2008年4月29日火曜日

楽しいお食事

今朝ジムに行こうとしていたら英里ちゃんから明るい声で電話が掛ってきた。「大ばば。今日、家へ来ない?」と英里ちゃんのシッカリした声が聞こえてきた。 無論即座に「行きたい!」と応えた。 ば~ばも誘っていい?と英里のパパに訪ねた。 私一人で行くとキット僻むに違いないと思ったからだ。 そして無論二人で訪ねることになった。 英里とに会うのはバレーの発表会、里彩ちゃんとは熱海への一泊旅行以来のこと。

今日はお天気も穏やかで成城学園あたりは人が大勢出ていた。 最初、はにかんだ感じだった理彩ちゃんも少し経つとしなだれかかってきたりおどけたりケッコウ面白い。 ママが一人でお料理を作ってくださっている間二人と色々な遊びを楽しむことが出来て、ホント幸せ。 ママのイタリア料理は何時もの事ながら、プロ級、ば~ばが「レストランテ・ミキ」と言うのもうなずける。 英里ちゃんと里彩ちゃんのソーセージの奪い合いもほほえましい。 なにしろ、料理はおもてなしの心があるのが招待された人たちにとって、心温まる嬉しいことなのだから・・・。

時間の経つのが早すぎて、帰るのが辛くなる。 英里ちゃんは学習院幼稚園に行き始めているので、この連休が過ぎたら夏休みまで中中時間が取れないのだろう。 私の周りの甥達、姪達家族は皆心優しい人たちばかりで、私にも優しく接してくれるので、幸せだと何時も思う。

2008年4月28日月曜日

痛風?

時々右足の親指の付け根の辺りが少し腫れて、痛むことがある。 それでも貼り薬を貼ってしばらくすると腫れもおさまって痛みもなくなる。 多分靴擦れの所為だろうと大して気にしなかった。  ところが5日ほど前の明け方、刺すような痛みで目が醒めてしばらく眠れなくなって、考えたら、親指の付け根の痛みは若しかしたら痛風ではないかしら?と思い始めたらますます目がさえてしまった。 痛風の痛みは風が吹いても痛いと言うから、この痛みはそれほどでもないから・・・などと思って治めた。 それでも一応医学書を見てみたら、怖いことが書いてあり、そう言えば、脚のアチコチの痛みは若しかして、痛風と関係があったりして・・・?等とも考え、ともかく主治医に相談しようと決めた。

昨日、甥と易の先生のお宅へ行ったので、先生にそのことを伺ってみた。 易学上では「その痛みは左の腰から来ているので、痛風ではないわよ」と仰った。 それで少し安心した。 母の看病のため母の家と私の家を行ったり来りしたことと、トイレで立ち上がらせるために、母を持ち上げたりしたことも原因にあるのかしら? 

今朝、血圧の薬などを頂くために主治医の所へ行き、先生に靴下を脱いで足を見て頂きながら「痛風ではないでしょうか?」と恐る恐る伺った。 先生はカルテを御覧になりながら「11月の検査では別に尿酸値は高くないから、痛風ではないでしょう。 今のところ特に検査の必要はありなせん」と言われた。 年を重ねると色々なことを考え悩んでしまうことが多くなる。 

今晩も今年81歳になられるお友達から長い電話があり、彼女は胸腺が、普通、ある年齢になると消えてしまうのだけれど、彼女の場合大きくなって、肺を半分蔽ってしまい、それが破裂したら、命の危険がある・・・と電話の度に何時もこぼされる。 私もなんとお応えしていいかその度に困ってしまう。 もつと早く手術なりなさればよかったわけだけれど、ご自分がそれを拒否なさったのだから・・・・となじるのは簡単なことだけれどそれでは余りにも非情ことなので、同情する言葉を気を遣いながら返すだけ。 年をとると色々です。

2008年4月25日金曜日

ボケと認知症の違い・・・・?

