マーガレット・ミッチエルの”風と共に去りぬ’は私にとっても戦後初めて読んだ長編小説だった。 この本を友人からお借りするために、何日間も順番を待ったものだった。 当時この前・中・下の本を手に入れることは絶無だった。(今の方方には信じられないことだろうけれど・・・
病院でKさんと映画の話になり、私はそのヒロインのヴィヴィアン・りーの大フアンだったこともあり、K氏と長い時間をかけてその話をした。 私は二度も映画を見たことを話し、彼は戦騒末期東大の講堂でその映画が上映されたという嘘のような本当の話をしてくださった。 その映画は途中15分間の休憩を設けて続けられた。 二度目にその映画を見たとき、余り気の進まなかったお見合いをすっつぽかして、伯母さまに酷く叱られたことがあった。
ヒロインのスカーレットの様な生き方をしたいとは思わないし、私はそんなに強くはない。 だだ、彼も書いているように「また、明日、考えよう!」と言う部分私の中にもあるかもしれない。
彼の新聞のエッセーは正に「空襲下の風と共に去りぬ」が題名だった。 この文の中で彼はアメリカ留学中に求めた「GONE WITH THE WIND」1084ページを読むことを医師に願い出てようやく許されたと、そしてそのために目が悪くなって眼鏡をかけるハメになった、とある。 新聞に載っている彼の写真は眼鏡をかけて優しい微笑みを持った初老の紳士と見えた。 ずい分長い時が過ぎた。
改めてこの記事を読んでみて、マサカ彼が私を意識して書かれたとは思わないけれど、私の中では「風と共にさりぬ」とKさんとの思い出は、懐かしい青春の一部分として忘れられないことであり、一生心のどこかに閉っておきたいことでもある。
最後に私は、亡くなった夫と結婚したことを決して後悔しているわけではない。 前にも書いた様にケッコウおもしろい人生だったし、同じような環境に生まれ、育ったと言うことが毎日の生活に不自然なことは無かったと思う。 ただもう少しは長生きしてもらいたかったけれど、妙に潔く逝ってしまったことが残念だし、又今度生まれ変わって結婚したいと思うのは亡くなった夫だと言い切れる。 ただ、私の夫への接し方は変えたい・・・と思う。
2008年6月30日月曜日
2008年6月29日日曜日
甥夫妻の新居訪問
今日は、私の思い出話の結論をお休みして、昨年11月に浦和に新しく新居を構えた甥夫妻を訪ねた。
京都の妹は三島から新幹線で来て品川駅で私と待ち合わせ。 芦屋から上京している姪夫妻は渋谷から~というわけで、都合よく会えるかどうか心配だった。
妹は品川駅で新幹線を降り、5分で京浜東北線のホームに来てくれて都合よく快速に乗ることが出来た。 快速と言っても通過する駅は都内だけで、やはり大分時間はかかった。
姪達は既に浦和駅に着いていて、しばらくして甥が迎にきてくれた。 戦後直ぐ浦和は通ったことがあったが、思い出せる切っ掛けさえなく、大都市に変貌していて驚いた。 駅近くにデパートが二つも出来ていた。 甥は近所で老舗として知られている鰻の美味しい店に案内してくれた。 この店は可也古く回りに小庭があって小部屋になっていて、くつろげた。 鰻も間違いなく天然もので、上品な味だった。
食後近所の古いお宮を案内してくれた。 先日、朝の地井散歩で紹介された狛犬の代わりにコマうさぎ?が入り口にあって可也由緒あるお宮のようだった。 明日がお祭だと言うことだったが、緑の薦で編みこんだくぐりとか飾りが面白かった。 引っ越してきてからまだ半年ほどしか経ってないのに、甥はもう何年も住んでいるかのようにいろいろ説明してくれた。 そのお宮からほんの5分くらいの所に彼らの新しい新居であるマンシオンがあった。
お嫁さんの彩子さんはオメデタで少しお腹が膨らんでいるようだったけれど、背が高いので余り目立たないように思った。 お顔がすっきり綺麗に見えたので、明らかに女の子だろう???。 お構いなく、と何度も言ったけれど私の遅い誕生日を祝ってくれ、姪夫妻がフルーツの沢山のったタルトのケーキと甥夫妻からブルーのバラなどの花束を頂いて私はテレながら、蝋燭の火を吹き消した。
彼らの趣味で家の中は落ち着いた色彩でまとめられていて間取りも使いやすそうだった。 何しろワン・フロアーで過ごせるのはいいなあ~とマンシオン暮らしをしていらっしゃるお宅を見るたびに羨ましく思う。
梅雨真っ最中で時々雨が降ってきたけれど、心温まる時を過ごすことができた。 私は浦和から終点駅は蒲田で一直線、そのアト池上線に乗り換えてのんびり帰宅した。
京都の妹は三島から新幹線で来て品川駅で私と待ち合わせ。 芦屋から上京している姪夫妻は渋谷から~というわけで、都合よく会えるかどうか心配だった。
妹は品川駅で新幹線を降り、5分で京浜東北線のホームに来てくれて都合よく快速に乗ることが出来た。 快速と言っても通過する駅は都内だけで、やはり大分時間はかかった。
姪達は既に浦和駅に着いていて、しばらくして甥が迎にきてくれた。 戦後直ぐ浦和は通ったことがあったが、思い出せる切っ掛けさえなく、大都市に変貌していて驚いた。 駅近くにデパートが二つも出来ていた。 甥は近所で老舗として知られている鰻の美味しい店に案内してくれた。 この店は可也古く回りに小庭があって小部屋になっていて、くつろげた。 鰻も間違いなく天然もので、上品な味だった。
食後近所の古いお宮を案内してくれた。 先日、朝の地井散歩で紹介された狛犬の代わりにコマうさぎ?が入り口にあって可也由緒あるお宮のようだった。 明日がお祭だと言うことだったが、緑の薦で編みこんだくぐりとか飾りが面白かった。 引っ越してきてからまだ半年ほどしか経ってないのに、甥はもう何年も住んでいるかのようにいろいろ説明してくれた。 そのお宮からほんの5分くらいの所に彼らの新しい新居であるマンシオンがあった。
お嫁さんの彩子さんはオメデタで少しお腹が膨らんでいるようだったけれど、背が高いので余り目立たないように思った。 お顔がすっきり綺麗に見えたので、明らかに女の子だろう???。 お構いなく、と何度も言ったけれど私の遅い誕生日を祝ってくれ、姪夫妻がフルーツの沢山のったタルトのケーキと甥夫妻からブルーのバラなどの花束を頂いて私はテレながら、蝋燭の火を吹き消した。
