久しぶりで一人で自宅で過ごす大晦日。 2000年のミレニアム、例の世田谷の一家皆殺しのあった年ら、数えて九年間、京都の妹宅で暮れから、新年を京都で迎えていたことになる。
10年ひと昔と言う。 そんなに経ったかしら?と思い返してみる。 このあたりの大晦日は何と静かなことか! 午前中、家の前の道を通る人を見たのは、何人か? 車の数も少ない。 前の家、お隣、裏の家もまるで静か。 御旅行かな? 朝早めに駐車場と玄関を掃除したが、忽ち風で’元の黙阿弥”。
クリスマスが 終わった26日から二泊三日の予定で下の妹宅へ正月料理を作る手伝いに行った。 下の妹は可也完璧主義なので、いい加減な私は押されっぱなし。 私は結婚以来50年!もおせち料理はつくって来ているのでほとんど手順も、調味料の加減も自動的に決めるが、妹は丁寧にノートを見ながらチェックを入る。 宝袋、柿なますは妹と次男のお嫁さんに任せて、その後は、妹の孫達と遊んで楽しんだ。これもお手伝い。
今宵は満月、美しい月が東の空に照り輝いている。 大晦日を一人で過ごすのは久しぶり、元旦のお雑煮を作るのも・・・。自分の好みのお雑煮を作ろうと思ったものの、大晦日におそば、元旦にお雑煮の他に何を頂いていたか? 京都の妹宅では大晦日は蟹とか、到来物も多いので、品々並んでいたし、元旦は立派なお重を頂いていた。 夫がいたころはポテトサラダとハム、天ぶらなど、元旦はおせちをいただいた。
今回はおせちはなかったので、帰宅後黒豆を煮て、栗を求め栗きんとんは作ったけれど、何か淋しい。 初めて昆布巻きとごまめをほんの少し求めてみた。 これに紅白のかまぼこがあれば何とか明日の元旦は形がつくだろう。 一人で祝う新年も案外いいものかも?
2009年12月31日木曜日
2009年12月25日金曜日
クリスマス会とお世話になったお礼
入院中退院後もいろいろお世話になったお友だちにお礼のクリスマス会をようやく今日果たすことができた。
一昨日近所のとり専門店でひな鳥を求めて昨日から下準備をして、今日は朝から鳥にスタッフィングを詰めてオーブンで40分掛けて焼く。 毎年のように今年もクラムチャウダーを作り、クリスマス色のサラダとあり合わせの前菜を添えた。
驚いたことに、昨日パンを買ってきていただくようにお願いしたお友だちが、パケットは並んで買っていて既に売り切れ、今朝改めて予約して再び買いに行って下さった。 もう一人ケーキを買ってきて下さると仰っしゃつたお友だちも「ケーキが売り切れなので、どうしましょう? もう一軒行ってみます」と電話があった。
今年はなんか違う! 不景気なので、家庭でクリスマスを迎える方が多く、近所でも美味しいと言われているパン屋さんや、け―キやさんに人が集まるらしい。 鳥丸も早めに求めておいてよかったのかもしれない。
そう言えば、私が鳥丸を求めた時も、何時もとは違ってひな鳥がテーブルの上に何羽も並べて置いてあった。
私としては手術の後遺症が未だ少し残っていて、缶が開けにくかったり、料理のリズムが戻らなかったりしたけれど、皆さまが楽しんで美味しかったと仰ってくださって、ようやく次の正月料理の準備にも取り掛かれる。
一昨日近所のとり専門店でひな鳥を求めて昨日から下準備をして、今日は朝から鳥にスタッフィングを詰めてオーブンで40分掛けて焼く。 毎年のように今年もクラムチャウダーを作り、クリスマス色のサラダとあり合わせの前菜を添えた。
驚いたことに、昨日パンを買ってきていただくようにお願いしたお友だちが、パケットは並んで買っていて既に売り切れ、今朝改めて予約して再び買いに行って下さった。 もう一人ケーキを買ってきて下さると仰っしゃつたお友だちも「ケーキが売り切れなので、どうしましょう? もう一軒行ってみます」と電話があった。
今年はなんか違う! 不景気なので、家庭でクリスマスを迎える方が多く、近所でも美味しいと言われているパン屋さんや、け―キやさんに人が集まるらしい。 鳥丸も早めに求めておいてよかったのかもしれない。
そう言えば、私が鳥丸を求めた時も、何時もとは違ってひな鳥がテーブルの上に何羽も並べて置いてあった。
私としては手術の後遺症が未だ少し残っていて、缶が開けにくかったり、料理のリズムが戻らなかったりしたけれど、皆さまが楽しんで美味しかったと仰ってくださって、ようやく次の正月料理の準備にも取り掛かれる。
2009年12月24日木曜日
くちなしの実
毎年、お正月料理を作る用意をする頃になり、材料を買いそろえる時、気になるのはキントンの色をよくするためのくちなしの実を見つけることだ。
昨年はサフランのめしべがあったので高価ながらそれを当てた。
その頃になるとアチコチのお家のお庭をきょろきょろ見て、二つ三つ頂戴することにしている。 どうせ鳥がついばんでしまうことだし、わざわざお家の方を呼び出して「くちなしの実をください」と言うのもお互い面倒だと思うからだ。 例年無断頂戴しているお宅のくちなしの実が今年は余り色どりがよくない。 先日久が原方面に行く途中小さいながら色のよい実が沢山ついてるのを見つけたが、どこだったか思い出せない。
以前両親が住んでいた隣の今は貸家にしている南側の垣根の側にも確か一重のくちなしがあったはずだと思って見に行ったが、”実の一つだになし”だった。
昨年はサフランのめしべがあったので高価ながらそれを当てた。
その頃になるとアチコチのお家のお庭をきょろきょろ見て、二つ三つ頂戴することにしている。 どうせ鳥がついばんでしまうことだし、わざわざお家の方を呼び出して「くちなしの実をください」と言うのもお互い面倒だと思うからだ。 例年無断頂戴しているお宅のくちなしの実が今年は余り色どりがよくない。 先日久が原方面に行く途中小さいながら色のよい実が沢山ついてるのを見つけたが、どこだったか思い出せない。
以前両親が住んでいた隣の今は貸家にしている南側の垣根の側にも確か一重のくちなしがあったはずだと思って見に行ったが、”実の一つだになし”だった。
2009年12月21日月曜日
喪中につき、その2
前につずき・・・ 「喪中につき・・・の葉書は今年も今までに三通届いた。
考えてみれば、私たちも来年には80歳になるのだから、お友だちの御身内から、喪中につき・・・という欠礼のお知らせが届くのは当然の事なのかも知れない、身内のない私の場合はそういう場合どうなるのかしら?
などと考えてみた。
ところで、Sさんの亡くなったお知らせは可也ショッキングだった。 夏過ぎに二度目のお電話をした時は電話には出られない・・・と御子息のお返事だったけれど、そんなに急にお亡くなりになるとは夢にも思えなかった。 ずっと御自宅でご療養だったのだと思う。 みじめなご療養のお姿を、お見舞いという形でお伺いするのもためらわれて、御逝去の後大分日にちも経っているので、静かに御冥福を祈らせていただくことにした。
彼女のお舅さまがお亡くなりになった時も御主人が他界された時も日吉の御自宅にお伺いして、何人かの男衆が紋いりの半被を着て、案内などをしていたのを思い出すが、彼女の場合は、キット静かに御身内で送られたのだろう。
思いだすことはよい事ばかり・・・ゴルフ練習所であちらの御夫妻と私の夫と私とでお会いしたことがあった。 どちらの夫もテレ屋で夫同士は少しも会話がなく、彼女の夫は私のここを終始、結婚前の「園田さん、園田さんと仰って、私は夫に気を使った。 日吉に住んでいらっしたので、第二京浜で車を止めて御挨拶をして下さったこともあったっけ。 み~んな亡くなってしまった。
考えてみれば、私たちも来年には80歳になるのだから、お友だちの御身内から、喪中につき・・・という欠礼のお知らせが届くのは当然の事なのかも知れない、身内のない私の場合はそういう場合どうなるのかしら?
などと考えてみた。
ところで、Sさんの亡くなったお知らせは可也ショッキングだった。 夏過ぎに二度目のお電話をした時は電話には出られない・・・と御子息のお返事だったけれど、そんなに急にお亡くなりになるとは夢にも思えなかった。 ずっと御自宅でご療養だったのだと思う。 みじめなご療養のお姿を、お見舞いという形でお伺いするのもためらわれて、御逝去の後大分日にちも経っているので、静かに御冥福を祈らせていただくことにした。
彼女のお舅さまがお亡くなりになった時も御主人が他界された時も日吉の御自宅にお伺いして、何人かの男衆が紋いりの半被を着て、案内などをしていたのを思い出すが、彼女の場合は、キット静かに御身内で送られたのだろう。
思いだすことはよい事ばかり・・・ゴルフ練習所であちらの御夫妻と私の夫と私とでお会いしたことがあった。 どちらの夫もテレ屋で夫同士は少しも会話がなく、彼女の夫は私のここを終始、結婚前の「園田さん、園田さんと仰って、私は夫に気を使った。 日吉に住んでいらっしたので、第二京浜で車を止めて御挨拶をして下さったこともあったっけ。 み~んな亡くなってしまった。
2009年12月19日土曜日
喪中につき・・・・・
例年年賀状を書くころになると必ず「喪中につき・・・・新年のご挨拶・・・」という葉書が二・三通は届く「もう宛名は書いてしまったわ」と言いながら頂いたはがきの宛名の方をとりだす作業をしていた。
今までは、父が・・・とか母が・・・とかいうお知らせが多かった。
昨年くらいから、父、母だけでなく私の友人、その方御自身の訃報の通知が見られるようになってきた。
今年は青山学院時代の方、その上驚かせられたのは、夏過ぎに電話でお話したSさんの御長男からの喪中のお知らせは、私にとって殊の外の驚きだった。
彼女とは黒田初子先生(私たちの仲人で、お料理の先生)の料理教室でお友だちになり、当時流行だった社交ダンス(戦前爵位のあった方々の)教室でも御一緒で、お互いお家にも行ったり来たりしていて、彼女の結婚式にも(当時は一般には開放していなかった)迎賓館にも出たし、その後御一緒にゴルフの練習をアチコチで先生をお呼びしてレッスンをしていただいたこともあった。
彼女は元侯爵の嵯峨家と御縁があって、御結婚後もお家にも伺ったり、むろん御主人も御一緒にダンスをしたり世間で騒がれたことの内輪話、彼女の御苦労も話して下さっていた。 何年か前、彼女とベルリンからモルダブ河、ドナウ川のクルーズ、ドレスデン、憧れのウイーン、チェコのプラハなどを御一緒に旅した。 それはトテモ楽しい旅だった。
この夏、何か気になってお電話してみたら、肺気腫という病で酸素を引っ張って歩くので中々遠くへは行けないのよと仰って「じやあ、何時ものように田園調布でお会いする?」と言ったまま、姪のお産もあって、何日か過ぎてしまっていた。 明日につずく・・・。
今までは、父が・・・とか母が・・・とかいうお知らせが多かった。
昨年くらいから、父、母だけでなく私の友人、その方御自身の訃報の通知が見られるようになってきた。
今年は青山学院時代の方、その上驚かせられたのは、夏過ぎに電話でお話したSさんの御長男からの喪中のお知らせは、私にとって殊の外の驚きだった。
彼女とは黒田初子先生(私たちの仲人で、お料理の先生)の料理教室でお友だちになり、当時流行だった社交ダンス(戦前爵位のあった方々の)教室でも御一緒で、お互いお家にも行ったり来たりしていて、彼女の結婚式にも(当時は一般には開放していなかった)迎賓館にも出たし、その後御一緒にゴルフの練習をアチコチで先生をお呼びしてレッスンをしていただいたこともあった。
彼女は元侯爵の嵯峨家と御縁があって、御結婚後もお家にも伺ったり、むろん御主人も御一緒にダンスをしたり世間で騒がれたことの内輪話、彼女の御苦労も話して下さっていた。 何年か前、彼女とベルリンからモルダブ河、ドナウ川のクルーズ、ドレスデン、憧れのウイーン、チェコのプラハなどを御一緒に旅した。 それはトテモ楽しい旅だった。
この夏、何か気になってお電話してみたら、肺気腫という病で酸素を引っ張って歩くので中々遠くへは行けないのよと仰って「じやあ、何時ものように田園調布でお会いする?」と言ったまま、姪のお産もあって、何日か過ぎてしまっていた。 明日につずく・・・。
2009年12月18日金曜日
三つの笑顔
今日下の妹の夫が、彼らの四十二回目の結婚記念日に併せて私の快気祝いをしてくれるとやさしい言葉をかけてくれて、二子玉川の高島屋の‘たん熊’に招待してくれた。 上天気で十一階からの眺めもよく、料理も器も洗練されていて楽しい時を過ごした。
その上、私は今日、三人の赤ちゃんからの笑顔をもらった。 一つは行きの池上線のの旗の台駅で降りるとき、乳母車に乗った一歳未満の女の赤ちゃんが私に微笑みかけた。 二つ目は帰り道池上線の旗の台駅のエレベータの中で、これは私があやしたら二度目ににっこり笑ってくれた。 三つ目は池上線に乗って私が降りる一つ手前の久が原駅でママに抱かれた、これもやはり一歳過ぎたブルーの洋服を着た女の子が、あちらから、にっこり私に微笑んで振り返りながら降りて行った。 いずれも、もしかして私が彼女達のおばあちゃまに似ていたのかしら?
無邪気なけがれない赤ちゃんからの笑顔は孫のない私への天使からのクリスマスプレゼントだったかも知れない。 午前10時半ごろ家を出て帰宅したのは夕方6時ごろになって少し疲れた気がしたけれど、それらの笑顔を思い出して、幸せな一日だった。
その上、私は今日、三人の赤ちゃんからの笑顔をもらった。 一つは行きの池上線のの旗の台駅で降りるとき、乳母車に乗った一歳未満の女の赤ちゃんが私に微笑みかけた。 二つ目は帰り道池上線の旗の台駅のエレベータの中で、これは私があやしたら二度目ににっこり笑ってくれた。 三つ目は池上線に乗って私が降りる一つ手前の久が原駅でママに抱かれた、これもやはり一歳過ぎたブルーの洋服を着た女の子が、あちらから、にっこり私に微笑んで振り返りながら降りて行った。 いずれも、もしかして私が彼女達のおばあちゃまに似ていたのかしら?
無邪気なけがれない赤ちゃんからの笑顔は孫のない私への天使からのクリスマスプレゼントだったかも知れない。 午前10時半ごろ家を出て帰宅したのは夕方6時ごろになって少し疲れた気がしたけれど、それらの笑顔を思い出して、幸せな一日だった。
2009年12月14日月曜日
手術後もう一カ月・・・
早いもので、先週の土曜日で手術後一か月が経った。 まだ腹腔のキズは消えないが、違和感は感じなくなった。
腹腔手術とは有り難いものだ。 体重が増えないよう気にしているつもりだけれど、何でも頂けるようになったので(自分で勝手に決めているのだけれど)朝夕体重計に乗って気をつけている。
昨日、私の入院中風邪を引いていて、来れなかった下の妹の長男一家がお見舞いに来てくれた。 何しろ、十月に一歳になったばかりの萌彩ちゃんの可愛いこと! 部屋に入って来て、私の顔をしばらくじ~っと見つめたあと、安心したように部屋中歩き回ってガス・ストーブが気に入って、ボタンを押しに来た。 この夏会った時は、まだはいはいしていて相手の言語も少ししか理解出来なかったのに、もうほとんどのことが分かって反応するので、こちらが遊んでもらっているよう。
英里ちゃん里彩ちゃん達と同じようにお隣のお庭のクリスマスのための電飾のキラキラ輝いているのが気に入っているようで、何度も玄関先を眺めていた。 妹の孫達が育っていくということは私も文字通り日に日に年をとって来ているし、日に日に衰え来世に向かっているわけで、’輪廻転生’とは・・・・?
年を得てからの入院、手術はケッコウ堪えている。
腹腔手術とは有り難いものだ。 体重が増えないよう気にしているつもりだけれど、何でも頂けるようになったので(自分で勝手に決めているのだけれど)朝夕体重計に乗って気をつけている。
昨日、私の入院中風邪を引いていて、来れなかった下の妹の長男一家がお見舞いに来てくれた。 何しろ、十月に一歳になったばかりの萌彩ちゃんの可愛いこと! 部屋に入って来て、私の顔をしばらくじ~っと見つめたあと、安心したように部屋中歩き回ってガス・ストーブが気に入って、ボタンを押しに来た。 この夏会った時は、まだはいはいしていて相手の言語も少ししか理解出来なかったのに、もうほとんどのことが分かって反応するので、こちらが遊んでもらっているよう。
英里ちゃん里彩ちゃん達と同じようにお隣のお庭のクリスマスのための電飾のキラキラ輝いているのが気に入っているようで、何度も玄関先を眺めていた。 妹の孫達が育っていくということは私も文字通り日に日に年をとって来ているし、日に日に衰え来世に向かっているわけで、’輪廻転生’とは・・・・?
年を得てからの入院、手術はケッコウ堪えている。
2009年12月12日土曜日
久しぶり…・過ぎる・・・?
先日午後4時半ごろ中年の女性から電話があった。 相手は懐かしそうに私の問いかけに応じて「やっぱり以前の通りのお声だ! 懐かしい~」と感激の様子。 最初に名乗ったのがよくわからなかったので、しばらく応対していた。 それにしてもうちの様子を余りにもよく知っていて「奥様は亡くなられたんですね~?」とか「とわ子お嬢様のお弁当を作れなくて、ご飯と余ったおかずを詰めてあげたら、それでいいわよ」と仰ってホッとしたとか、中のお嬢様は京都の御立派なお家にお嫁にいらっして、結婚のご衣裳が大変でしたよね~」とか言う。 そのうち「Hちゃんと先日会った・・・」という名前が出たので、ようやく40年くらい前私の家でお手伝いさんをしてくれていたAちゃんだと思い至った。
そして「私はとうとう子供が出来なくって・・・」と言ったら「奥様は流産なさったんですよね?」と言う。私自身でさえ自覚していなかったのに「確かに覚えています」と言い切る。 私はその時旦那様に「この薬とこの薬を買ってこい」と言われて買いに行ったのですから、よく覚えています、という。
数えてみたら40年ぶりになるかしら? 同じ頃両親の家でお手伝さんだったHちゃんは下の妹宅に手伝いに来たりして、交流があったけれどAちゃんとHちゃんはお互い時々連絡を取っていたらしかったが、聞くところによると、Aちゃんは夫も亡くなり、孫も亡くなったりで、これまであまり幸せではなかったので連絡も取りにくかったのだろう。 一時間以上も昔話で盛り上がり、近いうちに逢いましょうと電話を切った。
そして「私はとうとう子供が出来なくって・・・」と言ったら「奥様は流産なさったんですよね?」と言う。私自身でさえ自覚していなかったのに「確かに覚えています」と言い切る。 私はその時旦那様に「この薬とこの薬を買ってこい」と言われて買いに行ったのですから、よく覚えています、という。
数えてみたら40年ぶりになるかしら? 同じ頃両親の家でお手伝さんだったHちゃんは下の妹宅に手伝いに来たりして、交流があったけれどAちゃんとHちゃんはお互い時々連絡を取っていたらしかったが、聞くところによると、Aちゃんは夫も亡くなり、孫も亡くなったりで、これまであまり幸せではなかったので連絡も取りにくかったのだろう。 一時間以上も昔話で盛り上がり、近いうちに逢いましょうと電話を切った。
2009年12月8日火曜日
十に月八日
昨夜、眠れないままに、NHKの番組で十二月八日が第二次世界大戦の開戦日で日本が、真珠湾攻撃をした日だったことを伝えていた。
日本が真珠湾攻撃をしたのは1941年の12月8日で、私は1930年生まれだから当時11歳だったわけだ。 今でも鮮明に記憶しているのは、その日の朝刊に潜航艇で米国のハワイ沖に停泊していた航空母艦を撃沈したという記事と軍神とされた9人の海軍士官の写真だった。 どの方も私にはハンサムな青年に見えた。
一人一人が潜航艇に乗って・・というよりは余り余裕のない潜航艇にもぐって敵艦に突っ込んだ。 その後
大本営発表で「日本帝国は米国と戦争状態に入れり・・・」と宣戦布告をした。
その時以来、私は海軍士官に憧れた。 海軍士官は海軍兵学校を出て、海軍士官となり、眼鏡をかけている人は一人もいなかった。 近視の人は兵学校には入学出来なかったから・・・。 「私、絶対海軍さんと結婚するわ!」私はその頃本気でそう思っていた。 帽子をかぶり短剣をつけ敬礼も、軍艦、潜水艦の中は狭いので、腕の角度がシャープで格好よかった。
子供だったのよね~、戦死する(お国のために・・・)なんてことは考えなかったのだから・・・~。
何年か前ハワイを訪れた時、当時の潜航艇がハワイ沖に展示してあり、潜航艇が突っ込んだ時の写真があるということだったが、私はそれを見る気持ちになれず、一人観光バスの中にとどまって他の方々が戻って来られるのを待った。
当時軍神として讃えられ新聞の一面に写真が載った海軍将校達の年齢は23,4歳だった。
日本が真珠湾攻撃をしたのは1941年の12月8日で、私は1930年生まれだから当時11歳だったわけだ。 今でも鮮明に記憶しているのは、その日の朝刊に潜航艇で米国のハワイ沖に停泊していた航空母艦を撃沈したという記事と軍神とされた9人の海軍士官の写真だった。 どの方も私にはハンサムな青年に見えた。
一人一人が潜航艇に乗って・・というよりは余り余裕のない潜航艇にもぐって敵艦に突っ込んだ。 その後
大本営発表で「日本帝国は米国と戦争状態に入れり・・・」と宣戦布告をした。
その時以来、私は海軍士官に憧れた。 海軍士官は海軍兵学校を出て、海軍士官となり、眼鏡をかけている人は一人もいなかった。 近視の人は兵学校には入学出来なかったから・・・。 「私、絶対海軍さんと結婚するわ!」私はその頃本気でそう思っていた。 帽子をかぶり短剣をつけ敬礼も、軍艦、潜水艦の中は狭いので、腕の角度がシャープで格好よかった。
子供だったのよね~、戦死する(お国のために・・・)なんてことは考えなかったのだから・・・~。
何年か前ハワイを訪れた時、当時の潜航艇がハワイ沖に展示してあり、潜航艇が突っ込んだ時の写真があるということだったが、私はそれを見る気持ちになれず、一人観光バスの中にとどまって他の方々が戻って来られるのを待った。
当時軍神として讃えられ新聞の一面に写真が載った海軍将校達の年齢は23,4歳だった。
2009年11月30日月曜日
退院して初めて買い物に行きました
ご近所のお友だちが、買い物に付き合って下さると仰って下さったので、恐る恐る何時ものカートを引いて近くのスーパー・マーケットに出かけた。 通いなれた道だったので、お友だちにご迷惑かけることなく、思いっきり買い物が出来た。 お友だちはご自分の買い物は大してないのに、つかず離れず見守っていて下さった。
午後三時にもう一人コンピューターに詳しいお友だちが私の年賀状の印刷を助けて下さるために来てくださる。 私達が家に着いて少し経ったところで、ピンポンが鳴った。 少し早い?と思ったら「Kです! お留守でなくてよかった」とホントに久しぶりの外科医の奥様の声。
家の前に白い外車が止まっていた。 「今日、’矢口の渡し’の駅近くに病院を開業したんだけれど、お花が沢山届いて困っているので、もらって下さらない?」と言うや否や、大きな花かご三つをこちらの返事も待たず、どんどん家の玄関に持ち込んで又後で胡蝶蘭が玄関先に置いてあったら、私ですから・・・」と有無を言わせず高価そうな華やかな籠を置いて行かれた。 丁度、私を援けて下さったお友だちがお二人いらっしたので、お二人にお持ち帰り頂こうと咄嗟に思った。 お目出度いお花なのだから・・・・。 そして、玄関先で少しお話して「私、事務長なんだけど、やれるかしら? これから少し楽しく遊ぼうと思っていたのに・・」私が入院したことを言うと「そういえば、ふさ子さん、少しやせられたわね?」と言って風のごとく走り去った。
それから、しばらくお友だちにコンピュータの操作をしていただき、ホント目まぐるしかったけれど、疲れも無くやさしいお友だちに囲まれて私は幸せだと心から思った。
午後三時にもう一人コンピューターに詳しいお友だちが私の年賀状の印刷を助けて下さるために来てくださる。 私達が家に着いて少し経ったところで、ピンポンが鳴った。 少し早い?と思ったら「Kです! お留守でなくてよかった」とホントに久しぶりの外科医の奥様の声。
家の前に白い外車が止まっていた。 「今日、’矢口の渡し’の駅近くに病院を開業したんだけれど、お花が沢山届いて困っているので、もらって下さらない?」と言うや否や、大きな花かご三つをこちらの返事も待たず、どんどん家の玄関に持ち込んで又後で胡蝶蘭が玄関先に置いてあったら、私ですから・・・」と有無を言わせず高価そうな華やかな籠を置いて行かれた。 丁度、私を援けて下さったお友だちがお二人いらっしたので、お二人にお持ち帰り頂こうと咄嗟に思った。 お目出度いお花なのだから・・・・。 そして、玄関先で少しお話して「私、事務長なんだけど、やれるかしら? これから少し楽しく遊ぼうと思っていたのに・・」私が入院したことを言うと「そういえば、ふさ子さん、少しやせられたわね?」と言って風のごとく走り去った。
それから、しばらくお友だちにコンピュータの操作をしていただき、ホント目まぐるしかったけれど、疲れも無くやさしいお友だちに囲まれて私は幸せだと心から思った。
2009年11月28日土曜日
お見舞い有難うございました!
手術に立ち会ってくれた二人の妹達に先ず感謝。 毎日のように私の様子を見に来て下さったお友だちにも有難うを・・・。 二人の甥家族にもそして大雨の中、「雨だから他にお見舞いに来る方が無いだろう・・」と、来て下さったジムのお友だち。 幸せなことに、お見舞いに来て下さった方々がダブらなかった。
手術が終わって痛みも無くなったころ、思いもかけなかったジムのお友だちがお一人ずつ来てくださった。
おかげさまで同じ階の病室の中で私が一番お見舞客が多い、と看護婦さん達が言っていた。 退院前日まで次々と友だちが来て下さったのでおかげさまで退屈することなく過ごすことが出来た。 ホントに感謝・感謝だ。 退院してからも、買い物をして下さったり、一人暮らしの私を元気ずけにきてくださったり
たった今もメールで「明日何か御用がありますか?」と問い合わせてくださった。
手術から二週間すぎ退院したころにはお腹のキズもすっかり癒えて、ぐにゃぐにゃだったおへそのあたりの肉も盛り上がって来て、むろん痛みもほとんどなく、近代医学の進歩に先ず驚異を感じている。 何しろ手術後特別な痛みを感じたことは一度もなかった。 お腹に三か所キズが残っていただけだった。10日から19日まで口から水さえも飲むことが出来なかったので、キッチリ5キロ体重が減った。 退院してからも摂食して体重を増やさないようにしようと決心しているのだが、果たして守れるかどうか?
今日の午後思いがけず近所のブティクから華やかな花かごが届いた。 さすが、私の好みの色のピンクと白のバラを取り混ぜたもので、最初に頂いたお花がそろそろ枯れかかったころだったので、家の中が明るくなった。
手術が終わって痛みも無くなったころ、思いもかけなかったジムのお友だちがお一人ずつ来てくださった。
おかげさまで同じ階の病室の中で私が一番お見舞客が多い、と看護婦さん達が言っていた。 退院前日まで次々と友だちが来て下さったのでおかげさまで退屈することなく過ごすことが出来た。 ホントに感謝・感謝だ。 退院してからも、買い物をして下さったり、一人暮らしの私を元気ずけにきてくださったり
たった今もメールで「明日何か御用がありますか?」と問い合わせてくださった。
手術から二週間すぎ退院したころにはお腹のキズもすっかり癒えて、ぐにゃぐにゃだったおへそのあたりの肉も盛り上がって来て、むろん痛みもほとんどなく、近代医学の進歩に先ず驚異を感じている。 何しろ手術後特別な痛みを感じたことは一度もなかった。 お腹に三か所キズが残っていただけだった。10日から19日まで口から水さえも飲むことが出来なかったので、キッチリ5キロ体重が減った。 退院してからも摂食して体重を増やさないようにしようと決心しているのだが、果たして守れるかどうか?
今日の午後思いがけず近所のブティクから華やかな花かごが届いた。 さすが、私の好みの色のピンクと白のバラを取り混ぜたもので、最初に頂いたお花がそろそろ枯れかかったころだったので、家の中が明るくなった。
2009年11月27日金曜日
看護師さんと看護婦さん
入院した病院には看護婦さんのほかに3,4人の看護師さんが働いていた。 当初白衣を着た看護師さんをお医者様と間違えて、”先生”と話しかけたら「わたしは看護師です・・・と少し表情を固くした看護師さんがいた。 私は直ぐ、多分医師の方が格が上だとおもっているのだと、今後その白衣の違いに注意することにした。
看護士・看護婦学校から研修に来ている看護士の卵が何日間か、私に密着して介護することになり、私も出来るだけ協力しようと思った。 朝9時から夕方4時までの間、何をするにも付き添ってくれて、たとえばトイレ、シャワーを使う時も衣類を持って入口付近で待っているし、食事も運んで来てくれる。 不器用な手つきで血圧を計ってくれたり、聞けば手術の時も私の許可を得て立ち会ったという。 面会の方がいらっした時だけはお互い自由だったが、動けるようになってきたら可也うざったくなってきた。
彼が言うには看護婦さんにはトテモ敵いません、女の方が感もよくきびきび動くし判断力も優れています、という。 それは人によるのではないか、とわたしは思う。 現に看護士のトップらしい、男性は私が転んだ時飛んできて直ぐに血圧を計ってくれたし、私の前のベッドの方が移る時所謂 ’お姫様抱っこ’してベッドから車椅子に移していたのを見た。 その看護士さんは他の看護婦さん達からも尊敬されているように見えた。
看護、介護という仕事も男性にも開かれた新しい分野ではないかと思った。
看護士・看護婦学校から研修に来ている看護士の卵が何日間か、私に密着して介護することになり、私も出来るだけ協力しようと思った。 朝9時から夕方4時までの間、何をするにも付き添ってくれて、たとえばトイレ、シャワーを使う時も衣類を持って入口付近で待っているし、食事も運んで来てくれる。 不器用な手つきで血圧を計ってくれたり、聞けば手術の時も私の許可を得て立ち会ったという。 面会の方がいらっした時だけはお互い自由だったが、動けるようになってきたら可也うざったくなってきた。
彼が言うには看護婦さんにはトテモ敵いません、女の方が感もよくきびきび動くし判断力も優れています、という。 それは人によるのではないか、とわたしは思う。 現に看護士のトップらしい、男性は私が転んだ時飛んできて直ぐに血圧を計ってくれたし、私の前のベッドの方が移る時所謂 ’お姫様抱っこ’してベッドから車椅子に移していたのを見た。 その看護士さんは他の看護婦さん達からも尊敬されているように見えた。
看護、介護という仕事も男性にも開かれた新しい分野ではないかと思った。
2009年11月26日木曜日
腸の手術と食事
私は無類の食いしん坊ということは何方も御存じのこと。 手術前から一週間絶食、ということが果たして我慢できるものかどうか? と心配していた。 ところが結果として入院した10日の昼にジュースとスープ
をいただいた後は、点滴だけで、水さえ飲ませてもらえなかった。 唇が乾いて三度も皮がむけた。 手術後ぴったり一週間経った19日に初めて重湯が出た。 その重湯はまるで’舌切雀’の舐めた糊のようで、食べるというより、舐めるようで、半分も食べられなかった。 おまけに、私の残した重湯?が床にこぼれていたのを気ずかず、慌ててトイレに立った私が滑って床に倒れた。
拭き取ろうとしていた看護婦さん達は大慌てで「起きられますか?」と言う。 起きられるけど、それより点滴の器具を起こしてよ! 手術後初めてのトイレで私も可也慌てていた。 ベッドに戻ったら、 看護師(男性)がすっ飛んで来て、まず血圧を計った。 「安静にしていてください。 どこか痛い ところはないですか?」と問う。 「そちらの所為ですからね!」私は少し強く言った。 そのあと外科の医者が手術衣のまま駆けつけた。 次々と看護婦さん達が謝りに来た。 「わかってればいいのよ」声には出さなかったが、大した痛みもなかったので・・・。 日本人ではない?少し生意気な看護婦が「私がこぼしたので、何かあったら言ってください」と謝るともわびるともない事を云う。
10日ぶりで出た食事とも言えない重湯を私は憎んだ。 夕食は?重湯だったら、許さないわよ! 夕食は三分がゆだった。
この病院の食事が可也凝っていて、単純な煮魚などではなく、かぶら蒸し、とかあんかけにしてあったし、同じメニューはなく、必ず三種類の副菜が出た。鳥のひき肉豆腐を和えたものサツマイモも細かく切って甘く煮つけてあったりじゃがいもはサラダにしてマヨネーズが添えてあったりした。
をいただいた後は、点滴だけで、水さえ飲ませてもらえなかった。 唇が乾いて三度も皮がむけた。 手術後ぴったり一週間経った19日に初めて重湯が出た。 その重湯はまるで’舌切雀’の舐めた糊のようで、食べるというより、舐めるようで、半分も食べられなかった。 おまけに、私の残した重湯?が床にこぼれていたのを気ずかず、慌ててトイレに立った私が滑って床に倒れた。
拭き取ろうとしていた看護婦さん達は大慌てで「起きられますか?」と言う。 起きられるけど、それより点滴の器具を起こしてよ! 手術後初めてのトイレで私も可也慌てていた。 ベッドに戻ったら、 看護師(男性)がすっ飛んで来て、まず血圧を計った。 「安静にしていてください。 どこか痛い ところはないですか?」と問う。 「そちらの所為ですからね!」私は少し強く言った。 そのあと外科の医者が手術衣のまま駆けつけた。 次々と看護婦さん達が謝りに来た。 「わかってればいいのよ」声には出さなかったが、大した痛みもなかったので・・・。 日本人ではない?少し生意気な看護婦が「私がこぼしたので、何かあったら言ってください」と謝るともわびるともない事を云う。
10日ぶりで出た食事とも言えない重湯を私は憎んだ。 夕食は?重湯だったら、許さないわよ! 夕食は三分がゆだった。
この病院の食事が可也凝っていて、単純な煮魚などではなく、かぶら蒸し、とかあんかけにしてあったし、同じメニューはなく、必ず三種類の副菜が出た。鳥のひき肉豆腐を和えたものサツマイモも細かく切って甘く煮つけてあったりじゃがいもはサラダにしてマヨネーズが添えてあったりした。
2009年11月25日水曜日
昨日無事退院いたしました
11月10日に入院、12日に予定どうり手術。(後で伺うと3時間余りだった由)出てきてもお腹に何の痛みもなく、同時にとった胆嚢の石を見て「それ、後で下さい」と言って、しみじみと眺めた。 皆が良く痛くなかったわね~、と驚いていた。 二人の妹達が立ち会ってくれたので、大変心強く感じた。
もう少し術後痛むかと思っていたが痛み止めが効いていて左程感じなく、医学の進歩に妙に感心した。 自分では可也しっかりして対応した積りだったが、後で妹に訊いたら、麻酔が覚めず、可也おかしかったところもあったらしかった。
池上総合病院には一人部屋が少なく、四人部屋に強制的に入れられた。 乳がんで入院されていた二人が退院された後、少し精神的に不安定な方方お二人の中で、滅入りそうな感じだったが、妹やジムの友人、近所のお友だちが示し合わせたように時間や日にちを違えてお見舞いに来て下さり、有り難いことだった。
手術の翌日からはトイレにも歩いて行かされその後も、談話室?で妹の次男一家、英里ちゃんたちとも会うことが出来た。 あ茶目な里彩ちゃんが「大伯母ちゃまはキット甘いものを食べ過ぎたから、お腹切しことになったのよ」と本気ともふざけたとも思える事を言って皆を笑わせていた。 彼女も、おねえちゃまと同じ幼稚園に?入れてホントによかった! 英里ちゃんは自分で作った’物語’を書いて、私をなぐさめようとしてくれた。 (続きは又明日)
もう少し術後痛むかと思っていたが痛み止めが効いていて左程感じなく、医学の進歩に妙に感心した。 自分では可也しっかりして対応した積りだったが、後で妹に訊いたら、麻酔が覚めず、可也おかしかったところもあったらしかった。
池上総合病院には一人部屋が少なく、四人部屋に強制的に入れられた。 乳がんで入院されていた二人が退院された後、少し精神的に不安定な方方お二人の中で、滅入りそうな感じだったが、妹やジムの友人、近所のお友だちが示し合わせたように時間や日にちを違えてお見舞いに来て下さり、有り難いことだった。
手術の翌日からはトイレにも歩いて行かされその後も、談話室?で妹の次男一家、英里ちゃんたちとも会うことが出来た。 あ茶目な里彩ちゃんが「大伯母ちゃまはキット甘いものを食べ過ぎたから、お腹切しことになったのよ」と本気ともふざけたとも思える事を言って皆を笑わせていた。 彼女も、おねえちゃまと同じ幼稚園に?入れてホントによかった! 英里ちゃんは自分で作った’物語’を書いて、私をなぐさめようとしてくれた。 (続きは又明日)
2009年11月9日月曜日
いよいよ明日は入院
いよいよ、明日午前10時~10時半に入院野手続きをする。 一人で入院の支度をするのは、やっぱり不安なところもある。 パジャマやタオル類は貸出ができるということなので、洗濯は免れた。 夫とか母の入院の際は病院内での洗濯も出来たけれど、一人暮らしの私にしてみれば、貸出を利用することは大助かりという次第。
日にちが近ずいてきたら、だんだん落ち着いてきた。 というか‘まな板の鯉‘という感じ。 今日は美容院に行って、さっぱり、きれい、きれいになった。 もっていくものを確かめながら、ちょっとした旅行に行く感じかな?
横行結腸の腫瘍の検査を毎年しなくて済むこと、又このままで何年か経って悪性に変わって、更に年を重ねての手術の危険度を考えて、内科の医師はもう少し様子を見ても・・・と言われた。 これも、ここ4年間毎年言われてきたこと。
下の妹が明日の午後様子を見に来てくれると先ほど電話があったので、心強い,ありがたいこと、一人暮らしで子がないので、何でも一人で・・・・と突っ張ってみても、所詮詮無いこと。
周りの皆さまもどうぞよろしくお願いします。
日にちが近ずいてきたら、だんだん落ち着いてきた。 というか‘まな板の鯉‘という感じ。 今日は美容院に行って、さっぱり、きれい、きれいになった。 もっていくものを確かめながら、ちょっとした旅行に行く感じかな?
横行結腸の腫瘍の検査を毎年しなくて済むこと、又このままで何年か経って悪性に変わって、更に年を重ねての手術の危険度を考えて、内科の医師はもう少し様子を見ても・・・と言われた。 これも、ここ4年間毎年言われてきたこと。
下の妹が明日の午後様子を見に来てくれると先ほど電話があったので、心強い,ありがたいこと、一人暮らしで子がないので、何でも一人で・・・・と突っ張ってみても、所詮詮無いこと。
周りの皆さまもどうぞよろしくお願いします。
2009年11月5日木曜日
夕食前に・・・・
最近、夕食前に一時間くらいの間、ピアノを弾くことにしている。 むろん来客があったり、出かけていて不可能な日もある。
午後4時から6時くらいの間は家の前の道路も人通りがほとんどないので、私には好都合。 というのは、この辺りにはピアノの上手な方が多く、私のピアノは道路から丸見えなので、見られたくない、聞かせたくない?ので、早めに雨戸を閉めて弾くことにしている。
最近はショパンのワルツ、ノックターン、マズルカの中からその日の気分に合わせて弾く。 それに’花の唄、エリーゼのためになどの軽い曲。 メンデルスゾーンの結婚行進曲が今凝っているナンバーかしら?
以前ブログで告白したように、夕食にご飯類を頂かないようにしていて、意志の強くない私はつい間食に手を出しそうになるので、それを抑えるのが一つの目的。 日を重ねるごとに、指もだんだんなめらかに動くようになって、結婚前に、このくらい熱心に練習していればもう少しはマシだったかな~などと少し後悔している今日この頃。
午後4時から6時くらいの間は家の前の道路も人通りがほとんどないので、私には好都合。 というのは、この辺りにはピアノの上手な方が多く、私のピアノは道路から丸見えなので、見られたくない、聞かせたくない?ので、早めに雨戸を閉めて弾くことにしている。
最近はショパンのワルツ、ノックターン、マズルカの中からその日の気分に合わせて弾く。 それに’花の唄、エリーゼのためになどの軽い曲。 メンデルスゾーンの結婚行進曲が今凝っているナンバーかしら?
以前ブログで告白したように、夕食にご飯類を頂かないようにしていて、意志の強くない私はつい間食に手を出しそうになるので、それを抑えるのが一つの目的。 日を重ねるごとに、指もだんだんなめらかに動くようになって、結婚前に、このくらい熱心に練習していればもう少しはマシだったかな~などと少し後悔している今日この頃。
2009年11月4日水曜日
考えるのよしたら・・・というのは無理!
