下の妹の二人の嫁たちがおせち料理を習いたいと言ってきたので、私は大喜びで引き受けた。
26日から27日まで妹の家に泊まりこみで、ごまめ、黒豆、キントン、昆布巻きを殆ど一日目に下ごしらえ、一部仕上げて、若いパワーに感謝! 翌日は黒豆を煮上げ宝ぶくろと金柑の甘煮も仕上げた。
やはり、一人で地味に仕上げるよりすいぶん時間も短縮されて、これで来年から「年末の御節料理つくりのノルマ」から開放されそう・・・・。
何しろ英里ちゃん里彩ちゃん姉妹と戯れながら作る御節の楽しかったこと。 一日目には英里チャンがお手伝いをしてくれて嬉しいような、困ったような~。 この子たちも直ぐ、本気でお手伝いを出来るようになるだろうな~と思うのは私も急速に老いていくことになるわけで、嬉しいような淋しいような・・・でも積極的に二人の妹の嫁たちが
喜んで習ってくれたのは、ホントに妹も幸せ者よね?
私は明日から来年の8日まで京都の妹宅で過ごします。 又楽しいことの待っている日々です。
2007年12月27日木曜日
2007年12月24日月曜日
クリスマス・イヴ
今夜はクリスマス・イヴで満月と言うことだ。 これは1961年?以来とのことだとか。 月明かりでサンタクロースも迷わず子供たちのところへ行ってくれるだろう。 私が子供時代には、モノもなく中中買ってもらうことも難しかったので、サンタクロースさんに頼んで、望みのものを手に入れるのがトテモ楽しみだった。
私が小学校高学年の頃、百人一首のカルタが欲しくて、それがクリスマスの朝、枕もとにあったときの嬉しさは今でも思い出す。 トテモ不思議に思いながら、それが手に入った時のよろこびは深く考えたり追求したりすることを超えた。 そのカルタを、妹が孫達のために貸してくれと言い、私は喜んであげた。
ところで、作日の鶏の残った肉をどうしよう?と考えた末、シェフ達がする「まかない料理」をしようと、気取ってみた。 そう言うより、今日は朝からお友達がお正月用の千両を届けてくださったり、作日のカタズケやら、京都行きの準備などで、買い物に行く時間がなくなってしまった結果による・・・。 骨から肉をとったらケッコウ量があった。 骨をダシに大根と人参を煮た。 取り去った肉はカップ2杯くらいもあったので、玉葱と生椎茸を炒めて少しのカレ―粉と塩、醤油を入れて味をつけあまりのご飯の上にのせて丼とした。 それに酢の物をつけて、ケッコウなまかない料理が完成! 凄く経済的な夕食、だけど考えようによっては淋しい夕食となった。
年末、浴室に温風つきのエア―コンをつけて、ガレージの照明が危険度を増していたのでそれを代えて、今年末は少々出費が増えたので、調整しなければ・・・来年には火災保険の支払いもあることだし・・・・などと、考えている他に頼る人のない私でした。
私が小学校高学年の頃、百人一首のカルタが欲しくて、それがクリスマスの朝、枕もとにあったときの嬉しさは今でも思い出す。 トテモ不思議に思いながら、それが手に入った時のよろこびは深く考えたり追求したりすることを超えた。 そのカルタを、妹が孫達のために貸してくれと言い、私は喜んであげた。
ところで、作日の鶏の残った肉をどうしよう?と考えた末、シェフ達がする「まかない料理」をしようと、気取ってみた。 そう言うより、今日は朝からお友達がお正月用の千両を届けてくださったり、作日のカタズケやら、京都行きの準備などで、買い物に行く時間がなくなってしまった結果による・・・。 骨から肉をとったらケッコウ量があった。 骨をダシに大根と人参を煮た。 取り去った肉はカップ2杯くらいもあったので、玉葱と生椎茸を炒めて少しのカレ―粉と塩、醤油を入れて味をつけあまりのご飯の上にのせて丼とした。 それに酢の物をつけて、ケッコウなまかない料理が完成! 凄く経済的な夕食、だけど考えようによっては淋しい夕食となった。
年末、浴室に温風つきのエア―コンをつけて、ガレージの照明が危険度を増していたのでそれを代えて、今年末は少々出費が増えたので、調整しなければ・・・来年には火災保険の支払いもあることだし・・・・などと、考えている他に頼る人のない私でした。
2007年12月23日日曜日
英里ちゃんと里彩ちゃんとのクリスマス
毎年何とはなしに鳥の丸焼きをクリスマス近くに焼く習慣になっている。
昨年は料理教室で実習した。 今年は英里ちゃん一家を招いて一緒にクリスマス料理をすることにした。 何時も英里ちゃんのママが美味しいイタリアン料理をご馳走してくださるので、今度は私がお招きして・・・と思った次第。
ところ英里のパパが夕方から仕事で出かけなければならなくなって、お昼に・・・ということになり、前日は妹と買い物に行く予定になっていたので、その日の夜に仕込みをした。
クリスマスの料理としてはクラムチャウダ―と鳥の丸焼き、中にスタッフィングをするのが私のやり方。 お腹が空いていた所為か、英里ちゃんも里彩ちゃんも一生懸命食べてくれてトテモ嬉しかった。 英里ちゃんはプレゼントとして、私の肖像画をその場で描いてくれた。 紫色が好きな私のために紫色の紙をママが用意してくれて、5歳にもならない子としてはトテモ、ドラマチックな画を忽ち画いてくれた。 私の宝物。
お隣の美しい トナカイとカラフルなイルミネィシオンを英里チャンたちに是非見てもらいたい・・・と言うのが私のもう一つの願い。 二人とも塀越しにしばらく楽しんでくれて、その後少し歩いた所のクリスマスのイルミネシヨンを見に行った。 里彩ちゃんもすっかり私になついてくれて、帰るとき車に乗ってから、私に手を振りながら泣きそうな顔をして別れを惜しんでくれたし、英里ちゃんも「お泊りしてもいい!」と言ってくれた。 嬉しいこと!
また直ぐ会えるよね?! お陰さまで楽しいクリスマスのイヴ、イヴが過ごせました。
昨年は料理教室で実習した。 今年は英里ちゃん一家を招いて一緒にクリスマス料理をすることにした。 何時も英里ちゃんのママが美味しいイタリアン料理をご馳走してくださるので、今度は私がお招きして・・・と思った次第。
ところ英里のパパが夕方から仕事で出かけなければならなくなって、お昼に・・・ということになり、前日は妹と買い物に行く予定になっていたので、その日の夜に仕込みをした。
クリスマスの料理としてはクラムチャウダ―と鳥の丸焼き、中にスタッフィングをするのが私のやり方。 お腹が空いていた所為か、英里ちゃんも里彩ちゃんも一生懸命食べてくれてトテモ嬉しかった。 英里ちゃんはプレゼントとして、私の肖像画をその場で描いてくれた。 紫色が好きな私のために紫色の紙をママが用意してくれて、5歳にもならない子としてはトテモ、ドラマチックな画を忽ち画いてくれた。 私の宝物。
お隣の美しい トナカイとカラフルなイルミネィシオンを英里チャンたちに是非見てもらいたい・・・と言うのが私のもう一つの願い。 二人とも塀越しにしばらく楽しんでくれて、その後少し歩いた所のクリスマスのイルミネシヨンを見に行った。 里彩ちゃんもすっかり私になついてくれて、帰るとき車に乗ってから、私に手を振りながら泣きそうな顔をして別れを惜しんでくれたし、英里ちゃんも「お泊りしてもいい!」と言ってくれた。 嬉しいこと!
また直ぐ会えるよね?! お陰さまで楽しいクリスマスのイヴ、イヴが過ごせました。
2007年12月19日水曜日
よかった! 良かった!
先週12日に京都の妹から電話があって、乳房から出血したので、近くのお医者さんでマンモグラフフィーをしたり細胞を検査に出した・・・という電話があった。 私は気をつけて応対しながらも固まってしまった。 適当なよい返事を返すことが出来なかった。 14日に上京してきた彼女に会いに、下の妹と富ヶ谷の彼女の家に行った。 慰めようも無く皆沈んでいて、下の妹だけが妙に喋って、携帯電話ばかりいじっていた。
上の妹は幼年にはよくひきつけとか起こしていたけれど、長じてからは余り重い病気に罹ったことも無く、下の妹や私のように手術の経験もなかったので、私達姉妹の中では元気印だった。 何しろここの所の一週間はテレビで妙に乳がんの番組が多く、若くして亡くなった女性が出版した本の紹介、更にNHKでも坂口靖子のドラマがあったらしかった。 妹は「もう年だからおっぱいなんかとってしまってもいいわ!」などとメチャクチャなことを言う。 今は初期だったら温存する手当てがあるわよ・・・などと言いながらもその不安な気持ちも理解できた。 下の妹も私も昼となく夜と無く色々考えて胃痛を起こしてしまった。 検査の結果を一日でも早く!・・・という事で上の妹は作日京都に帰り、今日の午後京都から電話があった。 私はよい結果報告は無いだろうと勝手に案じていた。
「大丈夫だったわ」と言われても直ぐには信じられないほど、これは多分大変なことになるだろう・・・と思っていた。 細胞の検査の結果も無事だった、という言葉を確かめて初めて「よかったわね!」と心から叫んだ。 何しろ私は彼女より7歳も上なので、やはり順序があるじゃない?・・・・と何時も思っているわけ。
こういう時はともかく神様とご仏壇にお礼を言いたい。 「お守りくださって有り難うございました」
上の妹は幼年にはよくひきつけとか起こしていたけれど、長じてからは余り重い病気に罹ったことも無く、下の妹や私のように手術の経験もなかったので、私達姉妹の中では元気印だった。 何しろここの所の一週間はテレビで妙に乳がんの番組が多く、若くして亡くなった女性が出版した本の紹介、更にNHKでも坂口靖子のドラマがあったらしかった。 妹は「もう年だからおっぱいなんかとってしまってもいいわ!」などとメチャクチャなことを言う。 今は初期だったら温存する手当てがあるわよ・・・などと言いながらもその不安な気持ちも理解できた。 下の妹も私も昼となく夜と無く色々考えて胃痛を起こしてしまった。 検査の結果を一日でも早く!・・・という事で上の妹は作日京都に帰り、今日の午後京都から電話があった。 私はよい結果報告は無いだろうと勝手に案じていた。
「大丈夫だったわ」と言われても直ぐには信じられないほど、これは多分大変なことになるだろう・・・と思っていた。 細胞の検査の結果も無事だった、という言葉を確かめて初めて「よかったわね!」と心から叫んだ。 何しろ私は彼女より7歳も上なので、やはり順序があるじゃない?・・・・と何時も思っているわけ。
こういう時はともかく神様とご仏壇にお礼を言いたい。 「お守りくださって有り難うございました」
2007年12月12日水曜日
久しぶりで・・・・
私がまだ25歳くらいからと記憶しているから50年以上のお付き合いをしていた友人が昨年5月ごろだったか、私が彼女を傷つけることを言ったからと言う理由で、お付き合いを止める・・・と少女のような理由で絶交状態になった。 私としては何を言ったか、又傷つける気もなく、私も過去に傷つく言葉を彼女から言われたこともあったけれど、ずい分ガマンしていて、側のお友達達は「あのわがままな方?」という名前で通じていた。
ところが、今年になって私の誕生日に「貴女とは長い付き合いだから、またお付き合いを・・・」ということをきっかけにお誕生祝いの食事を・・・とお誘いを受けた。 私には気持ちの通じる妹達やお友達も沢山あるので、彼女とのお付き合いがなくても、正直言って、困ったことは全く無かった。
そのお誘いを引き伸ばしにのばして、今日一年半ぶりでお会いすることになった。 彼女のご指摘で彼女のご近所の’RED LOBSTER’へジムを終えてから行った。 私より5歳上だからお会いした瞬間「やはり、年をとられたな~」と正直思った。 妹達が「そんな失礼なことを言う方とムリに付き合うこと無いわよ」と言い、ジムのお友達達もあきれ返っていた。 私はもう80歳を過ぎた方にもしものことがあった時、自分がそのことで後悔するのは嫌だから・・・・、と思った。
久しぶりでお会いすると何十年ものお付き合いが戻ってきて、話がつきなかった。 彼女はお詫び?の印か、私の好きな色のネグりジエを下さったので、当然私は今日の支払いをするつもりだったが、彼女は思いもかけず、お誕生祝いの小さなケーキを店に用意させて、定員さんの一人が写真を撮ってくれ、ハッピー・バースディを唄ってくれた。 私は過去彼女のお誕生日、特に喜寿のお祝いとかには、可也のプレゼントはしたものの、彼女はその中に口では言わないけれど、お詫びの言葉も含んでいたと思いたい。
ところが、今年になって私の誕生日に「貴女とは長い付き合いだから、またお付き合いを・・・」ということをきっかけにお誕生祝いの食事を・・・とお誘いを受けた。 私には気持ちの通じる妹達やお友達も沢山あるので、彼女とのお付き合いがなくても、正直言って、困ったことは全く無かった。
そのお誘いを引き伸ばしにのばして、今日一年半ぶりでお会いすることになった。 彼女のご指摘で彼女のご近所の’RED LOBSTER’へジムを終えてから行った。 私より5歳上だからお会いした瞬間「やはり、年をとられたな~」と正直思った。 妹達が「そんな失礼なことを言う方とムリに付き合うこと無いわよ」と言い、ジムのお友達達もあきれ返っていた。 私はもう80歳を過ぎた方にもしものことがあった時、自分がそのことで後悔するのは嫌だから・・・・、と思った。
久しぶりでお会いすると何十年ものお付き合いが戻ってきて、話がつきなかった。 彼女はお詫び?の印か、私の好きな色のネグりジエを下さったので、当然私は今日の支払いをするつもりだったが、彼女は思いもかけず、お誕生祝いの小さなケーキを店に用意させて、定員さんの一人が写真を撮ってくれ、ハッピー・バースディを唄ってくれた。 私は過去彼女のお誕生日、特に喜寿のお祝いとかには、可也のプレゼントはしたものの、彼女はその中に口では言わないけれど、お詫びの言葉も含んでいたと思いたい。
2007年12月7日金曜日
朝からバタバタ
何時も前の晩か朝起きてから、その日の自分の行動を決めてから行動することにしている。 今朝は近所の医院に行って薬をもらって・・・と思って9時半ごろ家を出て、医院の戸を開けたら、先客が三人いらっした。 その中の一人は余り会いたくない方だった。 以前から自治会にイチャモンをつけて、何年にもわたって会長、役員を困らせている・・・。私はさりげなく「お久しぶりネ~』と言って入った。 もう一人寶塚ファンの方もいらっしたので、三人で話すことになって、ホッとしたが、彼女は自治会のことに話を持っていきたくて、話をなさるので、私も思ったことを言った。 彼女のあとに私の番が来ても、席を立たないので、先生に「チョッと困った方がいらっしゃるので血圧が高いかも」と言ったら先生は「xxさんですか?」と言われて、私を二度診察室に呼び込んで下さった。
その後ジムに行くために家を出てしばらく歩いていたら、少し後をうつむきながら歩いて来る中学生がいた。 その感じが大変異常に見えたので、私も何度も振り返って見たら、その女の子は泣いているようだった。 一人ぼっちで歩きながら泣いているのがトテモ気になったので、立ち止まって振り返り「どうしたの? 誰かにいじめられたの?」と尋ねた。「いいえ」その子は私に近ずきながら、首を振った「どうしたの? 成績がよくなかったの?」丁度学期末だな、と思ってそう尋ねた。 「それもそうなんですけれど・・・お父さんが病気なんです」その子はそう言った。 私はその子がトテモ不憫に思えて、肩を抱いて「成績は今度ダメだったら、次に頑張ればいいじゃないの」「お父さんは一生懸命働いて、一生懸命生きていらっしゃるのだから、しっかりして・・貴女はお母さんはいらっしゃるの?」「ハイ、います」「ご兄弟は?」「います」「それじゃシッカリして、元気を出して!」私はそこでジムへ曲がる所へ来て、彼女も左へ曲がるらしかったので、もう一度肩をシッカリ抱きしめた。 「有り難うございます!」と言いながらその子は行った。
ジムのスタヂオに何時もより少し遅く入った。 金曜日は割りに空いている。 サイクリングを時々ご一緒するお友達が作日私がお教えした「大根もち」を昨夜作ったらよく出来てトテモ美味しかった」とおっしゃった。 よかった! 時々私は料理の献立や作り方の伝授をして喜ばれている。 今日は週に一,二回コーチとして指導に来ているインストラクターでアメリカでも勉強したと言う方が私の近くへ来て「男性でも作れるご飯の上に何か載せる料理はありませんか?」と尋ねてきた。 多分私がマシンに乗りながら料理の話をしているのを聞いていたのだろう。
「お袋の味というのが私の妻には出来なくって・・・」と話し掛けてきた。「例えば?」私は訊ねた。 「家の妻はお結びに塩をつけないんです」と言う「塩をつけるのは湿り気を防ぐためと持ちを良くする為につけるのだけれど・・・」私は少し理解に苦しんだ。 「余りお袋の味とかを奥様に仰らない方がいいわよ」と私。 そして、男にでも簡単に出来るハヤシ・ライスの作り方を教えた。 彼は二度も聞き返して「今日はそれを作る」と約束してくれた。
その後ジムに行くために家を出てしばらく歩いていたら、少し後をうつむきながら歩いて来る中学生がいた。 その感じが大変異常に見えたので、私も何度も振り返って見たら、その女の子は泣いているようだった。 一人ぼっちで歩きながら泣いているのがトテモ気になったので、立ち止まって振り返り「どうしたの? 誰かにいじめられたの?」と尋ねた。「いいえ」その子は私に近ずきながら、首を振った「どうしたの? 成績がよくなかったの?」丁度学期末だな、と思ってそう尋ねた。 「それもそうなんですけれど・・・お父さんが病気なんです」その子はそう言った。 私はその子がトテモ不憫に思えて、肩を抱いて「成績は今度ダメだったら、次に頑張ればいいじゃないの」「お父さんは一生懸命働いて、一生懸命生きていらっしゃるのだから、しっかりして・・貴女はお母さんはいらっしゃるの?」「ハイ、います」「ご兄弟は?」「います」「それじゃシッカリして、元気を出して!」私はそこでジムへ曲がる所へ来て、彼女も左へ曲がるらしかったので、もう一度肩をシッカリ抱きしめた。 「有り難うございます!」と言いながらその子は行った。
ジムのスタヂオに何時もより少し遅く入った。 金曜日は割りに空いている。 サイクリングを時々ご一緒するお友達が作日私がお教えした「大根もち」を昨夜作ったらよく出来てトテモ美味しかった」とおっしゃった。 よかった! 時々私は料理の献立や作り方の伝授をして喜ばれている。 今日は週に一,二回コーチとして指導に来ているインストラクターでアメリカでも勉強したと言う方が私の近くへ来て「男性でも作れるご飯の上に何か載せる料理はありませんか?」と尋ねてきた。 多分私がマシンに乗りながら料理の話をしているのを聞いていたのだろう。
「お袋の味というのが私の妻には出来なくって・・・」と話し掛けてきた。「例えば?」私は訊ねた。 「家の妻はお結びに塩をつけないんです」と言う「塩をつけるのは湿り気を防ぐためと持ちを良くする為につけるのだけれど・・・」私は少し理解に苦しんだ。 「余りお袋の味とかを奥様に仰らない方がいいわよ」と私。 そして、男にでも簡単に出来るハヤシ・ライスの作り方を教えた。 彼は二度も聞き返して「今日はそれを作る」と約束してくれた。
2007年12月3日月曜日
釜石製鉄所
今朝の朝日新聞の朝刊に近代製鉄150年というタイトルで ’釜石の鉄、火は消さぬ’という記事が出ていた。
もう直ぐ亡き父の命日。 父は戦後日本製鉄に復帰して八幡製鉄と富士製鉄に分離された時富士製鉄に行き、1950年台に釜石製鉄所の所長をしていた。 その頃は鉄全盛の時代だった。 溶鉱炉の火も赤々と燃えていた。 製鉄所の側に溶鉱炉の燃えカスの山が日に日に高くなっていた。
その後1970年に八幡製鉄所と富士製鉄所が合併して今の新日本製鉄所となったわけで、父は既に引退していた。
時々テレビなどで見る釜石は単なる漁港に戻って、聞くところによるとキノコを作っているらしい・・・と言う話を耳にした。 ところが今日の記事によれば、21世紀に入って、中国、印度などの新興経済国の発展に伴い鉄鋼が世界的な規模で伸び、釜石が作りつずけていた線鉄なるものがタイヤに埋め込む補強材として世界のタイヤメーカーに出荷するのだそうだ。
この記事による、官営八幡製鉄所が八幡に操業を開始したころ私達の母親の父、すなわち母方の祖父は、官営八幡製鉄所の経理部長をしていたと聞く。 そしてその記事によれば1934年に八幡や釜石の製鉄所を母体に日本製鉄が創立された・・・とある。
「お父様! 釜石つぶれてなくてよかったわネ!」 私は仏壇に向かって言った。
もう直ぐ亡き父の命日。 父は戦後日本製鉄に復帰して八幡製鉄と富士製鉄に分離された時富士製鉄に行き、1950年台に釜石製鉄所の所長をしていた。 その頃は鉄全盛の時代だった。 溶鉱炉の火も赤々と燃えていた。 製鉄所の側に溶鉱炉の燃えカスの山が日に日に高くなっていた。
その後1970年に八幡製鉄所と富士製鉄所が合併して今の新日本製鉄所となったわけで、父は既に引退していた。
時々テレビなどで見る釜石は単なる漁港に戻って、聞くところによるとキノコを作っているらしい・・・と言う話を耳にした。 ところが今日の記事によれば、21世紀に入って、中国、印度などの新興経済国の発展に伴い鉄鋼が世界的な規模で伸び、釜石が作りつずけていた線鉄なるものがタイヤに埋め込む補強材として世界のタイヤメーカーに出荷するのだそうだ。
この記事による、官営八幡製鉄所が八幡に操業を開始したころ私達の母親の父、すなわち母方の祖父は、官営八幡製鉄所の経理部長をしていたと聞く。 そしてその記事によれば1934年に八幡や釜石の製鉄所を母体に日本製鉄が創立された・・・とある。
「お父様! 釜石つぶれてなくてよかったわネ!」 私は仏壇に向かって言った。
2007年12月2日日曜日
やや遅い紅葉
暖かかった秋の初めから最近冷え込んできた所為か、ここ久が原辺りでも落ちそこなった桜の葉が美しい赤い色で残っていたり、紅葉の葉も申し訳なさそうにまだ散らないでいる。 わたしの家の小さな庭の紅葉も今年は大分大きくなって日光があたるようになって、まだらに色着き始めた。 この紅葉の木はいわくつきのもので白金~五反田~久が原と移ってきた。 何時頃まで散らないでいてくれるのかしら?