彼らの趣味で家の中は落ち着いた色彩でまとめられていて間取りも使いやすそうだった。 何しろワン・フロアーで過ごせるのはいいなあ~とマンシオン暮らしをしていらっしゃるお宅を見るたびに羨ましく思う。
梅雨真っ最中で時々雨が降ってきたけれど、心温まる時を過ごすことができた。 私は浦和から終点駅は蒲田で一直線、そのアト池上線に乗り換えてのんびり帰宅した。
2008年6月28日土曜日
マーカレット・ミッチエルの風と共にさりぬ
それから4ヶ月くらい経ってから、彼の叔母さまからハガキを頂き、彼が結婚されたとあった。
色々詮索する気も、もうその頃はなかった。 それより、私は自分の結婚相手を探さなければ・・・・という思いが強かった。 そして2,3年後亡くなった夫と黒田初子先生のご紹介で結婚した。
そのことは叔母さまを通じて彼にも伝わっていたと思う。 叔母さまとの文通で(その頃は叔父様のお仕事の都合で名古屋に転勤していらっしゃった)彼は、私が結婚した人のことをよくご存知で、また、お話をしに大阪へ行ってくださった小母さまのご主人(同じ会社の上司)のところへ挨拶にいらっしたと聞いた。 その場で種明かしがあったと言うことも・・・。 そう言えばその当時A社と日劇はお隣同士だった。
その頃は私の夫は華々しく、日劇の踊り子を引き連れてオーストラリア、台湾、イギリスへ海外公演の団長として新聞などにも写真も載ったりしていた。
そして、或る日A紙の一面に名入りで彼の記事が出た。 ワシントン総局長K特派員発とあった。 それから又何年か経って、多分彼はA紙を経済部長のあと引退なさったのだと思う。 残念なことに彼のおば様は若くして亡くなられてしまったので、お互い連絡の方法がなくなっていた。
そして又何年か経って本題の日本経済新聞文化面の彼の記事「空襲下の風と共に去りぬ」なのだ。
色々詮索する気も、もうその頃はなかった。 それより、私は自分の結婚相手を探さなければ・・・・という思いが強かった。 そして2,3年後亡くなった夫と黒田初子先生のご紹介で結婚した。
そのことは叔母さまを通じて彼にも伝わっていたと思う。 叔母さまとの文通で(その頃は叔父様のお仕事の都合で名古屋に転勤していらっしゃった)彼は、私が結婚した人のことをよくご存知で、また、お話をしに大阪へ行ってくださった小母さまのご主人(同じ会社の上司)のところへ挨拶にいらっしたと聞いた。 その場で種明かしがあったと言うことも・・・。 そう言えばその当時A社と日劇はお隣同士だった。
その頃は私の夫は華々しく、日劇の踊り子を引き連れてオーストラリア、台湾、イギリスへ海外公演の団長として新聞などにも写真も載ったりしていた。
そして、或る日A紙の一面に名入りで彼の記事が出た。 ワシントン総局長K特派員発とあった。 それから又何年か経って、多分彼はA紙を経済部長のあと引退なさったのだと思う。 残念なことに彼のおば様は若くして亡くなられてしまったので、お互い連絡の方法がなくなっていた。
そして又何年か経って本題の日本経済新聞文化面の彼の記事「空襲下の風と共に去りぬ」なのだ。
2008年6月27日金曜日
思い出話
私の思い出話に付き合ってくださって有り難うございます。
だんだん終局に近ずいて来ました。 彼の叔父さまとのお話しで彼はその頃退院なさってご実家で療養中なので、尋ねて行っては?とのお話があった。 先に書いたように大阪まで8時間かかったのだから彼の生家まではもう2時間くらいはかかりそうだし、泊まるところも考えなければ・・・と私は気が進まなかった。 その前後、彼から小包みが届いた。 開いてみたら白い額に入った花の油絵だった。 正直言って上手とは思えない、どちらかと言うと少し気が小さい、というか神経質な感じの画だった。 彼の義理の叔母さまは画家で、そちらからも油絵を頂いていた。 その画は今でも手元にある。
「終った!」・・・・と私は涙にくれた。 それでもしばらく経ってから予告なしに大阪の本社まで彼を訪ねた。
少し待たされたものの、彼は出て来てくださり、少し待つように言われた。 「行きましょう」と言いながら確か阪急電車で三宮まで行き、洒落たレストランで伊勢海老アメリカンを頂いた。 途中止せばよかったのだけれど、私は或る小説家と縁談がある・・・と言った。 その時「その人だったら一生食うに困らないですよ!」と言われた。
感じが悪かったのは、それまで眼鏡をかけていらっしゃらなかったのに、目立つ黒ぶちの眼鏡をかけ「眼がわるくなった」とわざと言ったこと。 明らかにいやがらせ・・・。 そしてもっと酷い嫌がらせは、帰りの電車で無論大阪駅まで見送って下さると思っていたのに、途中(駅の名前は覚えてないが)「今日、友達に赤ん坊が生まれるので、行かなくてはならないのです」と電車を降りた。 私はお別れの言葉さえ交わせないままだった。 その時は余りピント来なかったのだが、回りの方方が、それはおかしい、友達に子供が生まれるのに行くなんて? と叔父様、叔母様、そして何でもお話しを聞いてくださった、私の大好きな、尊敬する小母さまもそう仰った。
そして、そのおば様が大阪に行って、彼に会って話をしてきてあげる、と仰ってくださった。 その方のご主人様は偶然のことながら、A紙の局長さんだった。 でも、そのことは言わないで彼と話してくる・・・と仰ってそれからしばらくして、大阪へ行ってくださった。
そのお返事は、おば様のお話によると「トテモ感じよく会って下さり、貴女に好意を持っていらっしゃるのは明らかだったわよ」と、そして「彼女、小説家のMさんと話があるそうじゃないですか?」と仰ったので、私はそう言ったことをトテモ後悔していらっした・・・と言っておいたわよ、と言うことと入院中に東京から訪れる私のことで、病院の中で酷いいじめにあったそうよ、と話してくださった。 多分お医者様からも・・・。 そう言えば、まだ個室に居た時にお医者様が彼を呼び出して、しばらくして病室に戻ってきた彼が「手術をしなければならないかもしれない、と言われたとベッドに横になって、しばらく動けなかったことがあった。
大分、本筋から話が反れてしまったけれど、今度はほんとに書きたかった彼の新聞記事のこと、で完結となる、と思います。
