今年の暑さは何時まで続く? 天気予報によると、九月に入ってからも、しばらくは、この暑さがつずくと言う。
今日も銀行に行く用事があったので、午前中に済ませ、ついでに少し離れたス―パー・マーケットに寄って、気になっていた買い物を済ませた。 気がつくとお年寄りの(むろん私もそのうちの一人?)買い物客が多かった。
遅い昼ご飯をしようとしていたら、私より一歳年下の従妹から電話がかかってきた。
足が痛んでほとんど外出が出来ないという。 相変わらずほとんど彼女のこぼし話を聞くだけで、私がしばらく箱根に行っていたと言っても、まるで無視。 大体の方々と同じように五分の四は相手の方の話の聴き手であって、私が独りでいかに過ごしているか?そして、私も冬には右足が痛くて歩けなかったこととか、昨年の11月に入院したことなどについては一言も聞いて呉れそうもなかった。
股関節の手術をするとかしないとかは、私が意見を言う立場にはないと思い、「ご自分で決心するしかないのでは?」と応えた。 私はひとで暮らしていて何でも自分で決めなければならないのに、立派な息子と嫁もいる彼女は羨ましく思うことはあっても、羨ましがられることは何もない! ただ、この年になっても、他人から相談を受ける身であることは、多分誇らしく思ってもいいのかもしれない。
2010年8月30日月曜日
2010年8月29日日曜日
忙しくて、楽しかったった八月
八月初旬、例年のように京都の森田家の箱根の別荘に招待してくれて、これもまた例年のように十里木に来ている妹夫妻と箱根のイタリアンレストランで八月生まれの妹、姪、そして下の妹の夫三人のバースディ・パーティを妹の夫が計画してくれた。 箱根に行くたびに訪れているレストランなのだけれど、その日は特別二階に部屋を予約して、一歳になったばかりの諒ちゃんも、自由に動けて楽しそうだった。
一旦、東京に戻って、ガスオーブンの入れ替え、美容院、ジムのお友だちの54歳のお誕生祝いを恵比寿のロブションで祝ったりして18日にまた箱根に戻って、今度は妹の夫は仕事でメキシコ二出張して来られないので、妹と姪夫妻、妹の孫の諒ちゃんの5人になり、姪の夫の車で、’彫刻の森‘ 湖のあたりをドライブしたり、諒ちゃんを近くのホテルの芝生の庭で遊ばせたり、して過ごすことができた。 仙石辺りもだんだん開けてきて、それでも車なければ・・・?
私は諒ちゃんと遊ぶことがたのしくて、私が一週間経って東京から戻って来た時、諒ちゃんは、嬉しいことに私に頭突きのように頭をぶつけてきて、そのあと顔に親愛の’ちゅう’をしてくれた。 朝から夜おそくまで、諒ちゃんと遊べるのがトテモ楽しみだったし、辛抱ずよく一つのことを飽きずに集中して繰り返してする行動にも驚いた。 そう言えば、ロンドンの下の妹の次男の家に泊めていただいた時、2歳(?)くらいだった英里ちゃんが私達(妹と私)の部屋に入って来て、「ぽっぽいないねぇ?」と言い、私のスーツケースを触りたがっっていたのを思い出したりした。
一旦、東京に戻って、ガスオーブンの入れ替え、美容院、ジムのお友だちの54歳のお誕生祝いを恵比寿のロブションで祝ったりして18日にまた箱根に戻って、今度は妹の夫は仕事でメキシコ二出張して来られないので、妹と姪夫妻、妹の孫の諒ちゃんの5人になり、姪の夫の車で、’彫刻の森‘ 湖のあたりをドライブしたり、諒ちゃんを近くのホテルの芝生の庭で遊ばせたり、して過ごすことができた。 仙石辺りもだんだん開けてきて、それでも車なければ・・・?
