2008年10月29日水曜日

情けないよ~

少しずつ、少しずつ、家の中の整理をしていて、先日は思い切って、一度も使ったことのない麻の夏座布団を捨てた。 その時、捨てようかどうしようか迷ったキラキラしたロングスカートの処置を考えた。
そうだ! 先日夏のものから冬のものに代えようとしているクッシヨンを作ろう! 少し古くなったクッシヨンのカバーを外して、スカートと合わせてみたら、4つ分はとれそう。

私としては少し丁寧に物差しを出して、クッションの巾を計って、4つ分裁断した。  後はミシンをかけて、中身のパンヤの入ったものを入れて閉じればよい。 本来のセッカチに加えて、年令が追い討ちをかける。  今晩中に仕上げよう! 夕方食事の用意を済ませてから、卓上ミシンを出した。  それからが大変!  糸をかけて、いざ針穴に糸を通そうとしたが、何十回試みても針のメドに糸が通せない。 改めて食後また試みた。 目が疲れるので時々目を休めたり目薬をさしたりした。 何時間掛っても、細い絹糸はメドを外れる。  とうとう午後10時も過ぎてしまった。 京都の妹から電話が掛ったのを機に、もう明日にしようと諦めた。  年をとったものだ。 自分にあきれ、苛つく。 もう、自分でする事は不可能とみた。

今日、近所のお友達に来て頂いて、メドを通すのをお願いした。 快く来てくださったお友達はわたしより、十歳以上も若い。 2,3度試みてすぐ通った。 無論その後、周りを縫って、パンヤをいれ、一部をくけて、忽ち完成!やれやれ、疲れたこと、それに、情けないこと!

2008年10月27日月曜日

秋の佐原めぐり

何時もご一緒に日帰り旅行をしているお友達が、佐原に行ってみたいと大分前から仰っていた。 私は何十年も前水郷に行ったことがあり、余り魅力を感じなかったが、色々調べているうちにその気になって、今日午前10時ごろ家を出て東京駅八重洲中央口に向かった。  今まで関心もなく、気ずかなかったのだけれど、中央口からはアチコチへハイウエイバスが出ている。 佐原まで、一人1700円の所二人なら1500円でいい、という。 
東京駅はまだ改装中でガードマンの指示に従ってバスターミナルへ行って驚いた次第。 近くでお結びとちょっとしたおかずを買い込んでバスに乗った。  総勢6人くらいの乗員で、およそ一時間半で、佐原に着いた。

バスを降りて目に入ったJRの佐原駅は、入り口に「佐原」と染め抜いた紺の暖簾がかかっていて、周りは白木の格子と言うユニークな感じの駅舎だった。 駅の前に案内所があったので、そこでトイレをお借りしながら様子を伺った。 係りの女性がお茶を出してくださり、訪れた近所の女性がご自分が作った揚げ煎餅をご馳走してくれた。

佐原は日本ではじめて地図を作った伊能忠敬が九十九里で生まれ佐原村に養子に来たという。 その伊能家は当時米の売買、酒造りなどを営む大きな商家だった由だ。  お友達がゴーヒーが飲みたいと言って、私が選んだ家は古い風情のある喫茶店で伊能という表札がでていて、親戚関係のような話だった。

その後お友達がどうしても河下りをしたいと言うので、付き合わざるを得なかった。 この料金も200円引きの1300円でいいよ、という事で、大原女のような着物と菅笠をかぶった遠目には早乙女のようで、近ずいてみたらまるでお婆さんの女性に案内されて、これもまた、おじいさんの船頭さんのモーターつきの和船に乗って、30分くらいの河下りを楽しんだ。 船の上から見上げる街並みは百年以上前に建てられた、商家や蔵なども見えて、船頭さんの説明に佐原が川越と同じように小江戸と呼ばれることが納得できた。

