2008年5月31日土曜日

ご無沙汰しました・・・。

毎年、年賀状は交換しているものの、またお住まいは割りに近いのに、何年もの間お会いしたいと思いながらご連絡しなかった方に、今日お電話してみた。 彼女とは7年くらい前? ご一緒にベルリンからドナウ河、モルダヴ河、エルベ河(それらは国が変わるにつれて名称が変わる)などを通ってライップチッヒ、ドレスデンに行き、その後ウイーン、チェコのプラハ、ハンガリーのブタペストなど楽しい船旅をしたことがあった。 「又ご一緒しましょうね」と言いながら果たせなかった。 

「お変わりない?」との私の問に「それが、お変わりあるのよ!」とのお返事。「実は、家のことで色々あって、多分ストレスで酸素不足になって、酸素の入った器具を引いて歩くようになったのよ」と仰る。「だから、遠くへ旅行することが出来なくなったの」とのこと。 「でも、田園調布あたりだったら、大丈夫だからお会いしましょうよ」と・・・。 時々小さな車の附いた酸素ボンベを引いて歩いていらっしゃる方をお見かけすることがある。 そんなことが彼女に起きているとは・・・。 私より一歳くらいはお年上だけれど、やっぱり色々なことが起きる年齢になってきた。 彼女も、今年はご主人様の10年忌(神道だから)を京都でしなければならないのよ、とも仰っていた。 色々溜まったお話をなさりたい様だったので、近いうちに田園調布でお会いしましょう、とお約束した。

2008年5月29日木曜日

少し早目の誕生祝い

京都から上の妹が上京して来て、土曜日には帰らなければならないので、大分早めだけれど、今週中に私の誕生祝の会食をしようと言ってくれた。 下の妹は当初夫と十里木に行くので・・・と言っていたので、二人でやりましょう・・・・ということだったが、ずーっと雨天つずきの予報だったので、下の妹も十里木行きをやめて来られる事になり、三人で久しぶりに銀座の松坂屋で待ち合わせた。 そこの地下の店の甘味どころで下の妹にお茶をご馳走になった。 お茶屋が経営している店なのでお茶がトテモ美味しかった。

京都の妹は松坂屋で私の誕生祝のものを見繕ってくれるはずだったけれど、見て歩いたかぎり私の欲しいものはみつからなかった。 三人とも久しぶりの銀座だったけれど、雨降りで銀ブラの気分にもなれず、地下道を通って松屋に行ったけれど、松屋はどちらかと言うと若い人ムキの感じだった。 ここでも特に欲しいものも見つけられず、残念。 次の機会まで考えておく事にした。

松屋から、・・・上の妹が予約をしておいてくれた帝国ホテルの最上階のインペリアル・バイキングに会食に行った。 このホテルは妹の夫の定宿なので、少しの割引は効くという。  何年ぶりかで訪れたバイキングはこの8月1日で50周年を迎えるという。 今気がついたのだけれど、1958年、昭和33年の8月に・・・という事は若し夫が生きていたとすれば、今年は結婚50周年になるという事になる。 

このホテルはずい分前夫がシアター・レストランのプロデュ―スをお頼まれして、人形浄瑠璃などを仕掛けて外人にも喜ばれたことがあり、当時の犬丸一郎氏は慶応義塾の後輩で「おい、ワンちゃん!」などと言っていたことなども懐かしく思い出す。 

ところで、久しぶりのバイキングは前菜が豪華で、メインもラム肉と定番のローストビーフなども以前の通り美味しかったし、妹の夫のお陰でVIP扱いで窓際の良い席につくことが出来た。 だだ、料理のあるところまで、少し歩かなければならなかったが、下の妹が「少し歩くほうがお腹が空くからいい・・・」などと言いながら、私も欲ばってお腹がはじけそうなくらい頂いた。 デザートなどもケーキとアイスクリームも3種類ずつくらい、この後何週間も少しダイエットしなければ大変!  ご馳走様でした!!

