2009年5月7日木曜日

思い出の写真

前に書いた昔の写真の殆どは破いて焼いた。 その中でどうしても破きたくない写真が何枚かあった。 それは多分初恋と言える方の写真だった。 以前そのことについて書いたことがあったと思うが、それは戦争中から戦後へとつずき、最後はその方の死によって終末する。 老いるまで生きていて下さったらどんな話が出来ただろうか?と今思う。 無論その当時のことだから、清らかな若しかしたら一人合点の想いだったかも知れなかった。
最後に頂いたハガキには「男女の愛と師弟愛と混同なさらないように」とあり、それからしばらく経つてその方は突然亡くなった。 

今思い出すと、大岡山の家に来て頂いたとき、母がトテモ冷たい態度で応対して、その頃あったお茶室でお茶をたててと、頼んだのに「用意していないから」と言ったり、私としてはお食事でも、と思っていた希望を打ち砕く感じで、学生時代にお世話になった、という態度はみじんもなかったのに私は驚き果てた思いがある。

当時のお付き合いは、ご一緒に横浜に行ったり、ダンスに誘われたり(当時は社交ダンスが流行っていた)「もう少し上手になって欲しい」と言われたりもした。

私が青山学院、聖心女学院を受験する時も「青山、聖心おそれるな、実力さえつければ」と仰ってくださり、私が青山学院に入学して直ぐ、えたいの知れぬ病気で一学期休んだ時も「御見舞いに行きたいけれど・・・少し遠いな」と仰って下さった。 その頃その方は女子高の教師を辞めて東大の文学部の学生で、夜はアルバイトをして学費を稼いでいらっした。 古い写真は学生服の写真だった。 その当時は学生は殆どが学生服を着ていて、ボタンがそれぞれの大学を表し銀杏のボタンは東大の誇りだった。 

その頃、今の中学と高校が一貫で私は五年制の女学校を卒業したので、高校最後の集合写真はその方を中心の写真が残っている。 その写真の私は自分で”狢”と言う酷い顔の写真なので、当時ペンで塗りつぶしていた。

1 コメント:

hanachan さんのコメント...

懐かしく大岡山のお家のこと、お母さまのことなど読ませていただきましたし、楽しい思い出が沢山あります。
でもK先生の急逝は本当に悲しいことでした。
戦後のあの頃、若い方々が大勢亡くなり、こちらは悲しい思い出です。
それにしても、写真を処分なさるとは随分思い切りがいいですねー、私も片づけなくてはいけない物ばかりで困っていますが、中々できません。
どうぞお元気で・・。
(時々コメント入れていますが、気がつかれないのかも)