夜になるとフィギヤー・スケートに始まり、女子バレー、男子バレー、サッカーそして今夜は日本対韓国の野球試合があって、テレビから離れることが出来ない。 今ようやく2点勝ち越した! これに勝たないとオリンッピックに参加できないので、目をしばたきながら最後まで見ることになる。
そろそろ、年越しの大掃除をしなければならないが、ジムで話したところ大多数の方が「大掃除なんてしないわ」と仰る。 皆様普段から綺麗にカタズケていらっしゃるとはトテモ思えない。 私は一人でしなければならないので、先ず戸棚のカタズケ、カーテンを洗い、次は何をすべきか? 何しろ午前中はジムに行くので、中中はかどらない。
夜になるとフィギヤー・スケートに始まり、女子バレー、男子バレー、サッカーそして今夜は日本対韓国の野球試合があって、テレビから離れることが出来ない。 今ようやく2点勝ち越した! これに勝たないとオリンッピックに参加できないので、目をしばたきながら最後まで見ることになる。
そろそろ、年越しの大掃除をしなければならないが、ジムで話したところ大多数の方が「大掃除なんてしないわ」と仰る。 皆様普段から綺麗にカタズケていらっしゃるとはトテモ思えない。 私は一人でしなければならないので、先ず戸棚のカタズケ、カーテンを洗い、次は何をすべきか? 何しろ午前中はジムに行くので、中中はかどらない。
2007年11月27日火曜日
私の中での結論
それから何年か経って、三島氏が結婚なさるという記事が新聞、週刊誌に載った。 お相手の方は著名な画家のお嬢様でトテモ穏やかな方のように感じた。 週間新潮に出ていた三島氏のお嫁さんを選ぶ条件を見て私は驚いた。
親のこと、出身校、年齢、身長その他が、私とぴったりだった。 このことはまだその頃結婚していなかったが、私としては、少し気分のよいものだった。 今は、反対してくださったY氏はロンドンで亡くなり、三島氏の奥様もお若くして亡くなった。
私は自分の結婚を後悔しているわけではない。 ケッコウ面白い人生を共に生きたと思う。 ただ、もう10年は生きていて欲しかったかなあ~。 前般は越路吹雪さんが披露宴でお話なさったように「酒に強く、仕事に強く、女に強い?」亭主であり、後半は病のためか仏のようにおとなしい夫だった。 私は二つの人格を一人の夫で経験したことになる。 私の嘘のような本当のお話しは・・・・・これで終わり。
親のこと、出身校、年齢、身長その他が、私とぴったりだった。 このことはまだその頃結婚していなかったが、私としては、少し気分のよいものだった。 今は、反対してくださったY氏はロンドンで亡くなり、三島氏の奥様もお若くして亡くなった。
私は自分の結婚を後悔しているわけではない。 ケッコウ面白い人生を共に生きたと思う。 ただ、もう10年は生きていて欲しかったかなあ~。 前般は越路吹雪さんが披露宴でお話なさったように「酒に強く、仕事に強く、女に強い?」亭主であり、後半は病のためか仏のようにおとなしい夫だった。 私は二つの人格を一人の夫で経験したことになる。 私の嘘のような本当のお話しは・・・・・これで終わり。
2007年11月26日月曜日
紅葉がり?
親戚との約束事も一応終ったので、大分前から行くお約束をしていたお友達と高尾山にしようか長瀞にしようかと迷っていたが長瀞に決めて、10時に待ち合わせて池袋から今日は東上線で寄居まで行き、そこで秩父線に乗り換えて長瀞へ行く計画を立てた。 久しぶりで東上線に乗ったが西部線に比べて車両もその他の設備も可也劣っているのを感じた。 長瀞は以前車で行ったことはあったが電車で行くのは乗り換えも多くて可也大変だったが、レンラクがよく長瀞へ着いた。 そこから5分くらい歩いた所に隅田川?の上流と言われる川岸に着き、美しい紅葉を見ることが出来た。 長瀞は石畳が多くその石の大きさと言うか深さは大変なものだそうだ。
帰路は余りにも東上線がひどかったので西武線の沿線まで行き、そこから特急に乗り快適に池袋まで着くことが出来た。 その西部線の特急は以前秩父に芝桜を見に行った時と同じ駅だった。 パソコンで調べただけではやっぱり分かりにくいことがある。
― - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
ところで、三島氏の父上とのお話しの後だったか先だったか記憶は定かではないが、午後4時ごろ飼い犬を連れて一人で家を出て、右に曲がり小さい坂を降りようとした時、緑ヶ丘方面から犬を連れた近所では見かけない清潔な感じの方にすれ違おうとしたら、その犬が私の連れた犬に凄い勢いで吠え付いた。 その青年は「これ、これ!」とご自分の犬をたしなめた。 私は自分の犬を強く引っ張って逃げた。 そして数歩歩いて「あら、白いスピッツ!、若しかして三島さんだったのでは・・・・」と思ったが振り向かずに反対方向に急いだ。 今思ってもアレは三島さんだったし、その後その方はどちらの方に行かれたかも見定めなかった。
Yさまの奥様は依然として、三島さんをお勧めになり「先日、家で会をした時にお嬢様のこと申しましたら、彼は珍しくテレまくってソフアーから落ちてしまったのよ!」と私を持ち上げられる。 だからって・・・・? 母がお父上と電話でお話したことを言ったら、Y夫人は少し驚かれて「そんならお話が早いわね」と仰り、その後、お二階にいらっしたご主人にお話にいらっした。 そして、「主人がダメだ!」と言ってる、と仰り、その後降りてこられたご主人も私に「お止めになったほうがいい!」と強く繰り返されて、やや不機嫌にお家を出られた。 次号に・・・
帰路は余りにも東上線がひどかったので西武線の沿線まで行き、そこから特急に乗り快適に池袋まで着くことが出来た。 その西部線の特急は以前秩父に芝桜を見に行った時と同じ駅だった。 パソコンで調べただけではやっぱり分かりにくいことがある。
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ところで、三島氏の父上とのお話しの後だったか先だったか記憶は定かではないが、午後4時ごろ飼い犬を連れて一人で家を出て、右に曲がり小さい坂を降りようとした時、緑ヶ丘方面から犬を連れた近所では見かけない清潔な感じの方にすれ違おうとしたら、その犬が私の連れた犬に凄い勢いで吠え付いた。 その青年は「これ、これ!」とご自分の犬をたしなめた。 私は自分の犬を強く引っ張って逃げた。 そして数歩歩いて「あら、白いスピッツ!、若しかして三島さんだったのでは・・・・」と思ったが振り向かずに反対方向に急いだ。 今思ってもアレは三島さんだったし、その後その方はどちらの方に行かれたかも見定めなかった。
Yさまの奥様は依然として、三島さんをお勧めになり「先日、家で会をした時にお嬢様のこと申しましたら、彼は珍しくテレまくってソフアーから落ちてしまったのよ!」と私を持ち上げられる。 だからって・・・・? 母がお父上と電話でお話したことを言ったら、Y夫人は少し驚かれて「そんならお話が早いわね」と仰り、その後、お二階にいらっしたご主人にお話にいらっした。 そして、「主人がダメだ!」と言ってる、と仰り、その後降りてこられたご主人も私に「お止めになったほうがいい!」と強く繰り返されて、やや不機嫌にお家を出られた。 次号に・・・
2007年11月25日日曜日
昨日の続きと・・・・
連休で上京している姪夫妻が一緒に食事しない?と誘ってくれて、帰阪する前の時間を恵比寿の叙叙園に予約を取ってくれた。 以前何度か姪と行った事があったが休日には中中席が取れない。 何しろ夜景が美しい。 以前と内容は少し変わっていたけれど、品数も多く楽しめた。 地元なので私が支払うつもりだったのに、姪の夫がご馳走してくれた。 二人のふんわりっとした思いやりに癒される。
ところで、昨日の続き・・・Yさんの奥様は私にその時期三島氏の「美徳のよろめき」という書き下ろしの新刊をお貸しくださった。 裏表紙には美しい三島氏の自筆のサインがあった。 私は子供の頃から本が好きで、父の本棚にあった世界文学全集のほとんどを小学生時代から読み漁っていたが、日本の作家は私小説が多い様な気がして夏目漱石、有島武雄、島崎藤村などのものしか読んだことがなく、三島氏のもほはホントにはじめて読んだ。
その後処女作の「仮面の告白」も読んでみた。 文体というか雰囲気というかが、すんなり私の中に溶け込んで行きそうで少し親しみを感じた。 前に言ったように、三島氏のお家は私たちの住んでいた大岡山から坂を下って、又少し上る住宅地にあり、そこから又少し歩いた所に家ぐるみで親しくしていたお友達の家があったので、少し回り道をしてお家の前を通ることもあった。 少しお体の弱いお母様がよくお庭で日向ぼっこをしていらしたこと白いスピッツ(犬の種類)を飼っていらっした。
一方、気になっていたA紙の経済部にお勤めの方は推察ではあるが、大阪に住む方で彼に好意を持っ女性があるような感じがして、最後にその方に会いに行った時「私三島由紀夫さんと縁談があるの」と言ってしまった。「三島さんだったら、一生食べるのに困らないですよ」とその方は言った。 三島さんをダシにした何とも失礼なことだと、今は理解出来る。
その頃としては24,5歳を過ぎると・・・・という焦りもあって、今考えると、そんな非常識な!! と思うのだけれど、Yさんも中中お話が通じないし、ご主人に気を使っていらっしゃるご様子だったので、母が呉服屋さんに三島氏宅の電話番号を聞いて、直接お電話をした。 電話口で出られたのはお父上らしかった。 母は気を遣いながら話していた。 私の履歴と写真はお手元にあるらしく、自薦他薦で色々なお話しが・・・と仰っているようだった。
でも最後にY様のご紹介で・・・と言ったら、それでは喜んでお受けさせていただきます、とご丁寧に仰ったらしかった。 その続きはまた明日!
ところで、昨日の続き・・・Yさんの奥様は私にその時期三島氏の「美徳のよろめき」という書き下ろしの新刊をお貸しくださった。 裏表紙には美しい三島氏の自筆のサインがあった。 私は子供の頃から本が好きで、父の本棚にあった世界文学全集のほとんどを小学生時代から読み漁っていたが、日本の作家は私小説が多い様な気がして夏目漱石、有島武雄、島崎藤村などのものしか読んだことがなく、三島氏のもほはホントにはじめて読んだ。
その後処女作の「仮面の告白」も読んでみた。 文体というか雰囲気というかが、すんなり私の中に溶け込んで行きそうで少し親しみを感じた。 前に言ったように、三島氏のお家は私たちの住んでいた大岡山から坂を下って、又少し上る住宅地にあり、そこから又少し歩いた所に家ぐるみで親しくしていたお友達の家があったので、少し回り道をしてお家の前を通ることもあった。 少しお体の弱いお母様がよくお庭で日向ぼっこをしていらしたこと白いスピッツ(犬の種類)を飼っていらっした。
一方、気になっていたA紙の経済部にお勤めの方は推察ではあるが、大阪に住む方で彼に好意を持っ女性があるような感じがして、最後にその方に会いに行った時「私三島由紀夫さんと縁談があるの」と言ってしまった。「三島さんだったら、一生食べるのに困らないですよ」とその方は言った。 三島さんをダシにした何とも失礼なことだと、今は理解出来る。
その頃としては24,5歳を過ぎると・・・・という焦りもあって、今考えると、そんな非常識な!! と思うのだけれど、Yさんも中中お話が通じないし、ご主人に気を使っていらっしゃるご様子だったので、母が呉服屋さんに三島氏宅の電話番号を聞いて、直接お電話をした。 電話口で出られたのはお父上らしかった。 母は気を遣いながら話していた。 私の履歴と写真はお手元にあるらしく、自薦他薦で色々なお話しが・・・と仰っているようだった。
でも最後にY様のご紹介で・・・と言ったら、それでは喜んでお受けさせていただきます、とご丁寧に仰ったらしかった。 その続きはまた明日!
2007年11月24日土曜日
三島由紀夫氏のこと
今日ジムで時々会うボルジブの外交官の方と立ち話をしている中で、私は何時も外国人に強く勧めるのだけれど・・・彼は4年も日本に住んでいるのに名古屋にしか行ったことがないと言う。 京都の話をしたら、京都はGOLDEN TEMPLEとかいう本を読んだことがあるという。 その作家の名前は?・・・と言ったので「三島?」と尋ねたら「そうだ!」と応えた。 彼は4年間パリで大学に行き、その後外交官として2年仕事をしていたと言う。
三島氏の「金閣寺」はフランス語訳がある。
明日は三島由紀夫氏が自殺なさった日だと言う。 その日のことはよく覚えている。 五反田の家から久が原の家に来た時「お姉さま! 三島由紀夫が大変よ!」とたしか下の妹が言った。 嘘のような本当の話。
私がまだ24,5歳だった頃、三島さんの文士仲間のお一人だった方の奥様にトテモ可愛がって頂いて、10日に一ぺんくらいお宅を訪問してお話をしていた。 何方かジャーナリズムに携わる方を結婚相手として紹介していただきたいという下心があった。
そして或る日その奥様が「三島由紀夫さんはいかが? トテモいい坊ちゃんよ」と仰った。 偶然その頃三島さんは緑ヶ丘に住んでおられ、私は大岡山に住んでいて、歩いて10分くらいのところで、その頃、京都から来ていた呉服屋さんが三島さん(ご本名は平岡さん)に寄って次は私方に呉服を担いできていた。( その呉服屋さんにYさんも紹介していただいた)その呉服屋さんが私の履歴と写真を平岡家に届けてくれていて、彼の言によれば、文箱にお母様が収めれれました、と言うことだった。 その頃私は一目ぼれでA社の記者さんに夢中だった。 自分では運命の出会い、と思っていた。 ところがその方が結核に冒されて芦屋の病院に入院なさり、今のように東京から大阪まで8時間かかり、電話も直通ではなく一旦切って待つ状態だった。 今日はここまで・・・。疲れました。
三島氏の「金閣寺」はフランス語訳がある。
明日は三島由紀夫氏が自殺なさった日だと言う。 その日のことはよく覚えている。 五反田の家から久が原の家に来た時「お姉さま! 三島由紀夫が大変よ!」とたしか下の妹が言った。 嘘のような本当の話。
私がまだ24,5歳だった頃、三島さんの文士仲間のお一人だった方の奥様にトテモ可愛がって頂いて、10日に一ぺんくらいお宅を訪問してお話をしていた。 何方かジャーナリズムに携わる方を結婚相手として紹介していただきたいという下心があった。
そして或る日その奥様が「三島由紀夫さんはいかが? トテモいい坊ちゃんよ」と仰った。 偶然その頃三島さんは緑ヶ丘に住んでおられ、私は大岡山に住んでいて、歩いて10分くらいのところで、その頃、京都から来ていた呉服屋さんが三島さん(ご本名は平岡さん)に寄って次は私方に呉服を担いできていた。( その呉服屋さんにYさんも紹介していただいた)その呉服屋さんが私の履歴と写真を平岡家に届けてくれていて、彼の言によれば、文箱にお母様が収めれれました、と言うことだった。 その頃私は一目ぼれでA社の記者さんに夢中だった。 自分では運命の出会い、と思っていた。 ところがその方が結核に冒されて芦屋の病院に入院なさり、今のように東京から大阪まで8時間かかり、電話も直通ではなく一旦切って待つ状態だった。 今日はここまで・・・。疲れました。
2007年11月23日金曜日
オペレッタ「天国と地獄
京都の妹のお知り合いの娘さんが二期会に属していらっしゃり、昨年の「蝶々夫人」に続いて、今年は「天国と地獄」というオペレッタに出演なさるとかで、妹に頼まれて下の妹と待ち合わせて日生劇場に行った。
「天国と地獄」と言って頭に浮かぶのはオッフェンバックの曲で運動会などの徒競走でバックに必ず聞こえてくる曲が頭に浮かぶだけで、オペレッタとしての認識は全くなかった。 幕が開くと最初にヒロインが着物姿で出て来て先ず異様な感じがした。 演出の所為なのか? 衣装担当のファッションモデルだった故山口さよ子さんの意図なのか、まるで不明。 最後までこの意味合いがわからなかった。 総じてドタバタ劇というか、ドタバタオペレッタと言う感じ。 例の運動会の曲?との関係はどうなっているのだろう・・・?とロクにプログラムも見ないで、気にしていたが後半に親しみ深い「タ~ン、ターン、タ、タ、タ、タ、ターン、ターン、タ、タ、タ、タ、ターン、ターン、タ、タ、タ、タ。タ、タ、タ、タ、タ、タ、タッタ。 というメロディーが聞こえてきて妙に安心した。
最近のオペラはミュ―ジカルのマネで「ブロードウェイ方式」でアンコールの挨拶をするのが普通になって来た。
1度目のアンコールだけで席を立つのは無礼になるようだ。
自分達が支払ったわけではなかったが、オペラなどももっと安く一般に見られる(鑑賞する)ようになればいいのに・・・と妹と話した。
「天国と地獄」と言って頭に浮かぶのはオッフェンバックの曲で運動会などの徒競走でバックに必ず聞こえてくる曲が頭に浮かぶだけで、オペレッタとしての認識は全くなかった。 幕が開くと最初にヒロインが着物姿で出て来て先ず異様な感じがした。 演出の所為なのか? 衣装担当のファッションモデルだった故山口さよ子さんの意図なのか、まるで不明。 最後までこの意味合いがわからなかった。 総じてドタバタ劇というか、ドタバタオペレッタと言う感じ。 例の運動会の曲?との関係はどうなっているのだろう・・・?とロクにプログラムも見ないで、気にしていたが後半に親しみ深い「タ~ン、ターン、タ、タ、タ、タ、ターン、ターン、タ、タ、タ、タ、ターン、ターン、タ、タ、タ、タ。タ、タ、タ、タ、タ、タ、タッタ。 というメロディーが聞こえてきて妙に安心した。
最近のオペラはミュ―ジカルのマネで「ブロードウェイ方式」でアンコールの挨拶をするのが普通になって来た。
1度目のアンコールだけで席を立つのは無礼になるようだ。
自分達が支払ったわけではなかったが、オペラなどももっと安く一般に見られる(鑑賞する)ようになればいいのに・・・と妹と話した。
2007年11月21日水曜日
生活習慣病検診の結果
月曜日、生活習慣病検診の結果を伺いに行った。 行く前からドキドキしどうし、何とも気の小さいことよ! 順番が来る前に先生と奥様が話していらっしゃるのを気にしたり、名前を呼ばれても心臓が止まりそうな感じだった。
先生が結果報告の用紙に目を通されながら「一つ気になることがありますが、大したことではないのですが・・・」と仰り、気を遣いながら、「ホンのわずかなことですが、グルコースの価が少し高いので、糖尿になる怖れがあるので、今はそうではないですが・・・・、甘い物を控えて、少し体重を落としてください」と仰った。 家に戻って色々な結果を見てみたら、コレステロールも正常、HDLコレステロールも以前は善玉とは言え、可也価がたかかったのが75となり、中性脂肪も範囲内。 一番気になっていた心臓も今年は正常。 検尿も不思議なことに蛋白、潜血、糖いずれもマイナス。 これは務めて毎日ジムに通って運動をしている結果か? 御友達に勧めれて毎食後飲んでいる核酸のお陰なのか?いずれにしても嬉しいこと。 ただ、自己申告はしなかったけれど、脚のこわばりは気にはなる。
それでも作日は疲れた・・・と思いながらも、直ぐ元通りになれた。 この年にしては元気・・・と言う事かしら?今日の妹への電話で英里ちゃんの優しい言葉を聞いて、泪がこぼれそうになった。 二子玉で私だけが妹の家に一緒に行かないで車を降りて二子玉の駅まで歩いているのを車から見たからだろうか「大ばばは(私のことをそう呼んでいる)どうしてば~ばのところにこなかったの?」と聞き「皆一緒に住めば良いのに・・・」とママに言ったとか・・・。私が独りで淋しいだろうと思ってくれたのだろう。 その優しさと思いやりを失わないでね?
