2007年11月27日火曜日

私の中での結論

それから何年か経って、三島氏が結婚なさるという記事が新聞、週刊誌に載った。 お相手の方は著名な画家のお嬢様でトテモ穏やかな方のように感じた。 週間新潮に出ていた三島氏のお嫁さんを選ぶ条件を見て私は驚いた。
親のこと、出身校、年齢、身長その他が、私とぴったりだった。  このことはまだその頃結婚していなかったが、私としては、少し気分のよいものだった。  今は、反対してくださったY氏はロンドンで亡くなり、三島氏の奥様もお若くして亡くなった。

私は自分の結婚を後悔しているわけではない。 ケッコウ面白い人生を共に生きたと思う。 ただ、もう10年は生きていて欲しかったかなあ~。 前般は越路吹雪さんが披露宴でお話なさったように「酒に強く、仕事に強く、女に強い?」亭主であり、後半は病のためか仏のようにおとなしい夫だった。 私は二つの人格を一人の夫で経験したことになる。 私の嘘のような本当のお話しは・・・・・これで終わり。

2007年11月26日月曜日

紅葉がり?

親戚との約束事も一応終ったので、大分前から行くお約束をしていたお友達と高尾山にしようか長瀞にしようかと迷っていたが長瀞に決めて、10時に待ち合わせて池袋から今日は東上線で寄居まで行き、そこで秩父線に乗り換えて長瀞へ行く計画を立てた。 久しぶりで東上線に乗ったが西部線に比べて車両もその他の設備も可也劣っているのを感じた。 長瀞は以前車で行ったことはあったが電車で行くのは乗り換えも多くて可也大変だったが、レンラクがよく長瀞へ着いた。 そこから5分くらい歩いた所に隅田川?の上流と言われる川岸に着き、美しい紅葉を見ることが出来た。 長瀞は石畳が多くその石の大きさと言うか深さは大変なものだそうだ。

帰路は余りにも東上線がひどかったので西武線の沿線まで行き、そこから特急に乗り快適に池袋まで着くことが出来た。 その西部線の特急は以前秩父に芝桜を見に行った時と同じ駅だった。 パソコンで調べただけではやっぱり分かりにくいことがある。 
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ところで、三島氏の父上とのお話しの後だったか先だったか記憶は定かではないが、午後4時ごろ飼い犬を連れて一人で家を出て、右に曲がり小さい坂を降りようとした時、緑ヶ丘方面から犬を連れた近所では見かけない清潔な感じの方にすれ違おうとしたら、その犬が私の連れた犬に凄い勢いで吠え付いた。 その青年は「これ、これ!」とご自分の犬をたしなめた。 私は自分の犬を強く引っ張って逃げた。 そして数歩歩いて「あら、白いスピッツ!、若しかして三島さんだったのでは・・・・」と思ったが振り向かずに反対方向に急いだ。 今思ってもアレは三島さんだったし、その後その方はどちらの方に行かれたかも見定めなかった。 

Yさまの奥様は依然として、三島さんをお勧めになり「先日、家で会をした時にお嬢様のこと申しましたら、彼は珍しくテレまくってソフアーから落ちてしまったのよ!」と私を持ち上げられる。 だからって・・・・? 母がお父上と電話でお話したことを言ったら、Y夫人は少し驚かれて「そんならお話が早いわね」と仰り、その後、お二階にいらっしたご主人にお話にいらっした。 そして、「主人がダメだ!」と言ってる、と仰り、その後降りてこられたご主人も私に「お止めになったほうがいい!」と強く繰り返されて、やや不機嫌にお家を出られた。 次号に・・・

2007年11月25日日曜日

昨日の続きと・・・・

連休で上京している姪夫妻が一緒に食事しない?と誘ってくれて、帰阪する前の時間を恵比寿の叙叙園に予約を取ってくれた。 以前何度か姪と行った事があったが休日には中中席が取れない。 何しろ夜景が美しい。 以前と内容は少し変わっていたけれど、品数も多く楽しめた。 地元なので私が支払うつもりだったのに、姪の夫がご馳走してくれた。 二人のふんわりっとした思いやりに癒される。