ボケと認知症のい着いて考えてみた。 ボケはある程度の努力と周りの助けで戻ることがあるが、認知症は、若年性のものもあって、医療にたよるしかなく、それでも遂にはどうしようもなくなったしまうものらしい。 
  
今日書道教室で、昨年秋から心臓病で入院され、その後お庭で転んで手首を骨折なさり、長い間教室を欠席なさっていたお友達が久しぶりで今日から様子を見ながら出席なさることになった。 人数が少ないので皆トテモ喜んだ。

何時ものように、先生が一番に来られ、その方と私が次に来るのが習いとなっている。 そのお友達は私より一つだけ年上なのだけれど「私、まだ完全に良くなってはいないけれど、ボケたから妹が書道に行ったほうがいいわよ」と言ったので・・・」と仰った。 確かに、お月謝のことをトテモ気になさって、三度も「先生、これ受け取って下さい」と先生がご説明なさったのに三度も同じ台詞で白い封筒に入れてあるお月謝を先生に差し出された。 私も少しショックを受けながら聞き流した。 その他には何のことも無くお清書も一番に書いていらっして、安心した。 

年齢を重ねると、色々器官が衰えるらしく、私もその例外ではなく、人様の名前を中中覚えないし、また直ぐ忘れてしまう。 特に数字とか日ずけについては自分のいい加減な性格もプラスして、記憶に留めておくのが中中難しい。 こらは明らかにボケの範ちゅうだと、時々自己嫌悪におちいる。 ボケはこうして始まるのか? 人と付き合ったて話をすることは色々な器官を刺激するので、トテモ大切だと思い、ジムでも多くの方方と話をするように勤めている。 やっぱり年齢の違いによって話題を考えることは可也脳を刺激すると思う。

そう言えば、母が大腸癌で入院した時、回復不可能か、と思われるほどのボケ症状があって、看護士さんたちを困らせ遂には、私達付き添いが帰宅したあとはベッドに縛られている様子だったりしたが、退院してからはまるで嘘のようにほぼ元通りに戻った。 子供、特に娘は容赦なく親を批判したり鍛えたりする。 本人の努力だけでなく、言われて悔しいと思う反発心がボケを止める作用がある気がする。 私は娘も子もないので、周りのお友達に鍛えていただくしかないのかしら?・・・と思っている。

2008年4月21日月曜日

2000年前?

昨年11月に引越しされた方からお電話があった。 その前の電話で、彼女の引越された跡の土地が業者によって深く掘り起こされ、古い壷が出土したという。 今日の話しによると大田区で調べた結果、その壷は2000年前のもので、キズも無く掘り出されたのは初めてのことで、区の貴重なものとして、保存されると言うことだった。

この辺りは高台だという理由で古代から住居として人々が住み、弥生時代の食器などは度々出て来ている。 最近は狭い土地に何軒も家が建てられるので、深く掘った場所にガレージを造るお宅が増えてきて、土器などが出てくると、その調査のため何ヶ月も家が建てられない場合がある。 

今回も彼女の家の跡に2軒の家が建つことになり、ブルドーザーが入ったら、器の割れたものが出て来たので、慎重に掘って行ったら、壷が無疵な形で出てきたということだった。 「私達何十年もの間、その上に住んでいたわけよ!」と友人は笑っていた。 その壷が新たな展示物として、そのうち区のどこか?又は若しかして国の何処かへ飾られるかもしれない。 私の今住んでいる場所も少し掘ったらキット何か出てくるに違いない。

2008年4月20日日曜日

フレンチ美味しかった!

京都の妹夫妻が今日上京して、姪達夫妻と英美ちゃんも呼んでくれて、妹宅の近所のフレンチレストランに行った。
妹達はそのレストランがトテモ気に入っていて、何度も行っている。 見つけたのは私で~す!

シェフはまだ若いのだけれど、色々チャレンジして、季節のもの、旬の食材を使って料理してくれる。
今日も突き出しに旬の桜海老をパイ皮に混ぜて出してくれたり、貝類の取り合わせ、ぜんまい、菜の花蚕豆などを巧く組み合わせて黒鯛。牛ヒレもやわらかく美味しかった。 

英美ちゃんは代々木でコンサートがあって、来店が少し遅れ、姪達夫妻は新幹線で芦屋の自宅に帰らなければならないので、私は実は気を揉んだ。 それでも英美ちゃんは皆が前菜を終えた頃到着したし、姪達も新幹線の時間を少しずらしたので、フルコースを済ませることが出来た。 シェフの話では、今日は昼間は空いていたけれど、夜は満杯で料理の出が少し手間取ったことを帰りに義弟に詫びていた。
 
皆音楽好きなので、話もはずんで、時間がもっとあると良かったのに・・・と思った。 

ジムの仲間達もこのレストランに是非来たいと言っていて、日にちが過ぎるごとに、連れてってと言う友人の人数が増えていく。 私は少なくとも10日は間を置きたいのだけれど・・・。

2008年4月19日土曜日

妙なお天気つずきですねえ~

四月半ばにしては薄ら寒く、晴れたかと思ったら急に風、時々雨で戸惑ってしまう。
今日は午前中は何時ものように健美操でアチコチの筋を伸ばす運動をしていただいて、脚が軽くなった。 

夕方、関西から出て来ている姪と久しぶりのなつかしい、ルートで夕食を共にした。 目黒駅で待ち合わせて彼女とあらかじめ昨夜の新幹線からのメールで決める積りだったが、結局東京についてから、目黒の「豚喜」に行くことになった。

以前行って見たところの支店はもはやなく交番で尋ねて、本店に行った。 彼女は学生時代に行ったきりだと言うし、私も夫と、当時養子にし様かしらと迷っていた20台の子?と行って以来だったので、それこそ、35年以上振だった。 何しろ先月まであった・・と思われる店が急に潰れてしまう世の中なので、色々心配。 「豚喜」は昔からある、所謂老舗で店に入ると入り口から、二階への階段から大勢の人が並んでおとなしく、順番を待っていた。 それは以前と同じこと。 ニューヨークから来ている英美ちゃんが「日本人は並ぶのが好きですね~』とよく言うが、並ぶと言うのはそこが著名で又日本人はお行儀がよいので並ぶのだ、と思う。 

周りにベンチが置いてあって、そこに座って待つのだけれど、初老の仕切り人が店の中に居て、メニューを先に決め、順番を並び順ではなく、お客の顔を覚えていて「次はそちら、どうぞ」と言い席に着くと直ぐ間違いなくオーダーどおりのメニューがお客の前に直ちに出される。なんともスムーズなこと。 姪が思い出したように「香港のぺニンシュラー・ホテルの入り口のティ・ルームの案内人も凄かったよね~?」と言った。 ほんとにぺニンシュラーも混雑した人の中から、見事に順番どおり裁いていたのを思い出した。 さすが、プロはこうでなければ・・・という感じ。 カツの周りはカリッとしていて、キャベツもドンドン追加して、実にテキパキとしている。 お値段も無論適切。

その後、場所を変えてお茶を飲みながら、色々積もる話をした。

2008年4月18日金曜日

行く春を送る花々

ジムに行く途中、ご近所の庭に咲いている花を見ながら季節の移ろいを楽しんでいる。 

ついこの間まで、桜が咲いていた。 今年の桜は特に長くもった気がする。  今は八重桜がぽってりとした色っぽい花をつけて、雨に濡れながらもがんばっている。 今年は妙にアメリカうつぎが沢山花をつけているような気がする。 何時の間にか、赤い色の花をつけたうつぎが増えて来て、遠くから見ても華やかだ。
桃の花も今が満開、道すがら一本の木にピンクと白の花をつけた桃の花はトテモ、チャーミング。

 私の家のプランターにも色々な種類のスミレが花をつけていて、家に出入りする度に立ち止まって眺めるのが楽しみだ。 だだ私の一番好きな紫色のスミレが私の家にはなつかない。 前の家から頂いた鉢も1年しかもたなかった。 クラブに行く途中のお家の道沿いにそのスミレが群がって沢山咲いているのだけれど「いただけますか?」とお願いするのを躊躇している。 その方はお暇が沢山ある方で長話になりそうだから・・・。 花泥棒は罪にならないとすれば、夜こっそり・・・。

そう言え今年は’すおう’がまだ咲いてない気がする。 ボケの花も少なくなった。 花にも流行りがあって、この辺りでは夏に咲く夾竹桃の花がすっかり消えてしまった。 

2008年4月17日木曜日

貴女はどちら派?

