2011年6月28日火曜日

七夕の短冊に思う

何時も通っている?近所のスーパー・マーケットに暑さの中、文字通りふ~ふ~言いながらたどり着いた。

最近はスーパー・マーケットの冷房も控えめ、照明も控えめ、それは当然のことで、私はむしろ明るすぎる照明は野菜などをいためるのではないかと思う。

例年のように、入口に七夕の竹がたててあった。 買い物を終え、キャリー・バッグに買った品物の袋を突っ込みながら、ふと短冊の一つに目をやった。 たぶん小学校の低年の子供が書いたものだと思う。「バイオリンがじょうずになりますように」 「がつこうのせいせきがよくなりますように」などひらがなで書いた色とりどりの短冊の中に、ふと目をとめたオレンジ色の短冊に「パパのびょうきがわるいものではありませんように」というのがあった。

全部ひらがなで書かれているその短冊をまた読み返してみた。 この子のパパだとすれば、たぶん、40代だろう? 私はまた、もう一度読み返してみた。 一生懸命願いをこめて書いたに違いないこの子の願いをどうぞ、七夕様お聴き取りください! 私は重いキャリーバッグを引っ張り汗を流しながら千鳥町駅のほうへ向かった。 涙がこぼれそうだった。 

2011年6月27日月曜日

一人暮らしに慣れなくては・・・

女学校時代の親友のご主人様が亡くなったというお知らせは、亡くなられてから、少し経ってから知った。

今日、お悔みとお慰めに彼女のお家へ伺った。  新所沢の彼女の家は私宅から大分遠かった。 私も年をとったなあ~・・・何十年か前お訪ねしたときはもう少し近かったかな~? でも、その頃は私は五反田に住んでいたから・・・。 彼女は駅まで車で迎えに来てくださった。

あれから、何十年も経ってしまっている。  彼女のお母様が亡くなった時にお伺いしたその日から・・・。
最後にご主人様にお目にかかったのは、彼女が結婚されてすぐの事。 しかも、ちらっと。 あれから何十年も時がたっている。 キリスト教徒だったご主人はクロスのついた黒い布で包まれた中に入っていらっした。

飾られていたお写真も以前お会いした頃を思い出せないほど、日にちが経っている。 それぞれのお部屋には、お過ごしになっていた御生活を想像できる・・・それだけに、彼女の今の淋しさを思った。

彼女のお手作りのライス・グラタン風?のものとたっぷり野菜のサラダと煮物をいただきながら、思い出話がつきない。 青春時代の思い出話は、楽しいことが多い。 若い時代の過去はつらい戦後の生活の話でさえも楽しいものにしてしまう。

 私が感じたのは、最初彼女にお目にかかった時のお顔がお別れするときには、ふっくらと5歳くらい若返って見えたと感じたのは?・・・私は帰りの電車の中で、私がお伺いしたことで少しは彼女のお悲しみを和らげる力になったのかな~と。

2011年6月26日日曜日

何回目?お誕生祝い

先週の木曜日、亡夫の甥と私の(下の妹の長男の)甥が渋谷のホテルの中華レストランで私の何回目かの誕生祝をしてくれた。 

亡夫のほうの甥は私達が結婚する以前、義姉に頼まれ(もしかしたら頼られ)英語を教えてあげた。 以前にも書いたことがあったが、彼の努力もあって成績も上がり、その後英語が好きになって、あげく思いもかけず一人でアメリカにわたり自分で努力して学校を見つけて、大学に入りその後アメリカの航空会社に入社し、今、その一人息子はサンフランシスコで仕事をして、結婚し一男一女を得て、幸せに暮らしている。

彼も年に何度もその家族に会いに行き、会うたびにその家族の写真を見せてくれる。 先日もこのパソコンに彼の孫たちのサンフランシスコでの生活の様子の一部の動画を送ってきてくれた。  以前、よく「今の僕があるのは、この叔母ちゃんのおかげなんだよ」と結婚する時も今の奥さんに言ったりしていた。