ところで、昨日の続き・・・Yさんの奥様は私にその時期三島氏の「美徳のよろめき」という書き下ろしの新刊をお貸しくださった。 裏表紙には美しい三島氏の自筆のサインがあった。 私は子供の頃から本が好きで、父の本棚にあった世界文学全集のほとんどを小学生時代から読み漁っていたが、日本の作家は私小説が多い様な気がして夏目漱石、有島武雄、島崎藤村などのものしか読んだことがなく、三島氏のもほはホントにはじめて読んだ。

その後処女作の「仮面の告白」も読んでみた。 文体というか雰囲気というかが、すんなり私の中に溶け込んで行きそうで少し親しみを感じた。 前に言ったように、三島氏のお家は私たちの住んでいた大岡山から坂を下って、又少し上る住宅地にあり、そこから又少し歩いた所に家ぐるみで親しくしていたお友達の家があったので、少し回り道をしてお家の前を通ることもあった。 少しお体の弱いお母様がよくお庭で日向ぼっこをしていらしたこと白いスピッツ(犬の種類)を飼っていらっした。

一方、気になっていたA紙の経済部にお勤めの方は推察ではあるが、大阪に住む方で彼に好意を持っ女性があるような感じがして、最後にその方に会いに行った時「私三島由紀夫さんと縁談があるの」と言ってしまった。「三島さんだったら、一生食べるのに困らないですよ」とその方は言った。 三島さんをダシにした何とも失礼なことだと、今は理解出来る。

その頃としては24,5歳を過ぎると・・・・という焦りもあって、今考えると、そんな非常識な!! と思うのだけれど、Yさんも中中お話が通じないし、ご主人に気を使っていらっしゃるご様子だったので、母が呉服屋さんに三島氏宅の電話番号を聞いて、直接お電話をした。 電話口で出られたのはお父上らしかった。 母は気を遣いながら話していた。 私の履歴と写真はお手元にあるらしく、自薦他薦で色々なお話しが・・・と仰っているようだった。
でも最後にY様のご紹介で・・・と言ったら、それでは喜んでお受けさせていただきます、とご丁寧に仰ったらしかった。 その続きはまた明日!

2007年11月24日土曜日

三島由紀夫氏のこと

今日ジムで時々会うボルジブの外交官の方と立ち話をしている中で、私は何時も外国人に強く勧めるのだけれど・・・彼は4年も日本に住んでいるのに名古屋にしか行ったことがないと言う。 京都の話をしたら、京都はGOLDEN TEMPLEとかいう本を読んだことがあるという。 その作家の名前は?・・・と言ったので「三島?」と尋ねたら「そうだ!」と応えた。 彼は4年間パリで大学に行き、その後外交官として2年仕事をしていたと言う。
三島氏の「金閣寺」はフランス語訳がある。

明日は三島由紀夫氏が自殺なさった日だと言う。 その日のことはよく覚えている。 五反田の家から久が原の家に来た時「お姉さま! 三島由紀夫が大変よ!」とたしか下の妹が言った。 嘘のような本当の話。 
私がまだ24,5歳だった頃、三島さんの文士仲間のお一人だった方の奥様にトテモ可愛がって頂いて、10日に一ぺんくらいお宅を訪問してお話をしていた。  何方かジャーナリズムに携わる方を結婚相手として紹介していただきたいという下心があった。 

そして或る日その奥様が「三島由紀夫さんはいかが? トテモいい坊ちゃんよ」と仰った。 偶然その頃三島さんは緑ヶ丘に住んでおられ、私は大岡山に住んでいて、歩いて10分くらいのところで、その頃、京都から来ていた呉服屋さんが三島さん(ご本名は平岡さん)に寄って次は私方に呉服を担いできていた。( その呉服屋さんにYさんも紹介していただいた)その呉服屋さんが私の履歴と写真を平岡家に届けてくれていて、彼の言によれば、文箱にお母様が収めれれました、と言うことだった。  その頃私は一目ぼれでA社の記者さんに夢中だった。 自分では運命の出会い、と思っていた。 ところがその方が結核に冒されて芦屋の病院に入院なさり、今のように東京から大阪まで8時間かかり、電話も直通ではなく一旦切って待つ状態だった。  今日はここまで・・・。疲れました。