先週書道教室で先生も、もう一人私と同い年の方も夜の食事にご飯を殆ど召し上がらない、と仰る。『メタボ・・・が心配だから」とも・・・私が側から眺めさせていただいた感じでは、下腹が少しは・・・?という感じだけれど、私に比べれば殆ど無きに等しい、と見た。

ずい分前、家族中でかかっていた、浅草のお医者様も「お腹が減って死ぬことは先ずありません」と過食を戒められた。 しばらくお世話になっていた整体師の先生も細くてきりりと袴をはかれ、一日に召し上がる食事の量におどろいたことがある。 その先生も「空腹の感じを覚えていただきたい」と仰った。 体重を落とすには、運動も大切だけれど、ダイエットをしなければ・・・」 という事は百も承知! 

ジムのスタジオでヨガとか健美操をする時、回りの鏡を見ると中でも私が目立って太め。 ここの所、脚が痛かったり血流、筋が痛くて歩くのが辛いのは無論この肥満が原因の一部だと言うことは充分承知している。 私の意志のよわさ、人並み以上の食いしん坊がこの結果をもたらしている。 亡夫が亡くなる数ヶ月?くらい前「お前は、とうとうやせなかったね」と言ったのを時々思い出す。 (結婚した時より10キロ以上も増えたのだから。) 彼は結婚した頃はトテモ肥っていたが、糖尿病をわずらったことが分かって11キロも体重を落とした。 無論私の食事療法も援けになったことは事実だけれど。

戦争時代の食料危機を経験している私達世代は「美味しいものを食べなきゃ生きてる甲斐が無い」と思って一向健康のことを考えない方たちと、節制とカセをかけて、食べ物の量を加減したり肥らないよう涙ぐましい努力をする方たちとに分かれるようだ。 

私も今思い直して、家に一人でいる時はダイエットをする決意をした、事をここにお誓いいたします。 

2008年4月15日火曜日

開店二連チャン

今朝、易の先生から長い電話があったので、ジムに行く時間が何時もより遅れてしまったので、行くのを止め、ご近所のお友達と蒲田の東急系?のグランデュオ蒲田に行くことにした。 この辺りのお宅には昨日と今日の二日間特別ご招待の券が入っていて、記念品贈呈と書いてあった。 
思ったほど混み合ってはなかったのは、入り口と出口を一箇所に決めて制限していた所為だろう。 何時の間にかこんなに立派な建物が出来上がって!?という感じ。 蒲田駅直結で駅をまたいで東舘と西舘が出来ている。 地下の食料品売り場は私の最も興味をもっところ。

今まで無かった名店がならんでいて、これで蒲田もようやく他の地域のデパート並みになったと言える。 今日は混み合っていたので特に目立ってお安い値札のものだけ買った。 悔しかったのは先日ユニクロで求めたシャッが半値で出ていた。

レストラン街には行って見なかったけれど、以前に比べて大分美味しそうな店が出ていたようだ。  ところで、記念品は500円券だったので、私はお茶を買うのに使った。 使えないヘンなものより現金の方がいいわよね?と友達と話し合った。 友達は私より沢山買い物をしたので、蒲田からタクシーで帰った。 折角安い買い物をしなのにね~。

しばらく休んで今度は近所に出来た東急ストアーに行って見た。 友達が洗剤を買いたいと言っていたので、入る前に近所のマツモトキヨシに先ず寄ってみたら’アタック’がわずか195円で買うことが出来た。 ちなみにお友達は東急で他の洗剤をもう一つ190円で求めていた。 なにしろ、後期高齢者保険金が今日(?)引き落とされると言うので少しでも安いものを買って、それに備えなければ・・・。 東急の食品売リ場はさすが品ぞろえはよかったが、お値段は? 何しろ混み合って大変疲れた。  今日は一日おばさんをしました。 でもケッコウ楽しかった。

2008年4月11日金曜日

お食事?(ご飯食べ)に行く?