妹のほうの甥は、妹達家族が夫の仕事でサンフランシスコに四年間滞在し、長男だった甥は小学校五年生になって、五年生で帰国しなければそれまでいた小学校に戻れないということで、二年間私宅で預かることになった。 その甥は私にはなついていたが、夫がどうか?と心配していたが、子供嫌いと言っていた夫が殊の外甥を可愛がってくれて、甥もなついてくれ妹家族がきこくするまで無事に過ごした。  今日は、これまで・・・。

2011年6月16日木曜日

紫陽花

紫陽花は梅雨に咲く花。 その時期は私の誕生月。
 
そういう理由ばかりではないが、私の家の狭い庭に紫陽花の株が二つある。 一本は以前から?生えていたもの、もう一株は、鉢植えで頂いたものを地植えにしたものだ。

一本は、がく紫陽花で、周りに白い少し大きめの花びら、中心にはブルーの小花がついている。 紫陽花は色が変わるので、移り気だと嫌がる人もいる。 土が肥えていると花びらがピンク色になるともいう。 私の家の紫陽花は一本は薄いブルーの小花がついているもので、もう一本は外側が白で中心部分はブルーだ。

毎朝、私は雨戸をあけて、庭の紫陽花を見て、日の当たる日はその色がピンクがかったブルーになり、雨の日はブルー色が濃くなる。  以前家の近所に前庭に一面紫陽花を植えていらっした家があった。 箱根にホテルを持ったいらっしゃる方の家だと聞いていた。  ところが最近そのお家も紫陽花も手入れが行き届かず、もしかしたら空き家なのかもしれない。

鎌倉の紫陽花寺を訪れたことがあったが、雨の中をかき分けながら見るのも思ったほど感激するわけでもなかった。 あまりにも大きく育ちすぎていて、抜け出るのが大変だった。
 
やっぱり、我が家でひそやかに人知れず咲いている二本の紫陽花が私は好きだ。

2011年6月15日水曜日

夏はもう迫っているのに・・・・

今朝、何時ものようにジムへ行く支度を整えて出かけようとしたが、なんとなく最近のジムの雰囲気が気になって、うろうろしているうちに、そうだ!ベッドを夏用に変えようと、思いつき、ベッドをひっくり返してみたら、なんと、まだ敷き毛布に電気毛布を敷いていた。

例年は6月になったらかけ毛布も掛布団も夏用にかえていたのに・・・今年はなんだかヘン! 天候もまたヘン!  今日はどうやら日が照っていたので、冬の掛布団を日光に当てることができたけれど、シーツとか布団のカバーは洗うことができない。 まあ、他人に迷惑をかけることもないから、天候を見て洗えばいいか?

二つ並んだベッドも、今はとりあえず一つだけ変えておけばいいし・・・。  ベッド・ルームをかたずけると、いつも余計なことをして時間をとってしまうので、今日は止そう・・・と思ったが、チョットだけ、ベッドの棚に積んである亡夫からの手紙の束を見て時間を過ごしてしまう。  あの頃は電話も思うようにかけられず、ましてメールなどという便利なものもなく、手紙の束はオーストラリア、ニュージーランド、ニューヨーク、台湾、ロンドン、スコットランドからのもの、 結婚以前のものもあった。 

最初に自己紹介の履歴書様のものも・・。 母上が書かれたのか? とうとう、訊かないままだった。  手紙の色もだんだん変わってきている。 

2011年6月13日月曜日

余生

「いかに、余生を生きるか?」

「あの方は余生を楽しく幸せに送られた」・・とか「さびしい余生だった」とか・・・余生とはあまりにも漠然とした言葉であり、いったい何歳からが、余生なのか?考えてみた。 漠然として、男性は定年で仕事を辞めた後を余生と言うのかな? それでは、女性は夫を送って一人になってからの事を余生と言うのかしら?