先生が結果報告の用紙に目を通されながら「一つ気になることがありますが、大したことではないのですが・・・」と仰り、気を遣いながら、「ホンのわずかなことですが、グルコースの価が少し高いので、糖尿になる怖れがあるので、今はそうではないですが・・・・、甘い物を控えて、少し体重を落としてください」と仰った。 家に戻って色々な結果を見てみたら、コレステロールも正常、HDLコレステロールも以前は善玉とは言え、可也価がたかかったのが75となり、中性脂肪も範囲内。 一番気になっていた心臓も今年は正常。 検尿も不思議なことに蛋白、潜血、糖いずれもマイナス。 これは務めて毎日ジムに通って運動をしている結果か? 御友達に勧めれて毎食後飲んでいる核酸のお陰なのか?いずれにしても嬉しいこと。 ただ、自己申告はしなかったけれど、脚のこわばりは気にはなる。
それでも作日は疲れた・・・と思いながらも、直ぐ元通りになれた。 この年にしては元気・・・と言う事かしら?今日の妹への電話で英里ちゃんの優しい言葉を聞いて、泪がこぼれそうになった。 二子玉で私だけが妹の家に一緒に行かないで車を降りて二子玉の駅まで歩いているのを車から見たからだろうか「大ばばは(私のことをそう呼んでいる)どうしてば~ばのところにこなかったの?」と聞き「皆一緒に住めば良いのに・・・」とママに言ったとか・・・。私が独りで淋しいだろうと思ってくれたのだろう。 その優しさと思いやりを失わないでね?
2007年11月20日火曜日
お台場あたりで・・・
たまプラーザの妹が日航のマイレージがたまったので、お昼をご馳走してくれると誘ってくれた。 お昼よりも、私は久しぶりで英里ちゃんと彩里ちゃんに会えるのが楽しみだった。 二人の子ずれなので車で行くと英里達のママが言ってくれて、二子玉の高島屋前辺りで待ち合わせた。 英里ちゃんは幼稚園の所謂’お試験に難関突破・・・で入園したところで「おめでとう!」と言ったが何のことだか余り分かってない様子だった。 次に彩里ちゃんが果たして私をちゃんと覚えているかどうか心配だったが、会った途端二人ともニコニコ声を揚げてくれて感動した。
途中少しの渋滞はあったものの、無事予約時間前にホテルに着いた。 彩里ちゃんが広いホテルが嬉しくて例のお尻をふりふり、アチコチと走り回って、少し前まではヨチヨチ歩きだったのに、成長の早さについていけない感じ。
バイキング形式の料理だったので代わり合って料理を取りに行ったが、英里ちゃんは自分の好みの物をキチンと摂る事が出来るようになって、これも成長だ。
食事が終った後、まだ太陽も照っているので、近くの観覧車に乗ろうと言う話になった。 車でホンの5分くらいのところで下はゲームセンターのようなかんじのビルだった。 高いところは少し躊躇があったけれど、人数的にも、又こんな機会でもなければ、観覧車などに乗ることもないだろうと、皆に従った。 王女様たちは下を眺めて歓声をあげ、英里ちゃんはその高さを理解出来るようだった。 以外にゆっくりと上り下りする物だと、そのうち怖さを忘れた。 その後ゲームセンターで少しお遊びをして、彩里ちゃんもケッコウ自分の好みのものを見つけては楽しんでいた。 トテモ楽しい時を持たせてくれて感謝! でも正直、少し疲れて家に雪崩れ込んだ。 年をとることは少し情けない感じ。
途中少しの渋滞はあったものの、無事予約時間前にホテルに着いた。 彩里ちゃんが広いホテルが嬉しくて例のお尻をふりふり、アチコチと走り回って、少し前まではヨチヨチ歩きだったのに、成長の早さについていけない感じ。
バイキング形式の料理だったので代わり合って料理を取りに行ったが、英里ちゃんは自分の好みの物をキチンと摂る事が出来るようになって、これも成長だ。
食事が終った後、まだ太陽も照っているので、近くの観覧車に乗ろうと言う話になった。 車でホンの5分くらいのところで下はゲームセンターのようなかんじのビルだった。 高いところは少し躊躇があったけれど、人数的にも、又こんな機会でもなければ、観覧車などに乗ることもないだろうと、皆に従った。 王女様たちは下を眺めて歓声をあげ、英里ちゃんはその高さを理解出来るようだった。 以外にゆっくりと上り下りする物だと、そのうち怖さを忘れた。 その後ゲームセンターで少しお遊びをして、彩里ちゃんもケッコウ自分の好みのものを見つけては楽しんでいた。 トテモ楽しい時を持たせてくれて感謝! でも正直、少し疲れて家に雪崩れ込んだ。 年をとることは少し情けない感じ。
2007年11月18日日曜日
励と英美のヴァオリン・デュオ
ニューヨークに住む夫の姪の子、励と英美のヴァイオリンコンサートがあるを言うのを昨年からトテモ楽しみに待っていた。
励のヴァイオリンは昨年聴いたし、英美も妹の家でホームコンサートをしてくれて、聴いたことがあったが、デュオはラジオでしか聴いたことがなかった。
甥が車で迎えに来てくれて、虎ノ門のJTアートホ―ルアフィ二オには開場より大分前に着いた。 入り口で30分以上も待つのも・・・ということで甥夫妻と楽屋まで二人を訪ねた。 二人ともまだ平服でくつろいでいたが長居しては・・・と又入り口で開演を待った。 そのうち京都から偶然上京していた妹とたまブラ―ザに住む下の妹夫妻が入ってきた。 丁度ホールの真ん中ほどに皆の座席を確保して、開演を待った。
最初に英美が次に励が出て来て演奏が始まった。 二人の息の合った演奏に周りは感激の様相だった。 励ちゃんがリードしているのだろうけれど、彼の包むような優しさと妹を起てようとする大きさを感じたし、英美も女性にしては厳しすぎるようなテックニックも立派にこなしていて、更に女性らしい細やかさも感じられた。
いずれも一般の聴衆には少し難しいいわば玄人ムキの楽曲だったが、最後の2曲のアンコールも実に見事な演奏だったと思う。 山田耕作?の’赤とんぼ’と’さくら’変奏曲は励ちゃんの編曲だったのだろうけれど? 優しい洒落た曲だった。
終った後も感激で辺りが熱くなっているような感じだった。 帰りがけ二人揃って入り口で立ってお客に挨拶をしてくれて、疲れているだろうに二人ともにこやかに挨拶を交わしていて、好感が持てた。
会場を出たが妹達とお茶を飲もうと近くのビルの喫茶店に入ったが、皆家に帰って食事するのもメンドウだと
思って、そのビルの3階の中華料理店に行った、セットメニューが平日の1/2だというので、4人で食事をしたがコレガ又思いも依らず美味しくて、感激!
風がトテモ冷たいようだったが、充実した日になった。
励のヴァイオリンは昨年聴いたし、英美も妹の家でホームコンサートをしてくれて、聴いたことがあったが、デュオはラジオでしか聴いたことがなかった。
甥が車で迎えに来てくれて、虎ノ門のJTアートホ―ルアフィ二オには開場より大分前に着いた。 入り口で30分以上も待つのも・・・ということで甥夫妻と楽屋まで二人を訪ねた。 二人ともまだ平服でくつろいでいたが長居しては・・・と又入り口で開演を待った。 そのうち京都から偶然上京していた妹とたまブラ―ザに住む下の妹夫妻が入ってきた。 丁度ホールの真ん中ほどに皆の座席を確保して、開演を待った。
最初に英美が次に励が出て来て演奏が始まった。 二人の息の合った演奏に周りは感激の様相だった。 励ちゃんがリードしているのだろうけれど、彼の包むような優しさと妹を起てようとする大きさを感じたし、英美も女性にしては厳しすぎるようなテックニックも立派にこなしていて、更に女性らしい細やかさも感じられた。
いずれも一般の聴衆には少し難しいいわば玄人ムキの楽曲だったが、最後の2曲のアンコールも実に見事な演奏だったと思う。 山田耕作?の’赤とんぼ’と’さくら’変奏曲は励ちゃんの編曲だったのだろうけれど? 優しい洒落た曲だった。
終った後も感激で辺りが熱くなっているような感じだった。 帰りがけ二人揃って入り口で立ってお客に挨拶をしてくれて、疲れているだろうに二人ともにこやかに挨拶を交わしていて、好感が持てた。
会場を出たが妹達とお茶を飲もうと近くのビルの喫茶店に入ったが、皆家に帰って食事するのもメンドウだと
思って、そのビルの3階の中華料理店に行った、セットメニューが平日の1/2だというので、4人で食事をしたがコレガ又思いも依らず美味しくて、感激!
風がトテモ冷たいようだったが、充実した日になった。
2007年11月16日金曜日
ようやく一段落
今日午前11時に兄弟4人最寄の不動産屋さんに集まって、私道の登記と妹と弟との土地の売買契約が無事終って一安心! 直接自分のことではないので、皆に連絡した証明書などの間違いがないかどうかで、朝からドキドキしてそれを治めるために安定剤をのんで出かけた。 とりあえずすべて無事に終ってホントに心からホッとした。
一昨晩も英語の生徒さんが10時過ぎまでいらっしたので、それから寝に着いたのは12時すぎてしまったし、昨夜も以前ご一緒にオリエント急行に乗る旅行をしたお友達からお電話があり、真夜中までお話が尽きず就寝したのは12時半過ぎてしまい、疲れが今朝まで残っていた。 そのお話の中で私の近況報告として、お料理教室を又始めた・・・と言ったら、彼女も是非参加させて欲しいと言われ、今生徒さんが3人なので、もう一人くらいは・・・と返事をした。 お料理にしても、英語にしてもこの年になって・・・という戸惑いも正直言って当初はあった。
だけど私たちの仲人である著名な黒田初子先生は85歳くらいまでお料理を教えていらっしゃたし、まだご要望がある限りは少しのおこずかい稼ぎにもなることだし、そのお友達の仰るように色々異なった環境の方方との交流も人生の肥やしになるのかもしれない。
今日で一先ず責任のある務めは終った。 やれやれである。
一昨晩も英語の生徒さんが10時過ぎまでいらっしたので、それから寝に着いたのは12時すぎてしまったし、昨夜も以前ご一緒にオリエント急行に乗る旅行をしたお友達からお電話があり、真夜中までお話が尽きず就寝したのは12時半過ぎてしまい、疲れが今朝まで残っていた。 そのお話の中で私の近況報告として、お料理教室を又始めた・・・と言ったら、彼女も是非参加させて欲しいと言われ、今生徒さんが3人なので、もう一人くらいは・・・と返事をした。 お料理にしても、英語にしてもこの年になって・・・という戸惑いも正直言って当初はあった。
だけど私たちの仲人である著名な黒田初子先生は85歳くらいまでお料理を教えていらっしゃたし、まだご要望がある限りは少しのおこずかい稼ぎにもなることだし、そのお友達の仰るように色々異なった環境の方方との交流も人生の肥やしになるのかもしれない。
今日で一先ず責任のある務めは終った。 やれやれである。
2007年11月11日日曜日
頭の交通整理
今日は英里ちゃんのパパのお誕生日と英里ちゃんの幼稚園のお試験の日だと理解している。
急に冷え込んできたので、誰もが風邪など引いてなければ良いな、と案じている。 一方、私は来週のおびただしい忙しさを自分なりに整理して行動しなければ・・・とカレンダーを見ながら、午前中は・・・?午後からは・・・?と頭に刻み込んでいる。 最近度忘れとも言い切れない’忘れ’が多くなって、自分だけの問題ならいいのだけれど人様にご迷惑をかけるといけないと思う。
月曜日は年に一度の生活習慣病の定期検査。 火曜日は妹の家に行ってパソコンの指導? 水曜日は午前中はジムに行って、午後は歯医者さん。 木曜日は午前中ヨガで午後は美容院、夕方から英語を教える。 金曜日は朝から兄弟集まって隣の貸屋のことと私道の登記、これが又大変、用意する書類を調えなければ・・・まだ印鑑証明を取ってない。 その翌日土曜日は若し行けたら午前中、健美操に行って午後からは料理教室。 そのための材料の買出しの時間がない! 困った、困った。
その翌日の日曜日はニューヨークから来ている夫の姪の子の兄妹の英美ちゃんたちのコンサート。
・・・というわけで、今日の午後久が原まで歩いて料理教室で使う材料で前以て買って置ける物を買出しに行った。
久が原まで歩いて行くと往復、買い物の時間も入れて1時間20分かかる。 キッチリ1時間は歩かなければならず、最近は自転車に乗れない自分を情けなく思う回数が多くなった。 自転車だったら簡単に用足しが出来るのになあ~と今更ながら、毎日そう思う。 そんなことを考えていたら、夕方から冷えも加わって血圧が上昇した。
急に冷え込んできたので、誰もが風邪など引いてなければ良いな、と案じている。 一方、私は来週のおびただしい忙しさを自分なりに整理して行動しなければ・・・とカレンダーを見ながら、午前中は・・・?午後からは・・・?と頭に刻み込んでいる。 最近度忘れとも言い切れない’忘れ’が多くなって、自分だけの問題ならいいのだけれど人様にご迷惑をかけるといけないと思う。
月曜日は年に一度の生活習慣病の定期検査。 火曜日は妹の家に行ってパソコンの指導? 水曜日は午前中はジムに行って、午後は歯医者さん。 木曜日は午前中ヨガで午後は美容院、夕方から英語を教える。 金曜日は朝から兄弟集まって隣の貸屋のことと私道の登記、これが又大変、用意する書類を調えなければ・・・まだ印鑑証明を取ってない。 その翌日土曜日は若し行けたら午前中、健美操に行って午後からは料理教室。 そのための材料の買出しの時間がない! 困った、困った。
その翌日の日曜日はニューヨークから来ている夫の姪の子の兄妹の英美ちゃんたちのコンサート。
・・・というわけで、今日の午後久が原まで歩いて料理教室で使う材料で前以て買って置ける物を買出しに行った。
久が原まで歩いて行くと往復、買い物の時間も入れて1時間20分かかる。 キッチリ1時間は歩かなければならず、最近は自転車に乗れない自分を情けなく思う回数が多くなった。 自転車だったら簡単に用足しが出来るのになあ~と今更ながら、毎日そう思う。 そんなことを考えていたら、夕方から冷えも加わって血圧が上昇した。
2007年11月10日土曜日
ジムでのいろいろ
土曜日は毎週「健美操」という身体のつぼを押えながら、可也難しい体型も取らなくてはいけないので、私にしてみれば可也ハードな部分もある。 そのスタジオで、何時も私の近くに場所をとるお友達が「伊藤さん、お年はお幾つですか?」と尋ねてきた。 特に隠している必要もないので「77歳よ」と応えた。 彼女は「70台の前ぱんでいらっしゃるかと思いました。 私も見習って頑張らなくちゃ」と多分60歳くらいの方が仰った。
その後スタヂオに行ったら、最近毎日のようにジムに来ているドイツ人の青年が私の側のマシンに来た。 先日から何となく挨拶はしていた。 マシンを一回りしたところで、以前土曜日には奥さんと一緒に来ていたアフリカの北の方の方で久が原に住み大使館に勤めている少し肌の色の濃い方が嬉しそうに挨拶をしてくれた。 私はここで又国際的社交性を発揮して二人が側に来た時、何となく二人を紹介した。( 二人とも何時も淋しげに友達も無く過ごしていたので・・・)そこで、三人で話すことになった。 ドイツ青年は日本語が話したいようで、アフリカの彼は元々はフランス語が母国語らしかったが、英語で、私もどちらかと言えば英語を話したかったので、三人で主に英語で話し合った。 二人の男性はそれをきっかけに、後でも話し合っていて、よかった!
スタジオから出て更衣室に行ったら、三階のスタジオも終ったところで、20代と30代の方方と一緒になった。
通路が狭く脱ぎ着をする方と着替えを持って外へ出る方と交錯してしまう。 私も着替え終わって、両側の20代と思われる方方のことを気にしていたらそのうちの一人が「早く通って頂いて、よろしいでしょうか?」と私には何とも通じにくい言葉が聞こえてきた。 私は「失礼します」と太目の身体をちじめながら、通り抜けた。 これって?