先週末、英里ちゃん、里彩ちゃんそしてそのパパからお見舞いの電話があった。 英里ちゃんには、手術のこと詳しく話したけれど、理解できたかなあ~? そのあとパパが出て、大げさな手術ではないことを話 した。
言葉は少ないけれど、心配している様子が伝わってきた。 お友だちからは色々お尋ねがあったけれど、二人の妹達だけしか、様子をうかがう電話もなかったので、少し失望していた。
その翌日、下の妹の長男から電話があった。 「事実を知るのが怖かったのかしら?」と妹に言ってみた。
私が一人でペラペラ説明した。 色々忠告したかっただろうけれど・・・。
私は5年くらい前から横行結腸に腫瘍があって、それは悪性ではなく、毎年大腸の検査をするのも大変辛いことで、昨年も「手術するようにしてください」と言ったけれど、又一年経ってしまい、毎年、年はとり、当然体力も落ちるわけだから・・・と思い。 所謂”年貢の納め時”と思っていた。 その上今年は少し大きくなっていて、もしそのままにして、癌になったら・・・。 現に母は横行結腸癌だったわけで、私が母の隣に住まっていて、しかも夫は他界していたので、とりあえず看病することが出来たのだけれど・・・・などと思う。
一旦決心したものの、色々最悪のことも考えたり、まあ、盲腸の手術のようなものだから・・・と思うようにしたり、夜ベッドに入っても中々寝付けず安定剤を飲む事も多くなった。 80歳になろうとしているので、当然理解力も劣り、物忘れも多くなっている。 今日も保険会社の人に来てもらって、手続きの説明を受けた。 長く支払っても・・・・? それでも、援けにはなるかな?
とりあえず、周りの皆さま、よろしくお願いします!!
言葉は少ないけれど、心配している様子が伝わってきた。 お友だちからは色々お尋ねがあったけれど、二人の妹達だけしか、様子をうかがう電話もなかったので、少し失望していた。
その翌日、下の妹の長男から電話があった。 「事実を知るのが怖かったのかしら?」と妹に言ってみた。
私が一人でペラペラ説明した。 色々忠告したかっただろうけれど・・・。
私は5年くらい前から横行結腸に腫瘍があって、それは悪性ではなく、毎年大腸の検査をするのも大変辛いことで、昨年も「手術するようにしてください」と言ったけれど、又一年経ってしまい、毎年、年はとり、当然体力も落ちるわけだから・・・と思い。 所謂”年貢の納め時”と思っていた。 その上今年は少し大きくなっていて、もしそのままにして、癌になったら・・・。 現に母は横行結腸癌だったわけで、私が母の隣に住まっていて、しかも夫は他界していたので、とりあえず看病することが出来たのだけれど・・・・などと思う。
一旦決心したものの、色々最悪のことも考えたり、まあ、盲腸の手術のようなものだから・・・と思うようにしたり、夜ベッドに入っても中々寝付けず安定剤を飲む事も多くなった。 80歳になろうとしているので、当然理解力も劣り、物忘れも多くなっている。 今日も保険会社の人に来てもらって、手続きの説明を受けた。 長く支払っても・・・・? それでも、援けにはなるかな?
とりあえず、周りの皆さま、よろしくお願いします!!
2009年10月31日土曜日
ありがたいこと・・・・
今週の木曜日は横浜に行き、金曜日はインフルエンザの注射をしたので、運動は控えてくださいとお医者様のご注意があったので、ジムを休んだ。
今日は楽しみにしている健美操の日なので、勇んで?出席した。
ジムの中で私のブログを読んで下さる方が三人いらっして、その中のお一人が私のブログを見て心配して仲良しのお友だちに「伊藤さん、少しおやせになったのじゃない?」とたずねてくださったとか。 ご本人?としては痩せた、ということに喜んで敏感に反応する事を、そのお友だちは伝えてくださったかしら?
もうひとり、ブログを読んでくださっているお友だちは今日のクラスで、何時も私の前の席でパフォーマンスをなさる方が、帰りがけのロッカーで高価なお昆布の包みをそっと下さった。 「神宗」と記してあるので、
たしか、ご利益があるのではないかしら? 大事に味あわせていただきます。
以前、私のブログを見て直ぐに電話をした下さった方、何時でも自転車でかけつけて私の話を聞いて下さる方。 先日のヨガの後、病院近いから、何度でもお見舞いに行きますからね、とやさしい言葉を掛けてくださった方。 そんな方々に囲まれて私はホントに有り難く幸せに思う。
今日は楽しみにしている健美操の日なので、勇んで?出席した。
ジムの中で私のブログを読んで下さる方が三人いらっして、その中のお一人が私のブログを見て心配して仲良しのお友だちに「伊藤さん、少しおやせになったのじゃない?」とたずねてくださったとか。 ご本人?としては痩せた、ということに喜んで敏感に反応する事を、そのお友だちは伝えてくださったかしら?
もうひとり、ブログを読んでくださっているお友だちは今日のクラスで、何時も私の前の席でパフォーマンスをなさる方が、帰りがけのロッカーで高価なお昆布の包みをそっと下さった。 「神宗」と記してあるので、
たしか、ご利益があるのではないかしら? 大事に味あわせていただきます。
以前、私のブログを見て直ぐに電話をした下さった方、何時でも自転車でかけつけて私の話を聞いて下さる方。 先日のヨガの後、病院近いから、何度でもお見舞いに行きますからね、とやさしい言葉を掛けてくださった方。 そんな方々に囲まれて私はホントに有り難く幸せに思う。
2009年10月29日木曜日
秋の中華街元町散歩
例年、今頃は秩父、千葉県辺りに出かけることにしているのだけれど、今年は私の入院もあり、何時も一緒に散歩するお友だちのご主人が前日真夜中に酔っぱらって帰宅、お風呂場で倒れて救急車で大森の女子医大に運ばれて、異常はなかったものの、まるで眠れなくて疲れ果てたとのことで、近場の中華街に行こうということにした。
私宅から横浜は地の利がよい。 田園調布までバスで行き、そこから中華街までまっすぐ。 終点で降り、出口が元町に近かったけれど、二人ともお腹が空いていたので中華街まで行き、以前行ったことのある‘ヘイチンロー’で飲茶を彼女にご馳走になった。 この店は雰囲気もいいし、味もいい店なのだけれど、最後の麺は二人とも無理やり・・・という感じ。
そのあと元町に戻り名の知れた店をアチコチ冷やかし、彼女は輸入品の店でトレンドン?の素敵なカップとレターセットを求め、大満足のようだった。 次にはABCで私もスポーツ・シューズを買った。 かなり良い買い物だったと思う。 彼女が言っていたのは・・・元町の店の定員さん達の感じのよさ、どこの店でもにこやかに嫌な顔を見せずに品物を出してくれる・・・と、以前名古屋の三越で外商をしていた彼女が言うのだから・・・そうなんだ!と・・・。 私は今日はお伴です。 でも、雨にも会わず楽しいそぞろ歩きだった。
私宅から横浜は地の利がよい。 田園調布までバスで行き、そこから中華街までまっすぐ。 終点で降り、出口が元町に近かったけれど、二人ともお腹が空いていたので中華街まで行き、以前行ったことのある‘ヘイチンロー’で飲茶を彼女にご馳走になった。 この店は雰囲気もいいし、味もいい店なのだけれど、最後の麺は二人とも無理やり・・・という感じ。
そのあと元町に戻り名の知れた店をアチコチ冷やかし、彼女は輸入品の店でトレンドン?の素敵なカップとレターセットを求め、大満足のようだった。 次にはABCで私もスポーツ・シューズを買った。 かなり良い買い物だったと思う。 彼女が言っていたのは・・・元町の店の定員さん達の感じのよさ、どこの店でもにこやかに嫌な顔を見せずに品物を出してくれる・・・と、以前名古屋の三越で外商をしていた彼女が言うのだから・・・そうなんだ!と・・・。 私は今日はお伴です。 でも、雨にも会わず楽しいそぞろ歩きだった。
2009年10月26日月曜日
色々考えて・・・だけど・・・・
昨夕ジムの若いお友だちから電話があった。 ブログ見ました・・・と仰って、彼女のお友だちが同じ病院で乳がんの手術をなさったとかで、色々様子を話して下さった。 そのうちもっと詳しい事を伺ってみようと思っている。 周りのお友だちのご親切な思いやりには感謝、感謝。 ふと、立ち寄ってくださったUさんは
言葉の掛けようもない困った様子だった。
私は隠しておくことが好きではないのと、身内?というものが無いので、つい話してしまう。 色々お知恵をいただくこともある。 一人っきりということは、こんな場合ある意味とてつもなく淋しくなる瞬間がある。
土曜日に外科のお医者様が書いてくださった(字とは言えないほど読みにくい図入りの紙を見たら、(インフォームド・コンセント?) 手術時間は2時間半、心配することの中に年齢的なことで脳血栓を起こすこともある・・・と書いてあった。
20年前の子宮筋腫の手術と同じ条件ではないということを悟らざるを得ない。 その瞬間まで、色々準備しなければならないことで頭がいっぱいだったけれど、一応頭の整理がついたところで、少し涙が滲んできた。 すべて、自分でかたずけなければならない・・・という張り詰めた糸が一瞬切れかかった。 に
言葉の掛けようもない困った様子だった。
私は隠しておくことが好きではないのと、身内?というものが無いので、つい話してしまう。 色々お知恵をいただくこともある。 一人っきりということは、こんな場合ある意味とてつもなく淋しくなる瞬間がある。
土曜日に外科のお医者様が書いてくださった(字とは言えないほど読みにくい図入りの紙を見たら、(インフォームド・コンセント?) 手術時間は2時間半、心配することの中に年齢的なことで脳血栓を起こすこともある・・・と書いてあった。
20年前の子宮筋腫の手術と同じ条件ではないということを悟らざるを得ない。 その瞬間まで、色々準備しなければならないことで頭がいっぱいだったけれど、一応頭の整理がついたところで、少し涙が滲んできた。 すべて、自分でかたずけなければならない・・・という張り詰めた糸が一瞬切れかかった。 に
2009年10月24日土曜日
いよいよ入院・手術となりました
今日午後12時半に外科に来るように言われて、待つこと3時間!
私が呼ばれたのは最後だった。 待ちくたびれて少々自棄気味になって腰が痛くなったので、目立たぬように屈伸運動をしたり、足の運動をしたりして、ついに受付に「伊藤ですが、私入ってますよね?」と言ったら「次です」と遂に最後。 それなのに前の方の長いこと、長いこと20分以上も先生の話声だけが聞こえた。
私は前もって用意しておいた三年まえからの腸内の写真を出した。 先生はそれをちらっとご覧になっただけで、パソコンの私の大腸の写真を指しながら、また紙に図を書きながら私の腫瘍が2センチ大になっていることを示された。 その腫瘍は悪性でないことも付け加えられた。 先生が話していらっしゃる間、口をはさむことはできない。 どんどん手術の方へ向いて行く。やうやく「昨年までは1cmだったものがどうして大きくなったのですか?と この腫瘍は遺伝的なもので、ストレスによって大きくなるので、まれに悪性化することもあります。 その悪性という部分には可也神経を使って話された。 まさに母が横行結腸がんだったし私の腫瘍も横行結腸にある。 ここまで話が進んでいくと「手術をしません」とは言えない。 自分の腸を大写しにされ腫瘍の場所は色がかわっている。 科学も進歩したものだ!と遂には感心してきた。
もう午後4時過ぎて、院内は静かに人影も少ない。 予備検査がおわっての看護師さんの話しによると、手術後、集中治療室に二日。 手術後も歩けないといけないのでリハビリが必要だということで、入院期間は2週間だそうだ。 完全に老人扱い?確かに79歳という私の年は老人には違いない。 残念ながら・・・・。
私が呼ばれたのは最後だった。 待ちくたびれて少々自棄気味になって腰が痛くなったので、目立たぬように屈伸運動をしたり、足の運動をしたりして、ついに受付に「伊藤ですが、私入ってますよね?」と言ったら「次です」と遂に最後。 それなのに前の方の長いこと、長いこと20分以上も先生の話声だけが聞こえた。
私は前もって用意しておいた三年まえからの腸内の写真を出した。 先生はそれをちらっとご覧になっただけで、パソコンの私の大腸の写真を指しながら、また紙に図を書きながら私の腫瘍が2センチ大になっていることを示された。 その腫瘍は悪性でないことも付け加えられた。 先生が話していらっしゃる間、口をはさむことはできない。 どんどん手術の方へ向いて行く。やうやく「昨年までは1cmだったものがどうして大きくなったのですか?と この腫瘍は遺伝的なもので、ストレスによって大きくなるので、まれに悪性化することもあります。 その悪性という部分には可也神経を使って話された。 まさに母が横行結腸がんだったし私の腫瘍も横行結腸にある。 ここまで話が進んでいくと「手術をしません」とは言えない。 自分の腸を大写しにされ腫瘍の場所は色がかわっている。 科学も進歩したものだ!と遂には感心してきた。
もう午後4時過ぎて、院内は静かに人影も少ない。 予備検査がおわっての看護師さんの話しによると、手術後、集中治療室に二日。 手術後も歩けないといけないのでリハビリが必要だということで、入院期間は2週間だそうだ。 完全に老人扱い?確かに79歳という私の年は老人には違いない。 残念ながら・・・・。
2009年10月22日木曜日
昨日のつずき
内視鏡での検査が終わったら、点滴も途中で外され、そばで待ってていた下さったCTの係りの技術者?先生?が車いすを押しながら「もしかしたら、悪いものではないようなので腹腔内摘出?、で取られたら、毎年検査なさらなくてもすみますね」と仰る。 私も実はそのことを考えていて、お医者がそれを勧めるのではないか?と思っている。
ところで腹部CTは・・・?私はCTスキャンを撮るのはこれで二回目。 以前、椅子から落ちて、頭を切り同じ病院で頭のCTを撮っていただいた。 車椅子を押して行って下さった先生は、その時の方だと、思い出した。
腹部CTは直ぐに終わった。ガスを肛門から注入して息を吸って止め、3秒くらいで終わり。 ところがそのあとが大変! 支払いが済んで、のどが渇いたので、ジュース・スタンドで立ち止まったら、ガスの連発! 幸い病院業務も終わって人はいなかったので、ほっとして病院の入口を出るときに又5,6連発!
これではバスに乗るわけにはいかないし、途中で久しぶり?の食事の何かを買うのも気が進まず、技師先生がそのことを仰って下さればよかったのに・・・と少し恨みながら池上駅に着いた。まだ心配なので、駅の端っこに立って電車を待ち、丁度電車が駅に入ってきたところで又連発! 電車の音でかき消されたのが幸いした。
千鳥町の駅に着くころには治まったようだった。 これから夕食に何を?食べよう?歩きながら空腹感もつのって、やぶれかぶれ・・・のところに携帯が鳴った。 ご近所のお友だちからで「今日おはぎを作って、伊藤さんのところへ電話したけど、お留守だった」とのこと、文字どおり「地獄に仏」 感謝、感激しきり!
ところで腹部CTは・・・?私はCTスキャンを撮るのはこれで二回目。 以前、椅子から落ちて、頭を切り同じ病院で頭のCTを撮っていただいた。 車椅子を押して行って下さった先生は、その時の方だと、思い出した。
腹部CTは直ぐに終わった。ガスを肛門から注入して息を吸って止め、3秒くらいで終わり。 ところがそのあとが大変! 支払いが済んで、のどが渇いたので、ジュース・スタンドで立ち止まったら、ガスの連発! 幸い病院業務も終わって人はいなかったので、ほっとして病院の入口を出るときに又5,6連発!
これではバスに乗るわけにはいかないし、途中で久しぶり?の食事の何かを買うのも気が進まず、技師先生がそのことを仰って下さればよかったのに・・・と少し恨みながら池上駅に着いた。まだ心配なので、駅の端っこに立って電車を待ち、丁度電車が駅に入ってきたところで又連発! 電車の音でかき消されたのが幸いした。
千鳥町の駅に着くころには治まったようだった。 これから夕食に何を?食べよう?歩きながら空腹感もつのって、やぶれかぶれ・・・のところに携帯が鳴った。 ご近所のお友だちからで「今日おはぎを作って、伊藤さんのところへ電話したけど、お留守だった」とのこと、文字どおり「地獄に仏」 感謝、感激しきり!
2009年10月21日水曜日
やっぱり辛い大腸内視鏡検査
今日、午後3時半に腸の内視鏡、午後4時にはCTを撮る予約をしていたので、昨夜6時に素うどん少々を頂いただけで後は4種類の下剤を飲む。 3時間後くらいからトイレに通って当然熟睡は出来ない。 翌朝は8時から2時間かかってムーベンという腸をきれいにする溶液を2リットル飲む。 以前に比べて少しは飲みやすくなったけれど、朝から何もできずにコップとにらめっこ。 半分くらい飲んだところで、トイレに出たり入ったり。 お茶類はいくらでも飲んでいいとは言われても、これ以上の液体がどこに入るの? ビロウな話しながら、経験のある方はおわかりでしまょうけれど、どうして肛門からあんなに水が出るのかしら?
病院に行く頃はすっかり疲れ果ててしまう。 内視鏡を待っている方は3人もいて、どうも私が最後のようだった。 ようやく私の番が来て、内視鏡の部屋に入った。 左に点滴、右には血圧測定器を。 「よろしくお願いします」と声をかけた白衣の人は、まだ20代のように見えた。 私も「よろく、おねがいします」と答えた。 何となく内視鏡の扱いがたどだどしく、私の反応に「痛いですか?」と気を使っている。 昨年までの女医さんとは大分感じが違う。 「何しろ、早く終えてよ!」CTの技師から未だか? と電話がある。
そのうち、白髪交じりの、お顔はよく見えないが白衣の先生がいらっして、その若そうな先生と代わって内視鏡をあやつり始めた。 そして内視鏡の持ち方の指示をなさっている。 私は「試験台?」 少しいら立った態度をした。 若い先生は見学者になった。 今日はここまで・・・・・。
病院に行く頃はすっかり疲れ果ててしまう。 内視鏡を待っている方は3人もいて、どうも私が最後のようだった。 ようやく私の番が来て、内視鏡の部屋に入った。 左に点滴、右には血圧測定器を。 「よろしくお願いします」と声をかけた白衣の人は、まだ20代のように見えた。 私も「よろく、おねがいします」と答えた。 何となく内視鏡の扱いがたどだどしく、私の反応に「痛いですか?」と気を使っている。 昨年までの女医さんとは大分感じが違う。 「何しろ、早く終えてよ!」CTの技師から未だか? と電話がある。
そのうち、白髪交じりの、お顔はよく見えないが白衣の先生がいらっして、その若そうな先生と代わって内視鏡をあやつり始めた。 そして内視鏡の持ち方の指示をなさっている。 私は「試験台?」 少しいら立った態度をした。 若い先生は見学者になった。 今日はここまで・・・・・。
2009年10月20日火曜日
白月
先日、秋の月についての思い出を書いた。
今日の午後ジムから戻って来てテレビをつけた。 出がけにつけていたNHKのままのチャンネルだった。
美輪明宏さんが華やかに歌っていた。 番組はもう後半に近かかった。 特に見たいプログラムもなかったので、そのまま見ていた。 「月をうたった“白月”この歌は明治時代の唄です」と言って歌い始めた唄は出る~月の影さし~て・・・・先日私が月に関して少女時代に友人の伴奏をしたアノ曲だった。
美輪明宏さんは夫が未だ若かりし頃、銀座の(今もあるかしら?)ヤマハの地下?にあったシャンソン歌手が
集まって歌っていた(名前は・・・・?)その中で彼を当時の日劇の上にあったミュージック・ホール(ヌード・ショウに抜擢して、その頃はまだ珍らしかったシスター・ボーイとして出演、「お前はず~っとこのまま女形でいたほうがいいよ」と言ったとか。 夫は自慢話とか芸能界の話はしなかったけれど、そして彼はそんなことは覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、ホントの話。
今日の午後ジムから戻って来てテレビをつけた。 出がけにつけていたNHKのままのチャンネルだった。
美輪明宏さんが華やかに歌っていた。 番組はもう後半に近かかった。 特に見たいプログラムもなかったので、そのまま見ていた。 「月をうたった“白月”この歌は明治時代の唄です」と言って歌い始めた唄は出る~月の影さし~て・・・・先日私が月に関して少女時代に友人の伴奏をしたアノ曲だった。
美輪明宏さんは夫が未だ若かりし頃、銀座の(今もあるかしら?)ヤマハの地下?にあったシャンソン歌手が
集まって歌っていた(名前は・・・・?)その中で彼を当時の日劇の上にあったミュージック・ホール(ヌード・ショウに抜擢して、その頃はまだ珍らしかったシスター・ボーイとして出演、「お前はず~っとこのまま女形でいたほうがいいよ」と言ったとか。 夫は自慢話とか芸能界の話はしなかったけれど、そして彼はそんなことは覚えていらっしゃらないかもしれないけれど、ホントの話。
2009年10月17日土曜日
秋の夜長と虫の音と・・・
色々なことが終わって、秋が深まり、ようやく自由になったと思ったら、季節の所為か急に色々なこと・・・行く末の不安を感じて来て、鬱状態に陥りそうになっている。 そんな時の友人の訪れはホントに嬉しく感じる。 でもそれは一時的なこと。 結局は一人。
私は長女なので、頼られることには慣れて?いるが頼るのは上手ではない、と思っている。 長じては父に頼られ、母に頼られ、晩年には頼れると信じて結婚した夫にまで頼られて来た、と思う。 だんだん年をとって来ている私は誰に頼ればいいのかしら?などと考えつずけていたら、眠れないこともある。 私は人に頼るのが上手ではないのかな~と反省したりもする。
今夕も、何十年もお付き合いしている友人から電話があり(以前にも何度かあったことながら)虫の息のような声で「ふさ子さん、私、今日頭を打って、今はそうでもないけれど、頭が痛いのよ! 病院に行ったほう がいいかしら?」と仰る。 私が家の玄関で椅子から落ちて血だらけになって救急車で運ばれた時のことなど、何の反応も見せないのに~と思ったけれど、私は以前大雪の翌日、転んで頭をうち、外科の先生に伺った事を「打ったところを、冷やし安静にしていらっしゃい」と応じた。「やっぱり、ふさ子さんに訊いて良かったわ!」…というのが彼女のお返事。
先日の友人のお別れ会の時に知ったのだけれど、ご夫妻でケアーつきのマンションに移った方が何人かいらっしゃる。 入会金が三千万円で毎月三十万かかると仰る。 トテモ、払えないわ、と言ったら「家を売れば出来るわよ!」と思い切りのいい答えが返ってきた。 貴女はどう思います?
私は長女なので、頼られることには慣れて?いるが頼るのは上手ではない、と思っている。 長じては父に頼られ、母に頼られ、晩年には頼れると信じて結婚した夫にまで頼られて来た、と思う。 だんだん年をとって来ている私は誰に頼ればいいのかしら?などと考えつずけていたら、眠れないこともある。 私は人に頼るのが上手ではないのかな~と反省したりもする。
今夕も、何十年もお付き合いしている友人から電話があり(以前にも何度かあったことながら)虫の息のような声で「ふさ子さん、私、今日頭を打って、今はそうでもないけれど、頭が痛いのよ! 病院に行ったほう がいいかしら?」と仰る。 私が家の玄関で椅子から落ちて血だらけになって救急車で運ばれた時のことなど、何の反応も見せないのに~と思ったけれど、私は以前大雪の翌日、転んで頭をうち、外科の先生に伺った事を「打ったところを、冷やし安静にしていらっしゃい」と応じた。「やっぱり、ふさ子さんに訊いて良かったわ!」…というのが彼女のお返事。
先日の友人のお別れ会の時に知ったのだけれど、ご夫妻でケアーつきのマンションに移った方が何人かいらっしゃる。 入会金が三千万円で毎月三十万かかると仰る。 トテモ、払えないわ、と言ったら「家を売れば出来るわよ!」と思い切りのいい答えが返ってきた。 貴女はどう思います?
2009年10月15日木曜日
遅ればせの墓参
昨日のブログが消えてしまい、このブログの期限が切れた・・・ということで大騒ぎして復元したら目が疲れてしまってつずける気力がなくなってしまった。
改めて・・・例年秋の彼岸ごろになると、夫の甥が「多磨墓地に行く?」と誘ってくれる。 今年は彼も長い間アメリカにいたので無理だろうと半ばあきらめていたら、電話があって、昨日午前10時半に車で迎えに来てくれた。 先ほどメールで「僕も一年に一回多磨墓地に行くことが習慣になっているので、気にしないで、と車が必要な時は何時でも言ってくれ・・・」とやさしい言葉が添えてあった。
この年になると、多磨墓地まで電車を乗り継いで行くのは可也つらいことで、例年年会費を納めてお墓の掃除とか祥月命日には花を供えてもらっている。
伊藤家の隣のお墓は枯れ草に覆われ、墓石も倒れかかっていた。 後継者が無いのか?又地方に住んでいて面倒が見られないのか? 伊藤家のお茶屋さんの米内やさんに伺ったところ、周りのお墓の方が「どうして、放ってあるかを都に問い合わせ、後継者とか関係者がいない事が証明されれば、初めて所有権を替える事が出来るのだそうだ。 そういう場合、その御遺骨は共同の墓所に収められる・・・と伺って、なぜかホッとした。
改めて・・・例年秋の彼岸ごろになると、夫の甥が「多磨墓地に行く?」と誘ってくれる。 今年は彼も長い間アメリカにいたので無理だろうと半ばあきらめていたら、電話があって、昨日午前10時半に車で迎えに来てくれた。 先ほどメールで「僕も一年に一回多磨墓地に行くことが習慣になっているので、気にしないで、と車が必要な時は何時でも言ってくれ・・・」とやさしい言葉が添えてあった。
この年になると、多磨墓地まで電車を乗り継いで行くのは可也つらいことで、例年年会費を納めてお墓の掃除とか祥月命日には花を供えてもらっている。
伊藤家の隣のお墓は枯れ草に覆われ、墓石も倒れかかっていた。 後継者が無いのか?又地方に住んでいて面倒が見られないのか? 伊藤家のお茶屋さんの米内やさんに伺ったところ、周りのお墓の方が「どうして、放ってあるかを都に問い合わせ、後継者とか関係者がいない事が証明されれば、初めて所有権を替える事が出来るのだそうだ。 そういう場合、その御遺骨は共同の墓所に収められる・・・と伺って、なぜかホッとした。
2009年10月13日火曜日
お別れ会の後
献花にいらっしゃった方々とご主人を囲んで事務所で少しの間Nさんの思い出話をする。
彼女は卒業以来クラス会の幹事を引き受けてくださり、皆それに甘えていた。 奇しくも、彼女が突然倒れて入院なさったのは、クラス会の前日だった。
突然高島屋の店内で倒れて救急車で運ばれて、半年間の入院を余儀なくされ、ようやく退院なさった翌日心臓発作で亡くなったと、ご主人からの電話で知った。 せめて、最後のクラス会にお出になりたかっただろう。
彼女は英文科のAクラスで私はBクラスだったけれど席が近かったので話す機会が多かった。 彼女は中国系台湾生まれで結婚前は中国系の名前だった。 最初銀座のど真ん中に{セリボン}という喫茶店をお父様が経営していて、その後西銀座にタイガ菜館という中華料理屋さんを経営して、彼女の代に画廊を経営する事になった。
どういうわけか、三十年くらい前は、彼女は私の近くにいて、私の夫とも気があって、度々家に来て食事をしたり、話をしたり、今の7歳も年下のご主人とどうやって結婚に至ったか? その作戦?もよく覚えている。 六本木のマンションに夫と伺ったのは私達夫妻だけだったかも。
ご主人は余りにも老けられ、やっれて見えたので、どんなに年下でも、妻は決して夫より先に逝ってはいけない、と改めて切に思った。
彼女は卒業以来クラス会の幹事を引き受けてくださり、皆それに甘えていた。 奇しくも、彼女が突然倒れて入院なさったのは、クラス会の前日だった。
突然高島屋の店内で倒れて救急車で運ばれて、半年間の入院を余儀なくされ、ようやく退院なさった翌日心臓発作で亡くなったと、ご主人からの電話で知った。 せめて、最後のクラス会にお出になりたかっただろう。
彼女は英文科のAクラスで私はBクラスだったけれど席が近かったので話す機会が多かった。 彼女は中国系台湾生まれで結婚前は中国系の名前だった。 最初銀座のど真ん中に{セリボン}という喫茶店をお父様が経営していて、その後西銀座にタイガ菜館という中華料理屋さんを経営して、彼女の代に画廊を経営する事になった。
どういうわけか、三十年くらい前は、彼女は私の近くにいて、私の夫とも気があって、度々家に来て食事をしたり、話をしたり、今の7歳も年下のご主人とどうやって結婚に至ったか? その作戦?もよく覚えている。 六本木のマンションに夫と伺ったのは私達夫妻だけだったかも。
ご主人は余りにも老けられ、やっれて見えたので、どんなに年下でも、妻は決して夫より先に逝ってはいけない、と改めて切に思った。
2009年10月12日月曜日
お別れ会
八月二十四日に亡くなった青山学院時のお友だちのお別れ会を今日、日本橋の彼女の画廊で致しますのでよろしく、とご主人からご連絡があり、それにまつわってお友だちの一人から、私にはご通知が来ないと、私に電話で文句を仰る方があって、ご主人にご連絡したり・・・・
彼女の画廊は日本橋高島屋の近くなので、親しいお友だちと高島屋で待ち合わせた。途中で何人かのお友だちにであった。
小じんまりした新しいビルの中の画廊には彼女の遺霊と毒舌家の彼女らしからぬほんのりしたお写真が飾ってあり、一人ひとりが白いカーネーションをささげた。 次の部屋には彼女の幼いころの写真、海外で撮られた写真などが貼ってあって、彼女の最近の生活を偲ばせた。
ずいぶん多くの友人達がグループできてくださったようだった。 私は久しぶりでご主人にご挨拶を、と思ったが、それらしい方が見当たらないので周りの男性に伺った。「あちらにいらっしゃいます」と言われて、近ずいても、分からないくらい彼は白髪で一段と小さく見えた。 お話してみて、ようやく認めた。 お友だちの何方も彼にご挨拶をなさらなかったと思う。 このつずきはまた明日。
彼女の画廊は日本橋高島屋の近くなので、親しいお友だちと高島屋で待ち合わせた。途中で何人かのお友だちにであった。
小じんまりした新しいビルの中の画廊には彼女の遺霊と毒舌家の彼女らしからぬほんのりしたお写真が飾ってあり、一人ひとりが白いカーネーションをささげた。 次の部屋には彼女の幼いころの写真、海外で撮られた写真などが貼ってあって、彼女の最近の生活を偲ばせた。
ずいぶん多くの友人達がグループできてくださったようだった。 私は久しぶりでご主人にご挨拶を、と思ったが、それらしい方が見当たらないので周りの男性に伺った。「あちらにいらっしゃいます」と言われて、近ずいても、分からないくらい彼は白髪で一段と小さく見えた。 お話してみて、ようやく認めた。 お友だちの何方も彼にご挨拶をなさらなかったと思う。 このつずきはまた明日。
2009年10月11日日曜日
黄花ほととぎす
今、家の門を入った狭い路地?に置いてある植木鉢の一つに’黄花ホトトギス’が咲いている。 葉っぱは薄茶色で余りはっきりしないけれど、先の方に真っ黄色の花が二つずつ、ついている。 一本切って来て鶴首花瓶に挿したら、もう一週間以上も、もっている。 次々に花をつけているので、しばらく楽しめそう。
この黄花ホトトギスは、下の妹宅の十里木の別荘の近くの、道端?で二年前に採集?したものだ。 そのあたりは所謂風致地区で草花を取ってはいけないということなのだろうけれど、こんな都会のしかも植木鉢の中で見事に咲いて一人暮らしの淋しい私を慰めてくれているので、どうぞお許しください。
妹にも見せたいのだけれど、中々機会がない。 今まで私はこんな見事なホトトギスを見たことはない。
真っ黄色で花の長さは2cm~2.5cmはある。 ふっくらとして、まさに黄色のホトトギス(鳥の)のよう。 昨年まで沢山咲いていた普通の?ホトトギスは遠慮したのか、今年は余り咲いてないようだ。
この黄花ホトトギスは、下の妹宅の十里木の別荘の近くの、道端?で二年前に採集?したものだ。 そのあたりは所謂風致地区で草花を取ってはいけないということなのだろうけれど、こんな都会のしかも植木鉢の中で見事に咲いて一人暮らしの淋しい私を慰めてくれているので、どうぞお許しください。
妹にも見せたいのだけれど、中々機会がない。 今まで私はこんな見事なホトトギスを見たことはない。
真っ黄色で花の長さは2cm~2.5cmはある。 ふっくらとして、まさに黄色のホトトギス(鳥の)のよう。 昨年まで沢山咲いていた普通の?ホトトギスは遠慮したのか、今年は余り咲いてないようだ。
2009年10月10日土曜日
エコ・ポイント
八月三十一日日に冷蔵庫を近所の電気店から求めた。
なんだかんだで値引きがすくないな~と思っていたら、その電気やさんが帰り際に「冷蔵庫にはエコポイントがついていますからこの書類に書いて出して下さい」冷蔵庫はケッコウポイントが高いですから・・・とか言った。
忙しくてしばらく放っておいたけれど気になって少し読んでみた。 現金ではなくお米券とか商品券とかが帰ってくるらしいのは理解できた。 それでも、何回読んでも理解できない部分がある。 面倒だから、
しばらく放っておいた。 どうせ大したことはないわ!
偶然、遊びに来て下さったジムの若いお友だちにそのことを話した。 その方は「やってあげましょうか?」とトテモありがたいお申し出で。 大喜びでエコポイントのリストと提出する書類をお預けした。 もう一枚不足な書類がある、とその方は雨の中また訪ねてくださった。
今日、完成した書類を、所定の封筒に入れ更にご自分で切手まで貼ってジムで「このままお出ください!」と渡して下さった。 Yさん有難うございました! 母が隣に住んでいたころ、ほんの些細な書類でも私に尋ねに来たことを覆いだす。 私もそんな年になったのよね?
なんだかんだで値引きがすくないな~と思っていたら、その電気やさんが帰り際に「冷蔵庫にはエコポイントがついていますからこの書類に書いて出して下さい」冷蔵庫はケッコウポイントが高いですから・・・とか言った。
忙しくてしばらく放っておいたけれど気になって少し読んでみた。 現金ではなくお米券とか商品券とかが帰ってくるらしいのは理解できた。 それでも、何回読んでも理解できない部分がある。 面倒だから、
しばらく放っておいた。 どうせ大したことはないわ!
偶然、遊びに来て下さったジムの若いお友だちにそのことを話した。 その方は「やってあげましょうか?」とトテモありがたいお申し出で。 大喜びでエコポイントのリストと提出する書類をお預けした。 もう一枚不足な書類がある、とその方は雨の中また訪ねてくださった。
今日、完成した書類を、所定の封筒に入れ更にご自分で切手まで貼ってジムで「このままお出ください!」と渡して下さった。 Yさん有難うございました! 母が隣に住んでいたころ、ほんの些細な書類でも私に尋ねに来たことを覆いだす。 私もそんな年になったのよね?
2009年10月6日火曜日
夕食ご飯抜き?!
先週の金曜日、お医者様の梯子をした。 というか、せざるを得なかった。
ここ五年くらい前から、毎年秋に大腸の検査をするハメになった。 大腸にポリープではなく、良性?の腫瘍があって、毎年検査を余儀なくされている。 昨年まで行っていた医院が評判がよくて、もう今年は検査が満杯だというので、仕方なく駅近くの胃腸専門の医院に行ってみた。
過去の大腸の写真とか色々必要と思われるものを持参して先生にお伺いを立てたけれど、その医院には大腸検査の機器がなくて、仕方なく以前頭を割って救急車で運ばれた池上の病院に行った。 その日の受けつけは私が最後だった。
午後三時四十分から、私が呼ばれたのは六時近かった。 先生は「大変お待たせしました」と丁寧なご挨拶をしてくださった。 そして、大腸の内視鏡だけではなく、MRIをとって腫瘍の内容物を調べましょう、と仰った。 なるほど、大病院だから色々医療器械があるわけだ、それとともに医療費も稼ぐわけだ・・・とミョゥなことに感心した。 更に先生は「夕飯に、お魚、お肉類、お野菜はいくら摂ってもよろしいですが、ご飯は召し上がらない方がいいですよ」と仰った。 むろん私のお腹に沢山脂肪がついていて、検査に支障がでるからかな?と考えた。
私は金曜日、その日以来夕ご飯にご飯を頂いていない。 思いっきり検査日の二十一日までこれを続けてみよう!と決心した。 ただ、所謂和食はご飯がなくては・・・・余りにも情けないので、洋風にしたり鍋ものにしたり、たとえば今夕はかぼちゃのポタージュとハンバーグにつけ合わせ野菜山ほど・・・とした。
ここに白状したのは食いしん坊のわたしに対する戒め一環だと思ってください!
ここ五年くらい前から、毎年秋に大腸の検査をするハメになった。 大腸にポリープではなく、良性?の腫瘍があって、毎年検査を余儀なくされている。 昨年まで行っていた医院が評判がよくて、もう今年は検査が満杯だというので、仕方なく駅近くの胃腸専門の医院に行ってみた。
過去の大腸の写真とか色々必要と思われるものを持参して先生にお伺いを立てたけれど、その医院には大腸検査の機器がなくて、仕方なく以前頭を割って救急車で運ばれた池上の病院に行った。 その日の受けつけは私が最後だった。
午後三時四十分から、私が呼ばれたのは六時近かった。 先生は「大変お待たせしました」と丁寧なご挨拶をしてくださった。 そして、大腸の内視鏡だけではなく、MRIをとって腫瘍の内容物を調べましょう、と仰った。 なるほど、大病院だから色々医療器械があるわけだ、それとともに医療費も稼ぐわけだ・・・とミョゥなことに感心した。 更に先生は「夕飯に、お魚、お肉類、お野菜はいくら摂ってもよろしいですが、ご飯は召し上がらない方がいいですよ」と仰った。 むろん私のお腹に沢山脂肪がついていて、検査に支障がでるからかな?と考えた。
私は金曜日、その日以来夕ご飯にご飯を頂いていない。 思いっきり検査日の二十一日までこれを続けてみよう!と決心した。 ただ、所謂和食はご飯がなくては・・・・余りにも情けないので、洋風にしたり鍋ものにしたり、たとえば今夕はかぼちゃのポタージュとハンバーグにつけ合わせ野菜山ほど・・・とした。
ここに白状したのは食いしん坊のわたしに対する戒め一環だと思ってください!
