今夕京都の妹宅から松茸が送ってきた。 丁度英語のレッスン中のところだったが、宅急便のお兄さんが声高らかに、「伊藤様に森田様から松茸が届きました」と言いながら入ってきた。 目立たないボール箱に入っていたので、そ知らぬ顔で玄関先に置いて、レッスンを続けた。 生徒さんが帰られてから箱を開けてみた、箱いっぱいに大小の松茸が入っていた。
今年は近所のスーパーマーケットでも松茸の陰さえ見たことが無かった。 義弟に感謝しながら一番魅力的な松茸料理の一つ、土瓶蒸しを作る事にした。 丁度昨夜の鯛の刺身を二切れ残してあったので、それにかまぼこ、新銀杏
を入れ、蒸し上がり際に水菜をいれ、広島産の松茸だったので匂いは少し劣った気がしたが、今年初めての秋の味と匂いを楽しんだ。 添えて入っていた酢橘もトテモさわやかだった。 昨年やはり京都から送っていただいた松茸は丁度姪夫妻と甥夫妻が訪ねてきたので、彼等のために土瓶蒸を作って上げて私は松茸ご飯を頂いただけだったのを思い出した。 そして彼等の嬉しそうだった様子を思い出した。
今夕は英語の生徒さんが持って来てくださったマグロで’葱ま’を作り、土瓶蒸しと大根葉の炒め煮。 明日松茸ご飯を作りましょう。
レッスン中に今日はもう一人ピン・ポンが鳴って、以前一緒に自治会の副会長をして今はシニアークラブに属しているらっしゃる方が見えた。 「お母様いらっしゃいます?」とその方は玄関口でインターホンに向かって仰った久しぶりのことだったので、多分私の声が若々しく?、私の娘が応対したと、その方は思われたに違いない。 気をよくして、私は玄関先で5分くらい彼女とお話した。 「しばらく会わなかったので、元気?」と言いながら彼女は最近突然引っ越して行った私のご近所の方の話をなさりたかったご様子。 「飛ぶ鳥後を濁していったのね?!」と言うのが周りの方方の飾りのない感想。 そして、皆私のコメントを聞きたがっていらっしゃるのかしら?
2007年10月31日水曜日
2007年10月26日金曜日
見付かりました!
先日、10万円入ったフートーを何処へしまったか忘れた・・・とこのブログで訴えました。 あれから何日も、記憶に残っている場所を探し、探しつかれて、その内出てくるだろうと思ってはいたものの、頭のどこかに何時もひっかかっていた。 それこそ汗水たらして?貯めたお金だったのだから・・・。
先日何時もの易の先生に甥の引越しの日のことを尋ねたついでに、そのことを話してみた。 先生は「あるわよ!
東北かそれで無ければ北の方をゆっくり探して御覧なさい」と言うことで、今日で2日目。 東北と北は入れた覚えのある場所だったが、最初玄関の左の戸棚、右の下駄箱、その次は食器棚の辺り。 「フートウに入って、箱に入っているか、立てかけてある」というお話だった。
今夕、英語を教えた後、食事をすませ今まで見なかった食器棚を覗いて見た。 箱の中ということと、たてかける・・・に拘って、ふと食器をどけてみた。
あった! 白いフート―! 中に、これは私の勘違いだけれど、8万5千円。 そう言えば、その時のことをぼんやり思い出した。 考えすぎて違う所へ入れ替える物ではない・・・と言うのが私に残された教訓。 ご心配をかけました。 特別易に凝ってるわけではないけれど、10月中に恵方の南の方角へコスモスを見に行ったのも、よかったのかしら・・・?
ところで、昨日のブログに「明日は結婚記念日」と書いたのですけれど、それは明後日の間違いでした。 一人で祝っても詮無いもの・・・。
先日何時もの易の先生に甥の引越しの日のことを尋ねたついでに、そのことを話してみた。 先生は「あるわよ!
東北かそれで無ければ北の方をゆっくり探して御覧なさい」と言うことで、今日で2日目。 東北と北は入れた覚えのある場所だったが、最初玄関の左の戸棚、右の下駄箱、その次は食器棚の辺り。 「フートウに入って、箱に入っているか、立てかけてある」というお話だった。
今夕、英語を教えた後、食事をすませ今まで見なかった食器棚を覗いて見た。 箱の中ということと、たてかける・・・に拘って、ふと食器をどけてみた。
あった! 白いフート―! 中に、これは私の勘違いだけれど、8万5千円。 そう言えば、その時のことをぼんやり思い出した。 考えすぎて違う所へ入れ替える物ではない・・・と言うのが私に残された教訓。 ご心配をかけました。 特別易に凝ってるわけではないけれど、10月中に恵方の南の方角へコスモスを見に行ったのも、よかったのかしら・・・?
ところで、昨日のブログに「明日は結婚記念日」と書いたのですけれど、それは明後日の間違いでした。 一人で祝っても詮無いもの・・・。
2007年10月25日木曜日
今宵は満月
偶には、外へ出て、秋の夜空の満月を眺めてごらんなさい! 少し淋しげですけれどトテモ美しく老いも若きも、金もちも、貧しい人たちも同じように照らしてくれています。
以前、父が亡くなる前に母と病院へ行くために車の中から見た月のことを書いたことがある。 「多分今度はお父様ムリだと思う」と私は母に言った。 母は黙っていた。
今、思い出したのはまだ五反田の家にいた頃、亡夫が話してくれた戦前の話(そう言えば明日は結婚記念日だ)朝鮮(今は韓国)で彼の父親が三菱鉱業kkで(当時は日本領で夫の父は韓国にある鉱山の鉱山長をしていて、そのころのことなので、お手伝いさんが何人も居て、そのうちの1人が「坊ちゃん、日本でも同じ月が見られるのですか?」と尋ねた・・・と語っていた。 彼はその頃まだ中学生だったそうだ。
二階の窓から見える月を見ながら珍しく夫はセンチメンタルになっていた。 海外に出張で出かけていたとき「日本でも同じ月をふさ子も見ているのだなあ~」と仕事が苦しかった時に思った、などと部屋を暗くして、満月を見ながら話したことを思い出す。 満月は人間を優しくしたり、ロマンチックにしたり、するものらしい。 先ほども書いたが明日は結婚記念日なので、少々のお惚気をご勘弁!