帰りのバスも乗客は5人ほどで、運転席の後ろに座ったら、運転手さんが話し掛けてきて、昨日は満席だったそうだ。 浦安を過ぎた辺りから、前方の窓に稲光が見えてそのうち、大粒の雨が叩きつけるように振り出し、俄かに大雨になり、バスの到着時間が道路混雑のため、遅れそうになって、運転手が会社と連絡をとっていたが相手に通じず「お客さん、上を行きますか、それとも下にしますか、決めてください」と言う。
 
今日ふれあった方達は皆優しく暖かい方達で、少し疲れたけれど、楽しい一日だった。

2008年10月25日土曜日

明け方近く亡夫の夢を見た

秋になると殊更亡夫のことを思い出す事が多い。 初めて会ったのも、結婚したのも秋だから・・・? それに今年は結婚してから、50年になる・・・・若し夫が在世していたら・・・・。

ところで、その夢は、(珍しくはっきり覚えている)妙なことに、幼馴染の少しは結婚を意識した方の家でその奥様と三人で親しく話をしていたら「ふさ子ちゃん、旦那の事見てきたほうがいいよ」と幼友達が、以前私をそう呼んでいた呼び方で言ったので「そうね、そうするわ」と私は隣の自分の家へ戻り(夢の中では隣だった)、部屋を覗くと、大勢の人人の中で楽しそうに、忙しそうにしている夫を見て、声も掛けられず、又隣の家に戻って「なんか、私のこと気にもしなかったわよ」と言い「そんなら、仕方がないね」と話したところで目がさめた。
なぜ、話かけてくれなかったのかしら? 目が醒めてしばらく考えてみた。 話し掛けたら呼んでしまうことになるからかしら? などとも考えてみた。 

時々、夫が海外出張先から送ってくれた手紙の束を開いて読んでみる。 ロンドン、スコットランド、コペンハーゲンからのもの、ニューヨークにの覧会の時のもの。オーストラリア、ニュージーランドからのもの・・・。
1960~1961年の英国出張先からのものは、ペンの色もだんだんあせてきている。 それらの手紙の束は大きな文箱一杯で、整理しようと思ったけれどそのまま、時々つまみ出しては読み耽ったりする。 出張先での色々な思いがそれなりに伝わってくる。 その当時通じにくかった事で、今なら理解出来ることもある。 若しかして、そんな手紙の束が身近にある事は幸せなのかもしれない。

2008年10月22日水曜日

お久しぶり!

二年くらい前に大倉山にお引越しされたお友達からお電話があり、是非お昼を一緒にしませんか、とお家にお誘いいただいた。 以前、一回お招きいただいたことがあって、今度はこちらにご招待をと思っていたけれど、お言葉に甘えて、御近所の以前、副会長としてご一緒に自治会活動をしていたTさんとお伺いした。

大倉山辺りは山(大倉山)があったりして田園調布からほんの10分くらいの所なのに、都心のマンションと違って周りはのんびりした感じだし、玄関も可也広く、畳一畳くらいあり、トイレも二つあってバスルームにも窓があり、可也住み良さそうだった。 これで二回目の訪問だったけれど、改めてマンシヨン暮らしもいいな~と改めて思った。 ただ、二年間そこに住んでいらっしゃるお友達は、私が同行したお友達と同じく、無類の植物、というかお花好きで、久が原に御住みのころ、お庭には一杯お花を育てていらっしゃったけれどマンションのベランダでは植物を育てるのが可也難しく、枯れたり、消えてしまったりして、悲しいと仰っていた。 

家具とかお皿などは倉庫に入れていて、必要に応じて連絡して持って来ていただくということで、やはり一戸建ての家からマンションに移るとメンドウなこともありそう。 お友達は「最近お一人暮らしの犯罪が多いので、伊藤さんお気をつけてね! その点マンションは管理人はいるし、4階なので、そういう心配はないのよ」と仰る。
 
お手ずくりの昼食を頂きながら、最近の御近所の話、自治会の話、ご家族の話で切れ目もなく、気が付いたら5時近くなっていて、慌てておいとまをする。 又近,じかお会いしましょうねと別れをおしみながら・・・・。

