2009年11月30日月曜日

退院して初めて買い物に行きました

ご近所のお友だちが、買い物に付き合って下さると仰って下さったので、恐る恐る何時ものカートを引いて近くのスーパー・マーケットに出かけた。 通いなれた道だったので、お友だちにご迷惑かけることなく、思いっきり買い物が出来た。 お友だちはご自分の買い物は大してないのに、つかず離れず見守っていて下さった。

午後三時にもう一人コンピューターに詳しいお友だちが私の年賀状の印刷を助けて下さるために来てくださる。 私達が家に着いて少し経ったところで、ピンポンが鳴った。 少し早い?と思ったら「Kです! お留守でなくてよかった」とホントに久しぶりの外科医の奥様の声。

家の前に白い外車が止まっていた。 「今日、’矢口の渡し’の駅近くに病院を開業したんだけれど、お花が沢山届いて困っているので、もらって下さらない?」と言うや否や、大きな花かご三つをこちらの返事も待たず、どんどん家の玄関に持ち込んで又後で胡蝶蘭が玄関先に置いてあったら、私ですから・・・」と有無を言わせず高価そうな華やかな籠を置いて行かれた。  丁度、私を援けて下さったお友だちがお二人いらっしたので、お二人にお持ち帰り頂こうと咄嗟に思った。 お目出度いお花なのだから・・・・。 そして、玄関先で少しお話して「私、事務長なんだけど、やれるかしら? これから少し楽しく遊ぼうと思っていたのに・・」私が入院したことを言うと「そういえば、ふさ子さん、少しやせられたわね?」と言って風のごとく走り去った。

それから、しばらくお友だちにコンピュータの操作をしていただき、ホント目まぐるしかったけれど、疲れも無くやさしいお友だちに囲まれて私は幸せだと心から思った。

2009年11月28日土曜日

お見舞い有難うございました!

手術に立ち会ってくれた二人の妹達に先ず感謝。  毎日のように私の様子を見に来て下さったお友だちにも有難うを・・・。 二人の甥家族にもそして大雨の中、「雨だから他にお見舞いに来る方が無いだろう・・」と、来て下さったジムのお友だち。 幸せなことに、お見舞いに来て下さった方々がダブらなかった。

手術が終わって痛みも無くなったころ、思いもかけなかったジムのお友だちがお一人ずつ来てくださった。
おかげさまで同じ階の病室の中で私が一番お見舞客が多い、と看護婦さん達が言っていた。 退院前日まで次々と友だちが来て下さったのでおかげさまで退屈することなく過ごすことが出来た。 ホントに感謝・感謝だ。 退院してからも、買い物をして下さったり、一人暮らしの私を元気ずけにきてくださったり
たった今もメールで「明日何か御用がありますか?」と問い合わせてくださった。

手術から二週間すぎ退院したころにはお腹のキズもすっかり癒えて、ぐにゃぐにゃだったおへそのあたりの肉も盛り上がって来て、むろん痛みもほとんどなく、近代医学の進歩に先ず驚異を感じている。 何しろ手術後特別な痛みを感じたことは一度もなかった。  お腹に三か所キズが残っていただけだった。10日から19日まで口から水さえも飲むことが出来なかったので、キッチリ5キロ体重が減った。 退院してからも摂食して体重を増やさないようにしようと決心しているのだが、果たして守れるかどうか?

今日の午後思いがけず近所のブティクから華やかな花かごが届いた。 さすが、私の好みの色のピンクと白のバラを取り混ぜたもので、最初に頂いたお花がそろそろ枯れかかったころだったので、家の中が明るくなった。

2009年11月27日金曜日

看護師さんと看護婦さん

入院した病院には看護婦さんのほかに3,4人の看護師さんが働いていた。 当初白衣を着た看護師さんをお医者様と間違えて、”先生”と話しかけたら「わたしは看護師です・・・と少し表情を固くした看護師さんがいた。 私は直ぐ、多分医師の方が格が上だとおもっているのだと、今後その白衣の違いに注意することにした。 

