木曜日のヨガ教室の人数が少し減ってきた。 インストラクターの指導にも依るらしく、第1・第3のインすトラクターの日はケッコウ混み合っている。 今日は第2なのに新しい方も増えて、少し人数が増えていて妙に安心した。
会員達の年齢も20歳代から60歳台が殆どで、私のように70歳台は少ないと思う。 平均して30人くらいの方がスタジオでヨガの指導を受けるわけだけれど、今日初めて参加したと思われる20代の女性は、1番前列の真ん中にに陣取って、「冷房が寒いです!」と言う。 今日は殆どの人が「蒸し暑いわね?」と言っているのに・・・。
10年以上もこの教室に通ってる60台の方が「私と代わりましょう」と場所を代わった。
色々な方がいらっしゃる中で、10時15分に始まる前に入室した方は、マットを並べなければならない。 それがメンドウなので、時間以前に来ても車の中で時間つぶしをしている方もある・・とか・・・。 終ってマットをカタズけるのも様々、使わなかったマットを自分のと一緒にカタズけるのは当然のこと、ということも、しない方もある。
2007年9月27日木曜日
2007年9月26日水曜日
体の部品はガタガタ!
先日このブログで訴えた、脚の痛みは作日あたりから殆ど良くなった気がする。 それでも今日は、腰が少し痛いような気がしてきた。 ジムに行き、何時ものインストラクターのKさんが担当だったので、状態を詳しく話したら、それは冷房の所為ではなく所謂エコノミー・症候群を呼ばれる症状で、プールで歩くのが一番良いのですが、伊藤さんはプールが嫌だと仰るから・・・と言われた。 車の中でも一時間以上も同じ姿勢をしていないで、脚を動かすとか、リクライ二ングシートを倒すとかして、姿勢を変えた方がいい、とのことそしてそんな場合歩くのは避けて、横になって休んでいるほうがよい、と言われた。 今度から、気をつけよう。
作日は大腸の内視鏡の予約をとりに、友人と久が原の病院に行った。 つれ・・・?と言うのはあるが、連れ病院と言うのは余り聞いたことがないけれど、その病院はどうかすると2時間も待たなければならないことがある。 担当の先生ではなかったが、1年経ったら来てください、と言われていたのに1年半経ってしまったので、先生は少し厳しいお顔をなさった。 予約が一杯でようやく10月22日が取れた。 相変わらず検査前日のま~ずい流動食を渡された。 もうこうなったらママよ、’まな板の上の鯉’の心境。 それにしても、検査までずい分長い間待たされる物だ。 もし、切除することになったとしても、11月中に可能なのかしら? 人間、長生きすると?色々な故障が起きてくるものだ。 部品も使い古されて来ているのだから、仕方がないか?!
作日は大腸の内視鏡の予約をとりに、友人と久が原の病院に行った。 つれ・・・?と言うのはあるが、連れ病院と言うのは余り聞いたことがないけれど、その病院はどうかすると2時間も待たなければならないことがある。 担当の先生ではなかったが、1年経ったら来てください、と言われていたのに1年半経ってしまったので、先生は少し厳しいお顔をなさった。 予約が一杯でようやく10月22日が取れた。 相変わらず検査前日のま~ずい流動食を渡された。 もうこうなったらママよ、’まな板の上の鯉’の心境。 それにしても、検査までずい分長い間待たされる物だ。 もし、切除することになったとしても、11月中に可能なのかしら? 人間、長生きすると?色々な故障が起きてくるものだ。 部品も使い古されて来ているのだから、仕方がないか?!
2007年9月22日土曜日
いよいよ年の所為か?