2008年10月20日月曜日

捨てる?・・・って、難しい

ジムのヨガ教室でご一緒のお友達が、まだ30代だと思われるのに、既に老後のことを考えて、その方面にトテモくわしい。 少し前、妹のお友達のご主人の事で色々伺ったら、積極的なご意見を仰って下さった。

先日ロッカーで二人っきりだったので、少し話を向けてみたら、何しろ不必要と思われるものは、今の内に捨てるべきだ、と強く仰る。  私は今のところ、まだ施設に入る気はないけれど、確かに家の中に普段使わないものが沢山ある。 洋服なども夏・冬入れ替えの時に少しは捨てるけれど、殆どはそのまましまって、ダンボール箱で五つはある。 

何から捨てたらいいか? 寝ながら考えた、夫の遺したものも、まだ捨てられないでいるものもある。 以前海外公演で撮った数多くの写真。 プログラム、ポスター類。 先日恐る恐る、箱を開けて見たら1957年からのパスポート、が何枚も入っていた。 私のものも三通あった。 思い切ってそれらは破いて捨てた。  海外公演のプログラムなどは、東宝で資料として使わないかしら? 一体どういう積りでそれらを引越しの時に捨てて来なかったのかしら? 私には子がないので子孫が見る事はないだろう。 残った人達が困るに違いない。 

私の日記帳は思い切って6冊捨てた。  読み返しながら、私がいなくなった時、妹達がそれを見るだろうか? そして「お姉さまはお父様やお母様のことでケッコウ大変だったのね~」と話すだろうか? 今捨てるのを迷っているのは、夫と私のゴルフセット、いずれも海外出張の時夫が勇んで?買って来たものだった。 今はどんな高かったものでも全部変わっている。 揃えて区の大ごみで捨てるしかない。 そうすればその場所に色々入れることが出来るだろう。 さあ、決心しなければ!

捨てる・・・?って難しい・・・。

2008年10月17日金曜日

大田区長寿健康診断の結果?

10月6日に受けた健康診断の結果をようやく聞きに行った。 
年に一度無料の健康診断を区で行ってくれる事になっている。 改めて「長寿」とあったのを見て「アア、そうか?」と思った。

10月は、毎年検査をする月と考えている。先日大腸検査を受けて、相変わらず腫瘍がある(良性ではあるが)区の診断の結果を聞きに行くのを一日延ばしにしていたが、いよいよ、血圧の薬がなくなってきた。 今日はどうしても・・・。
今朝はさわやかなお天気だったので、医院に入ったら先?患者が4人もいらっした。 お一人は以前プールでご一緒した86歳の方で、どこも悪い所がない、と仰る。 羨ましい事!  こわごわと診療室に入った。 「伊藤さんは乳がんにかかった事はないですよね?」と、私は慌てて「子宮癌になったことはあります」と言って、何てバカなことを・・・・。「いいえ、子宮筋腫で摘出しました」と応えた。 

調査用紙を御覧になりながら、先生は「血圧がたかいだけです」と言われた。 コレステロール値、気にしていた血糖値も正常。尿の潜血もすべてが基準値より下。 家に帰ってゆっくりを見直してみた。 すべてOK。 昨年より改良されていた。ジムで運動をしている所為?  核酸を飲んでいるから? とりあえず大安心!  ただ、少しスリムになる様に心がけなければ・・・。

昨日、ジムのロッカーで以前老人施設の話をして下さった30代?のかたと二人っきりになって、彼女の話しによると
もう、老後施設の入る事の用意をしているという。 先日も入居される方の荷物を整理してあげた、とか。 何しろものを少なくする事です。 と仰る。 その通りだけれど、中中モノは捨てられない。 