もう一度月を見て二階に行きます。
以前、父が亡くなる前に母と病院へ行くために車の中から見た月のことを書いたことがある。 「多分今度はお父様ムリだと思う」と私は母に言った。 母は黙っていた。
今、思い出したのはまだ五反田の家にいた頃、亡夫が話してくれた戦前の話(そう言えば明日は結婚記念日だ)朝鮮(今は韓国)で彼の父親が三菱鉱業kkで(当時は日本領で夫の父は韓国にある鉱山の鉱山長をしていて、そのころのことなので、お手伝いさんが何人も居て、そのうちの1人が「坊ちゃん、日本でも同じ月が見られるのですか?」と尋ねた・・・と語っていた。 彼はその頃まだ中学生だったそうだ。
二階の窓から見える月を見ながら珍しく夫はセンチメンタルになっていた。 海外に出張で出かけていたとき「日本でも同じ月をふさ子も見ているのだなあ~」と仕事が苦しかった時に思った、などと部屋を暗くして、満月を見ながら話したことを思い出す。 満月は人間を優しくしたり、ロマンチックにしたり、するものらしい。 先ほども書いたが明日は結婚記念日なので、少々のお惚気をご勘弁!
もう一度月を見て二階に行きます。
2007年10月23日火曜日
本質的に男と女とどちらが優しい?
今日も朝から秋らしいよい天気。 午前中は何時もどおりジムに行き、一休みして、クラブに古新聞を持って行き、そのあと駅近くの歯科医院に行き、止せばいいのに、近くのスーパーマーケットに寄って、又止せばいいのに、安売りのキャノーラ・オイル野菜などを買って外へ出た。 それこそ、やっぱりカートを引いてくればよかった。 買いすぎた・・・と少し後悔しながら坂を上っていた。 突然中年の男性が声をかけてこられた「ご近所のようなので、お荷物、お家までお持ちします」と有無を言わせず私の二袋の買い物を持ってくださった。
「家のご近所って、どちら様ですか?」と私は尋ねた。 「青木です、堀さんの二軒先です」と仰った。 何度かお会いしてご挨拶をしたことがあるのを思い出した。 すいぶん前にNHKのヒット作品の一つ、「とんち教室」と言う番組の司会を長いこと勤められた「青木先生」のご子息だった。 無論彼は私のことをよくご存知で、家までの道々ご近所のご様子などを話しながら、少し回り道で、家まで持って来てくださった。
今までに買い物途中で、自転車に荷物を乗せてくださった女性は何人かあった気がする。 だけど、わざわさ車を止めて、乗せてくださったのは、殆ど男性の方が多かった。 女の方は大体軽く頭を下げて過ぎていかれる。 女の方が忙しいのか、メンドウなのか? そう言えば少し先の余りお付き合いのない綺麗な女性が二回ほど、彼女のベンツに乗せてくださったことがあったっけ?
最近の男性は優しすぎる、というむきがある。 昔の男性は優しくても表現が下手だったのではないかしら?
貴方は果たして男性と女性とどちらが優しいと思いますか?
「家のご近所って、どちら様ですか?」と私は尋ねた。 「青木です、堀さんの二軒先です」と仰った。 何度かお会いしてご挨拶をしたことがあるのを思い出した。 すいぶん前にNHKのヒット作品の一つ、「とんち教室」と言う番組の司会を長いこと勤められた「青木先生」のご子息だった。 無論彼は私のことをよくご存知で、家までの道々ご近所のご様子などを話しながら、少し回り道で、家まで持って来てくださった。
今までに買い物途中で、自転車に荷物を乗せてくださった女性は何人かあった気がする。 だけど、わざわさ車を止めて、乗せてくださったのは、殆ど男性の方が多かった。 女の方は大体軽く頭を下げて過ぎていかれる。 女の方が忙しいのか、メンドウなのか? そう言えば少し先の余りお付き合いのない綺麗な女性が二回ほど、彼女のベンツに乗せてくださったことがあったっけ?
最近の男性は優しすぎる、というむきがある。 昔の男性は優しくても表現が下手だったのではないかしら?
貴方は果たして男性と女性とどちらが優しいと思いますか?
2007年10月22日月曜日
折角の秋晴れなのに・・・
昨日も今日もようやく秋らしく晴れ上がった上天気なのに、昨夜下剤をのんでから、一晩中トイレ通い、今朝6時に再びビール瓶一本くらいの下剤を30分くらいかけて飲んでから、もっと回数が増えてきて、とうとう起きてしまった。 今朝は水気だけは摂っていいと言うことだったが、お茶くらいしか喉を通らない。
午後2時10前までに来てくれということだったが、少し早めに着いて、トテモ感じのいい若い看護士さんが、こまごまと説明しながら左手に血圧器、右手は点滴と言う具合。 血圧が少し高かった。 担当の女医さんがいらっしていよいよ大腸カメラが入る。 腹圧がかかって可也痛いというか重い感じ。 時間も可也長く感じた。 途中で先生が「伊藤さん、カメラを見てください」と仰り右下のカメラを見た。 私の大腸内が大きく見えた。 「1年前と変わってませんね』と仰った意味がよく理解できなかった。 「どうしましょうね?」先生は画面を止めてお聞きになった。 後でのお話では。去年と同じ大きさだから、入院してとるとしても2,3日は入院しなければなりません」私は「もう決心して来ましたから・・・」と言った。
結局、先生のお出しになった結論は「もう少し大きくなったり、形がくずれてくるまで様子を見ましょう」と言う。
内視鏡で取れるものだったら、折角決心をつけて来たのに・・・と私。 また来年同じ思いをしなければならない。
内視鏡が終って30分くらい残りのブドウ糖の点滴をすまして、その後カーテンのかげで日本茶と栗饅頭、大きなお煎餅、ジェリーが出た。 私は気取って?お茶と栗饅頭だけ頂いた。 大きな栗が入った可也上等な?ものだった。
何しろ早く家に帰りたかった。 お疲れ様! それに御気を使ってくださった皆様に感謝!