だんだん終局に近ずいて来ました。 彼の叔父さまとのお話しで彼はその頃退院なさってご実家で療養中なので、尋ねて行っては?とのお話があった。 先に書いたように大阪まで8時間かかったのだから彼の生家まではもう2時間くらいはかかりそうだし、泊まるところも考えなければ・・・と私は気が進まなかった。 その前後、彼から小包みが届いた。 開いてみたら白い額に入った花の油絵だった。 正直言って上手とは思えない、どちらかと言うと少し気が小さい、というか神経質な感じの画だった。 彼の義理の叔母さまは画家で、そちらからも油絵を頂いていた。 その画は今でも手元にある。
「終った!」・・・・と私は涙にくれた。 それでもしばらく経ってから予告なしに大阪の本社まで彼を訪ねた。
少し待たされたものの、彼は出て来てくださり、少し待つように言われた。 「行きましょう」と言いながら確か阪急電車で三宮まで行き、洒落たレストランで伊勢海老アメリカンを頂いた。 途中止せばよかったのだけれど、私は或る小説家と縁談がある・・・と言った。 その時「その人だったら一生食うに困らないですよ!」と言われた。
感じが悪かったのは、それまで眼鏡をかけていらっしゃらなかったのに、目立つ黒ぶちの眼鏡をかけ「眼がわるくなった」とわざと言ったこと。 明らかにいやがらせ・・・。 そしてもっと酷い嫌がらせは、帰りの電車で無論大阪駅まで見送って下さると思っていたのに、途中(駅の名前は覚えてないが)「今日、友達に赤ん坊が生まれるので、行かなくてはならないのです」と電車を降りた。 私はお別れの言葉さえ交わせないままだった。 その時は余りピント来なかったのだが、回りの方方が、それはおかしい、友達に子供が生まれるのに行くなんて? と叔父様、叔母様、そして何でもお話しを聞いてくださった、私の大好きな、尊敬する小母さまもそう仰った。
そして、そのおば様が大阪に行って、彼に会って話をしてきてあげる、と仰ってくださった。 その方のご主人様は偶然のことながら、A紙の局長さんだった。 でも、そのことは言わないで彼と話してくる・・・と仰ってそれからしばらくして、大阪へ行ってくださった。
そのお返事は、おば様のお話によると「トテモ感じよく会って下さり、貴女に好意を持っていらっしゃるのは明らかだったわよ」と、そして「彼女、小説家のMさんと話があるそうじゃないですか?」と仰ったので、私はそう言ったことをトテモ後悔していらっした・・・と言っておいたわよ、と言うことと入院中に東京から訪れる私のことで、病院の中で酷いいじめにあったそうよ、と話してくださった。 多分お医者様からも・・・。 そう言えば、まだ個室に居た時にお医者様が彼を呼び出して、しばらくして病室に戻ってきた彼が「手術をしなければならないかもしれない、と言われたとベッドに横になって、しばらく動けなかったことがあった。
大分、本筋から話が反れてしまったけれど、今度はほんとに書きたかった彼の新聞記事のこと、で完結となる、と思います。
2008年6月26日木曜日
書き始めたら、長くなって・・・・まだまだ続きます。
彼の叔父様夫妻特に叔母さまには時々お目にかかってお話させていただいた。 どちらかというと彼の女性の好みは細身の(その頃は私も今ほどは太めではなかったが・・・)なよなよ?した方だったらしくアメリカから帰国した時もそんな女性と御一緒だとか。 叔父さまの話の中で、叔父様が芦屋の病院に御見舞いにいらっした時、女性が御見舞いに来ていたので、追求なさったら、その人とは結婚する気はない、と言ったとか。 彼は東京に転勤することを強く望んでいたし、東京の女性と結婚したいと思っていたことは確かだった。
彼は地方の出身だったし、ご実家もお兄様は家業を継いでいらっして、お母様は当時の地方の師範学校を出ていらっして、巻紙のお手紙を頂いたその字はほんとに見事なものだった。 お母様も彼の叔父様にすべて任せていらっしゃる感じがした。
一方私の方は、母を納得させるのは簡単なことだったが、父は当時所長として地方の会社にいた。 父は結婚相手として弁護士と新聞記者は好まないようだった。 そこで私は母と策を練って、父が関西方面に出張の時を選んで、大阪のホテルで彼とお会いすることになった。 その日私は少し早めに病院に彼に会いに行った。 その頃は彼も大分回復なさって、大部屋に移っていた。 下で彼に連絡したら、部屋まで来てくれ、といわれて二階に行った。 そこは所謂大部屋で、十床くらいあっただろうか? 何故わたしが10人もの患者さんたちの好奇の目に合わなければならないのか?と考える余地もなかった。 彼は多分一番奥のベッドだった記憶がある。 自分で言うのも可笑しいが私はその頃帽子製作もしていたので、東京風の可也キマッタ服装をしていたと思う。 その上晴れの日だったから・・・。
電車で大阪まで行ったと思う。 今ははっきり思い出せない。 父は一目で彼を気に入ったようだった。 むしろ、はしゃいでいるように見えた。 父はケッコウ面食いだったので、すらっとした長身を見ただけで気に入ったように見えた。
退屈だったら読まないでね! まだまだ、先があるのよ!
彼は地方の出身だったし、ご実家もお兄様は家業を継いでいらっして、お母様は当時の地方の師範学校を出ていらっして、巻紙のお手紙を頂いたその字はほんとに見事なものだった。 お母様も彼の叔父様にすべて任せていらっしゃる感じがした。
一方私の方は、母を納得させるのは簡単なことだったが、父は当時所長として地方の会社にいた。 父は結婚相手として弁護士と新聞記者は好まないようだった。 そこで私は母と策を練って、父が関西方面に出張の時を選んで、大阪のホテルで彼とお会いすることになった。 その日私は少し早めに病院に彼に会いに行った。 その頃は彼も大分回復なさって、大部屋に移っていた。 下で彼に連絡したら、部屋まで来てくれ、といわれて二階に行った。 そこは所謂大部屋で、十床くらいあっただろうか? 何故わたしが10人もの患者さんたちの好奇の目に合わなければならないのか?と考える余地もなかった。 彼は多分一番奥のベッドだった記憶がある。 自分で言うのも可笑しいが私はその頃帽子製作もしていたので、東京風の可也キマッタ服装をしていたと思う。 その上晴れの日だったから・・・。
電車で大阪まで行ったと思う。 今ははっきり思い出せない。 父は一目で彼を気に入ったようだった。 むしろ、はしゃいでいるように見えた。 父はケッコウ面食いだったので、すらっとした長身を見ただけで気に入ったように見えた。
退屈だったら読まないでね! まだまだ、先があるのよ!