2008年10月15日水曜日

人間関係

三ヶ月くらい前、私の属しているジムに新しい方が入会なさり、その方が可也自己主張の強い方で、スタジオの空気が何となく穏やかではない。 私よりずい分長く会員になっていらっしゃる方が、私にその方のことを「皆、彼女が自慢話ばかりしていて、周りの人がいやがっている」と仰り、その方は「あの方は皆にきらわれている」と仰る。
私はどちらも、どちらと思うけれど後から入会なさった方はそれなりの遠慮があっていいのに~・・・と思うし、どちらかの味方をすれば、私に反って来ては困るので、適当に応えている。 

実は後から入会なさった方は私の家の近所で、一度無理やりお家に招き入れられて、ご自慢話ばかりで、私も少し辟易していた。 電話番号を交換したり、私に抱きついて親密さを表したり、私も特にその方と親交を持ちたいとは思っていないけれど、ジムでは仲良くお話をしたいとは思っている。 どうも、私は個性の強い方に好かれる傾向がある。 以前にも可也派手めの方が「このジムでお話するのはふさ子さんだけです!」などと宣言されて少しお付き合いした方があった。 あと二人、皆に敬遠されている方方とも私は分け隔てなくお話だけはするつもり。

最初ジムに通うようになったころ、ジムの中の方たちとは、その中で世間話をしたり、その場限りにしよう、と思っていたが、若い三人の方たちとは話が合って、グルメ友達として、時々ご一緒に食事に行ったりしている。 その方たちとは、中の方方の批判めいた話は絶対にしない。 もう一組、家にお呼びして夕食をご一緒した方方もあるが、
その二人とも明るく笑ってばかりのお友達で、時々スタジオでご一緒にサイクリングをしながら楽しい話をする。

道場あらし、のようなその方が今後回りに嫌われて来られないようになるのもお気の毒だけれど、二人とも私にこぼし話や悪口を仰らないで下さいネ。

2008年10月13日月曜日

年を重ねるということは・・・・

先週の金曜日の書道の時、私はうっかりしてジムに行ってしまって、書道教室の日だと言う事に気が付いて、クラブへ取って返したのだけれど、先生ともう一人年下の方だけだった。 私より少し年上の方がすっかり落ち込んで、来られないという話を聞いて、私は昨日力ずけと様子を見におかずを持ってたずねてみた。 

宮沢賢治じゃないけれど、北に困った人が居れば・・・・というわけ。  お友達は案外お元気そうだったので、安心した。 先生ご自身も、二年前鬱症状になって、レッスンの後何度となくお話を聞いてあげ、更に夜にも1時間も繰り返し同じことを言われ、原因を突き止めてあげて、回復なさったと私は自負しているのだけれど、その先生にお友達は30分も電話でこぼされたとか・・・。 二階にご長男のご家族が住んでいらっしゃるのに、一日誰とも話す事がない・・・と。 私だって独り暮らしなのだから、一日誰とも話さない日もある。 そんな時は思い気つて、外へ出る。 今日もそうだったので、蒲田まで出かけた。 何時もと違う景色を見る、そして、簡単なものを求めた。 
今朝5時過ぎにトイレに起きた際、足指がしびれて、固まり、このまま歩けないのではないか?と思うほどで、靴下を履いて寝たら朝には良くなった。 だんだんこういうことも増えてくるだろう。 

夜になって、長いお付き合いの友人から電話があった。 もう、83歳になられる方なので、健康の不安は私以上。
先日転んで腰を打って痛みがとれず更に胸腺が大きくなってレントゲンで肺に黒い点があるそうで、もうダメかもしれない、と仰る。 「何でも下向くに考えてはいけないわ」と力ずける。 「大丸に行きたいから、頑張るわ!」と。 「もう直ぐお誕生日だから、ご一緒に美味しいものでも頂きましょうよ!」 力ずけるのは難しい。

2008年10月12日日曜日

十月十二・十三日はお会式

毎年十月十二日・十三日は池上本門寺のお会式で、今晩は沢山の’万燈’と呼ばれる美しい、竹で作られた大きな籠様なものに桜の花を模した白やピンクの花をつけたものを日本中の信者?が踊りながら担いで本門寺の階段を上って寺の中へ入る。(実は参道を通って階段を上っていくところまでしか見たことがないので、その後どうなるか、正確には知らない)古くからこの辺りに住む方から聞いた所によると、もし万燈に付いて上って行ったら、今日中には戻れない・・・と言うことだ。