作日、京都の妹と姪が上京してきたので、富ヶ谷の妹宅に行く予定だった。
2日ほど前から、右足が痛く、ジムで何時もの決まったマシンを終えても痛さは治まらず、びっこを引き引き帰宅した。 昼食を終え、少し涼しくなってから、出かけたが、二国のバス停まで行くのに何時もの倍時間がかかって、余ほど戻ろうか?携帯を掛けてお断りしようか?と迷っている間にバスが来て、つられるように乗ってしまい、五反田駅はエスカレーターがあるので、無事渋谷に着き、渋谷でエレベーターを利用、次にバスに乗る。 行程は同じなのだけれどノン・ステップバスなのに乗り降りが大騒動! 脚の悪いということは、こんなにエネルギーを遣うのだな~と考えながら妹宅へ文字どおり、たどり着いた。 妹達は私がくるのが遅いので少し心配していた。
近所のイタリアンレストランで夕食を頂き、長い間座っていた所為か、立ち上がったら歩くことが出来ないほど、右の腰からすねの外側が痛み、妹と姪が両側から私の腕を持って5,6歩、歩いてくれたのだけれど、2人とも私より大分背が高いので、まるで犯人が拉致されているようで、凄くカッコウ悪く、直ぐお断りした次第。 母が亡くなる少し前、ストレスと母を支えることと母の家と私の家との往復で左半身、肩の辺りから腰、左の足の外側からバッチリ左足の薬指までが痛んで眠れず、ぺたぺたとシップ薬を貼って、夜も寝られず苦しんだが、今度のケースは少し異なっている。 妹達と話しているうちに「冷房の所為じゃない?」と妹が言う。 そこで私はつらつら考え起こしてみた! そうかも? そうだ! 私は思い当たった。
一昨日、夫の甥の車で多磨墓地まで行った。 その折甥はエアコン大丈夫?と気にしていてくれた。 大丈夫よ!と言ったが、あの折は道が込み合っていて2時間以上も同じ姿勢で(彼のベンツは座席が低い)で、しかもあの日は殊更暑かったので、何時ものパンツ姿でなく、夏物の薄いワンピースを着ていて、車を降りてからもお墓へ道を歩くことができなかったのだった。
帰宅してから暖かいお風呂にゆっくり浸かり、腰の部分と膝の外側にサロンパスを貼って寝た。 朝、恐る恐る歩いてみたら大分痛みが引いていた。 今日は都合よくジムで「健美操」だったので早めにジムに行きインストラクターに脚の事を訴えた。 75分間の実技の結果、嘘のように痛みが消えて、見事脚が軽くなってスタスタ歩けるようになったた。 有り難いこと!
2日ほど前から、右足が痛く、ジムで何時もの決まったマシンを終えても痛さは治まらず、びっこを引き引き帰宅した。 昼食を終え、少し涼しくなってから、出かけたが、二国のバス停まで行くのに何時もの倍時間がかかって、余ほど戻ろうか?携帯を掛けてお断りしようか?と迷っている間にバスが来て、つられるように乗ってしまい、五反田駅はエスカレーターがあるので、無事渋谷に着き、渋谷でエレベーターを利用、次にバスに乗る。 行程は同じなのだけれどノン・ステップバスなのに乗り降りが大騒動! 脚の悪いということは、こんなにエネルギーを遣うのだな~と考えながら妹宅へ文字どおり、たどり着いた。 妹達は私がくるのが遅いので少し心配していた。
近所のイタリアンレストランで夕食を頂き、長い間座っていた所為か、立ち上がったら歩くことが出来ないほど、右の腰からすねの外側が痛み、妹と姪が両側から私の腕を持って5,6歩、歩いてくれたのだけれど、2人とも私より大分背が高いので、まるで犯人が拉致されているようで、凄くカッコウ悪く、直ぐお断りした次第。 母が亡くなる少し前、ストレスと母を支えることと母の家と私の家との往復で左半身、肩の辺りから腰、左の足の外側からバッチリ左足の薬指までが痛んで眠れず、ぺたぺたとシップ薬を貼って、夜も寝られず苦しんだが、今度のケースは少し異なっている。 妹達と話しているうちに「冷房の所為じゃない?」と妹が言う。 そこで私はつらつら考え起こしてみた! そうかも? そうだ! 私は思い当たった。
一昨日、夫の甥の車で多磨墓地まで行った。 その折甥はエアコン大丈夫?と気にしていてくれた。 大丈夫よ!と言ったが、あの折は道が込み合っていて2時間以上も同じ姿勢で(彼のベンツは座席が低い)で、しかもあの日は殊更暑かったので、何時ものパンツ姿でなく、夏物の薄いワンピースを着ていて、車を降りてからもお墓へ道を歩くことができなかったのだった。
帰宅してから暖かいお風呂にゆっくり浸かり、腰の部分と膝の外側にサロンパスを貼って寝た。 朝、恐る恐る歩いてみたら大分痛みが引いていた。 今日は都合よくジムで「健美操」だったので早めにジムに行きインストラクターに脚の事を訴えた。 75分間の実技の結果、嘘のように痛みが消えて、見事脚が軽くなってスタスタ歩けるようになったた。 有り難いこと!
