2009年9月27日日曜日

栗の渋皮煮と諒ちゃんのバ~バと

朝10時ごろ昨日栗剥きを手伝って下さったお友だちが沢山の渋皮煮を作って持ってきて下さった。
少し大きめの栗を選んでお持ち帰りくださったけれど、今朝はトテモ作るのが面倒だと言われている渋皮煮に変わって渋皮も剥けず奇麗な形でできあがっていて感謝感激! 「つまんでみて!」と言われても頂くのがもったいないような、それでも一つつまんで食べてみたら、しっとりした上品な味だった。

今日は諒ちゃんのば~ばがお彼岸の先祖参りと私へのお礼で来宅の予定だったので、頂いた栗で栗ご飯を作ってお昼を一緒に頂き、諒ちゃんの写真を見ながらその時の説明を聞いて、笑ったり、会いたく思ったり・・・・。 諒ちゃんのママが熱を出したと聞いて心配になったり・・・。 

 秋の過ごしやすい気候もやがて直ぐ冬の寒さに変わり、木枯らし吹く頃も近ずいている。

2009年9月26日土曜日

洗面所の工事が完成!

昨日、洗面所の取り換え工事が完成した。  途中姪の出産で空白か期間があったけれど、その間も担当のUさんがお台場の展示場、新橋のパナソニック、新宿のTOTOに案内して下さって、結局、風呂場、台所と同じメーカのTOTOに決め、昨日待望の洗面所が完成。 昨夜午後8時から10時半までかかって内容物を収めた。  出した時はこんなに沢山!と思ったけれど、新しいものはまだまだ入れる場所がありそう・・・?

そのあと何度も洗面所に行って見て、一人でにやにやしている。 Uさんが自分の事のように何度もメジャーで計って壁紙を決めるのにも、私が持ち上がらないほどの重い見本を運んで下さって沢山の中から選んだものは可也すっきりしていてよかった! ミッチーことUさんは今日昼過ぎに点検に来て、やはり二度見に行って確かめ、満足でしたか?  

午後ジムの友人が早速見学?に来て下さった。 色選びに彼女の意見も聞いたので、「色、良かったわね」と仰って下さった。  そのあと、姪の婚家先から送っていただいた、莫大な量の栗剥きを手伝ってくださり、と言うかほとんど主役になって剥いて下さり更に重い栗を「渋皮煮を作ってあげる」と持ち帰ってくださり、感謝、感謝の一日!

2009年9月19日土曜日

敬老の日のお祝い

昨日、ご近所のAさんご夫妻が敬老の日のお祝いです、と仰って自治会からのお祝いの品を届けてくださった。 「これからも、お健やかにお過ごしになりますように」とお二人でにこにこされながら頭を下げてくださった。  私は少し照れながら「有難うございます」と答えた。

以前は敬老の日は九月十五日と決まっていて、その日に理事がご近所の高齢の方のお家をお訪ねして、心ばかりの敬老の品をお届けしていた。  最近は連休にしてしまうので、どの日が「敬老の日」で何時がお彼岸の(秋分の日)中日か定かではなくなっている。 

 私どもの自治会でも高齢者の数が大変増えていて、以前はお祝いの品も、可也のものだった・・・・・というのは以前私は自治会の副会長として、贈り物をどうするかについて論じ合ったことがあって年齢も今は確か七十歳からでそれもプライバシーがあるというので、事前に回覧で敬老の品を受け取るか否かを申告(一人ひとり封をして)届け出ている。 年齢についても、いろいろ論じて「七十五歳からにしたら?」という話もあったのを、私が七十歳から・・・・と強調した覚えがある。 自治会からの出費も多く、また喜ばしいことながら高齢者の数も可也のものとなる。  他の自治会では、年齢に区切りをつけているところもあるらしい。  それも大変手のかかる事になると思う。 一年に一回、ここに一人暮らしの老人が住んでいる・・・ということを知ることも、意味のある事ではないかしら?