八十一才の誕生日を迎えて私はだいぶ以前から当然終息に近い余生を送っていると思っている。 余生にも個人差があることは確かで、その余生のまっただ中にいる私は今、何の不自由もなく、衣、食、住、友人たちにも恵まれ、可なり充実し、幸せな毎日を送れていると、感謝している。 むろん自分でもそれなりの努力もしているつもりではある。

余生を楽しく生き抜きたいと誰もが思っているに違いない。 では、健康に恵まれなくて、早くこの世を去られた方、この度のように、災害で命を奪われた方たちは余生が無かったと考えなければならないのかしら?
運がわるかった・・・だけでは済まされない。 
         

2011年6月11日土曜日

麻布十番辺り

下の妹が私の誕生日を祝ってくれるということで、目黒で待ち合わせて、地下鉄で麻布十番まで行き、そこから歩いてほんの5分くらいのところのしゃれたフレンチ・レストランに招待してくれた。 

麻布十番のメイン・ストリートから一本中に入ったレストランで二階だったので下の通りを見下ろせる静かな感じのレストランでお料理も繊細な感じのものだった。 「どうして、こんなところのレストランを知ってるの?」と訊くと「夫の仲の良いご友人が麻布高校卒業で、このあたりにくわしい」方からの、ご紹介ということだった。

食事が終わってからそのあたりをそぞろ歩くことにして、来る道すがら気になっていた”豆源”でいろんな種類の豆を求め、その店名が面白い”たぬきせんべい”でおせんべいを買って、あまり広くない横道を行き来した。そのあたりは、下町通りの感じで、おかしやさん、餃子やさん、履物専門店などを冷やかし半分で眺めながら行ったり来たり。 最近は私の住む千鳥町あたりでも、そんな感じの店が殆ど消えてしまった。

妹も夫さんの帰宅があまり早くなさそうだったので、夕方近くまでねばり、当初から目に入っていた”布屋太兵衛”こと”永坂更科!”で天御膳での夕食を済ませて”ハッピイ! ハッピイ!
この辺りは、六本木ヒルズに行くときバスで通り過ぎる場所だったけれど、ケッコウ面白い場所だった。 

ただ、欲張って友達にも…と思って買ったおせんべいと豆類の重かったこと!

2011年6月8日水曜日

八十一

まだ、若いころ、80歳過ぎた方方は完全に’おば~さま’だと思っていた。 自分がその年になってみると、特にがんばってるつもりはないが、おば~さま・・・とは言われたくない。 「お若いですね~、とてもそのお年にはみえません」というお世辞言葉に、しめしめ・・・と思う自分がいる。

八十才という代変りが過ぎれば次の代替わりまで、少し安心できる。  先日は京都の妹が早々のお祝いをしてくれた。 明日は下の妹が御馳走してくれるという。  ジムの友人も、甥も・・・少したってから~と言ってくれている。  私としては今日の日は、いかに過ごそうかと考え、先日小さな手術のため入院されたジムの仲良しのご長女が今日退院されると聞いたので、とりあえずそのことも兼ねて、お赤飯を作ろうと決心?した。
 
ところが朝、玄関先に赤いブーゲンビリアの鉢植えとカードがおいてあった。 時々ご一緒に帰るジムのお友達がお出かけ前において行ってくださったようだ。 今部屋の中にも花がなくさびしかったので、ご厚意に感謝しながら中に入れた。  せっかくお赤飯を作ったので、その方にもほんのおしるしに召し上がっていただこうと思いつきジムが終わった後、とりに来ていただいた。  少しずつ差し上げたつもりなのに、誕生日ご本人の分け前が少しすくなめになった。 「こんなのまでお作りになるの?」と感激してくださった事を喜びながらお夕飯に小豆のたっぷり入ったお赤飯と尾頭付きの魚の煮つけ、精進揚げ少々とほうれん草のおしたし
私の81歳のお誕生日の少しさびしいでも心温かいお献立でした。

八十一回目の誕生日!