そのさくらの花は弘法大師がこのお寺の辺りでなくなった後、季節外れの桜の花が咲いたので、それを偲んで花をつけているのだそうだ。 その万燈の中には色とりどりの提灯がつけてあり、出発地の町名などが書いてある。 

今夜は風の所為か’ドンドコ’という太鼓の音は聞こえてこない。 今ごろは、踊りながら練り歩いている真っ最中だろう。 この辺りの万燈も最後に加わるらしいのだけれどそれは真夜中近くになるらしい。 何時もは車が沢山通る道路のアチコチに夜店が沢山出ていて、それをひやかしながら歩くのも楽しいことだ。 池上警察もこの日は多分応援を頼んで、人ごみや車の整理に声を嗄らしていることだろう。
 
私も一緒に行く相手が見付かれば、大体一年おきに行って見る事にしている。 言い伝えによれば、この夜は必ず雨が降るという。 それに昔は、お会式にはコートを着るほど寒かった・・・と聞く。  今夜は連休ということもあって、さぞ人出が多いことだろう。

2008年10月11日土曜日

ようやく・・・・

10月8日の下の妹の長男夫妻に女の子が授かった。
早速翌日妹と病院を訪ねた。  池袋で甥と待ち合わせ東部東上線で和光市の先まで行きそこから車で5分くらいの所に慈恵会病院系のまるで外国のホテルのような立派な産院があって、入り口を入って沢山の赤ちゃん達が丸いガラス張りの中の小さなベッドにい横たわっているのを見て初めて産院だということが分かるほどで、エレベーターで上に上がると周りの景色も見渡すことができて、アチコチにある待合所の椅子なども可也立派で文字どおり外国のホテルのロビーに居るような感じだった。 

赤ちゃんは生まれたばかりで、それでも昔の赤ちゃんと違ってお鼻も高く、髪の毛もシッカリ生えていて、まるでもう見えるかのごとく時々目を開いて見せてくれた。 産んだばかりのママも元気で普通に話が出来て、下の甥の二番目の子が生まれたときも産院で感激したものだったが、ほんとに今のママ達は幸せだこと・・・・、と一度も産んだ経験のない私でもこんなステキナ処で産後を過ごせるのならもう一度生まれ変わって産んでみてものだ・・・などと無責任な事を思ったりした。 
 
命名のお手伝いをして、その連絡係で何日か少し気を使ったけれど、ようやく落ち着いて、明日から元の生活に戻り今日は今まで不義理をしていた御近所のお友達のお家三軒をお訪ねして歩き回り少し疲れた。

予報によると、ようやく明日は秋らしいさわやかな日が巡ってくるらしい。 夜の月も美しい事だろう。

2008年10月6日月曜日

明日は大腸検査

ゆったりした海外旅行の話はチョッとお休み。

今日は年に一回の無料で老人健康検査を受ける日で、偶然に別の医院で予約した大腸検査がその翌日に決まった。 自分で決めた事で仕方がないか?と半ば諦め半ばメンドウだから一緒に済ませたほうが・・・と思っていた。 私は見かけによらず?気が小さくて、その二つの検査のことを考えて、特に大腸検査は一日ではあるけれど、惨めな食事をしなければならない。 例年ハウス食品で出している検査食を利用していたのだけれど、まずいお粥、薄い味噌汁などの事を考えただけで気分が悪くなるので、今年から自分で作る事に決めた。

