昨年につずき、今年もおせち料理を教えて、と英里ちゃんのママに頼まれたので、泊りがけで妹の家に行った。
京都行きの荷物のこと、御節の材料の事などで、それでなくても記憶力が落ちてきていると自分でも思っている私は色々忘れ物をして自己嫌悪状態。 だだ、料理に必要なものだけは揃って完璧に用意したと信じる。
私の料理のモッとーは手はず、特に正月料理は長持ちするもの、再加熱が可能のものの順に、取り掛かる前に考えて用意する事にしている。
何時もゴマメを第一に作る。 今年はゴマメを沢山買い過ぎて、調味料の合わせ方等、英里ちゃんのママはすっかり作り方をマスターした、と言って下さった。 嬉しい事! 黒豆、キントンなども熱を入れ安いので早目に作ることが出来る。 それと金柑の甘煮が出来上がった。 残りの宝袋、煮物などは妹の専門分野として、来年はもう出張料理は必要ないだろう。
料理も楽しいけれど、二人の女の子と遊ぶのも又楽しい。 最初の一日は妹の夫が子供たちの世話をしてくださったが、今日は私が楽しませていただいた。 そうこうしている内に、子供たちに指導できるくらい長い生きをしなければ・・・などと、ほぼ不可能な事を夢見たりする。 妹にはもう一人生まれたばかりの女の赤ちゃんがある。 おせち料理が代々受けつずけていけたらホントにうれしいこと。
2008年12月27日土曜日
2008年12月25日木曜日
R,0.さんの思い出
R・Oさんのご主人から先ほど電話があった。 直接お電話をしなくて、失礼しました、ということと私がお送りしたお悔やみ状とお香典のお礼をおっしゃり、私は御通夜やご葬儀に伺えない事のお詫び、そして年が明けて必ず御参りにお伺いさせていただく旨をお話した。 長~いご闘病生活でご主人もさぞや大変だっただろう。
Rさんは何時も何事にも私を立ててくださった。 言い方を代えればまるで召使のように付き合ってくださった。
例のHさんのこと、私は彼が彼女のことを貴族的とおっしゃってた、と言うことを伝えた。 ケッコウいいカップルになるかな~とさえ私は思っていた。 それから何年か経ってその方は奈良の天理学園の教師となられて、奈良のご実家に戻られ、私とは時々手紙の交換をしていた。
何年か後、私は友人達と京都、奈良の旅をした。 京都の観光を済ませて、奈良に行きそれぞれ目的によって何組かに分かれて行動することにした。 そして最終的に奈良駅で集合する事にしていた。 当時は新幹線など無い時代で東京まで8時間ほどもかかり、列車に乗る前に駅で並んで改札を待ったものだった。 Rさんは少し遅れて待ち合わせ場所に来られた。 その時遠慮気に立って私を見ている男性があり、それがHさんだった。 どうして?私はわけがわからなかった。 後で知ったのは、RさんがHさんに会うために天理学園を訪れ、Hさんは私達に会いたくて駅まで来てくださったのだった。 私は思いつきもしない驚きでHさんを無視してしまった。 私は特にHさんに好意を持っていたわけではなかったが、二人の仲を取り持つ事もしたくない気がした。
Rさんは私より大分早く結婚なさった。 学士会館でのお式にも出席させていただいた。 そして直ぐお子様を授かった。 お義母様が大変格式の高い方で、ずい分大変だった・・・とつわりの重いことをこぼしていらした。
それにご主人の背骨の手術でも可也辛い時があったと記憶している。
Rさんは何時も何事にも私を立ててくださった。 言い方を代えればまるで召使のように付き合ってくださった。
例のHさんのこと、私は彼が彼女のことを貴族的とおっしゃってた、と言うことを伝えた。 ケッコウいいカップルになるかな~とさえ私は思っていた。 それから何年か経ってその方は奈良の天理学園の教師となられて、奈良のご実家に戻られ、私とは時々手紙の交換をしていた。