2011年6月7日火曜日

木蓮

もう、すっかり花は枯れてしまったが、木蓮の花を見ると思い出すことがある。  今年はその色紙をその季節に飾るのをすっかり忘れてしまっていた。

その色紙はかの有名な伊東深水さんより頂いたものだ。  まだ、亡夫が日劇でプロディーサーをしていて、そのお嬢様を三人娘として売り出そうとしていたころ、お母上がお歳暮に深水画伯の描かれた深い紫色の木蓮の花を描いた色紙をお届けくださった。

その頃、以前住んでいた大森の二間の狭い部屋から、長い間お付き合いのあった、”伊藤英子”さんという私と同じ名前の方の21畳の洋間を模様替えさせていただいて住んでいた。 その家はかなり古く大きな歌舞伎門があって、お玄関も大玄関と内玄関があった。  

深水さまの奥様は、とても控えめな方で、頑として大玄関にお入りにならなかった。 芸者さんだったということだったけれど、とても頭の低いきれいな方だった。
よくは覚えていないけれど、色紙を丁寧に袱紗に包んであったような気がする。  私はわざわざお尋ねくださった夫のその頃の住まいが大きな門構えの200坪の屋敷?だったことに、ほっとしたことを思い出す。  その上表札は「伊藤」だったことも・・・・。  今、その屋敷は五階建のマンションが建っている。

これは、単に私が見栄っ張りだ・・・と思わないでくださいね!?

2011年6月5日日曜日

萌彩ちゃんとパパと・・・

昨夕、萌彩ちゃんが久しぶり我が家にパパと一緒に来ると電話があって、夕方訪れた。  十里木で遊んで、そんなに日にちが経ってなかったので、「大ばば~!!」とニコニコしながら車を降りて、私と一緒に家に入った。   妹たちの家族たちは私の家に入ると直ぐ私たちの両親と私の夫の仏前にお線香をあげてお参りをしてくれる。  いずれも、仏たちには会ったことがないのに・・・。 とても有難いことだと、私はいつも思っている。

二人はかわいいケーキとろうそくを立てて、もうすぐ迎える私の誕生日を祝ってくれた。 萌彩ちゃんはアレルギーが心配だったが、夕食は鶏のささみ、ごはんと納豆を喜んで残さず食べてくれて終始ハイテンションで部屋中(二階にも行ったりして)楽しんでくれてよかった。

妹の息子達の家族たちは成城学園に住む英里ちゃん里彩ちゃんのパパ、ママ達、京都の姪の家族も含めて、親族のない私宅を時々訪ねてくれたり、その子供たちは大ばば、と言ってなついて慕ってくれるので、私はホント幸せで有難いことと、いつも思っている。  私自身もどの子もホントかわいいと思うし、沢山の孫がいる気がしている。

2011年6月1日水曜日

諒ちゃんの泣き顔

先週の金曜日、久しぶりで京都の諒ちゃんがば~ば、とママと上京してきた。 私としてはお正月に京都で会って以来のこと、雨模様だったけれど、私の誕生日祝いも兼ねて、ということで富ヶ谷に行った。

玄関に入った私を見て、諒ちゃんは一瞬泣き顔になりそうだったが、すぐ笑ってくれた。 どういうわけか、妹が入って来たときも、これは明らかに泣きだしてしまった。 人見知りの一種か、ご挨拶の一端か?   でもすぐ笑い顔に代わって、招き入れ遊んでくれ?とせがむ。 階段を勢いよく上がったり降りたり、目の放せない運動量にさすが男の子!という感じ。 

ホント、子供好きの私は妹たちの孫たちになついてもらえて、嬉しいことこの上なし・・・。 先日は下の妹の長男の長女の萌彩ちゃんと十里木でシャボン玉をしたり、駆け回ったりして、パパやママが買い物に行っていた間、ちょっとも淋しがらずに遊んだし、その後は久しぶりで来宅してくれた英里ちゃん、里彩ちゃんたちとも、短い時間だったけれどその成長ぶりに驚きながら、楽しい時を過ごすことができた。 

子にも恵まれず、したがって孫とは無縁の私にも、大勢の孫がいるようで、おかげさま・・・と感謝!  今度はどの子と会うことができるのかしら、と待ち遠しい気持ち。