2007年9月20日木曜日
秋のお彼岸の墓参
今日は彼岸の入り、毎年秋の彼岸には夫の甥に車で連れて行ってもらう事になってきている。 今年も忙しい中、快く引き受けてくれた。 カー・ナビに導かれて行ったものの、甲州街道に出るまでの道が渋滞でしかも今日の暑さは’暑さ寒さも彼岸まで’と言われたことが偽りかのごとく暑くて、また道も混み合った。 多磨墓地はトテモ広く、私は、何度行っても迷ってしまう、車を止めるところからもお花と桶を持ってお墓までしばらく歩かなければならず年をとるとだんだん辛くなる一方だな~と思ってしまう。 ところが墓地には私くらいの年の方が大勢歩いて来ていらっしゃる。 頑張らなくちゃ!
お参りを済ませたらもう1時を過ぎてしまった。 いつも帰りに寄る神戸やは1時半ごろになるのに駐車場で2,3台の車が駐車場にも入れずに待っている。 少し気が短くなっている(自分でそういうのだから・・・)甥は「他の所でもいい?」と、又甲州街道に戻り環八を過ぎ、玉高の手前の植物だけを取り扱っているビルの’ビュッフェ・ザ・ヴィラ’というところに連れて行ってくれた。 駐車場も広く、そのビルの3階にこんなレストランがあるは・・・!
お客の98%が若い女性で、ケッコウ時間にしては混み合っていた。 お腹が可也空いていたのと、サラダとかデザートも種類が多かったので、遂お腹が膨れるほど頂いてしまった。 その際、甥が「僕達のことお墓の花やの人たちはどういう間柄だと思うかな?」と言い「親子と思うかな~」と図々しいことを言う。 私は「若しかして、私の若いツバメかと思うかも」と私も自分勝手なことを言った。 当然私の下の妹とほぼ同い年なのだから、彼はそう思うだろうし、私は私で妹と同じレベルで考えるから・・・。 どちらも、どちら・・・。
ともあれ、帰路はスムーズに家に着いた。
お参りを済ませたらもう1時を過ぎてしまった。 いつも帰りに寄る神戸やは1時半ごろになるのに駐車場で2,3台の車が駐車場にも入れずに待っている。 少し気が短くなっている(自分でそういうのだから・・・)甥は「他の所でもいい?」と、又甲州街道に戻り環八を過ぎ、玉高の手前の植物だけを取り扱っているビルの’ビュッフェ・ザ・ヴィラ’というところに連れて行ってくれた。 駐車場も広く、そのビルの3階にこんなレストランがあるは・・・!
お客の98%が若い女性で、ケッコウ時間にしては混み合っていた。 お腹が可也空いていたのと、サラダとかデザートも種類が多かったので、遂お腹が膨れるほど頂いてしまった。 その際、甥が「僕達のことお墓の花やの人たちはどういう間柄だと思うかな?」と言い「親子と思うかな~」と図々しいことを言う。 私は「若しかして、私の若いツバメかと思うかも」と私も自分勝手なことを言った。 当然私の下の妹とほぼ同い年なのだから、彼はそう思うだろうし、私は私で妹と同じレベルで考えるから・・・。 どちらも、どちら・・・。
ともあれ、帰路はスムーズに家に着いた。
2007年9月17日月曜日
名前について
日本人の名前にも色々流行があって、最近、女の子の名前に ’子’というのをつける方が少なくなってきたような気がする。
私の名前は『英子」と書いて「ふさこ」と読ませるので、小学校の頃から先生に「珍しいねぇ?」と言われるのがトテモ嫌だった。 それでと言うわけでもないがこの表題も「ふさ子より・・・・」とした。
大分前から興味深く思っていたが、私の周りに私の字の’英’を名前に入れてくださった方が何人もある。 特に意識は無かったのかもしれないが・・・・
年上順に・・・夫の妹の次女・・・英利子、 夫の姪の子・・・英美そしてよくこの欄に登場する、下の妹の孫の英里(彼女はロンドンで生まれたから納得なのだけれど・・・)そんなに多くはない親戚中に3人も・・・?