何年か後、私は友人達と京都、奈良の旅をした。 京都の観光を済ませて、奈良に行きそれぞれ目的によって何組かに分かれて行動することにした。 そして最終的に奈良駅で集合する事にしていた。 当時は新幹線など無い時代で東京まで8時間ほどもかかり、列車に乗る前に駅で並んで改札を待ったものだった。 Rさんは少し遅れて待ち合わせ場所に来られた。 その時遠慮気に立って私を見ている男性があり、それがHさんだった。 どうして?私はわけがわからなかった。 後で知ったのは、RさんがHさんに会うために天理学園を訪れ、Hさんは私達に会いたくて駅まで来てくださったのだった。 私は思いつきもしない驚きでHさんを無視してしまった。 私は特にHさんに好意を持っていたわけではなかったが、二人の仲を取り持つ事もしたくない気がした。
Rさんは私より大分早く結婚なさった。 学士会館でのお式にも出席させていただいた。 そして直ぐお子様を授かった。 お義母様が大変格式の高い方で、ずい分大変だった・・・とつわりの重いことをこぼしていらした。
それにご主人の背骨の手術でも可也辛い時があったと記憶している。
R.0.さんの思い出
去る12月22日(奇しくも亡き父と同じ命日)に亡くなった青山学院時代の親友と言える方の死は、予期しないわけではなかったが、突然やって来た。
女は長い間、病床にあって保土ヶ谷の老人施設に5年くらい前からご主人と向かい合いの部屋で療養生活を送っていらっした。 私も友人と一緒にお見舞いがてら、思い出話をしに何回か伺った。 病名は分からなかったが、歩く事も立ち上がることも難しい状態だった。 食事もかろうじてスプーンで流し込む状態だった。 ご主人様は東大出のお医者様だったが、とうに引退していらっしゃった。
初めて彼女にお会いしたのは青山学院の今は本部と言われている教会の二階の教室で英文学の生徒は50人ほどだったし、彼女は大磯からの通学だったので湘南電車でお家から渋谷までは2時間以上かかり時々遅刻する事があって、そのお教室は入り口が前しかなかったので、何時も申し訳なさそうに入室なさる姿だった。
その後席が近くになって話すようになったけれど、彼女は、常に引っ込み思案で地味なかんじで、何時も授業が終ると急いで帰宅なさり、私たちのように授業を抜け出して映画を見に行くなどという事は絶対なかった。 どういう切っ掛けでお友達になったか記憶は定かではない。 彼女の成績は常に上位2,3番だった事を知って私は仰天した。
その後突然大磯に遊びに来るようお誘いを受けて、海にも連れて行っていただき母上はトテモ気を遣う方で、泊めて頂いた後も御近所の有名なはんぺんやさんで沢山のお土産を買って持たせてくださった。 多分その前何度か私の家にもお呼びした事があったような気がする。 彼女のご実家は日本橋の紙問屋さんだのだが、そのことを知ったのはお知り合いになってから何年も経ってからだった。
当時私の父は、製鉄会社が最も盛んだった頃の役員だったけれど、私はそんな事をひけらかしたりした事は無かったと思う。 だだ、就職の時、父の勤めていた会社の外人役員の秘書に彼女を推薦して入社が決まっていたのに、ご家庭の都合で父上の代わりの事業を継ぐことになったことで、父に迷惑をかけたことを何時までもトテモ気にしていらぅした。
もう一つは、卒業後私は時々従兄とその友人達私の友達と集まってパーティを開いていた。 Hさんという男性(その方は従兄の友人ではなく、私の卒業した女学校の生物の教師だった方で、男性の数が足りなかったのと、背が高くハンサムだったので仲間に入っていただいた)Hさんの彼女への感想は「貴族的な方ですね」というものだった。
女は長い間、病床にあって保土ヶ谷の老人施設に5年くらい前からご主人と向かい合いの部屋で療養生活を送っていらっした。 私も友人と一緒にお見舞いがてら、思い出話をしに何回か伺った。 病名は分からなかったが、歩く事も立ち上がることも難しい状態だった。 食事もかろうじてスプーンで流し込む状態だった。 ご主人様は東大出のお医者様だったが、とうに引退していらっしゃった。
初めて彼女にお会いしたのは青山学院の今は本部と言われている教会の二階の教室で英文学の生徒は50人ほどだったし、彼女は大磯からの通学だったので湘南電車でお家から渋谷までは2時間以上かかり時々遅刻する事があって、そのお教室は入り口が前しかなかったので、何時も申し訳なさそうに入室なさる姿だった。