看護士・看護婦学校から研修に来ている看護士の卵が何日間か、私に密着して介護することになり、私も出来るだけ協力しようと思った。 朝9時から夕方4時までの間、何をするにも付き添ってくれて、たとえばトイレ、シャワーを使う時も衣類を持って入口付近で待っているし、食事も運んで来てくれる。  不器用な手つきで血圧を計ってくれたり、聞けば手術の時も私の許可を得て立ち会ったという。 面会の方がいらっした時だけはお互い自由だったが、動けるようになってきたら可也うざったくなってきた。 

彼が言うには看護婦さんにはトテモ敵いません、女の方が感もよくきびきび動くし判断力も優れています、という。 それは人によるのではないか、とわたしは思う。 現に看護士のトップらしい、男性は私が転んだ時飛んできて直ぐに血圧を計ってくれたし、私の前のベッドの方が移る時所謂 ’お姫様抱っこ’してベッドから車椅子に移していたのを見た。 その看護士さんは他の看護婦さん達からも尊敬されているように見えた。

看護、介護という仕事も男性にも開かれた新しい分野ではないかと思った。

2009年11月26日木曜日

腸の手術と食事

私は無類の食いしん坊ということは何方も御存じのこと。 手術前から一週間絶食、ということが果たして我慢できるものかどうか? と心配していた。 ところが結果として入院した10日の昼にジュースとスープ
をいただいた後は、点滴だけで、水さえ飲ませてもらえなかった。 唇が乾いて三度も皮がむけた。  手術後ぴったり一週間経った19日に初めて重湯が出た。 その重湯はまるで’舌切雀’の舐めた糊のようで、食べるというより、舐めるようで、半分も食べられなかった。 おまけに、私の残した重湯?が床にこぼれていたのを気ずかず、慌ててトイレに立った私が滑って床に倒れた。 
 
拭き取ろうとしていた看護婦さん達は大慌てで「起きられますか?」と言う。 起きられるけど、それより点滴の器具を起こしてよ!  手術後初めてのトイレで私も可也慌てていた。 ベッドに戻ったら、 看護師(男性)がすっ飛んで来て、まず血圧を計った。 「安静にしていてください。 どこか痛い ところはないですか?」と問う。 「そちらの所為ですからね!」私は少し強く言った。 そのあと外科の医者が手術衣のまま駆けつけた。 次々と看護婦さん達が謝りに来た。 「わかってればいいのよ」声には出さなかったが、大した痛みもなかったので・・・。 日本人ではない?少し生意気な看護婦が「私がこぼしたので、何かあったら言ってください」と謝るともわびるともない事を云う。 

10日ぶりで出た食事とも言えない重湯を私は憎んだ。 夕食は?重湯だったら、許さないわよ! 夕食は三分がゆだった。

この病院の食事が可也凝っていて、単純な煮魚などではなく、かぶら蒸し、とかあんかけにしてあったし、同じメニューはなく、必ず三種類の副菜が出た。鳥のひき肉豆腐を和えたものサツマイモも細かく切って甘く煮つけてあったりじゃがいもはサラダにしてマヨネーズが添えてあったりした。 
 

2009年11月25日水曜日

昨日無事退院いたしました

11月10日に入院、12日に予定どうり手術。(後で伺うと3時間余りだった由)出てきてもお腹に何の痛みもなく、同時にとった胆嚢の石を見て「それ、後で下さい」と言って、しみじみと眺めた。 皆が良く痛くなかったわね~、と驚いていた。 二人の妹達が立ち会ってくれたので、大変心強く感じた。 

もう少し術後痛むかと思っていたが痛み止めが効いていて左程感じなく、医学の進歩に妙に感心した。 自分では可也しっかりして対応した積りだったが、後で妹に訊いたら、麻酔が覚めず、可也おかしかったところもあったらしかった。  

池上総合病院には一人部屋が少なく、四人部屋に強制的に入れられた。 乳がんで入院されていた二人が退院された後、少し精神的に不安定な方方お二人の中で、滅入りそうな感じだったが、妹やジムの友人、近所のお友だちが示し合わせたように時間や日にちを違えてお見舞いに来て下さり、有り難いことだった。

手術の翌日からはトイレにも歩いて行かされその後も、談話室?で妹の次男一家、英里ちゃんたちとも会うことが出来た。 あ茶目な里彩ちゃんが「大伯母ちゃまはキット甘いものを食べ過ぎたから、お腹切しことになったのよ」と本気ともふざけたとも思える事を言って皆を笑わせていた。  彼女も、おねえちゃまと同じ幼稚園に?入れてホントによかった!  英里ちゃんは自分で作った’物語’を書いて、私をなぐさめようとしてくれた。 (続きは又明日)