2009年10月5日月曜日
中国風ちまき
何時も仲良くしていただいている友人達が中国風ちまきの作り方を教えてほしい、と乞われてから、ずいぶん日にちが経つてしまったが、今日ようやく実現した。 色々材料を持ちあつて、もち米、豚肉、筍、シイタケ、ネギ、干しエビ、銀杏、ショウガなどを入れ竹の皮で包んで蒸す。 可也ゴージャスのものができた。
ついでに、出盛りのサツマイモでスゥート・ポテトを作った。 これは急ぎすぎて余り良くできなかったが、とりあえずお味は先ずます。 お二人ともトテモ喜んでくださって、お持ち帰りも出来た。 次はは何にしましょう? 私は無類の食いしん坊なので、作るのも頂くのも大好き! それに「美味しい!」と喜んで下さるのが、何よりうれしい。
ついでに、出盛りのサツマイモでスゥート・ポテトを作った。 これは急ぎすぎて余り良くできなかったが、とりあえずお味は先ずます。 お二人ともトテモ喜んでくださって、お持ち帰りも出来た。 次はは何にしましょう? 私は無類の食いしん坊なので、作るのも頂くのも大好き! それに「美味しい!」と喜んで下さるのが、何よりうれしい。
2009年10月4日日曜日
満月に思うこと
先ほど東の空を眺めたら、美しい満月が見えた。 残念なことにその月は電線の間にあって、何とも無様だった。 それから10分くらいたってもう一度東の空を見たら、完全に中空に光り輝いて見えた。
しばらく眺めていて、月にまつわることで、今日思い出したことは、私がまだ15歳のころ(戦後ようやく学校生活ができるようになって)当時私の通っていた女学校は所謂年中行事を大切にしていて、秋には芸術祭を行い、その中で私はその後芸大の声楽科に入学した友人のピアノ伴奏をしたこと。 月に関する曲、二曲。
今でもその唄は歌える気がする。 「出る月の影さし~て、雁がねの・・・」というのともう一曲。
私は無類のあがり症で、果たしてキチンと弾けるかどうかだった。 伴奏者というのは当然独唱者を助け、控えめであることだった。 とりあえず間違えなく弾いて、友人が「ピアノ気にしなくて歌えたわ」と言った。 今考えるとヘンなこと! 当時はピアノを弾ける人、所有している人が少なかったので、そういうハメになったのだけれど、今考えると紅顔のいたり。
その後、下級生から何通かの”付け文”をもらった。 当時の女学校では ’S’と言って男女交際が不可能な時代だったので、上級生、下級生の間で手紙のやり取りがあって、廊下で手渡されたり、友人を介して渡されたりしたものだった。
月に関する思い出話が、とんでもない結末になったが、私は秋から冬の月が好きで、まだまだ思い出は沢山ある。 又の機会に・・・・。
しばらく眺めていて、月にまつわることで、今日思い出したことは、私がまだ15歳のころ(戦後ようやく学校生活ができるようになって)当時私の通っていた女学校は所謂年中行事を大切にしていて、秋には芸術祭を行い、その中で私はその後芸大の声楽科に入学した友人のピアノ伴奏をしたこと。 月に関する曲、二曲。
今でもその唄は歌える気がする。 「出る月の影さし~て、雁がねの・・・」というのともう一曲。
私は無類のあがり症で、果たしてキチンと弾けるかどうかだった。 伴奏者というのは当然独唱者を助け、控えめであることだった。 とりあえず間違えなく弾いて、友人が「ピアノ気にしなくて歌えたわ」と言った。 今考えるとヘンなこと! 当時はピアノを弾ける人、所有している人が少なかったので、そういうハメになったのだけれど、今考えると紅顔のいたり。
その後、下級生から何通かの”付け文”をもらった。 当時の女学校では ’S’と言って男女交際が不可能な時代だったので、上級生、下級生の間で手紙のやり取りがあって、廊下で手渡されたり、友人を介して渡されたりしたものだった。
月に関する思い出話が、とんでもない結末になったが、私は秋から冬の月が好きで、まだまだ思い出は沢山ある。 又の機会に・・・・。
2009年10月2日金曜日
十里木へ行くはずが・・・・?のその二
たまプラーザの妹の家を訪ねるのは何カ月かぶりだった。 出る時間が遅くなっふたので慌てて家を出たのだけれど、何を思ったか、池上線の千鳥町に行くべきなのを、何時も通り、第二京浜の池上警察へ歩いている自分に途中で気ずいたものの、戻るのも面倒なので、そのまま中延まで行き、大井町線に乗るべきところ、都営地下鉄の中延まで行って、ふと我に返り?大井町線まで歩いた。 駅のベンチに座って「私ボケたのかしら?」と反省しきり。
私達の父親が85歳過ぎてボケが出て、徘徊して私は夫や母と何度かつらい思いをしたことを昨日のことのように思い出した。 最後の徘徊の時は下の妹や弟も共に車で真夜中過ぎまで探し、夜明け近くに保護されたことがあった。 私も若しかしたら父のDNAを継いだかもしれない? でも、私はケッコウ面が売れてるからな~・・・な、自℃と自分に有利な判断をして収めた。
ところで、久しぶりの二子たま駅を通り過ぎる際、ひっくり返るくらい驚いた。 まるで、別世界! 数えるのも不可能なほどの高いビルが(マンションか?)建築中で、不謹慎なことながら、それらはニューヨークのあの事件を彷彿させた。 二子玉川駅のあたりは一つの都市が出来上がりそう。
次に妹達の住むたまプラーザ駅に着いて又新しい驚き! この町も駅舎もすっかり変わっていた。 ここにも新たな大都会が出来かかっていた。 駅を囲んで巨大なビルが建築中で、出来上がったらどうなるのか?
久が原に静かに住まっている私には余りにも刺激が強かった!
私達の父親が85歳過ぎてボケが出て、徘徊して私は夫や母と何度かつらい思いをしたことを昨日のことのように思い出した。 最後の徘徊の時は下の妹や弟も共に車で真夜中過ぎまで探し、夜明け近くに保護されたことがあった。 私も若しかしたら父のDNAを継いだかもしれない? でも、私はケッコウ面が売れてるからな~・・・な、自℃と自分に有利な判断をして収めた。
ところで、久しぶりの二子たま駅を通り過ぎる際、ひっくり返るくらい驚いた。 まるで、別世界! 数えるのも不可能なほどの高いビルが(マンションか?)建築中で、不謹慎なことながら、それらはニューヨークのあの事件を彷彿させた。 二子玉川駅のあたりは一つの都市が出来上がりそう。
次に妹達の住むたまプラーザ駅に着いて又新しい驚き! この町も駅舎もすっかり変わっていた。 ここにも新たな大都会が出来かかっていた。 駅を囲んで巨大なビルが建築中で、出来上がったらどうなるのか?
久が原に静かに住まっている私には余りにも刺激が強かった!
2009年10月1日木曜日
十里木へ行くはずが・・・・?
9月29日から下の妹宅の十里木別荘に行くよていだった。 こちらより大分温度が低いので、衣類も厚めのものを用意したり泊まるのも4泊のよていだったので、とりあえず下準備だけはしていたつもり。
ところが、いかにせん?天気予報が余りにも悪い。 妹から電話があって、このたびはたまプラーザ
の彼女達の家で二泊することになった。
その日は朝からなんだかヘンだった。 洗濯をしようと洗濯機を回しながら妹と電話をしていたら、新装?の洗面所で水の流れる音がして、行ってみたら、洗濯機の流水ホースが外れて水だらけ! 考えるより、先ず床に溜まった水をタオルで拭き取る。 大量の水を拭き取りながら、今朝洗濯機の脱水口辺りに体重計を押しつけて外してしまったのが原因だった。 とりあえず、何枚ものタオルが増えて洗濯機がフル活動。
次の変なことは(今日は疲れたので又明日)
ところが、いかにせん?天気予報が余りにも悪い。 妹から電話があって、このたびはたまプラーザ
の彼女達の家で二泊することになった。
その日は朝からなんだかヘンだった。 洗濯をしようと洗濯機を回しながら妹と電話をしていたら、新装?の洗面所で水の流れる音がして、行ってみたら、洗濯機の流水ホースが外れて水だらけ! 考えるより、先ず床に溜まった水をタオルで拭き取る。 大量の水を拭き取りながら、今朝洗濯機の脱水口辺りに体重計を押しつけて外してしまったのが原因だった。 とりあえず、何枚ものタオルが増えて洗濯機がフル活動。
次の変なことは(今日は疲れたので又明日)
2009年9月27日日曜日
栗の渋皮煮と諒ちゃんのバ~バと
朝10時ごろ昨日栗剥きを手伝って下さったお友だちが沢山の渋皮煮を作って持ってきて下さった。
少し大きめの栗を選んでお持ち帰りくださったけれど、今朝はトテモ作るのが面倒だと言われている渋皮煮に変わって渋皮も剥けず奇麗な形でできあがっていて感謝感激! 「つまんでみて!」と言われても頂くのがもったいないような、それでも一つつまんで食べてみたら、しっとりした上品な味だった。
今日は諒ちゃんのば~ばがお彼岸の先祖参りと私へのお礼で来宅の予定だったので、頂いた栗で栗ご飯を作ってお昼を一緒に頂き、諒ちゃんの写真を見ながらその時の説明を聞いて、笑ったり、会いたく思ったり・・・・。 諒ちゃんのママが熱を出したと聞いて心配になったり・・・。
秋の過ごしやすい気候もやがて直ぐ冬の寒さに変わり、木枯らし吹く頃も近ずいている。
少し大きめの栗を選んでお持ち帰りくださったけれど、今朝はトテモ作るのが面倒だと言われている渋皮煮に変わって渋皮も剥けず奇麗な形でできあがっていて感謝感激! 「つまんでみて!」と言われても頂くのがもったいないような、それでも一つつまんで食べてみたら、しっとりした上品な味だった。
今日は諒ちゃんのば~ばがお彼岸の先祖参りと私へのお礼で来宅の予定だったので、頂いた栗で栗ご飯を作ってお昼を一緒に頂き、諒ちゃんの写真を見ながらその時の説明を聞いて、笑ったり、会いたく思ったり・・・・。 諒ちゃんのママが熱を出したと聞いて心配になったり・・・。
秋の過ごしやすい気候もやがて直ぐ冬の寒さに変わり、木枯らし吹く頃も近ずいている。
2009年9月26日土曜日
洗面所の工事が完成!
昨日、洗面所の取り換え工事が完成した。 途中姪の出産で空白か期間があったけれど、その間も担当のUさんがお台場の展示場、新橋のパナソニック、新宿のTOTOに案内して下さって、結局、風呂場、台所と同じメーカのTOTOに決め、昨日待望の洗面所が完成。 昨夜午後8時から10時半までかかって内容物を収めた。 出した時はこんなに沢山!と思ったけれど、新しいものはまだまだ入れる場所がありそう・・・?
そのあと何度も洗面所に行って見て、一人でにやにやしている。 Uさんが自分の事のように何度もメジャーで計って壁紙を決めるのにも、私が持ち上がらないほどの重い見本を運んで下さって沢山の中から選んだものは可也すっきりしていてよかった! ミッチーことUさんは今日昼過ぎに点検に来て、やはり二度見に行って確かめ、満足でしたか?
午後ジムの友人が早速見学?に来て下さった。 色選びに彼女の意見も聞いたので、「色、良かったわね」と仰って下さった。 そのあと、姪の婚家先から送っていただいた、莫大な量の栗剥きを手伝ってくださり、と言うかほとんど主役になって剥いて下さり更に重い栗を「渋皮煮を作ってあげる」と持ち帰ってくださり、感謝、感謝の一日!
そのあと何度も洗面所に行って見て、一人でにやにやしている。 Uさんが自分の事のように何度もメジャーで計って壁紙を決めるのにも、私が持ち上がらないほどの重い見本を運んで下さって沢山の中から選んだものは可也すっきりしていてよかった! ミッチーことUさんは今日昼過ぎに点検に来て、やはり二度見に行って確かめ、満足でしたか?
午後ジムの友人が早速見学?に来て下さった。 色選びに彼女の意見も聞いたので、「色、良かったわね」と仰って下さった。 そのあと、姪の婚家先から送っていただいた、莫大な量の栗剥きを手伝ってくださり、と言うかほとんど主役になって剥いて下さり更に重い栗を「渋皮煮を作ってあげる」と持ち帰ってくださり、感謝、感謝の一日!
2009年9月19日土曜日
敬老の日のお祝い
昨日、ご近所のAさんご夫妻が敬老の日のお祝いです、と仰って自治会からのお祝いの品を届けてくださった。 「これからも、お健やかにお過ごしになりますように」とお二人でにこにこされながら頭を下げてくださった。 私は少し照れながら「有難うございます」と答えた。
以前は敬老の日は九月十五日と決まっていて、その日に理事がご近所の高齢の方のお家をお訪ねして、心ばかりの敬老の品をお届けしていた。 最近は連休にしてしまうので、どの日が「敬老の日」で何時がお彼岸の(秋分の日)中日か定かではなくなっている。
私どもの自治会でも高齢者の数が大変増えていて、以前はお祝いの品も、可也のものだった・・・・・というのは以前私は自治会の副会長として、贈り物をどうするかについて論じ合ったことがあって年齢も今は確か七十歳からでそれもプライバシーがあるというので、事前に回覧で敬老の品を受け取るか否かを申告(一人ひとり封をして)届け出ている。 年齢についても、いろいろ論じて「七十五歳からにしたら?」という話もあったのを、私が七十歳から・・・・と強調した覚えがある。 自治会からの出費も多く、また喜ばしいことながら高齢者の数も可也のものとなる。 他の自治会では、年齢に区切りをつけているところもあるらしい。 それも大変手のかかる事になると思う。 一年に一回、ここに一人暮らしの老人が住んでいる・・・ということを知ることも、意味のある事ではないかしら?
以前は敬老の日は九月十五日と決まっていて、その日に理事がご近所の高齢の方のお家をお訪ねして、心ばかりの敬老の品をお届けしていた。 最近は連休にしてしまうので、どの日が「敬老の日」で何時がお彼岸の(秋分の日)中日か定かではなくなっている。
私どもの自治会でも高齢者の数が大変増えていて、以前はお祝いの品も、可也のものだった・・・・・というのは以前私は自治会の副会長として、贈り物をどうするかについて論じ合ったことがあって年齢も今は確か七十歳からでそれもプライバシーがあるというので、事前に回覧で敬老の品を受け取るか否かを申告(一人ひとり封をして)届け出ている。 年齢についても、いろいろ論じて「七十五歳からにしたら?」という話もあったのを、私が七十歳から・・・・と強調した覚えがある。 自治会からの出費も多く、また喜ばしいことながら高齢者の数も可也のものとなる。 他の自治会では、年齢に区切りをつけているところもあるらしい。 それも大変手のかかる事になると思う。 一年に一回、ここに一人暮らしの老人が住んでいる・・・ということを知ることも、意味のある事ではないかしら?
2009年9月17日木曜日
お友だちのお誕生日
昨日はジムで仲良くしていただいている四人の中の最年少?五十二歳になった方の遅まきながらのお誕生祝いをした。 実はお誕生日は八月十一日だったのだけれど、私が姪の出産で忙しかったのでのびのびになってしまっていた。
場所は彼女の希望で六本木のミッドタウンにある、リッツカールトン・ホテルの四十八階?の日本料理の’ひのきざか‘ にすることになり、当事者の彼女が結局世話役になって、予約から、集合時間、ネットでの値引きまで、気を使ってくださった。 二つのお重に盛りつけられたお料理はトテモ手が込んでいて、満足できるものだった。 アチコチに秋がちりばめてあった。 この値段で?という感じ。
ミッドタウンには何度か行ったことがあったがリッツホテルに行ったのは初めてで可也ゴージャスな感じだった。 その後六本木に戻って友人三人とタオルで有名な"HOTMAN"の本店に寄り、友人はタオルでテーブル・マットを作るように頼んでいた。 洗えるので、いい考えだと思った。 私も小さなものを求めた。
可也暑かったけれど楽しい六本木辺りだった。
場所は彼女の希望で六本木のミッドタウンにある、リッツカールトン・ホテルの四十八階?の日本料理の’ひのきざか‘ にすることになり、当事者の彼女が結局世話役になって、予約から、集合時間、ネットでの値引きまで、気を使ってくださった。 二つのお重に盛りつけられたお料理はトテモ手が込んでいて、満足できるものだった。 アチコチに秋がちりばめてあった。 この値段で?という感じ。
ミッドタウンには何度か行ったことがあったがリッツホテルに行ったのは初めてで可也ゴージャスな感じだった。 その後六本木に戻って友人三人とタオルで有名な"HOTMAN"の本店に寄り、友人はタオルでテーブル・マットを作るように頼んでいた。 洗えるので、いい考えだと思った。 私も小さなものを求めた。
可也暑かったけれど楽しい六本木辺りだった。
2009年9月14日月曜日
秋晴れ・・・なのに
今朝は初秋らく晴れあがった好天気。 洗濯をしたり、アチコチかたずけがはかどると張り切っていたが、頭が重く疲れた感じだったので、血圧を計った見たらまあまあ、だったけれどこのまま動いてていたら次はどうなるかしら?と心配になり、何時かはこういうことで、自分で救急車を呼ばなければならない事も 起きるかもしれないなどと、不安が増してきた。 易の先生が今月は注意してね?と仰ったこともブラスした。
それでも、やりかけたことはしなければならない。 少し横になりながら考えた。 妙に肩から背中が張っている。 若しかして・・・・昨日久しぶりの料理教室で緊張した? そのあと、少し重いピアノ曲を弾いた? そのあと食後に書道の”かな文字”! 中々上手く書けないので二時間くらい書いた。
これだ! 肩にサロンパスを貼ってしばらくしたらウソみたいに頭のもやもやも消えて来た。
目の疲れも色々影響がある気もする。 年を重うねて来ると、自分では思いたくないけれど、色々後
困ることになる。 午後から出張所にシルバー・パスの更新に行く。 出張所も遠いわね~坂かがあるshとご近所の方と話す。
2009年9月13日日曜日
二か月ぶりの料理教室
八月は例年料理教室は夏休み。 七月は姪の出産のため、ドタキャンせざるを得なくて、今日は二か月振りの料理教室。 中華料理で豚肉、トマト・きくらげ・ワンタンの皮などの入ったスープ、茄子を蒸して卵にネギを入れてふわーっとさせたもの、クラゲ・きゅうりと大根の中華風酢の物の三品。
買い物も大変だし、献立をたてて、パソコンで打ちだして印刷する作業もケッコウ面倒で、時々「もう、止めようかしら」と思ったりするけれど、三人の生徒さん達が携帯で写真を撮ったり、「美味しいわ!」と仰って下さるので、また元気を出してつずけることになる。 このクラスも、もう三年になる。
買い物も大変だし、献立をたてて、パソコンで打ちだして印刷する作業もケッコウ面倒で、時々「もう、止めようかしら」と思ったりするけれど、三人の生徒さん達が携帯で写真を撮ったり、「美味しいわ!」と仰って下さるので、また元気を出してつずけることになる。 このクラスも、もう三年になる。
2009年9月11日金曜日
書道
月に二回、自治会のクラブで午前10時から一時間半くらい、書道に励んで?いる。 ジム通いを始めて、運動だけでは、いけない、精神面でも・・・・しかも以前から字が少しは上手になりたい、という殊勝な気持ちもあって習い始(めて、もう十年以上になる。
字は一向上手にならない。 父が何時も言っていた、「ふさ子の字は鶏が暴れたような・・・から上達したとはトテモ思えない。 やっぱり、生まれつき・・・・・なのだろう、と半ばあきらめている。 (ところが私の英語の字は下手ではない、と私は思っている。 キット前世はイギリス人だったのかも)
今日は、夏休み後の久しぶりの書道教室の日で、私が前回に要請していた「ひらがな」のお手本を先生が書いてきて下さった。 先生は実はひらがながお得意だ、と前回仰っていた。 三人しかいない生徒達はお手本を見て、ぞ~っとした、と私は思う。 「藤原行成筆 御物和漢朗詠集より」…と来た。
「いろはにほへと~つねならむう」までの字を何枚書いてもうまくいかない。 私だけだと思ったら、お友だちも苦戦していらっしゃる。 先生は一字一字を丁寧に筆を入れてくださった。
帰宅して、お昼を済ませたら、ぐったりして、何もする気がしなかった。
字は一向上手にならない。 父が何時も言っていた、「ふさ子の字は鶏が暴れたような・・・から上達したとはトテモ思えない。 やっぱり、生まれつき・・・・・なのだろう、と半ばあきらめている。 (ところが私の英語の字は下手ではない、と私は思っている。 キット前世はイギリス人だったのかも)
今日は、夏休み後の久しぶりの書道教室の日で、私が前回に要請していた「ひらがな」のお手本を先生が書いてきて下さった。 先生は実はひらがながお得意だ、と前回仰っていた。 三人しかいない生徒達はお手本を見て、ぞ~っとした、と私は思う。 「藤原行成筆 御物和漢朗詠集より」…と来た。
「いろはにほへと~つねならむう」までの字を何枚書いてもうまくいかない。 私だけだと思ったら、お友だちも苦戦していらっしゃる。 先生は一字一字を丁寧に筆を入れてくださった。
帰宅して、お昼を済ませたら、ぐったりして、何もする気がしなかった。
2009年9月9日水曜日
仲秋の名月
何時ものUさんが「いよいよ、仲秋の名月ですね」と言った。 「そうね」と答えたものの仲秋の名月の意味が良く分からなかった。 今日9月9日がそうなのかしら?と瞬間的に思った。 いや、9月9日は中国では”九重節”と言って月餅と関係があるのではなかったかしら? 何しろ物忘れがヒドイ
少し調べてみたら、仲秋の名月は 今の暦で言えば9月25日で、必ずしも満月のことを言うのではないらしい。 でも、24歳の若さの青年が’仲秋の名月’と言うのは何か嬉しい。 先ほど空を見てみたら、雲の間に六部位のお月さまが見えた。
夕方、トテモ可愛がっていただいていた小母さまから何年振りかで電話があった。 その方は以前大森に住んでいらっして、今は札幌にお一人でマンション暮らしをなさっている。 「ふさ子ちゃん、おばちゃまよ!」で始まり、私もう九十六歳よ!と御近あ況から昔話まで一時間近くお話しする。 記憶力の良いこと! お互い懐かしくて、涙がこぼれそう。 私はお世話になったばかりで、ご恩返しをしていない!
そのことが、ただ、気になる。お元気で!!!
少し調べてみたら、仲秋の名月は 今の暦で言えば9月25日で、必ずしも満月のことを言うのではないらしい。 でも、24歳の若さの青年が’仲秋の名月’と言うのは何か嬉しい。 先ほど空を見てみたら、雲の間に六部位のお月さまが見えた。
夕方、トテモ可愛がっていただいていた小母さまから何年振りかで電話があった。 その方は以前大森に住んでいらっして、今は札幌にお一人でマンション暮らしをなさっている。 「ふさ子ちゃん、おばちゃまよ!」で始まり、私もう九十六歳よ!と御近あ況から昔話まで一時間近くお話しする。 記憶力の良いこと! お互い懐かしくて、涙がこぼれそう。 私はお世話になったばかりで、ご恩返しをしていない!
そのことが、ただ、気になる。お元気で!!!
2009年9月8日火曜日
お子様ランチ
先日テレビで今時の’お子様ランチ’のことについて報じていた。 デパートなどでは今でも昔と変わらない形の’お子様ランチ’を提供しているらしい。 昔(私がまだ小学校に入る前のことだから70年以上前のことになるが)と今のお子様ランチはほとんど変わりないように見えた。
ハンバーグがあり、オムレツがあり、必ず旗が立っていた。 私が6,7歳の頃、つまり戦争前に、両親に連れられて行ったデパートは、当時北九州の八幡に住んでいて、丸九というデパートの食堂で、私はそれが、嫌なことの一つだったが、お子様用の足の長い椅子に座らされ、定員さんが、紙で出来たエプロンを、私の後ろに回って結ばれることだった。 今考えるとなぜ嫌だったのか分からない。 定員さんは「お嬢様だから、蝶々結びにしましょうね」などとお世辞を言いながら結ばれるのがたまらなく嫌だった。 その後の何年か戦争の間は、それこそ夢の夢の話しだったと思う。
今から二十年くらい前、少し変わったお友だちが、銀座のアサヒビールのレストランで 「ここの中のメニューでお子様ランチが一番美味しそう!」と言い「何も恥ずかしがる事はないわと!」と言って、勇気を出して、お子様ランチをオーダーした。 チキンライス、オムレツ、ハンバーグ、ポテトサラダそれにプリンも付いてお値段は安く、ケッコウお腹も満たされた。 だだ、そのお店の名前の入った旗だけは
我慢ならなかった。
ハンバーグがあり、オムレツがあり、必ず旗が立っていた。 私が6,7歳の頃、つまり戦争前に、両親に連れられて行ったデパートは、当時北九州の八幡に住んでいて、丸九というデパートの食堂で、私はそれが、嫌なことの一つだったが、お子様用の足の長い椅子に座らされ、定員さんが、紙で出来たエプロンを、私の後ろに回って結ばれることだった。 今考えるとなぜ嫌だったのか分からない。 定員さんは「お嬢様だから、蝶々結びにしましょうね」などとお世辞を言いながら結ばれるのがたまらなく嫌だった。 その後の何年か戦争の間は、それこそ夢の夢の話しだったと思う。
今から二十年くらい前、少し変わったお友だちが、銀座のアサヒビールのレストランで 「ここの中のメニューでお子様ランチが一番美味しそう!」と言い「何も恥ずかしがる事はないわと!」と言って、勇気を出して、お子様ランチをオーダーした。 チキンライス、オムレツ、ハンバーグ、ポテトサラダそれにプリンも付いてお値段は安く、ケッコウお腹も満たされた。 だだ、そのお店の名前の入った旗だけは
我慢ならなかった。
2009年9月4日金曜日
楽しい夕食を有難う!
この夏は英里ちゃんと里彩ちゃんにはもう、会えないかしら?と思っていたら、下の妹の夫が銀座
の画廊で絵の展覧会に出品するので、それを見がてら夕食を一緒にしようと誘ってくれた。
妹の夫の絵はともかくとして(失礼!)英里ちゃん達に会えるのは、嬉しく4時半に画廊に行く。 しばらくして、現れた英里ちゃんは大叔母を直ぐに認めてくれたが、妹ちゃんは一瞬考えた様子だったが、直ぐに思い出してくれて、私の側を離れなくなった。
絵を見終わってから、東銀座のホテルで夕飯をご馳走になる時も二人の姉妹は私の右・左に席をとって、大伯母はとっても幸せ。 バイキング形式だったので、英里ちゃんはデザートのチョコレートまぶしが気にいっているようだった。 お腹が満たされてくるとともに、里彩ちゃんはだんだん元気が出てきて、少し賑やかになったきたが、ケッコウ席も混みあっおていたので、左程気にする必要はなかった。
これだけで別れたくない気もちだったが、子供たちもだんだんすることが増えてくるに違いない。
帰りのバスの中で、芦屋に戻った諒ちゃんのママからメールが届いた。 その後の様子が気になっていたので電話をしてみようと思ってっていたところだったので、帰宅後電話した。 姪の懐かしい?声と諒ちゃんの元気そうな泣き声が聞こえてきたので、その声を聞いていたいような、ママに面倒見て!と言いたいような・・・・・。 やっぱり、芦屋は遠い。
の画廊で絵の展覧会に出品するので、それを見がてら夕食を一緒にしようと誘ってくれた。
妹の夫の絵はともかくとして(失礼!)英里ちゃん達に会えるのは、嬉しく4時半に画廊に行く。 しばらくして、現れた英里ちゃんは大叔母を直ぐに認めてくれたが、妹ちゃんは一瞬考えた様子だったが、直ぐに思い出してくれて、私の側を離れなくなった。
絵を見終わってから、東銀座のホテルで夕飯をご馳走になる時も二人の姉妹は私の右・左に席をとって、大伯母はとっても幸せ。 バイキング形式だったので、英里ちゃんはデザートのチョコレートまぶしが気にいっているようだった。 お腹が満たされてくるとともに、里彩ちゃんはだんだん元気が出てきて、少し賑やかになったきたが、ケッコウ席も混みあっおていたので、左程気にする必要はなかった。
これだけで別れたくない気もちだったが、子供たちもだんだんすることが増えてくるに違いない。
帰りのバスの中で、芦屋に戻った諒ちゃんのママからメールが届いた。 その後の様子が気になっていたので電話をしてみようと思ってっていたところだったので、帰宅後電話した。 姪の懐かしい?声と諒ちゃんの元気そうな泣き声が聞こえてきたので、その声を聞いていたいような、ママに面倒見て!と言いたいような・・・・・。 やっぱり、芦屋は遠い。
2009年8月31日月曜日
台風がくるというので・・・・
選挙報道の合間に、台風が関東地区を襲う恐れがあると報じられていたので、朝九時半に家を出て、池上の銀行に行く。 さすがに空いていて、洗面台の取り換えのための初回金を振り込む。
夕方、冷蔵庫の支払いもあるので、気になったけれど、資金ぐりも我ながら運よくできた。 そこまでは・・・・。
夕方、電気店から電話で30分後にお伺いします・・・と連絡があり、冷蔵庫の中身を出し始めて、ビックリ! 野菜入れを整理し、冷凍庫の始末にずいぶん時間がかかり、そこらじゅう食べ物の山。 三分の一は廃棄。 あ~あ、疲れた!
新しい冷蔵庫は、以前より少し大型なので、都合良く収めるのに又30分くらい時間がかかった。 そういえば昨年暮れには冷蔵庫の整理をしなかったかも? 知らず知らずのうちに不用なものがたまって恐ろしいことになっていた。
この夏も、家にいる事が少なく、カーテンなどの洗濯も出来てない。 考えていても仕方のないこと、
天気が良くなったら,順次こなすしかない。 先ずは洗面所の整理から・・・・。
夕方、冷蔵庫の支払いもあるので、気になったけれど、資金ぐりも我ながら運よくできた。 そこまでは・・・・。
夕方、電気店から電話で30分後にお伺いします・・・と連絡があり、冷蔵庫の中身を出し始めて、ビックリ! 野菜入れを整理し、冷凍庫の始末にずいぶん時間がかかり、そこらじゅう食べ物の山。 三分の一は廃棄。 あ~あ、疲れた!
新しい冷蔵庫は、以前より少し大型なので、都合良く収めるのに又30分くらい時間がかかった。 そういえば昨年暮れには冷蔵庫の整理をしなかったかも? 知らず知らずのうちに不用なものがたまって恐ろしいことになっていた。
この夏も、家にいる事が少なく、カーテンなどの洗濯も出来てない。 考えていても仕方のないこと、
天気が良くなったら,順次こなすしかない。 先ずは洗面所の整理から・・・・。
2009年8月30日日曜日
選挙
東京は朝から台風の影響で時々雨。 早めに投票に行った方がよさそうだと思って、10時ごろ家を出た。 ご夫妻で投票に行く方が何組か見られた。
投票所に決められている久が原小学校に着いて、驚いた。 門を入るのにも、競争。 投票所の入口まで、長い列で、これは時間がかかりそうだと思っていたら、私の家の区域の方々が少なかったので、直ぐ投票することが出来た。 こんなに多くの方々が投票に来たのを見たのは30年来なかったこと。 これでは、多分民主党が大勝だろうな~と皆思った事だろう。 選挙戦でも今までわめきつずけていらっしたMさんがトテモ落ち着いた感じで、自民党のIさんは可也切羽つまって、当初から優劣は決まっていた。
選挙速報で各地からの当選者のインタビューがなされている。 世の中政権が変わったからと言ったって、そう変わるとは思えない。
投票所に決められている久が原小学校に着いて、驚いた。 門を入るのにも、競争。 投票所の入口まで、長い列で、これは時間がかかりそうだと思っていたら、私の家の区域の方々が少なかったので、直ぐ投票することが出来た。 こんなに多くの方々が投票に来たのを見たのは30年来なかったこと。 これでは、多分民主党が大勝だろうな~と皆思った事だろう。 選挙戦でも今までわめきつずけていらっしたMさんがトテモ落ち着いた感じで、自民党のIさんは可也切羽つまって、当初から優劣は決まっていた。
選挙速報で各地からの当選者のインタビューがなされている。 世の中政権が変わったからと言ったって、そう変わるとは思えない。
2009年8月29日土曜日
大丈夫?
年をとると疲れの出るのが、遅くなる。 子供のころは遠足とか運動会の翌日に疲れた~!という感じでも、直ぐに回復するのに・・・・。
昨日の朝は何とも脱力感に襲われ、熱を計ったら微熱があったので、ジムに行くのをやめた。 午後Uさんが来て下さり、洗面所の修理の契約をして、いろいろ楽しい話をしているうちに、すっかり気分もよくなり、買い物に行く気もしてきた。
今日もジムのお友達とお茶をいただきながら、世間話をして、すっかり、元気を回復した。 ところが、夕方何時もの電気やさんに冷蔵庫の修理をお願いしたところ、買い替えを勧められて、また少し落ち込む羽目になった。 それでも、私は意外についていて、その上、あきらめ?が早いので、例の「後十年生きるとして・・・・」というセリフを思い出して、買い替えることにした。もう少しもたせたかったし、今年は色々出費も嵩んだけれど・・・。 まあ、どうにかなるさ、というのと「風と共に去りぬ」のスカーレットではないけれど「又明日、考えよう」というわけ。 神様が時々助けt下さることがあるのですよ!
昨日の朝は何とも脱力感に襲われ、熱を計ったら微熱があったので、ジムに行くのをやめた。 午後Uさんが来て下さり、洗面所の修理の契約をして、いろいろ楽しい話をしているうちに、すっかり気分もよくなり、買い物に行く気もしてきた。
今日もジムのお友達とお茶をいただきながら、世間話をして、すっかり、元気を回復した。 ところが、夕方何時もの電気やさんに冷蔵庫の修理をお願いしたところ、買い替えを勧められて、また少し落ち込む羽目になった。 それでも、私は意外についていて、その上、あきらめ?が早いので、例の「後十年生きるとして・・・・」というセリフを思い出して、買い替えることにした。もう少しもたせたかったし、今年は色々出費も嵩んだけれど・・・。 まあ、どうにかなるさ、というのと「風と共に去りぬ」のスカーレットではないけれど「又明日、考えよう」というわけ。 神様が時々助けt下さることがあるのですよ!
2009年8月26日水曜日
虫の合唱
京都に居た時は感じなかったけれど、東京の私の家の狭い庭では秋の虫の大合唱。 私が移って来た頃はクツワムシの声なども混ざっていて、眠れないほどだったけれど、今鳴いているのは、主に、こうろぎの合唱のようだ。 先日、ミサワのUさんが夏休みに白馬に行って夜空の星がトテモ奇麗でした・・・と言っていらっしたが、東京の夜空は星の数も少ない。
ようやく普段の生活に戻り、少し淋しいけれど、マイぺースで事が始められる。 午前中Uさんが担当の業者さんを連れて来て、ようやく洗面所の修理に取り掛かる。 明日からジムにも行くことができる。B医院に行って大腸の検査の準備もしなければならない。 秋の訪れが早いと、気が焦ってしまう。
2009年8月25日火曜日
夏の終わりは諒ちゃんとお別れ
二十一日に妹と姪と諒ちゃん達を京都へ送って行って、今夕帰京した。 新幹線の中では諒ちゃんはトテモ静かに眠っていて、グリーン車の中のどなたもが赤ちゃんがいる事さえ気ずかなかったと思う。
じーじとお手伝いさんがにこにこと出迎えてくれたが、前もって用意していたベットには寝つけないようだった。 環境の変化に以外に敏感なのか、それとも成長してきたのか? ともかく大モテ!
二人のお手伝いさん達はお孫さんもいて、赤ちゃんのあっかいには慣れていて、私たちは安心して少しの間、出かけることもできた。 着いた日にはゴルフ帰りのパパも駆けつけて賑やかな夜になった。
ただ、パパがばばの、妹に対しては丁寧すぎる?お世話になりました・・・という言葉があったのに、大伯母のわもたしには、何の言葉もなかったので、私は少し不快だった。 五月の自治会の総会の後から(5月17日)から妹が仕事で京都に帰った日は私だけ泊まったり、途中何度かは家に戻って泊まったものの、料理教室もドタキャンしたり、ジムにも通えなかったり・・・・少し体調も悪かったり・・・・。 それでも、諒ちゃんを抱っこ出来たのはトテモ嬉しいことで、特に笑顔を見せてくれたり、姪の三人で大徳寺辺りを散策したり、姪のベッドで「お雛まき」された諒ちゃんを真夜中まで面倒をみたこと、それだけの体力を私に与えてくださった神様に感謝!
帰京して、すっかり夏が終わってしまったのを感じて、諒ちゃんともしばらくは会えないな~と、淋しく、何十年か前、諒ちゃんのママがば~ばと京都へ戻る時のことなども思い出した。
じーじとお手伝いさんがにこにこと出迎えてくれたが、前もって用意していたベットには寝つけないようだった。 環境の変化に以外に敏感なのか、それとも成長してきたのか? ともかく大モテ!
二人のお手伝いさん達はお孫さんもいて、赤ちゃんのあっかいには慣れていて、私たちは安心して少しの間、出かけることもできた。 着いた日にはゴルフ帰りのパパも駆けつけて賑やかな夜になった。
ただ、パパがばばの、妹に対しては丁寧すぎる?お世話になりました・・・という言葉があったのに、大伯母のわもたしには、何の言葉もなかったので、私は少し不快だった。 五月の自治会の総会の後から(5月17日)から妹が仕事で京都に帰った日は私だけ泊まったり、途中何度かは家に戻って泊まったものの、料理教室もドタキャンしたり、ジムにも通えなかったり・・・・少し体調も悪かったり・・・・。 それでも、諒ちゃんを抱っこ出来たのはトテモ嬉しいことで、特に笑顔を見せてくれたり、姪の三人で大徳寺辺りを散策したり、姪のベッドで「お雛まき」された諒ちゃんを真夜中まで面倒をみたこと、それだけの体力を私に与えてくださった神様に感謝!
帰京して、すっかり夏が終わってしまったのを感じて、諒ちゃんともしばらくは会えないな~と、淋しく、何十年か前、諒ちゃんのママがば~ばと京都へ戻る時のことなども思い出した。
2009年8月17日月曜日
八月十五日
毎年八月十五日、大田区では終戦記念と平和を祈念して、区民の有志の寄付により、多摩川で花火大会を催している。
私の家の前の道路からそれらの花火を見る事が出来る。 ところが、昨年は妹宅の箱根の別荘に行っていて叶わず、今年は姪の出産後の諒ちゃんの世話をするため、富ヶ谷の妹宅へ泊っていて、花火を見る事が出来なかった。
私の様に戦争を知っている者にとって、花火のド~ン、という音は、戦後こんなに年月が経っているにも関わらず、時にはB29に向けて発砲している大砲の音を思い出したりする。 そのほとんどが、機体に届くことなく、空しく音だけが耳に残った。 お腹に響く音だった。
戦争中久が原に住んでいた方々から時々、大砲の基地があって、そのためこのあたりに焼夷弾が落とされたり、高射砲に撃ち落とされたB29の機体が落ちたところには大きな穴が開いていた・・・という話を聞いたことがある。 大きな穴が出来たという、そのあたりには今は二・三軒家が建っている。 こんなに静かなこの街並みにそんなことがあったということを話して下さる方々も年をとられた。
私の家の前の道路からそれらの花火を見る事が出来る。 ところが、昨年は妹宅の箱根の別荘に行っていて叶わず、今年は姪の出産後の諒ちゃんの世話をするため、富ヶ谷の妹宅へ泊っていて、花火を見る事が出来なかった。
私の様に戦争を知っている者にとって、花火のド~ン、という音は、戦後こんなに年月が経っているにも関わらず、時にはB29に向けて発砲している大砲の音を思い出したりする。 そのほとんどが、機体に届くことなく、空しく音だけが耳に残った。 お腹に響く音だった。
戦争中久が原に住んでいた方々から時々、大砲の基地があって、そのためこのあたりに焼夷弾が落とされたり、高射砲に撃ち落とされたB29の機体が落ちたところには大きな穴が開いていた・・・という話を聞いたことがある。 大きな穴が出来たという、そのあたりには今は二・三軒家が建っている。 こんなに静かなこの街並みにそんなことがあったということを話して下さる方々も年をとられた。
2009年8月11日火曜日
来た!
今朝五時八分に又揺れた。 何となく目が覚めて、いらついていたら、突然、ゆら~っと揺れた。 地震! 今度は本物かも? ほかの人達は信じないだろうけれど、私の寝室では、南から北へと揺れる。 いよいよ、東京に大きな地震が・・・・? 二日前にあったばかりなのに・・・。 ガタン、ゆらゆら・・・と揺れて終わった。 急いでテレビをつけてみた。 やっぱり 、NHKでしょう?
震源地は静岡、と出た。 震源地は海沿いで津波に注意、と報じていた。 下の妹が一人で犬のベルと一緒に静岡県の十里木の別荘にいる。 夫は東京へ戻っている。 報道では妹の別荘あたりは大丈夫そうだったが、一旦下に降りて電話番号を確かめたが、もう少し経ってから・・・と思いなおして、起きてから電話した 震度六とかで目立った被害はなかったけれど、、可也怖かった由だった。
その後、妹から電話があって、次男からは午前五時代に様子を聞く電話があり、その後長男からも電話で様子を尋ねて来たけれど、夫からは何の問い合わせもないので反対にこちらから電話をした・・・とやや、憤慨した電話があった。
震源地は静岡、と出た。 震源地は海沿いで津波に注意、と報じていた。 下の妹が一人で犬のベルと一緒に静岡県の十里木の別荘にいる。 夫は東京へ戻っている。 報道では妹の別荘あたりは大丈夫そうだったが、一旦下に降りて電話番号を確かめたが、もう少し経ってから・・・と思いなおして、起きてから電話した 震度六とかで目立った被害はなかったけれど、、可也怖かった由だった。
その後、妹から電話があって、次男からは午前五時代に様子を聞く電話があり、その後長男からも電話で様子を尋ねて来たけれど、夫からは何の問い合わせもないので反対にこちらから電話をした・・・とやや、憤慨した電話があった。
2009年8月9日日曜日
あれから、もう六十四年?
先ほど驚くほど大きな地震があった。 一人でいる私はそんな時どうしたらいいか分からなくって、とりあえずテーブルの下にもぐった。 皆さまは普通どうなさいます? 一瞬の出来事にあわててする行動が時に命を奪われたり大変な目に逢うことになる。
先の戦争でもそんなことがアチコチで起きた。 単に運が良かったから・・・とだけは言い得ない事が六十四年前の長崎でも起きた。 この季節になると、私は私の記憶の中に残っている私の経験を思い出しながら文字にしておこうと思う。 時にはダブって書くこともあるかもしれないし、未だ十五歳だった私には理解できないことが沢山あった。
ところで、この日長崎に落とされた原爆については、新聞には余り詳しくは報じられなかったように思う。 広島に落とされた原爆についても、朝刊(その頃は夕刊は紙不足で発刊されなかった、と記憶する) に写真もなく、新型爆弾か?との見出しで記事も少なかった。
親たちも事情は分lかっていなかったようだった。 何となく何かが終わりに近ずいた感じで、 よくいわれていたように、また時々実際に訓練されていたように、竹棒で敵と戦うなんてことは、先ず不可能だということだけは、口には出さなかったとしても、誰もが分かっていたにちがいなかった。 ただ、誰もが今日は生きていた! 明日の空襲では、誰がどうなるか?・・・・と思っていたに違いなかった。
敵機が撒いていった”ビラ”も読むな!と言われていても、誰もがキッと、チラッとは見ていたに違いなかった。 幼稚な日本語で印刷されていたビラはもったいぶって報じられた「大本営発表!」より信じられそうな気がしたりしたのは、私だけではなかったと思う。
先の戦争でもそんなことがアチコチで起きた。 単に運が良かったから・・・とだけは言い得ない事が六十四年前の長崎でも起きた。 この季節になると、私は私の記憶の中に残っている私の経験を思い出しながら文字にしておこうと思う。 時にはダブって書くこともあるかもしれないし、未だ十五歳だった私には理解できないことが沢山あった。
ところで、この日長崎に落とされた原爆については、新聞には余り詳しくは報じられなかったように思う。 広島に落とされた原爆についても、朝刊(その頃は夕刊は紙不足で発刊されなかった、と記憶する) に写真もなく、新型爆弾か?との見出しで記事も少なかった。
親たちも事情は分lかっていなかったようだった。 何となく何かが終わりに近ずいた感じで、 よくいわれていたように、また時々実際に訓練されていたように、竹棒で敵と戦うなんてことは、先ず不可能だということだけは、口には出さなかったとしても、誰もが分かっていたにちがいなかった。 ただ、誰もが今日は生きていた! 明日の空襲では、誰がどうなるか?・・・・と思っていたに違いなかった。
敵機が撒いていった”ビラ”も読むな!と言われていても、誰もがキッと、チラッとは見ていたに違いなかった。 幼稚な日本語で印刷されていたビラはもったいぶって報じられた「大本営発表!」より信じられそうな気がしたりしたのは、私だけではなかったと思う。
2009年7月31日金曜日
昨日は暑かった!