私のように昭和一桁生まれの者にとっては、最近の言葉の乱れにガマン出来ないことがたびたびある。

例えば、「今晩、一緒に食事しない?」という代わりに「今晩、ご飯しない?」と来る。 テレビの司会者までが「**さんと**さんが一緒にご飯食べたそうで・・・」とか言っている。 しかも旅館とか日本食レストランで一応の料理が終って、最後にご飯が出てくるはずの時、「これからお食事になります」などと言う。 それは「ご飯が出ます」と言うことなのに・・・・ お食事というのは、朝のお食事、昼のお食事、夕方のお食事・・・そして外でお食事をする、と言うのではないかしら?

ところが周りがそう言っているのを度々聞いているうちに、何時の間にか私も「ご飯食べに行く・・・」と言ってしまいそうな気がして、拒否反応が反対にならないようにしたいと思う。

その昔?は男言葉と女言葉があって、女の方は言葉尻に「わ」という言葉をつけて話したりした。 例えば「私は東京へ行きたいわ」とか「これ**さんにいただいたの」とか女性だけの表現があった。 今では多分一部の小説の中にだけしか見当たらない言葉になってしまったのかもしれない。  

2008年4月9日水曜日

その日によって・・・

その日によって、やる気がする時とその気にならない時がある。 皆様もそうですか?

年金特急便のことも毎日早く書かなくては・・・と思いながら数日以上経ってしまった。 
今日ジムでインストラクターのKさんと色々話をしている中にその話になり「先ず電話をなさってみて・・・」という言葉に押されたというか、天気が良くなった所為か、とりあえず午後1時ごろ電話をかけてみた、案の定「ただ今大変混み合っていますので・・・」というお決り文句。 それでも掛け始めるとやや意地になって又3時頃掛けてみた。 すぐ係りの方が出た。 私は疑問の一つ昭和33年に結婚して厚生年金を支払っている夫の籍に入ったのに、私が国民年金の資格を得たのが昭和36年になっている、と訪ねたら、国民年金制度は36年に始まった、との返事。 電話の相手の男性はトテモ親切な感じで「他には?」と尋ねられたので、一年間お勤めをしていたことを言ったら「是非それも書いてください」とご親切な応対。 かなり機嫌がよく?なった。

夕方易の先生との電話も年金のこと後期高齢者の保険料支払いのことなど世間話が長くなり、ここ2回ほど私を頼っていらっしゃる様子が見られるところが見られた。 冗談じゃない!
先生は大変な修行をしていらっしゃるし、記憶力もよく難しい卦を立てることも大変なことだと何時も尊敬しているわけだけれど、人間やはり弱い部分もあるのだろう。 卦を立てて、相手にお話になるとき少し加減なさるでしょう?と尋ね、どのくらい弱めるのですか?と不躾に伺ってみたら70パーセントで話すようにしている、とのこと。 それは先生の先生から教わったとのことと仰った。 その通り話すと相手を傷つけるので・・と仰った。 「私には本音を仰って下さいね?」と申し上げた。
 

2008年4月7日月曜日

次から、次へと・・・

ここの所、次から次へと色々なことがあって、少しめげている。 

その一つは社会保険庁から送ってきた「年金特別便」のこと。 回答を送り返さなければならないのでけれど、少し納得のいかないことがあって、訂正したいのだけれど、電話をするのも、社会保険事務所に出かけていくのも、メンドウだ。 私が結婚したのは昭和33年年10月だから、夫の扶養家族になって、当然11月にはサラリーマンの妻として、の国民年金に自動的に加入していることになるはずなのに、その資格獲得が昭和36年からになっている。
三年の差ということは、結果としてどうなるのか、考えるのもメンドウ。

もう一つは、今日ようやく送ることが出来たのだけれど、先日英美ちゃんと義妹の家を訪ねた翌日、義妹からファックスが入って、英美ちゃんをまた連れて来てくれ・・という事と次女の英利子ちゃんが昨年11月に結婚した・・・と言うことで、慌ててお祝いを・・と思いながら「寿」のいわい袋が無くて中中送れなかったこと。 

年をとるとだんだんセッカチになり、次々と急いでカタズケなければ、という思いが強くなる。 ところが、三つ目に、又急いでしなければならないことが起きた。  それは突然携帯電話が壊れてしまったのだ。 土曜日に下の妹と目黒で待ち合わせたのだけれど、急いでいたので携帯を持っていくのを忘れて、テーブルの上に逆さに置いて出かけたら、帰宅後充電が出来なくなってしまった。 