謙譲語? 丁寧語? 私には命令語に取れた。
その後スタヂオに行ったら、最近毎日のようにジムに来ているドイツ人の青年が私の側のマシンに来た。 先日から何となく挨拶はしていた。 マシンを一回りしたところで、以前土曜日には奥さんと一緒に来ていたアフリカの北の方の方で久が原に住み大使館に勤めている少し肌の色の濃い方が嬉しそうに挨拶をしてくれた。 私はここで又国際的社交性を発揮して二人が側に来た時、何となく二人を紹介した。( 二人とも何時も淋しげに友達も無く過ごしていたので・・・)そこで、三人で話すことになった。 ドイツ青年は日本語が話したいようで、アフリカの彼は元々はフランス語が母国語らしかったが、英語で、私もどちらかと言えば英語を話したかったので、三人で主に英語で話し合った。 二人の男性はそれをきっかけに、後でも話し合っていて、よかった!
スタジオから出て更衣室に行ったら、三階のスタジオも終ったところで、20代と30代の方方と一緒になった。
通路が狭く脱ぎ着をする方と着替えを持って外へ出る方と交錯してしまう。 私も着替え終わって、両側の20代と思われる方方のことを気にしていたらそのうちの一人が「早く通って頂いて、よろしいでしょうか?」と私には何とも通じにくい言葉が聞こえてきた。 私は「失礼します」と太目の身体をちじめながら、通り抜けた。 これって?
謙譲語? 丁寧語? 私には命令語に取れた。
2007年11月8日木曜日
私道
すいぶん長い間、このブログに書き込んでいませんでした。
隣の家の私道が亡母の名前で登記したままだったことと弟が土地の一部を妹に売るということで、ここのところ何だか落ち着かなくって、書き込みをする気がしませんでした。
ホントにお役所仕事というのは、書類とか証明書とかが多く必要で、ホンの少しの私道のことなのに、アチコチ駆けずり回らなければならないのです。 例えば、亡母の除籍謄本とか当事者の謄本、住民票、印鑑証明、それに相続時に作製した登記書などなど、私は本籍が千代田区なので、謄本をとる度に現金小為替なるものをとり、封筒に私の宛名と80円切手をはり、千代田区役所に請求するので、手間がかかります。
年をとると書類を見るのも面倒で、しかも私は隣に住んでいるので、すべて私が仕切るハメになるのです。
オマケに私は元々数字に弱いので、それも困ったものです。
それでも、今の所日曜、月曜を除くウイークディズは一生懸命ジム通いをしていますので、脚腰の痛みはうすれたようです。
隣の家の私道が亡母の名前で登記したままだったことと弟が土地の一部を妹に売るということで、ここのところ何だか落ち着かなくって、書き込みをする気がしませんでした。
ホントにお役所仕事というのは、書類とか証明書とかが多く必要で、ホンの少しの私道のことなのに、アチコチ駆けずり回らなければならないのです。 例えば、亡母の除籍謄本とか当事者の謄本、住民票、印鑑証明、それに相続時に作製した登記書などなど、私は本籍が千代田区なので、謄本をとる度に現金小為替なるものをとり、封筒に私の宛名と80円切手をはり、千代田区役所に請求するので、手間がかかります。
年をとると書類を見るのも面倒で、しかも私は隣に住んでいるので、すべて私が仕切るハメになるのです。
オマケに私は元々数字に弱いので、それも困ったものです。
それでも、今の所日曜、月曜を除くウイークディズは一生懸命ジム通いをしていますので、脚腰の痛みはうすれたようです。
2007年11月3日土曜日
オリエント急行
今晩のTBSのゴールデン・アワーに「世界不思議発見」という番組がある。 今晩のテーマ―は’オリエント急行’だと言うことで、バレーの韓国と日本の放送を気にしながら、チャンネルを換えた。
もう10年も前になるだろうか、’オリエント急行での旅’というJALの旅に妹を可也ムリに誘った。
成田空港からイタリアのフィレンチェに行きその後ローマ次にヴェニスと可也盛り沢山のスケジュールだったが、
オリエント急行に乗る・・・というのが可也魅力的だった気がする。
ヴェニスは海の中にあると理解していたが、今日の番組で了解した。 今覚えているのは、ベニスから列車に乗り込んだ。 一晩列車で過ごすということと、食事の時は正装で・・・というお達しだったので、手荷物を持って、今の私だったらトテモムリだ・・・と思われるほど、列車のステップは高く、手助けが必要だった。
番組で紹介していたように全部所謂コンパートメントになっていて、昼間は椅子席だけれど、夜にはベッドに変化するのは夜行列車と同じ。 当初魅力的だった山の景色もだんだん飽きてくる。 私達はツアーで行ったので、夕食時間も2組に分けられた。 番組で見たように、食事は見事なフランス料理でナイフ、フォークお皿にもオリエント急行のマークがついた立派なものだった。 特にデザートには感激した。 朝食は係りの車掌が丁寧に一人、一人に丁寧にサーブしてくれた。
ただ、乗り心地はよいとは言えない感じだった。 止まる時など、ガタンとゆれたり立っていられない感じ。 それに夜(妹が上のベッドに寝てくれたのだけれど、空調が悪く、上は暑く、小さな扇風機が合っても役に立たず、係りの男性に言っても、改良はされなかった。 結論として言えば「オリエント急行に乗った」と言うことが、今思うと可也意義のある、話題性のあることだった・・・と言う事か? ちなみに、今日の番組の回答者の内、オリエント特急の乗った経験のある方はただ一人だった。
もう10年も前になるだろうか、’オリエント急行での旅’というJALの旅に妹を可也ムリに誘った。
成田空港からイタリアのフィレンチェに行きその後ローマ次にヴェニスと可也盛り沢山のスケジュールだったが、
オリエント急行に乗る・・・というのが可也魅力的だった気がする。
ヴェニスは海の中にあると理解していたが、今日の番組で了解した。 今覚えているのは、ベニスから列車に乗り込んだ。 一晩列車で過ごすということと、食事の時は正装で・・・というお達しだったので、手荷物を持って、今の私だったらトテモムリだ・・・と思われるほど、列車のステップは高く、手助けが必要だった。
番組で紹介していたように全部所謂コンパートメントになっていて、昼間は椅子席だけれど、夜にはベッドに変化するのは夜行列車と同じ。 当初魅力的だった山の景色もだんだん飽きてくる。 私達はツアーで行ったので、夕食時間も2組に分けられた。 番組で見たように、食事は見事なフランス料理でナイフ、フォークお皿にもオリエント急行のマークがついた立派なものだった。 特にデザートには感激した。 朝食は係りの車掌が丁寧に一人、一人に丁寧にサーブしてくれた。
ただ、乗り心地はよいとは言えない感じだった。 止まる時など、ガタンとゆれたり立っていられない感じ。 それに夜(妹が上のベッドに寝てくれたのだけれど、空調が悪く、上は暑く、小さな扇風機が合っても役に立たず、係りの男性に言っても、改良はされなかった。 結論として言えば「オリエント急行に乗った」と言うことが、今思うと可也意義のある、話題性のあることだった・・・と言う事か? ちなみに、今日の番組の回答者の内、オリエント特急の乗った経験のある方はただ一人だった。
2007年10月31日水曜日
匂い松茸
今夕京都の妹宅から松茸が送ってきた。 丁度英語のレッスン中のところだったが、宅急便のお兄さんが声高らかに、「伊藤様に森田様から松茸が届きました」と言いながら入ってきた。 目立たないボール箱に入っていたので、そ知らぬ顔で玄関先に置いて、レッスンを続けた。 生徒さんが帰られてから箱を開けてみた、箱いっぱいに大小の松茸が入っていた。
今年は近所のスーパーマーケットでも松茸の陰さえ見たことが無かった。 義弟に感謝しながら一番魅力的な松茸料理の一つ、土瓶蒸しを作る事にした。 丁度昨夜の鯛の刺身を二切れ残してあったので、それにかまぼこ、新銀杏
を入れ、蒸し上がり際に水菜をいれ、広島産の松茸だったので匂いは少し劣った気がしたが、今年初めての秋の味と匂いを楽しんだ。 添えて入っていた酢橘もトテモさわやかだった。 昨年やはり京都から送っていただいた松茸は丁度姪夫妻と甥夫妻が訪ねてきたので、彼等のために土瓶蒸を作って上げて私は松茸ご飯を頂いただけだったのを思い出した。 そして彼等の嬉しそうだった様子を思い出した。
今夕は英語の生徒さんが持って来てくださったマグロで’葱ま’を作り、土瓶蒸しと大根葉の炒め煮。 明日松茸ご飯を作りましょう。
レッスン中に今日はもう一人ピン・ポンが鳴って、以前一緒に自治会の副会長をして今はシニアークラブに属しているらっしゃる方が見えた。 「お母様いらっしゃいます?」とその方は玄関口でインターホンに向かって仰った久しぶりのことだったので、多分私の声が若々しく?、私の娘が応対したと、その方は思われたに違いない。 気をよくして、私は玄関先で5分くらい彼女とお話した。 「しばらく会わなかったので、元気?」と言いながら彼女は最近突然引っ越して行った私のご近所の方の話をなさりたかったご様子。 「飛ぶ鳥後を濁していったのね?!」と言うのが周りの方方の飾りのない感想。 そして、皆私のコメントを聞きたがっていらっしゃるのかしら?
今年は近所のスーパーマーケットでも松茸の陰さえ見たことが無かった。 義弟に感謝しながら一番魅力的な松茸料理の一つ、土瓶蒸しを作る事にした。 丁度昨夜の鯛の刺身を二切れ残してあったので、それにかまぼこ、新銀杏
を入れ、蒸し上がり際に水菜をいれ、広島産の松茸だったので匂いは少し劣った気がしたが、今年初めての秋の味と匂いを楽しんだ。 添えて入っていた酢橘もトテモさわやかだった。 昨年やはり京都から送っていただいた松茸は丁度姪夫妻と甥夫妻が訪ねてきたので、彼等のために土瓶蒸を作って上げて私は松茸ご飯を頂いただけだったのを思い出した。 そして彼等の嬉しそうだった様子を思い出した。
今夕は英語の生徒さんが持って来てくださったマグロで’葱ま’を作り、土瓶蒸しと大根葉の炒め煮。 明日松茸ご飯を作りましょう。
レッスン中に今日はもう一人ピン・ポンが鳴って、以前一緒に自治会の副会長をして今はシニアークラブに属しているらっしゃる方が見えた。 「お母様いらっしゃいます?」とその方は玄関口でインターホンに向かって仰った久しぶりのことだったので、多分私の声が若々しく?、私の娘が応対したと、その方は思われたに違いない。 気をよくして、私は玄関先で5分くらい彼女とお話した。 「しばらく会わなかったので、元気?」と言いながら彼女は最近突然引っ越して行った私のご近所の方の話をなさりたかったご様子。 「飛ぶ鳥後を濁していったのね?!」と言うのが周りの方方の飾りのない感想。 そして、皆私のコメントを聞きたがっていらっしゃるのかしら?
2007年10月26日金曜日
見付かりました!
先日、10万円入ったフートーを何処へしまったか忘れた・・・とこのブログで訴えました。 あれから何日も、記憶に残っている場所を探し、探しつかれて、その内出てくるだろうと思ってはいたものの、頭のどこかに何時もひっかかっていた。 それこそ汗水たらして?貯めたお金だったのだから・・・。
先日何時もの易の先生に甥の引越しの日のことを尋ねたついでに、そのことを話してみた。 先生は「あるわよ!
東北かそれで無ければ北の方をゆっくり探して御覧なさい」と言うことで、今日で2日目。 東北と北は入れた覚えのある場所だったが、最初玄関の左の戸棚、右の下駄箱、その次は食器棚の辺り。 「フートウに入って、箱に入っているか、立てかけてある」というお話だった。
今夕、英語を教えた後、食事をすませ今まで見なかった食器棚を覗いて見た。 箱の中ということと、たてかける・・・に拘って、ふと食器をどけてみた。
あった! 白いフート―! 中に、これは私の勘違いだけれど、8万5千円。 そう言えば、その時のことをぼんやり思い出した。 考えすぎて違う所へ入れ替える物ではない・・・と言うのが私に残された教訓。 ご心配をかけました。 特別易に凝ってるわけではないけれど、10月中に恵方の南の方角へコスモスを見に行ったのも、よかったのかしら・・・?
ところで、昨日のブログに「明日は結婚記念日」と書いたのですけれど、それは明後日の間違いでした。 一人で祝っても詮無いもの・・・。
先日何時もの易の先生に甥の引越しの日のことを尋ねたついでに、そのことを話してみた。 先生は「あるわよ!
東北かそれで無ければ北の方をゆっくり探して御覧なさい」と言うことで、今日で2日目。 東北と北は入れた覚えのある場所だったが、最初玄関の左の戸棚、右の下駄箱、その次は食器棚の辺り。 「フートウに入って、箱に入っているか、立てかけてある」というお話だった。
今夕、英語を教えた後、食事をすませ今まで見なかった食器棚を覗いて見た。 箱の中ということと、たてかける・・・に拘って、ふと食器をどけてみた。
あった! 白いフート―! 中に、これは私の勘違いだけれど、8万5千円。 そう言えば、その時のことをぼんやり思い出した。 考えすぎて違う所へ入れ替える物ではない・・・と言うのが私に残された教訓。 ご心配をかけました。 特別易に凝ってるわけではないけれど、10月中に恵方の南の方角へコスモスを見に行ったのも、よかったのかしら・・・?
ところで、昨日のブログに「明日は結婚記念日」と書いたのですけれど、それは明後日の間違いでした。 一人で祝っても詮無いもの・・・。
2007年10月25日木曜日
今宵は満月
偶には、外へ出て、秋の夜空の満月を眺めてごらんなさい! 少し淋しげですけれどトテモ美しく老いも若きも、金もちも、貧しい人たちも同じように照らしてくれています。
以前、父が亡くなる前に母と病院へ行くために車の中から見た月のことを書いたことがある。 「多分今度はお父様ムリだと思う」と私は母に言った。 母は黙っていた。
今、思い出したのはまだ五反田の家にいた頃、亡夫が話してくれた戦前の話(そう言えば明日は結婚記念日だ)朝鮮(今は韓国)で彼の父親が三菱鉱業kkで(当時は日本領で夫の父は韓国にある鉱山の鉱山長をしていて、そのころのことなので、お手伝いさんが何人も居て、そのうちの1人が「坊ちゃん、日本でも同じ月が見られるのですか?」と尋ねた・・・と語っていた。 彼はその頃まだ中学生だったそうだ。
二階の窓から見える月を見ながら珍しく夫はセンチメンタルになっていた。 海外に出張で出かけていたとき「日本でも同じ月をふさ子も見ているのだなあ~」と仕事が苦しかった時に思った、などと部屋を暗くして、満月を見ながら話したことを思い出す。 満月は人間を優しくしたり、ロマンチックにしたり、するものらしい。 先ほども書いたが明日は結婚記念日なので、少々のお惚気をご勘弁!
もう一度月を見て二階に行きます。
以前、父が亡くなる前に母と病院へ行くために車の中から見た月のことを書いたことがある。 「多分今度はお父様ムリだと思う」と私は母に言った。 母は黙っていた。
今、思い出したのはまだ五反田の家にいた頃、亡夫が話してくれた戦前の話(そう言えば明日は結婚記念日だ)朝鮮(今は韓国)で彼の父親が三菱鉱業kkで(当時は日本領で夫の父は韓国にある鉱山の鉱山長をしていて、そのころのことなので、お手伝いさんが何人も居て、そのうちの1人が「坊ちゃん、日本でも同じ月が見られるのですか?」と尋ねた・・・と語っていた。 彼はその頃まだ中学生だったそうだ。
二階の窓から見える月を見ながら珍しく夫はセンチメンタルになっていた。 海外に出張で出かけていたとき「日本でも同じ月をふさ子も見ているのだなあ~」と仕事が苦しかった時に思った、などと部屋を暗くして、満月を見ながら話したことを思い出す。 満月は人間を優しくしたり、ロマンチックにしたり、するものらしい。 先ほども書いたが明日は結婚記念日なので、少々のお惚気をご勘弁!
もう一度月を見て二階に行きます。
2007年10月23日火曜日
本質的に男と女とどちらが優しい?
今日も朝から秋らしいよい天気。 午前中は何時もどおりジムに行き、一休みして、クラブに古新聞を持って行き、そのあと駅近くの歯科医院に行き、止せばいいのに、近くのスーパーマーケットに寄って、又止せばいいのに、安売りのキャノーラ・オイル野菜などを買って外へ出た。 それこそ、やっぱりカートを引いてくればよかった。 買いすぎた・・・と少し後悔しながら坂を上っていた。 突然中年の男性が声をかけてこられた「ご近所のようなので、お荷物、お家までお持ちします」と有無を言わせず私の二袋の買い物を持ってくださった。
「家のご近所って、どちら様ですか?」と私は尋ねた。 「青木です、堀さんの二軒先です」と仰った。 何度かお会いしてご挨拶をしたことがあるのを思い出した。 すいぶん前にNHKのヒット作品の一つ、「とんち教室」と言う番組の司会を長いこと勤められた「青木先生」のご子息だった。 無論彼は私のことをよくご存知で、家までの道々ご近所のご様子などを話しながら、少し回り道で、家まで持って来てくださった。
今までに買い物途中で、自転車に荷物を乗せてくださった女性は何人かあった気がする。 だけど、わざわさ車を止めて、乗せてくださったのは、殆ど男性の方が多かった。 女の方は大体軽く頭を下げて過ぎていかれる。 女の方が忙しいのか、メンドウなのか? そう言えば少し先の余りお付き合いのない綺麗な女性が二回ほど、彼女のベンツに乗せてくださったことがあったっけ?
最近の男性は優しすぎる、というむきがある。 昔の男性は優しくても表現が下手だったのではないかしら?
貴方は果たして男性と女性とどちらが優しいと思いますか?
「家のご近所って、どちら様ですか?」と私は尋ねた。 「青木です、堀さんの二軒先です」と仰った。 何度かお会いしてご挨拶をしたことがあるのを思い出した。 すいぶん前にNHKのヒット作品の一つ、「とんち教室」と言う番組の司会を長いこと勤められた「青木先生」のご子息だった。 無論彼は私のことをよくご存知で、家までの道々ご近所のご様子などを話しながら、少し回り道で、家まで持って来てくださった。
今までに買い物途中で、自転車に荷物を乗せてくださった女性は何人かあった気がする。 だけど、わざわさ車を止めて、乗せてくださったのは、殆ど男性の方が多かった。 女の方は大体軽く頭を下げて過ぎていかれる。 女の方が忙しいのか、メンドウなのか? そう言えば少し先の余りお付き合いのない綺麗な女性が二回ほど、彼女のベンツに乗せてくださったことがあったっけ?
最近の男性は優しすぎる、というむきがある。 昔の男性は優しくても表現が下手だったのではないかしら?
貴方は果たして男性と女性とどちらが優しいと思いますか?
2007年10月22日月曜日
折角の秋晴れなのに・・・
昨日も今日もようやく秋らしく晴れ上がった上天気なのに、昨夜下剤をのんでから、一晩中トイレ通い、今朝6時に再びビール瓶一本くらいの下剤を30分くらいかけて飲んでから、もっと回数が増えてきて、とうとう起きてしまった。 今朝は水気だけは摂っていいと言うことだったが、お茶くらいしか喉を通らない。
午後2時10前までに来てくれということだったが、少し早めに着いて、トテモ感じのいい若い看護士さんが、こまごまと説明しながら左手に血圧器、右手は点滴と言う具合。 血圧が少し高かった。 担当の女医さんがいらっしていよいよ大腸カメラが入る。 腹圧がかかって可也痛いというか重い感じ。 時間も可也長く感じた。 途中で先生が「伊藤さん、カメラを見てください」と仰り右下のカメラを見た。 私の大腸内が大きく見えた。 「1年前と変わってませんね』と仰った意味がよく理解できなかった。 「どうしましょうね?」先生は画面を止めてお聞きになった。 後でのお話では。去年と同じ大きさだから、入院してとるとしても2,3日は入院しなければなりません」私は「もう決心して来ましたから・・・」と言った。
結局、先生のお出しになった結論は「もう少し大きくなったり、形がくずれてくるまで様子を見ましょう」と言う。
内視鏡で取れるものだったら、折角決心をつけて来たのに・・・と私。 また来年同じ思いをしなければならない。
内視鏡が終って30分くらい残りのブドウ糖の点滴をすまして、その後カーテンのかげで日本茶と栗饅頭、大きなお煎餅、ジェリーが出た。 私は気取って?お茶と栗饅頭だけ頂いた。 大きな栗が入った可也上等な?ものだった。
何しろ早く家に帰りたかった。 お疲れ様! それに御気を使ってくださった皆様に感謝!