午後2時10前までに来てくれということだったが、少し早めに着いて、トテモ感じのいい若い看護士さんが、こまごまと説明しながら左手に血圧器、右手は点滴と言う具合。 血圧が少し高かった。 担当の女医さんがいらっしていよいよ大腸カメラが入る。 腹圧がかかって可也痛いというか重い感じ。 時間も可也長く感じた。 途中で先生が「伊藤さん、カメラを見てください」と仰り右下のカメラを見た。 私の大腸内が大きく見えた。 「1年前と変わってませんね』と仰った意味がよく理解できなかった。 「どうしましょうね?」先生は画面を止めてお聞きになった。 後でのお話では。去年と同じ大きさだから、入院してとるとしても2,3日は入院しなければなりません」私は「もう決心して来ましたから・・・」と言った。
結局、先生のお出しになった結論は「もう少し大きくなったり、形がくずれてくるまで様子を見ましょう」と言う。
内視鏡で取れるものだったら、折角決心をつけて来たのに・・・と私。 また来年同じ思いをしなければならない。
内視鏡が終って30分くらい残りのブドウ糖の点滴をすまして、その後カーテンのかげで日本茶と栗饅頭、大きなお煎餅、ジェリーが出た。 私は気取って?お茶と栗饅頭だけ頂いた。 大きな栗が入った可也上等な?ものだった。
何しろ早く家に帰りたかった。 お疲れ様! それに御気を使ってくださった皆様に感謝!
2007年10月21日日曜日
明日は検査
一年に一度は大腸の内視鏡検査を受けるように言われてから、一年半経ってしまった。 五月は連休があって、混みあうだろうと思い。 六月には私の喜寿の祝い、その後頭の怪我があり、又この夏はトテモ暑いのと出かけることが多くて、過ごしてしまい、とうとう嫌々ながら明日は覚悟の検査日になった。
お友達も何人か検査を受けた方があるが、私みたいに大騒ぎする方はないようだ・・・と自己反省をしながら、今日は朝から支給された検査食を頂く。 朝は日本風の御粥と味噌汁、お昼は中華風のおじやと澄まし汁、おやつはクッキーと粉末ジュース、夕食はコーンポタージュのみ、その後、午後9時に下剤の入った水を500ミリ飲み、明朝は大量の海水ようの水を飲む。 そのおじやのまずいこと、まずいこと、昨年の味わったまずさがまだ残って思い出す感じで、お腹が空いても食べたくない。 コーンスープだけがどうやら・・・という感じ。
そろそろ、9時になるので、下剤を飲まなければ・・・。
食事の支度をしないですむと言うことは、一日ずい分暇が多くなってしまう感じ。 買い物に行く必要もなければ、ご飯も炊くこともなく、ホントに所作がない。 手持ち無沙汰なのとやっぱり何か食べたくなりそうなので、そこら中掃除機をかけたり、カタズケをしたり、それでも時間つぶしが出来ず、折角の秋らしい青空なので、少し散歩をして戻ってきた所に、英里ちゃんから電話があった。 「私、何処に居るか分かる?」と聞いてきた。 多分たまプラーザの妹の家だと思ったら、その通り。 運動会の様子など、シッカリと話してくれた。 運動会では一等賞をとったとか・・・。 私が検査でパニクッて居ると思って、ママが掛けさせてくれた物と感激! ホントに会いたいな~と思うことしきり・・・。
お友達も何人か検査を受けた方があるが、私みたいに大騒ぎする方はないようだ・・・と自己反省をしながら、今日は朝から支給された検査食を頂く。 朝は日本風の御粥と味噌汁、お昼は中華風のおじやと澄まし汁、おやつはクッキーと粉末ジュース、夕食はコーンポタージュのみ、その後、午後9時に下剤の入った水を500ミリ飲み、明朝は大量の海水ようの水を飲む。 そのおじやのまずいこと、まずいこと、昨年の味わったまずさがまだ残って思い出す感じで、お腹が空いても食べたくない。 コーンスープだけがどうやら・・・という感じ。
そろそろ、9時になるので、下剤を飲まなければ・・・。
食事の支度をしないですむと言うことは、一日ずい分暇が多くなってしまう感じ。 買い物に行く必要もなければ、ご飯も炊くこともなく、ホントに所作がない。 手持ち無沙汰なのとやっぱり何か食べたくなりそうなので、そこら中掃除機をかけたり、カタズケをしたり、それでも時間つぶしが出来ず、折角の秋らしい青空なので、少し散歩をして戻ってきた所に、英里ちゃんから電話があった。 「私、何処に居るか分かる?」と聞いてきた。 多分たまプラーザの妹の家だと思ったら、その通り。 運動会の様子など、シッカリと話してくれた。 運動会では一等賞をとったとか・・・。 私が検査でパニクッて居ると思って、ママが掛けさせてくれた物と感激! ホントに会いたいな~と思うことしきり・・・。
2007年10月20日土曜日
晴れのち雨
作日、京都から妹が上京して来たので、三人姉妹で妹宅の近所のフレンチレストランで食事をしようと、中の妹が誘ってくれた。 家を出るとこは雲は多かったものの、とりあえずは晴れ上がっていた。
三人集まると姦しいということの例外ではなく、お昼を頂きながらもつまらないことでも笑いあった。 笑いは健康の素・・・というけれど、三人ともそれぞれの家では声を上げて笑い転げることは少ないのかもしれない。 特に私は独り暮らしだから・・・・。
妹の家の近くのフレンチレストランは私はこれで2回目。 シェフは先日会った時より若く見えた。 妹は夫とか娘達とも何度か訪れていて、すっかりお得意様、と言う感じで、シェエフはメニューにも気を使っていた。
前菜はシェリーグラスに生うに、人参のムースで冷たく冷やし微妙な味になっていた。 最初のお皿の鯛はさっぱりした味付けの物でホンの少し入っていたマツタケがトテモ香りがよく楽しめた。 メインのお肉のお皿は鹿肉で
今までになくやわらかくソースにマッチして美味だった。 久しぶりで美味しいフレンチを頂いた・・と下の妹も感激していた。 食事をとりながら昔の映画俳優の話になり、私より13も年下の妹はその年齢にしては、私年齢の俳優の名前をよく覚えていて、驚いた。 その中で 「慕情」の新聞記者を演じた男優の名前が思い出せなくて、3人であらゆるその時代の俳優の名を言ってみたが、誰も思い出せず、それでも年の功で・・・私が遂に思い出して、まんざらでもない・・と独りで悦にいった。 その名はウイリアム・ホールデン! 50年前はよく映画を見たものだった。
終って外に出たら可也の雨、とりあえず私が一番遠いわけで、NHKの建物の近くまで歩き、その後渋谷からJRで五反田駅に着く頃は可也の烈しい雨。 しかも池上警察署でバスを降りて家まで可也情けないほどの大雨! 折角新しい服と靴をはいた行ったのに~・・・でも美味しさは心に残っていた。
今日はようやく秋らしい天気!!