2009年9月17日木曜日

お友だちのお誕生日

昨日はジムで仲良くしていただいている四人の中の最年少?五十二歳になった方の遅まきながらのお誕生祝いをした。  実はお誕生日は八月十一日だったのだけれど、私が姪の出産で忙しかったのでのびのびになってしまっていた。

場所は彼女の希望で六本木のミッドタウンにある、リッツカールトン・ホテルの四十八階?の日本料理の’ひのきざか‘ にすることになり、当事者の彼女が結局世話役になって、予約から、集合時間、ネットでの値引きまで、気を使ってくださった。 二つのお重に盛りつけられたお料理はトテモ手が込んでいて、満足できるものだった。  アチコチに秋がちりばめてあった。 この値段で?という感じ。

ミッドタウンには何度か行ったことがあったがリッツホテルに行ったのは初めてで可也ゴージャスな感じだった。 その後六本木に戻って友人三人とタオルで有名な"HOTMAN"の本店に寄り、友人はタオルでテーブル・マットを作るように頼んでいた。  洗えるので、いい考えだと思った。  私も小さなものを求めた。 
可也暑かったけれど楽しい六本木辺りだった。

2009年9月14日月曜日

秋晴れ・・・なのに

今朝は初秋らく晴れあがった好天気。  洗濯をしたり、アチコチかたずけがはかどると張り切っていたが、頭が重く疲れた感じだったので、血圧を計った見たらまあまあ、だったけれどこのまま動いてていたら次はどうなるかしら?と心配になり、何時かはこういうことで、自分で救急車を呼ばなければならない事も 起きるかもしれないなどと、不安が増してきた。 易の先生が今月は注意してね?と仰ったこともブラスした。 
   
それでも、やりかけたことはしなければならない。  少し横になりながら考えた。 妙に肩から背中が張っている。  若しかして・・・・昨日久しぶりの料理教室で緊張した? そのあと、少し重いピアノ曲を弾いた?  そのあと食後に書道の”かな文字”! 中々上手く書けないので二時間くらい書いた。
これだ!  肩にサロンパスを貼ってしばらくしたらウソみたいに頭のもやもやも消えて来た。 
目の疲れも色々影響がある気もする。  年を重うねて来ると、自分では思いたくないけれど、色々後
困ることになる。  午後から出張所にシルバー・パスの更新に行く。  出張所も遠いわね~坂かがあるshとご近所の方と話す。  

2009年9月13日日曜日

二か月ぶりの料理教室

八月は例年料理教室は夏休み。  七月は姪の出産のため、ドタキャンせざるを得なくて、今日は二か月振りの料理教室。  中華料理で豚肉、トマト・きくらげ・ワンタンの皮などの入ったスープ、茄子を蒸して卵にネギを入れてふわーっとさせたもの、クラゲ・きゅうりと大根の中華風酢の物の三品。

買い物も大変だし、献立をたてて、パソコンで打ちだして印刷する作業もケッコウ面倒で、時々「もう、止めようかしら」と思ったりするけれど、三人の生徒さん達が携帯で写真を撮ったり、「美味しいわ!」と仰って下さるので、また元気を出してつずけることになる。  このクラスも、もう三年になる。

2009年9月11日金曜日

書道

月に二回、自治会のクラブで午前10時から一時間半くらい、書道に励んで?いる。  ジム通いを始めて、運動だけでは、いけない、精神面でも・・・・しかも以前から字が少しは上手になりたい、という殊勝な気持ちもあって習い始(めて、もう十年以上になる。  

字は一向上手にならない。  父が何時も言っていた、「ふさ子の字は鶏が暴れたような・・・から上達したとはトテモ思えない。  やっぱり、生まれつき・・・・・なのだろう、と半ばあきらめている。   (ところが私の英語の字は下手ではない、と私は思っている。 キット前世はイギリス人だったのかも)

今日は、夏休み後の久しぶりの書道教室の日で、私が前回に要請していた「ひらがな」のお手本を先生が書いてきて下さった。  先生は実はひらがながお得意だ、と前回仰っていた。  三人しかいない生徒達はお手本を見て、ぞ~っとした、と私は思う。 「藤原行成筆 御物和漢朗詠集より」…と来た。

「いろはにほへと~つねならむう」までの字を何枚書いてもうまくいかない。 私だけだと思ったら、お友だちも苦戦していらっしゃる。 先生は一字一字を丁寧に筆を入れてくださった。  