今日はトテモ涼しくて、凌ぎやすく、歩くのも楽だったので、雪谷まで足をのばして必要なものを求めてた。
昨日、朝から燃えるような暑さだったので、ジムの帰り少し回り道して買い物を済ませた。 その道すがら、私にはお婆様としか見えなかったが、一人の女性がにこにこと、わたしの方に近ずいていらっした。 近くで見てようやくOさんだということが分かった。 今年の春にお会いした時はそんなことは感じなかったけれど・・・・。「具合が悪いのよ~。 私医者が嫌いなので・・・」と仰りしばらく立ち話をした。
思えば20年くらい前、その方も私も大田区の会議に出席 していて、私が南自治会の代表者として、区の方に、恐る恐る質問をしたら、その方をはじめとする他の自治会の婦人部の方たちが「南が何を言うのよ!」と言われたことがある。 それも無理からぬこと。 その前の会長がご自分一人で責任をとっていいてくださったので、会議に出た事がなかったからだ。 私はそれを取り返すため、そちらの方を通る時は気をつかって、頭を下げ、立ち話もして、「南の伊藤」を誇示した。 その後は他の自治会の方々とも、挨拶をする中になった、と自負している。
昨日、朝から燃えるような暑さだったので、ジムの帰り少し回り道して買い物を済ませた。 その道すがら、私にはお婆様としか見えなかったが、一人の女性がにこにこと、わたしの方に近ずいていらっした。 近くで見てようやくOさんだということが分かった。 今年の春にお会いした時はそんなことは感じなかったけれど・・・・。「具合が悪いのよ~。 私医者が嫌いなので・・・」と仰りしばらく立ち話をした。
思えば20年くらい前、その方も私も大田区の会議に出席 していて、私が南自治会の代表者として、区の方に、恐る恐る質問をしたら、その方をはじめとする他の自治会の婦人部の方たちが「南が何を言うのよ!」と言われたことがある。 それも無理からぬこと。 その前の会長がご自分一人で責任をとっていいてくださったので、会議に出た事がなかったからだ。 私はそれを取り返すため、そちらの方を通る時は気をつかって、頭を下げ、立ち話もして、「南の伊藤」を誇示した。 その後は他の自治会の方々とも、挨拶をする中になった、と自負している。
2009年7月29日水曜日
草冠?
今日満期になった定額預金を別の通帳に移し替えようと思って、朝早めに本局へ行った。
さすがに郵便局は空いていて、三冊の通帳の記載を感じよく引き受けてくれた。
ところが、空いていた所為もあって、私が書きこんだ私の名前について、三冊の通帳の名前の書き方が違っているから訂正しておいた方がいいと局員の男性が言う。 以前久が原の出張所でも同じ指摘があった。
つまり、私の名前 英子 の草冠がつながった一本棒ではいけないから離して書いてくれと言い 通帳の表記も、作り変えた方がいい、という。
今、パソコンで打ってみても草冠は 伊藤も英子も一本棒になっている。 そんな細かいこと言わないでもいいじゃない!・・・・と思いながらも、やっぱり気になる。 皆さまはどうお思いでしょう?
さすがに郵便局は空いていて、三冊の通帳の記載を感じよく引き受けてくれた。
ところが、空いていた所為もあって、私が書きこんだ私の名前について、三冊の通帳の名前の書き方が違っているから訂正しておいた方がいいと局員の男性が言う。 以前久が原の出張所でも同じ指摘があった。
つまり、私の名前 英子 の草冠がつながった一本棒ではいけないから離して書いてくれと言い 通帳の表記も、作り変えた方がいい、という。
今、パソコンで打ってみても草冠は 伊藤も英子も一本棒になっている。 そんな細かいこと言わないでもいいじゃない!・・・・と思いながらも、やっぱり気になる。 皆さまはどうお思いでしょう?
2009年7月25日土曜日
久しぶり・・・・
3週間ぶりで、ジムに行く。 土曜日は健体操のある日ので、なるべく出席したいと思っていたが、それも中々叶わなかった。 今日からはなるべく出ようと思って、朝から色々用意をする。
少し早めにジムに着いたが、受付あたりでも、ロッカーでも「しばらくいらっしゃらなかったみたいだけれど、どうなさったの?」と何人もの方に訊かれ、スタジオに入ってからもアチコチから声がかかる。
少し早めにジムに着いたが、受付あたりでも、ロッカーでも「しばらくいらっしゃらなかったみたいだけれど、どうなさったの?」と何人もの方に訊かれ、スタジオに入ってからもアチコチから声がかかる。
前もって「姪が出産するので、手伝いに行く」と言っておいた方があったのだけれど・・・・心配して下さる方々があるのは嬉しいことながら、説明するのが大変だった。 私もこのジムで、可也古株になったものだ。 それに、私ってケッコウもてるのです。
2009年7月24日金曜日
悲しいお知らせ
夕方、青山学院時代のお友達Nさんのご主人様からお電話があった。
今年の初め三年ぶりのクラス会を銀座のイタリアンレストラン「サバティー二」で行った時、幹事さんの一人だったNさんがクラス会の前日に倒れて、救急車で運こばれたという事で、急きょ私がお手伝いする羽目になった。 その後彼女は6か月間も入院されていて、ご主人によると、今月には退院できるということだった。 ところが、退院ご老人施設に入られ、ご主人ともどもお食事をなさるはずだった今夕、急に心臓発作で亡くなられたとご報告があぅた。
彼女は中国系台湾生まれで、学生時代は面倒見がよく、常に学級委員をしていて下さり連続クラス会幹事でいてくださった。 ジャズ、芸能界にも詳しく、「橋幸夫」さんのファンで、度々私たちの大森の家で食事をしながら、私がその頃聞いたこともないアメリカ人のジャズ歌手の名前などもよく知っていらっして、夫とも話が合った。 今の、年下のご主人との強引な馴れ初めもよく知っている。
彼女がいなくなるなんて、誰も想像さえしないだろう。 何人かのお友だちにそのことをお知らせして
驚きをお伝えした。 どなたも、もう八十近いのだから、私だって明日はどうだか?・・・・という応えが多かった。 それはそうよね?
退院後順調に回復されていたようだったが、近夕急に亡くなられたとお電話があった。
「伊藤さんとは一番仲良くさせていただいたので・・・・」とご主人は仰っていた。 一時期、彼女がまだ結婚されてなかった頃、大森の私宅に、よく来て下さり、ジャズを始め芸能関係に詳しく、夫とも話があって、時々は一緒にゴルフをしたり、家で食事をしたり、年下の今のご主人とのなれ合いの話なども、よく知っている。
今年の初め三年ぶりのクラス会を銀座のイタリアンレストラン「サバティー二」で行った時、幹事さんの一人だったNさんがクラス会の前日に倒れて、救急車で運こばれたという事で、急きょ私がお手伝いする羽目になった。 その後彼女は6か月間も入院されていて、ご主人によると、今月には退院できるということだった。 ところが、退院ご老人施設に入られ、ご主人ともどもお食事をなさるはずだった今夕、急に心臓発作で亡くなられたとご報告があぅた。
彼女は中国系台湾生まれで、学生時代は面倒見がよく、常に学級委員をしていて下さり連続クラス会幹事でいてくださった。 ジャズ、芸能界にも詳しく、「橋幸夫」さんのファンで、度々私たちの大森の家で食事をしながら、私がその頃聞いたこともないアメリカ人のジャズ歌手の名前などもよく知っていらっして、夫とも話が合った。 今の、年下のご主人との強引な馴れ初めもよく知っている。
彼女がいなくなるなんて、誰も想像さえしないだろう。 何人かのお友だちにそのことをお知らせして
驚きをお伝えした。 どなたも、もう八十近いのだから、私だって明日はどうだか?・・・・という応えが多かった。 それはそうよね?
退院後順調に回復されていたようだったが、近夕急に亡くなられたとお電話があった。
「伊藤さんとは一番仲良くさせていただいたので・・・・」とご主人は仰っていた。 一時期、彼女がまだ結婚されてなかった頃、大森の私宅に、よく来て下さり、ジャズを始め芸能関係に詳しく、夫とも話があって、時々は一緒にゴルフをしたり、家で食事をしたり、年下の今のご主人とのなれ合いの話なども、よく知っている。
2009年7月19日日曜日
従弟の子は、何ていうの?
昨日は下の妹の次男家族が諒ちゃんのお祝いに妹宅へ来てくれた。 私も英里ちゃん里彩ちゃんに会うののは久しぶりのこと。 二人は玄関でやや緊張気味で、諒太ちゃんに会うのを楽しみにしているようだった。 ところが肝心の諒ちゃんは先日の諒ちゃんのパパのご両親がいらっした時と同じく、ぐっすり眠っていて、周りの騒ぎにも動じなかった。
次にターゲットになったのは、大伯母の私だ。 どういうわけか私は子供にモテる。 遂には髪の毛はぐしゃぐしゃ、子供ギャングに襲われた牝牛?状態。 短い時間だったけれど楽しい時間だった。
諒ちゃんが育って、下の妹の長男の萌彩ちゃんも加わって、私がこれ以上のお婆さんになったらどういうことになるかしら? などと、嬉しいような少しもの悲しい思いを感じた。
どころで、従弟の子達はハトコではないし、何というの?
次にターゲットになったのは、大伯母の私だ。 どういうわけか私は子供にモテる。 遂には髪の毛はぐしゃぐしゃ、子供ギャングに襲われた牝牛?状態。 短い時間だったけれど楽しい時間だった。
諒ちゃんが育って、下の妹の長男の萌彩ちゃんも加わって、私がこれ以上のお婆さんになったらどういうことになるかしら? などと、嬉しいような少しもの悲しい思いを感じた。
どころで、従弟の子達はハトコではないし、何というの?
2009年7月17日金曜日
一か月以上遅れの誕生祝い
下の妹の長男が、私の誕生日を祝ってくれると言ってくれた。
朝、「ちょっと暑いけれど大丈夫?」と何時もながらのやさしい言葉を掛けてくれて、指定の銀座ソニービルの中のMAX'Mに行く。 出かけるまでは、MAX'Mなんて、大丈夫?・・・・と思っていたが、彼が現れてから驚いたのは、次々にあいさつに来る支配人、副支配人などの態度が、異常に緊張状態というか,気を使っていて、それほどのお得意さんなのかしら?と、いぶかりながら献立を決める。
ワインも貴腐ワインなどまでサーブされて、驚き。 前菜はホアグラの三種、メインは子羊を選んだ。
当然、燕尾服を着たスタッフたちが並んで「お誕生日おめでとうございます!」と言ってくれた。 これは
夫が在世中六本木のクラブで当時著名なミュウージシャン達が夫にあいさつをして、その司会者の指図で私のためだけに’ハッピー・バースディを奏してくれた時以来のことだった。
しばらく甥と話をしている間に、甥がなぜこんなに尊敬され、気を使われていたかの理由が判ってきた。 ご時世で、店も経営がうまくいかず、甥の経営コンサルタントとしてのノウ・ハウを学ぶためだったのだ。 食事後、店内で支配人などに色々な彼の知識を指導することになっていた様だった。
外に出たら、やはり、真夏の暑さ、頂いたケーキと花を持って、このまま帰るのも・・・・と思って、渋谷の妹宅へ直行、妹二人と姪とで、ケーキをいただいた。
朝、「ちょっと暑いけれど大丈夫?」と何時もながらのやさしい言葉を掛けてくれて、指定の銀座ソニービルの中のMAX'Mに行く。 出かけるまでは、MAX'Mなんて、大丈夫?・・・・と思っていたが、彼が現れてから驚いたのは、次々にあいさつに来る支配人、副支配人などの態度が、異常に緊張状態というか,気を使っていて、それほどのお得意さんなのかしら?と、いぶかりながら献立を決める。
ワインも貴腐ワインなどまでサーブされて、驚き。 前菜はホアグラの三種、メインは子羊を選んだ。
当然、燕尾服を着たスタッフたちが並んで「お誕生日おめでとうございます!」と言ってくれた。 これは
夫が在世中六本木のクラブで当時著名なミュウージシャン達が夫にあいさつをして、その司会者の指図で私のためだけに’ハッピー・バースディを奏してくれた時以来のことだった。
しばらく甥と話をしている間に、甥がなぜこんなに尊敬され、気を使われていたかの理由が判ってきた。 ご時世で、店も経営がうまくいかず、甥の経営コンサルタントとしてのノウ・ハウを学ぶためだったのだ。 食事後、店内で支配人などに色々な彼の知識を指導することになっていた様だった。
外に出たら、やはり、真夏の暑さ、頂いたケーキと花を持って、このまま帰るのも・・・・と思って、渋谷の妹宅へ直行、妹二人と姪とで、ケーキをいただいた。
2009年7月16日木曜日
僕の名前は諒太です!
六月三十日に生まれた僕の名前は諒太(リョウタ)です。
パパとママがそれまで、色々考えてくれていて、お七夜の日に僕が生まれた慶応義塾大学病院のママの部屋で、パパとママが相談して決めた幾つかの名前の中から、何時もの易の先生に伺って
最終的にこの名前が決まったのです。
「命名」を書くのはパパの仕事だそうで、大分緊張して、練習してくれたらしいのですが、何枚か書いているうちに、どうやら様になったようで、ほっとしました。 この用紙は僕が結婚するまで取っておくと聞きましたが・・・・? この名前に恥じないように、これから一生懸命頑張りたいと思います。
パパとママがそれまで、色々考えてくれていて、お七夜の日に僕が生まれた慶応義塾大学病院のママの部屋で、パパとママが相談して決めた幾つかの名前の中から、何時もの易の先生に伺って
最終的にこの名前が決まったのです。
「命名」を書くのはパパの仕事だそうで、大分緊張して、練習してくれたらしいのですが、何枚か書いているうちに、どうやら様になったようで、ほっとしました。 この用紙は僕が結婚するまで取っておくと聞きましたが・・・・? この名前に恥じないように、これから一生懸命頑張りたいと思います。
2009年7月15日水曜日
大泉学園あたり
時々私のブログに登場する、Uさんを大泉学園の易の先生宅に案内した。 以前から興味があるという事だったのだが、先生の予約が取れず三カ月も経ってしまった。
紹介する度にお互いが気に入って下さるかどうか心配なのだけれど、お玄関に入った瞬間、先生はトテモ好感を持ってくださったことが分かった。 Uさんもお会いした時から、心を許せると感じた由を後で聞いて安心した。 先生は若い男性を占う事は珍しとのことで、可也力が入っているようだった。
世間話も加わったりで中々帰れそうもなかった。 易で彼の好みの食べ物もわかっていらっして、あんこのもの、夕張メロンなど沢山ご馳走になった。 帰宅後、電話で「貴女は人助けをしていて、知らず知らず,徳を積んでいるのよ」と言われた。 Uさんの人を和ませる人柄は、易の先生と私との相性とも相まって、今日は暑い一日だったけれど、楽しい一日となった。
紹介する度にお互いが気に入って下さるかどうか心配なのだけれど、お玄関に入った瞬間、先生はトテモ好感を持ってくださったことが分かった。 Uさんもお会いした時から、心を許せると感じた由を後で聞いて安心した。 先生は若い男性を占う事は珍しとのことで、可也力が入っているようだった。
世間話も加わったりで中々帰れそうもなかった。 易で彼の好みの食べ物もわかっていらっして、あんこのもの、夕張メロンなど沢山ご馳走になった。 帰宅後、電話で「貴女は人助けをしていて、知らず知らず,徳を積んでいるのよ」と言われた。 Uさんの人を和ませる人柄は、易の先生と私との相性とも相まって、今日は暑い一日だったけれど、楽しい一日となった。
2009年7月4日土曜日
妹の孫達
私は子を産んだことがないため、当然孫もない。 二人の妹達、上の妹は今回ようやく?ば~ばになったし、下の妹の長男には9か月になる、萌彩ちゃんと次男には英国で生まれた英里ちゃんと、里彩ちゃんがあり、私は大伯母というより、大祖母ちゃんといった感じがする。
生まれたての姪の子は未だ命名されてないけれど、今のところ?一番年下の男の子となるわけだ。 どの子も可愛く思えて、ずーっと一緒に過ごしたいと、私でも思うわけだから、本物のお祖母ちゃまたちは、さぞや、と察する
下の妹は子供たちがまだ小さかった頃、実家の近くに住んでいたので、わたしの母は孫達と毎日会うことができたし、上の妹は年に何回か実家に泊まっていたので、幸せだったな~と思う。
私自身は子供が好きで、甥、姪達も私になついていてくれたが、夫は子供は好きではないので、ほしくない、と言っていて、半年にわたる英国出張の時手紙で論争したことがあった。 彼の両親は従弟同士でそのため、難聴の兄弟があったので、そう考えていたのかもしれなかった。 その証拠に妹の長男をしばらく家で預かっていた間、夫はトテモ可愛がっていた。
結婚して直ぐ今の総理の伯母様に当たるY様に結婚のご挨拶に伺った時「子供を持たないのは半端家族よ!」と言われてから、お宅へ伺うのを止めてしまった。 今でも肩身の狭い思いを時々する。 これも、詮無いこと。
生まれたての姪の子は未だ命名されてないけれど、今のところ?一番年下の男の子となるわけだ。 どの子も可愛く思えて、ずーっと一緒に過ごしたいと、私でも思うわけだから、本物のお祖母ちゃまたちは、さぞや、と察する
下の妹は子供たちがまだ小さかった頃、実家の近くに住んでいたので、わたしの母は孫達と毎日会うことができたし、上の妹は年に何回か実家に泊まっていたので、幸せだったな~と思う。
私自身は子供が好きで、甥、姪達も私になついていてくれたが、夫は子供は好きではないので、ほしくない、と言っていて、半年にわたる英国出張の時手紙で論争したことがあった。 彼の両親は従弟同士でそのため、難聴の兄弟があったので、そう考えていたのかもしれなかった。 その証拠に妹の長男をしばらく家で預かっていた間、夫はトテモ可愛がっていた。
結婚して直ぐ今の総理の伯母様に当たるY様に結婚のご挨拶に伺った時「子供を持たないのは半端家族よ!」と言われてから、お宅へ伺うのを止めてしまった。 今でも肩身の狭い思いを時々する。 これも、詮無いこと。
2009年7月2日木曜日
おめでとう!
6月30日姪夫妻に元気な男の子が誕生した。 姪はその子のために本を読んだりお灸をしたり、特別なマッサージを受けたりして、この日に備えているようだった。 私は28日、料理教室が終わった後、かたずけもそこそこ、富ヶ谷の妹宅へ急いだ。 あいにくの雨で可也大変だった。
翌日は色々の検査があるわけだけれど、中々時間通りはかどらず、姪と妹と私は部屋を出る事ができず、ただ座って待つしかなかった。 その翌日は姪の夫も上京して来て、また待ちの一日。
途中で緊急オペが二組も入ったようだった。 ようやく順番が来て、16時49分無事大きな男の子が誕生した。 少しでも早く新生児を見たいので、三人の目は出口へ釘ずけ。 出てきた赤ちゃんは、トテモ元気そうに泣き声を立ててうつぶせのまま新米パパとバ~バの前を過ぎていく。 二人とも夢中で写真を撮っていた。
姪もしばらくして病室に戻ってきたけれど、麻酔のためか、少し頭がぼ~っとした感じだと言っていたが、半身麻酔のせいで、執刀医と話しながら手術をしたとかで、余り痛がらず、出産も昔と違って進歩したものだ。 何しろ二人とも元気で無事であることが嬉しく思った。
翌日は色々の検査があるわけだけれど、中々時間通りはかどらず、姪と妹と私は部屋を出る事ができず、ただ座って待つしかなかった。 その翌日は姪の夫も上京して来て、また待ちの一日。
途中で緊急オペが二組も入ったようだった。 ようやく順番が来て、16時49分無事大きな男の子が誕生した。 少しでも早く新生児を見たいので、三人の目は出口へ釘ずけ。 出てきた赤ちゃんは、トテモ元気そうに泣き声を立ててうつぶせのまま新米パパとバ~バの前を過ぎていく。 二人とも夢中で写真を撮っていた。
姪もしばらくして病室に戻ってきたけれど、麻酔のためか、少し頭がぼ~っとした感じだと言っていたが、半身麻酔のせいで、執刀医と話しながら手術をしたとかで、余り痛がらず、出産も昔と違って進歩したものだ。 何しろ二人とも元気で無事であることが嬉しく思った。
2009年6月27日土曜日
今年もまた・・・同じころに・・・
今朝早く目が覚めて、 顎のあたりが妙に固くなっていて気になったけれど、起きて鏡を見て、左の頬あたりもなんとなく赤くなってきた。 今日は健美操の日でどうしても出席したかったが、どうしてそうなったか? 又明後日から姪の出産入院のこともあるので、変な病気だったら心配なので、朝一で行きつけの皮膚科の医院に行ってみた。 早めに行ったつもりなのに、八人くらいの方が診察を待って いた。
先生は以前からのカルテを繰りながら「また、かぶれですね」と仰る。 「植物に触ったり、木の下を通ったりしませんでしたか?」と尋ねられたけれど、直ぐには思い出せなかった。 医院を出てから、そう言えば、昨日書道が終わって、家に入る前に夏はぜの芽生えを触った・・・。 またやられた! その時、芽生えは毒性が強いかも?などと思ったが直ぐ忘れてしまった。 でも手はよく洗ったつもりだった。
何しろ、かぶれを抑える飲み薬は夕食後、塗り薬はステロイドが入っているので、一日二回しかぬれない。 汗をかくのもよくないだろう、とは思ったがせっかく久が原方面に少し歩いたので、駅近くのブテックに行ってみたら、十時半開店、とあるので、近くのスーパーで時間をつぶして、頼んであったパンツをゲット。 なんだか破れかぶれの気分。
午後、少し日が落ちてから、明日の料理教室の ための買い物をし、お友達とは会いたくないのに、こういう時に限って、何年ぶりかの方に声をかけられる。 私もその方が少し老けられたな~と思ったのだから、彼女も私をそう思われたに違いない。 立ち話もしないで、お別れする。 夕方になったらもっとひどくなってきた。 あ明日の地域の防災訓練はパスしよう。
先生は以前からのカルテを繰りながら「また、かぶれですね」と仰る。 「植物に触ったり、木の下を通ったりしませんでしたか?」と尋ねられたけれど、直ぐには思い出せなかった。 医院を出てから、そう言えば、昨日書道が終わって、家に入る前に夏はぜの芽生えを触った・・・。 またやられた! その時、芽生えは毒性が強いかも?などと思ったが直ぐ忘れてしまった。 でも手はよく洗ったつもりだった。
何しろ、かぶれを抑える飲み薬は夕食後、塗り薬はステロイドが入っているので、一日二回しかぬれない。 汗をかくのもよくないだろう、とは思ったがせっかく久が原方面に少し歩いたので、駅近くのブテックに行ってみたら、十時半開店、とあるので、近くのスーパーで時間をつぶして、頼んであったパンツをゲット。 なんだか破れかぶれの気分。
午後、少し日が落ちてから、明日の料理教室の ための買い物をし、お友達とは会いたくないのに、こういう時に限って、何年ぶりかの方に声をかけられる。 私もその方が少し老けられたな~と思ったのだから、彼女も私をそう思われたに違いない。 立ち話もしないで、お別れする。 夕方になったらもっとひどくなってきた。 あ明日の地域の防災訓練はパスしよう。
子に季節、今年もまた・・・
今朝、少し早めに目が覚めたら、顎のたりが妙にかたい。 もう 少しねたかったので、まだベッドにもどる。 それでも気になって部屋を明るくして鏡にうつしてみたらかたいばかりでなく、赤くなっていて、顔の他の部分も赤みがある。
2009年6月25日木曜日
まち・町・街
1 わがまちの、私の家の先の角で、久が原小学校に登校する生徒達を見守ってくださる方がある。 実は、そういう方が必要ということを聞いて、いつもその四つ角でタバコを吸っていらっる定年後のKさんを推薦した。 それから何年経ったことか 寒い日も暑い日も登校する生徒達を見守って立っていて下さる。 最近、その方が通り過ぎる生徒達に「おはよう!」と声をかけていらっしゃる。 気にかけているが、大方の生徒達は無言で通り過ぎていく。「おはようございます!」 と応える子は少ない。 家でそういう習慣がないのか?
2.我が町の ジムで、最近、インストラクターとして指導して下さっている青年が「私、結婚したいんです」と言う。 もう35歳ということなのだけれど、自分は料理も家事も出来るので、しっかりした務めをしている人がいい、と言う。 とても逞しく、指導も上手なのに・・・。
3 街で、最近ほんの時々疲れた時は、タクシーを拾うことがある。 そこで感じたのだが、黒塗りの車が多い。 先日も赤坂サカスから五反田まで、車に乗ろうと思って,通りかかった国際タクシーを止めようとして一瞬ためらった。 もしかして、ハイヤーかも? 乗り込んでから運転手さんに訊いてみた。 先日乗った国際タクシーも黒ぬりだった。 乗って走りながら周りを見渡しても、黒塗りが多い
「どうして? 世の中不景気だから?」 運転手さんの答えは「高級感があるからです」との答えだった。
皆さま気をつけて見てごらんなさい、オンジ色にチェックとか緑色とかがめっきり少なくなっている事に気ずくと思う。
2.我が町の ジムで、最近、インストラクターとして指導して下さっている青年が「私、結婚したいんです」と言う。 もう35歳ということなのだけれど、自分は料理も家事も出来るので、しっかりした務めをしている人がいい、と言う。 とても逞しく、指導も上手なのに・・・。
3 街で、最近ほんの時々疲れた時は、タクシーを拾うことがある。 そこで感じたのだが、黒塗りの車が多い。 先日も赤坂サカスから五反田まで、車に乗ろうと思って,通りかかった国際タクシーを止めようとして一瞬ためらった。 もしかして、ハイヤーかも? 乗り込んでから運転手さんに訊いてみた。 先日乗った国際タクシーも黒ぬりだった。 乗って走りながら周りを見渡しても、黒塗りが多い
「どうして? 世の中不景気だから?」 運転手さんの答えは「高級感があるからです」との答えだった。
皆さま気をつけて見てごらんなさい、オンジ色にチェックとか緑色とかがめっきり少なくなっている事に気ずくと思う。
2009年6月22日月曜日
思い出話
私の実の弟よりず~っと弟らしい従弟が下の妹と私をランチに誘ってくれた。
赤坂辺りは待ち合わせるのが大変なので、五反田駅で会い、JRと地下鉄を乗りついで、赤坂の、いとこの行きつけの店に行く。 新しくて清潔な店だった。 そのあと話が尽きず、近くのTBSビルでお茶しながら遠慮のない話が尽きない。
私たちの母方は兄弟も多く、したがって従弟たちの数も可也のもので、’杏の会”と名ずけた従弟会を結成しているが、従弟たちも年をとったり、亡くなったりで、中々集まるのも厳しくなってきた。
この従弟は父親が戦争中ニューギニアで戦病死して、戦後の食糧難の時期、私たち家族が埼玉県の戸田橋近くに住んでいたころ、その母親と彼を預かっていた経緯がある。 食料のない時期だったので、私たちの父母は隣接の土地に色々な野菜などを作って子供達の食料生産をしていた。
父もその当時は戦争中の所謂レッド・パージをまぬかれて製鉄会社の役員に返り咲いていた。 とは言え、二人口増えるのは可也大変なことだった。 その従弟の感じていたことは、彼の母親は彼の母親の実家がある宮崎県で過ごすべきだった・・・と言っていて、その美談はかき崩れた。 それもそうだ・・・と今だから言えることだ。
今時の、何不自由ない生活をしていける若い方たちには到底理解できることではないことは確かだ。
赤坂辺りは待ち合わせるのが大変なので、五反田駅で会い、JRと地下鉄を乗りついで、赤坂の、いとこの行きつけの店に行く。 新しくて清潔な店だった。 そのあと話が尽きず、近くのTBSビルでお茶しながら遠慮のない話が尽きない。
私たちの母方は兄弟も多く、したがって従弟たちの数も可也のもので、’杏の会”と名ずけた従弟会を結成しているが、従弟たちも年をとったり、亡くなったりで、中々集まるのも厳しくなってきた。
この従弟は父親が戦争中ニューギニアで戦病死して、戦後の食糧難の時期、私たち家族が埼玉県の戸田橋近くに住んでいたころ、その母親と彼を預かっていた経緯がある。 食料のない時期だったので、私たちの父母は隣接の土地に色々な野菜などを作って子供達の食料生産をしていた。
父もその当時は戦争中の所謂レッド・パージをまぬかれて製鉄会社の役員に返り咲いていた。 とは言え、二人口増えるのは可也大変なことだった。 その従弟の感じていたことは、彼の母親は彼の母親の実家がある宮崎県で過ごすべきだった・・・と言っていて、その美談はかき崩れた。 それもそうだ・・・と今だから言えることだ。
今時の、何不自由ない生活をしていける若い方たちには到底理解できることではないことは確かだ。
2009年6月18日木曜日
あやめと菖蒲?
7時蒲田集合、というのは私には少し厳しい。 前日も出かけていたし、友人が6時15分に誘いに来る・・・と言っていたのに、6時5分に、ベルがなる。
バスは蒲田から大井町、五反田、目黒と立ち寄ってお客?を乗せていく。 今日は木曜日なので道路状況は良好。 私は当初潮来に行くのは余り気が進まなかった。 案の定、可也俗っぽくそれでも色とりどりのあやめが咲き誇っていて、その種類多さにまず驚かせられた。 ここでは、「あやめ祭り」と謳っていた。
次に行った佐原の水生植物園に咲いている花は菖蒲だという。 こちらの 方が少し自然な感じがしたし、種類も多く、きちんと花の名も付いていて見やすかったと思う。 その後銚子の方へ向かったがそれは単に魚類の買い物をさせるためだった。 とりたての?いわしと目ヒカリという魚とピーナッツを買い込んで、どうやって持って帰るか少し心配になってきた。 そのあと醤油工場を見学して、醤油の小瓶をいただき、荷物は更に増す。 その上急に物凄い雨が降ってきた。 一番前の席に座って いたので疲れても強い雨が気になって眠るどころではない。 それでもその後都内に 入ったらまるで雨の感じはなくなってきた。 なんて、幸せ! 帰宅後何本もの電話。 つかれたよ~
バスは蒲田から大井町、五反田、目黒と立ち寄ってお客?を乗せていく。 今日は木曜日なので道路状況は良好。 私は当初潮来に行くのは余り気が進まなかった。 案の定、可也俗っぽくそれでも色とりどりのあやめが咲き誇っていて、その種類多さにまず驚かせられた。 ここでは、「あやめ祭り」と謳っていた。
次に行った佐原の水生植物園に咲いている花は菖蒲だという。 こちらの 方が少し自然な感じがしたし、種類も多く、きちんと花の名も付いていて見やすかったと思う。 その後銚子の方へ向かったがそれは単に魚類の買い物をさせるためだった。 とりたての?いわしと目ヒカリという魚とピーナッツを買い込んで、どうやって持って帰るか少し心配になってきた。 そのあと醤油工場を見学して、醤油の小瓶をいただき、荷物は更に増す。 その上急に物凄い雨が降ってきた。 一番前の席に座って いたので疲れても強い雨が気になって眠るどころではない。 それでもその後都内に 入ったらまるで雨の感じはなくなってきた。 なんて、幸せ! 帰宅後何本もの電話。 つかれたよ~
2009年6月17日水曜日
アフタヌーン・ティ
ジムの仲良しの三人に「何時か、ペニンシュラ・ホテルのアフタヌーン・ティに行かない?」と話したら「じゃ、今度の伊藤さんのお誕生日に行きましょう」と言ってくださり、三人の中でもレストランなどの予約をいつもとって下さる50代のお友達が早速予約を入れてくださり、今日バス停でまち合わせた。
香港のペニンシュラ・ホテルには義弟に二度も連れて行って頂いた。 そのホテルのティ・ラウンジの案内人が何十人も待っているお客の中から正しく順番どおりにお客を導きいれるのを見て、トテモ感激したものだった。おう
日比谷のペニンシュラ・ホテルは明るく広々としていて、予約をしていたせいか、二時半丁度に席に案内され、従業員のマナーも良かった。 以前下の妹に帝国ホテルのアフタヌーン・ティをご馳走になったけれど、彼女も言っていたとおり、可也失望した。
ペニンシュラ・ホテルのものはロンドンで頂いたものより充実していて、特にスコーンとこの店の特別お勧めのマンゴー・プリンは絶品で、入れ物の小さいのが誠に残念だった。 食いしん坊の私は残さず全部頂いたけれど、さすがに夕食は頂けなかった。
香港のペニンシュラ・ホテルには義弟に二度も連れて行って頂いた。 そのホテルのティ・ラウンジの案内人が何十人も待っているお客の中から正しく順番どおりにお客を導きいれるのを見て、トテモ感激したものだった。おう
日比谷のペニンシュラ・ホテルは明るく広々としていて、予約をしていたせいか、二時半丁度に席に案内され、従業員のマナーも良かった。 以前下の妹に帝国ホテルのアフタヌーン・ティをご馳走になったけれど、彼女も言っていたとおり、可也失望した。
ペニンシュラ・ホテルのものはロンドンで頂いたものより充実していて、特にスコーンとこの店の特別お勧めのマンゴー・プリンは絶品で、入れ物の小さいのが誠に残念だった。 食いしん坊の私は残さず全部頂いたけれど、さすがに夕食は頂けなかった。
2009年6月16日火曜日
夕立って夕方降るから?
夕立って夕方降るから夕立って言うの?
二日つずいて大雨? 暮れてから、夕立があった。
昨夜は、渋谷の妹宅へ二泊して、姪の出産のためのかたずけを手伝って(妹と姪と散歩したり、グルメしたりして)私としては良いことをしたと自負しての帰り道)渋谷駅までバス、JRで五反田、その後五反田から又バスに乗って、馬込かあたりから、ものすごい雨。 私は晴雨兼用の傘しか持ってなくって荷物を引きながら、何とも情けない感じ。 こんなことなら、もう一泊してくればよかった・・・と思ったりした。
ただ、この辺りは木も多く思ったほどは濡れずに家に飛び込んで、お風呂に入って、さっぱりした。
夕立三日、と言うからまた明日も降るのかしら? 明日は午後からジムのお友達三人が私の誕生祝いをして下さることになっている。
易の先生からの電話で、今月は午が三匹なので、カッカ?しないように注意して・・・、と電話があった。
二日つずいて大雨? 暮れてから、夕立があった。
昨夜は、渋谷の妹宅へ二泊して、姪の出産のためのかたずけを手伝って(妹と姪と散歩したり、グルメしたりして)私としては良いことをしたと自負しての帰り道)渋谷駅までバス、JRで五反田、その後五反田から又バスに乗って、馬込かあたりから、ものすごい雨。 私は晴雨兼用の傘しか持ってなくって荷物を引きながら、何とも情けない感じ。 こんなことなら、もう一泊してくればよかった・・・と思ったりした。
ただ、この辺りは木も多く思ったほどは濡れずに家に飛び込んで、お風呂に入って、さっぱりした。
夕立三日、と言うからまた明日も降るのかしら? 明日は午後からジムのお友達三人が私の誕生祝いをして下さることになっている。
易の先生からの電話で、今月は午が三匹なので、カッカ?しないように注意して・・・、と電話があった。
2009年6月12日金曜日
誕生祝いの食事会おう
京都から出てきている妹と出産のため富ヶ谷の両親宅に来ているその娘(いつも姪と私が言っている)と下の妹が私の誕生日を祝ってくれるために、九段下のホテルへ招いてくれた。
交通の便が余り良くないので、仕方なく東京駅からタクシーを拾った。 久しぶりで皇居のあたりを通って、交通量の多い毎日新聞社のあたりを過ぎ、九段下は以外に近かった。 私の本籍のある千代田区役所あたりを通ったのも久しぶりだった。
伊藤の家も戦前は三番町にあって、200坪もあるところだったと聞くが、2.26事件の時のことなども亡夫から聞いたことがあった。 戦争がなかったら、その家もあっただろうか? あのあたりも空爆で丸焼けになったわけだが、戦後に建てられたビルも建て替えの時期に来ているようだ。
ところで、お昼は地下の中華料理店でお料理を頂き、その後32階のバーでケーキとお茶をいただき、楽しい時を過ごした。 70代も最後の誕生日を一人心の中で思いつずけた。
交通の便が余り良くないので、仕方なく東京駅からタクシーを拾った。 久しぶりで皇居のあたりを通って、交通量の多い毎日新聞社のあたりを過ぎ、九段下は以外に近かった。 私の本籍のある千代田区役所あたりを通ったのも久しぶりだった。
伊藤の家も戦前は三番町にあって、200坪もあるところだったと聞くが、2.26事件の時のことなども亡夫から聞いたことがあった。 戦争がなかったら、その家もあっただろうか? あのあたりも空爆で丸焼けになったわけだが、戦後に建てられたビルも建て替えの時期に来ているようだ。
ところで、お昼は地下の中華料理店でお料理を頂き、その後32階のバーでケーキとお茶をいただき、楽しい時を過ごした。 70代も最後の誕生日を一人心の中で思いつずけた。
2009年6月9日火曜日
ジムの誕生祝い?
私の通っているジムでは、最近スタッフがすっかり変わり、前からいらっしゃる方は一人だけという状態。
今日も更衣室で「Kさんがいらっしゃらなくなって、なんかしまらないわね?」と若い方たちが話していた。 受けつけの女性を除いて、新しく入ったスタッフは四人? 皆一生懸命だけれど、何方がチーフなのかはっきりしない。
ところで、私の誕生日6月の月初めに受付の女性が「伊藤さん、今月はお誕生日ですよね?」と言って
スポーツドリンクを一本下さった。 私は喜んでそれを受け取った。 そのまた翌日、別のスタッフが「伊藤さん、今月お誕生日ですよね?」と言ってまたスポーツドリンクを一本下さりそうになったので「昨日頂きましたよ」と言ったら、「いいんです」とまた一本。 次の日も又一本。 どういうルールなのだろう。
他の方に伺ったら、私お誕生日でも何もいただかないわよ・・・と仰る。 なんだか人気とりみたい。
今日は入口に見慣れたスタッフが数人いらっした。 また「伊藤さん、今月はお誕生日ですよね」といわれたので、「私毎日来るたびに頂くので、困ったわ」と言ったら「今日でおしまいですので、二本持って行ってください」と二本渡された。 今日は寄り道するので、ドリンクを持ってこなかったので、ありがたく頂戴して、途中で飲んだ。 なんだかよくわからない???
今日も更衣室で「Kさんがいらっしゃらなくなって、なんかしまらないわね?」と若い方たちが話していた。 受けつけの女性を除いて、新しく入ったスタッフは四人? 皆一生懸命だけれど、何方がチーフなのかはっきりしない。
ところで、私の誕生日6月の月初めに受付の女性が「伊藤さん、今月はお誕生日ですよね?」と言って
スポーツドリンクを一本下さった。 私は喜んでそれを受け取った。 そのまた翌日、別のスタッフが「伊藤さん、今月お誕生日ですよね?」と言ってまたスポーツドリンクを一本下さりそうになったので「昨日頂きましたよ」と言ったら、「いいんです」とまた一本。 次の日も又一本。 どういうルールなのだろう。
他の方に伺ったら、私お誕生日でも何もいただかないわよ・・・と仰る。 なんだか人気とりみたい。
今日は入口に見慣れたスタッフが数人いらっした。 また「伊藤さん、今月はお誕生日ですよね」といわれたので、「私毎日来るたびに頂くので、困ったわ」と言ったら「今日でおしまいですので、二本持って行ってください」と二本渡された。 今日は寄り道するので、ドリンクを持ってこなかったので、ありがたく頂戴して、途中で飲んだ。 なんだかよくわからない???