2008年6月25日水曜日
その又続き・・・
五十年以上も前のことなので、はっきりしている所とそうでないところもある。
最初に独りで病院に行った時、彼は東京の叔父さまに会ってくれと言われた。 幸せなことにそのお宅は私のその頃住んでいた所と余り遠くないところにあったので、帰京して母と一緒にお訪ねした。 ご夫妻ともトテモ歓迎してくださり、その後何度もお訪ねすることになる。
確か三度目に病院を訪れた時、彼のお誕生日だった。 時々私はその方の行動でわかりにくいことがあった。 その一つはお誕生祝いにその方がお好きそうな色のネクタイを服部和光で求めて行った。 彼はそのネクタイをご自分の掛け布団の中に抱え込んだ。 他人が入って来て見られるのが嫌なのかな?と私は思った。 もう一つ私はカーネーションの束を持って行った。 大き目の花瓶にはバラの花が入れてあり、私は少し嫌な気がした。 キット誰か女性が・・・と感じた。 棚の上にそれを置こうとしたら余り花が多くて倒れかけた。 彼は両腕で花瓶を抑えようとし、私を挟むことになった。 私は反射的に彼の腕をくぐって逃れた。 そのことを私は、後に何時までも後悔していた。 もう一つは、私がもう帰らなければ・・・というのを引き止めて、「ここに泊ることも出来ますよ。付き添いのためのベッドがあるから・・・」と言った。 今時の女性なら従ったかもしれない。 だけどいまから50年以上も前の私達は、とんでもないことを言う人だ!と思った。 もう一つ病院の側に小高い丘があり、そこへ行こうと誘われて、山に登るとき手を差し伸べてくださったのも断った。 その時撮った写真は今でも手元にあるかな? 今考えるとむしろ私はヘンな女! その時、病室の窓からの見ている幾つかの目も私は少し恐ろしかった。
その辺りで感じていたことは大阪の方方は可也強い東京コンプレックスがあるのかな~と思い、それはしばらく経って、可也決定的な答えとして私は思い知らされる。
最初に独りで病院に行った時、彼は東京の叔父さまに会ってくれと言われた。 幸せなことにそのお宅は私のその頃住んでいた所と余り遠くないところにあったので、帰京して母と一緒にお訪ねした。 ご夫妻ともトテモ歓迎してくださり、その後何度もお訪ねすることになる。
確か三度目に病院を訪れた時、彼のお誕生日だった。 時々私はその方の行動でわかりにくいことがあった。 その一つはお誕生祝いにその方がお好きそうな色のネクタイを服部和光で求めて行った。 彼はそのネクタイをご自分の掛け布団の中に抱え込んだ。 他人が入って来て見られるのが嫌なのかな?と私は思った。 もう一つ私はカーネーションの束を持って行った。 大き目の花瓶にはバラの花が入れてあり、私は少し嫌な気がした。 キット誰か女性が・・・と感じた。 棚の上にそれを置こうとしたら余り花が多くて倒れかけた。 彼は両腕で花瓶を抑えようとし、私を挟むことになった。 私は反射的に彼の腕をくぐって逃れた。 そのことを私は、後に何時までも後悔していた。 もう一つは、私がもう帰らなければ・・・というのを引き止めて、「ここに泊ることも出来ますよ。付き添いのためのベッドがあるから・・・」と言った。 今時の女性なら従ったかもしれない。 だけどいまから50年以上も前の私達は、とんでもないことを言う人だ!と思った。 もう一つ病院の側に小高い丘があり、そこへ行こうと誘われて、山に登るとき手を差し伸べてくださったのも断った。 その時撮った写真は今でも手元にあるかな? 今考えるとむしろ私はヘンな女! その時、病室の窓からの見ている幾つかの目も私は少し恐ろしかった。
その辺りで感じていたことは大阪の方方は可也強い東京コンプレックスがあるのかな~と思い、それはしばらく経って、可也決定的な答えとして私は思い知らされる。
2008年6月24日火曜日
昨日の続き・・・・
大阪からのお返事は中中来なかった。 しばらくして来たお返事は、結核で芦屋の病院に入院なさっているという。 当時結核は不治の病とされていた。 私はそれでも、お目にかかれるようお願いした。 当時、東京、大阪間は特急でも8時間掛った。 小母さまにご無理を言って朝早く東京をでて、大阪に行き、そこから阪急電車で六甲山の中腹にある朝日が丘病院に行った。 その日はただご紹介していただいただけ。 その日のうちに帰京。
お付き合いをすると言っても相手が入院中しかも大阪と東京は可也遠い。 当時は信じられないかもしれないが、電話をかけるのにも、一度かけて、交換手が出てしばらくたってからベルが鳴って、本人が出るという感じだった。 今の時代では信じられない事ながら、外国にかけるより大変なことだった。 東京に帰ってしばらくして、芦屋から電話が掛って来た。 さすが、新聞記者だ!とトテモ感激した。
私は神戸のお知り合いの家に泊めて頂くことにして、それからしばらくして又病院に行った。 彼は個室に入院していらっしたので、勝手に病室に入ることが出来た。 一日中それこそ、いろいろなことを話し合った。 彼はその話の中で(今はその作家の名も題名も覚えていない、が若くして亡くなった作家の本を読んでください、と言った。
私は本を読むのは大好きで可也読んだものだったが、その頃はロマン・ロラン、バルザック、ツルゲーネフなど日本人のものは藤村、漱石、有島などのものしか読んでいなかった。 帰京して早速その本を読んでみた。 二人の親友が独りの女性を争う・・・といった内容で、何故彼がそう言ったかその時は理解できなかった。
お付き合いをすると言っても相手が入院中しかも大阪と東京は可也遠い。 当時は信じられないかもしれないが、電話をかけるのにも、一度かけて、交換手が出てしばらくたってからベルが鳴って、本人が出るという感じだった。 今の時代では信じられない事ながら、外国にかけるより大変なことだった。 東京に帰ってしばらくして、芦屋から電話が掛って来た。 さすが、新聞記者だ!とトテモ感激した。
私は神戸のお知り合いの家に泊めて頂くことにして、それからしばらくして又病院に行った。 彼は個室に入院していらっしたので、勝手に病室に入ることが出来た。 一日中それこそ、いろいろなことを話し合った。 彼はその話の中で(今はその作家の名も題名も覚えていない、が若くして亡くなった作家の本を読んでください、と言った。
私は本を読むのは大好きで可也読んだものだったが、その頃はロマン・ロラン、バルザック、ツルゲーネフなど日本人のものは藤村、漱石、有島などのものしか読んでいなかった。 帰京して早速その本を読んでみた。 二人の親友が独りの女性を争う・・・といった内容で、何故彼がそう言ったかその時は理解できなかった。
2008年6月23日月曜日
この年になったから、語れること・・・。
家の中のかたずけをしていると、色々なものが出てくる。 結婚する時、過去のものは捨て去って来るべきなのかもしれないが、私はそれが出来ないでいる。
昨日も書類を捨てようと整理していたら、古い、少し黄色くなった新聞が出て来た。 1986年3月28に日ずけの日本経済新聞。 文化の欄。 私が結婚を真剣に考え、願った人の文がのっていた。
もう50年以上も前のことだし、夫も亡くなっているのだから思い出として、思い出してもいいだろう。 誰にでも一つや二つ、そんな思い出があることだろうし。 その記事が載っていた頃は夫がまだこの世にいたので、その記事を、ジックリと読んではいなかった。
その方は知人を通じて、その知人のご子息の友人として当時のことだから、そのご子息も含めて三人の青年が海軍の制服を着て写っている写真をみせてくださった。 アノ時代のことだから学徒出陣の記念の写真だったと思う。 その写真を見て今で言う「ビビッ」と来たわけ。 ご職業も私の憧れの新聞記者だという。 東京大学を出て、ウイスコンシン大学にフルブライトで会社から留学したというお話に私は他の条件は目をつぶった。 お背の高さも183センチと言う。
ご紹介くださる小母様は、ご自分のご子息に私を・・・と時間が経つに連れて、思ってくださったようだけれど、その方は興業銀行にお勤めで眼鏡をかけていらっしゃったので、私は銀行員と眼鏡アレルギーだったので、とてもその気になれなかった。 それでも、礼儀としてそのご子息にもお目にかかった。 気になるその方はその当時は大阪勤務だということだった。 続きは、また明日・・・・
昨日も書類を捨てようと整理していたら、古い、少し黄色くなった新聞が出て来た。 1986年3月28に日ずけの日本経済新聞。 文化の欄。 私が結婚を真剣に考え、願った人の文がのっていた。
もう50年以上も前のことだし、夫も亡くなっているのだから思い出として、思い出してもいいだろう。 誰にでも一つや二つ、そんな思い出があることだろうし。 その記事が載っていた頃は夫がまだこの世にいたので、その記事を、ジックリと読んではいなかった。
その方は知人を通じて、その知人のご子息の友人として当時のことだから、そのご子息も含めて三人の青年が海軍の制服を着て写っている写真をみせてくださった。 アノ時代のことだから学徒出陣の記念の写真だったと思う。 その写真を見て今で言う「ビビッ」と来たわけ。 ご職業も私の憧れの新聞記者だという。 東京大学を出て、ウイスコンシン大学にフルブライトで会社から留学したというお話に私は他の条件は目をつぶった。 お背の高さも183センチと言う。
ご紹介くださる小母様は、ご自分のご子息に私を・・・と時間が経つに連れて、思ってくださったようだけれど、その方は興業銀行にお勤めで眼鏡をかけていらっしゃったので、私は銀行員と眼鏡アレルギーだったので、とてもその気になれなかった。 それでも、礼儀としてそのご子息にもお目にかかった。 気になるその方はその当時は大阪勤務だということだった。 続きは、また明日・・・・
2008年6月22日日曜日
最近見逃したくないテレビドラマ
独り暮らしの私は、どうしてもテレビが外せないお友達。
ところで、最近必ず見ている連続ドラマは 先ずNHKの大河ドラマ「篤姫」。 今まで大河ドラマは時間つぶすだけの存在だった。 その「篤姫」の中で特に気になる存在が「徳川家定」を演じている境雅人という人物。 見ているうちにすっかり取り込まれてしまった。 歴史として家定がどういう人物であったかは、歴史に興味がなかった私には分からないことだけれど、ドラマの上では、’うつけ’を装ってはいるが実は頭脳明晰な将軍だという。 その、うつけ、から正常への表情の変化が特に素晴らしいと思うし、先週のペリーとの接見で畳を何枚も重ねた上での歌舞伎でいう、ミエのきりかたなど、実に見事だと思った。 一体どういう経歴の持ち主なのだろう?