午後2時10前までに来てくれということだったが、少し早めに着いて、トテモ感じのいい若い看護士さんが、こまごまと説明しながら左手に血圧器、右手は点滴と言う具合。 血圧が少し高かった。 担当の女医さんがいらっしていよいよ大腸カメラが入る。 腹圧がかかって可也痛いというか重い感じ。 時間も可也長く感じた。 途中で先生が「伊藤さん、カメラを見てください」と仰り右下のカメラを見た。 私の大腸内が大きく見えた。 「1年前と変わってませんね』と仰った意味がよく理解できなかった。 「どうしましょうね?」先生は画面を止めてお聞きになった。 後でのお話では。去年と同じ大きさだから、入院してとるとしても2,3日は入院しなければなりません」私は「もう決心して来ましたから・・・」と言った。
結局、先生のお出しになった結論は「もう少し大きくなったり、形がくずれてくるまで様子を見ましょう」と言う。
内視鏡で取れるものだったら、折角決心をつけて来たのに・・・と私。 また来年同じ思いをしなければならない。
内視鏡が終って30分くらい残りのブドウ糖の点滴をすまして、その後カーテンのかげで日本茶と栗饅頭、大きなお煎餅、ジェリーが出た。 私は気取って?お茶と栗饅頭だけ頂いた。 大きな栗が入った可也上等な?ものだった。
何しろ早く家に帰りたかった。 お疲れ様! それに御気を使ってくださった皆様に感謝!
2007年10月21日日曜日
明日は検査
一年に一度は大腸の内視鏡検査を受けるように言われてから、一年半経ってしまった。 五月は連休があって、混みあうだろうと思い。 六月には私の喜寿の祝い、その後頭の怪我があり、又この夏はトテモ暑いのと出かけることが多くて、過ごしてしまい、とうとう嫌々ながら明日は覚悟の検査日になった。
お友達も何人か検査を受けた方があるが、私みたいに大騒ぎする方はないようだ・・・と自己反省をしながら、今日は朝から支給された検査食を頂く。 朝は日本風の御粥と味噌汁、お昼は中華風のおじやと澄まし汁、おやつはクッキーと粉末ジュース、夕食はコーンポタージュのみ、その後、午後9時に下剤の入った水を500ミリ飲み、明朝は大量の海水ようの水を飲む。 そのおじやのまずいこと、まずいこと、昨年の味わったまずさがまだ残って思い出す感じで、お腹が空いても食べたくない。 コーンスープだけがどうやら・・・という感じ。
そろそろ、9時になるので、下剤を飲まなければ・・・。
食事の支度をしないですむと言うことは、一日ずい分暇が多くなってしまう感じ。 買い物に行く必要もなければ、ご飯も炊くこともなく、ホントに所作がない。 手持ち無沙汰なのとやっぱり何か食べたくなりそうなので、そこら中掃除機をかけたり、カタズケをしたり、それでも時間つぶしが出来ず、折角の秋らしい青空なので、少し散歩をして戻ってきた所に、英里ちゃんから電話があった。 「私、何処に居るか分かる?」と聞いてきた。 多分たまプラーザの妹の家だと思ったら、その通り。 運動会の様子など、シッカリと話してくれた。 運動会では一等賞をとったとか・・・。 私が検査でパニクッて居ると思って、ママが掛けさせてくれた物と感激! ホントに会いたいな~と思うことしきり・・・。
お友達も何人か検査を受けた方があるが、私みたいに大騒ぎする方はないようだ・・・と自己反省をしながら、今日は朝から支給された検査食を頂く。 朝は日本風の御粥と味噌汁、お昼は中華風のおじやと澄まし汁、おやつはクッキーと粉末ジュース、夕食はコーンポタージュのみ、その後、午後9時に下剤の入った水を500ミリ飲み、明朝は大量の海水ようの水を飲む。 そのおじやのまずいこと、まずいこと、昨年の味わったまずさがまだ残って思い出す感じで、お腹が空いても食べたくない。 コーンスープだけがどうやら・・・という感じ。
そろそろ、9時になるので、下剤を飲まなければ・・・。
食事の支度をしないですむと言うことは、一日ずい分暇が多くなってしまう感じ。 買い物に行く必要もなければ、ご飯も炊くこともなく、ホントに所作がない。 手持ち無沙汰なのとやっぱり何か食べたくなりそうなので、そこら中掃除機をかけたり、カタズケをしたり、それでも時間つぶしが出来ず、折角の秋らしい青空なので、少し散歩をして戻ってきた所に、英里ちゃんから電話があった。 「私、何処に居るか分かる?」と聞いてきた。 多分たまプラーザの妹の家だと思ったら、その通り。 運動会の様子など、シッカリと話してくれた。 運動会では一等賞をとったとか・・・。 私が検査でパニクッて居ると思って、ママが掛けさせてくれた物と感激! ホントに会いたいな~と思うことしきり・・・。
2007年10月20日土曜日
晴れのち雨
作日、京都から妹が上京して来たので、三人姉妹で妹宅の近所のフレンチレストランで食事をしようと、中の妹が誘ってくれた。 家を出るとこは雲は多かったものの、とりあえずは晴れ上がっていた。
三人集まると姦しいということの例外ではなく、お昼を頂きながらもつまらないことでも笑いあった。 笑いは健康の素・・・というけれど、三人ともそれぞれの家では声を上げて笑い転げることは少ないのかもしれない。 特に私は独り暮らしだから・・・・。
妹の家の近くのフレンチレストランは私はこれで2回目。 シェフは先日会った時より若く見えた。 妹は夫とか娘達とも何度か訪れていて、すっかりお得意様、と言う感じで、シェエフはメニューにも気を使っていた。
前菜はシェリーグラスに生うに、人参のムースで冷たく冷やし微妙な味になっていた。 最初のお皿の鯛はさっぱりした味付けの物でホンの少し入っていたマツタケがトテモ香りがよく楽しめた。 メインのお肉のお皿は鹿肉で
今までになくやわらかくソースにマッチして美味だった。 久しぶりで美味しいフレンチを頂いた・・と下の妹も感激していた。 食事をとりながら昔の映画俳優の話になり、私より13も年下の妹はその年齢にしては、私年齢の俳優の名前をよく覚えていて、驚いた。 その中で 「慕情」の新聞記者を演じた男優の名前が思い出せなくて、3人であらゆるその時代の俳優の名を言ってみたが、誰も思い出せず、それでも年の功で・・・私が遂に思い出して、まんざらでもない・・と独りで悦にいった。 その名はウイリアム・ホールデン! 50年前はよく映画を見たものだった。
終って外に出たら可也の雨、とりあえず私が一番遠いわけで、NHKの建物の近くまで歩き、その後渋谷からJRで五反田駅に着く頃は可也の烈しい雨。 しかも池上警察署でバスを降りて家まで可也情けないほどの大雨! 折角新しい服と靴をはいた行ったのに~・・・でも美味しさは心に残っていた。
今日はようやく秋らしい天気!!
三人集まると姦しいということの例外ではなく、お昼を頂きながらもつまらないことでも笑いあった。 笑いは健康の素・・・というけれど、三人ともそれぞれの家では声を上げて笑い転げることは少ないのかもしれない。 特に私は独り暮らしだから・・・・。
妹の家の近くのフレンチレストランは私はこれで2回目。 シェフは先日会った時より若く見えた。 妹は夫とか娘達とも何度か訪れていて、すっかりお得意様、と言う感じで、シェエフはメニューにも気を使っていた。
前菜はシェリーグラスに生うに、人参のムースで冷たく冷やし微妙な味になっていた。 最初のお皿の鯛はさっぱりした味付けの物でホンの少し入っていたマツタケがトテモ香りがよく楽しめた。 メインのお肉のお皿は鹿肉で
今までになくやわらかくソースにマッチして美味だった。 久しぶりで美味しいフレンチを頂いた・・と下の妹も感激していた。 食事をとりながら昔の映画俳優の話になり、私より13も年下の妹はその年齢にしては、私年齢の俳優の名前をよく覚えていて、驚いた。 その中で 「慕情」の新聞記者を演じた男優の名前が思い出せなくて、3人であらゆるその時代の俳優の名を言ってみたが、誰も思い出せず、それでも年の功で・・・私が遂に思い出して、まんざらでもない・・と独りで悦にいった。 その名はウイリアム・ホールデン! 50年前はよく映画を見たものだった。
終って外に出たら可也の雨、とりあえず私が一番遠いわけで、NHKの建物の近くまで歩き、その後渋谷からJRで五反田駅に着く頃は可也の烈しい雨。 しかも池上警察署でバスを降りて家まで可也情けないほどの大雨! 折角新しい服と靴をはいた行ったのに~・・・でも美味しさは心に残っていた。
今日はようやく秋らしい天気!!
2007年10月17日水曜日
馬来田のコスモスの余談
昨夜、馬来田のことについてもう少し書こうと思っていたら、眠くなって途中で中止してしまった。
先ず、馬来田と書いて「うまくた」と読む。 言葉の由来は明らかではない。
木更津から久留里線で20分あまりのところにあり、特別な生産性がある町のようには見られなかった。 畑と少しの田んぼがあったがどうやって生計を立てているのだろうか? この辺りは落花生も栽培しているはずだけれど、収穫が終ってしまったのか、落花生畑も余り見なかった。 ちなみに馬来田駅の側の店でも落花生は外側の硬い皮を取っただけの物しか売っていなかった。 それに珍しかったのは白無花果が15個くらい入って200円くらいで売っていたが、お店の人は特に勧めなかった。 硬いから煮なければなりませんよ、と言っていた。 だだ根生姜が沢山入って100円なのは驚いた。 お米が自慢らしく「買っていったら」と勧められたが、途中で重さに耐えられなくなるだろうと思って二人とも求めなかった。
途中はす沼はアチコチに見られ花を栽培している温室もかなりあったが、他の畑は自家用に栽培していると見られる農作物しかないようだった。 それでも住んでる人たちが優しいのは生活が楽だからに違いない。 コスモス畑があったとしても、自然に生えた様な感じで、特に宣伝したり、入場料を取ったりしているわけではない。
それでも私たち都会に住んでいる人間は多分2、3日住んだら飽きてしまうだろう。
コスモスの花は福岡県生まれの亡き父の一番好きだった花。 清楚なそれでも群れになるとケッコウ迫力がある。
先ず、馬来田と書いて「うまくた」と読む。 言葉の由来は明らかではない。
木更津から久留里線で20分あまりのところにあり、特別な生産性がある町のようには見られなかった。 畑と少しの田んぼがあったがどうやって生計を立てているのだろうか? この辺りは落花生も栽培しているはずだけれど、収穫が終ってしまったのか、落花生畑も余り見なかった。 ちなみに馬来田駅の側の店でも落花生は外側の硬い皮を取っただけの物しか売っていなかった。 それに珍しかったのは白無花果が15個くらい入って200円くらいで売っていたが、お店の人は特に勧めなかった。 硬いから煮なければなりませんよ、と言っていた。 だだ根生姜が沢山入って100円なのは驚いた。 お米が自慢らしく「買っていったら」と勧められたが、途中で重さに耐えられなくなるだろうと思って二人とも求めなかった。
途中はす沼はアチコチに見られ花を栽培している温室もかなりあったが、他の畑は自家用に栽培していると見られる農作物しかないようだった。 それでも住んでる人たちが優しいのは生活が楽だからに違いない。 コスモス畑があったとしても、自然に生えた様な感じで、特に宣伝したり、入場料を取ったりしているわけではない。
それでも私たち都会に住んでいる人間は多分2、3日住んだら飽きてしまうだろう。
コスモスの花は福岡県生まれの亡き父の一番好きだった花。 清楚なそれでも群れになるとケッコウ迫力がある。
2007年10月15日月曜日
コスモスを求めて・・・
以前からコスモスの沢山咲いているのを見たい、と思っていた。 時々パソコンで調べてみたけれど可也遠い地域だった。 今朝もパソコンを開いてみたら千葉県にコスモスが咲き乱れているという地域を発見した。 実は、先日
何時もの易の先生に「今月中に南方向に行って、物を食べるとか、モノを買ってくるといいのだけれどね~」と言われていたのを思い出した。 そのときは南は海だ、と単純に考えていた。 若しかして、その辺りは家から南か?
急なことだったが、ご近所のお友達を誘ってみたら、喜んで行きたい!と仰って下さったので、朝少し遅めではあったが、天気もまあまだったので、急いで行き道を調べて出かけた。 蒲田から東京駅に行き、そこから総武線の特急で木更津まで行き、又そこで単線運転の「馬来田駅」というところを目指したわけだけれど、地域の高校生たちの群れと窓辺の田舎っぽさに感動してその駅を通り越してしまい、終点の久留里駅まで行ってしまった。 運転手さんも駅員さんもトテモ親切に「早くアノ電車にのりなさい!」と私たちが乗るのを待って出発。
馬来田駅ではボランティアと称する2人の初老の男性がいて、それは親切に色々相談に乗ってくれて「お昼頂く所がないかしら?」と尋ねたら、辺りの御蕎麦やとか食堂は時間外だと言って、駅側の物産展のような売店に連れて行ってくれて、そこのお寿司が意外とおいしいから、もしここで食べていくのなら駅舎にお茶があるので、飲んでください」と親切すぎるお話し。 もう午後2時半になってしまったので、お言葉に甘え駅でお弁当を頂いた。 そのお寿司が卵焼きで巻いた物、梅干し味のもので田舎っぽく、お米もよいらしくトテモ美味しかったし、周りの人の優しさに感動した。
コスモス畑に行く前に大分時間がたってしまったが、コスモスは疎水に沿って咲きみだれていて、すれ違う地域の人が、今年は台風にも会わずに最高ですよ、と話してくれた。 みな、すれ違いながら「今日わ!」と挨拶してくれて、コスモスの優しい美しさに地域の方方の情けが倍加した。
帰り道は馬来田駅のボランティアのアドバイスに従って、木更津から川崎までバスに乗ることにした。 海ほたるを通って川崎まで空き空きのバスで着いたものの、余りの川崎周辺の変化におのぼりさん状態というか、外国で放り出された人のように呆然! お友達が私の足を気ずかってアチコチ尋ねてくださり、ようやく五反田行きのバスを見つけた時は文字どおりホッ!とした。
何時もの易の先生に「今月中に南方向に行って、物を食べるとか、モノを買ってくるといいのだけれどね~」と言われていたのを思い出した。 そのときは南は海だ、と単純に考えていた。 若しかして、その辺りは家から南か?
急なことだったが、ご近所のお友達を誘ってみたら、喜んで行きたい!と仰って下さったので、朝少し遅めではあったが、天気もまあまだったので、急いで行き道を調べて出かけた。 蒲田から東京駅に行き、そこから総武線の特急で木更津まで行き、又そこで単線運転の「馬来田駅」というところを目指したわけだけれど、地域の高校生たちの群れと窓辺の田舎っぽさに感動してその駅を通り越してしまい、終点の久留里駅まで行ってしまった。 運転手さんも駅員さんもトテモ親切に「早くアノ電車にのりなさい!」と私たちが乗るのを待って出発。
馬来田駅ではボランティアと称する2人の初老の男性がいて、それは親切に色々相談に乗ってくれて「お昼頂く所がないかしら?」と尋ねたら、辺りの御蕎麦やとか食堂は時間外だと言って、駅側の物産展のような売店に連れて行ってくれて、そこのお寿司が意外とおいしいから、もしここで食べていくのなら駅舎にお茶があるので、飲んでください」と親切すぎるお話し。 もう午後2時半になってしまったので、お言葉に甘え駅でお弁当を頂いた。 そのお寿司が卵焼きで巻いた物、梅干し味のもので田舎っぽく、お米もよいらしくトテモ美味しかったし、周りの人の優しさに感動した。
コスモス畑に行く前に大分時間がたってしまったが、コスモスは疎水に沿って咲きみだれていて、すれ違う地域の人が、今年は台風にも会わずに最高ですよ、と話してくれた。 みな、すれ違いながら「今日わ!」と挨拶してくれて、コスモスの優しい美しさに地域の方方の情けが倍加した。
帰り道は馬来田駅のボランティアのアドバイスに従って、木更津から川崎までバスに乗ることにした。 海ほたるを通って川崎まで空き空きのバスで着いたものの、余りの川崎周辺の変化におのぼりさん状態というか、外国で放り出された人のように呆然! お友達が私の足を気ずかってアチコチ尋ねてくださり、ようやく五反田行きのバスを見つけた時は文字どおりホッ!とした。
2007年10月14日日曜日
人間の人生は・・・
今日、夕方のテレビ番組に私の好きな鳥越俊太郎氏がその娘さんと秋のマツタケを楽しむという旅行番組を見た。 彼は大腸癌が転移して肺がんを患っている。 聞けば、彼は癌と向かって闘う! 癌を見つめる!と言っている。 手術の後、二人の娘さんが両手を握っていてくれた、と嬉しそうに語ってもいる。 その番組の中で彼は「人間の人生は思い出だけなんですよ」と語っていた。 そして「僕は死ぬことは怖くはないが、遺される娘達が悲しむのを想像するのが苦しいのだ」と言い、娘さんは思わず涙ぐんでいた。 私も時々同じことを考える。 ある年齢になると知らず知らずに死を意識し、特に友人などの死に出会うと、その思いは強くなるだろうと思う。 死んでいく人より、残る人のほうが悲しいわけだ。
今日料理教室の終ったあと、二階の亡夫のデスクをカタズケ始めた。 何度も試みながら捨てるのを躊躇ってしまいまた元のところにもどしてしまう。 正に私の年になり、家族もない身としては、思い出で生きている部分が多いかもしれない。 整理していて、どうしても捨てられない物のなかに、夫のボロボロになった名刺入れがある。 その中には最後の職業の名刺、亡くなる少し前に交わしたと思われる名刺、それに驚いたと言う胸かキュン!としたのは彼の写真、私の写真、彼がイギリスへ行っていた頃送った覚えのある金沢で撮った母と私の写真が入っていたことだ。 徹底的なニヒリストだと思っていた夫の意外な部分を見た気がした。 思わず何年もたった今でも目頭が
熱くなった。 正しく、夫のことについては「思い出だけで生きている」そのもので、日に日に美化されていく。
今日料理教室の終ったあと、二階の亡夫のデスクをカタズケ始めた。 何度も試みながら捨てるのを躊躇ってしまいまた元のところにもどしてしまう。 正に私の年になり、家族もない身としては、思い出で生きている部分が多いかもしれない。 整理していて、どうしても捨てられない物のなかに、夫のボロボロになった名刺入れがある。 その中には最後の職業の名刺、亡くなる少し前に交わしたと思われる名刺、それに驚いたと言う胸かキュン!としたのは彼の写真、私の写真、彼がイギリスへ行っていた頃送った覚えのある金沢で撮った母と私の写真が入っていたことだ。 徹底的なニヒリストだと思っていた夫の意外な部分を見た気がした。 思わず何年もたった今でも目頭が
熱くなった。 正しく、夫のことについては「思い出だけで生きている」そのもので、日に日に美化されていく。
2007年10月12日金曜日
身体の疲れより・・・
何日か前のブログに書いたが、区から送付されていた老年の習慣生活病の受診表を昨年につずき、今年も紛失してしまって、余りみっともないから今年は有料で・・・と主治医の先生に言ったら「そんなこと気にすることないですよ、彼等の仕事なんだから、それに認知症の人が多いから、そんなの何人もいますから・・・、と仰り「伊藤さんが認知症というわけではないですよ」と付け加えられた。 二年もつずけて捨ててしまうのだから、認知症に近いかも・・・と付け加えたが、勇気?を出して区の保険調整係に電話した。 妙な所が気弱で、まるでオドオド悪いことをしているように事情を話したら、係りの女性は事も無げに一週間ほどしたら届くと思います、と言い、むしろ私の名前の英子と書いてふさ子と読みますのほうをいぶかっている感じだった。
これで一件落着! もう一件は入れどこを忘れた10万円のこと。 まあ、どこかにあるでしょう・・・どうせ銀行に入れたとしても利子もつかないわけだから・・・・と思って、しばらく忘れることにした。
それにしても、疲れた! 午前中お医者様に行って、その後書道教室に行っただけなのに・・・でも自治会事務所で最近引越しされた方のことで又一くさり,二くさり・・・これも疲れる話。 肉体的な疲れは直ぐ治るが、精神的なことは後を引く・・・。
これで一件落着! もう一件は入れどこを忘れた10万円のこと。 まあ、どこかにあるでしょう・・・どうせ銀行に入れたとしても利子もつかないわけだから・・・・と思って、しばらく忘れることにした。
それにしても、疲れた! 午前中お医者様に行って、その後書道教室に行っただけなのに・・・でも自治会事務所で最近引越しされた方のことで又一くさり,二くさり・・・これも疲れる話。 肉体的な疲れは直ぐ治るが、精神的なことは後を引く・・・。
2007年10月10日水曜日
甘えと甘えの体質について
私は長女の所為か甘えることが下手なような気がする。 幼児の頃は初めての子として、父親や祖母がトテモ可愛がってくれた記憶がある。 それは甘えなくても甘やかしてくれたわけで、幼稚園、小学校時代は2歳年下の弟が何時も側にいて私を頼っていたので、何とはなしにシッカリしなければ・・・と思っていた様な気がする。
今でもそれはちっとも変わっていない。
結婚してからも、当初から夫は海外出張が多く、1人で家を支えていなければならなかった。 6ヶ月間のイギリス出張の際も私は殆ど実家に泊まったことはなかった。 経済的にも夫に不自由させないように留守中貯めておいたお金は次回の彼の為に使う羽目になった。 子供がなかった所為と本来幸せなことに健康だったので、寝込んで甘えることもなかった。 若しかしてある意味可愛い女ではなかったのかもしれない。 亡夫は晩年健康を害していたので
べったり、私を頼っていて甘える余裕などコレッツポッチもなかった。
隣に住んでいた両親も年老いてからは私にすべてを頼っていた。 頼ると言うことは相手方に甘える余地を少しも与えないと言うわけで、特に私はそれを苦痛に思っていたわけではない。 親からの恩恵も、私の住む家、と言う形で夫とともに受けていたから・・・。
老年になったら(今正にそうなのだけれど・・・)少し甘え方を勉強した方がいいのかしら? でも、今はまだ私に甘えたい人がいる。 若しかして、私は甘えるより甘えられる方が心地いいと心ならずも思っているのかしら?