その後席が近くになって話すようになったけれど、彼女は、常に引っ込み思案で地味なかんじで、何時も授業が終ると急いで帰宅なさり、私たちのように授業を抜け出して映画を見に行くなどという事は絶対なかった。 どういう切っ掛けでお友達になったか記憶は定かではない。 彼女の成績は常に上位2,3番だった事を知って私は仰天した。
その後突然大磯に遊びに来るようお誘いを受けて、海にも連れて行っていただき母上はトテモ気を遣う方で、泊めて頂いた後も御近所の有名なはんぺんやさんで沢山のお土産を買って持たせてくださった。 多分その前何度か私の家にもお呼びした事があったような気がする。 彼女のご実家は日本橋の紙問屋さんだのだが、そのことを知ったのはお知り合いになってから何年も経ってからだった。
当時私の父は、製鉄会社が最も盛んだった頃の役員だったけれど、私はそんな事をひけらかしたりした事は無かったと思う。 だだ、就職の時、父の勤めていた会社の外人役員の秘書に彼女を推薦して入社が決まっていたのに、ご家庭の都合で父上の代わりの事業を継ぐことになったことで、父に迷惑をかけたことを何時までもトテモ気にしていらぅした。
もう一つは、卒業後私は時々従兄とその友人達私の友達と集まってパーティを開いていた。 Hさんという男性(その方は従兄の友人ではなく、私の卒業した女学校の生物の教師だった方で、男性の数が足りなかったのと、背が高くハンサムだったので仲間に入っていただいた)Hさんの彼女への感想は「貴族的な方ですね」というものだった。
2008年12月23日火曜日
一日早いクリスマス
下の妹の次男宅でのクリスマス会に招いてくれた。 英里ちゃん里彩ちゃんたちに会うのも久しぶりの事で、お茶の時間に間に合うように訪問した。 英里ちゃん、里彩ちゃん姉妹が嬉しそうに玄関で出迎えてくれた。 妹が選んでくれていた、英里ちゃん達へのクリスマスプレゼントは二人ともトテモ喜んで早速遊んでいた。
英里ちゃん達のママは実に手際よくいろいろな料理を作って、その組み合わせも抜群! 私が老婆心までに作っていった鶏の丸焼きは必要なかったかな?と思わせられた。 前菜はまるで一流イタリアンレストランのメニューだと思う。 やっぱり、食いしん坊は料理上手の代名詞。 私も何時も悩むのは前菜なのだけれど、彼女は三・四種の前菜を作ってくださった。
ここま、書いたところで、今青山時代のお友達が亡くなったという御知らせを受けた。ご葬儀が27日ということで、私はその日は出席できないので、後日お伺いする事に決めた。
今晩は妹が家まで車で送ってくれて、仏壇に線香をあげて「命日だから・・・・・」と言っていたが私は昨日が亡き父の命日だったということをすっかり忘れてしまっていた。 去るもの日々に疎し・・・という諺があるけれど、親の回忌を忘れるとは・・・・! どうりで、昨夜は眠れなくて、先ほどこのブログを書きながら眠ってしまっていた。 お父様、ごめんなさい。 そして、静かに亡くなったOさんのご冥福をお祈りいたします。 合掌。
英里ちゃん達のママは実に手際よくいろいろな料理を作って、その組み合わせも抜群! 私が老婆心までに作っていった鶏の丸焼きは必要なかったかな?と思わせられた。 前菜はまるで一流イタリアンレストランのメニューだと思う。 やっぱり、食いしん坊は料理上手の代名詞。 私も何時も悩むのは前菜なのだけれど、彼女は三・四種の前菜を作ってくださった。
ここま、書いたところで、今青山時代のお友達が亡くなったという御知らせを受けた。ご葬儀が27日ということで、私はその日は出席できないので、後日お伺いする事に決めた。
今晩は妹が家まで車で送ってくれて、仏壇に線香をあげて「命日だから・・・・・」と言っていたが私は昨日が亡き父の命日だったということをすっかり忘れてしまっていた。 去るもの日々に疎し・・・という諺があるけれど、親の回忌を忘れるとは・・・・! どうりで、昨夜は眠れなくて、先ほどこのブログを書きながら眠ってしまっていた。 お父様、ごめんなさい。 そして、静かに亡くなったOさんのご冥福をお祈りいたします。 合掌。
2008年12月19日金曜日
結婚記念日?