三人集まると姦しいということの例外ではなく、お昼を頂きながらもつまらないことでも笑いあった。 笑いは健康の素・・・というけれど、三人ともそれぞれの家では声を上げて笑い転げることは少ないのかもしれない。 特に私は独り暮らしだから・・・・。
妹の家の近くのフレンチレストランは私はこれで2回目。 シェフは先日会った時より若く見えた。 妹は夫とか娘達とも何度か訪れていて、すっかりお得意様、と言う感じで、シェエフはメニューにも気を使っていた。
前菜はシェリーグラスに生うに、人参のムースで冷たく冷やし微妙な味になっていた。 最初のお皿の鯛はさっぱりした味付けの物でホンの少し入っていたマツタケがトテモ香りがよく楽しめた。 メインのお肉のお皿は鹿肉で
今までになくやわらかくソースにマッチして美味だった。 久しぶりで美味しいフレンチを頂いた・・と下の妹も感激していた。 食事をとりながら昔の映画俳優の話になり、私より13も年下の妹はその年齢にしては、私年齢の俳優の名前をよく覚えていて、驚いた。 その中で 「慕情」の新聞記者を演じた男優の名前が思い出せなくて、3人であらゆるその時代の俳優の名を言ってみたが、誰も思い出せず、それでも年の功で・・・私が遂に思い出して、まんざらでもない・・と独りで悦にいった。 その名はウイリアム・ホールデン! 50年前はよく映画を見たものだった。
終って外に出たら可也の雨、とりあえず私が一番遠いわけで、NHKの建物の近くまで歩き、その後渋谷からJRで五反田駅に着く頃は可也の烈しい雨。 しかも池上警察署でバスを降りて家まで可也情けないほどの大雨! 折角新しい服と靴をはいた行ったのに~・・・でも美味しさは心に残っていた。
今日はようやく秋らしい天気!!
2007年10月17日水曜日
馬来田のコスモスの余談
昨夜、馬来田のことについてもう少し書こうと思っていたら、眠くなって途中で中止してしまった。
先ず、馬来田と書いて「うまくた」と読む。 言葉の由来は明らかではない。
木更津から久留里線で20分あまりのところにあり、特別な生産性がある町のようには見られなかった。 畑と少しの田んぼがあったがどうやって生計を立てているのだろうか? この辺りは落花生も栽培しているはずだけれど、収穫が終ってしまったのか、落花生畑も余り見なかった。 ちなみに馬来田駅の側の店でも落花生は外側の硬い皮を取っただけの物しか売っていなかった。 それに珍しかったのは白無花果が15個くらい入って200円くらいで売っていたが、お店の人は特に勧めなかった。 硬いから煮なければなりませんよ、と言っていた。 だだ根生姜が沢山入って100円なのは驚いた。 お米が自慢らしく「買っていったら」と勧められたが、途中で重さに耐えられなくなるだろうと思って二人とも求めなかった。
途中はす沼はアチコチに見られ花を栽培している温室もかなりあったが、他の畑は自家用に栽培していると見られる農作物しかないようだった。 それでも住んでる人たちが優しいのは生活が楽だからに違いない。 コスモス畑があったとしても、自然に生えた様な感じで、特に宣伝したり、入場料を取ったりしているわけではない。
それでも私たち都会に住んでいる人間は多分2、3日住んだら飽きてしまうだろう。
コスモスの花は福岡県生まれの亡き父の一番好きだった花。 清楚なそれでも群れになるとケッコウ迫力がある。
先ず、馬来田と書いて「うまくた」と読む。 言葉の由来は明らかではない。
木更津から久留里線で20分あまりのところにあり、特別な生産性がある町のようには見られなかった。 畑と少しの田んぼがあったがどうやって生計を立てているのだろうか? この辺りは落花生も栽培しているはずだけれど、収穫が終ってしまったのか、落花生畑も余り見なかった。 ちなみに馬来田駅の側の店でも落花生は外側の硬い皮を取っただけの物しか売っていなかった。 それに珍しかったのは白無花果が15個くらい入って200円くらいで売っていたが、お店の人は特に勧めなかった。 硬いから煮なければなりませんよ、と言っていた。 だだ根生姜が沢山入って100円なのは驚いた。 お米が自慢らしく「買っていったら」と勧められたが、途中で重さに耐えられなくなるだろうと思って二人とも求めなかった。
途中はす沼はアチコチに見られ花を栽培している温室もかなりあったが、他の畑は自家用に栽培していると見られる農作物しかないようだった。 それでも住んでる人たちが優しいのは生活が楽だからに違いない。 コスモス畑があったとしても、自然に生えた様な感じで、特に宣伝したり、入場料を取ったりしているわけではない。
それでも私たち都会に住んでいる人間は多分2、3日住んだら飽きてしまうだろう。
コスモスの花は福岡県生まれの亡き父の一番好きだった花。 清楚なそれでも群れになるとケッコウ迫力がある。
2007年10月15日月曜日
コスモスを求めて・・・
以前からコスモスの沢山咲いているのを見たい、と思っていた。 時々パソコンで調べてみたけれど可也遠い地域だった。 今朝もパソコンを開いてみたら千葉県にコスモスが咲き乱れているという地域を発見した。 実は、先日
何時もの易の先生に「今月中に南方向に行って、物を食べるとか、モノを買ってくるといいのだけれどね~」と言われていたのを思い出した。 そのときは南は海だ、と単純に考えていた。 若しかして、その辺りは家から南か?