私のこのブログに偶にはコメントをいただけないでしょうか? ブログの下方に投稿の欄があると思います。
今でもそれはちっとも変わっていない。
結婚してからも、当初から夫は海外出張が多く、1人で家を支えていなければならなかった。 6ヶ月間のイギリス出張の際も私は殆ど実家に泊まったことはなかった。 経済的にも夫に不自由させないように留守中貯めておいたお金は次回の彼の為に使う羽目になった。 子供がなかった所為と本来幸せなことに健康だったので、寝込んで甘えることもなかった。 若しかしてある意味可愛い女ではなかったのかもしれない。 亡夫は晩年健康を害していたので
べったり、私を頼っていて甘える余裕などコレッツポッチもなかった。
隣に住んでいた両親も年老いてからは私にすべてを頼っていた。 頼ると言うことは相手方に甘える余地を少しも与えないと言うわけで、特に私はそれを苦痛に思っていたわけではない。 親からの恩恵も、私の住む家、と言う形で夫とともに受けていたから・・・。
老年になったら(今正にそうなのだけれど・・・)少し甘え方を勉強した方がいいのかしら? でも、今はまだ私に甘えたい人がいる。 若しかして、私は甘えるより甘えられる方が心地いいと心ならずも思っているのかしら?
私のこのブログに偶にはコメントをいただけないでしょうか? ブログの下方に投稿の欄があると思います。
2007年10月9日火曜日
一週間ぶりのジム
一週間ぶりでジムに行く。 何時もの事ながら少しお休みすると朝出かけるのが少し億劫になる。
受付の所に、インストラクターのKさんがいて「伊藤さん、しばらくおみえにならなかったので、心配していました」と声を掛けてくれた。 着替えてスタジオに入ると、アチコチから「どうなさったの?」と声がかかる。
私としてはホンの一週間お休みしただけなのに・・・? 有り難いことと思ったり、年だから、そして今年は色々あったから、皆様が気を使ってくださるのかな・・・? 私は構わず次々とマシンに向かった。 でも何時もの事ながら仲間は有り難いもの。
今日はスタジオを終えてからジムの前からバスに乗って池上の銀行に行く。パン屋さんにより、ついでに「オオゼキ」に寄ったら、トテモ重くなってしまい、家の近くまでバスに乗ろうかしら?と迷っていたら、前方を、ご近所に住まれる青山学院時代の1年先輩の方が、リュックを背負って颯爽と歩いていらっしゃるのを見て、つられて歩いてしまった。 それでも、いくら急いでも彼女に追いつくことはできなかった。 家に戻ったら午後1時を過ぎていた。
午後、女学校時代のお友達から久しぶりの電話があって、これから姪の住んでいる、上海にもう1人の姪と一緒にい一週間くらい行くので・・・とのご挨拶があった。 彼女も近じかあるクラス会にはいらっしゃらないらしい。
受付の所に、インストラクターのKさんがいて「伊藤さん、しばらくおみえにならなかったので、心配していました」と声を掛けてくれた。 着替えてスタジオに入ると、アチコチから「どうなさったの?」と声がかかる。
私としてはホンの一週間お休みしただけなのに・・・? 有り難いことと思ったり、年だから、そして今年は色々あったから、皆様が気を使ってくださるのかな・・・? 私は構わず次々とマシンに向かった。 でも何時もの事ながら仲間は有り難いもの。
今日はスタジオを終えてからジムの前からバスに乗って池上の銀行に行く。パン屋さんにより、ついでに「オオゼキ」に寄ったら、トテモ重くなってしまい、家の近くまでバスに乗ろうかしら?と迷っていたら、前方を、ご近所に住まれる青山学院時代の1年先輩の方が、リュックを背負って颯爽と歩いていらっしゃるのを見て、つられて歩いてしまった。 それでも、いくら急いでも彼女に追いつくことはできなかった。 家に戻ったら午後1時を過ぎていた。
午後、女学校時代のお友達から久しぶりの電話があって、これから姪の住んでいる、上海にもう1人の姪と一緒にい一週間くらい行くので・・・とのご挨拶があった。 彼女も近じかあるクラス会にはいらっしゃらないらしい。
2007年10月8日月曜日
大ボケ、小ボケ、ホントにボケ?
十里木から帰宅して、2日間毎日探し物をしてすごしている。 ボケが進んだのかしら? 一つは区から送ってきていた無料の老人生活習慣病の健康調査表、もう一つは何ヶ月もの間、料理を教えたり、英語を教えたりして頂いていた10万円の現金入りの封筒。 (それで、パソコンを買おうと思っていたのに・・・)
健康調査表は昨年も紛失して、区に再発行をお願いして少しイヤミを言われながら'再”と言う形で送っていただいた経緯がある。 今年も昨年と同じ過ちをしてしまった。 何時ものピアノの上の箱の中に入れておけばよかった・・・。 一度出してみて、その後どうしたか?何処へ置いたかそれとも破いて捨ててしまったか?・・・色々書類がきている時は目を通しながら破いて捨てることにしているので、そうしたか? 昨年もとうとう出てこなかったのだから。
現金10万円についても、今までどおり家計簿に挟んでおいて置けばよかったのに、出かけるので若しドロボーが入ってもっていかれたら・・・?と思って、違う場所に入れた。 その場所を見てもそのフートーは、今までの所見付からない。 出る前の少しの間に急いで隠した積りがこのざま!
妹と一緒に過ごした一週間の間にも、いろいろ忘れることが多く、自分の年を振り返って仕方がないか・・・と思ってみても、何度か情けない思いをした。 常に1人で過ごしていて会話をしない時もあるので、ボケが早いのかな~と思ったり、努力で果たして解決することが出来るかどうか・・・? 何しろ当座は、二つのことが気になって、色々のことがはかどらない。 忘れっぽい、と言うと大体の方が(私より若い・・・)私もそうです、とご自分の経験を話される、でも、そんな簡単なことではないのですよ!加齢による物は・・・・。
健康調査表は昨年も紛失して、区に再発行をお願いして少しイヤミを言われながら'再”と言う形で送っていただいた経緯がある。 今年も昨年と同じ過ちをしてしまった。 何時ものピアノの上の箱の中に入れておけばよかった・・・。 一度出してみて、その後どうしたか?何処へ置いたかそれとも破いて捨ててしまったか?・・・色々書類がきている時は目を通しながら破いて捨てることにしているので、そうしたか? 昨年もとうとう出てこなかったのだから。
現金10万円についても、今までどおり家計簿に挟んでおいて置けばよかったのに、出かけるので若しドロボーが入ってもっていかれたら・・・?と思って、違う場所に入れた。 その場所を見てもそのフートーは、今までの所見付からない。 出る前の少しの間に急いで隠した積りがこのざま!
妹と一緒に過ごした一週間の間にも、いろいろ忘れることが多く、自分の年を振り返って仕方がないか・・・と思ってみても、何度か情けない思いをした。 常に1人で過ごしていて会話をしない時もあるので、ボケが早いのかな~と思ったり、努力で果たして解決することが出来るかどうか・・・? 何しろ当座は、二つのことが気になって、色々のことがはかどらない。 忘れっぽい、と言うと大体の方が(私より若い・・・)私もそうです、とご自分の経験を話される、でも、そんな簡単なことではないのですよ!加齢による物は・・・・。
2007年10月6日土曜日
十里木の一週間
先週土曜日、下の妹が彼女達の十里木の別荘に誘ってくれた。 今ごろはさぞやあの辺りのススキが綺麗だろうなあ~と思いながら同行した。 自衛隊の訓練所?の辺りのススキは少し早めの感じだった。 それでも妹宅あたりは私の背丈ほどのススキが風になびいていた。
思いのほか好天に恵まれ、2日目はしばらくご無沙汰していた沼津港あたりにお寿司を食べに行こうと、忽ちにして意見が一致して、246を通って途中道を尋ねながら沼津港へ無難に到着することが出来た。 以前行っていた『寿司文」がお休みで、妹と二人がっかりしたが、妹がいい店を見つけて、恐る恐る暖簾をくぐった。 丁度出て来た人たちと会ったので「このお店、美味しいですか?」と尋ねたら「美味しいですけれど、お値段は高いですよ!」と女のお客の1人が言った。 もう出ることは出来ないし、ママよ!と二人で座り、お値段表を見た。 ホント少し高い、でも偶の事だし、可也高いものを頼んだ。 カウンターに座ればウン万円はとるのだから・・・。
出て来たお寿司は見本どおり、いくら、生うにが小ばちのす飯の上にたっぷりのったもの、大とろ、近海もののたねも鯵、白身、赤貝もかなりの物、二人とも大満足! カウンターに向かって座っていた妹がその店のタイショウを見て「貴方何処かのお店にいらっしゃらなかった?」と尋ねた。 私も振り返ってみて、「知ってる顔」と同意した。
そのオーナー兼タイショウは以前’寿司文’で握っていた人で、彼も私たちをよく覚えいて、話しがはずんだ。
その日は、その話しで盛り上がった。
翌日は少し妹を手伝って前庭のラッパ水仙を植えるのを手伝った。 それにしても、球根の数の増えてこと、そこら中水仙だらけになりそう。
だだ、心残りは私の大好きな藤色の松虫草の花が何処を歩いても見つけることが出来なかったこと。 2,3年まえには道端に楚々と、咲いていたのに・・・。 白いホトトギスの花もわれもこうも、すっかり消えてしまった。 さびしいことに、私の秋の野草探しがすっかりダメになってしまった。
連休つずきで、混んでいるかと懸念していた東名も渋滞もなく、明るいうちに横浜の妹宅へ着くことが出来た。
思いのほか好天に恵まれ、2日目はしばらくご無沙汰していた沼津港あたりにお寿司を食べに行こうと、忽ちにして意見が一致して、246を通って途中道を尋ねながら沼津港へ無難に到着することが出来た。 以前行っていた『寿司文」がお休みで、妹と二人がっかりしたが、妹がいい店を見つけて、恐る恐る暖簾をくぐった。 丁度出て来た人たちと会ったので「このお店、美味しいですか?」と尋ねたら「美味しいですけれど、お値段は高いですよ!」と女のお客の1人が言った。 もう出ることは出来ないし、ママよ!と二人で座り、お値段表を見た。 ホント少し高い、でも偶の事だし、可也高いものを頼んだ。 カウンターに座ればウン万円はとるのだから・・・。
出て来たお寿司は見本どおり、いくら、生うにが小ばちのす飯の上にたっぷりのったもの、大とろ、近海もののたねも鯵、白身、赤貝もかなりの物、二人とも大満足! カウンターに向かって座っていた妹がその店のタイショウを見て「貴方何処かのお店にいらっしゃらなかった?」と尋ねた。 私も振り返ってみて、「知ってる顔」と同意した。
そのオーナー兼タイショウは以前’寿司文’で握っていた人で、彼も私たちをよく覚えいて、話しがはずんだ。
その日は、その話しで盛り上がった。
翌日は少し妹を手伝って前庭のラッパ水仙を植えるのを手伝った。 それにしても、球根の数の増えてこと、そこら中水仙だらけになりそう。
だだ、心残りは私の大好きな藤色の松虫草の花が何処を歩いても見つけることが出来なかったこと。 2,3年まえには道端に楚々と、咲いていたのに・・・。 白いホトトギスの花もわれもこうも、すっかり消えてしまった。 さびしいことに、私の秋の野草探しがすっかりダメになってしまった。
連休つずきで、混んでいるかと懸念していた東名も渋滞もなく、明るいうちに横浜の妹宅へ着くことが出来た。
2007年9月27日木曜日
ヨガ教室の生徒さまざま
木曜日のヨガ教室の人数が少し減ってきた。 インストラクターの指導にも依るらしく、第1・第3のインすトラクターの日はケッコウ混み合っている。 今日は第2なのに新しい方も増えて、少し人数が増えていて妙に安心した。
会員達の年齢も20歳代から60歳台が殆どで、私のように70歳台は少ないと思う。 平均して30人くらいの方がスタジオでヨガの指導を受けるわけだけれど、今日初めて参加したと思われる20代の女性は、1番前列の真ん中にに陣取って、「冷房が寒いです!」と言う。 今日は殆どの人が「蒸し暑いわね?」と言っているのに・・・。
10年以上もこの教室に通ってる60台の方が「私と代わりましょう」と場所を代わった。
色々な方がいらっしゃる中で、10時15分に始まる前に入室した方は、マットを並べなければならない。 それがメンドウなので、時間以前に来ても車の中で時間つぶしをしている方もある・・とか・・・。 終ってマットをカタズけるのも様々、使わなかったマットを自分のと一緒にカタズけるのは当然のこと、ということも、しない方もある。
会員達の年齢も20歳代から60歳台が殆どで、私のように70歳台は少ないと思う。 平均して30人くらいの方がスタジオでヨガの指導を受けるわけだけれど、今日初めて参加したと思われる20代の女性は、1番前列の真ん中にに陣取って、「冷房が寒いです!」と言う。 今日は殆どの人が「蒸し暑いわね?」と言っているのに・・・。
10年以上もこの教室に通ってる60台の方が「私と代わりましょう」と場所を代わった。
色々な方がいらっしゃる中で、10時15分に始まる前に入室した方は、マットを並べなければならない。 それがメンドウなので、時間以前に来ても車の中で時間つぶしをしている方もある・・とか・・・。 終ってマットをカタズけるのも様々、使わなかったマットを自分のと一緒にカタズけるのは当然のこと、ということも、しない方もある。
2007年9月26日水曜日
体の部品はガタガタ!
先日このブログで訴えた、脚の痛みは作日あたりから殆ど良くなった気がする。 それでも今日は、腰が少し痛いような気がしてきた。 ジムに行き、何時ものインストラクターのKさんが担当だったので、状態を詳しく話したら、それは冷房の所為ではなく所謂エコノミー・症候群を呼ばれる症状で、プールで歩くのが一番良いのですが、伊藤さんはプールが嫌だと仰るから・・・と言われた。 車の中でも一時間以上も同じ姿勢をしていないで、脚を動かすとか、リクライ二ングシートを倒すとかして、姿勢を変えた方がいい、とのことそしてそんな場合歩くのは避けて、横になって休んでいるほうがよい、と言われた。 今度から、気をつけよう。
作日は大腸の内視鏡の予約をとりに、友人と久が原の病院に行った。 つれ・・・?と言うのはあるが、連れ病院と言うのは余り聞いたことがないけれど、その病院はどうかすると2時間も待たなければならないことがある。 担当の先生ではなかったが、1年経ったら来てください、と言われていたのに1年半経ってしまったので、先生は少し厳しいお顔をなさった。 予約が一杯でようやく10月22日が取れた。 相変わらず検査前日のま~ずい流動食を渡された。 もうこうなったらママよ、’まな板の上の鯉’の心境。 それにしても、検査までずい分長い間待たされる物だ。 もし、切除することになったとしても、11月中に可能なのかしら? 人間、長生きすると?色々な故障が起きてくるものだ。 部品も使い古されて来ているのだから、仕方がないか?!
作日は大腸の内視鏡の予約をとりに、友人と久が原の病院に行った。 つれ・・・?と言うのはあるが、連れ病院と言うのは余り聞いたことがないけれど、その病院はどうかすると2時間も待たなければならないことがある。 担当の先生ではなかったが、1年経ったら来てください、と言われていたのに1年半経ってしまったので、先生は少し厳しいお顔をなさった。 予約が一杯でようやく10月22日が取れた。 相変わらず検査前日のま~ずい流動食を渡された。 もうこうなったらママよ、’まな板の上の鯉’の心境。 それにしても、検査までずい分長い間待たされる物だ。 もし、切除することになったとしても、11月中に可能なのかしら? 人間、長生きすると?色々な故障が起きてくるものだ。 部品も使い古されて来ているのだから、仕方がないか?!
2007年9月22日土曜日
いよいよ年の所為か?