帰宅して、お昼を済ませたら、ぐったりして、何もする気がしなかった。 

2009年9月9日水曜日

仲秋の名月

何時ものUさんが「いよいよ、仲秋の名月ですね」と言った。 「そうね」と答えたものの仲秋の名月の意味が良く分からなかった。 今日9月9日がそうなのかしら?と瞬間的に思った。 いや、9月9日は中国では”九重節”と言って月餅と関係があるのではなかったかしら?  何しろ物忘れがヒドイ

少し調べてみたら、仲秋の名月は 今の暦で言えば9月25日で、必ずしも満月のことを言うのではないらしい。  でも、24歳の若さの青年が’仲秋の名月’と言うのは何か嬉しい。  先ほど空を見てみたら、雲の間に六部位のお月さまが見えた。

夕方、トテモ可愛がっていただいていた小母さまから何年振りかで電話があった。 その方は以前大森に住んでいらっして、今は札幌にお一人でマンション暮らしをなさっている。 「ふさ子ちゃん、おばちゃまよ!」で始まり、私もう九十六歳よ!と御近あ況から昔話まで一時間近くお話しする。  記憶力の良いこと! お互い懐かしくて、涙がこぼれそう。 私はお世話になったばかりで、ご恩返しをしていない!
そのことが、ただ、気になる。お元気で!!! 

2009年9月8日火曜日

お子様ランチ

先日テレビで今時の’お子様ランチ’のことについて報じていた。  デパートなどでは今でも昔と変わらない形の’お子様ランチ’を提供しているらしい。 昔(私がまだ小学校に入る前のことだから70年以上前のことになるが)と今のお子様ランチはほとんど変わりないように見えた。


ハンバーグがあり、オムレツがあり、必ず旗が立っていた。 私が6,7歳の頃、つまり戦争前に、両親に連れられて行ったデパートは、当時北九州の八幡に住んでいて、丸九というデパートの食堂で、私はそれが、嫌なことの一つだったが、お子様用の足の長い椅子に座らされ、定員さんが、紙で出来たエプロンを、私の後ろに回って結ばれることだった。 今考えるとなぜ嫌だったのか分からない。  定員さんは「お嬢様だから、蝶々結びにしましょうね」などとお世辞を言いながら結ばれるのがたまらなく嫌だった。  その後の何年か戦争の間は、それこそ夢の夢の話しだったと思う。


今から二十年くらい前、少し変わったお友だちが、銀座のアサヒビールのレストランで 「ここの中のメニューでお子様ランチが一番美味しそう!」と言い「何も恥ずかしがる事はないわと!」と言って、勇気を出して、お子様ランチをオーダーした。  チキンライス、オムレツ、ハンバーグ、ポテトサラダそれにプリンも付いてお値段は安く、ケッコウお腹も満たされた。 だだ、そのお店の名前の入った旗だけは
我慢ならなかった。  

2009年9月4日金曜日

楽しい夕食を有難う!

この夏は英里ちゃんと里彩ちゃんにはもう、会えないかしら?と思っていたら、下の妹の夫が銀座 
の画廊で絵の展覧会に出品するので、それを見がてら夕食を一緒にしようと誘ってくれた。

妹の夫の絵はともかくとして(失礼!)英里ちゃん達に会えるのは、嬉しく4時半に画廊に行く。 しばらくして、現れた英里ちゃんは大叔母を直ぐに認めてくれたが、妹ちゃんは一瞬考えた様子だったが、直ぐに思い出してくれて、私の側を離れなくなった。

 絵を見終わってから、東銀座のホテルで夕飯をご馳走になる時も二人の姉妹は私の右・左に席をとって、大伯母はとっても幸せ。  バイキング形式だったので、英里ちゃんはデザートのチョコレートまぶしが気にいっているようだった。 お腹が満たされてくるとともに、里彩ちゃんはだんだん元気が出てきて、少し賑やかになったきたが、ケッコウ席も混みあっおていたので、左程気にする必要はなかった。
これだけで別れたくない気もちだったが、子供たちもだんだんすることが増えてくるに違いない。

帰りのバスの中で、芦屋に戻った諒ちゃんのママからメールが届いた。 その後の様子が気になっていたので電話をしてみようと思ってっていたところだったので、帰宅後電話した。 姪の懐かしい?声と諒ちゃんの元気そうな泣き声が聞こえてきたので、その声を聞いていたいような、ママに面倒見て!と言いたいような・・・・・。  やっぱり、芦屋は遠い。