急なことだったが、ご近所のお友達を誘ってみたら、喜んで行きたい!と仰って下さったので、朝少し遅めではあったが、天気もまあまだったので、急いで行き道を調べて出かけた。 蒲田から東京駅に行き、そこから総武線の特急で木更津まで行き、又そこで単線運転の「馬来田駅」というところを目指したわけだけれど、地域の高校生たちの群れと窓辺の田舎っぽさに感動してその駅を通り越してしまい、終点の久留里駅まで行ってしまった。 運転手さんも駅員さんもトテモ親切に「早くアノ電車にのりなさい!」と私たちが乗るのを待って出発。
馬来田駅ではボランティアと称する2人の初老の男性がいて、それは親切に色々相談に乗ってくれて「お昼頂く所がないかしら?」と尋ねたら、辺りの御蕎麦やとか食堂は時間外だと言って、駅側の物産展のような売店に連れて行ってくれて、そこのお寿司が意外とおいしいから、もしここで食べていくのなら駅舎にお茶があるので、飲んでください」と親切すぎるお話し。 もう午後2時半になってしまったので、お言葉に甘え駅でお弁当を頂いた。 そのお寿司が卵焼きで巻いた物、梅干し味のもので田舎っぽく、お米もよいらしくトテモ美味しかったし、周りの人の優しさに感動した。
コスモス畑に行く前に大分時間がたってしまったが、コスモスは疎水に沿って咲きみだれていて、すれ違う地域の人が、今年は台風にも会わずに最高ですよ、と話してくれた。 みな、すれ違いながら「今日わ!」と挨拶してくれて、コスモスの優しい美しさに地域の方方の情けが倍加した。
帰り道は馬来田駅のボランティアのアドバイスに従って、木更津から川崎までバスに乗ることにした。 海ほたるを通って川崎まで空き空きのバスで着いたものの、余りの川崎周辺の変化におのぼりさん状態というか、外国で放り出された人のように呆然! お友達が私の足を気ずかってアチコチ尋ねてくださり、ようやく五反田行きのバスを見つけた時は文字どおりホッ!とした。
何時もの易の先生に「今月中に南方向に行って、物を食べるとか、モノを買ってくるといいのだけれどね~」と言われていたのを思い出した。 そのときは南は海だ、と単純に考えていた。 若しかして、その辺りは家から南か?
急なことだったが、ご近所のお友達を誘ってみたら、喜んで行きたい!と仰って下さったので、朝少し遅めではあったが、天気もまあまだったので、急いで行き道を調べて出かけた。 蒲田から東京駅に行き、そこから総武線の特急で木更津まで行き、又そこで単線運転の「馬来田駅」というところを目指したわけだけれど、地域の高校生たちの群れと窓辺の田舎っぽさに感動してその駅を通り越してしまい、終点の久留里駅まで行ってしまった。 運転手さんも駅員さんもトテモ親切に「早くアノ電車にのりなさい!」と私たちが乗るのを待って出発。
馬来田駅ではボランティアと称する2人の初老の男性がいて、それは親切に色々相談に乗ってくれて「お昼頂く所がないかしら?」と尋ねたら、辺りの御蕎麦やとか食堂は時間外だと言って、駅側の物産展のような売店に連れて行ってくれて、そこのお寿司が意外とおいしいから、もしここで食べていくのなら駅舎にお茶があるので、飲んでください」と親切すぎるお話し。 もう午後2時半になってしまったので、お言葉に甘え駅でお弁当を頂いた。 そのお寿司が卵焼きで巻いた物、梅干し味のもので田舎っぽく、お米もよいらしくトテモ美味しかったし、周りの人の優しさに感動した。
コスモス畑に行く前に大分時間がたってしまったが、コスモスは疎水に沿って咲きみだれていて、すれ違う地域の人が、今年は台風にも会わずに最高ですよ、と話してくれた。 みな、すれ違いながら「今日わ!」と挨拶してくれて、コスモスの優しい美しさに地域の方方の情けが倍加した。
帰り道は馬来田駅のボランティアのアドバイスに従って、木更津から川崎までバスに乗ることにした。 海ほたるを通って川崎まで空き空きのバスで着いたものの、余りの川崎周辺の変化におのぼりさん状態というか、外国で放り出された人のように呆然! お友達が私の足を気ずかってアチコチ尋ねてくださり、ようやく五反田行きのバスを見つけた時は文字どおりホッ!とした。
2007年10月14日日曜日
人間の人生は・・・
今日、夕方のテレビ番組に私の好きな鳥越俊太郎氏がその娘さんと秋のマツタケを楽しむという旅行番組を見た。 彼は大腸癌が転移して肺がんを患っている。 聞けば、彼は癌と向かって闘う! 癌を見つめる!と言っている。 手術の後、二人の娘さんが両手を握っていてくれた、と嬉しそうに語ってもいる。 その番組の中で彼は「人間の人生は思い出だけなんですよ」と語っていた。 そして「僕は死ぬことは怖くはないが、遺される娘達が悲しむのを想像するのが苦しいのだ」と言い、娘さんは思わず涙ぐんでいた。 私も時々同じことを考える。 ある年齢になると知らず知らずに死を意識し、特に友人などの死に出会うと、その思いは強くなるだろうと思う。 死んでいく人より、残る人のほうが悲しいわけだ。