2009年6月8日月曜日
七十九回目の誕生日
よくも、長いこと生きてきたものだ! 一人で声に出して言ってみる。 まがいもなく、後一年で八十歳の大大台にのるわけだ。 大げさに、今までの過ぎてきた年を振り返ってみるのは来年にしよう。
今日は朝から梅雨に入ったかのごとく曇り時々雨の状態。 妹たちやジムのお友達は日を変えて、お祝いの席をもうけてくれるという。 今月一いっぱいは誕生月になりそう。
中の妹と姪からは朝一で’おめでとう!’の電話があった。 下の妹からは焦って?、一週間前にメールがあった。 女学校時代の親友からもパソコンにお祝いのメッセージが届いた。 皆様!有難う! 先ほど久しぶりでお電話したお友達も「確か、お誕生日?と尋ねられ、貴女をお手本に、華やかに生きたい」と言っていただいた。
夕方、ニュー・ヨークからコンサートで訪れている夫の姪の長女の英美ちゃんに少しだけの時間会って一緒にお茶をいただいた。 今度の滞在はあまり長くないので、中々時間もとれないだろう。 およそ一年ぶりで会って懐かしさがいっぱい!
夜、心を許せる近所の仲良しのお友達にも電話で久しぶりの尽きない話をした。 心和やかな良いお誕生日だったと思う。
今日は朝から梅雨に入ったかのごとく曇り時々雨の状態。 妹たちやジムのお友達は日を変えて、お祝いの席をもうけてくれるという。 今月一いっぱいは誕生月になりそう。
中の妹と姪からは朝一で’おめでとう!’の電話があった。 下の妹からは焦って?、一週間前にメールがあった。 女学校時代の親友からもパソコンにお祝いのメッセージが届いた。 皆様!有難う! 先ほど久しぶりでお電話したお友達も「確か、お誕生日?と尋ねられ、貴女をお手本に、華やかに生きたい」と言っていただいた。
夕方、ニュー・ヨークからコンサートで訪れている夫の姪の長女の英美ちゃんに少しだけの時間会って一緒にお茶をいただいた。 今度の滞在はあまり長くないので、中々時間もとれないだろう。 およそ一年ぶりで会って懐かしさがいっぱい!
夜、心を許せる近所の仲良しのお友達にも電話で久しぶりの尽きない話をした。 心和やかな良いお誕生日だったと思う。
2009年6月7日日曜日
私って疲れてる?
先日、いつもの易の先生が「貴女、今トテモ疲れてるから、注意してね、」と言われた。
そう言えば、昨年に比べて、少し疲れやすくなったかな、と思った。 ジムで一時間くらいトレイニングした後、30分くらい昼寝をしたら、目覚めも良く、何でも来い!という感じだったけれど、今年は回復しにくいところがあるような気がする。
今日も朝食を済ませた後、のどが乾いて、冷たいコーヒーを二杯も飲んだせいか、それとも、久しぶりの晴天で張り切って下の部屋を夏バージョンに替えたりした所為か、ことのほか暑くなったせいか?それとも、易の先生の仰ったことを気にしていたせいか、少し昼寝をしようと思って、横になったら、お隣の奥様が、ハサミの音高く、木の枝を切って、だんだん家の方に回って来られるのが気になって、そのうち、鳥の鳴き声が”ぎ~、ぎ~”とうるさく、昼寝もできず、回復できなかった。
夕食を簡単に済ませて、早めにお風呂に入って、少しぼんやりしていたら、回復して来た様な気がする。 何時も思うのだけれど、一日、家にいると疲れるのはなぜ?
そう言えば、昨年に比べて、少し疲れやすくなったかな、と思った。 ジムで一時間くらいトレイニングした後、30分くらい昼寝をしたら、目覚めも良く、何でも来い!という感じだったけれど、今年は回復しにくいところがあるような気がする。
今日も朝食を済ませた後、のどが乾いて、冷たいコーヒーを二杯も飲んだせいか、それとも、久しぶりの晴天で張り切って下の部屋を夏バージョンに替えたりした所為か、ことのほか暑くなったせいか?それとも、易の先生の仰ったことを気にしていたせいか、少し昼寝をしようと思って、横になったら、お隣の奥様が、ハサミの音高く、木の枝を切って、だんだん家の方に回って来られるのが気になって、そのうち、鳥の鳴き声が”ぎ~、ぎ~”とうるさく、昼寝もできず、回復できなかった。
夕食を簡単に済ませて、早めにお風呂に入って、少しぼんやりしていたら、回復して来た様な気がする。 何時も思うのだけれど、一日、家にいると疲れるのはなぜ?
2009年6月4日木曜日
伊東深水の・・・・
私の家には特にお宝といったものもないけれど、夫の職業上の役得というか、三点の誇れるものがある。
その一つは伊東深水画伯の「早蕨」を描いた色紙、もう一つは料亭のセンスに頂いたイングリッド・バークマンの サイン。 もう一つはジーン・クルーパー、など戦後初めて招へいした著名なジャズメンたちから頂いたサインの数々。 だだ、それには TO MR.ITOと書いてあるので、 少し値打ちは下がるかもしれないけれど、ジャズ界に名だたる方々の直筆のサインが写真と共にはいっている。
伊東深水さんの色紙は毎年今頃になると額に入れて玄関先んに飾っている。 だんだん金箔が薄れていくようで少し心配だ。 この色紙は私がまだ結婚したばかりの年末に深水さんの奥様がご自分で私宅へお持ちくださった。
その頃私たちは大森の伊藤さんの洋館をお借りして住んでいて、そちらは200坪の中に古い大玄関と内玄関があり、私たちは21畳もある洋館に住んでいて、表札は、「伊藤」とあったので、夫の面目は立ったと思った。
奥様は控えめな日本的な美人だった。 「娘が大変お世話になっています」と仰ったと記憶している。
その頃、東郷たまみ、中尾ミエと朝丘雪路さん達を”三人娘”として日劇で売り出していた。
そのお礼だったのだろう。 これからも大事にしたい。
その一つは伊東深水画伯の「早蕨」を描いた色紙、もう一つは料亭のセンスに頂いたイングリッド・バークマンの サイン。 もう一つはジーン・クルーパー、など戦後初めて招へいした著名なジャズメンたちから頂いたサインの数々。 だだ、それには TO MR.ITOと書いてあるので、 少し値打ちは下がるかもしれないけれど、ジャズ界に名だたる方々の直筆のサインが写真と共にはいっている。
伊東深水さんの色紙は毎年今頃になると額に入れて玄関先んに飾っている。 だんだん金箔が薄れていくようで少し心配だ。 この色紙は私がまだ結婚したばかりの年末に深水さんの奥様がご自分で私宅へお持ちくださった。
その頃私たちは大森の伊藤さんの洋館をお借りして住んでいて、そちらは200坪の中に古い大玄関と内玄関があり、私たちは21畳もある洋館に住んでいて、表札は、「伊藤」とあったので、夫の面目は立ったと思った。
奥様は控えめな日本的な美人だった。 「娘が大変お世話になっています」と仰ったと記憶している。
その頃、東郷たまみ、中尾ミエと朝丘雪路さん達を”三人娘”として日劇で売り出していた。
そのお礼だったのだろう。 これからも大事にしたい。
2009年6月3日水曜日
長電話
ここのところ、学校時代の友人から三件の電話があった。
そのひとつは昨年ご長女とご主人を続けて亡くされ、ようやく色々かたずいてその間の大変だったこと、これからのことなどおよそ二時間にわたってご報告というか、これからの彼女の生き方について話され、私はだだ、聞いているだけだった。 彼女の健康のことがトテモ心配だった。
二つ目の電話は、私が留守をした間に何度か電話をしてくださったとのこどで、そのうち私が病気で入院したのではないかと、心配してくださったとのこと、だった。 この方とは、一方ではなく、お互いの最近の暮らし方の話とお互い一人暮らしなので、励ましあって、およそ、一時間で終わった。
三番目の電話は、いつも私が余り歓迎したくない電話で、何時も最低二時間は話しつずけ、決まって夫とその姉のことのこぼし話で、その度ごとに、よくも同じことを言いつずけるものだと、あきれはてる。
今日も午後二時からぴったり午後四時まで・・・、けっこう貴重な時間なのに・・・。
そのひとつは昨年ご長女とご主人を続けて亡くされ、ようやく色々かたずいてその間の大変だったこと、これからのことなどおよそ二時間にわたってご報告というか、これからの彼女の生き方について話され、私はだだ、聞いているだけだった。 彼女の健康のことがトテモ心配だった。
二つ目の電話は、私が留守をした間に何度か電話をしてくださったとのこどで、そのうち私が病気で入院したのではないかと、心配してくださったとのこと、だった。 この方とは、一方ではなく、お互いの最近の暮らし方の話とお互い一人暮らしなので、励ましあって、およそ、一時間で終わった。
三番目の電話は、いつも私が余り歓迎したくない電話で、何時も最低二時間は話しつずけ、決まって夫とその姉のことのこぼし話で、その度ごとに、よくも同じことを言いつずけるものだと、あきれはてる。
今日も午後二時からぴったり午後四時まで・・・、けっこう貴重な時間なのに・・・。
2009年5月27日水曜日
些細なことに・・・
年をとっての一人暮らしというのは、些細のことが気になって、気になって中々寝付けなかったりする。
昨夜、食器戸棚の戸の蝶つがいのねじが外れて、いつもなら直ぐ近くに備えておいてあるねじまわしでゆるんだネジをねじ込んで事なきを得るのだが、昨夜は支えそこなって、扉ごと床に落ちて、戸棚の側面を削ってぶら下がってしまった。 ようやく、戸を元に戻して上側のネジを止めたものの、 この扉が元に戻らなかったら・・・・どうしよ う? この備え付けの食器棚を作り替えたら・・・? それでなくても、夏過ぎには洗面台を取換えようと思っているのに・・・・。
あれこれ考えていたら、真夜中すぎてしまった。 階下に降り、安定剤を呑む。 目覚めは8時近く。
今日はごみ出しの日。
ジムに行き、仲よしのい友人とサイクリング・マシンに乗りながら、そんなことを話したら、「私が行くことで、気持ちが落ち着くのなら、行くわよ」とやさしい言葉を掛けてくださった。
帰宅後、時々小さな事をお願いしているご近所の工務店の方に電話してにみた。 直ぐ来て見てくださり、簡単に、木の部分に接着剤を付け、ネジでしっかり留めてくださって、一件落着!
文字どおり、「案ずるよりは、産むがやすし」ということ。
昨夜、食器戸棚の戸の蝶つがいのねじが外れて、いつもなら直ぐ近くに備えておいてあるねじまわしでゆるんだネジをねじ込んで事なきを得るのだが、昨夜は支えそこなって、扉ごと床に落ちて、戸棚の側面を削ってぶら下がってしまった。 ようやく、戸を元に戻して上側のネジを止めたものの、 この扉が元に戻らなかったら・・・・どうしよ う? この備え付けの食器棚を作り替えたら・・・? それでなくても、夏過ぎには洗面台を取換えようと思っているのに・・・・。
あれこれ考えていたら、真夜中すぎてしまった。 階下に降り、安定剤を呑む。 目覚めは8時近く。
今日はごみ出しの日。
ジムに行き、仲よしのい友人とサイクリング・マシンに乗りながら、そんなことを話したら、「私が行くことで、気持ちが落ち着くのなら、行くわよ」とやさしい言葉を掛けてくださった。
帰宅後、時々小さな事をお願いしているご近所の工務店の方に電話してにみた。 直ぐ来て見てくださり、簡単に、木の部分に接着剤を付け、ネジでしっかり留めてくださって、一件落着!
文字どおり、「案ずるよりは、産むがやすし」ということ。
2009年5月24日日曜日
私とブログ
以前の”ヴィヴィアンおばちゃま”に続きこの“ふさ子よりハローを!”見てくださる皆様、ありがとうございます。 見てくださっている方々は私が存じ上げている方々のみ・・・と思っていました。
ところが、最近気がついたのは、GOOGLEのブログの紹介欄を見て、以前私が書いた”いけ面デリ’を見た方が、{ふさ子さん有難う」と一回200円でお弁当などを届けてくれたりする方があることを知って私も利用したいとおもうし、母も助かると思います・・・とのコメントがあって、トテモ嬉しかった。
時々、かなり個人的なことも書いてしまrうこともあるかもしれないけれど・・・・。
今日は料理教室じの後、一月にお見合いをお世話した生徒さんがそのお母様と、その後についてのご相談があって、二時間ほど話し合いをした。 どうも、男性の方はお母様と同居を望んでいらっしゃるらしいし、彼も昨年お父様が亡くなり、お父様の方の家のローンは済んでいるものの、彼のローンは払わなければならない様子。 お見合いに立ち会ってくださった方お二人にそのことを伺っても、要領を得ず結局、直接お聞きになったら・・・・ということに決めた。
ところが、最近気がついたのは、GOOGLEのブログの紹介欄を見て、以前私が書いた”いけ面デリ’を見た方が、{ふさ子さん有難う」と一回200円でお弁当などを届けてくれたりする方があることを知って私も利用したいとおもうし、母も助かると思います・・・とのコメントがあって、トテモ嬉しかった。
時々、かなり個人的なことも書いてしまrうこともあるかもしれないけれど・・・・。
今日は料理教室じの後、一月にお見合いをお世話した生徒さんがそのお母様と、その後についてのご相談があって、二時間ほど話し合いをした。 どうも、男性の方はお母様と同居を望んでいらっしゃるらしいし、彼も昨年お父様が亡くなり、お父様の方の家のローンは済んでいるものの、彼のローンは払わなければならない様子。 お見合いに立ち会ってくださった方お二人にそのことを伺っても、要領を得ず結局、直接お聞きになったら・・・・ということに決めた。
2009年5月22日金曜日
流行遅れの花紛症
先日、姪と代々木公園を散策していて、楠の木の花の匂いがして、だいぶ前、このあたりのマンションの庭にもおも何本か大きな楠があって、少しませた女学校時代の友人が「楠の花は精液の匂い」と教えてくれたのを思い出した。 それでも大きな楠は日陰を作ってくれていて、気分がよかった。
ところが、その 夜のどがヒリヒリして、風邪をひいたかな~…と思ったり、これは、姪に移したらえらいことだ、と眠れなくなって、階下に降りて、ラリンゴールという喉のうがい薬を探したが見つからず、何のことはない、二階の洗面所にあったので、急いでうがいをしたら、ずいぶん楽になった。
昨日、家に戻って、恐る恐る熱を計ってみたらほぼ平熱でて安心したが、ここのところ毎時間インフルエンザのニュースがあり、聞いているだけで、移りそうな気がしてしまう。
今朝はまた大変! 起きたら直ぐ水のような鼻水がたらりたらり、頂き物のティッシュの箱 を持って降りる。 これがホントの花粉症なんだわ。 忽ち紙袋はいっぱい。 書道教室に行くのにも箱ごと持って行く。 家に戻ると立てつずけにくしゃみの連続! これが、本格的な花粉症、それに可也流行遅れ! かな?
ところが、その 夜のどがヒリヒリして、風邪をひいたかな~…と思ったり、これは、姪に移したらえらいことだ、と眠れなくなって、階下に降りて、ラリンゴールという喉のうがい薬を探したが見つからず、何のことはない、二階の洗面所にあったので、急いでうがいをしたら、ずいぶん楽になった。
昨日、家に戻って、恐る恐る熱を計ってみたらほぼ平熱でて安心したが、ここのところ毎時間インフルエンザのニュースがあり、聞いているだけで、移りそうな気がしてしまう。
今朝はまた大変! 起きたら直ぐ水のような鼻水がたらりたらり、頂き物のティッシュの箱 を持って降りる。 これがホントの花粉症なんだわ。 忽ち紙袋はいっぱい。 書道教室に行くのにも箱ごと持って行く。 家に戻ると立てつずけにくしゃみの連続! これが、本格的な花粉症、それに可也流行遅れ! かな?
2009年5月21日木曜日
代々木上原あたり
その店は知る人ぞ知る・・・らしく、ケッチャップとかマスタードな ども超ビッグでアメリカに住んだことのある方はなっかしいだろうな~と思われた。
こう
姪は少し元気になって来て、前向きにいろいいろ進んでいて、その日もその翌日も近くの代々木公園を歩くという。 代々木公園は楠なども多く、花をつけているらしく、私は翌々日花粉症になったようだみたいだ。
それでも公園はいろいろなコーナーがあって、バラが色とりどりに美しく、またハーブガーデンや噴水などもあって散歩には公的。 だけど、私は以前に比べて疲れやすくなったな~と・・・思った。
昨日は上原まで歩いて行って、駅近くの素敵なお蕎麦屋さんに行った。 その日にソバ打ちをする人の名前が入口に書いてあって、その日のおそばは少し固めだったけれど、絶品だった。
その足で、ジムのお友達がぜひ行ってみてくださいと仰っていたタルト屋さんを訪ねて井の頭通りを歩いて探しまわって、ようやく見つけたその店は以外にち
こう
姪は少し元気になって来て、前向きにいろいいろ進んでいて、その日もその翌日も近くの代々木公園を歩くという。 代々木公園は楠なども多く、花をつけているらしく、私は翌々日花粉症になったようだみたいだ。
それでも公園はいろいろなコーナーがあって、バラが色とりどりに美しく、またハーブガーデンや噴水などもあって散歩には公的。 だけど、私は以前に比べて疲れやすくなったな~と・・・思った。
昨日は上原まで歩いて行って、駅近くの素敵なお蕎麦屋さんに行った。 その日にソバ打ちをする人の名前が入口に書いてあって、その日のおそばは少し固めだったけれど、絶品だった。
その足で、ジムのお友達がぜひ行ってみてくださいと仰っていたタルト屋さんを訪ねて井の頭通りを歩いて探しまわって、ようやく見つけたその店は以外にち
代々木上原あたり
17日から姪が上京して来ている富ヶ谷に四泊したことになる。
毎日好天でまるで夏のような毎日だった。 姪も出産まであと一カ月余りで、心の準備もバンタン戸いうところ。 お友達から頂いた赤ちゃんのおもちゃとか、彼女が夫と一緒に求めたという赤ちゃんようの産着やタオルなどを前もって洗って日光に当てるには最適の日々だった。
その一つ一つが可愛くて ひとつひとつ声をあげてしまう。 二人の甥家族は既に子供を授かっているが、
この姪は、彼女が高校性のころから京都から東京に出て、こちらの学校に通い、私も英語を教え方々結婚するまで相談に乗ったり、アチコチ食べ歩きなどにも行った中なので、少しは体力的にも落ち着いてきた彼女と
富ヶ谷あたりをうろついた、
夕方少し涼しくなってから、近所にある、まるでアメリカに行ったみたいな店で彼女は大きなマック、私はフアップル・タイザーとフィッシュ・アンド・チップスを頼んだ。 むろん量はアメリカの三分のいch
毎日好天でまるで夏のような毎日だった。 姪も出産まであと一カ月余りで、心の準備もバンタン戸いうところ。 お友達から頂いた赤ちゃんのおもちゃとか、彼女が夫と一緒に求めたという赤ちゃんようの産着やタオルなどを前もって洗って日光に当てるには最適の日々だった。
その一つ一つが可愛くて ひとつひとつ声をあげてしまう。 二人の甥家族は既に子供を授かっているが、
この姪は、彼女が高校性のころから京都から東京に出て、こちらの学校に通い、私も英語を教え方々結婚するまで相談に乗ったり、アチコチ食べ歩きなどにも行った中なので、少しは体力的にも落ち着いてきた彼女と
富ヶ谷あたりをうろついた、
夕方少し涼しくなってから、近所にある、まるでアメリカに行ったみたいな店で彼女は大きなマック、私はフアップル・タイザーとフィッシュ・アンド・チップスを頼んだ。 むろん量はアメリカの三分のいch
2009年5月16日土曜日
明日から・
明日から富ヶ谷の妹達のところへ、5日ほど泊まりに行きます。 姪が7月に出産の予定で、今母親は所用で京都へ戻っているので、私がその間、面倒をみるというか、富ヶ谷付近の食道楽を楽しみに行くというか、ともかく、彼女が少しでも、穏やかな気持ちでいられるように、という思いがある。
昨日もジムを少しお休みすることを、お友達に話したら、アチコチで盛り上がって、私,以前富ヶ谷に住んでいたので、懐かしいというお友達や、あのあたりのおいしいタルトを売っているお店の話。麻生総理、阿部元総理の住んでいらる所の話などで盛り上がってしまった。
私がジムに行けない間に、ジムのインストラクターでそのジムはその方で持っていると皆が思っている方がお辞めになる。 この方はどなたにでも公平に指導を、しかも丁寧になさり、率先してジムの清掃、冷暖房などの調整すべてに気を配ったりで、私もいろいろ個人的な相談にも乗ってくださり、私の甥・姪とおない歳なのにトテモ得難い方だった。 今日、お世話になったご挨拶をした。
明日はこの地域の自治会の総会があり、私は行きがかり上、総会の議事録署名人どを頼まれているので。どうしても出席しなければならない。 どうぞ無事に穏やかに進行しますように・・・。
昨日もジムを少しお休みすることを、お友達に話したら、アチコチで盛り上がって、私,以前富ヶ谷に住んでいたので、懐かしいというお友達や、あのあたりのおいしいタルトを売っているお店の話。麻生総理、阿部元総理の住んでいらる所の話などで盛り上がってしまった。
私がジムに行けない間に、ジムのインストラクターでそのジムはその方で持っていると皆が思っている方がお辞めになる。 この方はどなたにでも公平に指導を、しかも丁寧になさり、率先してジムの清掃、冷暖房などの調整すべてに気を配ったりで、私もいろいろ個人的な相談にも乗ってくださり、私の甥・姪とおない歳なのにトテモ得難い方だった。 今日、お世話になったご挨拶をした。
明日はこの地域の自治会の総会があり、私は行きがかり上、総会の議事録署名人どを頼まれているので。どうしても出席しなければならない。 どうぞ無事に穏やかに進行しますように・・・。
2009年5月13日水曜日
パソコンを変えました
度々フリーズしたり、ブログが突然消えてしまったり、大分長い間、我慢をしてっましたが、ようやくパソコンを変えました。 昨日NTTの人が来て,ヒカリに変え今日は午後3時から技師に来ていただき、セットアップと、いろいろなデーターのとり込作業をしていただいた。 午後3時から5時半までかかった。 私の方が疲れて、血管がプッツンしてしまいそうだった・。
多分皆様のところにも私の新しいメールアドレスが届いたことと思います。 お手数ですが お書き換えお願いいたします。 距離で時間差があるわけではないとは思うが、ご近所のお友達二人からは既に「了解」の返事があった。
機能が沢山あって、果たして使いこなせるかどうか心配だ。
多分皆様のところにも私の新しいメールアドレスが届いたことと思います。 お手数ですが お書き換えお願いいたします。 距離で時間差があるわけではないとは思うが、ご近所のお友達二人からは既に「了解」の返事があった。
機能が沢山あって、果たして使いこなせるかどうか心配だ。
2009年5月11日月曜日
老後と保険
時々ご紹介する朝日新聞の「人生デザイン」一人で暮らすに保険のことがかいれあった。
亡夫は若い頃は保険に関心を持たず、私は密かに夫と自分自身にそれなりの生命保険を掛けていた。 夫は何度も入院したし、私も子宮筋腫の手術をして何日か入院した。 その後夫も年払の保険に入っていたことを大分後で知ったた。 だけど保険に援けられたという記憶はない。
保険をかけるということは安心を掛けると言う事に成るだけかも知らない。 夫の死後遺族年金生活になって、私自身の保険の額が可也家計に響くのを感じて、下の妹にも言われて半分にカットした。
そこで、この新聞記事によると、’ひとり暮らし”の人は死亡保険は300万円、入院保険は一日5万円が目安という。 又私のように高齢者で土地や家など残すものがある人は死亡保険を減らして、医療費や介護費に回す方法もあると。 更に保険料を増やすより貯蓄に回す方がいいとも言う。
病気入院なども公的カバーがある人は一月の費用が100万円掛っても自己負担は8万7千4百70円だそうた。
それにつけても、夫が年末に突然入院することになったことがあって、日赤医療センターの特別室しか空いてなくて、10日くらい入院して100万円払い、今考えるとそれは病院の押し付けだと言う理由で全額支払う必要はなかったのではないか、と思ったり退院後申請すれば還付金があったはずだ、ということもその頃は無知で知らなかった。 何しろ私のように、お金持ちとは云えないのに、メンドウと言うことが先立って、どうにかなるさ~と過ごしていては、どうしようもない・・・。
亡夫は若い頃は保険に関心を持たず、私は密かに夫と自分自身にそれなりの生命保険を掛けていた。 夫は何度も入院したし、私も子宮筋腫の手術をして何日か入院した。 その後夫も年払の保険に入っていたことを大分後で知ったた。 だけど保険に援けられたという記憶はない。
保険をかけるということは安心を掛けると言う事に成るだけかも知らない。 夫の死後遺族年金生活になって、私自身の保険の額が可也家計に響くのを感じて、下の妹にも言われて半分にカットした。
そこで、この新聞記事によると、’ひとり暮らし”の人は死亡保険は300万円、入院保険は一日5万円が目安という。 又私のように高齢者で土地や家など残すものがある人は死亡保険を減らして、医療費や介護費に回す方法もあると。 更に保険料を増やすより貯蓄に回す方がいいとも言う。
病気入院なども公的カバーがある人は一月の費用が100万円掛っても自己負担は8万7千4百70円だそうた。
それにつけても、夫が年末に突然入院することになったことがあって、日赤医療センターの特別室しか空いてなくて、10日くらい入院して100万円払い、今考えるとそれは病院の押し付けだと言う理由で全額支払う必要はなかったのではないか、と思ったり退院後申請すれば還付金があったはずだ、ということもその頃は無知で知らなかった。 何しろ私のように、お金持ちとは云えないのに、メンドウと言うことが先立って、どうにかなるさ~と過ごしていては、どうしようもない・・・。
2009年5月9日土曜日
何となく不安なこと
過去の写真の整理を取れあえず一時中止。
今週の木曜日、朝から私はおかしな行動をした。 そして一日落ち込んだ。 朝早く起きて、「今日は書道教室の日」だと思った。 木曜日を金曜日だと思い込んでいたと思う。 いつも先生が時間通りに来てくださるのに、生徒さんたちお二人は必ず30分遅れで見える。 前の書道の時間のとき先生に「時間を守ってください」と仰って下さいと云った私としては、どうしても時間少し前にクラブに着いていたかった。 受付の方と話していて、その日が木曜日だと言うことが分かった。 前にも一度そんなことがあった。 ボケた?とは思いたくない、でも若しかしてボケはじめたかな~。 私は色々言い訳を考えた。 ここのところパソコンを新しく買い替えることで、色々メンドウなことが重なり、アチコチに電話をかけたり、書類を見たり、聞いたこともないソフトを求めて来いと言われたり、少し頭がパニクッテいる。
新しいパソコンでプロバイダーをニフティから変えさせられて、やがて私のメール・アドレスも変えなくてはならない。 英語が少しは分かる積りの私でもソフトの名称、使用方はまるで分からないし、この年では分かっても直ぐ忘れてしまう、と思う。 今日購入したソフトはUSDメモリー 一ゲガのもの? 分かりますか?
これは古いパソコンの記録、名簿、お気に入りなどのデーターを移し変える器具のようです。 こんなこと自分ひとりではトテモ出来ない!・・・と私は思う。 あ~あお金のかかる玩具だこと!
今週の木曜日、朝から私はおかしな行動をした。 そして一日落ち込んだ。 朝早く起きて、「今日は書道教室の日」だと思った。 木曜日を金曜日だと思い込んでいたと思う。 いつも先生が時間通りに来てくださるのに、生徒さんたちお二人は必ず30分遅れで見える。 前の書道の時間のとき先生に「時間を守ってください」と仰って下さいと云った私としては、どうしても時間少し前にクラブに着いていたかった。 受付の方と話していて、その日が木曜日だと言うことが分かった。 前にも一度そんなことがあった。 ボケた?とは思いたくない、でも若しかしてボケはじめたかな~。 私は色々言い訳を考えた。 ここのところパソコンを新しく買い替えることで、色々メンドウなことが重なり、アチコチに電話をかけたり、書類を見たり、聞いたこともないソフトを求めて来いと言われたり、少し頭がパニクッテいる。
新しいパソコンでプロバイダーをニフティから変えさせられて、やがて私のメール・アドレスも変えなくてはならない。 英語が少しは分かる積りの私でもソフトの名称、使用方はまるで分からないし、この年では分かっても直ぐ忘れてしまう、と思う。 今日購入したソフトはUSDメモリー 一ゲガのもの? 分かりますか?
これは古いパソコンの記録、名簿、お気に入りなどのデーターを移し変える器具のようです。 こんなこと自分ひとりではトテモ出来ない!・・・と私は思う。 あ~あお金のかかる玩具だこと!
2009年5月7日木曜日
思い出の写真
前に書いた昔の写真の殆どは破いて焼いた。 その中でどうしても破きたくない写真が何枚かあった。 それは多分初恋と言える方の写真だった。 以前そのことについて書いたことがあったと思うが、それは戦争中から戦後へとつずき、最後はその方の死によって終末する。 老いるまで生きていて下さったらどんな話が出来ただろうか?と今思う。 無論その当時のことだから、清らかな若しかしたら一人合点の想いだったかも知れなかった。
最後に頂いたハガキには「男女の愛と師弟愛と混同なさらないように」とあり、それからしばらく経つてその方は突然亡くなった。
今思い出すと、大岡山の家に来て頂いたとき、母がトテモ冷たい態度で応対して、その頃あったお茶室でお茶をたててと、頼んだのに「用意していないから」と言ったり、私としてはお食事でも、と思っていた希望を打ち砕く感じで、学生時代にお世話になった、という態度はみじんもなかったのに私は驚き果てた思いがある。
当時のお付き合いは、ご一緒に横浜に行ったり、ダンスに誘われたり(当時は社交ダンスが流行っていた)「もう少し上手になって欲しい」と言われたりもした。
私が青山学院、聖心女学院を受験する時も「青山、聖心おそれるな、実力さえつければ」と仰ってくださり、私が青山学院に入学して直ぐ、えたいの知れぬ病気で一学期休んだ時も「御見舞いに行きたいけれど・・・少し遠いな」と仰って下さった。 その頃その方は女子高の教師を辞めて東大の文学部の学生で、夜はアルバイトをして学費を稼いでいらっした。 古い写真は学生服の写真だった。 その当時は学生は殆どが学生服を着ていて、ボタンがそれぞれの大学を表し銀杏のボタンは東大の誇りだった。
その頃、今の中学と高校が一貫で私は五年制の女学校を卒業したので、高校最後の集合写真はその方を中心の写真が残っている。 その写真の私は自分で”狢”と言う酷い顔の写真なので、当時ペンで塗りつぶしていた。
最後に頂いたハガキには「男女の愛と師弟愛と混同なさらないように」とあり、それからしばらく経つてその方は突然亡くなった。
今思い出すと、大岡山の家に来て頂いたとき、母がトテモ冷たい態度で応対して、その頃あったお茶室でお茶をたててと、頼んだのに「用意していないから」と言ったり、私としてはお食事でも、と思っていた希望を打ち砕く感じで、学生時代にお世話になった、という態度はみじんもなかったのに私は驚き果てた思いがある。
当時のお付き合いは、ご一緒に横浜に行ったり、ダンスに誘われたり(当時は社交ダンスが流行っていた)「もう少し上手になって欲しい」と言われたりもした。
私が青山学院、聖心女学院を受験する時も「青山、聖心おそれるな、実力さえつければ」と仰ってくださり、私が青山学院に入学して直ぐ、えたいの知れぬ病気で一学期休んだ時も「御見舞いに行きたいけれど・・・少し遠いな」と仰って下さった。 その頃その方は女子高の教師を辞めて東大の文学部の学生で、夜はアルバイトをして学費を稼いでいらっした。 古い写真は学生服の写真だった。 その当時は学生は殆どが学生服を着ていて、ボタンがそれぞれの大学を表し銀杏のボタンは東大の誇りだった。
その頃、今の中学と高校が一貫で私は五年制の女学校を卒業したので、高校最後の集合写真はその方を中心の写真が残っている。 その写真の私は自分で”狢”と言う酷い顔の写真なので、当時ペンで塗りつぶしていた。
2009年5月5日火曜日
連休中に・・・・
今年の連休中は、芦屋に住む姪夫妻が夕食を一緒にするために訪れるほかには特に予定もなかったので、アルバムの整理をしようと思って、昨日私の最も古いアルバムを取り出した。 それは結婚する前に、小学校時代から女学校時代のものをまとめて一つのアルバムにして持ってきたものだった。
先ず小学校時代の集合写真をアルバムからはがした。 小学校一年生から六年生までのもの、一年生・二年生の時の担任の先生は「鶴野つる子」先生。 可也のお年の方で、当時ツルが重なるお名前で面白いな~‘と思った記憶がある。 三年、四年生の担任は平井光子先生。 五年、六年(六年生の一学期で東京にうつったが)の担任は松本先生。 書き置いたわけではなかったが、すらすらとお名前が出て来た。 ただ松本先生だけはフル・ネームが思い出せない。 この先生は男の先生で、がっちりしたタイプの方だった。 当時、私は(今では誰も信じてくれないだろうけれど)トテモ細かった。 もう一人細い方が居て、二人はその先生のお気に入りで、「足長蜂!」と言われて今の時代では多分訴えられるだろうほどの可愛がられようで、抱き上げられて髭を頬に擦り付けられたりした。
それが嫌さにその先生が召集され又私が父の仕事の都合で東京へ転校が決まった時はホッとしたものだった。 少しませたお友達が「アノ先生は最近縁切りしたらしいよ」と言っていたが、私にはその意味が分からなかったが、離婚なさったばかりということだった。
とりあえず昨日は小学校分と戦前の女学校分の写真を破いて、易の先生に言われたと、ステンレスの洗面器にそれれを入れて、燃やした。 そして捨てることにした。
想い出にふけりながら、燃やすのもケッコウ大変で、途中で燃え上がって、途端に易の先生の仰った「今年は火に気をつけて!」との言葉を思い出して、途端に恐ろしくなって、一時取り止めにした。
遠い昔のことを思い出しながら写真を焼くのに時間をかけることは若しかしていいことかもしれない・・・と思った。 私自身の写真を焼く以前に本箱の中に沢山入れてある夫の海外公演の写真をどうしようかしら? 几帳面だった夫が丁寧にはった写真集は五冊もある。 私の海外旅行の写真集も十冊くらいもある。 どうしたらいいか、誰か教えて!
隣の母が亡くなった後、父と母の写真は破きながら庭で焼いたので、忽ち終ったけれど・・・・。 だだ、そのうち何枚かは残る人たちのために貼り代えて、妹に渡した。 ケッコウ大変な作業だった。
アルバムを破きながらの思い出話は、まだ続く・・・・・。
先ず小学校時代の集合写真をアルバムからはがした。 小学校一年生から六年生までのもの、一年生・二年生の時の担任の先生は「鶴野つる子」先生。 可也のお年の方で、当時ツルが重なるお名前で面白いな~‘と思った記憶がある。 三年、四年生の担任は平井光子先生。 五年、六年(六年生の一学期で東京にうつったが)の担任は松本先生。 書き置いたわけではなかったが、すらすらとお名前が出て来た。 ただ松本先生だけはフル・ネームが思い出せない。 この先生は男の先生で、がっちりしたタイプの方だった。 当時、私は(今では誰も信じてくれないだろうけれど)トテモ細かった。 もう一人細い方が居て、二人はその先生のお気に入りで、「足長蜂!」と言われて今の時代では多分訴えられるだろうほどの可愛がられようで、抱き上げられて髭を頬に擦り付けられたりした。
それが嫌さにその先生が召集され又私が父の仕事の都合で東京へ転校が決まった時はホッとしたものだった。 少しませたお友達が「アノ先生は最近縁切りしたらしいよ」と言っていたが、私にはその意味が分からなかったが、離婚なさったばかりということだった。
とりあえず昨日は小学校分と戦前の女学校分の写真を破いて、易の先生に言われたと、ステンレスの洗面器にそれれを入れて、燃やした。 そして捨てることにした。
想い出にふけりながら、燃やすのもケッコウ大変で、途中で燃え上がって、途端に易の先生の仰った「今年は火に気をつけて!」との言葉を思い出して、途端に恐ろしくなって、一時取り止めにした。
遠い昔のことを思い出しながら写真を焼くのに時間をかけることは若しかしていいことかもしれない・・・と思った。 私自身の写真を焼く以前に本箱の中に沢山入れてある夫の海外公演の写真をどうしようかしら? 几帳面だった夫が丁寧にはった写真集は五冊もある。 私の海外旅行の写真集も十冊くらいもある。 どうしたらいいか、誰か教えて!
隣の母が亡くなった後、父と母の写真は破きながら庭で焼いたので、忽ち終ったけれど・・・・。 だだ、そのうち何枚かは残る人たちのために貼り代えて、妹に渡した。 ケッコウ大変な作業だった。
アルバムを破きながらの思い出話は、まだ続く・・・・・。
2009年5月3日日曜日
長~い連休
独り暮らしの私にとってはこの長~い連休は、まるで関係ない! 夫がいた頃はこんなに長い連休はなかったし、土曜日も時には日曜日も出勤していた。 日劇という劇場に関係していたのでプロデューサとして、出し物が代わる時はその前夜は徹夜で舞台のが開く日は朝五時起きで出勤していた。
仕事が好きだったとは言え、結果的に身体を壊して早死にしてしまったのだから本人はともかくとして、その妻はたまったものではない。 その上海外公演などもあったので、この季節はよく外国へ行っていた。 結婚前はオーストラリアとニュージーランド、その後結婚してからは台湾、香港へ出張。 ニューヨーク博覧会のためにニューヨーク滞在もあった。
結婚三年後の今ごろはイギリス・スコットランドへ六ヶ月。 それからしばらくして又オーストラリアとニュージーランドに四ヶ月。 最後の仕事は成功の可能性が少なくトテモ嫌がっていたけれど、会社員は上司の命令には逆らえず、ホントに嫌々ながらの仕事だった。 それも今ごろのことだった。 私の誕生日ごろはこちらに居ることが多かったけれど、その最後の時はオーストラリア公演中で、誕生日の朝早く「HAPPY BIRTHDAY DARING」の電報が届いて、泪をながしたものだった。 今考えると、なんと純情可憐なこと!
ところで、独りの連休は専らジム通い・・・と決めている。 先日、土曜日の健美操は人気のある時間なのだけれど、参加者は何時もの三分の一というところ。 「伊藤さん、連休にいらっしゃるのは珍しいですね?」と仲間から声を掛けられて、「そうかしら?」と自分では気ずかないでいる。
仕事が好きだったとは言え、結果的に身体を壊して早死にしてしまったのだから本人はともかくとして、その妻はたまったものではない。 その上海外公演などもあったので、この季節はよく外国へ行っていた。 結婚前はオーストラリアとニュージーランド、その後結婚してからは台湾、香港へ出張。 ニューヨーク博覧会のためにニューヨーク滞在もあった。
結婚三年後の今ごろはイギリス・スコットランドへ六ヶ月。 それからしばらくして又オーストラリアとニュージーランドに四ヶ月。 最後の仕事は成功の可能性が少なくトテモ嫌がっていたけれど、会社員は上司の命令には逆らえず、ホントに嫌々ながらの仕事だった。 それも今ごろのことだった。 私の誕生日ごろはこちらに居ることが多かったけれど、その最後の時はオーストラリア公演中で、誕生日の朝早く「HAPPY BIRTHDAY DARING」の電報が届いて、泪をながしたものだった。 今考えると、なんと純情可憐なこと!