この度、夫の甥の長男のところに男の子が生まれた。 生まれた子の名前は「有」と書いて「アリ」と読ませると言う。 その「有」と言う字は私の妹の長女の「有子」と言うのと字が同じ。 これは、甥が説明したことによると、
彼等はこれからもずーっとカリフォルニアに住むことになるので、英語でも日本語でも呼びやすいようにとの親心と言うことだ。 ちなみに、彼の4歳の姉は「樹里」と言う。
私の名前は『英子」と書いて「ふさこ」と読ませるので、小学校の頃から先生に「珍しいねぇ?」と言われるのがトテモ嫌だった。 それでと言うわけでもないがこの表題も「ふさ子より・・・・」とした。
大分前から興味深く思っていたが、私の周りに私の字の’英’を名前に入れてくださった方が何人もある。 特に意識は無かったのかもしれないが・・・・
年上順に・・・夫の妹の次女・・・英利子、 夫の姪の子・・・英美そしてよくこの欄に登場する、下の妹の孫の英里(彼女はロンドンで生まれたから納得なのだけれど・・・)そんなに多くはない親戚中に3人も・・・?
この度、夫の甥の長男のところに男の子が生まれた。 生まれた子の名前は「有」と書いて「アリ」と読ませると言う。 その「有」と言う字は私の妹の長女の「有子」と言うのと字が同じ。 これは、甥が説明したことによると、
彼等はこれからもずーっとカリフォルニアに住むことになるので、英語でも日本語でも呼びやすいようにとの親心と言うことだ。 ちなみに、彼の4歳の姉は「樹里」と言う。
2007年9月16日日曜日
敬老の日の・・・
作日、ジムから帰宅したら、下の妹の次男から電話があって「伯母ちゃま、明日用事ある?」と訊いてきたので「特に無いわよ」と応えたら、「明日敬老のお祝いをするので、どっちの家がいい?」と言う。 彼等の父親も私より3つ下だから充分敬老の資格があるわけで、一緒に祝ってくれるとのこと、無論喜んで出かけた。
英里ちゃん里彩ちゃんの二人の子たちに会うのも夏の十里木以来のこと・・・下の里彩ちゃんは最初チョッと緊張したような顔をしたが、直ぐ馴れて、お茶目ぶりぞ発揮、ホントに三つ巴になって、楽しい時間を過ごした。
お嫁さんの幹ちゃんはイタリアンシェフそこのけの料理でもてなしてくれた、あまだいの塩で固めてオーブンで焼いた物、バジリコのパスタは中中の腕前と踏んだ。 私も料理して人をもてなすのは嫌いではないが、二人の子供があるのに・・・ホントに感心、感心。 今時のお嫁さん達はコンビ二料理、出来合い料理が多いそうだけれど、妹の二人の息子の嫁たちは一生懸命料理をしようと努めているので、喜ばしいことだと思う。
自治会から届いたお菓子のプレゼントだけではなく、思いもかけず、有り難い敬老の日を送ることができて、また今日は姪の結婚式のため訪れたバリで、なくしたとばかり思っていた亡母の形見のプチダイアのペンダントが見付かったので、加えて嬉しい日になった。
英里ちゃん里彩ちゃんの二人の子たちに会うのも夏の十里木以来のこと・・・下の里彩ちゃんは最初チョッと緊張したような顔をしたが、直ぐ馴れて、お茶目ぶりぞ発揮、ホントに三つ巴になって、楽しい時間を過ごした。
お嫁さんの幹ちゃんはイタリアンシェフそこのけの料理でもてなしてくれた、あまだいの塩で固めてオーブンで焼いた物、バジリコのパスタは中中の腕前と踏んだ。 私も料理して人をもてなすのは嫌いではないが、二人の子供があるのに・・・ホントに感心、感心。 今時のお嫁さん達はコンビ二料理、出来合い料理が多いそうだけれど、妹の二人の息子の嫁たちは一生懸命料理をしようと努めているので、喜ばしいことだと思う。
自治会から届いたお菓子のプレゼントだけではなく、思いもかけず、有り難い敬老の日を送ることができて、また今日は姪の結婚式のため訪れたバリで、なくしたとばかり思っていた亡母の形見のプチダイアのペンダントが見付かったので、加えて嬉しい日になった。
2007年9月13日木曜日
介護保険?
作日、「大田区保健福祉部介護高齢医療課医療給付係」という長い差出人からピンク色の目立つ封書が届いた。
不審に思いながら開いてみると、高額医療給付とあった。 そして、給付金が186円で指定金融機関を指示し印鑑を押して送り返す仕組みとなっていた。 6月中と印刷してあったから確かにアノ頭の怪我の時のMRIの代金も含めて、約1割と言うことになる。 考えてみた、2年前都立病院に1日入院して、腸の内視鏡を撮ったときには、そんなことは無かった。 これは病院によって違うのかしら、またはその後制度が変わったのか?
それにしても、切手を貼って出せ...と言うことになると・・・? 一応書き込んで、印鑑をおして、封をしたもものの、まだ投函しないでいる。 ただ、次回からは通知が無くても、医療費の1割は指定の口座に振り込まれるらしいのだけれど、年間の医療費は内科の薬代を始めとして、眼科、歯科などまとめれば大きな額になるわけで、よくその意図がわからない。
不審に思いながら開いてみると、高額医療給付とあった。 そして、給付金が186円で指定金融機関を指示し印鑑を押して送り返す仕組みとなっていた。 6月中と印刷してあったから確かにアノ頭の怪我の時のMRIの代金も含めて、約1割と言うことになる。 考えてみた、2年前都立病院に1日入院して、腸の内視鏡を撮ったときには、そんなことは無かった。 これは病院によって違うのかしら、またはその後制度が変わったのか?
それにしても、切手を貼って出せ...と言うことになると・・・? 一応書き込んで、印鑑をおして、封をしたもものの、まだ投函しないでいる。 ただ、次回からは通知が無くても、医療費の1割は指定の口座に振り込まれるらしいのだけれど、年間の医療費は内科の薬代を始めとして、眼科、歯科などまとめれば大きな額になるわけで、よくその意図がわからない。
2007年9月11日火曜日
シルバー・パス
9月はシルバー・パスの更新の月だ。 この辺りは今日から3日間近くの出張所で行われる事になっている。 年をとるとせっかちになるのは、私も例外ではなく、早めに済ませたいと思っていたが、とりあえず午前中はどうせ混み合うだろうと思って何時ものようにジムに行った。 午後家を出ようと思ったら烈しい雷雨。 少しおさまったところで、思い切って出かけたら案の定、人は少なかった。
昨年辺りから1000円でパスを頂くのには、税金を納めていないという証明の為に介護保険納入通知書などの収入が少ない事を証明する書類が必要になった。 私は、昨年書類が無かったため、無駄な時間と料金を払ったので、今年は抜かりなく書類を揃えて行った。 殆どのお年よりが(特に女性)が事の次第を理解できず、出張所の仕事が増えていた。 何とかもう少し分かりやすくならないものかしら?
私はもう一件、生命保険会社のわずかばかりの年金の手つずきのための現況届印が必要だった。 係りの男性は現況届がどの欄に属するのか分からないようだった。 「この会社にお勤めになっていたから、年金をおもらいになるのですか?」不必要な事を訊くものだ、と私は「大分昔には夫婦年金という保険があったのですよ」と・・・応じた。
15年間も自治会の副会長として区のために尽くしたのだから、私は可也強気だ。
区長の印は当然のことながら、この春選出された新しい区長のものに代わっていた。
昨年辺りから1000円でパスを頂くのには、税金を納めていないという証明の為に介護保険納入通知書などの収入が少ない事を証明する書類が必要になった。 私は、昨年書類が無かったため、無駄な時間と料金を払ったので、今年は抜かりなく書類を揃えて行った。 殆どのお年よりが(特に女性)が事の次第を理解できず、出張所の仕事が増えていた。 何とかもう少し分かりやすくならないものかしら?
私はもう一件、生命保険会社のわずかばかりの年金の手つずきのための現況届印が必要だった。 係りの男性は現況届がどの欄に属するのか分からないようだった。 「この会社にお勤めになっていたから、年金をおもらいになるのですか?」不必要な事を訊くものだ、と私は「大分昔には夫婦年金という保険があったのですよ」と・・・応じた。
15年間も自治会の副会長として区のために尽くしたのだから、私は可也強気だ。
区長の印は当然のことながら、この春選出された新しい区長のものに代わっていた。
2007年9月8日土曜日
見たよ・・・!