今日料理教室の終ったあと、二階の亡夫のデスクをカタズケ始めた。 何度も試みながら捨てるのを躊躇ってしまいまた元のところにもどしてしまう。 正に私の年になり、家族もない身としては、思い出で生きている部分が多いかもしれない。 整理していて、どうしても捨てられない物のなかに、夫のボロボロになった名刺入れがある。 その中には最後の職業の名刺、亡くなる少し前に交わしたと思われる名刺、それに驚いたと言う胸かキュン!としたのは彼の写真、私の写真、彼がイギリスへ行っていた頃送った覚えのある金沢で撮った母と私の写真が入っていたことだ。 徹底的なニヒリストだと思っていた夫の意外な部分を見た気がした。 思わず何年もたった今でも目頭が
熱くなった。 正しく、夫のことについては「思い出だけで生きている」そのもので、日に日に美化されていく。
今日料理教室の終ったあと、二階の亡夫のデスクをカタズケ始めた。 何度も試みながら捨てるのを躊躇ってしまいまた元のところにもどしてしまう。 正に私の年になり、家族もない身としては、思い出で生きている部分が多いかもしれない。 整理していて、どうしても捨てられない物のなかに、夫のボロボロになった名刺入れがある。 その中には最後の職業の名刺、亡くなる少し前に交わしたと思われる名刺、それに驚いたと言う胸かキュン!としたのは彼の写真、私の写真、彼がイギリスへ行っていた頃送った覚えのある金沢で撮った母と私の写真が入っていたことだ。 徹底的なニヒリストだと思っていた夫の意外な部分を見た気がした。 思わず何年もたった今でも目頭が
熱くなった。 正しく、夫のことについては「思い出だけで生きている」そのもので、日に日に美化されていく。
2007年10月12日金曜日
身体の疲れより・・・
何日か前のブログに書いたが、区から送付されていた老年の習慣生活病の受診表を昨年につずき、今年も紛失してしまって、余りみっともないから今年は有料で・・・と主治医の先生に言ったら「そんなこと気にすることないですよ、彼等の仕事なんだから、それに認知症の人が多いから、そんなの何人もいますから・・・、と仰り「伊藤さんが認知症というわけではないですよ」と付け加えられた。 二年もつずけて捨ててしまうのだから、認知症に近いかも・・・と付け加えたが、勇気?を出して区の保険調整係に電話した。 妙な所が気弱で、まるでオドオド悪いことをしているように事情を話したら、係りの女性は事も無げに一週間ほどしたら届くと思います、と言い、むしろ私の名前の英子と書いてふさ子と読みますのほうをいぶかっている感じだった。
これで一件落着! もう一件は入れどこを忘れた10万円のこと。 まあ、どこかにあるでしょう・・・どうせ銀行に入れたとしても利子もつかないわけだから・・・・と思って、しばらく忘れることにした。
それにしても、疲れた! 午前中お医者様に行って、その後書道教室に行っただけなのに・・・でも自治会事務所で最近引越しされた方のことで又一くさり,二くさり・・・これも疲れる話。 肉体的な疲れは直ぐ治るが、精神的なことは後を引く・・・。
これで一件落着! もう一件は入れどこを忘れた10万円のこと。 まあ、どこかにあるでしょう・・・どうせ銀行に入れたとしても利子もつかないわけだから・・・・と思って、しばらく忘れることにした。
それにしても、疲れた! 午前中お医者様に行って、その後書道教室に行っただけなのに・・・でも自治会事務所で最近引越しされた方のことで又一くさり,二くさり・・・これも疲れる話。 肉体的な疲れは直ぐ治るが、精神的なことは後を引く・・・。
2007年10月10日水曜日
甘えと甘えの体質について
私は長女の所為か甘えることが下手なような気がする。 幼児の頃は初めての子として、父親や祖母がトテモ可愛がってくれた記憶がある。 それは甘えなくても甘やかしてくれたわけで、幼稚園、小学校時代は2歳年下の弟が何時も側にいて私を頼っていたので、何とはなしにシッカリしなければ・・・と思っていた様な気がする。
今でもそれはちっとも変わっていない。
結婚してからも、当初から夫は海外出張が多く、1人で家を支えていなければならなかった。 6ヶ月間のイギリス出張の際も私は殆ど実家に泊まったことはなかった。 経済的にも夫に不自由させないように留守中貯めておいたお金は次回の彼の為に使う羽目になった。 子供がなかった所為と本来幸せなことに健康だったので、寝込んで甘えることもなかった。 若しかしてある意味可愛い女ではなかったのかもしれない。 亡夫は晩年健康を害していたので
べったり、私を頼っていて甘える余裕などコレッツポッチもなかった。
隣に住んでいた両親も年老いてからは私にすべてを頼っていた。 頼ると言うことは相手方に甘える余地を少しも与えないと言うわけで、特に私はそれを苦痛に思っていたわけではない。 親からの恩恵も、私の住む家、と言う形で夫とともに受けていたから・・・。
老年になったら(今正にそうなのだけれど・・・)少し甘え方を勉強した方がいいのかしら? でも、今はまだ私に甘えたい人がいる。 若しかして、私は甘えるより甘えられる方が心地いいと心ならずも思っているのかしら?