次はやはりNHK土曜日夜の「監査法人」というドラマ。 これは会計士のドラマなのだけれど、妹の次男が公認会計士なので、特に彼がどんな仕事をしているのか?興味を持って見ている。 でも心優しい彼がこの冷血、無情といわれる世界で、どうやってバランスを取って行くのか心配になる。 だけど、これはドラマなんですよね?
最後の一つは「渡る世間は鬼ばかり」という所謂ホームドラマ。 これはいささか惰性なのだけれど、ドラマの中で誰も、どの家庭でも思い当たるフシの一つや二つはありそうなのと、どういうわけか、どちらかと言うと余り興味を持ちそうもない夫もずーっとこのドラマを一緒に見ていた。
長寿ドラマはそれだけの理由があって、続くのだろうと私は思う。
ところで、最近必ず見ている連続ドラマは 先ずNHKの大河ドラマ「篤姫」。 今まで大河ドラマは時間つぶすだけの存在だった。 その「篤姫」の中で特に気になる存在が「徳川家定」を演じている境雅人という人物。 見ているうちにすっかり取り込まれてしまった。 歴史として家定がどういう人物であったかは、歴史に興味がなかった私には分からないことだけれど、ドラマの上では、’うつけ’を装ってはいるが実は頭脳明晰な将軍だという。 その、うつけ、から正常への表情の変化が特に素晴らしいと思うし、先週のペリーとの接見で畳を何枚も重ねた上での歌舞伎でいう、ミエのきりかたなど、実に見事だと思った。 一体どういう経歴の持ち主なのだろう?
次はやはりNHK土曜日夜の「監査法人」というドラマ。 これは会計士のドラマなのだけれど、妹の次男が公認会計士なので、特に彼がどんな仕事をしているのか?興味を持って見ている。 でも心優しい彼がこの冷血、無情といわれる世界で、どうやってバランスを取って行くのか心配になる。 だけど、これはドラマなんですよね?
最後の一つは「渡る世間は鬼ばかり」という所謂ホームドラマ。 これはいささか惰性なのだけれど、ドラマの中で誰も、どの家庭でも思い当たるフシの一つや二つはありそうなのと、どういうわけか、どちらかと言うと余り興味を持ちそうもない夫もずーっとこのドラマを一緒に見ていた。
長寿ドラマはそれだけの理由があって、続くのだろうと私は思う。
私の住むあたりのこと
昨日芦屋に住む姪から携帯のメールで「午後9時から東京テレビの「アド街ック天国」という番組で池上本門寺」辺りをやるよと報せてきてくれました。 彼女は関西在住なのに何故東京テレビが・・・?と思ったけれど、その時間にテレビをつけてみて、長々と感想をいれたが、消えてしまった。
改めて今朝思い出しながら内容を書いてみる。
本門寺は家から歩いて10分くらいの所にあり、以前は度々訪れた。 最近は気が向けば11月12日のお会式に行ってみたりする。 その日あたりは、風の向きによっては一日中太鼓の響が伝わってくる。 多くの夜店を見て回るのも楽しみの一つ。
今回改めて知ったのは、池上梅園は著名な画家伊東深水の別荘だったということ、境内の五重塔は関東地区で一古いものだということと寺の周りにある松涛園は小堀遠州作のものであり、幾つかの質問に応えれば、園内の散策が出来るということなど、など。 池上辺りの食べ物やさん甘味どころなどは、あまり入ったことがなく著名な葛餅でしられている浅野屋などもお茶を飲みに入った程度。 だだ、本門寺が葛餅発祥の地だということは知らなかった。
食べ物関係では五重の塔近くのフレンチレストラン「シェ・リュウ」は眺めがよく夜の食事にはお茶ずけが出ることで評判だが、この辺りの方は余り行かれないようだ。
報じていたその他のことで印象に残ったのは最近相撲部屋「尾上部屋」が出来て時々お相撲さんの姿を見かけるということと、藍染の古い家が、確か火事で焼けて、今はマンシォンで作業をしているということ、私は行ったことはないが、黒い水の温泉があることなど。 あやかり組として「本門寺あんぱん」とかあんみつの問屋もあるけれど、何度か試してみたが所謂まあ、まあ。
毎朝五時と夕方六時に鐘楼の鐘を打つ方がある、という事はここに長く住んでいるものにとっては余り気にしていないことで、申し訳ない思いがした。
改めて今朝思い出しながら内容を書いてみる。
本門寺は家から歩いて10分くらいの所にあり、以前は度々訪れた。 最近は気が向けば11月12日のお会式に行ってみたりする。 その日あたりは、風の向きによっては一日中太鼓の響が伝わってくる。 多くの夜店を見て回るのも楽しみの一つ。
今回改めて知ったのは、池上梅園は著名な画家伊東深水の別荘だったということ、境内の五重塔は関東地区で一古いものだということと寺の周りにある松涛園は小堀遠州作のものであり、幾つかの質問に応えれば、園内の散策が出来るということなど、など。 池上辺りの食べ物やさん甘味どころなどは、あまり入ったことがなく著名な葛餅でしられている浅野屋などもお茶を飲みに入った程度。 だだ、本門寺が葛餅発祥の地だということは知らなかった。
食べ物関係では五重の塔近くのフレンチレストラン「シェ・リュウ」は眺めがよく夜の食事にはお茶ずけが出ることで評判だが、この辺りの方は余り行かれないようだ。
報じていたその他のことで印象に残ったのは最近相撲部屋「尾上部屋」が出来て時々お相撲さんの姿を見かけるということと、藍染の古い家が、確か火事で焼けて、今はマンシォンで作業をしているということ、私は行ったことはないが、黒い水の温泉があることなど。 あやかり組として「本門寺あんぱん」とかあんみつの問屋もあるけれど、何度か試してみたが所謂まあ、まあ。
毎朝五時と夕方六時に鐘楼の鐘を打つ方がある、という事はここに長く住んでいるものにとっては余り気にしていないことで、申し訳ない思いがした。
2008年6月21日土曜日
2008年6月20日金曜日
この年では、一日に三箇所は、辛いかな~
昨日は少し迷ったけれど午前中ヨガ教室に出て、午後一時、予約を入れていた美容院でヘヤ―・カットをしていただき、夕方たまブラ―ザ― まで行くことになっていた。 美容院が割りに早く終ったので、家に戻り一休みしてからたまプラーザに向かった。 話しには聞いていたが、その時間帯は何十年ぶりかで体験する満員電車状態で、それでも時間どおりたまブラ―ザ駅に着いた。