困ったことになった。 先日易の先生が仰ったように「今年は、大金ではないけれどチョコチョコお金が出るわよ」と仰ったとおり、洗面所の水漏れに始まって私にとっては必ずしも小金ではなく、この調子でまだ今期三ヶ月も経たないのに小金が出るのは、つらいこと。

次から、次へと・・・

2008年4月6日日曜日

日劇と夫

今、テレビで偶然4チャンネルをつけてみたら、’日劇のウエスタン・カーニバル’をやっていた。 50年前に・・・・と言っている。 アレから50年経ったのだ。 1957年亡夫が最初のオーストラリア公演に行っていて、その前の年黒田初子先生に夫を紹介されたまま中中会うことも出来ず、その間今も日劇の歴史に残っている’ウエスタン・カーニヴァル’を企画して渡辺プロに任せて忙しく過ごしていたわけだったことを結婚後しばらくして知らされた。
 
懐かしい人たちが画面に出ている。  アノ頃は皆、そう言っては失礼ながら、チンピラだった。 前にも書いたけれど、観客が失神したり、テープを投げたり、パンティまでも投げたりしたのは本当?・・・と夫に尋ねたら「モチロンやらせだよ」と応えた。 文春から「天皇陛下に申し訳ない」と言う題材で記事を書いてくれないか・・・と申し込まれたが、会社員なので・・・とお断りした、とも言っていた。 

私は楽屋には一度も訪ねた事も無かったが当時中学生だった下の妹は、何度か訪ねたことがあって、ミッキー・カーティス等は決してサインをしない人だったけれど「サインしてやれよ」と言って夫の兄の娘などは部屋に飾って友達達を羨ませていたということもあった。

日劇と言っても60台以前の方はご存知ないだろう。 もうその存在は’歴史’なのだから・・・。 今夫が生きていたら何と言っただろう。 彼はどちらかと言うと働きすぎて早くあの世に行ってしまったわけだけれど、こうして時々育てた人たちとか日劇のことを思い出させて下さるのは、私は何と思ったらいいのかしら?

2008年4月5日土曜日

今日一日

土曜の午前中は楽しみにしている健美操の日。 今日は少し出るのが遅くなったので何時もの決まった場所は取れないだろうと思っていたら、最前列のお友達が私の席と私の前の席をとって置いてくださった。 私の前の方は、何時もその場所なので、「貴女が私の前だったら落ち着くわ」と先週言っていたのを、その方は覚えていてくださった。
その方も私も感激した。

妙な習慣があって、古くから通っていらっしゃる方方は、その場所が他の方に先にとられると少しムッとする女学生的なところがある。 特にこの健美操は大人気で、忽ち一杯になってしまうので、気にしながらもそういうご好意が嬉しい。 だけど私は初めての方にも気を使って声をかけてあげる。 私がこの教室にはじめて参加した時、何だか入りにくいところがあったからだ。 そんなことを言っては悪いかも知れないが、60代にもなると女性も少し自己主張が強まるのかしら?

ところで、家に戻って遅めの昼ごはんを終えたところに、下の妹から電話があった。 夫が今日は京都に泊まるということで、キットお声掛りがあるだろう・・・とは思っていた。 両方の交通の便を考えて、目黒で会うことになった。 アノ辺りにも五反田駅辺りと同じように適当な食事場所がない。 結局何時も同じところでお茶し、食事をすることになってしまう。 それでも話は尽きず、帰宅したのは10時半になった。  脚の痛みもそれほどではなく気持ちのいい夜だった。

2008年4月4日金曜日

何か原因?