下の妹の次男が今朝8時半からのテレビ番組に出る・・・という報せが妹からあった。 少し早起きしてBSをセットして待った。 彼は公認会計士で、この春会社を代わった、と新しい会社の名刺を見たとき「何だかヘンな名前の会社で舌を噛みそうな名前ね~』などと言ったことがあったが、その会社の内容をテレビの番組は詳しくセッメイしてくれた。 要するに倒産した、又しかかった会社の建て直しのお手伝いをする会社らしい・・・ということが分かった。
二人の著名な方方がコメンテーターとして、色々会社のトップに質問をした後、事務所の中の仕事風景が出て、いきなり甥が大写しになって「この会社の設立のため急遽ロンドンから帰国した、児玉尚剛さん35歳・・・」と紹介があって、甥はつっかえもせず、落ち着いて仕事の内容を説明していた。 あの、幼児のころ喘息に苦しんでいた甥が・・と私でさえ胸が詰まる思いがしたのだから、妹夫妻はさぞや・・・と思った。
男の子は成長する過程でもその後仕事に就いても大変なのだから・・・・。
彼の兄も何度か、その世界の情報誌などの座談会に大きな写真入で出ていたりしたが、テレビの画面で身内を見たのは、京都の義弟と妹が、京都の醍後寺の桜祭で全国ネットで義弟が秀吉を、妹が妻、ねねに扮して練り歩く姿と、もう一度は私の夫が日劇の英国公演、オーストラリア公演から帰国した時、記者達に囲まれて、応対していた姿を見たのと・・・・だだその際は予告がなかったし、今のように録画も出来なかったので、あ~あ、出た!・・・と誰にも連絡出来なかったし、甥のようにカメラ目線でシッカリした印象に残るコメントも記憶に無い。
二人の著名な方方がコメンテーターとして、色々会社のトップに質問をした後、事務所の中の仕事風景が出て、いきなり甥が大写しになって「この会社の設立のため急遽ロンドンから帰国した、児玉尚剛さん35歳・・・」と紹介があって、甥はつっかえもせず、落ち着いて仕事の内容を説明していた。 あの、幼児のころ喘息に苦しんでいた甥が・・と私でさえ胸が詰まる思いがしたのだから、妹夫妻はさぞや・・・と思った。
男の子は成長する過程でもその後仕事に就いても大変なのだから・・・・。
彼の兄も何度か、その世界の情報誌などの座談会に大きな写真入で出ていたりしたが、テレビの画面で身内を見たのは、京都の義弟と妹が、京都の醍後寺の桜祭で全国ネットで義弟が秀吉を、妹が妻、ねねに扮して練り歩く姿と、もう一度は私の夫が日劇の英国公演、オーストラリア公演から帰国した時、記者達に囲まれて、応対していた姿を見たのと・・・・だだその際は予告がなかったし、今のように録画も出来なかったので、あ~あ、出た!・・・と誰にも連絡出来なかったし、甥のようにカメラ目線でシッカリした印象に残るコメントも記憶に無い。
2007年9月6日木曜日
暑すぎた夏の悲しいこと・・・・。
今年の夏は殊の外の暑さだったが、お陰さまで私は妹たちの箱根の別荘で8月の殆どを過ごす事が出来て、暑さ知らずでいられて、感謝している。 義弟と私はほぼ同い年なので、毎朝のように75歳過ぎたら死を身近に感じるようになった事をしみじみと話し合った。 特に義弟は色々責任のある立場にあるので、色色の思いも深いだろうと思割れる。 そんな間にご近所で悲しいことがあったのを作日友人から聞いた。
この辺りは木々も多く、特にそのお宅は今時珍しい事にお庭は垣根で囲まれ、冬は梅、桃の花、春には、ちんちょうげ、今ごろはいろんな種類のむくげ、さるすべりが咲いていた。 私はそれらの花々を通りすがりに覗き込んで楽しんでいた。
そこのお宅に、97歳になられる方がお1人で住んでいらっした。 気丈な方で、お隣に住まっていらっしゃる、お嫁さんにメンドウをみてもらっていらっしゃるご様子はなかった。 お友達の話しによると、日本風の古いお宅にはクーラーなどは無かったという。 熱中症とは遠い世界の話しだと思っていた。 お1人で椅子にかけられ、片足をズボンから脱がれたままお亡くなりになっていたとか・・・。 多分お苦しみも無かったのだろう。 2,3日経ってからご近所の方によって発見されたそうだ。 何とも悲しく、同じく独り暮らしの私にはズシーッと胸に響くこの夏の悲しい出来事だった。
この辺りは木々も多く、特にそのお宅は今時珍しい事にお庭は垣根で囲まれ、冬は梅、桃の花、春には、ちんちょうげ、今ごろはいろんな種類のむくげ、さるすべりが咲いていた。 私はそれらの花々を通りすがりに覗き込んで楽しんでいた。
そこのお宅に、97歳になられる方がお1人で住んでいらっした。 気丈な方で、お隣に住まっていらっしゃる、お嫁さんにメンドウをみてもらっていらっしゃるご様子はなかった。 お友達の話しによると、日本風の古いお宅にはクーラーなどは無かったという。 熱中症とは遠い世界の話しだと思っていた。 お1人で椅子にかけられ、片足をズボンから脱がれたままお亡くなりになっていたとか・・・。 多分お苦しみも無かったのだろう。 2,3日経ってからご近所の方によって発見されたそうだ。 何とも悲しく、同じく独り暮らしの私にはズシーッと胸に響くこの夏の悲しい出来事だった。
2007年9月2日日曜日
箱根での夏は終りました
先月8日から14日、一旦帰京してまた17日から23日、また26日まで東京にいて、今日9月2日まで箱根の仙石原から少し入った小塚山にある上の妹宅の別荘に行ったりきたり、充分温泉と周りのグルメを楽しむ事が出来た。 東京では34度以上の真夏日を避けて、別名紅葉山とも言われる小塚山の空気と緑を満喫し、グルメについては、最初は近所のハイランドホテルのフレンチに連れて行っていただき、これは昨年二回もご馳走していただいたのだが、特に前菜と側で焼いてサーブしてくれる色色な種類の肉、魚のメインが絶品だ。
次には。小塚山から近いイタリアン・・・これも昨年から何度か訪れていて林の中に建てられたこのレストランの建物はイタリアから材料を運んで建てたとかで、イタリアの雰囲気が充実していて、料理も7~8種類の前菜ではじまり、義弟はこの度のメインの鶏料理が気に入って2回も連れて行ってくれた。 チエイン店もアチコチにあるらしかったが、義弟はどうしても、そこで記念に売っている飾り皿を私に持って帰るよう求めてくれた。
何しろ妹も私も避暑地では楽をしたいと思うし、買い物に行くのも車なしでは不便なのと泊りのお客様には気を遣わせないようにというので、雑誌や人の噂を聞いてはあちこち行ってみた。 ホントに偶には私もお返しのご馳走をしなければ・・・と雑誌で見つけた箱根湿性花園の入り口の小さなレストランに行ってみた。 こじんまりした店で
営業時間も短く、どちらかと言うと家庭的な雰囲気の店で子牛のシチュ―ウが売りものらしかった。
2回目の最後の夕食は突然義弟が今まで毎年泊っていた冨士やホテルに行こうと言い。 ヤヤ驚きながらも、妹と二人、いそいそと少しお洒落をした。 妹はあわびのステーキを義弟と私はひれ肉を注文した。 やはり、老舗の味で、妹の選んだあわびは可也の斧だった。 あまり長くなるので、グルメの欄のつずきはまた明日!
次には。小塚山から近いイタリアン・・・これも昨年から何度か訪れていて林の中に建てられたこのレストランの建物はイタリアから材料を運んで建てたとかで、イタリアの雰囲気が充実していて、料理も7~8種類の前菜ではじまり、義弟はこの度のメインの鶏料理が気に入って2回も連れて行ってくれた。 チエイン店もアチコチにあるらしかったが、義弟はどうしても、そこで記念に売っている飾り皿を私に持って帰るよう求めてくれた。
何しろ妹も私も避暑地では楽をしたいと思うし、買い物に行くのも車なしでは不便なのと泊りのお客様には気を遣わせないようにというので、雑誌や人の噂を聞いてはあちこち行ってみた。 ホントに偶には私もお返しのご馳走をしなければ・・・と雑誌で見つけた箱根湿性花園の入り口の小さなレストランに行ってみた。 こじんまりした店で
営業時間も短く、どちらかと言うと家庭的な雰囲気の店で子牛のシチュ―ウが売りものらしかった。
2回目の最後の夕食は突然義弟が今まで毎年泊っていた冨士やホテルに行こうと言い。 ヤヤ驚きながらも、妹と二人、いそいそと少しお洒落をした。 妹はあわびのステーキを義弟と私はひれ肉を注文した。 やはり、老舗の味で、妹の選んだあわびは可也の斧だった。 あまり長くなるので、グルメの欄のつずきはまた明日!
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