2009年11月9日月曜日

いよいよ明日は入院

いよいよ、明日午前10時~10時半に入院野手続きをする。 一人で入院の支度をするのは、やっぱり不安なところもある。 パジャマやタオル類は貸出ができるということなので、洗濯は免れた。 夫とか母の入院の際は病院内での洗濯も出来たけれど、一人暮らしの私にしてみれば、貸出を利用することは大助かりという次第。

日にちが近ずいてきたら、だんだん落ち着いてきた。 というか‘まな板の鯉‘という感じ。 今日は美容院に行って、さっぱり、きれい、きれいになった。 もっていくものを確かめながら、ちょっとした旅行に行く感じかな?
 
横行結腸の腫瘍の検査を毎年しなくて済むこと、又このままで何年か経って悪性に変わって、更に年を重ねての手術の危険度を考えて、内科の医師はもう少し様子を見ても・・・と言われた。 これも、ここ4年間毎年言われてきたこと。

下の妹が明日の午後様子を見に来てくれると先ほど電話があったので、心強い,ありがたいこと、一人暮らしで子がないので、何でも一人で・・・・と突っ張ってみても、所詮詮無いこと。
 
周りの皆さまもどうぞよろしくお願いします。

2009年11月5日木曜日

夕食前に・・・・

最近、夕食前に一時間くらいの間、ピアノを弾くことにしている。 むろん来客があったり、出かけていて不可能な日もある。

午後4時から6時くらいの間は家の前の道路も人通りがほとんどないので、私には好都合。 というのは、この辺りにはピアノの上手な方が多く、私のピアノは道路から丸見えなので、見られたくない、聞かせたくない?ので、早めに雨戸を閉めて弾くことにしている。

最近はショパンのワルツ、ノックターン、マズルカの中からその日の気分に合わせて弾く。 それに’花の唄、エリーゼのためになどの軽い曲。 メンデルスゾーンの結婚行進曲が今凝っているナンバーかしら?

 以前ブログで告白したように、夕食にご飯類を頂かないようにしていて、意志の強くない私はつい間食に手を出しそうになるので、それを抑えるのが一つの目的。 日を重ねるごとに、指もだんだんなめらかに動くようになって、結婚前に、このくらい熱心に練習していればもう少しはマシだったかな~などと少し後悔している今日この頃。 

2009年11月4日水曜日

考えるのよしたら・・・というのは無理!

先週末、英里ちゃん、里彩ちゃんそしてそのパパからお見舞いの電話があった。 英里ちゃんには、手術のこと詳しく話したけれど、理解できたかなあ~? そのあとパパが出て、大げさな手術ではないことを話 した。
言葉は少ないけれど、心配している様子が伝わってきた。 お友だちからは色々お尋ねがあったけれど、二人の妹達だけしか、様子をうかがう電話もなかったので、少し失望していた。 

その翌日、下の妹の長男から電話があった。 「事実を知るのが怖かったのかしら?」と妹に言ってみた。
私が一人でペラペラ説明した。 色々忠告したかっただろうけれど・・・。

私は5年くらい前から横行結腸に腫瘍があって、それは悪性ではなく、毎年大腸の検査をするのも大変辛いことで、昨年も「手術するようにしてください」と言ったけれど、又一年経ってしまい、毎年、年はとり、当然体力も落ちるわけだから・・・と思い。 所謂”年貢の納め時”と思っていた。 その上今年は少し大きくなっていて、もしそのままにして、癌になったら・・・。 現に母は横行結腸癌だったわけで、私が母の隣に住まっていて、しかも夫は他界していたので、とりあえず看病することが出来たのだけれど・・・・などと思う。

一旦決心したものの、色々最悪のことも考えたり、まあ、盲腸の手術のようなものだから・・・と思うようにしたり、夜ベッドに入っても中々寝付けず安定剤を飲む事も多くなった。 80歳になろうとしているので、当然理解力も劣り、物忘れも多くなっている。 今日も保険会社の人に来てもらって、手続きの説明を受けた。 長く支払っても・・・・? それでも、援けにはなるかな?

とりあえず、周りの皆さま、よろしくお願いします!!