周期的というか、ひざの外側が痛んで、歩くのもつらくなる。 歩きすぎた? 階段を降りすぎた? 家に居て、ずーッと坐りつずけていた?  何が原因でそうなるのか分からないが、何週間に一回歩くのも辛くなるほど痛むこともある。 先日、ヨガ教室のときに私の前に何時もマットを置くお友達が「私だったら直ぐ整形に行くわ、歩けなくなったらどうなさるの?」と親切に仰って下さった。 ジムのインストラクターのKさんも、アドバイスをしてくださる。 でも、私はどうしても整形外科に行く気がしない。 レントゲンを撮って電気をあてるだけ・・・じゃない?と思ってしまう。 それでも、いよいよ、決心をしなければならないか・・・?と思ってきた。

ところが、昨日ヨガをして、そのあと、スタジオでマシンとサイクリングを軽めにしたら、ずい分楽になり、インストラクターのKさんの仰るように、少しお風呂にも長く浸かったりしてみた。 今日も又ジムで一時間ほど動いたら、痛みはすっかり引いてきた。 血流とかいわゆる筋が硬くなってるのでは?とKさんに聞いたら、筋も血流も結局はおなじです、とKさんのお返事。  そう言えば、易の先生が「今年は筋が突っ張るわよ」と仰ったっけ。
何しろ、体重を減らすのが一番肝心なこと・・・という事は百も承知!

 

2008年4月2日水曜日

バレリーナの英里ちゃん

足が痛かったり、色々あって行くのを少し躊躇していたけれど、今日は英里チャンの二度目のバレリーナとしての晴れ舞台。 今度は新宿の文化会館なので、妹と渋谷で待ち合わせて、会館まで行った。 大分早く着いた積りなのに、会館の中は人で一杯。 それでも可也良い席をとることが出来た。 最初のプログラムは成人の本格的なバレーで男性の踊り手の脚が長くて格好良くなったことに先ず驚く。 

始まって五幕目くらいに出演者の紹介があって、我ら愛しの「児玉英里」ちゃんと報じられた。 妹とドキドキしながら出を待った。 ピンクのバレー衣装をまとった一団が左手から出て来た。 「可愛いい!」思わず叫んでしまった。 向かって右から二人目、英里ちゃんのお凸が光っていた。 「あれ、英里!」と妹が「パパに似ているから・・・」とおばあ様ぶりを発揮。 小さいピンクのお姫様たちがトウで立って踊っていた。 英里が最後に舞台からそでに入った。 手を後ろに引き、胸を張って一人前のバレリーナのような’引き’だった。

見に来てよかった! 少し経ったら「大ばば!」と英里の声がして、席までお土産を持って来てくれた。 触ってみたら、バレリーナ・ヘヤーの髪が汗で少し湿っていた。 一生懸命にやったのよね?英里ちゃん!

その後新宿の高島屋でお茶をして、しばらくうろついて夕食に中華料理をご馳走になった。 

2008年4月1日火曜日

花散りの風

英美と本門寺の桜を見に行く約束をしていたが、昨日の雨と今日の風で花も散ってしまった・・・と思い、密蔵院の枝垂れ桜を見に行った。 英美とは午後三時に千鳥町駅で待ち合わせ、歩いて行ったけれど、何年か前に行った時よりはるかに遠く感じたのは私が老いた故か? 足も衰えた。 途中の疎水にはおたまじゃくしが沢山泳いでいて、英美は声をあげていた。 こんな光景も思い出になれば、いいかしら?

ふと、思い出して、下丸子近くの英美の母が幼少の頃住んでいた所へ行ってみたい?と訊ねたら、見てみたいということで、尋ねながら向かった。 今は建て替えて英美の祖母の妹が住んでいる。 突然なので、無論中へ入ることは予定していなかった。 義妹が吃驚して、しばらく英美の顔を見つめていた。 「もう、拘ってないわよね?」と繰り返し言っていた。 英美の祖母と義妹たちとは余り仲がよくはなかったので・・・。「目元が美樹ちゃんに似ている」と義妹は言って懐かしんでいた。

可也歩いたので、私はもう歩けない感じで、電車で千鳥町まで戻った。 今日は自ずから「食いしん坊」と言っている英美に日本料理を食べさせるのが、私のもう一つの目的。 三、四品出して、揚げ物をしようと振り返ったら、もう、お皿は半分は空だった。 「私食べるのが早いんです」「私も早いけどそれにしても・・・」でも彼女は内容を確かめながら楽しんでくれたようだった。 美味しそうに食べてくれるのは、作り手には嬉しい事。 
いつも彼女とは話が尽きずに、午後九時半ごろまで居て、酷い風の中を帰っていった。  もう、日本滞在も残り一ヶ月半になった。