ところで、独りの連休は専らジム通い・・・と決めている。 先日、土曜日の健美操は人気のある時間なのだけれど、参加者は何時もの三分の一というところ。 「伊藤さん、連休にいらっしゃるのは珍しいですね?」と仲間から声を掛けられて、「そうかしら?」と自分では気ずかないでいる。
2009年4月29日水曜日
国際展示場
今日は周りは連休の始まりで、静か。
私はミサワのUさんに勧められて東京ビッグサイトのTOTOのリモデル・スタイル・フェアに行ってみた。
洗面台が不具合で、思い切って代えようかと思ったりしているので、とりあえず最近の洗面台とかお風呂場とかがどうか、と言うのを見てみたかった。 もう一つには国際展示場、とか時々報じられている東京ビッグサイトがどんな所なのかも興味があった。
新橋から久しぶりで乗ったユリカモメも余り混み合ってなくて辺りの景色を見ながら国際展示場前までは可也距離があって、降りてみて余りの広さに驚いた。 駅まで出てくださったUさんの案内でその国際展示場は色々な会議とかオリンピックの関係に利用されているそうだ。 案内なしでは中中行けないような処だった。 TOTOは外の会社よりも可也高価だと言うことだったが、上を見ればキリがない、と思わせられるほど進化しているのを感じる。
世に言う「衣・食・住」の中「住」が一番進化しているのではないかしら?と思える。 これからの人たちは羨ましいな~。 考えるに、これから十年生きるとして、まあ、食には満足しているし、衣も満足に近い。 住に就いは・・・? 何十年も使った洗濯機を買い換えたら、度々使う洗面台の不具合が気になっている。
私はミサワのUさんに勧められて東京ビッグサイトのTOTOのリモデル・スタイル・フェアに行ってみた。
洗面台が不具合で、思い切って代えようかと思ったりしているので、とりあえず最近の洗面台とかお風呂場とかがどうか、と言うのを見てみたかった。 もう一つには国際展示場、とか時々報じられている東京ビッグサイトがどんな所なのかも興味があった。
新橋から久しぶりで乗ったユリカモメも余り混み合ってなくて辺りの景色を見ながら国際展示場前までは可也距離があって、降りてみて余りの広さに驚いた。 駅まで出てくださったUさんの案内でその国際展示場は色々な会議とかオリンピックの関係に利用されているそうだ。 案内なしでは中中行けないような処だった。 TOTOは外の会社よりも可也高価だと言うことだったが、上を見ればキリがない、と思わせられるほど進化しているのを感じる。
世に言う「衣・食・住」の中「住」が一番進化しているのではないかしら?と思える。 これからの人たちは羨ましいな~。 考えるに、これから十年生きるとして、まあ、食には満足しているし、衣も満足に近い。 住に就いは・・・? 何十年も使った洗濯機を買い換えたら、度々使う洗面台の不具合が気になっている。
2009年4月23日木曜日
坦々麺
時々ランチに誘ってくれる夫の甥が一ヶ月くらい前から、横浜の中華街に坦々麺の美味しい所を見つけたから、行かないかと誘ってくれていたが家の修理とかその後ジムに行きたかったりして、果たせないでいた。
余り何度も行けないでいるのも申し訳ないと思い、今日はジムを休むことにした。 正午少し過ぎて何時ものベンツで迎に来てくれた。 第二京浜沿いの「コジマ」に立ち寄って、第二京浜を横浜に向かった。 中華そばを頂くために・・・・?とは思ったけれど、私は乗っているだけ、何年かぶりで二国を通って横浜に向かう、なんとも懐かしい感じだった。 何年ぶりのことだろう? 中華街のそばの駐車場に車を止めて中華街の坦々麺が美味しいという店に行く。 小さい店だったけれど、出された坦々麺は、汗がでてくるほど辛かったけれど、複雑な味で美味しかった。
夫の甥とは中学生の頃、まだ夫と結婚する前から義姉に頼まれて英語を教えていたので五十年以上の付き合いになるが、時々食事に誘ってくれて、未だにアメリカ式に車のドアーを開けて私を乗せて閉めてくれるレディーファストで接してくれる。 近くに住んでいる所為もあるけれど、秋のお彼岸ごろには夫の多磨のお墓にも行ってくれるし、誠に有り難い存在。 今日も帰り道又電気店の「コジマ」に立ち寄って私が求めた電気釜を持って家まで送ってくれて、買い物などで重いものがあったら何時でも言ってくれ、と優しい言葉を掛けてくれる。 独り息子の家族はカリフォルニアに住んでいるし、妹はニューヨーク郊外に住んでいるので、年に何度もアメリカに行く。 この連休も仕事もかねて10日くらいアメリカに行くと言っていた。
余り何度も行けないでいるのも申し訳ないと思い、今日はジムを休むことにした。 正午少し過ぎて何時ものベンツで迎に来てくれた。 第二京浜沿いの「コジマ」に立ち寄って、第二京浜を横浜に向かった。 中華そばを頂くために・・・・?とは思ったけれど、私は乗っているだけ、何年かぶりで二国を通って横浜に向かう、なんとも懐かしい感じだった。 何年ぶりのことだろう? 中華街のそばの駐車場に車を止めて中華街の坦々麺が美味しいという店に行く。 小さい店だったけれど、出された坦々麺は、汗がでてくるほど辛かったけれど、複雑な味で美味しかった。
夫の甥とは中学生の頃、まだ夫と結婚する前から義姉に頼まれて英語を教えていたので五十年以上の付き合いになるが、時々食事に誘ってくれて、未だにアメリカ式に車のドアーを開けて私を乗せて閉めてくれるレディーファストで接してくれる。 近くに住んでいる所為もあるけれど、秋のお彼岸ごろには夫の多磨のお墓にも行ってくれるし、誠に有り難い存在。 今日も帰り道又電気店の「コジマ」に立ち寄って私が求めた電気釜を持って家まで送ってくれて、買い物などで重いものがあったら何時でも言ってくれ、と優しい言葉を掛けてくれる。 独り息子の家族はカリフォルニアに住んでいるし、妹はニューヨーク郊外に住んでいるので、年に何度もアメリカに行く。 この連休も仕事もかねて10日くらいアメリカに行くと言っていた。
2009年4月20日月曜日
築地市場? 河童橋?
近くに住む友人が河童橋に行きたいと以前からいっていらっしたので、今日案内することにした。
何日か前にテレビで河童橋のことを紹介してたからだろう。 河童橋だけでは少し物足りないと思って、ついでに帰り道築地市場へも行こうかとも思ったが、浅草の地下鉄の階段と浅草から河童橋まで歩くので・・・と思っていた。 河童橋まで歩いている中にお昼になって、途中おすし屋さんに寄った。 ランチ・サービスで茶碗蒸し、味噌汁つき、にぎりの種もケッコウよくて、1500円は可也のものだった。
「言っておくけれど、河童橋は貴女の思うほど面白くはないわよ」とお料理に余り興味を持っているとは思えない友人に前以て言っておいた。 昨年ニューヨークから留学していた英美は料理ずきだったので、欲しいものが一杯だったことを思い出していた。
私は昨年寄ったお箸専門店で手作りの吉野杉の箸を求めた。 昨年求めた箸をどこかにしまって、どうしても見付からないので、とりあえず5組求め、箸袋も、求めようとしたら、店主らしい老人が「奥様、このお箸には箸袋は要りません。 このままお箸置きにお置きくださいませ」と丁寧に言ってくださった。
しばらく歩いていて、昨年はなかったドイツのヘンケルの店を見つけた。 小さい店だったけれど、品揃えは多く、私はドイツへ旅行した時ブランデンブルグ門の近くのヘンケルの店で求めた包丁研ぎをお友達に無理やり買わせた。
私は何方かその研ぎ器機を欲しがっていらっしゃる方があったのを思い出して、一つ求めておいた。 ¥4200.
何方か心当たりの方は私までお申し出でください。 ドイツまで買いに行くよりはずい分お安いと思いますよ!
ホントに使いやすく便利なのだ。 その他に丈夫そうな皮むき器も求めた。
二人とも可也疲れたので浅草寺近くでコーヒーを飲んで、そのまま帰宅。 築地市場は次の機会に・・・。
何日か前にテレビで河童橋のことを紹介してたからだろう。 河童橋だけでは少し物足りないと思って、ついでに帰り道築地市場へも行こうかとも思ったが、浅草の地下鉄の階段と浅草から河童橋まで歩くので・・・と思っていた。 河童橋まで歩いている中にお昼になって、途中おすし屋さんに寄った。 ランチ・サービスで茶碗蒸し、味噌汁つき、にぎりの種もケッコウよくて、1500円は可也のものだった。
「言っておくけれど、河童橋は貴女の思うほど面白くはないわよ」とお料理に余り興味を持っているとは思えない友人に前以て言っておいた。 昨年ニューヨークから留学していた英美は料理ずきだったので、欲しいものが一杯だったことを思い出していた。
私は昨年寄ったお箸専門店で手作りの吉野杉の箸を求めた。 昨年求めた箸をどこかにしまって、どうしても見付からないので、とりあえず5組求め、箸袋も、求めようとしたら、店主らしい老人が「奥様、このお箸には箸袋は要りません。 このままお箸置きにお置きくださいませ」と丁寧に言ってくださった。
しばらく歩いていて、昨年はなかったドイツのヘンケルの店を見つけた。 小さい店だったけれど、品揃えは多く、私はドイツへ旅行した時ブランデンブルグ門の近くのヘンケルの店で求めた包丁研ぎをお友達に無理やり買わせた。
私は何方かその研ぎ器機を欲しがっていらっしゃる方があったのを思い出して、一つ求めておいた。 ¥4200.
何方か心当たりの方は私までお申し出でください。 ドイツまで買いに行くよりはずい分お安いと思いますよ!
ホントに使いやすく便利なのだ。 その他に丈夫そうな皮むき器も求めた。
二人とも可也疲れたので浅草寺近くでコーヒーを飲んで、そのまま帰宅。 築地市場は次の機会に・・・。
2009年4月19日日曜日
英里ちゃんと里彩ちゃん
昨日英里ちゃん一家を夕食にお誘いした。 お天気もよく午後三時前に一家が到着。 このブログを見てくださる方達にも英里ちゃんはおなじみの名前となったようだ。
二人とも車を降りる前から私に、にこやかに手を振ってくれた。 昨日は珍しくパパも一緒に来てくれた。 私は前の日から料理の買い物と下ごしらえをしておいて、10時まえから何時の健美操に行った。 健美操は、アチコチのツボを伸ばしたり、押さえたりして身体の調整を一時間十五分間にわたって指導を受けるので、一週間に一度のこのレッスンは逃したくないと思っている。
前菜、スープ、魚料理、肉料理は少し変わった、白ソースのものとブラウン・ソースの二種類をサフラン入りのライスと一緒に頂くものとさっぱりしたサラダをの用意が整ったところに一家が来てくれたのでそれからお持たせの和菓子で賑やかにアレがいい、コレガいい!と見比べながら楽しんだ。
二人とも遊びたかったのだろうけれど・・・後で思ったのは、下の里彩ちゃんが賑やかに振る舞い又トテモ行動的なので、遂そちらを構いたくなるので、英里ちゃんは少し淋しかったのではないかしら? 食欲も進まなかったし・・・。 食事前に下の妹、つまり英里ちゃん達のおばあちゃまが来て、少し元気が出たようだった。 私は弟と二歳違いだけれど、父に必要以上に可愛がられていたので、反って弟の方が淋しい思いをしたと思う。 子供もだんだん育って、我が出て来て、親も大変だな~とある程度客観的に見ることのできる私は思ってしまう。
二人とも車を降りる前から私に、にこやかに手を振ってくれた。 昨日は珍しくパパも一緒に来てくれた。 私は前の日から料理の買い物と下ごしらえをしておいて、10時まえから何時の健美操に行った。 健美操は、アチコチのツボを伸ばしたり、押さえたりして身体の調整を一時間十五分間にわたって指導を受けるので、一週間に一度のこのレッスンは逃したくないと思っている。
前菜、スープ、魚料理、肉料理は少し変わった、白ソースのものとブラウン・ソースの二種類をサフラン入りのライスと一緒に頂くものとさっぱりしたサラダをの用意が整ったところに一家が来てくれたのでそれからお持たせの和菓子で賑やかにアレがいい、コレガいい!と見比べながら楽しんだ。
二人とも遊びたかったのだろうけれど・・・後で思ったのは、下の里彩ちゃんが賑やかに振る舞い又トテモ行動的なので、遂そちらを構いたくなるので、英里ちゃんは少し淋しかったのではないかしら? 食欲も進まなかったし・・・。 食事前に下の妹、つまり英里ちゃん達のおばあちゃまが来て、少し元気が出たようだった。 私は弟と二歳違いだけれど、父に必要以上に可愛がられていたので、反って弟の方が淋しい思いをしたと思う。 子供もだんだん育って、我が出て来て、親も大変だな~とある程度客観的に見ることのできる私は思ってしまう。
2009年4月17日金曜日
ひとりで暮らす 2
このブログに二回も投稿したのだけれど、パソコンの不具合で公表できなかったので、改めて・・・・
朝日新聞の土曜版の「人生デザイン」の「ひとりで暮らす」に老後資金としてどれだけ必要か・・・という記事があった。 その暮らし方にもよるが、老後が定年後60歳として、男性は800万~3100万、女性は長生きするので、1900万~3700万とある。 年金にたよるとしても、住宅と老後資金は個人差があるので、それ以外に病気などの非常時などを考えて生活費の半分程度の預金が必要となるということだ。
前回述べたシングル女性の仲間女性を支える会、NPO法人SSSネットワークの会員、50代60代のシングルの女性は年収200万円未満{年金も含む)が一番多くその貯蓄額は1000万以上だそうだ。 つまりあくまでも平均として、60歳からの生活費は 一ヶ月夫婦2人で23.2万円、独り暮らしは16、2万円 は必要と言う試案となる。 世にいう、二人口は食べられるが一人口は難しい、独りぐらしは二人暮しの半分では生活できないと言うことと思う。 私個人としてはとりあえず夫の遺してくれた寡婦年金で最低限の生活ができると思うので、改めて時々仏壇に向かって感謝することがある。
朝日新聞の土曜版の「人生デザイン」の「ひとりで暮らす」に老後資金としてどれだけ必要か・・・という記事があった。 その暮らし方にもよるが、老後が定年後60歳として、男性は800万~3100万、女性は長生きするので、1900万~3700万とある。 年金にたよるとしても、住宅と老後資金は個人差があるので、それ以外に病気などの非常時などを考えて生活費の半分程度の預金が必要となるということだ。
前回述べたシングル女性の仲間女性を支える会、NPO法人SSSネットワークの会員、50代60代のシングルの女性は年収200万円未満{年金も含む)が一番多くその貯蓄額は1000万以上だそうだ。 つまりあくまでも平均として、60歳からの生活費は 一ヶ月夫婦2人で23.2万円、独り暮らしは16、2万円 は必要と言う試案となる。 世にいう、二人口は食べられるが一人口は難しい、独りぐらしは二人暮しの半分では生活できないと言うことと思う。 私個人としてはとりあえず夫の遺してくれた寡婦年金で最低限の生活ができると思うので、改めて時々仏壇に向かって感謝することがある。
2009年4月16日木曜日
2009年4月9日木曜日
おのろけ?
昨日のNHKの午後一時からの番組に女優の渡辺美佐子さんが出演していた。 努力家で素晴らしい女優さんだと思う。 亡き夫が私が彼女に似ている・・・と言った事があった。 以前英語を教えていた男の子が(当時15歳くらい)「先生、越地吹雪さんに似ていらっしゃいません?」と言い「眼の動き方が・・・」と言ったことを夫に伝えたら、彼女の若い時代をよく知っていて仕事もお付き合いし、オーストラリアにもメインで同行したことのある夫が「そんなに色っぽいか?」と笑いながら答えたことがあった。 (その子もTBSに入社してヘリコプター事故で湘南沖で亡くなってしまった。) そして夫はむしろ「渡辺美佐子に似ているよ」と付け加えた。
別の機会に、知り合いの方がアメリカ人俳優のミッチー・ゲイナーに似ていると仰った・・・と言ったら夫は「似てないよ~。オリビア・デハビランド似にてる」と言ってくれた。 今ごろの方はご存じないだろうけれど、彼女はジョーン・フォンティンという女優のお姉さんで、この方は可也の美人で売れっ子だったが姉のデハビランドは上品で感じのやわらかい人のようで、日本生まれということで、私はそれを聞いて嬉しかった。
私は容貌にむしろコンプレックスを持っていて、夫が芸能界に携わっていたので、沢山美人を見ているので、結婚する前は可也そのことが気になっていたことは否めない。 結婚以前に夫の母が走り書き程度に書いてくださり、紹介者の黒田初子先生から渡された身上書には「肥満体を好まず」とあり、そのころの私は可也細身であった。 大体の男性は細身を好むことは確かなことだ。 夫の意に反し私は結婚後ぶくぶく肥り、おかしなことに亡くなる二ヶ月ほど前「お前はとうとう痩せなかったな~」と言っていたことを時々思い出して、それでも痩せないでいる惨めな私。
夫はあの世で笑っていることだろう。「痩せろよ!」と叫んでいるかもしれない。 亡くなったから言える「おのろけ」話。
別の機会に、知り合いの方がアメリカ人俳優のミッチー・ゲイナーに似ていると仰った・・・と言ったら夫は「似てないよ~。オリビア・デハビランド似にてる」と言ってくれた。 今ごろの方はご存じないだろうけれど、彼女はジョーン・フォンティンという女優のお姉さんで、この方は可也の美人で売れっ子だったが姉のデハビランドは上品で感じのやわらかい人のようで、日本生まれということで、私はそれを聞いて嬉しかった。
私は容貌にむしろコンプレックスを持っていて、夫が芸能界に携わっていたので、沢山美人を見ているので、結婚する前は可也そのことが気になっていたことは否めない。 結婚以前に夫の母が走り書き程度に書いてくださり、紹介者の黒田初子先生から渡された身上書には「肥満体を好まず」とあり、そのころの私は可也細身であった。 大体の男性は細身を好むことは確かなことだ。 夫の意に反し私は結婚後ぶくぶく肥り、おかしなことに亡くなる二ヶ月ほど前「お前はとうとう痩せなかったな~」と言っていたことを時々思い出して、それでも痩せないでいる惨めな私。
夫はあの世で笑っていることだろう。「痩せろよ!」と叫んでいるかもしれない。 亡くなったから言える「おのろけ」話。
2009年4月7日火曜日
しだれ桜の乱れ咲き
今年の桜はことのほか長持ちしていて、咲き出してから何日も経っているのにまだ散らないでいる。
今日はお天気もよかったので、予定通り埼玉県の西秩父駅から’お花畑’というなんともロマンチックな駅で乗りかえて三駅、そこから徒歩十五分のところにある清雲寺まで枝垂れ桜を見に行った。 池袋から西秩父駅までの特急電車は以前二回乗ったことがあって、割りに空いていて乗り心地がいい。 今日は昨日テレビでこのしだれ桜のことを
放送していた所為か、中高年のカップルとか中年以上の女性客が多く、その仲間に附いて行けばことなく清雲寺にたどり着くことが出来た。 と言うより可也遠くから枝垂桜を見ることが出来た。
白、薄ピンク、濃いピンクの桜が寺の下の広場に見事に乱れ咲いていた。 可也古い木もあって、皆、見上げながら写真を撮ったり、ペンチに座って眺めたりしていた。 あまりにも天気がよかったので、同行の友人は何度私が注意をしても「暑い、暑い」と繰り返し言っていた。 ただ、予想以上に暑かったので、可也疲れた。途中休みたいのにお茶を飲むところもない。
途中の電車の中からもいやと言うほど沢山の桜を見ることが出来た。 遠く羊蹄山という山も何度か見て見慣れていたがその山は日本セメントなどの会社が切り崩してセメントの材料にするらしく山頂は形を変えていた。
今日はお天気もよかったので、予定通り埼玉県の西秩父駅から’お花畑’というなんともロマンチックな駅で乗りかえて三駅、そこから徒歩十五分のところにある清雲寺まで枝垂れ桜を見に行った。 池袋から西秩父駅までの特急電車は以前二回乗ったことがあって、割りに空いていて乗り心地がいい。 今日は昨日テレビでこのしだれ桜のことを
放送していた所為か、中高年のカップルとか中年以上の女性客が多く、その仲間に附いて行けばことなく清雲寺にたどり着くことが出来た。 と言うより可也遠くから枝垂桜を見ることが出来た。
白、薄ピンク、濃いピンクの桜が寺の下の広場に見事に乱れ咲いていた。 可也古い木もあって、皆、見上げながら写真を撮ったり、ペンチに座って眺めたりしていた。 あまりにも天気がよかったので、同行の友人は何度私が注意をしても「暑い、暑い」と繰り返し言っていた。 ただ、予想以上に暑かったので、可也疲れた。途中休みたいのにお茶を飲むところもない。
途中の電車の中からもいやと言うほど沢山の桜を見ることが出来た。 遠く羊蹄山という山も何度か見て見慣れていたがその山は日本セメントなどの会社が切り崩してセメントの材料にするらしく山頂は形を変えていた。
2009年4月5日日曜日
独りで暮らす
一週間くらい前の朝日新聞の朝刊の「人生デザイン」という欄に「独りで暮らす」という記事があった。
最近、未婚、離婚、死別による独り暮らしの女性が増えていて、都内に住む66歳の女性が癌で亡くなったとき仲良くしていた二人が彼女のメンドウを見たそうで その方々は「シングルSSSネットワーク」と銘打って緊急時に対応出来る様に住まいが近い会員同士がグループを作っていると言い、98年にその会を作った時は20人だったのが現在は900人になるという。 私の度々の’立ち話’も意味あることなのかもしれない。
誰もが独り暮らしになりうるわけで、特に女性の方が男性より独り暮らしになる率は絶対に多い。 この欄に書いて強調していることは「お金も必要ではあるが、「貯金より、徳を積んで』とある。お金では買えないものがある、ということだと理解する。
しかも、07年の国民生活白書によれば、地域からの孤立化の七割は自治会などの活動に参加していなかったり近所付き合いなどが無かったそうで、その点自分で言うのもおこがましいことながら、私は51歳から独り暮らしであり、十五年間も地域のために尽くしてきたお陰で、援けを求めたら来てくださるい友人も多いと自負している。 そして、毎日のように通っているジムでも若い友人が沢山出来た。 今後も大切にしていきたいと思う。
最近、未婚、離婚、死別による独り暮らしの女性が増えていて、都内に住む66歳の女性が癌で亡くなったとき仲良くしていた二人が彼女のメンドウを見たそうで その方々は「シングルSSSネットワーク」と銘打って緊急時に対応出来る様に住まいが近い会員同士がグループを作っていると言い、98年にその会を作った時は20人だったのが現在は900人になるという。 私の度々の’立ち話’も意味あることなのかもしれない。
誰もが独り暮らしになりうるわけで、特に女性の方が男性より独り暮らしになる率は絶対に多い。 この欄に書いて強調していることは「お金も必要ではあるが、「貯金より、徳を積んで』とある。お金では買えないものがある、ということだと理解する。
しかも、07年の国民生活白書によれば、地域からの孤立化の七割は自治会などの活動に参加していなかったり近所付き合いなどが無かったそうで、その点自分で言うのもおこがましいことながら、私は51歳から独り暮らしであり、十五年間も地域のために尽くしてきたお陰で、援けを求めたら来てくださるい友人も多いと自負している。 そして、毎日のように通っているジムでも若い友人が沢山出来た。 今後も大切にしていきたいと思う。
2009年4月4日土曜日
昨日と今日と椿の花と
昨日は風も無く晴れ渡った良い天気。 桜の花も殆ど満開の状態。 ジムから戻って昼食を済ませ、思い立って花見がてら、久が原方面まで歩こうと、午後一時ごろ家を出て区立七中辺りの桜を見て、駅向こうの小学校の桜も・・・と少し欲張った。 時間を見たら四十分ほど歩いてしまった。 少し脚も疲れたので行きつけのブティクで座れるところがないかしらと思いながら立ち寄った。 そこで偶然友人と会って駅付近で別れ、スーパーマーケットに寄ったもののどうしても少しでも座りたくて、久が原の駅のベンチで・・・なんとも情けなくなってきた。 千鳥町まで一駅、直ぐまたウオーキング、右足の親指辺りが特に痛い。
いつも歩きなれた道なので、少し調子を取り戻して歩き出したら、お友達に会い、又立ち話。 この立ち話が私には可也辛い。 でもその友人はご主人が脳梗塞を患われて車椅子状態なので、お気の毒でこぼし話を30分。 もう人に会いたくない。 成るべく人に会いそうもない道を選んでようやく我が家に・・・。
隣の貸家に今年は特に椿の花が見事に咲いている。 亡き母がお茶のために心して植えた白い椿そして赤い椿は沢山花をつけている。 五歳くらいと二才くらいと思われる女の子(英里ちゃんと里彩ちゃんと同じ年頃の女の子二人が赤い椿の花を折りたがっていたけれど背が届かない。 私は近寄って「花が欲しいの?」と尋ねた。 そして家に戻って花バサミを取ってきて枝ごと花を切って二人の女の子に与えた。 下の子が「今日お姉ちゃんのお誕生日なの」と言い、お姉さんは手に小さな花束を持っていた。 私が切ってあげた椿の枝を妹は手を出さずお姉ちゃまに譲った。 お姉さんは大事そうに椿の枝をもって、二人は丁寧に、「有り難うございます」と何度もお礼を言ってくださった。 妹ちゃんはお花を全部お誕生日のおねえちゃんにあげて、ただ有り難うございました、と繰り返し二人で頭を下げてくれて可愛らしかった。
長くなったが、今日も大分歩くハメになった。 午前中健美操で一時間半、その後スタジオで一時間のトレイニング。 昼食を済ませて友人宅に頂きもののおすそ分けを持って行ったら、玄関先でまた三十分以上の立ち話。 諦めようかと思ったがそのまま駅まで歩き蒲田まで行った。 蒲田の駅前は土曜なので可也ごった返していた。 その上駅に通じるエスカレーターは工事中で動かない。 デパートのエスカレーターを使うしかない。
二日間、どれほど身体が疲れに対して回復力をもてるものか試した二日間だった。 まだまだ、大丈夫! 年寄りの冷や水などとは言わないで。 極限を知っておきたいのだから。
いつも歩きなれた道なので、少し調子を取り戻して歩き出したら、お友達に会い、又立ち話。 この立ち話が私には可也辛い。 でもその友人はご主人が脳梗塞を患われて車椅子状態なので、お気の毒でこぼし話を30分。 もう人に会いたくない。 成るべく人に会いそうもない道を選んでようやく我が家に・・・。
隣の貸家に今年は特に椿の花が見事に咲いている。 亡き母がお茶のために心して植えた白い椿そして赤い椿は沢山花をつけている。 五歳くらいと二才くらいと思われる女の子(英里ちゃんと里彩ちゃんと同じ年頃の女の子二人が赤い椿の花を折りたがっていたけれど背が届かない。 私は近寄って「花が欲しいの?」と尋ねた。 そして家に戻って花バサミを取ってきて枝ごと花を切って二人の女の子に与えた。 下の子が「今日お姉ちゃんのお誕生日なの」と言い、お姉さんは手に小さな花束を持っていた。 私が切ってあげた椿の枝を妹は手を出さずお姉ちゃまに譲った。 お姉さんは大事そうに椿の枝をもって、二人は丁寧に、「有り難うございます」と何度もお礼を言ってくださった。 妹ちゃんはお花を全部お誕生日のおねえちゃんにあげて、ただ有り難うございました、と繰り返し二人で頭を下げてくれて可愛らしかった。
長くなったが、今日も大分歩くハメになった。 午前中健美操で一時間半、その後スタジオで一時間のトレイニング。 昼食を済ませて友人宅に頂きもののおすそ分けを持って行ったら、玄関先でまた三十分以上の立ち話。 諦めようかと思ったがそのまま駅まで歩き蒲田まで行った。 蒲田の駅前は土曜なので可也ごった返していた。 その上駅に通じるエスカレーターは工事中で動かない。 デパートのエスカレーターを使うしかない。
二日間、どれほど身体が疲れに対して回復力をもてるものか試した二日間だった。 まだまだ、大丈夫! 年寄りの冷や水などとは言わないで。 極限を知っておきたいのだから。
2009年4月1日水曜日
有り難う!
今日は新しい携帯をいじっていて眼がトテモ疲れたので、ブログの書きこみを止めようと思っていたら、女学校時代の親友からメールで私のブログを見て楽しんで下さっていると仰って下さったので、疲れ眼をこすりながら書き込むことにした。
昨日からようやく今までの生活に戻り、ジムのマシン・スタジオに行った。 「しばらくお見えにならなかったので心配していました」とインストラクターが声を掛けてくださった。 二月二十六日以来だから、そんなに経ってはいないはずなのに、何人かのお友達も・・・嬉しいこと!
身体を動かすのはトテモ気持ちのいいことで疲れ方の性質が違う気がする。 仲間達も初めての方でも年寄り?も若い人たちも同じことを楽しむわけだから挨拶を交わすのも明るく隔てなく、私は心がけている。
昨日からようやく今までの生活に戻り、ジムのマシン・スタジオに行った。 「しばらくお見えにならなかったので心配していました」とインストラクターが声を掛けてくださった。 二月二十六日以来だから、そんなに経ってはいないはずなのに、何人かのお友達も・・・嬉しいこと!
身体を動かすのはトテモ気持ちのいいことで疲れ方の性質が違う気がする。 仲間達も初めての方でも年寄り?も若い人たちも同じことを楽しむわけだから挨拶を交わすのも明るく隔てなく、私は心がけている。
2009年3月31日火曜日
ようやく・・・・・
ようやく桜が咲き始めた。 寒さで咲くのを躊躇っていた桜の花も昨日辺りからようやく少しずつ色ずき、花を開き始めて来た。
私の家の屋根の修繕、玄関の板張りもようやく昨日完了した。 雨に祟られ屋根の修理も一日置きにしか作業ができなかったので、およそ一ヶ月掛ってしまった。 昨日は私のミスで送金出来なかった3000円を銀行に払込に行こうと思っていたら、自治会長が突然来宅、自治会でトラブッている裁判問題が勝訴したことと、自治会の次の会長をテレビなどにもお出になっている方の弟さんで、銀行にお勤めだった方にお願いしたとご報告があった。
今年の総会明けには以前のような楽しい自治会に戻れるよう心から祈る。 ようやく、色々解決してよい方に向かうことだろう。
ところで、家の修繕をすると色々な所が目立ってくる。 洗濯機も、洗面台も、ネズミに悩まされたガスレンジも・・・洗濯機はもう25年も使っていることになるのでこの際思い切って代えることにした。 ミサワの年若い青年Uさんも細かく丁寧に物事に当たって下さり、ガレージに掲げられていた看板も今日直ちに取外しに来てくださった。 色々お世話になりました。
私の家の屋根の修繕、玄関の板張りもようやく昨日完了した。 雨に祟られ屋根の修理も一日置きにしか作業ができなかったので、およそ一ヶ月掛ってしまった。 昨日は私のミスで送金出来なかった3000円を銀行に払込に行こうと思っていたら、自治会長が突然来宅、自治会でトラブッている裁判問題が勝訴したことと、自治会の次の会長をテレビなどにもお出になっている方の弟さんで、銀行にお勤めだった方にお願いしたとご報告があった。
今年の総会明けには以前のような楽しい自治会に戻れるよう心から祈る。 ようやく、色々解決してよい方に向かうことだろう。
ところで、家の修繕をすると色々な所が目立ってくる。 洗濯機も、洗面台も、ネズミに悩まされたガスレンジも・・・洗濯機はもう25年も使っていることになるのでこの際思い切って代えることにした。 ミサワの年若い青年Uさんも細かく丁寧に物事に当たって下さり、ガレージに掲げられていた看板も今日直ちに取外しに来てくださった。 色々お世話になりました。
2009年3月30日月曜日
萌彩ちゃん初めてのお目見え
昨日萌彩ちゃんが初めて我が家に来てくれた。 お天気も良かったので道路が混んで大変だったかと思ったが一時間少々でくることが出来たそうだった。
途中車の中で少し眠っていたようだったがご機嫌よくママに抱かれて家に入り両親と萌彩ちゃんの曹祖父母、と大伯父の仏壇にご挨拶。 その後私が前以て設えていたソフアーで作ったベッドに置かれあやしたら笑ってくれたり、右に左に忙しく寝返りを打ちたがったりしてそれが思うように出来ず右を向いたり左を向いたりしていた。
新米パパで休日オムツ代え責任者の甥も案外手際よくオムツを代えていて一安心。 私達が食事をしている間もおとなしくしていて、おっぱいが欲しくなって泣いただけ。 パパとママは細身なのに太ももなどもむっちり固太りで、元気そう、なにより、何より! ママもおっぱいの出もよく、私が気がつかないでいて申し訳なかったが、ケッコウお腹が空くようで、失礼致しました。 子供を持って初めて、家族といえるわけで、子供を持てなかった私は妹の孫達にかかわることが出来て、ありがたい事と思う。
又そのうち遊びに来てね!
途中車の中で少し眠っていたようだったがご機嫌よくママに抱かれて家に入り両親と萌彩ちゃんの曹祖父母、と大伯父の仏壇にご挨拶。 その後私が前以て設えていたソフアーで作ったベッドに置かれあやしたら笑ってくれたり、右に左に忙しく寝返りを打ちたがったりしてそれが思うように出来ず右を向いたり左を向いたりしていた。
新米パパで休日オムツ代え責任者の甥も案外手際よくオムツを代えていて一安心。 私達が食事をしている間もおとなしくしていて、おっぱいが欲しくなって泣いただけ。 パパとママは細身なのに太ももなどもむっちり固太りで、元気そう、なにより、何より! ママもおっぱいの出もよく、私が気がつかないでいて申し訳なかったが、ケッコウお腹が空くようで、失礼致しました。 子供を持って初めて、家族といえるわけで、子供を持てなかった私は妹の孫達にかかわることが出来て、ありがたい事と思う。
又そのうち遊びに来てね!
2009年3月28日土曜日
2009年3月26日木曜日
今年の運勢は?
前回のプログで、遊びに行った場所の字を間違えました。 私の書いた「朱鷺の棲みか」ではなく「時之木西」でした。 でも私の字の方が感じがいいでしょう?
ところで、昨日は、毎年節分過ぎた頃伺うことにしている大泉学園の易の先生に今年の運勢を占っていただきに行った。
私は独りボッチだと思っているが先生はいつも回りに人がついている・・・と仰る。 人の面倒見がよいため東奔西走する事が多いらしい。 今年は特に火の氣が強いので、火に注意するように言われた。 それに友人との別れがあるそうで、それも思い当たる。 金銭運はついているので心配ないとのこと。 書類、印鑑、保証人に、特に四月は気をつけることと、病は一旦良くなったことがぶり返すかもしれない? 何だろう? 不安。
南と東北には不浄なものを置かないように、という事は皆に言える事らしい。 年を重ねていくことは三半器官が当然衰えてくる。 物忘れ、勘違いなどが多くなって来て、自己嫌悪に陥る事が度々ある。 そういう時亡き母に厳しい言葉を浴びせた事を反省することも多い。
昨日御近所の母がお親しくさせていただいていた方がお彼岸のお供えをお持ち下さったが、出かける間際でおまいりしていただく事も出来ず失礼してしまった。 申し訳なく思う。
ところで、昨日は、毎年節分過ぎた頃伺うことにしている大泉学園の易の先生に今年の運勢を占っていただきに行った。
私は独りボッチだと思っているが先生はいつも回りに人がついている・・・と仰る。 人の面倒見がよいため東奔西走する事が多いらしい。 今年は特に火の氣が強いので、火に注意するように言われた。 それに友人との別れがあるそうで、それも思い当たる。 金銭運はついているので心配ないとのこと。 書類、印鑑、保証人に、特に四月は気をつけることと、病は一旦良くなったことがぶり返すかもしれない? 何だろう? 不安。
南と東北には不浄なものを置かないように、という事は皆に言える事らしい。 年を重ねていくことは三半器官が当然衰えてくる。 物忘れ、勘違いなどが多くなって来て、自己嫌悪に陥る事が度々ある。 そういう時亡き母に厳しい言葉を浴びせた事を反省することも多い。
昨日御近所の母がお親しくさせていただいていた方がお彼岸のお供えをお持ち下さったが、出かける間際でおまいりしていただく事も出来ず失礼してしまった。 申し訳なく思う。
2009年3月24日火曜日
英里ちゃん里彩ちゃん達と・・・
下の妹に誘われて十里木に行ってきた。 まだ少し寒そうなのと家の工事の一部がまだ未完成なので、少し躊躇していたが、中休みと言う事でお誘いに乗った。 何しろ英里ちゃんたちと時間の制限なしに遊べるのが嬉しかった。
妹と私は一日早めて行き、英里ちゃんと里彩ちゃんとママは翌日の夜に訪れた。 翌日は晴れたので、午前中は庭に見つけた土筆を英里ちゃんと摘んだ。 彼女は五歳児にしてはトテモ丁寧に摘んで後で、はかまも取ってくれた。 午後は富士急の人工雪のあるスキー場で親子三人でそりスキーを雪だらけではなく水に濡れながらそれでも楽しそうに過ごしていた。
翌日はパパも来て車で20分位のところにあるホテル兼スケート場、温泉もある広大な‘朱鷺の棲みか‘?という処へ行った。 パパとママと英里ちゃんはしばらくスケートを楽しみ、私達はホテルの周りにある売店で野菜、パンお菓子などを売っている店で楽しみ、皆で敷地を歩きながら一面に咲いているクリスマスロースの花盛りに驚きながら楽しんだ。 食事する所も点在していて、ヨーロッパ的なレストランで昼食を頂き温泉にも入ってずい分楽しむことが出来た。
翌日は朝から酷い雨模様で東京に戻るという甥一家を引き止めたかったけれど、無事帰宅したそうで一安心。 年をとった所為ばかりではなく?心配しすぎる傾向があるかな?
翌日は晴れたので、妹と私は洗濯におおわらわ。 洗濯物を干しながら、私はまだ沢山生えていた土筆を取ったり、掃除をしたりWBCの野球を見ながら興奮したりしたためか、妹の車でたまプラーザに着いたときは可也疲れた。
思いたくは無いけれど、年だなあ~。
妹と私は一日早めて行き、英里ちゃんと里彩ちゃんとママは翌日の夜に訪れた。 翌日は晴れたので、午前中は庭に見つけた土筆を英里ちゃんと摘んだ。 彼女は五歳児にしてはトテモ丁寧に摘んで後で、はかまも取ってくれた。 午後は富士急の人工雪のあるスキー場で親子三人でそりスキーを雪だらけではなく水に濡れながらそれでも楽しそうに過ごしていた。
翌日はパパも来て車で20分位のところにあるホテル兼スケート場、温泉もある広大な‘朱鷺の棲みか‘?という処へ行った。 パパとママと英里ちゃんはしばらくスケートを楽しみ、私達はホテルの周りにある売店で野菜、パンお菓子などを売っている店で楽しみ、皆で敷地を歩きながら一面に咲いているクリスマスロースの花盛りに驚きながら楽しんだ。 食事する所も点在していて、ヨーロッパ的なレストランで昼食を頂き温泉にも入ってずい分楽しむことが出来た。
翌日は朝から酷い雨模様で東京に戻るという甥一家を引き止めたかったけれど、無事帰宅したそうで一安心。 年をとった所為ばかりではなく?心配しすぎる傾向があるかな?
翌日は晴れたので、妹と私は洗濯におおわらわ。 洗濯物を干しながら、私はまだ沢山生えていた土筆を取ったり、掃除をしたりWBCの野球を見ながら興奮したりしたためか、妹の車でたまプラーザに着いたときは可也疲れた。
思いたくは無いけれど、年だなあ~。
2009年3月18日水曜日
志村坂上
昨日の’ちい散歩’で志村坂上を歩くと言うので、最近のアノ辺りはどのような状況か興味をもって見た。
彼は先ず小豆沢辺りを歩き古い店を訪ねた。 私の印象に強く残っている小豆沢辺りはB29の来襲で焼け野原になっていて側を通りながら焼け焦げた異臭と多分その辺りには亡くなった方もあっただろうと思いながら歩いた記憶がある。
その頃私は埼玉県の戸田市に住んでいた。 志村坂上は、そこから東京と埼玉との境の戸田橋を渡って行くバスが出るところだった。(無論それは戦争後のこと)
地井さんが歩かれた志村坂上辺りは私が通り過ぎた50年以上も前の頃を思わせる処は見られたなった。 ただ一里塚はあったかな? 志村坂上から西台?のほうに30分以上も歩いて女学校時代のお友達をお訪ねした事も何度かあったけれど、それらしい坂道はあったように見えた。 その辺りは今はマンションが建っているのだろう。
アノ辺りは私にとってはいい思いでは少しも無い。 志村坂上で戸田橋方面まで行くバスを何時間も待って、待って遂に歩いて志村橋を越えて戸田橋を渡って家まで帰った辛い思い出だけが残る。 志村坂上まで歩いて更に学校まで歩いて行ったことも何度かある。 ただその道は赤土の山、ソコに掘られた防空壕、たんぽぽ、自然に咲く草花はもう一方で見た空襲下の焼け跡とは違って優しい自然だったと思う。
十年一昔というけれど、五十年以上も過ぎれば跡形もなく変わってしまうのも道理かなと改めて感じた次第。
彼は先ず小豆沢辺りを歩き古い店を訪ねた。 私の印象に強く残っている小豆沢辺りはB29の来襲で焼け野原になっていて側を通りながら焼け焦げた異臭と多分その辺りには亡くなった方もあっただろうと思いながら歩いた記憶がある。
その頃私は埼玉県の戸田市に住んでいた。 志村坂上は、そこから東京と埼玉との境の戸田橋を渡って行くバスが出るところだった。(無論それは戦争後のこと)
地井さんが歩かれた志村坂上辺りは私が通り過ぎた50年以上も前の頃を思わせる処は見られたなった。 ただ一里塚はあったかな? 志村坂上から西台?のほうに30分以上も歩いて女学校時代のお友達をお訪ねした事も何度かあったけれど、それらしい坂道はあったように見えた。 その辺りは今はマンションが建っているのだろう。
アノ辺りは私にとってはいい思いでは少しも無い。 志村坂上で戸田橋方面まで行くバスを何時間も待って、待って遂に歩いて志村橋を越えて戸田橋を渡って家まで帰った辛い思い出だけが残る。 志村坂上まで歩いて更に学校まで歩いて行ったことも何度かある。 ただその道は赤土の山、ソコに掘られた防空壕、たんぽぽ、自然に咲く草花はもう一方で見た空襲下の焼け跡とは違って優しい自然だったと思う。
十年一昔というけれど、五十年以上も過ぎれば跡形もなく変わってしまうのも道理かなと改めて感じた次第。
2009年3月11日水曜日
携帯電話
最近テレビで、私の使っているドコモの携帯の機種が「この電話をお持ちの方は、交換の際お店の方に御知らせください」と言っている。 何度か見ているうちにその三つの機種の一つが正に私の今使っている携帯電話に間違いない・・・と思った。
私の携帯電話には写真を撮る機能がついていないし、以前持っていたデジカメはニュジーランドの喫茶店に忘れてきてしまったので、私のホームページに写真を掲載する事が出来ないでいる。 先日私のブログに「もう少し写真を載せてください」と但し書きがはいったことがあった。 確かにニューヨーク在住の英美ちゃんのブログには沢山の写真が載せてあって、見て楽しく和む。
私はこれを機会に携帯を買い換えようと思って、気が変わらない中に・・・と今日、ジムに行く前に近くの電気店に行ってみた。 先客がいて一時間も待たされ、係りの方に私の希望を言い、私の今使っている携帯を見せた。 わけは分からないけれど、一万五千円の値引きだと言う。 「しめた!」大分徳する・・・と私は割りに高いものを選んだ。 丁度ジムで一時間過ごしている間に前のデーターを入れ替えてくれると、言うことでジムが終って取りに行った。
さあ、それからが大変! 機能が多すぎて手に負えそうも無い。 何時間も闘ってようやく電話とメールだけのやり方は分かった?・・・ようだ。 そのつずきは又明日誰かに助けていただくしかないかな?