今日は下の妹の結婚記念日だと言う。 何年目?と尋ねたら、41回目と・・・。 私は、もし夫が在世だったら、50年目ということになる。 私の結婚は当時としては遅めだったので、12歳も年下の妹と9年しか差が無いことに改めて私が園田家に居座ったことを少し反省した。
妹の夫が所用で今日の結婚記念日に共に外で祝う事が出来ないので、一緒に、食事をしてくれないか、と言うのでクリスマスの夜景を楽しみながら銀座で夕食をする事にした。
銀座のクリスマスは余り華々しいものではない事は何年か前、姪夫妻とオペラ座の怪人を見に行った帰りに銀座に出てみて、がっかりした経緯がある。 その所為ばかりではなかったが、歩いているうちに銀座のメイン通りからだんだん離れてしまった。 久しぶりの銀座だったが、私の思い出の銀座は、はるか彼方で、以前にも書いてけれど想い出をたどるのも難しいほど、変貌したしまった。 殆どがブランド品の店ばかり・・・・。
妹が’ウエスト’に行きたいと言うので、並木どおりの本店がまだそのままあるかどうか訝りながら並木どおりに出た見たら、あった! 在った! 昔のまま。 この店は戦後割りに早い時点で銀座に出店して、お茶も飲めることから時々訪れた懐かしい店だ。 今では各デパートに出ていて、リーフパイは売りだ。
私は少し足が痛んできたので、妹には申し訳なかったけれど、並木どおりから少し入ったところにある中華料理店へ入った。 ここは銀座に本店がある店なのだけれど、以前は飲茶が美味しかったのだが、そのメニューはなく、内容もがっかりだった。 折角の結婚記念日なのに申し訳なかったと思ったり、相手が違うでしょう?と自分に言い聞かせたり・・・。
銀座のクリスマス飾りはトテモ地味で、「これが、銀座!」と主張しているように私には思えた。
妹の夫が所用で今日の結婚記念日に共に外で祝う事が出来ないので、一緒に、食事をしてくれないか、と言うのでクリスマスの夜景を楽しみながら銀座で夕食をする事にした。
銀座のクリスマスは余り華々しいものではない事は何年か前、姪夫妻とオペラ座の怪人を見に行った帰りに銀座に出てみて、がっかりした経緯がある。 その所為ばかりではなかったが、歩いているうちに銀座のメイン通りからだんだん離れてしまった。 久しぶりの銀座だったが、私の思い出の銀座は、はるか彼方で、以前にも書いてけれど想い出をたどるのも難しいほど、変貌したしまった。 殆どがブランド品の店ばかり・・・・。
妹が’ウエスト’に行きたいと言うので、並木どおりの本店がまだそのままあるかどうか訝りながら並木どおりに出た見たら、あった! 在った! 昔のまま。 この店は戦後割りに早い時点で銀座に出店して、お茶も飲めることから時々訪れた懐かしい店だ。 今では各デパートに出ていて、リーフパイは売りだ。
私は少し足が痛んできたので、妹には申し訳なかったけれど、並木どおりから少し入ったところにある中華料理店へ入った。 ここは銀座に本店がある店なのだけれど、以前は飲茶が美味しかったのだが、そのメニューはなく、内容もがっかりだった。 折角の結婚記念日なのに申し訳なかったと思ったり、相手が違うでしょう?と自分に言い聞かせたり・・・。
銀座のクリスマス飾りはトテモ地味で、「これが、銀座!」と主張しているように私には思えた。
2008年12月12日金曜日
ヒト・ひと・人
今日は色々な方に出会った。
先ず、書道教室を終えて友人と路地から家の前の道路に出たら、真っ白な高級外車が私の前で止まった。 そして久しぶり華やかな方が車から下りていらっした。 以前ジムで知り合って「ここで、話を出来るのは英子さんしかいません」などと仰って、私が当時通っていた雪谷の英会話教室まで附いて来られたり、しばらくお付き合いをした。
その当時はジャズ歌手を志しクリスマスごろには小さなホールを借りてジャズコンサートなどをなさって、お付き合いをした。 あれから何年?御近所なのに、ご子息の学校のこと、ご主人が定年後軽沢の病院長になられたりして、お付き合いも薄くなっていた。 いきなり「英子さんは、ピンクなど着ていらっして、ちつとも変わらない、お若いです」と仰った。 彼女は細いので、少しお顔にしわがふえたかな? 今ゴルフに夢中だと、私が想像していたお応えだった。 「何故連絡なさらないの?」と私は彼女には割りにズケズケとモノを言える。 「だって、何時も雨戸がしまっているから・・」と彼女。 妙に以前の事を覚えていて「姪御さんは結婚なさった?」とか色々立ち話をした。
書道をご一緒していた、私より一歳年上のお友達が最近お断りも無く欠席なさって、少し認知症ぎみらしく、皆で心配しているので、私が代表で昨夜お電話してみた、「今、デイ・サービスに通っていて、疲れるので暖かくなるまでしばらくお休みしますけれど、お習字だけは止めたくないので、お歳暮だけは支払う、と仰ったので、私がお立替して今日先生に差し上げた。 帰宅したところで、そのお友達からお電話があり「これからお立替分をお支払いに行く」と仰るので「私が途中まで、出ます」とお昼もそこそこ、家を出た。 途中でお会いする積りが、とうとうお家まで歩いてしまっつた。 お金の入った白い封筒を受け取って少しお話しをして、角まで歩いたところ、後ろから「伊藤さ~ん」という声がして「私、お代お渡しするの忘れていた」と私のほうへ歩いていらっしたので、「頂きましたよ!」と遠くから叫んだ。 もう一つ白い封筒を手に持っていらっした。
