戦争が終結を迎える一週間ほど前、私たちが通っていたレンズ工場で火災が起きて、私たち女学生はその工場に行くことが出来なくなっていた。 しかもその工場の庭の端に不発弾が突き刺さっていて、何時それが爆発するかもしれなかった。 その火事場でレンズを運び出す作業をして、私の顔はまるで火傷を負ったように真っ赤に脹れ上がっていた。 今時の?高校生には信じられない事だろうけれど、当時女学校三年生から’動員’されて、半数は学校工場と言って学校で軍服などのミシンかけ、など可也楽な毎日を送っていた事を、戦後私たちは知った。
当時は近くの工場で働く事がトテモ誇らしく、特に旋盤工は憧れの的だった。 中でもその班の班長は日の丸に神風と書いた鉢巻をキリりとまき、その手ぬぐいの数が少なくて全員にはわたらなかった、それほどモノは少なかったのだ。 私としては何とも尻切れトンボの感じで、その精機光学という工場との縁が終った。
0 件のコメント:
コメントを投稿