2007年11月23日金曜日

オペレッタ「天国と地獄

京都の妹のお知り合いの娘さんが二期会に属していらっしゃり、昨年の「蝶々夫人」に続いて、今年は「天国と地獄」というオペレッタに出演なさるとかで、妹に頼まれて下の妹と待ち合わせて日生劇場に行った。

「天国と地獄」と言って頭に浮かぶのはオッフェンバックの曲で運動会などの徒競走でバックに必ず聞こえてくる曲が頭に浮かぶだけで、オペレッタとしての認識は全くなかった。  幕が開くと最初にヒロインが着物姿で出て来て先ず異様な感じがした。 演出の所為なのか? 衣装担当のファッションモデルだった故山口さよ子さんの意図なのか、まるで不明。 最後までこの意味合いがわからなかった。 総じてドタバタ劇というか、ドタバタオペレッタと言う感じ。 例の運動会の曲?との関係はどうなっているのだろう・・・?とロクにプログラムも見ないで、気にしていたが後半に親しみ深い「タ~ン、ターン、タ、タ、タ、タ、ターン、ターン、タ、タ、タ、タ、ターン、ターン、タ、タ、タ、タ。タ、タ、タ、タ、タ、タ、タッタ。 というメロディーが聞こえてきて妙に安心した。

最近のオペラはミュ―ジカルのマネで「ブロードウェイ方式」でアンコールの挨拶をするのが普通になって来た。
1度目のアンコールだけで席を立つのは無礼になるようだ。
自分達が支払ったわけではなかったが、オペラなどももっと安く一般に見られる(鑑賞する)ようになればいいのに・・・と妹と話した。 

2007年11月21日水曜日

生活習慣病検診の結果

月曜日、生活習慣病検診の結果を伺いに行った。 行く前からドキドキしどうし、何とも気の小さいことよ! 順番が来る前に先生と奥様が話していらっしゃるのを気にしたり、名前を呼ばれても心臓が止まりそうな感じだった。

先生が結果報告の用紙に目を通されながら「一つ気になることがありますが、大したことではないのですが・・・」と仰り、気を遣いながら、「ホンのわずかなことですが、グルコースの価が少し高いので、糖尿になる怖れがあるので、今はそうではないですが・・・・、甘い物を控えて、少し体重を落としてください」と仰った。 家に戻って色々な結果を見てみたら、コレステロールも正常、HDLコレステロールも以前は善玉とは言え、可也価がたかかったのが75となり、中性脂肪も範囲内。 一番気になっていた心臓も今年は正常。 検尿も不思議なことに蛋白、潜血、糖いずれもマイナス。 これは務めて毎日ジムに通って運動をしている結果か? 御友達に勧めれて毎食後飲んでいる核酸のお陰なのか?いずれにしても嬉しいこと。 ただ、自己申告はしなかったけれど、脚のこわばりは気にはなる。

それでも作日は疲れた・・・と思いながらも、直ぐ元通りになれた。 この年にしては元気・・・と言う事かしら?今日の妹への電話で英里ちゃんの優しい言葉を聞いて、泪がこぼれそうになった。 二子玉で私だけが妹の家に一緒に行かないで車を降りて二子玉の駅まで歩いているのを車から見たからだろうか「大ばばは(私のことをそう呼んでいる)どうしてば~ばのところにこなかったの?」と聞き「皆一緒に住めば良いのに・・・」とママに言ったとか・・・。私が独りで淋しいだろうと思ってくれたのだろう。 その優しさと思いやりを失わないでね?