その後、夕方又申し訳なさそうにお電話があって「伊藤さんにお金お渡ししたかしら?」と仰る。 「確かに頂きました」と再度応えながら、少し悲しくなってきた。 あんなにお家の中をキチントカタズケていらっしゃる方なのに? 「ご心配なく、私は何でもはっきり申し上げるから」と繰り返し言った。
次は、今日の午後、田園調布へ買い物に行った。 帰りのバスは可也混み合っていたので、私は荷物も重くなったので、座って帰りたくて、次のバスまで、辺りを一回りして来て座ることが出来た。 バスが出る直前一人の老婦人が乗ってこられた。 帽子をかぶりお洒落で上品な老婦人が運転席の側で窮屈に立っていらっしゃりその方が、私は気になった。 しばらくして、少し空いて来てその方が老人席に座ろうとなさる時私に声をかけられた。 「私はずーっと貴女のことわかってたわよ」と仰ったその方を改めて見て、三木さんだ!と分かった。 三木さんは久が原辺りの古い地主さんのお一人で、私が久が原南自治会の副会長として区の’わが町’に出ていた頃、西の自治会のお一人として出ていらっして、その後も時々ダイシン辺りでお会いして、他の自治会役員との個人的なお付き合いは無かったのに、私は特別よくして頂き、お家に招かれたりした仲だった。
先ず、書道教室を終えて友人と路地から家の前の道路に出たら、真っ白な高級外車が私の前で止まった。 そして久しぶり華やかな方が車から下りていらっした。 以前ジムで知り合って「ここで、話を出来るのは英子さんしかいません」などと仰って、私が当時通っていた雪谷の英会話教室まで附いて来られたり、しばらくお付き合いをした。
その当時はジャズ歌手を志しクリスマスごろには小さなホールを借りてジャズコンサートなどをなさって、お付き合いをした。 あれから何年?御近所なのに、ご子息の学校のこと、ご主人が定年後軽沢の病院長になられたりして、お付き合いも薄くなっていた。 いきなり「英子さんは、ピンクなど着ていらっして、ちつとも変わらない、お若いです」と仰った。 彼女は細いので、少しお顔にしわがふえたかな? 今ゴルフに夢中だと、私が想像していたお応えだった。 「何故連絡なさらないの?」と私は彼女には割りにズケズケとモノを言える。 「だって、何時も雨戸がしまっているから・・」と彼女。 妙に以前の事を覚えていて「姪御さんは結婚なさった?」とか色々立ち話をした。
書道をご一緒していた、私より一歳年上のお友達が最近お断りも無く欠席なさって、少し認知症ぎみらしく、皆で心配しているので、私が代表で昨夜お電話してみた、「今、デイ・サービスに通っていて、疲れるので暖かくなるまでしばらくお休みしますけれど、お習字だけは止めたくないので、お歳暮だけは支払う、と仰ったので、私がお立替して今日先生に差し上げた。 帰宅したところで、そのお友達からお電話があり「これからお立替分をお支払いに行く」と仰るので「私が途中まで、出ます」とお昼もそこそこ、家を出た。 途中でお会いする積りが、とうとうお家まで歩いてしまっつた。 お金の入った白い封筒を受け取って少しお話しをして、角まで歩いたところ、後ろから「伊藤さ~ん」という声がして「私、お代お渡しするの忘れていた」と私のほうへ歩いていらっしたので、「頂きましたよ!」と遠くから叫んだ。 もう一つ白い封筒を手に持っていらっした。
その後、夕方又申し訳なさそうにお電話があって「伊藤さんにお金お渡ししたかしら?」と仰る。 「確かに頂きました」と再度応えながら、少し悲しくなってきた。 あんなにお家の中をキチントカタズケていらっしゃる方なのに? 「ご心配なく、私は何でもはっきり申し上げるから」と繰り返し言った。
次は、今日の午後、田園調布へ買い物に行った。 帰りのバスは可也混み合っていたので、私は荷物も重くなったので、座って帰りたくて、次のバスまで、辺りを一回りして来て座ることが出来た。 バスが出る直前一人の老婦人が乗ってこられた。 帽子をかぶりお洒落で上品な老婦人が運転席の側で窮屈に立っていらっしゃりその方が、私は気になった。 しばらくして、少し空いて来てその方が老人席に座ろうとなさる時私に声をかけられた。 「私はずーっと貴女のことわかってたわよ」と仰ったその方を改めて見て、三木さんだ!と分かった。 三木さんは久が原辺りの古い地主さんのお一人で、私が久が原南自治会の副会長として区の’わが町’に出ていた頃、西の自治会のお一人として出ていらっして、その後も時々ダイシン辺りでお会いして、他の自治会役員との個人的なお付き合いは無かったのに、私は特別よくして頂き、お家に招かれたりした仲だった。
2008年12月10日水曜日
何日経ったかしら?