昨日の会食は、下の妹の学生時代から仲のよかったお友達が色々な環境の変化で鬱状態になられ、最近ようやく少し良くなったとかで、夕食をご一緒したい・・・とのお誘いがあった。 その方は妹と私が結婚の仲立ちをしたのと、不思議なことに、妹の長男と次男がその方のご子息たちと全く同い年であり、高校まで同じ学校だったというご縁がある。 また、彼女のはやく亡くなってしまったご主人は私たちの以前のご近所だったし、その他色々のかかわりがある。 駅近くのフレンチレストランに着いて見たら(私の想像どおり、そのレストランは最近よく行く渋谷の妹宅近くのレストランのシェフが以前働いていた所だった)
そのお友達は、時の経過によるものと、ご子息それぞれにお子様が授かった所為もあって、お会いした瞬間、ずい分回復されたように見えて、妹と共に心から喜んだ。 驚いたことに、レストランには彼女のご一家も来ていらっした。 お孫さんは男のお子さまで、やはり動きが可也烈しいように見えた。 思い出話やお料理の話で盛り上がった。 渋谷のフレンチと比べると、家庭的というか、量も少し多め、野菜も多くランクとしては、場所柄もあり、少し・・・?かな。
さあ、美味しいお料理を頂いて、又電車に乗って遠い距離を戻るのかなあ~と少し辛く、又腹ごなしにはいいか?と思っていたら「車が用意してありますので、とわ子さんを送って、その車で久が原までいらっしてください、料金はご心配なく」とのお申し出で。 私達はそれぞれでお食事の代金を払う積りでいたのに・・・・。 そのお言葉に甘えさせていただき、夜道が明るく、近く感じたことでした。
昨日の会食は、下の妹の学生時代から仲のよかったお友達が色々な環境の変化で鬱状態になられ、最近ようやく少し良くなったとかで、夕食をご一緒したい・・・とのお誘いがあった。 その方は妹と私が結婚の仲立ちをしたのと、不思議なことに、妹の長男と次男がその方のご子息たちと全く同い年であり、高校まで同じ学校だったというご縁がある。 また、彼女のはやく亡くなってしまったご主人は私たちの以前のご近所だったし、その他色々のかかわりがある。 駅近くのフレンチレストランに着いて見たら(私の想像どおり、そのレストランは最近よく行く渋谷の妹宅近くのレストランのシェフが以前働いていた所だった)
そのお友達は、時の経過によるものと、ご子息それぞれにお子様が授かった所為もあって、お会いした瞬間、ずい分回復されたように見えて、妹と共に心から喜んだ。 驚いたことに、レストランには彼女のご一家も来ていらっした。 お孫さんは男のお子さまで、やはり動きが可也烈しいように見えた。 思い出話やお料理の話で盛り上がった。 渋谷のフレンチと比べると、家庭的というか、量も少し多め、野菜も多くランクとしては、場所柄もあり、少し・・・?かな。
さあ、美味しいお料理を頂いて、又電車に乗って遠い距離を戻るのかなあ~と少し辛く、又腹ごなしにはいいか?と思っていたら「車が用意してありますので、とわ子さんを送って、その車で久が原までいらっしてください、料金はご心配なく」とのお申し出で。 私達はそれぞれでお食事の代金を払う積りでいたのに・・・・。 そのお言葉に甘えさせていただき、夜道が明るく、近く感じたことでした。
2008年6月17日火曜日
西武百合園に行ってきました。
考えることがあって、このブログを閉じようか?と思いましたが、見てくださる方がある限りは続けた方が・・・と思い直しているところです。
今日は、何時のものご近所のお友達と西武球場あたりの百合園に行って来ました。 パソコンで検索した結果、新宿から西武新宿線に乗っていくほうがいいだろうと思ったのがそもそも始めのの過ち! JRの新宿から西武の新宿まで上ったり、降りたり、歩いたり・・・ようやく電車に乗ったものの、所沢駅に着く前に回って来た車掌さんに尋ねたのが悪かったのか? その上途中の駅で同行したお友達が駅員さんに行きかたを尋ねるために降りてしまい、私は乗ったまま次の駅でその友人を待ったが次の電車に乗ってなくて、困り果て携帯電話でようやく連絡をとって、遊園地前で出会えた時は友人は大声を揚げて喜んでくれた。 遊園地とか公園とか球場とか、まことに紛らわしい。
百合園は所沢の西武球場と同じ駅、そこから歩いて5分くらいのところにあった。 入って見るなり二人で感嘆の声を揚げた。 そこら中色とりどりの百合の花が丁度今は最盛期らしく、匂いは殆どないのだけれど、黄色、オレンジ色、白、赤、薄紫と遠くから眺めたら浄土はかくや?と思わせるような美しさだった。 自然の状態を保つために森のまま木を置いて、歩く所には木くずをひいて歩きやすくしてあったし、森の木々の間から見る何十種類ものすかし百合の群生はどうやって植えたのかしら、と皆話していた。
帰り道は簡単! 西武球場で行われていた都市対抗野球の歓声が終らない中に所沢球場駅を出なければ・・・と友人を急かせた。 そのことを聞いていた側で絵を描いていた二人連れの方方も、私の話に従って画材をカタズケて私についていらっした。 無論ことなく、池袋駅に到着、往のアレは何だったのかしら?
今日は、何時のものご近所のお友達と西武球場あたりの百合園に行って来ました。 パソコンで検索した結果、新宿から西武新宿線に乗っていくほうがいいだろうと思ったのがそもそも始めのの過ち! JRの新宿から西武の新宿まで上ったり、降りたり、歩いたり・・・ようやく電車に乗ったものの、所沢駅に着く前に回って来た車掌さんに尋ねたのが悪かったのか? その上途中の駅で同行したお友達が駅員さんに行きかたを尋ねるために降りてしまい、私は乗ったまま次の駅でその友人を待ったが次の電車に乗ってなくて、困り果て携帯電話でようやく連絡をとって、遊園地前で出会えた時は友人は大声を揚げて喜んでくれた。 遊園地とか公園とか球場とか、まことに紛らわしい。
百合園は所沢の西武球場と同じ駅、そこから歩いて5分くらいのところにあった。 入って見るなり二人で感嘆の声を揚げた。 そこら中色とりどりの百合の花が丁度今は最盛期らしく、匂いは殆どないのだけれど、黄色、オレンジ色、白、赤、薄紫と遠くから眺めたら浄土はかくや?と思わせるような美しさだった。 自然の状態を保つために森のまま木を置いて、歩く所には木くずをひいて歩きやすくしてあったし、森の木々の間から見る何十種類ものすかし百合の群生はどうやって植えたのかしら、と皆話していた。
帰り道は簡単! 西武球場で行われていた都市対抗野球の歓声が終らない中に所沢球場駅を出なければ・・・と友人を急かせた。 そのことを聞いていた側で絵を描いていた二人連れの方方も、私の話に従って画材をカタズケて私についていらっした。 無論ことなく、池袋駅に到着、往のアレは何だったのかしら?