私の携帯電話には写真を撮る機能がついていないし、以前持っていたデジカメはニュジーランドの喫茶店に忘れてきてしまったので、私のホームページに写真を掲載する事が出来ないでいる。 先日私のブログに「もう少し写真を載せてください」と但し書きがはいったことがあった。 確かにニューヨーク在住の英美ちゃんのブログには沢山の写真が載せてあって、見て楽しく和む。
私はこれを機会に携帯を買い換えようと思って、気が変わらない中に・・・と今日、ジムに行く前に近くの電気店に行ってみた。 先客がいて一時間も待たされ、係りの方に私の希望を言い、私の今使っている携帯を見せた。 わけは分からないけれど、一万五千円の値引きだと言う。 「しめた!」大分徳する・・・と私は割りに高いものを選んだ。 丁度ジムで一時間過ごしている間に前のデーターを入れ替えてくれると、言うことでジムが終って取りに行った。
さあ、それからが大変! 機能が多すぎて手に負えそうも無い。 何時間も闘ってようやく電話とメールだけのやり方は分かった?・・・ようだ。 そのつずきは又明日誰かに助けていただくしかないかな?
2009年3月10日火曜日
やっと、足場が取れました
この季節としては、運悪く一日おきに雨が降り、作業をする方達も気の毒だった。 それにしては手際よくはかどり、今日足場がとれた。 気になっていた小庭のクリスマスローズも元気に赤と白の花をつけていたし、バラの苗も無事だった。 少し離れた場所から家の屋根をみたら、コーディネーターのUさんが勧めて下さった屋根の緑が今までと違ってトテモ、モダンに感じられた。
昨日は何時ものジムのお友達の一人の誕生祝いを私宅ですることにした。 私が出にくいということで、持ち寄りにして、私は彼女のためにちらし寿司とおすまし汁をつくって、喜んでいただけた。 もう一人はマキシムのバースディ・ケーキを、あと一方はアレンジした果物とサツマイモとかぼちゃの従姉煮を作ってきてくださり、賑やかな時間を過ごした。 お誕生日の方は今度が55歳だと言う。 羨ましい事! 三人の中二人はお子さんが無い。 初めて聞いたのだけれど、二人とも筋腫の手術をなさったと言うことだった。
何ということなしに、過去の戦争の話になり、三人とも戦争の体験は無く、私だけが経験していたので話しにも熱が入り、あ、あ~こういう所謂、’語りべ’も必要なのだな~と思った。 私の経験した現実の話はほんの一部で、私自身は直接’死’とは向かい合う事は無かったが、当時14.5歳で経験させられた話は、お友達達を驚かせるのに充分な迫力を与えたようだった。
昨日は何時ものジムのお友達の一人の誕生祝いを私宅ですることにした。 私が出にくいということで、持ち寄りにして、私は彼女のためにちらし寿司とおすまし汁をつくって、喜んでいただけた。 もう一人はマキシムのバースディ・ケーキを、あと一方はアレンジした果物とサツマイモとかぼちゃの従姉煮を作ってきてくださり、賑やかな時間を過ごした。 お誕生日の方は今度が55歳だと言う。 羨ましい事! 三人の中二人はお子さんが無い。 初めて聞いたのだけれど、二人とも筋腫の手術をなさったと言うことだった。
何ということなしに、過去の戦争の話になり、三人とも戦争の体験は無く、私だけが経験していたので話しにも熱が入り、あ、あ~こういう所謂、’語りべ’も必要なのだな~と思った。 私の経験した現実の話はほんの一部で、私自身は直接’死’とは向かい合う事は無かったが、当時14.5歳で経験させられた話は、お友達達を驚かせるのに充分な迫力を与えたようだった。
2009年3月6日金曜日
防蟻工事って?
今日は朝から可也酷い雨。 雨でも防蟻工事は出来ます・・・という事で午前10時に工事の方が来て下さった。
ダイニングの床下収納庫から入って防蟻剤をまくので、二個ある収納庫から花梨の焼酎漬け、ガスコンロ、あまり使ってない鍋類など出してみて、その多さに吃驚! 捨てなければ!と反省しきり。
約束どおり十時に工事の方が来宅、直ぐに作業にとりかかった。 「杉の匂いがしますが、今は改良されていて、身体に危険ではありませんが、作業の間、お二階に上がっていてください」と言われて、二階で戸棚をカタズケ様と思ったけれど、あまりにも酷い雨なのでやる気がしない。
それより、どういう作業なのか気になる。 作業の方のお話しでは、先ず床下にもぐって見てシロアリに侵されてる所が無いか検査して、その後消毒液を注入すると言う。 特にお風呂場、玄関のタタキなど水を使うところの床、風呂場ではタイルのアチコチに小さな穴を開ける、そしてソコから薬剤を注入して、その小さな穴を後で埋めておきます、と言われた。
以前五反田に住んでいた頃、お風呂場にシロアリが出て、タイルを壊してみたら中の材木がスカスカになっていて、お風呂場と台所の一部をやり直して、可也の出費をした事があった。 前の家の門柱にシロアリが沢山発生していてそれが繁殖したようだったけれど、ホント気持ちの悪い思いと大きな出費をした。
よく、「シロアリの駆除をします」とかいう電話が掛ってきてだまされる人があると聞くが、簡単に床下の空気口から薬剤を撒くだけで、高額の料金をとることもあるらしい。 私は今日の職人さんの丁寧さに感服した。 ”ミサワ”が言うだけのことはあるかな?
十二時半ごろようやく作業が終った、というところに、京都の妹から電話があった。 納税のための必要書類を至急送ってくれ・・・という。 この酷い雨のなか? 仕方なく床下収納の整理を後回しにして、千鳥町の郵便局まで行った。 上から下までずぶぬれネズミ! 床下収納の作業は午後五時まで掛って終了。
ともかく「明日、天気にな~れ!」 今の度の修繕は雨に祟られどうし・・・! 作業の方も大変でしたね!?
ダイニングの床下収納庫から入って防蟻剤をまくので、二個ある収納庫から花梨の焼酎漬け、ガスコンロ、あまり使ってない鍋類など出してみて、その多さに吃驚! 捨てなければ!と反省しきり。
約束どおり十時に工事の方が来宅、直ぐに作業にとりかかった。 「杉の匂いがしますが、今は改良されていて、身体に危険ではありませんが、作業の間、お二階に上がっていてください」と言われて、二階で戸棚をカタズケ様と思ったけれど、あまりにも酷い雨なのでやる気がしない。
それより、どういう作業なのか気になる。 作業の方のお話しでは、先ず床下にもぐって見てシロアリに侵されてる所が無いか検査して、その後消毒液を注入すると言う。 特にお風呂場、玄関のタタキなど水を使うところの床、風呂場ではタイルのアチコチに小さな穴を開ける、そしてソコから薬剤を注入して、その小さな穴を後で埋めておきます、と言われた。
以前五反田に住んでいた頃、お風呂場にシロアリが出て、タイルを壊してみたら中の材木がスカスカになっていて、お風呂場と台所の一部をやり直して、可也の出費をした事があった。 前の家の門柱にシロアリが沢山発生していてそれが繁殖したようだったけれど、ホント気持ちの悪い思いと大きな出費をした。
よく、「シロアリの駆除をします」とかいう電話が掛ってきてだまされる人があると聞くが、簡単に床下の空気口から薬剤を撒くだけで、高額の料金をとることもあるらしい。 私は今日の職人さんの丁寧さに感服した。 ”ミサワ”が言うだけのことはあるかな?
十二時半ごろようやく作業が終った、というところに、京都の妹から電話があった。 納税のための必要書類を至急送ってくれ・・・という。 この酷い雨のなか? 仕方なく床下収納の整理を後回しにして、千鳥町の郵便局まで行った。 上から下までずぶぬれネズミ! 床下収納の作業は午後五時まで掛って終了。
ともかく「明日、天気にな~れ!」 今の度の修繕は雨に祟られどうし・・・! 作業の方も大変でしたね!?
2009年3月3日火曜日
長電話?
昨日から我が家のう屋根工事が始まり、先ず立派な足場が組まれ、午後にはそれに紗幕のような布が張り巡らされた。 工事の方達は皆丁寧で感じがいいのが嬉しいけれど、天気が定まらず、これは誰もどうしようもない。 でも易では2日か3日に着工となっているので、今日はムリにお願いし形をつけていただいた。
ところで、とりあえず家にいると、友人からの長電話に少し当惑している・・・と言っては申し訳ないけれど、私が屋根の工事中、と言ってもそれに反応はなさらず、ご自分のことばかり話しつずけられる。 殆どがご自分の体調のこと、足が痛いの、腸の手術をして、癌だと言われたけれど取ってみたら癌ではなかった・・・とか、私もお返事の仕様も無い。 1月のクラス会で私達の’星’で当日の幹事だった方がクラス会の前日高島屋で倒れられ、救急車で日大病院に運ばれ、そのご主人は私しかご存知ないので、私が連絡係になって、色々な方々への連絡口になったため、そのお問い合わせが時々来るのだ。
1時間半以上もお付き合いして話していたけれど、その中で気がついたことは、自画自賛になるけれど、私は普段若い世代の方とのお付き合いが多いので、判断力、記憶力がシッカリしているな、と感じた。 旧姓とその方の特徴が直ぐ言えること。 逆に普段若い方達と話していると中中出て来ない言葉などもするすると出る。 その方が考えていらっしゃるのがもどかしく思える。 しかもその方は学校時代は実にシッカリしていらっしたのに・・・。 要するに、殆どの方が、自分の周りの事しかお話にならない。 又、亡くなった方々の話をしていて、フト気ずいたことは、大方の方に言えることは、几帳面な方々が多い気がする。 今日もクラス会の日がご葬儀だったというお友達のご長女からのハガキでその方はキチンとした字を書かれ、普段のご生活も実にキッチリしていらっした。
80歳近くなつたわけだから、誰もが死を身近に考えないわけは無い。 そしてそのことだけは誰もが同等に考える事だけは確かな事だ。 今日もお友達と話した事は’死に方’の問題で、それは選ぶ事が出来ないから・・・と結論ずけた。
ところで、とりあえず家にいると、友人からの長電話に少し当惑している・・・と言っては申し訳ないけれど、私が屋根の工事中、と言ってもそれに反応はなさらず、ご自分のことばかり話しつずけられる。 殆どがご自分の体調のこと、足が痛いの、腸の手術をして、癌だと言われたけれど取ってみたら癌ではなかった・・・とか、私もお返事の仕様も無い。 1月のクラス会で私達の’星’で当日の幹事だった方がクラス会の前日高島屋で倒れられ、救急車で日大病院に運ばれ、そのご主人は私しかご存知ないので、私が連絡係になって、色々な方々への連絡口になったため、そのお問い合わせが時々来るのだ。
1時間半以上もお付き合いして話していたけれど、その中で気がついたことは、自画自賛になるけれど、私は普段若い世代の方とのお付き合いが多いので、判断力、記憶力がシッカリしているな、と感じた。 旧姓とその方の特徴が直ぐ言えること。 逆に普段若い方達と話していると中中出て来ない言葉などもするすると出る。 その方が考えていらっしゃるのがもどかしく思える。 しかもその方は学校時代は実にシッカリしていらっしたのに・・・。 要するに、殆どの方が、自分の周りの事しかお話にならない。 又、亡くなった方々の話をしていて、フト気ずいたことは、大方の方に言えることは、几帳面な方々が多い気がする。 今日もクラス会の日がご葬儀だったというお友達のご長女からのハガキでその方はキチンとした字を書かれ、普段のご生活も実にキッチリしていらっした。
80歳近くなつたわけだから、誰もが死を身近に考えないわけは無い。 そしてそのことだけは誰もが同等に考える事だけは確かな事だ。 今日もお友達と話した事は’死に方’の問題で、それは選ぶ事が出来ないから・・・と結論ずけた。
2009年2月28日土曜日
つれずれなるままに・・・・~
昨日は午前中書道教室に行った後、特に予定もなかったので、ふと思いついて先日買っておいた金時芋でスィートポテトを作った。 一人で食べたら又肥るもと。 ジムのお友達をお呼びしてお茶する事にした。 何時もの二人は予定があって、一人だけ来てくださった。 少し経ってミサワのUさんが月曜日の打ち合わせに見えたので、一緒にお茶することにした。
奇遇というか、お友達のご子息とUさんとは会社は異なるが職業が同じ業種で更にその前に入社試験を受けた会社も同じだという。 お友達はすっかり母親の感じで接していらっしゃった。 色々話している中で、私はジムの帰り道大々的にロケをやっている側を通った・・・と話し始めた。 お友達は「それは多分木曜日の山田太一脚本の「ありふれた奇跡」のロケに違いない、と仰り、池上辺りでもロケをしていたらしい・・・と。
偶然三人ともそのドラマを見ていたので話が通じ合った。 このドラマは久しぶりの現実的というか、真面目なもので、私も子供を持つことが出来なかった一人なので、可也気になりながら毎週見ることにしている。 そう言えば私がそのロケの側を通り抜けた時、アパートの階段を駆け上がって行ったのは陣内孝則さんだったかな?
当然多くのスタッフさん達は私が通り抜けるため、道を譲って「ご通行人が通られます」と道を開けてくださった。 私は「通行人が通ります」と言いながら急いでその坂を通り過ぎた。それにしても、その際両手に沢山の缶ビールの入ったレジ袋、缶ジュースを下げて行ったADさんは? これから昼食としても? 撮影中に誰が? ビールを?
奇遇というか、お友達のご子息とUさんとは会社は異なるが職業が同じ業種で更にその前に入社試験を受けた会社も同じだという。 お友達はすっかり母親の感じで接していらっしゃった。 色々話している中で、私はジムの帰り道大々的にロケをやっている側を通った・・・と話し始めた。 お友達は「それは多分木曜日の山田太一脚本の「ありふれた奇跡」のロケに違いない、と仰り、池上辺りでもロケをしていたらしい・・・と。
偶然三人ともそのドラマを見ていたので話が通じ合った。 このドラマは久しぶりの現実的というか、真面目なもので、私も子供を持つことが出来なかった一人なので、可也気になりながら毎週見ることにしている。 そう言えば私がそのロケの側を通り抜けた時、アパートの階段を駆け上がって行ったのは陣内孝則さんだったかな?
当然多くのスタッフさん達は私が通り抜けるため、道を譲って「ご通行人が通られます」と道を開けてくださった。 私は「通行人が通ります」と言いながら急いでその坂を通り過ぎた。それにしても、その際両手に沢山の缶ビールの入ったレジ袋、缶ジュースを下げて行ったADさんは? これから昼食としても? 撮影中に誰が? ビールを?
2009年2月27日金曜日
おくりびと
日本の映画「おくりびと」がオスカー賞をとったというので、朝から晩までそのニュースがテレビで流されている。
最近無い明るいニュ―スなので、このことが日本経済にプラスになるかしら?などと誰もが考えるに違いない。
ところで、私はこの映画を見たわけではないのでこの「おくりびと」が多分亡くなった方の遺体を納棺する作業をする方のことを指しているのだろう・・・、と理解している? 主演俳優の本木さんが遺体に化粧を施し、死装束に着替えさせているカットを何度かテレビ画面で見た。 その儀式の美しさに誰もが感動を覚えたものと思う。
ところで、現実にこの年になれば何人もの身近な人人との別れを体験している私にとって、おくりびとの存在を見たことは無い。 「おくりびと」は葬儀社の方が勤めて下さり、納棺もその方方がしてくださり、むしろ遺族には立ち合わせないようにしているような気がする。
私がまだ五歳の頃、父の義母がお風呂で亡くなった。 その時私は当時の日本製鉄所の社宅の門の前の道路で祖母の死を、今で言う、お手伝いさんから知らされた。 その祖母は私をでき愛してくれていたが、家の中に入って見たら、父が祖母の背中をさすって水を吐かせているのが見えた。 その後中の間の六畳で、祖母は眠るように横たわっていた。 その時も「子供はあっちへ行って!」と追われた。
次に印象的なのは夫の母の死だった。 結婚してから二年目の事で、夫は日劇ダンシング・チームと一緒に、日本人としては初めての台湾に、団長として公演に出張中だった。 夫は会社の好意で一時帰宅して葬儀を済ませる事が出来た。 その際も既に納棺された母と夫は対面した。 涙も流さなかった夫を私は少し悲しい思いで見つめた思い出がある。
次は・・・・? 色々悲しい現実が迫ってくる。
最近無い明るいニュ―スなので、このことが日本経済にプラスになるかしら?などと誰もが考えるに違いない。
ところで、私はこの映画を見たわけではないのでこの「おくりびと」が多分亡くなった方の遺体を納棺する作業をする方のことを指しているのだろう・・・、と理解している? 主演俳優の本木さんが遺体に化粧を施し、死装束に着替えさせているカットを何度かテレビ画面で見た。 その儀式の美しさに誰もが感動を覚えたものと思う。
ところで、現実にこの年になれば何人もの身近な人人との別れを体験している私にとって、おくりびとの存在を見たことは無い。 「おくりびと」は葬儀社の方が勤めて下さり、納棺もその方方がしてくださり、むしろ遺族には立ち合わせないようにしているような気がする。
私がまだ五歳の頃、父の義母がお風呂で亡くなった。 その時私は当時の日本製鉄所の社宅の門の前の道路で祖母の死を、今で言う、お手伝いさんから知らされた。 その祖母は私をでき愛してくれていたが、家の中に入って見たら、父が祖母の背中をさすって水を吐かせているのが見えた。 その後中の間の六畳で、祖母は眠るように横たわっていた。 その時も「子供はあっちへ行って!」と追われた。
次に印象的なのは夫の母の死だった。 結婚してから二年目の事で、夫は日劇ダンシング・チームと一緒に、日本人としては初めての台湾に、団長として公演に出張中だった。 夫は会社の好意で一時帰宅して葬儀を済ませる事が出来た。 その際も既に納棺された母と夫は対面した。 涙も流さなかった夫を私は少し悲しい思いで見つめた思い出がある。
次は・・・・? 色々悲しい現実が迫ってくる。
2009年2月21日土曜日
ストレス?
今朝、食事をしようとテーブルについたら、急に首の後ろに異様な感じがして、このまま気分が悪く倒れてしまうのかしら?と思った。 しばらくじっとしてサロンパスを貼っていたら治まったので朝食をして健美操に出かけた。
外は北風が強く、思いのほか冷えていてジムまでの距離が可也遠く感じるほどだった。 健美操は何時もの様に満員御礼の状態。 いきなりインストラクターが「首とか腰に痛みとかストレスを感じる時は、首を動かしたり腰をゆすったり、しないで下さい。 そういう時は20分位安静にして、その部分を暖めてください」と仰った。 まるで、私のことを分かっていらっしゃるようだった、というか今時はストレスを感じ易い季節なのかもしれない。
その後、首と腰のゆっくりした体操をした。 ずい分楽になった気がした。
昨日の午後はじっと家にいて屋根の修繕の事ばかり考えていたので、首がこってしまったのかしら? 工事の人が入るとお茶を出したりすることになり、しばらくジムにも行けないかしら?と考えてしまう。
今日、夕方「お夕食時に申し訳ございません」と男性の声がした。 「ミサワホームからまいりました」と大変丁寧に遠慮深げな方なので、訝りながら中に入っていただいた。 名刺を見てその方は東京ミサワから来た事がわかった。「大変綺麗になさっていっしゃいますね」に始まり途中で私は、そうだ!先日のミサワのホームページに応募して、今後リホームの予定がある、というところにレ点を入れたのでわざわざ新宿から尋ねて来られたのだ、ということに気ずいた。 その方は50歳くらいの方で、私が契約したときの方の名前(27年前!)を言われた。 結局実情を話して理解していただき、その方は最後まで丁寧に応対して、丁寧に頭を下げて帰られた。 ご苦労様でした。
外は北風が強く、思いのほか冷えていてジムまでの距離が可也遠く感じるほどだった。 健美操は何時もの様に満員御礼の状態。 いきなりインストラクターが「首とか腰に痛みとかストレスを感じる時は、首を動かしたり腰をゆすったり、しないで下さい。 そういう時は20分位安静にして、その部分を暖めてください」と仰った。 まるで、私のことを分かっていらっしゃるようだった、というか今時はストレスを感じ易い季節なのかもしれない。
その後、首と腰のゆっくりした体操をした。 ずい分楽になった気がした。
昨日の午後はじっと家にいて屋根の修繕の事ばかり考えていたので、首がこってしまったのかしら? 工事の人が入るとお茶を出したりすることになり、しばらくジムにも行けないかしら?と考えてしまう。
今日、夕方「お夕食時に申し訳ございません」と男性の声がした。 「ミサワホームからまいりました」と大変丁寧に遠慮深げな方なので、訝りながら中に入っていただいた。 名刺を見てその方は東京ミサワから来た事がわかった。「大変綺麗になさっていっしゃいますね」に始まり途中で私は、そうだ!先日のミサワのホームページに応募して、今後リホームの予定がある、というところにレ点を入れたのでわざわざ新宿から尋ねて来られたのだ、ということに気ずいた。 その方は50歳くらいの方で、私が契約したときの方の名前(27年前!)を言われた。 結局実情を話して理解していただき、その方は最後まで丁寧に応対して、丁寧に頭を下げて帰られた。 ご苦労様でした。
2009年2月20日金曜日
屋根の修繕の・・・
九日に、屋根の修繕その他の契約をするはずだったが、渋谷の上の妹宅へ泊って、時間通り帰宅できなかったのとミサワが休日だったので、三日のばして、昨日契約することになった。
屋根瓦の修復だけでなく防蟻のための処置、玄関の床の修理などを含めて総額百七十万余りになった。 当初百三十万と思って金策をしていたのだけれど、その中には消費税、とか廃棄物処理代とかいろいろ加わって予定を上回ってしまった。 さあ、困った。 しかも支払いは契約時、着工時、完成時と三回に分けてキッチリ支払うことになっている。
契約が予定より遅れたのと土、日曜日が重なるので、セッカチな私は今日の午前中雨の中を池上の銀行に行って、初回金をを振込んだ。 そして、預金通帳を確かめたら、七十万が、証券会社から入っているはずのものが、まだ入金してなかった。 きりきりのところで、初回金を支払ってから証券会社に電話をして、月曜日までに入金してくれるように依頼し、更に郵便局に電話し定額預金をくずすことに決めて、ようやくホッとした。
これで、少し余裕をのこして、すべての修繕が出来るだろう。 着工日を易の先生に伺って、三月二日に決まった。 後はお天気がつずいて工事がすべて巧く行くように祈るばかりだ、そしてその上、昨日係りのイケ面青年が勧めてくれたミサワホームのホームぺージの懸賞金五百万円が当たるのを祈るばかり・・・・。
屋根瓦の修復だけでなく防蟻のための処置、玄関の床の修理などを含めて総額百七十万余りになった。 当初百三十万と思って金策をしていたのだけれど、その中には消費税、とか廃棄物処理代とかいろいろ加わって予定を上回ってしまった。 さあ、困った。 しかも支払いは契約時、着工時、完成時と三回に分けてキッチリ支払うことになっている。
契約が予定より遅れたのと土、日曜日が重なるので、セッカチな私は今日の午前中雨の中を池上の銀行に行って、初回金をを振込んだ。 そして、預金通帳を確かめたら、七十万が、証券会社から入っているはずのものが、まだ入金してなかった。 きりきりのところで、初回金を支払ってから証券会社に電話をして、月曜日までに入金してくれるように依頼し、更に郵便局に電話し定額預金をくずすことに決めて、ようやくホッとした。
これで、少し余裕をのこして、すべての修繕が出来るだろう。 着工日を易の先生に伺って、三月二日に決まった。 後はお天気がつずいて工事がすべて巧く行くように祈るばかりだ、そしてその上、昨日係りのイケ面青年が勧めてくれたミサワホームのホームぺージの懸賞金五百万円が当たるのを祈るばかり・・・・。
2009年2月17日火曜日
受賞記念の祝賀会
14日バレンタイン・デーに遅ればせながら、義弟の旭日中授賞を受けたのを祝う会を開いた。 義弟が忙しく遂に年明けになってしまった。 下の妹と甥とが当初から会場選びその他に尽力してくれて、ともかく場所を決めるのが大変だった。 14日はバレンタイン・デーでしかも土曜日なのでそれも場所選びに苦労したことの一つだった。
2,3候補が決まってからも、交通の便、貸し室料金などの問題も起きてくる。 ようやく色々決まったら、今度は席順のことで下の妹は切りきりまで悩んでいた。 親戚関係と言うのは別の意味で難しい事がある。 受賞者の妹夫妻を中心に年上順に席を決めるのが一番妥当なのだけれど、個人的に色々主張があって、聴いていたらキリがない。
この度は妹と相談して、男、女と順々に席を定め、夫妻を並べないように苦労した。 親戚の中でも気の会う会わない、が在るが、それを気ずかっていたらキリがない。 それでも総勢13人全員が出席してくださって、義弟も嬉しかっただろう。 料理もフランス料理としてはさっぱりしていたが、まあまあだったと思った。
私は中では一番年長なので、弟が乾杯の音頭をとった後一番に祝辞述べることになっていたが、立ち上がって周りを見た瞬間妙に上がってしまって、声がかすれてしまった。 焦れば焦るほど、声は上ずってきてしまい我なが恥ずかしい事態に抑えようもなくなった。
次に、義弟が挨拶して、下の妹の夫、姪の夫、下の妹の次男、何時も司会を押し付けられている下の妹の長男の順に祝辞というか、思い出話をして盛り上げてくれた。 最後に姪のオメデタの報告を私がする予定だったのを待ちきれず、カットインして喋り、皆が喜んでそれぞれに姪に感想を言うのを聞いて、ようやくホッとした。
会が終了後、何人か残って下でまたお茶を飲んで、甥について近所の餃子有名な’天龍’に寄って、甥は餃子を求め私は50年以上前その近所のビルの会社に一年間お遊び勤務をしていて、そのお店に行った事を懐かしんだ。
2,3候補が決まってからも、交通の便、貸し室料金などの問題も起きてくる。 ようやく色々決まったら、今度は席順のことで下の妹は切りきりまで悩んでいた。 親戚関係と言うのは別の意味で難しい事がある。 受賞者の妹夫妻を中心に年上順に席を決めるのが一番妥当なのだけれど、個人的に色々主張があって、聴いていたらキリがない。
この度は妹と相談して、男、女と順々に席を定め、夫妻を並べないように苦労した。 親戚の中でも気の会う会わない、が在るが、それを気ずかっていたらキリがない。 それでも総勢13人全員が出席してくださって、義弟も嬉しかっただろう。 料理もフランス料理としてはさっぱりしていたが、まあまあだったと思った。
私は中では一番年長なので、弟が乾杯の音頭をとった後一番に祝辞述べることになっていたが、立ち上がって周りを見た瞬間妙に上がってしまって、声がかすれてしまった。 焦れば焦るほど、声は上ずってきてしまい我なが恥ずかしい事態に抑えようもなくなった。
次に、義弟が挨拶して、下の妹の夫、姪の夫、下の妹の次男、何時も司会を押し付けられている下の妹の長男の順に祝辞というか、思い出話をして盛り上げてくれた。 最後に姪のオメデタの報告を私がする予定だったのを待ちきれず、カットインして喋り、皆が喜んでそれぞれに姪に感想を言うのを聞いて、ようやくホッとした。
会が終了後、何人か残って下でまたお茶を飲んで、甥について近所の餃子有名な’天龍’に寄って、甥は餃子を求め私は50年以上前その近所のビルの会社に一年間お遊び勤務をしていて、そのお店に行った事を懐かしんだ。
2009年2月11日水曜日
私の金策?
この際、僅かではあるが私の預金その他の整理をしておこうと思い始めた。
普段お財布代わりに使っている通帳の外に、少しずつの預金がある。 その一つにはおよそ27万円ほどの預金があった。 早速それを整理した。 次に証券会社を調べてみて、今は動かすべきではないが、関係のないモノが75万円あった。 あ~あ、助かった! これでおよそ100万円は確保出来そうだ。
ようやく、落ち着いて普段の生活をする事ができる・・・と思った。 なんとも一人と言うのは情けないもので相談する相手が無い。
昨年は預金に関心が無く、ほんの僅かずつだけれど消費が多かった。 反省! やはり生きている限りは少しずつでも預金を心がけねばならないのだと、自分に言い聞かせた。 「ハイ、頑張ります!」自問自答。
でも、しみじみ感じる「捨てる神あれば、拾う神あり・・・かな?
普段お財布代わりに使っている通帳の外に、少しずつの預金がある。 その一つにはおよそ27万円ほどの預金があった。 早速それを整理した。 次に証券会社を調べてみて、今は動かすべきではないが、関係のないモノが75万円あった。 あ~あ、助かった! これでおよそ100万円は確保出来そうだ。
ようやく、落ち着いて普段の生活をする事ができる・・・と思った。 なんとも一人と言うのは情けないもので相談する相手が無い。
昨年は預金に関心が無く、ほんの僅かずつだけれど消費が多かった。 反省! やはり生きている限りは少しずつでも預金を心がけねばならないのだと、自分に言い聞かせた。 「ハイ、頑張ります!」自問自答。
でも、しみじみ感じる「捨てる神あれば、拾う神あり・・・かな?
2009年2月10日火曜日
金策に頭は一杯!
10日ほど前、この家の建築をお願いしていたミサワ・ホームの久が原出張店から電話があって「お宅様の建築をさせていただいてから、もう27年になります。 そろそろ床下のシロアリ防除の薬も効かなくなっていますし、その他お困りの事はありませんか?」という電話があり、2.3日してからドアーフォンが鳴って「ミサワホームですが」と今度は男性の声。 その日は特に予定もなかったので入って頂いて、以前から気になっていた二階の天井のシミを見ていただき、玄関の辺りの床も今年は修繕しなければ・・・と、思い切って修繕を考えなければならない状況になって来た。
そして、一昨日屋根や、塗装やそれにミサワの社員三人が見積もりを作るための下見に訪れた。 家の前に車がどやどやと3台止まって5人もの人が外に立っていた。 屋根やさんは梯子でするすると屋根に登り、塗装やさんは周りの塀や家の周りをくまなく見ていた。 もう、こうなったら逃れようもない。 というか以前五反田の家で天井から水漏れを気にしないというか、資金が無くて、酷い事になった経験があるので、この辺りで修繕するのが得策かもしれないと思った次第。 ただ、下の妹が気を遣いながら言ったように私も80歳まで後2年、両親と同じ年まで永らえるとしてもあと10年あまり・・・? 誰かどうしたら言いか教えて?
次に考えなければならないのは、資金。 困った事に、昨年7月と11月にゆうちょうに100万円ずつ入金してしまった。 どのくらい用意すればいいの?との私の問いに、200万位?と背の高いハンサムな青年社員は事も無げに言う。
この後私が悩みに悩んでどういう風に持って言ったかは、次回に・・・。
そして、一昨日屋根や、塗装やそれにミサワの社員三人が見積もりを作るための下見に訪れた。 家の前に車がどやどやと3台止まって5人もの人が外に立っていた。 屋根やさんは梯子でするすると屋根に登り、塗装やさんは周りの塀や家の周りをくまなく見ていた。 もう、こうなったら逃れようもない。 というか以前五反田の家で天井から水漏れを気にしないというか、資金が無くて、酷い事になった経験があるので、この辺りで修繕するのが得策かもしれないと思った次第。 ただ、下の妹が気を遣いながら言ったように私も80歳まで後2年、両親と同じ年まで永らえるとしてもあと10年あまり・・・? 誰かどうしたら言いか教えて?
次に考えなければならないのは、資金。 困った事に、昨年7月と11月にゆうちょうに100万円ずつ入金してしまった。 どのくらい用意すればいいの?との私の問いに、200万位?と背の高いハンサムな青年社員は事も無げに言う。
この後私が悩みに悩んでどういう風に持って言ったかは、次回に・・・。
2009年2月6日金曜日
朝から一人でバタバタ
今日は”書道”のある日だと思い込んでいた。 その前に・・・近所の医院に薬を頂きに行かなければとあせりまくって九時半に家を出る。 患者さんは二人だけで早目に済ませることが出来た。 一旦家に戻り、書道の道具をもってクラブへ急いだ、どうも様子が変だ、受付の方に「今日第二金曜日よね?」と尋ねた。 彼女はカレンダーを確かめて「今日は第一です」と言う。「間違えた!」 今更ジムに行くのも気が進まないので。家に戻って掃除。
午前11時ごろ電話が鳴った。 青山学院時代のお友達で2年くらい前から近くのマンsンに引っ越して来られたが、まだお会いできず、先日のクラス会にもいらっしゃらなかった。 今日二人のお友達と銀座で会うので、もし出来たらいらっしゃらない? とのお誘いだった。 今日は午後2字からジムの仲間とお茶することになっていたし、急なことなのでお断りした。 先日のクラス会でも感じたけれど、クラス会には出ないけれどグループでは度々会っていらっしゃるらしい。 次の機会には参加させてくださいと応えた。 そのお友達が今日お会いになるお友達達は旧姓でしか私には思い出せなかった。
午後ジムのお友達とお茶する約束をしていて、今日は簡単に先日頂いていたフルーツケーキとお茶だけ、メインは世間話。 私の知らない地方の未だに残っている風習のこと、社会問題、政治の事など若い世代との話は尽きない。
無論何方も、働いた経験があるので、話も中中興味がある。 逆に彼女等にとって私は母親くらいの年齢なので、又参考になる所もあるようだ。
午前11時ごろ電話が鳴った。 青山学院時代のお友達で2年くらい前から近くのマンsンに引っ越して来られたが、まだお会いできず、先日のクラス会にもいらっしゃらなかった。 今日二人のお友達と銀座で会うので、もし出来たらいらっしゃらない? とのお誘いだった。 今日は午後2字からジムの仲間とお茶することになっていたし、急なことなのでお断りした。 先日のクラス会でも感じたけれど、クラス会には出ないけれどグループでは度々会っていらっしゃるらしい。 次の機会には参加させてくださいと応えた。 そのお友達が今日お会いになるお友達達は旧姓でしか私には思い出せなかった。
午後ジムのお友達とお茶する約束をしていて、今日は簡単に先日頂いていたフルーツケーキとお茶だけ、メインは世間話。 私の知らない地方の未だに残っている風習のこと、社会問題、政治の事など若い世代との話は尽きない。
無論何方も、働いた経験があるので、話も中中興味がある。 逆に彼女等にとって私は母親くらいの年齢なので、又参考になる所もあるようだ。
2009年2月4日水曜日
祝賀会の会場を見に行きました
二月十四日の義弟の受賞記念の祝賀会の場所がようやく決定したので下の妹と、打ち合わせ方々見学に行ってきた。’ホテル西洋銀座’という名称は知るひとぞ知る、という感じだけれど、その場所は私達の年頃ならば「以前テアトル東京」のあった場所です、と言えば分かりやすいのだけれど、今の方々には通じ難いだろう。 テアトル東京は日本で初めて’シネラマ’が映じられた場所で、私の記憶が正しければ、オペラ”アイーダ’が演じられた所だと思う。
私は都営地下鉄の宝町で降りて歩いて四・五分で、直ぐ分かった。 入り口は余りゴージャスとは言えないが、中に入って見るとヨーロッパ風のこじんまりした、清潔な感じのホテルで、予約した部屋も適当な広さで落ち着いた感じに見えた。 女性のコンサージュと相談して当日の献立を決めた。 妹と葡萄酒の値段が高いわね~と、特に飲めない私には強く感じた。 レストランとしてもソコが儲けどころなのだろう。
その後高島屋まで歩いていって、心ばかりの?プリサーブド・フラワーを求め。 一緒にお茶を飲んで、ついでに夕食をして帰宅。 不景気の所為か? 売り場も、食堂もガラガラ状態で驚くばかり! 私たちの入ったお店のお客は私達一組だった。
こんな状態では今年中に潰れてしまうデパートも出るかもね・・・と妹と話し合った。
私は都営地下鉄の宝町で降りて歩いて四・五分で、直ぐ分かった。 入り口は余りゴージャスとは言えないが、中に入って見るとヨーロッパ風のこじんまりした、清潔な感じのホテルで、予約した部屋も適当な広さで落ち着いた感じに見えた。 女性のコンサージュと相談して当日の献立を決めた。 妹と葡萄酒の値段が高いわね~と、特に飲めない私には強く感じた。 レストランとしてもソコが儲けどころなのだろう。
その後高島屋まで歩いていって、心ばかりの?プリサーブド・フラワーを求め。 一緒にお茶を飲んで、ついでに夕食をして帰宅。 不景気の所為か? 売り場も、食堂もガラガラ状態で驚くばかり! 私たちの入ったお店のお客は私達一組だった。
こんな状態では今年中に潰れてしまうデパートも出るかもね・・・と妹と話し合った。
2009年2月3日火曜日
今日は節分
午後五反田の銀行へ行つた行きも、帰りのバスにも多分私よりは年下なのだろうけれど、やや老年の女性が何時もより沢山乗車して来て、しかも幾つかのグループの方たちも目立っていた。 何の集まりだろう?と思って私は眺めていた。
本門寺辺りで又何人か乗って来て、その中のお一人が私の隣に座りそうに近ずいていらっしたので、私は後三停留所で降りなければならないので「どちらまでいらっしゃいます?」と尋ねたら「川崎まで」と応えられたので、「私は池上警察署前で降りますので、どうぞ窓際にお坐りください」と席を譲った。 その方は本門寺の豆まきを見にいらっしたらしく、私が席を代わったことを喜んで、拾ったばかりのマメの包みを二つ下さった。
「ミノ・モンタさんがいらっしてるのでしょう?」との私の問いにその方は「あの方はお話がお上手で今日もオレオレ詐欺に気をつけるように・・・お話になってました」そして 「余り大勢の人なので、疲れました」とのこと。「ミノさんは私達年よりに人気があるのです』ともお話になっていた。
家に戻って、そのお豆の包みと求めてきたお豆を升に入れて仏前に供えて、食後一人で小声で「鬼は外! 福は内!」と各部屋を回ってマメを撒いた」 そういえば、私は結婚した頃から夫の帰りがトテモ遅かったので、ず~っと一人で豆まきをしていたな~と思った。 ただ甥が同居していた二年間は甥が大きい声で撒いてくれたな~と懐かしく思い出した。
今年も無事で過ごせますように・・・私は毎年一人でいても豆まきは欠かさない事にしている。
本門寺辺りで又何人か乗って来て、その中のお一人が私の隣に座りそうに近ずいていらっしたので、私は後三停留所で降りなければならないので「どちらまでいらっしゃいます?」と尋ねたら「川崎まで」と応えられたので、「私は池上警察署前で降りますので、どうぞ窓際にお坐りください」と席を譲った。 その方は本門寺の豆まきを見にいらっしたらしく、私が席を代わったことを喜んで、拾ったばかりのマメの包みを二つ下さった。
「ミノ・モンタさんがいらっしてるのでしょう?」との私の問いにその方は「あの方はお話がお上手で今日もオレオレ詐欺に気をつけるように・・・お話になってました」そして 「余り大勢の人なので、疲れました」とのこと。「ミノさんは私達年よりに人気があるのです』ともお話になっていた。
家に戻って、そのお豆の包みと求めてきたお豆を升に入れて仏前に供えて、食後一人で小声で「鬼は外! 福は内!」と各部屋を回ってマメを撒いた」 そういえば、私は結婚した頃から夫の帰りがトテモ遅かったので、ず~っと一人で豆まきをしていたな~と思った。 ただ甥が同居していた二年間は甥が大きい声で撒いてくれたな~と懐かしく思い出した。
今年も無事で過ごせますように・・・私は毎年一人でいても豆まきは欠かさない事にしている。
2009年2月2日月曜日
築地市場から~初めてのもんじゃ焼き
何時ものジムの四人の仲間が築地市場を案内した後、以前から一度食べてみたいと思っていたもんじゃ焼きに連れて行ってくれるというお誘いを受けて、10時半に池上警察前のバス停で待ちあわせ、私が階段が嫌いなので、地下鉄の中延でバスを降り、エレベーターで都営地下鉄、東銀座(?)で大江戸線に乗り換え築地市場には歩いて2分ほど。 台所道具、干物、魚屋、八百屋、御茶屋、あらゆる種類の食べ物やが軒を並べていて驚くばかり。 私達はシラス専門店で生シラス、干しシラスを求めた。 シラスの好きな姪にも買って冷凍庫に保存した。 次に八百屋で赤芽芋を買った。 外にも買いたいものが沢山あったけれど、あとの事を考えて控えた。
その辺りに詳しいお友達(今日の幹事さん)に附いてそこからバスに乗って、憧れ?の月島に行く。 驚いた事に、月島の辺りは路地裏にまでギッシリもんじゃ焼きの店が並んでいる。 アチコチ覗きながら中でもお客が一杯の店を選んで入ってみる。 店内にはテレビなどでよく見る鉄板の台が沢山あり、その店は満員御礼の感じ。 アルコールに弱い私を除いて残りの三人はビールを頼んで、もんじゃの焼けるのを待つ。
三人とも上手にコテ様のスプーンをあやつつてモンジャを口に運ぶのだけれど、私にはそれが中中難しく最初はちつとも口に運ぶ事が出来なかった。三皿違う種類のものを頼んで焼いているうちにだんだん慣れて巧くなった。 材料は大したことはないが、土手をつくって流し入れるつなぎには可也出汁が入っていると見た。 見かけは余り美しいとは言えないが、味は可也満足した。
月島からまたバスに乗って銀座方面に行き、友人の一人がパールを見たいというのでリニューアルした和光に行ってみた。 その後西銀座まで歩きウエストでお茶とそれぞれ違うケーキを頼んで可也長い時間おしゃべりをして新橋まで歩いて又地下鉄に乗り帰宅。 よろよろする感じだったけれど、昨日と同じく家に着いてから疲れは残ってなかった。 天気も良かったし楽しい仲間との楽しい時間を楽しむ事が出来て幸せだった。
その辺りに詳しいお友達(今日の幹事さん)に附いてそこからバスに乗って、憧れ?の月島に行く。 驚いた事に、月島の辺りは路地裏にまでギッシリもんじゃ焼きの店が並んでいる。 アチコチ覗きながら中でもお客が一杯の店を選んで入ってみる。 店内にはテレビなどでよく見る鉄板の台が沢山あり、その店は満員御礼の感じ。 アルコールに弱い私を除いて残りの三人はビールを頼んで、もんじゃの焼けるのを待つ。
三人とも上手にコテ様のスプーンをあやつつてモンジャを口に運ぶのだけれど、私にはそれが中中難しく最初はちつとも口に運ぶ事が出来なかった。三皿違う種類のものを頼んで焼いているうちにだんだん慣れて巧くなった。 材料は大したことはないが、土手をつくって流し入れるつなぎには可也出汁が入っていると見た。 見かけは余り美しいとは言えないが、味は可也満足した。
月島からまたバスに乗って銀座方面に行き、友人の一人がパールを見たいというのでリニューアルした和光に行ってみた。 その後西銀座まで歩きウエストでお茶とそれぞれ違うケーキを頼んで可也長い時間おしゃべりをして新橋まで歩いて又地下鉄に乗り帰宅。 よろよろする感じだったけれど、昨日と同じく家に着いてから疲れは残ってなかった。 天気も良かったし楽しい仲間との楽しい時間を楽しむ事が出来て幸せだった。
2009年2月1日日曜日
どうやら無事に・・・?