私は諒ちゃんと遊ぶことがたのしくて、私が一週間経って東京から戻って来た時、諒ちゃんは、嬉しいことに私に頭突きのように頭をぶつけてきて、そのあと顔に親愛の’ちゅう’をしてくれた。 朝から夜おそくまで、諒ちゃんと遊べるのがトテモ楽しみだったし、辛抱ずよく一つのことを飽きずに集中して繰り返してする行動にも驚いた。 そう言えば、ロンドンの下の妹の次男の家に泊めていただいた時、2歳(?)くらいだった英里ちゃんが私達(妹と私)の部屋に入って来て、「ぽっぽいないねぇ?」と言い、私のスーツケースを触りたがっっていたのを思い出したりした。
2010年8月15日日曜日
今日は第65回目の敗戦記念日
あれから、もう65年経った。 例年この日には必ずブログに何か思い出を書くことにしている。
あの敗戦の時私はいくつだったかなあ~?と考えるのだけれど、今年は可也わかりやすい。 それは、今年、私が80歳になったわけだから、各メディアでしつこく報じている終戦伍65年という、いかに数字に弱い私でも明確に引き算が出来る。
日本のメディアは「終戦」という言葉を多く使っているけれど、この日は明らかに無条件降伏なのだから、敗戦と呼ぶべきだと私は65年前当時からそう思っていた。 今更カッコウ着けることもないだろうに・・・とも思っていた。 そして、それまでの男性上位時代から少しは女性上位に国が変わっていくに違いないとも思っていた。(昨今では、明らかに仕事の面でも一部女性の方が上位の感があるようにと思う)
以前にも書いたけれど、65年前、の今日、私たちは東京と埼玉の県境、荒川の埼玉よりに引っ越していた。
中の妹が小学校低学年生で親元から離され地方に強制学童疎開を迫られていたのが最大の理由で、父は家族が離れる事をトテモ不憫に思い、その頃父は大手の軍需産業の工場長をしていたので、その工場の近くに社宅として、可也の土地附きの家を確保して移り住んでいた。 その土地がその後の家族の食料事情の大いなる助けとなった・・・ことは以前に書いたことがある。
65年前の今日、一台しかないラジオで、朝から「今日、天皇陛下の重大な玉音放送がありますので、全員
ラジオの前にお集まりになって、その放送を聞き逃さないでください!」としつこく放送していた。
いざ時間が来てその放送を直立姿勢で聴くことになったけれど、雑音と陛下の少し現代離れした(私にはそう思えた)お話になり方、難しいお言葉の数々で全部を理解することは15歳の私には理解することができなかった。 「耐えがたきを耐え、忍びがたきを、忍び・・・」というお言葉も今までもす~っと忍びがたきを偲んできたじゃない?と思い。 雑音と途切れかかる玉音放送を聞き逃さないように、らジオをたたきながら耳を傾け その玉音放送が終わった後、父親に「どうしたの? どうしたの?」と何度も尋ねたけれど、父は戦争が終わったらしい」としか応えてくれなかった。
以前にも書いたが、翌日からB29の来襲も空襲もないのだ・・・。 ホントに? そう思って青空とジ‐、ジ‐蝉の鳴き声だけが何となく心に残る日となった。
今日の敗戦記念日を忘れないために?大田区では区民の寄付による花火大会を多摩川べりで、行うことになっている。 例年家にいる事もないけれど、今晩は家の前の道路で花火を見ようと思う。
手の湿疹とアレルギ―性目のぐしゃぐしゃ?でしばらくブログを書く気がしなかったけれど、今日は敗戦を体験した一人として、書き込む責任を感じている。 (いかに、数字に弱いとは言え、65年前の終戦記念日のことを35年前と連記していて、心から恥じています)
あの敗戦の時私はいくつだったかなあ~?と考えるのだけれど、今年は可也わかりやすい。 それは、今年、私が80歳になったわけだから、各メディアでしつこく報じている終戦伍65年という、いかに数字に弱い私でも明確に引き算が出来る。
日本のメディアは「終戦」という言葉を多く使っているけれど、この日は明らかに無条件降伏なのだから、敗戦と呼ぶべきだと私は65年前当時からそう思っていた。 今更カッコウ着けることもないだろうに・・・とも思っていた。 そして、それまでの男性上位時代から少しは女性上位に国が変わっていくに違いないとも思っていた。(昨今では、明らかに仕事の面でも一部女性の方が上位の感があるようにと思う)
以前にも書いたけれど、65年前、の今日、私たちは東京と埼玉の県境、荒川の埼玉よりに引っ越していた。
中の妹が小学校低学年生で親元から離され地方に強制学童疎開を迫られていたのが最大の理由で、父は家族が離れる事をトテモ不憫に思い、その頃父は大手の軍需産業の工場長をしていたので、その工場の近くに社宅として、可也の土地附きの家を確保して移り住んでいた。 その土地がその後の家族の食料事情の大いなる助けとなった・・・ことは以前に書いたことがある。
65年前の今日、一台しかないラジオで、朝から「今日、天皇陛下の重大な玉音放送がありますので、全員
ラジオの前にお集まりになって、その放送を聞き逃さないでください!」としつこく放送していた。
いざ時間が来てその放送を直立姿勢で聴くことになったけれど、雑音と陛下の少し現代離れした(私にはそう思えた)お話になり方、難しいお言葉の数々で全部を理解することは15歳の私には理解することができなかった。 「耐えがたきを耐え、忍びがたきを、忍び・・・」というお言葉も今までもす~っと忍びがたきを偲んできたじゃない?と思い。 雑音と途切れかかる玉音放送を聞き逃さないように、らジオをたたきながら耳を傾け その玉音放送が終わった後、父親に「どうしたの? どうしたの?」と何度も尋ねたけれど、父は戦争が終わったらしい」としか応えてくれなかった。
以前にも書いたが、翌日からB29の来襲も空襲もないのだ・・・。 ホントに? そう思って青空とジ‐、ジ‐蝉の鳴き声だけが何となく心に残る日となった。
今日の敗戦記念日を忘れないために?大田区では区民の寄付による花火大会を多摩川べりで、行うことになっている。 例年家にいる事もないけれど、今晩は家の前の道路で花火を見ようと思う。
手の湿疹とアレルギ―性目のぐしゃぐしゃ?でしばらくブログを書く気がしなかったけれど、今日は敗戦を体験した一人として、書き込む責任を感じている。 (いかに、数字に弱いとは言え、65年前の終戦記念日のことを35年前と連記していて、心から恥じています)
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