2008年6月9日月曜日
年の所為とばかりは言えないかも?
78歳になったから・・・ばかりではなく自分の生来のいい加減さと言うか早合点のクセと言うか、今日は反省事項が二つも明らかになった。
その一つはこのブログに、可愛い小姪の名前、里彩を逆さに、彩里と書いてしまっていたこと。
もう一つは今日ジムでお知り合いになった年下のお友達と’日本橋界隈めぐり’の集まりの時間を間違えて?一時間前に行ってしまったこと。 これは多分私だけが悪いのではない、とは思っている。 最初この企画をうかがった時三越前で10時待ち合わせと聞いていた。 ジムで個人的な話はしずらいので、お友達が10分過ぎね!と仰ったので、多分9時10分過ぎだと思って、私は9時に蒲田駅の指定された場所で三人を待った。 20分過ぎても何方もいらっしゃらないので、何度もお友達のお宅とか携帯にお電話をしたけれど、通じず、困り果ててとりあえず目的場所の高島屋に行った。 そこで高島屋のコンサルジュに尋ねたら「以前は10時でしたが、11時に変わりました」という事だった。
ところでこの日本橋めぐりは先ず高島屋の近くの地図専門店に行き、日本中の色々な地図を売っているのが分かった。 小雨の中、次は八重洲通り近くの京都のすべてを案内している店に連れて行かれ、そこで京都の和菓子とお濃茶を振舞っていただき、八重洲の鉄鋼ビルの中の図書館で小一時間本を読む時間を与えられた。 私は眼鏡を持って行かなかったので、写真入りのロンドン近郊の運河の説明、以前訪れた場所を懐かしく見た。 これは時間待ちか?
その後日本橋にある昔文士達が集ったという日本料理店で昼食をとり、高島屋に戻って、二階のロブションでコーヒーとケーキを頂い解散となった。 これで3000円とは、安い! その後友人達と日本橋近くまで歩き友人は’うさぎ屋’という甘味どころでどら焼きなどを求めていた。 何時も私達姉妹が歩く場所とは違った日本橋を歩いた。 私は朝の立ちんぼうが祟って可也くたびれたけれど、三人のお友達がそれぞれに気を使ってくださり、まるで女王様気分を味あわせていただいた。 帰りは無料のバスで東京駅まで戻り、私の誕生祝に小さな地球儀を皆様からいただいたので、そのお返しに先日京都の妹が教えてくれた大丸の”イノダ・コーヒー店でコーヒーをお返しした。 大分疲れたけれど、楽しい1日だった。
その一つはこのブログに、可愛い小姪の名前、里彩を逆さに、彩里と書いてしまっていたこと。
もう一つは今日ジムでお知り合いになった年下のお友達と’日本橋界隈めぐり’の集まりの時間を間違えて?一時間前に行ってしまったこと。 これは多分私だけが悪いのではない、とは思っている。 最初この企画をうかがった時三越前で10時待ち合わせと聞いていた。 ジムで個人的な話はしずらいので、お友達が10分過ぎね!と仰ったので、多分9時10分過ぎだと思って、私は9時に蒲田駅の指定された場所で三人を待った。 20分過ぎても何方もいらっしゃらないので、何度もお友達のお宅とか携帯にお電話をしたけれど、通じず、困り果ててとりあえず目的場所の高島屋に行った。 そこで高島屋のコンサルジュに尋ねたら「以前は10時でしたが、11時に変わりました」という事だった。
ところでこの日本橋めぐりは先ず高島屋の近くの地図専門店に行き、日本中の色々な地図を売っているのが分かった。 小雨の中、次は八重洲通り近くの京都のすべてを案内している店に連れて行かれ、そこで京都の和菓子とお濃茶を振舞っていただき、八重洲の鉄鋼ビルの中の図書館で小一時間本を読む時間を与えられた。 私は眼鏡を持って行かなかったので、写真入りのロンドン近郊の運河の説明、以前訪れた場所を懐かしく見た。 これは時間待ちか?
その後日本橋にある昔文士達が集ったという日本料理店で昼食をとり、高島屋に戻って、二階のロブションでコーヒーとケーキを頂い解散となった。 これで3000円とは、安い! その後友人達と日本橋近くまで歩き友人は’うさぎ屋’という甘味どころでどら焼きなどを求めていた。 何時も私達姉妹が歩く場所とは違った日本橋を歩いた。 私は朝の立ちんぼうが祟って可也くたびれたけれど、三人のお友達がそれぞれに気を使ってくださり、まるで女王様気分を味あわせていただいた。 帰りは無料のバスで東京駅まで戻り、私の誕生祝に小さな地球儀を皆様からいただいたので、そのお返しに先日京都の妹が教えてくれた大丸の”イノダ・コーヒー店でコーヒーをお返しした。 大分疲れたけれど、楽しい1日だった。
2008年6月8日日曜日
今日は尾78回目の誕生日
ずい分長く生きてきたものだ。 自分でもそう思うのだから、他の方方も・・・。
毎朝、仏壇にお線香をあげてお祈りするのだけれど、今日は、先ず両親の位牌に「私を生んでくれて有り難うございました」と生まれ初めての挨拶をした。 私の今までの人生がとりあえずは、この年まで無事であることを次に夫の位牌にお礼を言った。
お誕生日を迎えて、私もう年だから、お誕生日なんかおめでたくないわよ!と仰る方がある。 でも私はそうは思わない。 その人がこの世の中にいるということに意義があり、意味があると私は思うから、幾つになってもお誕生日はおめでたいと思うべきだ。
今朝から有難い事に多くのハッピー・バースディの電話を頂いた。 始めは下の妹から、今日プレゼントをあげたいので、目黒まで出て来て、という。 次に京都の妹から、その後英里ちゃんのパパとママと英里ちゃん達、出かける支度をしていたら、長くお付き合いしているお友達から・・・。
下の妹と昼食をして、家に戻ってきたら玄関先に真っ赤なハワイの花?の植木鉢がご近所のお友達から届いていた。 ハッピ・バースディのタグがついていた。 よく覚えていてくださったこと!
夜になって、甥夫妻と芦屋の姪夫妻からも電話で「お誕生日おめでとうございます!、昼間かけたけれど留守だったので・・・」との電話。 今日は残り物の淋しい夕食を済ませたけれど心は暖か~いハッピー・バースディでした。
皆様有り難うございました!! 今後ともお忘れなくよろしくお願い致します!
