2007年8月27日月曜日

戦後の・・・3

戦後、私たちにはもう一つの不安があった。 
果たして私たちはこのまま、当時の地域に住みつずけることが出来るかどうか・・・と言う問題があった。 特に私は長女だったので、時々父母の話すのを敏感に感じ取っていた

父は戦時中、いわゆる軍事工場の工場長をしていたので、当然、所謂レッド・パージに該当して新しい職につくことは難しいだろうと思われた。  「津野に引っ越すか?」と母に話しているのを私は聞いた。  津野と言うのは、父の養家先で福岡県の英彦山の麓の小さな村だった。
「冗談じゃない!」私は大反対だったが、それかと言って、それから4人の子供を収入なしで暮らす事など出来ないということは想像できた。 

その頃、父が勤めていた会社の確か勤労課長をしていた関西出の方が、父に色々忠言をして下さり、所謂「闇商売」を勧めて下さったらしい。 でも今考えると父はあまり深入りは出来ず、私の知る限りでは白羽二重の反物が沢山洋服ダンスの引き出しに入っていた記憶がある。

それに、一番下の妹が週に何回か父とそのお宅に行って、アメリカ製のガム、チョコレートなど
頂いてきたのがトテモ羨ましかった。 補足として、その御夫妻には子供がなかったので、下の妹を養女にくれないか?という話があった由で、モノのない時代のことなので、若しかしてそうなったら妹は幸せだろうか?と思ったこともある。 今考えるとトテモ切ない、悲しいことだ。

0 件のコメント: