんしばらくおみえになりませんでしたね、どうかなさったのですか?」と声を掛けてくださった。 10日以上も行かないと皆心配してくださる。 有り難いこと!

ヨガの途中で咳きが出たらどうしよう? トテモ気になった。 不思議なほどに咳きは出なかった。 回りの方で咳きをしたかたがあったが、私は大丈夫。 すべての所作が終ってマットに横たわり最後の仕上げの深呼吸に移った時、俄かに喉がもぞもぞして、たて続けに軽い咳きが出始めた。 寝転がってはいられなくて、一人起き上がって2,3分タオルで口を被って耐えた。 終ったあとベテランのインストラクターが「この部屋はトテモ乾燥した状態なので、後でお水を飲んで下さいネ」と気を使って言ってくださった。

ジムを出て、池上の銀行まで行き急いで帰宅。 やはり、この状態は風邪というより花粉症の怖れが強いのかもしれない。 自分の膨れ上がった顔を鏡に映してみて、うんざり、がっかり、何しろ目のまわりの赤みはどうしようもない。 皮膚科に行ってもステロイドをつけることになるのだから・・・。 ともあれ、とりあえず様子を看るしかないかしらね~。

2008年2月5日火曜日

風邪?それとも花粉症?

今週から普通の生活に戻ろうと思っていたのに、一昨日辺りから重い咳きが出て、ガマンすればいいのだけれど、咳きをする度にお腹がいたくなる。 買い物から戻って鏡を見たら、目がまつ赤。 ウサギの目。 家にいてテレビや本を読んでばかりいる所為でもなさそう。 

今日はジム行きを止めて、血圧の薬をいただきがてら、先生に風邪の状態と花粉症かしら?・・・とお訪ねした。「
まだ、花粉症ははやいでしょう」と先生は仰った。 でも眼鏡をかけ、マスクをして歩くと状態はよい感じ。

今日も午後、眼鏡をかけて、マスクをして買い物に出たら、ご近所の方、自治会関係のそれも男性の方方三人にすれちがった。多分私だということが分からないだろうと思ったら、いずれもあちらからご挨拶を受けた。 やっぱり、誰だかわかるのかしらねえ~。 太目の身体形からかしら、ねえ? ともかくその咳きのひどさと言ったら、立ち止まったり、下腹を抑えたりしなければならないほど、なのだから・・・・・。
それでも、昨日より今日は少しマシかしら?  明日は思い切ってジムに行ってみよう。 何となく一週間無駄に過ごしてしまった・・・という感じ。

2008年2月3日日曜日

二年ぶり?の雪?

今日は関西から法事のために来ている姪夫妻と大泉学園の易の先生の所に行く予定だった。 ところが、天気予報のとおり、夜半過ぎから雪になった。 作日易の先生から電話があって、先生のお宅辺りは雪の量がこの辺りより3,4センチは多く積もるので、延期した方がいいと電話があったが姪達も中中日にちも取れないだろうから・・・・と思っていたが、雪も見る見るつもってきたので、それに彼らは今日関西に帰らなければならず、新幹線も遅れが出ているとかで、思い切って延期した。

今日は節分で当然明日は立春となるわけで、だんだん暖かくなるだろう、私も相変わらず咳が治まらず、昨日も法事の最中も線香の煙にむせ返って咳が止まらなくなり、夜中も何度も咳きで目が醒めた。 今年の風邪のしつこい方に罹ったらしい。

雪だけれど、豆も買ってあったので、アチコチの窓を少し開けて「鬼は外! 福は内!」と豆を撒いた。 易の先生の仰るには、この悪天気でアチコチの神社・仏閣は節分会が出来なくて、困っているでしょう、と仰った。 つまりお賽銭も集まらない、今年もまた不景気だと言う事を象徴することになる・・・というわけ。 私だけが豆を撒いて景気ずけても、間に合わないだろう。
一週間風邪のためジムにも行けなかったし、今週は頑張ろう!

2008年2月2日土曜日

父の23回忌と母の13回忌

今日は昭和60年12月22日に亡くなった父の23回忌、平成8年2月13日に亡くなった母の13回忌を一緒にすると弟が言い。 初めて長男らしく、1年以上も前からいろいろ手はずを整えてくれていたので、皆、快く出席してくれた。 

朝9時15分に家へ迎えに来てくれるというので、前日から父母の位牌、葬儀の時の写真を用意していたものの、9時前には迎えにきた。 お天気はどうやら持ちそうでホッとした。 長女の私には子どもがなく、弟も離婚して再婚したので、子供との接点がなくなった。 上の妹の娘夫妻も芦屋から出て来てくれ、上の妹夫妻下の妹の長男夫妻下、、下の妹の家族の4人、下のの順で皆15分前には開場に着いてくれた。

下の妹の家族が来ると俄かに明るく皆くつろいでくる。 幼い子供というものはホントに辺りを和ませる。 お堂に入って僧侶の読経が始まると上の英里ちゃんは可也緊張した様子が遠くから感じられた。 下の彩里ちゃんだけが時々合いの手のような声を出していたが、特に読経に差し障りはなかった。 その後お墓に行って、また次々お参りをしてお堂に戻り、仏様に献杯、会食となる。 

無事回忌が済んでホッとした。 位牌を仏壇に戻し、遺影は明日元の位置に戻す事にしよう。  少し疲れたので・・・。

2008年2月1日金曜日

ご近所のともども

以前ご一緒に自治会で副会長をしていた方からお電話があって自治会のいろいろのご相談を受けた。 その後、私の家のご近所で長い間パーキンソン病のため自宅療養をつずけていらっした方が昨年12月18日に亡くなられていたことを知った。 奥様は殆ど毎日家の前を通ってご近所のお嬢様のお宅へ行かれたり、私も出かける時は彼女の家の前を通るのだけれど、しばらく彼女ともお会いしなかった。

私が自治会活動をしていた頃は自治会員が亡くなられると、理事さんの電話のレンレク網を使って直ちにお通夜、ご葬儀の詳細を指定の紙に書き込んで電信柱に張り付けて皆様に御知らせするのが理事さん達の大きな務めだった。
ところが最近はその報せを見て、こそ泥がはいったり個人情報保護法などという関係から、御知らせをしなくなった。 それにご葬儀も「密葬」とかが多くそれも身内だけで、地味にという場合も多いようだ。

そういう理由で昨夜までTさんのご主人のご逝去を知らなかった。 そこで遅まきながら慌てふためいて「ご霊前」ではなく「ご仏前」を持って彼女のお宅を訪問した。 丁度明日が49日のご法要だそうだ。 私の聞いた所によると、彼女が「何方にもご主人の亡くなった事を仰らないでください」と自治会事務所で仰った・・・と伝わっていたが、彼女はそんな事は言ったないと仰った。 ほんと、ちょっとした行き違いでとんだ失礼をする所だった。

7年間も寝たきりのご主人を自宅で看病していらっしたにしては落ち着いて(多分充分ご看病をなさったからだろう) 明け方の午前4時目をさまして何時ものように様子を看られたら、少しおかしかったので、かかりつけのご近所の(私もかかっている)先生にご連絡したら直ぐ先生が飛んできてくださって、もう息をしていない、と仰ったとか・・・・ご近所のお嬢様、お孫さんたちも間に合わなかったそうだ。  合掌。

2008年1月30日水曜日

退屈・たいくつ・・・

薬の所為か昼に夜に眠くて眠くて午後10時ごろベッドに入ってうとうとしているうちに眠ってしまったところ
へ下の妹から電話があった。 私のブログを昨夜見て、珍しくも私が風邪で熱を出しているのを知っての電話だった。 私の電話での声も可也ヘンだったようだ。

そして、今朝また電話があって「行こうか?」と言ってくれた。 どうやら食べる物はもう二・三日分はどうにかなるとは思ったものの、ここの所外に出ることも出来ず、ともかく退屈でどうしようもなかった。、夫が午後から出かけるので・・と言うので、ハンバーグを食べたくなったのでそれを買ってきてもらうよう頼んで、私はターニップ・クリームとサラダを作った。  

昨年六月の転倒して頭を打った時以来のこと、お風呂もまだ入れない、外へは出られない・・・・あの時は一週間閉じこもりだったっけ。 今週末は亡き父母のそれぞれ十七回忌、二十三回忌なので、それに出られなかったら大変、更に用心しなければ・・・。 

今年の風邪は熱が高く出なければ長いのだそうよ・・と妹は言う。 私の場合そのどちらだろう? もっとも、お医者さまに行って薬を頂いて呑んだ後37度から38度まで上がって、それから翌日ようやく平熱に戻ったのは抗生物質を飲んだ効果なのか? のどの痛みとか驚くべき赤さは取れてきたがまだ痛みは少し残っている。

2008年1月28日月曜日

私は風邪引かない・・・なんて言うんじゃなかった

「風邪引かないようにね?」と周りに言われて「私は風邪ひかないみたい」・・・なんて言うんじゃなかった。 やっぱり私も人間だから風邪を引くらしい。 午後眼科に行って、検眼の時、どうも目がかすむようだと思った。
何時ものように目医者さんは「伊藤さんは目がいいので、もう少し見えませんか?」などと仰る。 「1.2、ですよ」とムリに検眼表を読ませられる。 何だかその際も少し頭が重い気もした。

土曜日健美操が終って、着替えをしていた時、隣の方が洟をズルズルさせていた。 「風邪引いたの?」と訊ねたら「花粉症か風邪かわからないの」とその方は仰った。 

作日は料理教室だったので、外へは出なかった。 何処で風邪がうつったのだろう? 夕食前熱を計ったら37・2度あった。 平熱が36度くらいだから、大分高い。 そういえば喉が張り付くように痛い。 とうとう風邪をひいてしまったらしい。 午前中弟から電話で「風邪を引かないようにしてくださいよ!」とか言っていた。 そんなことを言われると、若しかして風邪を引くかも?とそのとき思った。
 
多分昨夜眠れなくて夜中に起きて睡眠体操をした。 それでも何度も目が醒めてウロウロしたのがよくなかったのかしら? ともかく、今年は大分寒いようだから、風邪を引いたと思ったら、早目に用心すること・・・ですよ!皆様!

2008年1月27日日曜日

今年初めての料理教室

今日は今年初めての料理教室の日。 
長い間料理教室を続けてきていても、しばらくぶりだとやはり少し緊張するものだ。
今日は日本料理の日で一月なので、「お口とり」と洒落込んでみた。  それと言うのも、今年は家のゆずの木に沢山実がなって、それを使いたかった・・・という理由もあつて、ゆず釜(中にいくらの大根おろし和え)を入れ、銀杏の串刺し、海老とこはだの黄身寿司、今シーズンの牡蠣雑炊、汁は和風カレー汁、牡蠣雑炊にセリを使ったのが受けた。 
 
何しろ生徒さんの中に60代のベテラン主婦が一人いらっしゃるので、献立もケッコウ大変。 二週間前には何をするか決めてパソコンで材料と作り方を打ち出して印刷して置かなければならない。  出来上がるとお二人のお嬢さんたちが携帯で写真を撮る。 これはよい考え。 そして、一口食べて「美味しい!」と言う言葉が聞こえる瞬間が私にはトテモ嬉しい。 60台の彼女は何時も私の教え方が楽しいと言ってくださり、お友達に話して羨ましがられたと仰って下さった。 こんな先生はいらっしゃらないわよ・・・と毎度お褒めに預かっている。

ただ、何時も反省することは、自分が早く作りたくって、果たしてお若い方方が理解してくださっているかしら? 私が何時も言うことは、献立をたててから調理に入る前に順序をシッカリ頭に入れて出来上がる時は一緒に揃うように・・・と。 時間をかけるからよく出来るということではなく、味の調和、暖かい物は暖かく、冷たいものは冷たくテーブルに出すこと・・・を口をすっぱくして言っている。

ともあれ、今日もトテモ喜んでいただいた。

2008年1月26日土曜日

お茶のお稽古

作日、ニューヨークから日本へ留学して来た夫の姪の娘が先ず手始めに妹宅でお茶のお稽古をすることになった。

私にも来てほしいということだったので、昨日は午前中書道教室だったが少し早目に引き上げようと思っていたら書道教室は生徒さんたちが3人とも欠席だったので、先生と少し無駄話をしただけで引き上げた。 英美ちゃんは待ち合わせの時間より十分前に待ち合わせの場所に来てくれた。 何時もの事ながら自分で着物をキッチリと着ていて、まことに恐れ入りました。

私にも席に座るように言われたが、私は膝と言うか脚の具合が悪くって、椅子で見学をすることになった。
ニューヨークで二年間茶道を学んでいると言うことだったが、御炭出前、お濃茶、お薄とすらすらとこなして可也辛口の妹も感心して褒めてくれた。 好きほどものの上手なり、と言うほどに、なおされるところも直ぐに取り入れてくれ、ニューヨークでお茶を習つた・・・、と幾分マイナスを考えていた妹も私も多分お教えくださる先生もキチットした方に違いないと、感心ししていた。 私も幼い頃から母がお茶を習ったいたので、自分は習うことは積極的にはなれなかったけれど、少しの知識はあるつもりなので、妹の教え方にもひそかに感心したのも事実だ。

お稽古が終って、今日は初めてなので・・・ということと妹の夫が出かけていたので、夕食を誘ってくれて、三人で色々彼女のこれから数ヶ月の日本での留学期間を有意義に過ごしていけるように色々話し合った。 彼女もパソコンを使って彼女なりに計画を立てているようで、反ってあまり張り切って疲れないように・・・と思ったりする。