毎朝、仏壇にお線香をあげてお祈りするのだけれど、今日は、先ず両親の位牌に「私を生んでくれて有り難うございました」と生まれ初めての挨拶をした。 私の今までの人生がとりあえずは、この年まで無事であることを次に夫の位牌にお礼を言った。
お誕生日を迎えて、私もう年だから、お誕生日なんかおめでたくないわよ!と仰る方がある。 でも私はそうは思わない。 その人がこの世の中にいるということに意義があり、意味があると私は思うから、幾つになってもお誕生日はおめでたいと思うべきだ。
今朝から有難い事に多くのハッピー・バースディの電話を頂いた。 始めは下の妹から、今日プレゼントをあげたいので、目黒まで出て来て、という。 次に京都の妹から、その後英里ちゃんのパパとママと英里ちゃん達、出かける支度をしていたら、長くお付き合いしているお友達から・・・。
下の妹と昼食をして、家に戻ってきたら玄関先に真っ赤なハワイの花?の植木鉢がご近所のお友達から届いていた。 ハッピ・バースディのタグがついていた。 よく覚えていてくださったこと!
夜になって、甥夫妻と芦屋の姪夫妻からも電話で「お誕生日おめでとうございます!、昼間かけたけれど留守だったので・・・」との電話。 今日は残り物の淋しい夕食を済ませたけれど心は暖か~いハッピー・バースディでした。
皆様有り難うございました!! 今後ともお忘れなくよろしくお願い致します!
英里ちゃん、彩里ちゃん来宅!
昨日、梅雨真っ最中の我が家に英里ちゃん、彩里ちゃんの可愛らしい声が家を明るくしてくれた。
先日成城の尚剛宅へお呼ばれして以来ご無沙汰していたので、その気になったので、尚剛一家を招待したのだけれどパパは仕事で来られなくなって幹ちゃんママと二人のお姫様が来てくれた。 下の彩里ちゃんも車の中で眠っていたらしかったが、目を覚まして私の顔を覚えていてくれて、にっこり笑ってその後可也ハイテンションで私の作った料理を皆で楽しんでくれた。 特に英里ちゃんは鳥の手羽元と小さい新じゃがが気に入ったらしく、テレながらも何度もおかわりしてくれた。 彩里チャンは専らお赤飯に夢中で他のものには手を出さなかった?
不思議に思ったことには、上の英里ちゃんが階段の途中にかけてある色々なお面(由緒あるお寺の写し?)とかベニスで求めた仮面のお面とかを異常に怖がって、二階へ行くのを強く拒んだ。 そう言えば彼女のパパも伯父さんも、伯母さんもこわがっていたかな~? だけどトモ君伯父さんはあのお面でおねしょが治ったし、パパも、そうだったのよ、と言っても聞き入れなかった、アノお面がある大ばばの家には行きたくないなどと言われては困るので、はずしておこうかしら・・・? 何か怖い・・・理由があるのかしらね?
二人とももっと遊んでいたかった様子だったが、パパが気の毒なので、8時過ぎにはバイバイした。 又来てね!
先日成城の尚剛宅へお呼ばれして以来ご無沙汰していたので、その気になったので、尚剛一家を招待したのだけれどパパは仕事で来られなくなって幹ちゃんママと二人のお姫様が来てくれた。 下の彩里ちゃんも車の中で眠っていたらしかったが、目を覚まして私の顔を覚えていてくれて、にっこり笑ってその後可也ハイテンションで私の作った料理を皆で楽しんでくれた。 特に英里ちゃんは鳥の手羽元と小さい新じゃがが気に入ったらしく、テレながらも何度もおかわりしてくれた。 彩里チャンは専らお赤飯に夢中で他のものには手を出さなかった?
不思議に思ったことには、上の英里ちゃんが階段の途中にかけてある色々なお面(由緒あるお寺の写し?)とかベニスで求めた仮面のお面とかを異常に怖がって、二階へ行くのを強く拒んだ。 そう言えば彼女のパパも伯父さんも、伯母さんもこわがっていたかな~? だけどトモ君伯父さんはあのお面でおねしょが治ったし、パパも、そうだったのよ、と言っても聞き入れなかった、アノお面がある大ばばの家には行きたくないなどと言われては困るので、はずしておこうかしら・・・? 何か怖い・・・理由があるのかしらね?
二人とももっと遊んでいたかった様子だったが、パパが気の毒なので、8時過ぎにはバイバイした。 又来てね!
2008年6月2日月曜日
幸せの考え方
今朝、弟から電話があり、今月から例の老人運転者の義務になる’紅葉‘マークを買いに近所まで来ているので、チョッと顔を見に行く、と言う。 今日はジムもお休みで二階のカタズケをしていたが「寄ったら?」と応える。
時々電話をかけて来るけれど、その度にあつちが痛い、こつちがヘンだ、と体の不調ばかり訴えてくる。 年なのだから仕方がないわよ、と私は応えている。 今日はその紅葉マークが何処へ行っても売り切れで、どうしたらいいか?と困っている様子、家に来て、池上警察に電話してみたら?と電話をかけたが、ここでは取り扱ってないけれど田園調布警察なら免許証も取り扱っているから、あるかもしれないという返事だったらしい。
仏壇にお線香をあげて、お昼でも?と言ったけれどお茶だけ飲んで、そそくさと帰る様子、帰りざま「お姉さまは一人で淋しいでしょう?」と何時も思っている・・・と言う。 彼はこれから帰ってカップ・ラーメンでも食べますと言いながらドイツ製の最高級車に私の頼んだ古新聞を「何かお役に立ちたいと思って」と言いながら軽々と積み込んで行った。
私は独りで暮らしていることを少しも不幸だとは思っていない。 妹達、甥達の家族、姪達夫妻、そしてご近所やジムで知り合ったお友達と楽しく過ごしている。 負け惜しみなどではなく、自分が淋しいなどと思ったことはない。 敢えて言わせて頂けば、夫が居た頃の方が淋しかったかもしれない。
幸せということの意味もいろいろで、必ずしも独り暮らしが幸せではないということと決め付ける事はない、と思う。
時々電話をかけて来るけれど、その度にあつちが痛い、こつちがヘンだ、と体の不調ばかり訴えてくる。 年なのだから仕方がないわよ、と私は応えている。 今日はその紅葉マークが何処へ行っても売り切れで、どうしたらいいか?と困っている様子、家に来て、池上警察に電話してみたら?と電話をかけたが、ここでは取り扱ってないけれど田園調布警察なら免許証も取り扱っているから、あるかもしれないという返事だったらしい。
仏壇にお線香をあげて、お昼でも?と言ったけれどお茶だけ飲んで、そそくさと帰る様子、帰りざま「お姉さまは一人で淋しいでしょう?」と何時も思っている・・・と言う。 彼はこれから帰ってカップ・ラーメンでも食べますと言いながらドイツ製の最高級車に私の頼んだ古新聞を「何かお役に立ちたいと思って」と言いながら軽々と積み込んで行った。
私は独りで暮らしていることを少しも不幸だとは思っていない。 妹達、甥達の家族、姪達夫妻、そしてご近所やジムで知り合ったお友達と楽しく過ごしている。 負け惜しみなどではなく、自分が淋しいなどと思ったことはない。 敢えて言わせて頂けば、夫が居た頃の方が淋しかったかもしれない。
幸せということの意味もいろいろで、必ずしも独り暮らしが幸せではないということと決め付ける事はない、と思う。
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