昨年から、一緒に大丸に行きましょうよ~と飽きずに誘ってくださった、仲間内では「我侭な方」で通じている5歳年上のお友達と断り切れずに今日大丸に行くことになった。
家まで車で迎にきてくださると言うのを必死でお断りして、11時ごろお宅へ伺った。 およそ半年ぶりでお会いしたのだけれど、げっそり痩せて急に老けたように見えた。 半年前、肺炎で入院なさっていた時にお会いしたきりだったと思う。 時々息切れがすると仰るので、彼女の車に乗せていただくのがトテモ躊躇われた。 色々な理由を考えて電車で行くことを勧めたが、聞いていただけず、日曜日なら道も少しは空いているかも?などと考えたりして、今日に決めた。
ところが朝から物凄い風で友人の家に着くまで可也辛い思いをした。 お宅でお茶をご馳走になり少しドキドキしながら彼女の車に久しぶりで乗せていただいた。 運転するのも、大丸まで行くのも久しぶりだと仰る。 怖い?
乗っけて頂くので文句は言えないけれど、彼女はブレーキを踏むのがトテモ遅くて、初め前の車にぶつかるのではないか? 信号を無視するのではないか?と気が気ではなかったが、そのうち「ママよ」と思って馴れてきた。
以前私の誕生日にご馳走になって、そのお返しのお誕生日祝いをしていなかったので、今日はそれが一つの目的だった。 外国人とのお付き合いが多いので、物事をはっきり仰るので、何をご馳走したらいいか、迷ったが彼女が選んだポール・ボキューズの店に入って、ランチが可也安くしかもトテモ気に入って頂いて大安心。 その後は従来どうり、お供? 時計コーナーで、電池を入れその待ち時間にブルガリアの文明展を見る。 途中で息切れがするという事で早目に出る。 その後彼女はカシミアのセーターを買い、私は見るだけ。 付いて歩くのも大変。
大丸の地下街も大分変わったので、地下駐車場の入り口を見つけるのと、置いた場所を見つけるのが心配。 私がすべて探す。 次は時計売り場で私が渡した駐車券が無いと大騒ぎ、結局、彼女のコートの中にそれは、あった。
最近、妹達に気を遣わせていることの多い私が今日はトテモ気を遣わなくてはならない羽目になったわけだけれど、家に帰り着いて思ったことはその割には余り疲れなかったのは何故?
家まで車で迎にきてくださると言うのを必死でお断りして、11時ごろお宅へ伺った。 およそ半年ぶりでお会いしたのだけれど、げっそり痩せて急に老けたように見えた。 半年前、肺炎で入院なさっていた時にお会いしたきりだったと思う。 時々息切れがすると仰るので、彼女の車に乗せていただくのがトテモ躊躇われた。 色々な理由を考えて電車で行くことを勧めたが、聞いていただけず、日曜日なら道も少しは空いているかも?などと考えたりして、今日に決めた。
ところが朝から物凄い風で友人の家に着くまで可也辛い思いをした。 お宅でお茶をご馳走になり少しドキドキしながら彼女の車に久しぶりで乗せていただいた。 運転するのも、大丸まで行くのも久しぶりだと仰る。 怖い?
乗っけて頂くので文句は言えないけれど、彼女はブレーキを踏むのがトテモ遅くて、初め前の車にぶつかるのではないか? 信号を無視するのではないか?と気が気ではなかったが、そのうち「ママよ」と思って馴れてきた。
以前私の誕生日にご馳走になって、そのお返しのお誕生日祝いをしていなかったので、今日はそれが一つの目的だった。 外国人とのお付き合いが多いので、物事をはっきり仰るので、何をご馳走したらいいか、迷ったが彼女が選んだポール・ボキューズの店に入って、ランチが可也安くしかもトテモ気に入って頂いて大安心。 その後は従来どうり、お供? 時計コーナーで、電池を入れその待ち時間にブルガリアの文明展を見る。 途中で息切れがするという事で早目に出る。 その後彼女はカシミアのセーターを買い、私は見るだけ。 付いて歩くのも大変。
大丸の地下街も大分変わったので、地下駐車場の入り口を見つけるのと、置いた場所を見つけるのが心配。 私がすべて探す。 次は時計売り場で私が渡した駐車券が無いと大騒ぎ、結局、彼女のコートの中にそれは、あった。
最近、妹達に気を遣わせていることの多い私が今日はトテモ気を遣わなくてはならない羽目になったわけだけれど、家に帰り着いて思ったことはその割には余り疲れなかったのは何故?
2009年1月29日木曜日
ようやく確保
下の妹とその長男と日に何度も電話やメールで連絡をとってくれて、今日は出張先からまで連絡があって、今度の祝賀会の場所がようやく決まった。
その候補場所をとりあえず三箇所確保したという連絡があった。
一つは最悪の場合銀座の西洋銀座、二つ目はミッド・タウンのホテルのフレンチ、そして夕方日比谷のペニンシュラ・ホテルのペーターの部屋が取れたと甥から少し自慢げに電話があった。
実は私は個人的にはぺニンシュラがとれたらな~?と当初から思っていた。 パソコンを開いてみて、広がる部屋の雰囲気がトテモ魅力的に思えた。 だだ、そこのフレンチのPETERという名前がなんだか安っぽく気に入らないわね~と妹と話していた。 だだ、”新しい”と言うことはトテモ魅力的なものだ。
私の新しもの好きの性格は多分父親譲りかな?と時々思う。 父は何しろ昭和の初めつまり戦前にニッカポッカをはいてゴルフを始めて、すっかり凝っていた。 八幡の日鉄社宅でまだ課長だったのに私のためにピアノを買ってくれたのも社宅内で二・三番目だったと記憶している。 それとも、長男とか長女は何時も新しいものを与えられてきたのでそういう風に育てられてきたのかな?
ともかく、下の妹と甥には心から有り難う、を言いたい。 伯父さん夫妻もキッと喜んでくださるでしょう。
その候補場所をとりあえず三箇所確保したという連絡があった。
一つは最悪の場合銀座の西洋銀座、二つ目はミッド・タウンのホテルのフレンチ、そして夕方日比谷のペニンシュラ・ホテルのペーターの部屋が取れたと甥から少し自慢げに電話があった。
実は私は個人的にはぺニンシュラがとれたらな~?と当初から思っていた。 パソコンを開いてみて、広がる部屋の雰囲気がトテモ魅力的に思えた。 だだ、そこのフレンチのPETERという名前がなんだか安っぽく気に入らないわね~と妹と話していた。 だだ、”新しい”と言うことはトテモ魅力的なものだ。
私の新しもの好きの性格は多分父親譲りかな?と時々思う。 父は何しろ昭和の初めつまり戦前にニッカポッカをはいてゴルフを始めて、すっかり凝っていた。 八幡の日鉄社宅でまだ課長だったのに私のためにピアノを買ってくれたのも社宅内で二・三番目だったと記憶している。 それとも、長男とか長女は何時も新しいものを与えられてきたのでそういう風に育てられてきたのかな?
ともかく、下の妹と甥には心から有り難う、を言いたい。 伯父さん夫妻もキッと喜んでくださるでしょう。
2009年1月28日水曜日
世話役、幹事って、大変よ~!
昨年勲章を受けた義弟のためのお祝いの会食を遅まきながら2月14日に実現する事になった。 親戚一同気になりながら義弟の日程がつかず、ようやく2月14日に時間が取れそうだという連絡を受けて、下の妹とその長男、私とでパソコンを駆使して、場所探しを始めた。
当初この不景気な時期だから簡単に場所の確保が出来るものと思っていたが、イザ始めてみると14人の席と言うのは、可也予約し難い。 その上それなりの格式のある、交通の便もよく、しかも味もいい所と言う条件をクリアーする所が中中見付からない。 その上個室を確保するのが又至難の業。 それに加えてその日はバレンタイン・デーの土曜日と来た。 私のバソコンは古いので時々フリーズしてしまう。 目は疲れる。 ジムでも色々な方にご意見を伺って見ているけれど、所謂帯に短したすきに長し・・・状態。 それでも今日中には決めなければ、と妹とも話している。
幹事の役目のもう一つ・・・。 今日は青山学院時代の3年目のクラス会が銀座のソニー・ビルのイタリアン、サバティニで開かれる事になって、楽しみにしていた。 幹事さんは学生時代から頼りになる方が中心なので、安心していた。 ところが、昨夕その方のご主人から突然電話があった。 「西村ですけれど・・」と電話口で言われても私は直ぐは分からなかった。 西村という男性? 彼は今日幹事を引き受けてくださった方のご主人だった。
「私は伊藤さんしか知り合いが無いので」と可也焦った感じで「実は妻が突然高島屋で倒れて、救急車で駿河台の日大病院に運ばれたので・・・・」という。 私はすぐ仲間の幹事の方に電話を入れた。 その方はトテモ戸惑った感じで「資料は皆彼女が持っているので、困った・・・」との返事。 仕方なく明けて今朝私が少し早く行ってお手伝いする・・・と言って今朝40分くらい前に着く様に出かけた。 出席人数は21人と言うことで、出席者にご自分で書き込んでいただく事でスムーズに事は運んだ。 席についてのお話では過去2,3年の間に5人の方方が亡くなり、何人もの方が手術をした・・・という。 もう80歳になるまで2年は無いわけだから当然と言えば当然の結果と言える。
その上今日のオマケに一年半後の幹事は、今まで逃げつずけていた私と前の席に座られた方に決まってしまった?どうして?
当初この不景気な時期だから簡単に場所の確保が出来るものと思っていたが、イザ始めてみると14人の席と言うのは、可也予約し難い。 その上それなりの格式のある、交通の便もよく、しかも味もいい所と言う条件をクリアーする所が中中見付からない。 その上個室を確保するのが又至難の業。 それに加えてその日はバレンタイン・デーの土曜日と来た。 私のバソコンは古いので時々フリーズしてしまう。 目は疲れる。 ジムでも色々な方にご意見を伺って見ているけれど、所謂帯に短したすきに長し・・・状態。 それでも今日中には決めなければ、と妹とも話している。
幹事の役目のもう一つ・・・。 今日は青山学院時代の3年目のクラス会が銀座のソニー・ビルのイタリアン、サバティニで開かれる事になって、楽しみにしていた。 幹事さんは学生時代から頼りになる方が中心なので、安心していた。 ところが、昨夕その方のご主人から突然電話があった。 「西村ですけれど・・」と電話口で言われても私は直ぐは分からなかった。 西村という男性? 彼は今日幹事を引き受けてくださった方のご主人だった。
「私は伊藤さんしか知り合いが無いので」と可也焦った感じで「実は妻が突然高島屋で倒れて、救急車で駿河台の日大病院に運ばれたので・・・・」という。 私はすぐ仲間の幹事の方に電話を入れた。 その方はトテモ戸惑った感じで「資料は皆彼女が持っているので、困った・・・」との返事。 仕方なく明けて今朝私が少し早く行ってお手伝いする・・・と言って今朝40分くらい前に着く様に出かけた。 出席人数は21人と言うことで、出席者にご自分で書き込んでいただく事でスムーズに事は運んだ。 席についてのお話では過去2,3年の間に5人の方方が亡くなり、何人もの方が手術をした・・・という。 もう80歳になるまで2年は無いわけだから当然と言えば当然の結果と言える。
その上今日のオマケに一年半後の幹事は、今まで逃げつずけていた私と前の席に座られた方に決まってしまった?どうして?
2009年1月25日日曜日
今日は、萌彩ちゃん!
10月8日に生まれた萌彩ちゃんと10月9日以来初めて会えることになった。
今日は朝から晴れ上がったよい天気。 浦和までは蒲田から直通とはいえ可也乗りでがある。 モアちゃんのおばあちゃまである下の妹と浦和駅構内で会うことが出来、浦和駅まで甥一家が車で迎にきてくれて、カニ料理の店でお昼ご馳走になり、甥の家で初めて萌彩ちゃんを抱っこする事が出来た。 生まれてまだ三ヶ月あまりなのに、もう6キロある。 驚いた事にもう声を立てて笑う。 首もすわっていて、最近の赤ちゃんの成長の早さに驚かされる。
終始ニコニコとご機嫌でお腹がすいたとき、とウンチの時しか泣き声を揚げず、ほんとにいい子ちゃん。 ロンドンでモアちゃんの従姉の英里ちゃんに初めて会った時もホントシッカリしていて驚いたものだったけれど、最近の、特に女の子は発達が早いのかしら? それとも・・・・?
萌彩ちゃんはママの存在が分かっているようで、ママに対する態度が外のたとえパパとも違っている。 ともかく10ヶ月以上はお腹に抱えているのだから当たり前と言うにしても、それはママの特権とでも言える物かしら? ママになった事のない私は羨ましいような、大変だな~と言う思い。 親になるとその子に対する責任も出てくるし、これからの地球の問題も考えなくてはならなくなるだろうし、この子の将来は・・・・~?と思うだろうな~と余計なことを考えてしまう。
以前英里ちゃんのママに「英里ちゃんのお嫁に行く姿を私は見られないわね~』と当たり前のことを言った事があった。 英里ちゃんのママは返事に困ったと思う。 萌彩ちゃんにも、英里ちゃんの妹のお茶目な里彩ちゃんにも同じ事を考えてしまう。
今日は朝から晴れ上がったよい天気。 浦和までは蒲田から直通とはいえ可也乗りでがある。 モアちゃんのおばあちゃまである下の妹と浦和駅構内で会うことが出来、浦和駅まで甥一家が車で迎にきてくれて、カニ料理の店でお昼ご馳走になり、甥の家で初めて萌彩ちゃんを抱っこする事が出来た。 生まれてまだ三ヶ月あまりなのに、もう6キロある。 驚いた事にもう声を立てて笑う。 首もすわっていて、最近の赤ちゃんの成長の早さに驚かされる。
終始ニコニコとご機嫌でお腹がすいたとき、とウンチの時しか泣き声を揚げず、ほんとにいい子ちゃん。 ロンドンでモアちゃんの従姉の英里ちゃんに初めて会った時もホントシッカリしていて驚いたものだったけれど、最近の、特に女の子は発達が早いのかしら? それとも・・・・?
萌彩ちゃんはママの存在が分かっているようで、ママに対する態度が外のたとえパパとも違っている。 ともかく10ヶ月以上はお腹に抱えているのだから当たり前と言うにしても、それはママの特権とでも言える物かしら? ママになった事のない私は羨ましいような、大変だな~と言う思い。 親になるとその子に対する責任も出てくるし、これからの地球の問題も考えなくてはならなくなるだろうし、この子の将来は・・・・~?と思うだろうな~と余計なことを考えてしまう。
以前英里ちゃんのママに「英里ちゃんのお嫁に行く姿を私は見られないわね~』と当たり前のことを言った事があった。 英里ちゃんのママは返事に困ったと思う。 萌彩ちゃんにも、英里ちゃんの妹のお茶目な里彩ちゃんにも同じ事を考えてしまう。
2009年1月23日金曜日
あれも、万引き?
今日の午後は急に温かくなってきたので、池上方面に出て、銀行に寄り方方買い物に行こうと思い立った。
銀行でお金を引き出し、何時ものルートで駅前のパンヤさんに寄り、スーパーマーケットの店先に熊本産のみかんが山ずみになっていて、その立て札の意味がよく分からなくて、しばらく立って眺めていた。 1個35円と言うのはヘンだけれど、袋が置いてあるので多分1個ずつ何個でも好みによってその袋に入れるのだろう・・・と理解した。
私が入り口に突っ立って見ている間、一人の方が10個くらい袋に入れてス―パ・マーケットの中に入った。 その後、店内から支払済みの袋を持った70台くらいの女性が出て来ざま左手で3,4個ほどのみかんを取って自分のレジ袋の中に入れて悠然と立ち去った。 何時もは、忙しく品物を並べている定員さんがその時は一人も見当たらなかった。 黒っぽい服装のその人はあまりにも自然に、その場を立ち去った。
最近スーパーマーケットでの万引き事件が多くて、スーパーでの収益にも可也影響がある・・・とテレビで報道しているのを何度も見たが、みかんの3,4個など問題ではないだろうが、自分の家の棚からひょいと持っていく様な悪びれない動作に、私は、ただあきれ返って見送った。
銀行でお金を引き出し、何時ものルートで駅前のパンヤさんに寄り、スーパーマーケットの店先に熊本産のみかんが山ずみになっていて、その立て札の意味がよく分からなくて、しばらく立って眺めていた。 1個35円と言うのはヘンだけれど、袋が置いてあるので多分1個ずつ何個でも好みによってその袋に入れるのだろう・・・と理解した。
私が入り口に突っ立って見ている間、一人の方が10個くらい袋に入れてス―パ・マーケットの中に入った。 その後、店内から支払済みの袋を持った70台くらいの女性が出て来ざま左手で3,4個ほどのみかんを取って自分のレジ袋の中に入れて悠然と立ち去った。 何時もは、忙しく品物を並べている定員さんがその時は一人も見当たらなかった。 黒っぽい服装のその人はあまりにも自然に、その場を立ち去った。
最近スーパーマーケットでの万引き事件が多くて、スーパーでの収益にも可也影響がある・・・とテレビで報道しているのを何度も見たが、みかんの3,4個など問題ではないだろうが、自分の家の棚からひょいと持っていく様な悪びれない動作に、私は、ただあきれ返って見送った。
2009年1月21日水曜日
ジムのお友達との新年会
何時もアチコチと食べ歩きに誘ってくださるお友達を昨日家にお呼びした。 昨年からお鍋パーティをするお約束をしていて、ようやく落ち着いたのでお昼に来ていただいた。
鍋といってもありふれたものでは・・・と思って料理教室でも生徒さんたちに喜ばれた’しゅうへい鍋’をする事に決めて、前日から材料を買ってきて、お正月らしく簡単な前菜も作った。
前菜は金柑の甘煮、銀杏の串刺し、柚子釜の中にイクラのおろし合えを入れて大皿に盛り合わせた。
鍋の材料は甘塩の鱈を揚げたもの、お正月のお餅も揚げて他の材料は生椎茸、白菜をゆでて春菊の茹でた物を巻いて切ったもの下仁田ネギなどを美しく合わせて大皿に盛った。 この鍋は出しをよくとって、あらかじめ味を少し濃い目につけておき、材料が煮あがった所におろし大根、とき卵を流しいれるもので、ケッコウ贅沢に見える。
よかったら、お試しのほどを・・・。
予定の時間ピッタリに用意が整った。 これは私の得意とすするところ。
部屋に入ってこられた友人は「まるで、料亭に来たみたい!」と喜んでくださり、部屋中忽ち温かい雰囲気になった。 ジムでは余りゆっくりお話することが出来ないので、5時近くまで、色々話が尽きず楽しい時間を過ごした。
昨日は三人の友人の内お一人はご旅行で来られず、60歳の方ともう一人は私の娘くらいの50歳以下の方。 お2人ともヒルズの住人で、年の違いを感じないで話せるいい友人達だ。
鍋といってもありふれたものでは・・・と思って料理教室でも生徒さんたちに喜ばれた’しゅうへい鍋’をする事に決めて、前日から材料を買ってきて、お正月らしく簡単な前菜も作った。
前菜は金柑の甘煮、銀杏の串刺し、柚子釜の中にイクラのおろし合えを入れて大皿に盛り合わせた。
鍋の材料は甘塩の鱈を揚げたもの、お正月のお餅も揚げて他の材料は生椎茸、白菜をゆでて春菊の茹でた物を巻いて切ったもの下仁田ネギなどを美しく合わせて大皿に盛った。 この鍋は出しをよくとって、あらかじめ味を少し濃い目につけておき、材料が煮あがった所におろし大根、とき卵を流しいれるもので、ケッコウ贅沢に見える。
よかったら、お試しのほどを・・・。
予定の時間ピッタリに用意が整った。 これは私の得意とすするところ。
部屋に入ってこられた友人は「まるで、料亭に来たみたい!」と喜んでくださり、部屋中忽ち温かい雰囲気になった。 ジムでは余りゆっくりお話することが出来ないので、5時近くまで、色々話が尽きず楽しい時間を過ごした。
昨日は三人の友人の内お一人はご旅行で来られず、60歳の方ともう一人は私の娘くらいの50歳以下の方。 お2人ともヒルズの住人で、年の違いを感じないで話せるいい友人達だ。
2009年1月17日土曜日
いけめん?デリ
土曜、日曜日の新聞には沢山の広告が入っている。 近くのスーパー・マーケットのものは注意して見ているが、今朝の朝刊に面白い広告が入っていた。
「銀座三越のお弁当をお届けします」という見出しに食いしん坊の私は興味を持って、取り出して中身を見てみた。
カツサンド、お寿司類、天一の天ぷら弁当、日本橋大増のケッコウ美味しそうなお弁当、27種の写真が載っていて、「一個からでも配達いたします」とあった。 それらの配達料は200円だという。 「へぇ~何かの時に便利だわ!」三越の企画なのかなあ~?そう思ってもう片面を見てみた。
そこには「スマイルデリバリーiQemen]との見出しで、たしかにイケメの青年の写真が載っていた。 もっと良く見てみたら、その青年は「2002年に東大の法学部を卒業して富士通、会計事務所を経て独立しました」とある。 三越の配達だけでなく、スーパーマーケットでの買い物などの代行。 各家庭から職場、友人、親戚へのお弁当、料理などの配達、忘れ物を届ける・・・など・・・。 買い物代行については200円、配達は100円。 だだし、距離は片道30キロまで、という内容。
とりあえず、このチラシは何かの時のために取っておく事にした。 それにしても、変わった仕事を始めたものだ。一人で、しかもバイクで・・・・この辺りはお年よりも多く(多分私も必ずしも例外ではなく)ヒトのため、又自分のため? 人に喜ばれ、回りに気を遣うことなく、縛られる事無く仕事が出来、一件200円と言っても数を重ねれば収入も安定して来るのかもしれない? 今見直してみたら家庭教師科として一時間3,000円という項目もあって、少し安心した。
「銀座三越のお弁当をお届けします」という見出しに食いしん坊の私は興味を持って、取り出して中身を見てみた。
カツサンド、お寿司類、天一の天ぷら弁当、日本橋大増のケッコウ美味しそうなお弁当、27種の写真が載っていて、「一個からでも配達いたします」とあった。 それらの配達料は200円だという。 「へぇ~何かの時に便利だわ!」三越の企画なのかなあ~?そう思ってもう片面を見てみた。
そこには「スマイルデリバリーiQemen]との見出しで、たしかにイケメの青年の写真が載っていた。 もっと良く見てみたら、その青年は「2002年に東大の法学部を卒業して富士通、会計事務所を経て独立しました」とある。 三越の配達だけでなく、スーパーマーケットでの買い物などの代行。 各家庭から職場、友人、親戚へのお弁当、料理などの配達、忘れ物を届ける・・・など・・・。 買い物代行については200円、配達は100円。 だだし、距離は片道30キロまで、という内容。
とりあえず、このチラシは何かの時のために取っておく事にした。 それにしても、変わった仕事を始めたものだ。一人で、しかもバイクで・・・・この辺りはお年よりも多く(多分私も必ずしも例外ではなく)ヒトのため、又自分のため? 人に喜ばれ、回りに気を遣うことなく、縛られる事無く仕事が出来、一件200円と言っても数を重ねれば収入も安定して来るのかもしれない? 今見直してみたら家庭教師科として一時間3,000円という項目もあって、少し安心した。
2009年1月16日金曜日
一年の計は・・・・?
世に一年の計は正月にあり、と言う。
年が明けてもう10日以上も過ぎてしまった。 今年の計画は? 未定? この年令では自分で計画を立てても、それを守る事は出来難いと思う。 周りとの協調で過ごしていくしかない、とも思う。
年が明けて、昨年来、気になっていた預金のことで、郵ちょうの係りの方を呼んで、色々な方針を決める。 幸せなことに、僅かな年金とその他で人様に恥ずかしくない生活が送られると思って感謝している。 今年初めての夢見で死神が出て来たのを気にしているわけでもないが、とりあえず年の初めに整理をしておこうと、預金通帳などを調べてみたら、忘れていた預金が見付かった。 わずかなものだけれど、どうしたらいいか、考える事にした。 利子が今より大分高いから・・・。 以前のように利子で潤うことは考え難いわけだけれど。
次に、今の生活状態を特に変える必要はないとは思うものの、今ようやく落ち着いた普段の生活に戻って思うことは健康を保つために少なくとも週に三回はジムに通いたい、ということ。 冬の寒さ、夏の暑さにもめげずに折角ここまでつずけて来たのだから。 ホント、ケッコウ辛いと思うこともあるのだ。 一日休むと行きたくなくなったりするもらしい。 もう一つ書道教室に通うこと、月に二回というのは可也適当だと・・・。
もう一つ、月一回の料理教室、これは偶にはメンドウと思ったり、負担になったりするけれど、私の実力?の唯一の収入となるわけだから、出来る限り、又望んでくださる生徒さんがいらっしゃる限り、続ける事になるだろう。
こうして、又一年が経っていくのか?
年が明けてもう10日以上も過ぎてしまった。 今年の計画は? 未定? この年令では自分で計画を立てても、それを守る事は出来難いと思う。 周りとの協調で過ごしていくしかない、とも思う。
年が明けて、昨年来、気になっていた預金のことで、郵ちょうの係りの方を呼んで、色々な方針を決める。 幸せなことに、僅かな年金とその他で人様に恥ずかしくない生活が送られると思って感謝している。 今年初めての夢見で死神が出て来たのを気にしているわけでもないが、とりあえず年の初めに整理をしておこうと、預金通帳などを調べてみたら、忘れていた預金が見付かった。 わずかなものだけれど、どうしたらいいか、考える事にした。 利子が今より大分高いから・・・。 以前のように利子で潤うことは考え難いわけだけれど。
次に、今の生活状態を特に変える必要はないとは思うものの、今ようやく落ち着いた普段の生活に戻って思うことは健康を保つために少なくとも週に三回はジムに通いたい、ということ。 冬の寒さ、夏の暑さにもめげずに折角ここまでつずけて来たのだから。 ホント、ケッコウ辛いと思うこともあるのだ。 一日休むと行きたくなくなったりするもらしい。 もう一つ書道教室に通うこと、月に二回というのは可也適当だと・・・。
もう一つ、月一回の料理教室、これは偶にはメンドウと思ったり、負担になったりするけれど、私の実力?の唯一の収入となるわけだから、出来る限り、又望んでくださる生徒さんがいらっしゃる限り、続ける事になるだろう。
こうして、又一年が経っていくのか?
2009年1月10日土曜日
少し早い誕生祝い
京都の妹が上京して来て、下の妹の誕生祝の会食を三人ですることになり、下の妹の提案で日本橋三越のAS0では?どうかと、久しぶり三越で待ち合わせた。 私は、色々考えた挙句、池上線で蒲田へ出て、新橋で降り、地下鉄で三越という行きかたを選んだが、苦手な下り階段が多く、年上の私が一番遠いという結果となった。
AS0は確か代官山に店があり、玉高にもあった。 私も以前から一度行ってみたいと思っていたが、可也高価なので、今まで実現しなかった。 さすが雰囲気、従業員のマナーもよく、料理も洗練されていた。 偶然支配人が甥たちと同じ高校出身と言う事が分かって話がはずんだ。 今日は土曜なので、店も一杯だった。 三越はずい分久しぶりで行ったので、店の馴染みは無かったが、食料品売り場は可也魅力的だった。 和・洋菓子も充実していて時間があったらもっと見て回りたくなった。
今朝方、トテモ嫌な夢をみて、寝覚めが悪かった。 妹の誕生祝に相応しくないが・・・。 目覚めてからもハッキリ覚えていた。 黒っぽい着流しの着物を着た老年の男が「もう一年半の命だ」と言うので「それ、誰の事?」と色々な人の顔を思い浮かべながら、その誰でも嫌だし、困る・・・と思って「それ、誰の事?」と尋ねたら「お前のことだ」とその老人は言った。 目がさめてもトテモ気分のよくない夢だった。 何時かは来る事だけれど・・・。
AS0は確か代官山に店があり、玉高にもあった。 私も以前から一度行ってみたいと思っていたが、可也高価なので、今まで実現しなかった。 さすが雰囲気、従業員のマナーもよく、料理も洗練されていた。 偶然支配人が甥たちと同じ高校出身と言う事が分かって話がはずんだ。 今日は土曜なので、店も一杯だった。 三越はずい分久しぶりで行ったので、店の馴染みは無かったが、食料品売り場は可也魅力的だった。 和・洋菓子も充実していて時間があったらもっと見て回りたくなった。
今朝方、トテモ嫌な夢をみて、寝覚めが悪かった。 妹の誕生祝に相応しくないが・・・。 目覚めてからもハッキリ覚えていた。 黒っぽい着流しの着物を着た老年の男が「もう一年半の命だ」と言うので「それ、誰の事?」と色々な人の顔を思い浮かべながら、その誰でも嫌だし、困る・・・と思って「それ、誰の事?」と尋ねたら「お前のことだ」とその老人は言った。 目がさめてもトテモ気分のよくない夢だった。 何時かは来る事だけれど・・・。
2009年1月9日金曜日
京都でのお正月
妹たちは余り外へ出たがらないので、私は一人で一日に一度は周りを散歩する。 家を出る時から留守をお願いしているお友達とかジムのお友達へのお土産を何にしようか?と考え、そのことがカタズかないと落ち着かない・・・という気の小さい自分に少しイラ付きながら、2日から開けている大徳寺の近くの昆布専門店に行ったり、いつもの漬物店に行ったり心の落ち着く暇がない。
三日には姪の夫の誕生日を祝うために京都ホテル大倉に義弟が席を予約してくれて、何しろ何時も利用しているホテルらしく、支配人が出て来てエレべーターで14階のフレンチレストランまで案内してくれるというもてなしよう。 窓から京都の町が見下ろせるというロケーション。 ホントに高い建物が少なく町の灯りが美しかった。
姪達が芦屋に戻った4日には妹夫妻と3人で北野天満宮へ行った。 義弟の解釈によれば、今年は丑年だから、天満宮にお参りするのがいい、とか彼が天満宮の役員だから、とか・・・・私達は一番近いので毎年お参りしていたのだけれど・・・・、。昨年は私一人で大寺に御参りに行って、天満宮は行かなかったかな? だんだん忘れっぽくなってくる。 三が日が過ぎるとお寺も少しは空いて来る。
余った御節料理が勿体無い、と色々考えて作った料理が大失敗! お世辞にも美味しいとは言い難く、余りモノで・・・という概念にこだわる必要もない、と言うことをしみじみ感じた。 他の材料も沢山冷蔵庫にあったのだから、そういうセコい考えは無用なのだ、と思い知って、なんとも惨めな結末だった。
ともかく、京都でのお正月はお天気もまずまずで温かく過ごし易かった。
昨日、下の妹が(多分年末のおせち料理講習の御礼?) 帝国ホテルのアフタヌーン・ティに行かないかと誘ってくれた。 英里ちゃんとママも・・・と言うので喜んで出かけた。 14階なので皇居も見下ろせて、ゆったりと時間を過ごす事が出来た。 妹が内容が余りよくない、とロンドンのものと比べてがっかりした・・・と言っていたが、 ここは日本なので、仕方ないでしょう。
暮からの疲れが出たのか、今日午前中、今年初めての書道教室に行って、その後、外は氷雨の様子なので家にいたら
ウトウトと眠気が来て、珍しく何度も居眠りをしてしまった。
三日には姪の夫の誕生日を祝うために京都ホテル大倉に義弟が席を予約してくれて、何しろ何時も利用しているホテルらしく、支配人が出て来てエレべーターで14階のフレンチレストランまで案内してくれるというもてなしよう。 窓から京都の町が見下ろせるというロケーション。 ホントに高い建物が少なく町の灯りが美しかった。
姪達が芦屋に戻った4日には妹夫妻と3人で北野天満宮へ行った。 義弟の解釈によれば、今年は丑年だから、天満宮にお参りするのがいい、とか彼が天満宮の役員だから、とか・・・・私達は一番近いので毎年お参りしていたのだけれど・・・・、。昨年は私一人で大寺に御参りに行って、天満宮は行かなかったかな? だんだん忘れっぽくなってくる。 三が日が過ぎるとお寺も少しは空いて来る。
余った御節料理が勿体無い、と色々考えて作った料理が大失敗! お世辞にも美味しいとは言い難く、余りモノで・・・という概念にこだわる必要もない、と言うことをしみじみ感じた。 他の材料も沢山冷蔵庫にあったのだから、そういうセコい考えは無用なのだ、と思い知って、なんとも惨めな結末だった。
ともかく、京都でのお正月はお天気もまずまずで温かく過ごし易かった。
昨日、下の妹が(多分年末のおせち料理講習の御礼?) 帝国ホテルのアフタヌーン・ティに行かないかと誘ってくれた。 英里ちゃんとママも・・・と言うので喜んで出かけた。 14階なので皇居も見下ろせて、ゆったりと時間を過ごす事が出来た。 妹が内容が余りよくない、とロンドンのものと比べてがっかりした・・・と言っていたが、 ここは日本なので、仕方ないでしょう。
暮からの疲れが出たのか、今日午前中、今年初めての書道教室に行って、その後、外は氷雨の様子なので家にいたら
ウトウトと眠気が来て、珍しく何度も居眠りをしてしまった。
2009年1月7日水曜日
京都のお正月
京都でのお正月は今年で何回目になるかしら? 一年経つのが、年を重ねるに連れてだんだん早くなる。
大晦日、元旦と京都のお天気はまずまずと言うか、毎朝晴れたかと思うと小雨が降ったり、ハッキリしない。
例年通り、31日に豪華なお重が届いた。 元旦の朝からその御節を皆で頂き、誰言うとも無く毎年計りで計ったように同じ御節で、少し飽きたわね~と我侭な言葉が出る。 和風のものが参重、これでもか、というほどに小さな焼き魚数種、凝った練り物、これでもかとばかり美しくはいっていて、箸で掘り返すようにして、それまで気ずかなかった物が出てくる。 伊勢海老、ローストビ―フなどの入った洋風のお重が同じく三重ね。 それこそ至れり尽くせりのもの。 ホアグラのパテ、ハムを挟んだチーズ、イクラなども色よく詰め込んであって妹夫妻、姪夫妻、私の五人でつついても中中空にする事が出来ないほどだった。
元旦は、昨年私が提案して行く事にしたお墓に今年も行くことになった。 京都は、どちらに行っても知られた名所があるので、姪の夫の運転で町の様子を眺めながら、私としては、ようやく外に出られる・・・と言う感じ。 京都の方たちは先祖とか伝統を守るらしいので、殆どのお墓には花が供えてあった。 墓所は高台にあるの、京都の町を見下ろす事が出来た。
大晦日、元旦と京都のお天気はまずまずと言うか、毎朝晴れたかと思うと小雨が降ったり、ハッキリしない。
例年通り、31日に豪華なお重が届いた。 元旦の朝からその御節を皆で頂き、誰言うとも無く毎年計りで計ったように同じ御節で、少し飽きたわね~と我侭な言葉が出る。 和風のものが参重、これでもか、というほどに小さな焼き魚数種、凝った練り物、これでもかとばかり美しくはいっていて、箸で掘り返すようにして、それまで気ずかなかった物が出てくる。 伊勢海老、ローストビ―フなどの入った洋風のお重が同じく三重ね。 それこそ至れり尽くせりのもの。 ホアグラのパテ、ハムを挟んだチーズ、イクラなども色よく詰め込んであって妹夫妻、姪夫妻、私の五人でつついても中中空にする事が出来ないほどだった。
元旦は、昨年私が提案して行く事にしたお墓に今年も行くことになった。 京都は、どちらに行っても知られた名所があるので、姪の夫の運転で町の様子を眺めながら、私としては、ようやく外に出られる・・・と言う感じ。 京都の方たちは先祖とか伝統を守るらしいので、殆どのお墓には花が供えてあった。 墓所は高台にあるの、京都の町を見下ろす事が出来た。
2009年1月5日月曜日
例年どおりお正月は京都で・・・
今年と言うか昨年末から京都の妹宅で年越しとなった。 28日の午後の新幹線は何時もと違って家族連れが多かった。 無論指定席は満席。 夕方の京都の町は心なしか少し車の数は少なく感じ、不景気の所為かしらとドライバーと話した。
毎年御節料理が届けられるので、特に妹の家で作る必要はないのだけれど、野菜の煮物とか金柑の甘煮は私の仕事として今年も残してあった。 29日は二人のお手伝いさんが来てくれて、例年どうりその一人と近所のスーパーマーケットに運転手附き自家用車で行った。 特に今年はジムの御友達に京都の棒だらの煮つけを持ち帰ることを約束して来たので、そのマーケットの近くの魚屋で棒だらを買った。 ケッコウ高価なもので、水につけてふやかした棒だらの切った物は2000円~3000円くらいもする。 東京では手に入りにくい赤芽芋も求めた。
昨年も書いたかもしれなかったが、京都のスーパー・マーケットで売っているものは東京と大分異なり、野菜も東京で売っている小蕪は東京小蕪と言ってそれでも可也大きく値段も高い。 練り物などは可也カラフル。 鯛の焼いたものが景気よく並んでいたり、お餅は無論丸餅しか売っていない。 見て歩いているだけでも楽しく、遂、無駄と思いながら、手が出てしまう。
御節の和風、洋風プラスロースト・ビーフが届かなかったらどうしよう?と妹と毎年気に視ながら、待つ。 これは催促するものではなく・・・・? 大晦日まで・・・。
毎年御節料理が届けられるので、特に妹の家で作る必要はないのだけれど、野菜の煮物とか金柑の甘煮は私の仕事として今年も残してあった。 29日は二人のお手伝いさんが来てくれて、例年どうりその一人と近所のスーパーマーケットに運転手附き自家用車で行った。 特に今年はジムの御友達に京都の棒だらの煮つけを持ち帰ることを約束して来たので、そのマーケットの近くの魚屋で棒だらを買った。 ケッコウ高価なもので、水につけてふやかした棒だらの切った物は2000円~3000円くらいもする。 東京では手に入りにくい赤芽芋も求めた。
昨年も書いたかもしれなかったが、京都のスーパー・マーケットで売っているものは東京と大分異なり、野菜も東京で売っている小蕪は東京小蕪と言ってそれでも可也大きく値段も高い。 練り物などは可也カラフル。 鯛の焼いたものが景気よく並んでいたり、お餅は無論丸餅しか売っていない。 見て歩いているだけでも楽しく、遂、無駄と思いながら、手が出てしまう。
御節の和風、洋風プラスロースト・ビーフが届かなかったらどうしよう?と妹と毎年気に視ながら、待つ。 これは催促するものではなく・・・・? 大晦日まで・・・。
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