私のこのブログに偶にはコメントをいただけないでしょうか? ブログの下方に投稿の欄があると思います。
今でもそれはちっとも変わっていない。
結婚してからも、当初から夫は海外出張が多く、1人で家を支えていなければならなかった。 6ヶ月間のイギリス出張の際も私は殆ど実家に泊まったことはなかった。 経済的にも夫に不自由させないように留守中貯めておいたお金は次回の彼の為に使う羽目になった。 子供がなかった所為と本来幸せなことに健康だったので、寝込んで甘えることもなかった。 若しかしてある意味可愛い女ではなかったのかもしれない。 亡夫は晩年健康を害していたので
べったり、私を頼っていて甘える余裕などコレッツポッチもなかった。
隣に住んでいた両親も年老いてからは私にすべてを頼っていた。 頼ると言うことは相手方に甘える余地を少しも与えないと言うわけで、特に私はそれを苦痛に思っていたわけではない。 親からの恩恵も、私の住む家、と言う形で夫とともに受けていたから・・・。
老年になったら(今正にそうなのだけれど・・・)少し甘え方を勉強した方がいいのかしら? でも、今はまだ私に甘えたい人がいる。 若しかして、私は甘えるより甘えられる方が心地いいと心ならずも思っているのかしら?
私のこのブログに偶にはコメントをいただけないでしょうか? ブログの下方に投稿の欄があると思います。
2007年10月9日火曜日
一週間ぶりのジム
一週間ぶりでジムに行く。 何時もの事ながら少しお休みすると朝出かけるのが少し億劫になる。
受付の所に、インストラクターのKさんがいて「伊藤さん、しばらくおみえにならなかったので、心配していました」と声を掛けてくれた。 着替えてスタジオに入ると、アチコチから「どうなさったの?」と声がかかる。
私としてはホンの一週間お休みしただけなのに・・・? 有り難いことと思ったり、年だから、そして今年は色々あったから、皆様が気を使ってくださるのかな・・・? 私は構わず次々とマシンに向かった。 でも何時もの事ながら仲間は有り難いもの。
今日はスタジオを終えてからジムの前からバスに乗って池上の銀行に行く。パン屋さんにより、ついでに「オオゼキ」に寄ったら、トテモ重くなってしまい、家の近くまでバスに乗ろうかしら?と迷っていたら、前方を、ご近所に住まれる青山学院時代の1年先輩の方が、リュックを背負って颯爽と歩いていらっしゃるのを見て、つられて歩いてしまった。 それでも、いくら急いでも彼女に追いつくことはできなかった。 家に戻ったら午後1時を過ぎていた。
午後、女学校時代のお友達から久しぶりの電話があって、これから姪の住んでいる、上海にもう1人の姪と一緒にい一週間くらい行くので・・・とのご挨拶があった。 彼女も近じかあるクラス会にはいらっしゃらないらしい。
受付の所に、インストラクターのKさんがいて「伊藤さん、しばらくおみえにならなかったので、心配していました」と声を掛けてくれた。 着替えてスタジオに入ると、アチコチから「どうなさったの?」と声がかかる。
私としてはホンの一週間お休みしただけなのに・・・? 有り難いことと思ったり、年だから、そして今年は色々あったから、皆様が気を使ってくださるのかな・・・? 私は構わず次々とマシンに向かった。 でも何時もの事ながら仲間は有り難いもの。
今日はスタジオを終えてからジムの前からバスに乗って池上の銀行に行く。パン屋さんにより、ついでに「オオゼキ」に寄ったら、トテモ重くなってしまい、家の近くまでバスに乗ろうかしら?と迷っていたら、前方を、ご近所に住まれる青山学院時代の1年先輩の方が、リュックを背負って颯爽と歩いていらっしゃるのを見て、つられて歩いてしまった。 それでも、いくら急いでも彼女に追いつくことはできなかった。 家に戻ったら午後1時を過ぎていた。
午後、女学校時代のお友達から久しぶりの電話があって、これから姪の住んでいる、上海にもう1人の姪と一緒にい一週間くらい行くので・・・とのご挨拶があった。 彼女も近じかあるクラス会にはいらっしゃらないらしい。
2007年10月8日月曜日
大ボケ、小ボケ、ホントにボケ?
十里木から帰宅して、2日間毎日探し物をしてすごしている。 ボケが進んだのかしら? 一つは区から送ってきていた無料の老人生活習慣病の健康調査表、もう一つは何ヶ月もの間、料理を教えたり、英語を教えたりして頂いていた10万円の現金入りの封筒。 (それで、パソコンを買おうと思っていたのに・・・)
健康調査表は昨年も紛失して、区に再発行をお願いして少しイヤミを言われながら'再”と言う形で送っていただいた経緯がある。 今年も昨年と同じ過ちをしてしまった。 何時ものピアノの上の箱の中に入れておけばよかった・・・。 一度出してみて、その後どうしたか?何処へ置いたかそれとも破いて捨ててしまったか?・・・色々書類がきている時は目を通しながら破いて捨てることにしているので、そうしたか? 昨年もとうとう出てこなかったのだから。
現金10万円についても、今までどおり家計簿に挟んでおいて置けばよかったのに、出かけるので若しドロボーが入ってもっていかれたら・・・?と思って、違う場所に入れた。 その場所を見てもそのフートーは、今までの所見付からない。 出る前の少しの間に急いで隠した積りがこのざま!