2007年11月20日火曜日

お台場あたりで・・・

たまプラーザの妹が日航のマイレージがたまったので、お昼をご馳走してくれると誘ってくれた。 お昼よりも、私は久しぶりで英里ちゃんと彩里ちゃんに会えるのが楽しみだった。 二人の子ずれなので車で行くと英里達のママが言ってくれて、二子玉の高島屋前辺りで待ち合わせた。 英里ちゃんは幼稚園の所謂’お試験に難関突破・・・で入園したところで「おめでとう!」と言ったが何のことだか余り分かってない様子だった。 次に彩里ちゃんが果たして私をちゃんと覚えているかどうか心配だったが、会った途端二人ともニコニコ声を揚げてくれて感動した。

途中少しの渋滞はあったものの、無事予約時間前にホテルに着いた。 彩里ちゃんが広いホテルが嬉しくて例のお尻をふりふり、アチコチと走り回って、少し前まではヨチヨチ歩きだったのに、成長の早さについていけない感じ。
バイキング形式の料理だったので代わり合って料理を取りに行ったが、英里ちゃんは自分の好みの物をキチンと摂る事が出来るようになって、これも成長だ。

食事が終った後、まだ太陽も照っているので、近くの観覧車に乗ろうと言う話になった。 車でホンの5分くらいのところで下はゲームセンターのようなかんじのビルだった。 高いところは少し躊躇があったけれど、人数的にも、又こんな機会でもなければ、観覧車などに乗ることもないだろうと、皆に従った。 王女様たちは下を眺めて歓声をあげ、英里ちゃんはその高さを理解出来るようだった。 以外にゆっくりと上り下りする物だと、そのうち怖さを忘れた。 その後ゲームセンターで少しお遊びをして、彩里ちゃんもケッコウ自分の好みのものを見つけては楽しんでいた。 トテモ楽しい時を持たせてくれて感謝! でも正直、少し疲れて家に雪崩れ込んだ。 年をとることは少し情けない感じ。

2007年11月18日日曜日

励と英美のヴァオリン・デュオ

ニューヨークに住む夫の姪の子、励と英美のヴァイオリンコンサートがあるを言うのを昨年からトテモ楽しみに待っていた。
励のヴァイオリンは昨年聴いたし、英美も妹の家でホームコンサートをしてくれて、聴いたことがあったが、デュオはラジオでしか聴いたことがなかった。

甥が車で迎えに来てくれて、虎ノ門のJTアートホ―ルアフィ二オには開場より大分前に着いた。 入り口で30分以上も待つのも・・・ということで甥夫妻と楽屋まで二人を訪ねた。 二人ともまだ平服でくつろいでいたが長居しては・・・と又入り口で開演を待った。 そのうち京都から偶然上京していた妹とたまブラ―ザに住む下の妹夫妻が入ってきた。  丁度ホールの真ん中ほどに皆の座席を確保して、開演を待った。

最初に英美が次に励が出て来て演奏が始まった。 二人の息の合った演奏に周りは感激の様相だった。 励ちゃんがリードしているのだろうけれど、彼の包むような優しさと妹を起てようとする大きさを感じたし、英美も女性にしては厳しすぎるようなテックニックも立派にこなしていて、更に女性らしい細やかさも感じられた。 
いずれも一般の聴衆には少し難しいいわば玄人ムキの楽曲だったが、最後の2曲のアンコールも実に見事な演奏だったと思う。 山田耕作?の’赤とんぼ’と’さくら’変奏曲は励ちゃんの編曲だったのだろうけれど? 優しい洒落た曲だった。

終った後も感激で辺りが熱くなっているような感じだった。  帰りがけ二人揃って入り口で立ってお客に挨拶をしてくれて、疲れているだろうに二人ともにこやかに挨拶を交わしていて、好感が持てた。

会場を出たが妹達とお茶を飲もうと近くのビルの喫茶店に入ったが、皆家に帰って食事するのもメンドウだと
思って、そのビルの3階の中華料理店に行った、セットメニューが平日の1/2だというので、4人で食事をしたがコレガ又思いも依らず美味しくて、感激! 
風がトテモ冷たいようだったが、充実した日になった。