作日、京都の妹と姪が上京してきたので、富ヶ谷の妹宅に行く予定だった。
2日ほど前から、右足が痛く、ジムで何時もの決まったマシンを終えても痛さは治まらず、びっこを引き引き帰宅した。 昼食を終え、少し涼しくなってから、出かけたが、二国のバス停まで行くのに何時もの倍時間がかかって、余ほど戻ろうか?携帯を掛けてお断りしようか?と迷っている間にバスが来て、つられるように乗ってしまい、五反田駅はエスカレーターがあるので、無事渋谷に着き、渋谷でエレベーターを利用、次にバスに乗る。 行程は同じなのだけれどノン・ステップバスなのに乗り降りが大騒動! 脚の悪いということは、こんなにエネルギーを遣うのだな~と考えながら妹宅へ文字どおり、たどり着いた。 妹達は私がくるのが遅いので少し心配していた。
近所のイタリアンレストランで夕食を頂き、長い間座っていた所為か、立ち上がったら歩くことが出来ないほど、右の腰からすねの外側が痛み、妹と姪が両側から私の腕を持って5,6歩、歩いてくれたのだけれど、2人とも私より大分背が高いので、まるで犯人が拉致されているようで、凄くカッコウ悪く、直ぐお断りした次第。 母が亡くなる少し前、ストレスと母を支えることと母の家と私の家との往復で左半身、肩の辺りから腰、左の足の外側からバッチリ左足の薬指までが痛んで眠れず、ぺたぺたとシップ薬を貼って、夜も寝られず苦しんだが、今度のケースは少し異なっている。 妹達と話しているうちに「冷房の所為じゃない?」と妹が言う。 そこで私はつらつら考え起こしてみた! そうかも? そうだ! 私は思い当たった。
一昨日、夫の甥の車で多磨墓地まで行った。 その折甥はエアコン大丈夫?と気にしていてくれた。 大丈夫よ!と言ったが、あの折は道が込み合っていて2時間以上も同じ姿勢で(彼のベンツは座席が低い)で、しかもあの日は殊更暑かったので、何時ものパンツ姿でなく、夏物の薄いワンピースを着ていて、車を降りてからもお墓へ道を歩くことができなかったのだった。
帰宅してから暖かいお風呂にゆっくり浸かり、腰の部分と膝の外側にサロンパスを貼って寝た。 朝、恐る恐る歩いてみたら大分痛みが引いていた。 今日は都合よくジムで「健美操」だったので早めにジムに行きインストラクターに脚の事を訴えた。 75分間の実技の結果、嘘のように痛みが消えて、見事脚が軽くなってスタスタ歩けるようになったた。 有り難いこと!
2日ほど前から、右足が痛く、ジムで何時もの決まったマシンを終えても痛さは治まらず、びっこを引き引き帰宅した。 昼食を終え、少し涼しくなってから、出かけたが、二国のバス停まで行くのに何時もの倍時間がかかって、余ほど戻ろうか?携帯を掛けてお断りしようか?と迷っている間にバスが来て、つられるように乗ってしまい、五反田駅はエスカレーターがあるので、無事渋谷に着き、渋谷でエレベーターを利用、次にバスに乗る。 行程は同じなのだけれどノン・ステップバスなのに乗り降りが大騒動! 脚の悪いということは、こんなにエネルギーを遣うのだな~と考えながら妹宅へ文字どおり、たどり着いた。 妹達は私がくるのが遅いので少し心配していた。
近所のイタリアンレストランで夕食を頂き、長い間座っていた所為か、立ち上がったら歩くことが出来ないほど、右の腰からすねの外側が痛み、妹と姪が両側から私の腕を持って5,6歩、歩いてくれたのだけれど、2人とも私より大分背が高いので、まるで犯人が拉致されているようで、凄くカッコウ悪く、直ぐお断りした次第。 母が亡くなる少し前、ストレスと母を支えることと母の家と私の家との往復で左半身、肩の辺りから腰、左の足の外側からバッチリ左足の薬指までが痛んで眠れず、ぺたぺたとシップ薬を貼って、夜も寝られず苦しんだが、今度のケースは少し異なっている。 妹達と話しているうちに「冷房の所為じゃない?」と妹が言う。 そこで私はつらつら考え起こしてみた! そうかも? そうだ! 私は思い当たった。
一昨日、夫の甥の車で多磨墓地まで行った。 その折甥はエアコン大丈夫?と気にしていてくれた。 大丈夫よ!と言ったが、あの折は道が込み合っていて2時間以上も同じ姿勢で(彼のベンツは座席が低い)で、しかもあの日は殊更暑かったので、何時ものパンツ姿でなく、夏物の薄いワンピースを着ていて、車を降りてからもお墓へ道を歩くことができなかったのだった。
帰宅してから暖かいお風呂にゆっくり浸かり、腰の部分と膝の外側にサロンパスを貼って寝た。 朝、恐る恐る歩いてみたら大分痛みが引いていた。 今日は都合よくジムで「健美操」だったので早めにジムに行きインストラクターに脚の事を訴えた。 75分間の実技の結果、嘘のように痛みが消えて、見事脚が軽くなってスタスタ歩けるようになったた。 有り難いこと!
2007年9月20日木曜日
秋のお彼岸の墓参
今日は彼岸の入り、毎年秋の彼岸には夫の甥に車で連れて行ってもらう事になってきている。 今年も忙しい中、快く引き受けてくれた。 カー・ナビに導かれて行ったものの、甲州街道に出るまでの道が渋滞でしかも今日の暑さは’暑さ寒さも彼岸まで’と言われたことが偽りかのごとく暑くて、また道も混み合った。 多磨墓地はトテモ広く、私は、何度行っても迷ってしまう、車を止めるところからもお花と桶を持ってお墓までしばらく歩かなければならず年をとるとだんだん辛くなる一方だな~と思ってしまう。 ところが墓地には私くらいの年の方が大勢歩いて来ていらっしゃる。 頑張らなくちゃ!
お参りを済ませたらもう1時を過ぎてしまった。 いつも帰りに寄る神戸やは1時半ごろになるのに駐車場で2,3台の車が駐車場にも入れずに待っている。 少し気が短くなっている(自分でそういうのだから・・・)甥は「他の所でもいい?」と、又甲州街道に戻り環八を過ぎ、玉高の手前の植物だけを取り扱っているビルの’ビュッフェ・ザ・ヴィラ’というところに連れて行ってくれた。 駐車場も広く、そのビルの3階にこんなレストランがあるは・・・!
お客の98%が若い女性で、ケッコウ時間にしては混み合っていた。 お腹が可也空いていたのと、サラダとかデザートも種類が多かったので、遂お腹が膨れるほど頂いてしまった。 その際、甥が「僕達のことお墓の花やの人たちはどういう間柄だと思うかな?」と言い「親子と思うかな~」と図々しいことを言う。 私は「若しかして、私の若いツバメかと思うかも」と私も自分勝手なことを言った。 当然私の下の妹とほぼ同い年なのだから、彼はそう思うだろうし、私は私で妹と同じレベルで考えるから・・・。 どちらも、どちら・・・。
ともあれ、帰路はスムーズに家に着いた。
お参りを済ませたらもう1時を過ぎてしまった。 いつも帰りに寄る神戸やは1時半ごろになるのに駐車場で2,3台の車が駐車場にも入れずに待っている。 少し気が短くなっている(自分でそういうのだから・・・)甥は「他の所でもいい?」と、又甲州街道に戻り環八を過ぎ、玉高の手前の植物だけを取り扱っているビルの’ビュッフェ・ザ・ヴィラ’というところに連れて行ってくれた。 駐車場も広く、そのビルの3階にこんなレストランがあるは・・・!
お客の98%が若い女性で、ケッコウ時間にしては混み合っていた。 お腹が可也空いていたのと、サラダとかデザートも種類が多かったので、遂お腹が膨れるほど頂いてしまった。 その際、甥が「僕達のことお墓の花やの人たちはどういう間柄だと思うかな?」と言い「親子と思うかな~」と図々しいことを言う。 私は「若しかして、私の若いツバメかと思うかも」と私も自分勝手なことを言った。 当然私の下の妹とほぼ同い年なのだから、彼はそう思うだろうし、私は私で妹と同じレベルで考えるから・・・。 どちらも、どちら・・・。
ともあれ、帰路はスムーズに家に着いた。
2007年9月17日月曜日
名前について
日本人の名前にも色々流行があって、最近、女の子の名前に ’子’というのをつける方が少なくなってきたような気がする。
私の名前は『英子」と書いて「ふさこ」と読ませるので、小学校の頃から先生に「珍しいねぇ?」と言われるのがトテモ嫌だった。 それでと言うわけでもないがこの表題も「ふさ子より・・・・」とした。
大分前から興味深く思っていたが、私の周りに私の字の’英’を名前に入れてくださった方が何人もある。 特に意識は無かったのかもしれないが・・・・
年上順に・・・夫の妹の次女・・・英利子、 夫の姪の子・・・英美そしてよくこの欄に登場する、下の妹の孫の英里(彼女はロンドンで生まれたから納得なのだけれど・・・)そんなに多くはない親戚中に3人も・・・?
この度、夫の甥の長男のところに男の子が生まれた。 生まれた子の名前は「有」と書いて「アリ」と読ませると言う。 その「有」と言う字は私の妹の長女の「有子」と言うのと字が同じ。 これは、甥が説明したことによると、
彼等はこれからもずーっとカリフォルニアに住むことになるので、英語でも日本語でも呼びやすいようにとの親心と言うことだ。 ちなみに、彼の4歳の姉は「樹里」と言う。
私の名前は『英子」と書いて「ふさこ」と読ませるので、小学校の頃から先生に「珍しいねぇ?」と言われるのがトテモ嫌だった。 それでと言うわけでもないがこの表題も「ふさ子より・・・・」とした。
大分前から興味深く思っていたが、私の周りに私の字の’英’を名前に入れてくださった方が何人もある。 特に意識は無かったのかもしれないが・・・・
年上順に・・・夫の妹の次女・・・英利子、 夫の姪の子・・・英美そしてよくこの欄に登場する、下の妹の孫の英里(彼女はロンドンで生まれたから納得なのだけれど・・・)そんなに多くはない親戚中に3人も・・・?
この度、夫の甥の長男のところに男の子が生まれた。 生まれた子の名前は「有」と書いて「アリ」と読ませると言う。 その「有」と言う字は私の妹の長女の「有子」と言うのと字が同じ。 これは、甥が説明したことによると、
彼等はこれからもずーっとカリフォルニアに住むことになるので、英語でも日本語でも呼びやすいようにとの親心と言うことだ。 ちなみに、彼の4歳の姉は「樹里」と言う。
2007年9月16日日曜日
敬老の日の・・・
作日、ジムから帰宅したら、下の妹の次男から電話があって「伯母ちゃま、明日用事ある?」と訊いてきたので「特に無いわよ」と応えたら、「明日敬老のお祝いをするので、どっちの家がいい?」と言う。 彼等の父親も私より3つ下だから充分敬老の資格があるわけで、一緒に祝ってくれるとのこと、無論喜んで出かけた。
英里ちゃん里彩ちゃんの二人の子たちに会うのも夏の十里木以来のこと・・・下の里彩ちゃんは最初チョッと緊張したような顔をしたが、直ぐ馴れて、お茶目ぶりぞ発揮、ホントに三つ巴になって、楽しい時間を過ごした。
お嫁さんの幹ちゃんはイタリアンシェフそこのけの料理でもてなしてくれた、あまだいの塩で固めてオーブンで焼いた物、バジリコのパスタは中中の腕前と踏んだ。 私も料理して人をもてなすのは嫌いではないが、二人の子供があるのに・・・ホントに感心、感心。 今時のお嫁さん達はコンビ二料理、出来合い料理が多いそうだけれど、妹の二人の息子の嫁たちは一生懸命料理をしようと努めているので、喜ばしいことだと思う。
自治会から届いたお菓子のプレゼントだけではなく、思いもかけず、有り難い敬老の日を送ることができて、また今日は姪の結婚式のため訪れたバリで、なくしたとばかり思っていた亡母の形見のプチダイアのペンダントが見付かったので、加えて嬉しい日になった。
英里ちゃん里彩ちゃんの二人の子たちに会うのも夏の十里木以来のこと・・・下の里彩ちゃんは最初チョッと緊張したような顔をしたが、直ぐ馴れて、お茶目ぶりぞ発揮、ホントに三つ巴になって、楽しい時間を過ごした。
お嫁さんの幹ちゃんはイタリアンシェフそこのけの料理でもてなしてくれた、あまだいの塩で固めてオーブンで焼いた物、バジリコのパスタは中中の腕前と踏んだ。 私も料理して人をもてなすのは嫌いではないが、二人の子供があるのに・・・ホントに感心、感心。 今時のお嫁さん達はコンビ二料理、出来合い料理が多いそうだけれど、妹の二人の息子の嫁たちは一生懸命料理をしようと努めているので、喜ばしいことだと思う。
自治会から届いたお菓子のプレゼントだけではなく、思いもかけず、有り難い敬老の日を送ることができて、また今日は姪の結婚式のため訪れたバリで、なくしたとばかり思っていた亡母の形見のプチダイアのペンダントが見付かったので、加えて嬉しい日になった。
2007年9月13日木曜日
介護保険?
作日、「大田区保健福祉部介護高齢医療課医療給付係」という長い差出人からピンク色の目立つ封書が届いた。
不審に思いながら開いてみると、高額医療給付とあった。 そして、給付金が186円で指定金融機関を指示し印鑑を押して送り返す仕組みとなっていた。 6月中と印刷してあったから確かにアノ頭の怪我の時のMRIの代金も含めて、約1割と言うことになる。 考えてみた、2年前都立病院に1日入院して、腸の内視鏡を撮ったときには、そんなことは無かった。 これは病院によって違うのかしら、またはその後制度が変わったのか?
それにしても、切手を貼って出せ...と言うことになると・・・? 一応書き込んで、印鑑をおして、封をしたもものの、まだ投函しないでいる。 ただ、次回からは通知が無くても、医療費の1割は指定の口座に振り込まれるらしいのだけれど、年間の医療費は内科の薬代を始めとして、眼科、歯科などまとめれば大きな額になるわけで、よくその意図がわからない。
不審に思いながら開いてみると、高額医療給付とあった。 そして、給付金が186円で指定金融機関を指示し印鑑を押して送り返す仕組みとなっていた。 6月中と印刷してあったから確かにアノ頭の怪我の時のMRIの代金も含めて、約1割と言うことになる。 考えてみた、2年前都立病院に1日入院して、腸の内視鏡を撮ったときには、そんなことは無かった。 これは病院によって違うのかしら、またはその後制度が変わったのか?
それにしても、切手を貼って出せ...と言うことになると・・・? 一応書き込んで、印鑑をおして、封をしたもものの、まだ投函しないでいる。 ただ、次回からは通知が無くても、医療費の1割は指定の口座に振り込まれるらしいのだけれど、年間の医療費は内科の薬代を始めとして、眼科、歯科などまとめれば大きな額になるわけで、よくその意図がわからない。
2007年9月11日火曜日
シルバー・パス
9月はシルバー・パスの更新の月だ。 この辺りは今日から3日間近くの出張所で行われる事になっている。 年をとるとせっかちになるのは、私も例外ではなく、早めに済ませたいと思っていたが、とりあえず午前中はどうせ混み合うだろうと思って何時ものようにジムに行った。 午後家を出ようと思ったら烈しい雷雨。 少しおさまったところで、思い切って出かけたら案の定、人は少なかった。
昨年辺りから1000円でパスを頂くのには、税金を納めていないという証明の為に介護保険納入通知書などの収入が少ない事を証明する書類が必要になった。 私は、昨年書類が無かったため、無駄な時間と料金を払ったので、今年は抜かりなく書類を揃えて行った。 殆どのお年よりが(特に女性)が事の次第を理解できず、出張所の仕事が増えていた。 何とかもう少し分かりやすくならないものかしら?
私はもう一件、生命保険会社のわずかばかりの年金の手つずきのための現況届印が必要だった。 係りの男性は現況届がどの欄に属するのか分からないようだった。 「この会社にお勤めになっていたから、年金をおもらいになるのですか?」不必要な事を訊くものだ、と私は「大分昔には夫婦年金という保険があったのですよ」と・・・応じた。
15年間も自治会の副会長として区のために尽くしたのだから、私は可也強気だ。
区長の印は当然のことながら、この春選出された新しい区長のものに代わっていた。
昨年辺りから1000円でパスを頂くのには、税金を納めていないという証明の為に介護保険納入通知書などの収入が少ない事を証明する書類が必要になった。 私は、昨年書類が無かったため、無駄な時間と料金を払ったので、今年は抜かりなく書類を揃えて行った。 殆どのお年よりが(特に女性)が事の次第を理解できず、出張所の仕事が増えていた。 何とかもう少し分かりやすくならないものかしら?
私はもう一件、生命保険会社のわずかばかりの年金の手つずきのための現況届印が必要だった。 係りの男性は現況届がどの欄に属するのか分からないようだった。 「この会社にお勤めになっていたから、年金をおもらいになるのですか?」不必要な事を訊くものだ、と私は「大分昔には夫婦年金という保険があったのですよ」と・・・応じた。
15年間も自治会の副会長として区のために尽くしたのだから、私は可也強気だ。
区長の印は当然のことながら、この春選出された新しい区長のものに代わっていた。
2007年9月8日土曜日
見たよ・・・!