朝食はコーヒーとバターなしトースト、お昼はうどんに卵を入れたもの、夕食はお粥に鳥のささみを刻み込んだものと豆腐の味噌汁、と献立を決めた。 こんなもの、作る楽しみなんてあったもんじやない!  余り考えすぎた所為ばかりではないだろうが、今朝になって血圧が200以上に上がった。 計る度にだんだん高くなり血圧計では計れないほどになった。 「これは、やばい、かも?」 とりあえず予約時間の午前9時前に係りつけの医院に電話した。 「検査には異常ありませんよ」とのお返事。 訝りながら歩いて出かけた。 「血圧の数字は、書き入れないで下さい」とだけお願いした。 レントゲン、心電図、採血など無事に終った。  その後家に戻って血圧を計ったら、可也下がっていて安心した。

ところが、久しぶりで最近夫(従兄)を亡くした従姉から長~い電話が掛ってきた。 何時もご自分のことばかり、ご自慢話とこぼし話がおよそ1時間半。 お腹は減っているし、話を聞いているだけで疲れて又血圧が上がりそう。
その電話が終って、ついでだから・・・・?最近、後継ぎのご長女を脳腫瘍で亡くされたお友達にお電話をした。
そのお友達はご自分が背骨の手術をなさり、ご主人が何年もご病気で入院後、今は施設に入れていらっしゃるので、お気の毒な感じ。 高額な老人施設に入っていらっしゃるのに、肺炎に罹っていた事が分からず、あわてて入院なさったところだ、ということだった。

次の電話はこわごわ出た。 その電話は以前この辺りに住んでいらっした方で、はじめてホッとした。 それは、
もう一人ご近所のお友達と遊びに来ないか?との嬉しいお誘いだった。

2008年10月5日日曜日

思い出の旅

土曜日の午前中の番組「旅サラダ」で歌手で女優の岩崎宏美さんが。大好きな都市プラハを訪れる、とういう番組を見た。  私も今から8年前ベルリンからポツダム、ライプチッヒ、マイセン、エルベ河を下ってドレスデンを訪れモルダブ河沿いのプラハへの旅をした。 この旅は同行者にも恵まれてトテモ有意義な旅だった。

まだ幼稚園に通っていたころ、私はキンダー・ブックという絵本にあったチェコソロバキアという未知の国に大した意味もなく憧れた記憶がある。 チェコは歴史的にいろいろ厳しい時代を過ごして来たと思うが、訪れてみて中世からの古い建物、玩具のような街並み、古いカレル橋は広くて長く欄干にキリストの12使徒の像があり、更に、モルダブ河のクルージングで橋の下をくくりながら見られた事は最高の経験だった。 カレル城からの眺望もまた素晴らしかった。 プラハはご一緒したお友達のご子息が是非行って御覧なさい、とのお勧めに従って選んだ旅だったのだけれど、深く印象に留める都市だった。 又来週の放映を見るのが楽しみだ。

この旅とニースからパリへの旅が一番記憶に留めておきたいステキナ旅だったと思う。  
明日はこの南フランスの旅の話を書きます。

2008年10月4日土曜日

早くも選挙・・・?

何時も『選挙」が近いということが報じられると、或る宗教団体に属して活躍していられる女学校時代の友人から電話が掛ってくる。 そして一くさり同期のお友達の近況を話してくださる。 彼女は私が卒業した女学校の近く?に住んでいらっしゃるのと、クラス会にもマメに出ていらっしゃるので、可也の情報通とみた。

彼女の話しによると、昨年から今年にかけてお二人の方が亡くなられたと言う事だった。 お一人は乳がん、もう一方は薬局を経営していらっしたが、心臓か脳の病気で急死だったそうだ。 お二人ともよく覚えている。 乳がんで亡くなった方はトテモ綺麗なかただった。

私達の年齢にしては亡くなる方の数がそう多くはないと時々思っているけれど、もう80歳に近い年なのだから、亡くなる方が出るのも当然なこと。 死に方を選べないけれど、なるべく周りに迷惑を掛けないで逝きたいと思うのは誰しも同じだろう。 夜、友人の死を聞きと何となく今夜は滅入りそう。

選挙のことの話は申し訳ないけれど、何時も聞き流し。 妙に逆らうのも反ってヘンな感じなので・・・。