2007年11月16日金曜日

ようやく一段落

今日午前11時に兄弟4人最寄の不動産屋さんに集まって、私道の登記と妹と弟との土地の売買契約が無事終って一安心! 直接自分のことではないので、皆に連絡した証明書などの間違いがないかどうかで、朝からドキドキしてそれを治めるために安定剤をのんで出かけた。 とりあえずすべて無事に終ってホントに心からホッとした。

一昨晩も英語の生徒さんが10時過ぎまでいらっしたので、それから寝に着いたのは12時すぎてしまったし、昨夜も以前ご一緒にオリエント急行に乗る旅行をしたお友達からお電話があり、真夜中までお話が尽きず就寝したのは12時半過ぎてしまい、疲れが今朝まで残っていた。 そのお話の中で私の近況報告として、お料理教室を又始めた・・・と言ったら、彼女も是非参加させて欲しいと言われ、今生徒さんが3人なので、もう一人くらいは・・・と返事をした。 お料理にしても、英語にしてもこの年になって・・・という戸惑いも正直言って当初はあった。
だけど私たちの仲人である著名な黒田初子先生は85歳くらいまでお料理を教えていらっしゃたし、まだご要望がある限りは少しのおこずかい稼ぎにもなることだし、そのお友達の仰るように色々異なった環境の方方との交流も人生の肥やしになるのかもしれない。 

今日で一先ず責任のある務めは終った。 やれやれである。

2007年11月11日日曜日

頭の交通整理

今日は英里ちゃんのパパのお誕生日と英里ちゃんの幼稚園のお試験の日だと理解している。 
急に冷え込んできたので、誰もが風邪など引いてなければ良いな、と案じている。 一方、私は来週のおびただしい忙しさを自分なりに整理して行動しなければ・・・とカレンダーを見ながら、午前中は・・・?午後からは・・・?と頭に刻み込んでいる。 最近度忘れとも言い切れない’忘れ’が多くなって、自分だけの問題ならいいのだけれど人様にご迷惑をかけるといけないと思う。

月曜日は年に一度の生活習慣病の定期検査。 火曜日は妹の家に行ってパソコンの指導? 水曜日は午前中はジムに行って、午後は歯医者さん。 木曜日は午前中ヨガで午後は美容院、夕方から英語を教える。  金曜日は朝から兄弟集まって隣の貸屋のことと私道の登記、これが又大変、用意する書類を調えなければ・・・まだ印鑑証明を取ってない。 その翌日土曜日は若し行けたら午前中、健美操に行って午後からは料理教室。 そのための材料の買出しの時間がない! 困った、困った。

その翌日の日曜日はニューヨークから来ている夫の姪の子の兄妹の英美ちゃんたちのコンサート。 
・・・というわけで、今日の午後久が原まで歩いて料理教室で使う材料で前以て買って置ける物を買出しに行った。
久が原まで歩いて行くと往復、買い物の時間も入れて1時間20分かかる。 キッチリ1時間は歩かなければならず、最近は自転車に乗れない自分を情けなく思う回数が多くなった。 自転車だったら簡単に用足しが出来るのになあ~と今更ながら、毎日そう思う。 そんなことを考えていたら、夕方から冷えも加わって血圧が上昇した。

2007年11月10日土曜日

ジムでのいろいろ

土曜日は毎週「健美操」という身体のつぼを押えながら、可也難しい体型も取らなくてはいけないので、私にしてみれば可也ハードな部分もある。 そのスタジオで、何時も私の近くに場所をとるお友達が「伊藤さん、お年はお幾つですか?」と尋ねてきた。 特に隠している必要もないので「77歳よ」と応えた。 彼女は「70台の前ぱんでいらっしゃるかと思いました。 私も見習って頑張らなくちゃ」と多分60歳くらいの方が仰った。

その後スタヂオに行ったら、最近毎日のようにジムに来ているドイツ人の青年が私の側のマシンに来た。 先日から何となく挨拶はしていた。 マシンを一回りしたところで、以前土曜日には奥さんと一緒に来ていたアフリカの北の方の方で久が原に住み大使館に勤めている少し肌の色の濃い方が嬉しそうに挨拶をしてくれた。 私はここで又国際的社交性を発揮して二人が側に来た時、何となく二人を紹介した。( 二人とも何時も淋しげに友達も無く過ごしていたので・・・)そこで、三人で話すことになった。 ドイツ青年は日本語が話したいようで、アフリカの彼は元々はフランス語が母国語らしかったが、英語で、私もどちらかと言えば英語を話したかったので、三人で主に英語で話し合った。 二人の男性はそれをきっかけに、後でも話し合っていて、よかった!