下の妹の次男が今朝8時半からのテレビ番組に出る・・・という報せが妹からあった。 少し早起きしてBSをセットして待った。 彼は公認会計士で、この春会社を代わった、と新しい会社の名刺を見たとき「何だかヘンな名前の会社で舌を噛みそうな名前ね~』などと言ったことがあったが、その会社の内容をテレビの番組は詳しくセッメイしてくれた。 要するに倒産した、又しかかった会社の建て直しのお手伝いをする会社らしい・・・ということが分かった。
二人の著名な方方がコメンテーターとして、色々会社のトップに質問をした後、事務所の中の仕事風景が出て、いきなり甥が大写しになって「この会社の設立のため急遽ロンドンから帰国した、児玉尚剛さん35歳・・・」と紹介があって、甥はつっかえもせず、落ち着いて仕事の内容を説明していた。 あの、幼児のころ喘息に苦しんでいた甥が・・と私でさえ胸が詰まる思いがしたのだから、妹夫妻はさぞや・・・と思った。
男の子は成長する過程でもその後仕事に就いても大変なのだから・・・・。
彼の兄も何度か、その世界の情報誌などの座談会に大きな写真入で出ていたりしたが、テレビの画面で身内を見たのは、京都の義弟と妹が、京都の醍後寺の桜祭で全国ネットで義弟が秀吉を、妹が妻、ねねに扮して練り歩く姿と、もう一度は私の夫が日劇の英国公演、オーストラリア公演から帰国した時、記者達に囲まれて、応対していた姿を見たのと・・・・だだその際は予告がなかったし、今のように録画も出来なかったので、あ~あ、出た!・・・と誰にも連絡出来なかったし、甥のようにカメラ目線でシッカリした印象に残るコメントも記憶に無い。
二人の著名な方方がコメンテーターとして、色々会社のトップに質問をした後、事務所の中の仕事風景が出て、いきなり甥が大写しになって「この会社の設立のため急遽ロンドンから帰国した、児玉尚剛さん35歳・・・」と紹介があって、甥はつっかえもせず、落ち着いて仕事の内容を説明していた。 あの、幼児のころ喘息に苦しんでいた甥が・・と私でさえ胸が詰まる思いがしたのだから、妹夫妻はさぞや・・・と思った。
男の子は成長する過程でもその後仕事に就いても大変なのだから・・・・。
彼の兄も何度か、その世界の情報誌などの座談会に大きな写真入で出ていたりしたが、テレビの画面で身内を見たのは、京都の義弟と妹が、京都の醍後寺の桜祭で全国ネットで義弟が秀吉を、妹が妻、ねねに扮して練り歩く姿と、もう一度は私の夫が日劇の英国公演、オーストラリア公演から帰国した時、記者達に囲まれて、応対していた姿を見たのと・・・・だだその際は予告がなかったし、今のように録画も出来なかったので、あ~あ、出た!・・・と誰にも連絡出来なかったし、甥のようにカメラ目線でシッカリした印象に残るコメントも記憶に無い。
2007年9月6日木曜日
暑すぎた夏の悲しいこと・・・・。
今年の夏は殊の外の暑さだったが、お陰さまで私は妹たちの箱根の別荘で8月の殆どを過ごす事が出来て、暑さ知らずでいられて、感謝している。 義弟と私はほぼ同い年なので、毎朝のように75歳過ぎたら死を身近に感じるようになった事をしみじみと話し合った。 特に義弟は色々責任のある立場にあるので、色色の思いも深いだろうと思割れる。 そんな間にご近所で悲しいことがあったのを作日友人から聞いた。
この辺りは木々も多く、特にそのお宅は今時珍しい事にお庭は垣根で囲まれ、冬は梅、桃の花、春には、ちんちょうげ、今ごろはいろんな種類のむくげ、さるすべりが咲いていた。 私はそれらの花々を通りすがりに覗き込んで楽しんでいた。
そこのお宅に、97歳になられる方がお1人で住んでいらっした。 気丈な方で、お隣に住まっていらっしゃる、お嫁さんにメンドウをみてもらっていらっしゃるご様子はなかった。 お友達の話しによると、日本風の古いお宅にはクーラーなどは無かったという。 熱中症とは遠い世界の話しだと思っていた。 お1人で椅子にかけられ、片足をズボンから脱がれたままお亡くなりになっていたとか・・・。 多分お苦しみも無かったのだろう。 2,3日経ってからご近所の方によって発見されたそうだ。 何とも悲しく、同じく独り暮らしの私にはズシーッと胸に響くこの夏の悲しい出来事だった。
この辺りは木々も多く、特にそのお宅は今時珍しい事にお庭は垣根で囲まれ、冬は梅、桃の花、春には、ちんちょうげ、今ごろはいろんな種類のむくげ、さるすべりが咲いていた。 私はそれらの花々を通りすがりに覗き込んで楽しんでいた。
そこのお宅に、97歳になられる方がお1人で住んでいらっした。 気丈な方で、お隣に住まっていらっしゃる、お嫁さんにメンドウをみてもらっていらっしゃるご様子はなかった。 お友達の話しによると、日本風の古いお宅にはクーラーなどは無かったという。 熱中症とは遠い世界の話しだと思っていた。 お1人で椅子にかけられ、片足をズボンから脱がれたままお亡くなりになっていたとか・・・。 多分お苦しみも無かったのだろう。 2,3日経ってからご近所の方によって発見されたそうだ。 何とも悲しく、同じく独り暮らしの私にはズシーッと胸に響くこの夏の悲しい出来事だった。
2007年9月2日日曜日
箱根での夏は終りました
先月8日から14日、一旦帰京してまた17日から23日、また26日まで東京にいて、今日9月2日まで箱根の仙石原から少し入った小塚山にある上の妹宅の別荘に行ったりきたり、充分温泉と周りのグルメを楽しむ事が出来た。 東京では34度以上の真夏日を避けて、別名紅葉山とも言われる小塚山の空気と緑を満喫し、グルメについては、最初は近所のハイランドホテルのフレンチに連れて行っていただき、これは昨年二回もご馳走していただいたのだが、特に前菜と側で焼いてサーブしてくれる色色な種類の肉、魚のメインが絶品だ。
次には。小塚山から近いイタリアン・・・これも昨年から何度か訪れていて林の中に建てられたこのレストランの建物はイタリアから材料を運んで建てたとかで、イタリアの雰囲気が充実していて、料理も7~8種類の前菜ではじまり、義弟はこの度のメインの鶏料理が気に入って2回も連れて行ってくれた。 チエイン店もアチコチにあるらしかったが、義弟はどうしても、そこで記念に売っている飾り皿を私に持って帰るよう求めてくれた。
何しろ妹も私も避暑地では楽をしたいと思うし、買い物に行くのも車なしでは不便なのと泊りのお客様には気を遣わせないようにというので、雑誌や人の噂を聞いてはあちこち行ってみた。 ホントに偶には私もお返しのご馳走をしなければ・・・と雑誌で見つけた箱根湿性花園の入り口の小さなレストランに行ってみた。 こじんまりした店で
営業時間も短く、どちらかと言うと家庭的な雰囲気の店で子牛のシチュ―ウが売りものらしかった。
2回目の最後の夕食は突然義弟が今まで毎年泊っていた冨士やホテルに行こうと言い。 ヤヤ驚きながらも、妹と二人、いそいそと少しお洒落をした。 妹はあわびのステーキを義弟と私はひれ肉を注文した。 やはり、老舗の味で、妹の選んだあわびは可也の斧だった。 あまり長くなるので、グルメの欄のつずきはまた明日!
次には。小塚山から近いイタリアン・・・これも昨年から何度か訪れていて林の中に建てられたこのレストランの建物はイタリアから材料を運んで建てたとかで、イタリアの雰囲気が充実していて、料理も7~8種類の前菜ではじまり、義弟はこの度のメインの鶏料理が気に入って2回も連れて行ってくれた。 チエイン店もアチコチにあるらしかったが、義弟はどうしても、そこで記念に売っている飾り皿を私に持って帰るよう求めてくれた。
何しろ妹も私も避暑地では楽をしたいと思うし、買い物に行くのも車なしでは不便なのと泊りのお客様には気を遣わせないようにというので、雑誌や人の噂を聞いてはあちこち行ってみた。 ホントに偶には私もお返しのご馳走をしなければ・・・と雑誌で見つけた箱根湿性花園の入り口の小さなレストランに行ってみた。 こじんまりした店で
営業時間も短く、どちらかと言うと家庭的な雰囲気の店で子牛のシチュ―ウが売りものらしかった。
2回目の最後の夕食は突然義弟が今まで毎年泊っていた冨士やホテルに行こうと言い。 ヤヤ驚きながらも、妹と二人、いそいそと少しお洒落をした。 妹はあわびのステーキを義弟と私はひれ肉を注文した。 やはり、老舗の味で、妹の選んだあわびは可也の斧だった。 あまり長くなるので、グルメの欄のつずきはまた明日!
2007年8月27日月曜日
戦後の・・・3
戦後、私たちにはもう一つの不安があった。
果たして私たちはこのまま、当時の地域に住みつずけることが出来るかどうか・・・と言う問題があった。 特に私は長女だったので、時々父母の話すのを敏感に感じ取っていた。
父は戦時中、いわゆる軍事工場の工場長をしていたので、当然、所謂レッド・パージに該当して新しい職につくことは難しいだろうと思われた。 「津野に引っ越すか?」と母に話しているのを私は聞いた。 津野と言うのは、父の養家先で福岡県の英彦山の麓の小さな村だった。
「冗談じゃない!」私は大反対だったが、それかと言って、それから4人の子供を収入なしで暮らす事など出来ないということは想像できた。
その頃、父が勤めていた会社の確か勤労課長をしていた関西出の方が、父に色々忠言をして下さり、所謂「闇商売」を勧めて下さったらしい。 でも今考えると父はあまり深入りは出来ず、私の知る限りでは白羽二重の反物が沢山洋服ダンスの引き出しに入っていた記憶がある。
それに、一番下の妹が週に何回か父とそのお宅に行って、アメリカ製のガム、チョコレートなど
頂いてきたのがトテモ羨ましかった。 補足として、その御夫妻には子供がなかったので、下の妹を養女にくれないか?という話があった由で、モノのない時代のことなので、若しかしてそうなったら妹は幸せだろうか?と思ったこともある。 今考えるとトテモ切ない、悲しいことだ。
果たして私たちはこのまま、当時の地域に住みつずけることが出来るかどうか・・・と言う問題があった。 特に私は長女だったので、時々父母の話すのを敏感に感じ取っていた。
父は戦時中、いわゆる軍事工場の工場長をしていたので、当然、所謂レッド・パージに該当して新しい職につくことは難しいだろうと思われた。 「津野に引っ越すか?」と母に話しているのを私は聞いた。 津野と言うのは、父の養家先で福岡県の英彦山の麓の小さな村だった。
「冗談じゃない!」私は大反対だったが、それかと言って、それから4人の子供を収入なしで暮らす事など出来ないということは想像できた。
その頃、父が勤めていた会社の確か勤労課長をしていた関西出の方が、父に色々忠言をして下さり、所謂「闇商売」を勧めて下さったらしい。 でも今考えると父はあまり深入りは出来ず、私の知る限りでは白羽二重の反物が沢山洋服ダンスの引き出しに入っていた記憶がある。
それに、一番下の妹が週に何回か父とそのお宅に行って、アメリカ製のガム、チョコレートなど
頂いてきたのがトテモ羨ましかった。 補足として、その御夫妻には子供がなかったので、下の妹を養女にくれないか?という話があった由で、モノのない時代のことなので、若しかしてそうなったら妹は幸せだろうか?と思ったこともある。 今考えるとトテモ切ない、悲しいことだ。
2007年8月26日日曜日
戦後のエピソード2
戦争終結後、どのくらい経って学校へ行くことが出来たのか、はっきりとは覚えていない。 多分一ヶ月くらい後だったのだろう。 何しろその通学が私にはトテモ辛い物だった。 浦和駅まで歩いても40分くらいはかかるし、近所から出ているバスはまるで不定期で、しかも何時故障で動かなくなるかしれなかった。 電車に乗るということは、大変なことで、時間帯によっては押しつぶされそうになったり、時々は、電車のタラップのところに捕まって、下に落ちた中学生を見たりした。 色々な通学方法を考えてみたが、私には歩く事が一番正確で結局楽な方法だった様な気がする。
学校は爆撃も受けてなかったので、割りに穏やかに過ごす事が出来た。 それでも学校の回りは生徒達の植えたサツマイモ畑で覆われていた。 私たちの授業は、先ず国家主義的、反米的な部分を翌日までに墨で塗りつぶしてくる作業で始まった。 歴史の教科書などは殆ど真っ黒で読み上げる事は至難の業だった。
驚いたのは、一部教師の態度の変化だった。 都立の高校には必ず軍人上がりの教官がいて、その教師が突然オベンチャラ教師に変わった。 これもこれから生きていくための努力だろうなあ~などと大人っぽい判断をして、納得していた。
学校は爆撃も受けてなかったので、割りに穏やかに過ごす事が出来た。 それでも学校の回りは生徒達の植えたサツマイモ畑で覆われていた。 私たちの授業は、先ず国家主義的、反米的な部分を翌日までに墨で塗りつぶしてくる作業で始まった。 歴史の教科書などは殆ど真っ黒で読み上げる事は至難の業だった。
驚いたのは、一部教師の態度の変化だった。 都立の高校には必ず軍人上がりの教官がいて、その教師が突然オベンチャラ教師に変わった。 これもこれから生きていくための努力だろうなあ~などと大人っぽい判断をして、納得していた。
2007年8月25日土曜日
戦後のエピソード
何回目カのブログに戦前よりむしろ戦後の辛かったと書いた。
戦時中はお国の為に・・・という大義名分があって、、実際果たして勝てる物かどうかの確信があったわけでもないし、最終的にもし敵軍が日本に上陸してきたら竹ざおを持って闘え・・・といわれたところで、そんなことをする以前に私たちは空襲でメチャクチャになってしまうだろうと思っていた。 戦争末期になって、廣島に原爆が落とされた時も、新聞の一面に「新型爆弾か?」と報道があっただけで、その詳しい様子など、我々は知る由も無かった。
戦争が終結した時も、「本日正午に重大な発表があります」とラジオで報じていても、多分「国民一致団結して敵に立ち向かえ」と天皇がおおせられるのだろう、と思っていた。 あの所謂玉音放送も、ラジオが雑音で聞きにくい上に、天皇のお話になりかたが浮世場慣れしていて、正直殆ど理解が出来なかった。 ただ、どうも戦争が終ったらしい・・・と言うことと以前にも書いたが今日は空襲はないのだろうな~・・・と夏の青い空がもっと青く見えた。
戦時中はお国の為に・・・という大義名分があって、、実際果たして勝てる物かどうかの確信があったわけでもないし、最終的にもし敵軍が日本に上陸してきたら竹ざおを持って闘え・・・といわれたところで、そんなことをする以前に私たちは空襲でメチャクチャになってしまうだろうと思っていた。 戦争末期になって、廣島に原爆が落とされた時も、新聞の一面に「新型爆弾か?」と報道があっただけで、その詳しい様子など、我々は知る由も無かった。
戦争が終結した時も、「本日正午に重大な発表があります」とラジオで報じていても、多分「国民一致団結して敵に立ち向かえ」と天皇がおおせられるのだろう、と思っていた。 あの所謂玉音放送も、ラジオが雑音で聞きにくい上に、天皇のお話になりかたが浮世場慣れしていて、正直殆ど理解が出来なかった。 ただ、どうも戦争が終ったらしい・・・と言うことと以前にも書いたが今日は空襲はないのだろうな~・・・と夏の青い空がもっと青く見えた。
2007年8月24日金曜日
久しぶりのジム
8月3日にジムに行って以来、今日までジムをお休みしたことになる。 箱根で涼しい時と、ご馳走を沢山頂いたので、体重計に乗るのがトテモ心配だった。 やっぱり、増えていた!
インストラクターが「伊藤さんは高校野球の応援に大阪に行かれた行かれたのかと思いました」と受付で会うなり、そう言った。 義弟が京都外大付属西校の理事と総長だと言うことを彼はよく覚えていたらしい。 一昨年、決勝戦で敗れたことを大勢の仲間達も覚えていてくれた。 顔なじみの友人達が「どうなさったの?」と尋ねてくださり、長くお休みしても直ぐ打ち解ける事が出来た。 同好の士は有り難い物だ。
昨日から猛暑も少し落ち着いてきたようだ。 留守をしている間に、カタズケなければならない事が沢山ある。 ワン・バイ・ワンでカタズけるしかない。 気を遣う問題が一番疲れる。 楽しい事の後は・・・という次第。
作日、投稿した箱根での楽しい記録が消えてしまった! まだこのブログには慣れていたい!
インストラクターが「伊藤さんは高校野球の応援に大阪に行かれた行かれたのかと思いました」と受付で会うなり、そう言った。 義弟が京都外大付属西校の理事と総長だと言うことを彼はよく覚えていたらしい。 一昨年、決勝戦で敗れたことを大勢の仲間達も覚えていてくれた。 顔なじみの友人達が「どうなさったの?」と尋ねてくださり、長くお休みしても直ぐ打ち解ける事が出来た。 同好の士は有り難い物だ。
昨日から猛暑も少し落ち着いてきたようだ。 留守をしている間に、カタズケなければならない事が沢山ある。 ワン・バイ・ワンでカタズけるしかない。 気を遣う問題が一番疲れる。 楽しい事の後は・・・という次第。
作日、投稿した箱根での楽しい記録が消えてしまった! まだこのブログには慣れていたい!
2007年8月16日木曜日
戦争は終ったけれど;;;
戦争が終結を迎える一週間ほど前、私たちが通っていたレンズ工場で火災が起きて、私たち女学生はその工場に行くことが出来なくなっていた。 しかもその工場の庭の端に不発弾が突き刺さっていて、何時それが爆発するかもしれなかった。 その火事場でレンズを運び出す作業をして、私の顔はまるで火傷を負ったように真っ赤に脹れ上がっていた。 今時の?高校生には信じられない事だろうけれど、当時女学校三年生から’動員’されて、半数は学校工場と言って学校で軍服などのミシンかけ、など可也楽な毎日を送っていた事を、戦後私たちは知った。
当時は近くの工場で働く事がトテモ誇らしく、特に旋盤工は憧れの的だった。 中でもその班の班長は日の丸に神風と書いた鉢巻をキリりとまき、その手ぬぐいの数が少なくて全員にはわたらなかった、それほどモノは少なかったのだ。 私としては何とも尻切れトンボの感じで、その精機光学という工場との縁が終った。
当時は近くの工場で働く事がトテモ誇らしく、特に旋盤工は憧れの的だった。 中でもその班の班長は日の丸に神風と書いた鉢巻をキリりとまき、その手ぬぐいの数が少なくて全員にはわたらなかった、それほどモノは少なかったのだ。 私としては何とも尻切れトンボの感じで、その精機光学という工場との縁が終った。
2007年8月15日水曜日
終戦記念日
今年は終戦後62年経ったと報じている・・・という事は、私は今、77歳なのだから、当時は15歳だったわけだと改めて思い返した。
毎年、私はあの日のことを私のホームページに何度か記してきている。 あの日は真っ青な美しい空で、あの日以来、その青い空にはB29の来襲はなくなったわけで、そのことがどんなにか大きな安心感を皆に与えた事だろう。 その頃私たち家族は東京都から橋一つ渡った埼玉県の戸田市に居を移していた。 これも、当時9歳だった次女を強制集団疎開から守るためだった。
私にはその後の戦後の暮らしも今思えば大変辛い物だったと感じている。
今夜はこの大田区で昭和59年以来雨の日を除いて、平和都市宣言の花火大会が開催されている。
今年は区政60周年を記して6000発の花火が、暑い夜空に打ち上げられた。 さすが、今までに無くトテモ豪華な花火の数々を我が家の門前の道路から眺めた。 その一つ一つが戦争で命を落とされた方方へのはなむけと思うと、後で来るド~ンという腹にに響く音はなんとも言えない哀愁を感じさえする。 あれから、もう62年も経ったのだ。
毎年、私はあの日のことを私のホームページに何度か記してきている。 あの日は真っ青な美しい空で、あの日以来、その青い空にはB29の来襲はなくなったわけで、そのことがどんなにか大きな安心感を皆に与えた事だろう。 その頃私たち家族は東京都から橋一つ渡った埼玉県の戸田市に居を移していた。 これも、当時9歳だった次女を強制集団疎開から守るためだった。
私にはその後の戦後の暮らしも今思えば大変辛い物だったと感じている。
今夜はこの大田区で昭和59年以来雨の日を除いて、平和都市宣言の花火大会が開催されている。
今年は区政60周年を記して6000発の花火が、暑い夜空に打ち上げられた。 さすが、今までに無くトテモ豪華な花火の数々を我が家の門前の道路から眺めた。 その一つ一つが戦争で命を落とされた方方へのはなむけと思うと、後で来るド~ンという腹にに響く音はなんとも言えない哀愁を感じさえする。 あれから、もう62年も経ったのだ。
2007年8月14日火曜日
涼しかった箱根、でも・・・
先週8日から上の妹宅の別そうに行っていて、今日帰京いたしました。
1年ぶりの箱根だったので、妹と2人京都から届いた荷物の整理とベッドなどの設えで、可也時間がかかりました。 9日の深夜と言うか10日の早朝午前2時ごろ妹の娘夫妻が神戸から車で5時間かけてやってきました。
12日に十里木に来ていた下の妹夫妻と近くのイタリアンレストランで会食する予定だったのに、珍しく上の妹が高熱を出し、姪の夫も胃をいため熱を出してしまって、少し淋しい夕食会になりました。
その翌朝は上の妹の夫が理事長をしている京都外大付属西校が夏の高校野球に出場するので、皆大興奮! 午前8時半からテレビにかじりっつき参戦。 トテモ、センセイショナルな延長試合になり、結局、5対3で勝ち進みました。 予想通り、妹はその後熱が下がりました?!
私たちが箱根で過ごしている間、東京は物凄い暑さだったようですが、明日から少しでも涼しくなりますように・・・。
1年ぶりの箱根だったので、妹と2人京都から届いた荷物の整理とベッドなどの設えで、可也時間がかかりました。 9日の深夜と言うか10日の早朝午前2時ごろ妹の娘夫妻が神戸から車で5時間かけてやってきました。
12日に十里木に来ていた下の妹夫妻と近くのイタリアンレストランで会食する予定だったのに、珍しく上の妹が高熱を出し、姪の夫も胃をいため熱を出してしまって、少し淋しい夕食会になりました。
その翌朝は上の妹の夫が理事長をしている京都外大付属西校が夏の高校野球に出場するので、皆大興奮! 午前8時半からテレビにかじりっつき参戦。 トテモ、センセイショナルな延長試合になり、結局、5対3で勝ち進みました。 予想通り、妹はその後熱が下がりました?!
私たちが箱根で過ごしている間、東京は物凄い暑さだったようですが、明日から少しでも涼しくなりますように・・・。
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