しばらく書き込まなかったら、パスワードを入れ直したり、ややこしい事になっていた。
年賀状を印刷して、それに書き込みをして、なにより厄介なのは、アメリカのアナハイムに住むアメリカ人の御友達に英語で長―いお手紙を書かなければならない事だった。 彼女とは長いお付き合いで、私が結婚後大森の大きな家の洋間を借りていて、私が引っ越した跡に彼女と夫が住んだ・・・という仲で40年以上のお付き合いになる。
30年位前、初めて夫とディズニーランドへ行った時、やや強引に彼女の家に泊れと言ってくれて、ディズニーランドのすべてを彼女が支払ってくれた経緯がある。 年をとると妙にセッカチになり、色々早くカタズケなければ・・・と焦りまくる。 明日にはカードも投函できるだろう。
ところで、今日はジムのお友達のお父様が亡くなったので、その方をお慰めするために、五反田と大崎広小路の間にあるフレンチレストランに何時もの4人の仲間で行くことになった。 第二京浜の二本大崎よりのビルの地下にそのレストランはあって、入ってみたら雰囲気もお料理も品数が多く前菜、スープ、メインとデザートで4000円と5000円のコースがあり、少し古い形のフレンチだったけれど、ソースは色々あって、それぞれ違うメニューを注文して楽しんだ。
私は2時半に歯医者を予約していたので、気にしながら、それでも2時には終えることが出来た。 外の3人は私の娘くらいの年齢で一番年上でも59歳とかで、皆気を遣って下さって、ホントに有り難いことだ。 それより、五反田近くにこんなに美味しいフレンチがあるのが分かったのは、嬉しい事だ。
年賀状を印刷して、それに書き込みをして、なにより厄介なのは、アメリカのアナハイムに住むアメリカ人の御友達に英語で長―いお手紙を書かなければならない事だった。 彼女とは長いお付き合いで、私が結婚後大森の大きな家の洋間を借りていて、私が引っ越した跡に彼女と夫が住んだ・・・という仲で40年以上のお付き合いになる。
30年位前、初めて夫とディズニーランドへ行った時、やや強引に彼女の家に泊れと言ってくれて、ディズニーランドのすべてを彼女が支払ってくれた経緯がある。 年をとると妙にセッカチになり、色々早くカタズケなければ・・・と焦りまくる。 明日にはカードも投函できるだろう。
ところで、今日はジムのお友達のお父様が亡くなったので、その方をお慰めするために、五反田と大崎広小路の間にあるフレンチレストランに何時もの4人の仲間で行くことになった。 第二京浜の二本大崎よりのビルの地下にそのレストランはあって、入ってみたら雰囲気もお料理も品数が多く前菜、スープ、メインとデザートで4000円と5000円のコースがあり、少し古い形のフレンチだったけれど、ソースは色々あって、それぞれ違うメニューを注文して楽しんだ。
私は2時半に歯医者を予約していたので、気にしながら、それでも2時には終えることが出来た。 外の3人は私の娘くらいの年齢で一番年上でも59歳とかで、皆気を遣って下さって、ホントに有り難いことだ。 それより、五反田近くにこんなに美味しいフレンチがあるのが分かったのは、嬉しい事だ。
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