妹と一緒に過ごした一週間の間にも、いろいろ忘れることが多く、自分の年を振り返って仕方がないか・・・と思ってみても、何度か情けない思いをした。 常に1人で過ごしていて会話をしない時もあるので、ボケが早いのかな~と思ったり、努力で果たして解決することが出来るかどうか・・・? 何しろ当座は、二つのことが気になって、色々のことがはかどらない。 忘れっぽい、と言うと大体の方が(私より若い・・・)私もそうです、とご自分の経験を話される、でも、そんな簡単なことではないのですよ!加齢による物は・・・・。
健康調査表は昨年も紛失して、区に再発行をお願いして少しイヤミを言われながら'再”と言う形で送っていただいた経緯がある。 今年も昨年と同じ過ちをしてしまった。 何時ものピアノの上の箱の中に入れておけばよかった・・・。 一度出してみて、その後どうしたか?何処へ置いたかそれとも破いて捨ててしまったか?・・・色々書類がきている時は目を通しながら破いて捨てることにしているので、そうしたか? 昨年もとうとう出てこなかったのだから。
現金10万円についても、今までどおり家計簿に挟んでおいて置けばよかったのに、出かけるので若しドロボーが入ってもっていかれたら・・・?と思って、違う場所に入れた。 その場所を見てもそのフートーは、今までの所見付からない。 出る前の少しの間に急いで隠した積りがこのざま!
妹と一緒に過ごした一週間の間にも、いろいろ忘れることが多く、自分の年を振り返って仕方がないか・・・と思ってみても、何度か情けない思いをした。 常に1人で過ごしていて会話をしない時もあるので、ボケが早いのかな~と思ったり、努力で果たして解決することが出来るかどうか・・・? 何しろ当座は、二つのことが気になって、色々のことがはかどらない。 忘れっぽい、と言うと大体の方が(私より若い・・・)私もそうです、とご自分の経験を話される、でも、そんな簡単なことではないのですよ!加齢による物は・・・・。
2007年10月6日土曜日
十里木の一週間
先週土曜日、下の妹が彼女達の十里木の別荘に誘ってくれた。 今ごろはさぞやあの辺りのススキが綺麗だろうなあ~と思いながら同行した。 自衛隊の訓練所?の辺りのススキは少し早めの感じだった。 それでも妹宅あたりは私の背丈ほどのススキが風になびいていた。
思いのほか好天に恵まれ、2日目はしばらくご無沙汰していた沼津港あたりにお寿司を食べに行こうと、忽ちにして意見が一致して、246を通って途中道を尋ねながら沼津港へ無難に到着することが出来た。 以前行っていた『寿司文」がお休みで、妹と二人がっかりしたが、妹がいい店を見つけて、恐る恐る暖簾をくぐった。 丁度出て来た人たちと会ったので「このお店、美味しいですか?」と尋ねたら「美味しいですけれど、お値段は高いですよ!」と女のお客の1人が言った。 もう出ることは出来ないし、ママよ!と二人で座り、お値段表を見た。 ホント少し高い、でも偶の事だし、可也高いものを頼んだ。 カウンターに座ればウン万円はとるのだから・・・。
出て来たお寿司は見本どおり、いくら、生うにが小ばちのす飯の上にたっぷりのったもの、大とろ、近海もののたねも鯵、白身、赤貝もかなりの物、二人とも大満足! カウンターに向かって座っていた妹がその店のタイショウを見て「貴方何処かのお店にいらっしゃらなかった?」と尋ねた。 私も振り返ってみて、「知ってる顔」と同意した。
そのオーナー兼タイショウは以前’寿司文’で握っていた人で、彼も私たちをよく覚えいて、話しがはずんだ。
その日は、その話しで盛り上がった。
翌日は少し妹を手伝って前庭のラッパ水仙を植えるのを手伝った。 それにしても、球根の数の増えてこと、そこら中水仙だらけになりそう。
だだ、心残りは私の大好きな藤色の松虫草の花が何処を歩いても見つけることが出来なかったこと。 2,3年まえには道端に楚々と、咲いていたのに・・・。 白いホトトギスの花もわれもこうも、すっかり消えてしまった。 さびしいことに、私の秋の野草探しがすっかりダメになってしまった。
連休つずきで、混んでいるかと懸念していた東名も渋滞もなく、明るいうちに横浜の妹宅へ着くことが出来た。
思いのほか好天に恵まれ、2日目はしばらくご無沙汰していた沼津港あたりにお寿司を食べに行こうと、忽ちにして意見が一致して、246を通って途中道を尋ねながら沼津港へ無難に到着することが出来た。 以前行っていた『寿司文」がお休みで、妹と二人がっかりしたが、妹がいい店を見つけて、恐る恐る暖簾をくぐった。 丁度出て来た人たちと会ったので「このお店、美味しいですか?」と尋ねたら「美味しいですけれど、お値段は高いですよ!」と女のお客の1人が言った。 もう出ることは出来ないし、ママよ!と二人で座り、お値段表を見た。 ホント少し高い、でも偶の事だし、可也高いものを頼んだ。 カウンターに座ればウン万円はとるのだから・・・。
出て来たお寿司は見本どおり、いくら、生うにが小ばちのす飯の上にたっぷりのったもの、大とろ、近海もののたねも鯵、白身、赤貝もかなりの物、二人とも大満足! カウンターに向かって座っていた妹がその店のタイショウを見て「貴方何処かのお店にいらっしゃらなかった?」と尋ねた。 私も振り返ってみて、「知ってる顔」と同意した。
そのオーナー兼タイショウは以前’寿司文’で握っていた人で、彼も私たちをよく覚えいて、話しがはずんだ。
その日は、その話しで盛り上がった。
翌日は少し妹を手伝って前庭のラッパ水仙を植えるのを手伝った。 それにしても、球根の数の増えてこと、そこら中水仙だらけになりそう。
だだ、心残りは私の大好きな藤色の松虫草の花が何処を歩いても見つけることが出来なかったこと。 2,3年まえには道端に楚々と、咲いていたのに・・・。 白いホトトギスの花もわれもこうも、すっかり消えてしまった。 さびしいことに、私の秋の野草探しがすっかりダメになってしまった。
連休つずきで、混んでいるかと懸念していた東名も渋滞もなく、明るいうちに横浜の妹宅へ着くことが出来た。
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