スタジオから出て更衣室に行ったら、三階のスタジオも終ったところで、20代と30代の方方と一緒になった。
通路が狭く脱ぎ着をする方と着替えを持って外へ出る方と交錯してしまう。 私も着替え終わって、両側の20代と思われる方方のことを気にしていたらそのうちの一人が「早く通って頂いて、よろしいでしょうか?」と私には何とも通じにくい言葉が聞こえてきた。 私は「失礼します」と太目の身体をちじめながら、通り抜けた。 これって?
謙譲語? 丁寧語? 私には命令語に取れた。

2007年11月8日木曜日

私道

すいぶん長い間、このブログに書き込んでいませんでした。 

隣の家の私道が亡母の名前で登記したままだったことと弟が土地の一部を妹に売るということで、ここのところ何だか落ち着かなくって、書き込みをする気がしませんでした。

ホントにお役所仕事というのは、書類とか証明書とかが多く必要で、ホンの少しの私道のことなのに、アチコチ駆けずり回らなければならないのです。 例えば、亡母の除籍謄本とか当事者の謄本、住民票、印鑑証明、それに相続時に作製した登記書などなど、私は本籍が千代田区なので、謄本をとる度に現金小為替なるものをとり、封筒に私の宛名と80円切手をはり、千代田区役所に請求するので、手間がかかります。 

年をとると書類を見るのも面倒で、しかも私は隣に住んでいるので、すべて私が仕切るハメになるのです。
オマケに私は元々数字に弱いので、それも困ったものです。

それでも、今の所日曜、月曜を除くウイークディズは一生懸命ジム通いをしていますので、脚腰の痛みはうすれたようです。 

2007年11月3日土曜日

オリエント急行

今晩のTBSのゴールデン・アワーに「世界不思議発見」という番組がある。 今晩のテーマ―は’オリエント急行’だと言うことで、バレーの韓国と日本の放送を気にしながら、チャンネルを換えた。
 
もう10年も前になるだろうか、’オリエント急行での旅’というJALの旅に妹を可也ムリに誘った。
成田空港からイタリアのフィレンチェに行きその後ローマ次にヴェニスと可也盛り沢山のスケジュールだったが、
オリエント急行に乗る・・・というのが可也魅力的だった気がする。
ヴェニスは海の中にあると理解していたが、今日の番組で了解した。 今覚えているのは、ベニスから列車に乗り込んだ。 一晩列車で過ごすということと、食事の時は正装で・・・というお達しだったので、手荷物を持って、今の私だったらトテモムリだ・・・と思われるほど、列車のステップは高く、手助けが必要だった。

番組で紹介していたように全部所謂コンパートメントになっていて、昼間は椅子席だけれど、夜にはベッドに変化するのは夜行列車と同じ。 当初魅力的だった山の景色もだんだん飽きてくる。 私達はツアーで行ったので、夕食時間も2組に分けられた。 番組で見たように、食事は見事なフランス料理でナイフ、フォークお皿にもオリエント急行のマークがついた立派なものだった。 特にデザートには感激した。 朝食は係りの車掌が丁寧に一人、一人に丁寧にサーブしてくれた。

ただ、乗り心地はよいとは言えない感じだった。 止まる時など、ガタンとゆれたり立っていられない感じ。 それに夜(妹が上のベッドに寝てくれたのだけれど、空調が悪く、上は暑く、小さな扇風機が合っても役に立たず、係りの男性に言っても、改良はされなかった。 結論として言えば「オリエント急行に乗った」と言うことが、今思うと可也意義のある、話題性のあることだった・・・と言う事か? ちなみに、今日の番組の回答者の内、オリエント特急の乗った経験のある方はただ一人だった。