年金特急便第二段

昨日ジムで何人かの方に話し掛けれれて、少し疲れて帰ってきたところ、ポストに「年金特急便」の封筒が入っていた。 先日苦労してようやく出したのに・・・・またか!?とうんざりして、昼食を頂く気にもならなかった。 隣に住んでいた母がその類の連絡物が届く度にパニック状態になって、私のところへもってきたのを思い出す。 私も急いで封を切ってみた。 何度も読み返して説明書も見てみて、ようやく亡くなった夫の遺族年金に関する追調査だということを理解するまで何時間もかかってしまった。

さて、それからが又大変! 私達は結婚する前に所謂お見合いとして必要な書類を交換してなくて、果たして夫が昭和何年に東宝株式会社に入社したかまるで分からない。 書類に依れば彼は昭和23年入社とある。 そうなると・・・? 以前話の中で慶応義塾大学卒業ー即入社しなかった・・・という話は聴いたことがあるが大学卒が余りにも年齢に合わない。 何か証拠を・・・困り果てて思いついたのは亡き義母が覚書程度に書いてくださっていた結婚前の紙切れ(に等しい)を手紙の束の中から見つけ出した。  昭和21年卒、とあった。 だから、書類は正しいことが分かった。 そう言えば夫が「戦後、大学に行きなおした」と言っていたのも思い出した。 

ようやく、解決! なんとも疲れた。

2008年5月26日月曜日

晴れの月曜日

毎週月曜日はジムがお休みなので、今日は午前中早目に何時もの掛り付けの医院に血圧の薬を頂きに行った。
最高血圧が138、下が85とまあまあの状態。 ここの所、血圧は割りに落ち着いている。

一日家に居られて、晴れの日はカタズケごとに忙しい。 ベッドの電気毛布もカタズケ、羽根布団も夏用に代え、毛布も夏毛布に代えた。 ついでにベッドを動かしながらベッド下の綿ごみを掃除機で吸い込み、そうなると何時ものクセで何となくベッドルームの配置を少しだけ換えたくなる。 

洗濯物も思いっきり乾き、羽根布団の縫い目のごみを掃除機で吸い取って日に干してから収まう。 これで今夜は心地よく眠ることが出来るだろう。 

これだけの事をすると、年をとるにつれ、疲れが重くなるのを感じる。 夕飯の支度は、にんにくと赤唐辛子とを入れていため、玉葱を入れて又炒めて、昨日の残っている豚肉も炒めて、しゃぶしゃぶの残りに人参とじゃがいもと玉葱、肉も入れ、カレールーを入れて、久しぶりでカレーを作った。 それと以前から冷蔵庫に入っていた柔らか昆布に出し、削り節を入れて煮た。 食べすぎないよう、気をつけているので、なるべくカレーは作らないようにしているけれど今日は買い物に行く気がしないのと疲れたのと、残り物の整理と・・・でこうなってしまった。

2008年5月24日土曜日

京成バラ園

昨日、近所のお友達と京成バラ園に行った。  
パソコンで詳しく行き道を検索しておいたので、とてもスムースに目的地に着くことが出来た。 私は自分のために少しでも楽な?行きかたを・・・・と思い。 先ず都営地下鉄で日本橋まで行きそこから地下鉄東西線快速に乗り八千代台緑ヶ丘に予定通り着き、私達が、その辺りは田舎の小さな駅だろうとの思いとは異なり超モダンな新しい駅ビルに先ず驚き、その駅ビルの中にあるラーメン店で昼食をとった。 大きなチャーシュウが3枚ものっていて、更に餃子が三つついて950円とは、まるで安い。 又その餃子が可也のもの。 先ず腹ごしらえをして、そこからバスで10分くらいの所に目的のバラ園がある。 何しろ駅ビルの中も駅前のロータリーにも美しいバラの花が沢山、来るお客を和ませてくれる。 

バスはバラ園のまん前に止まり、降り立ったらバラの匂いが私達を迎えてくれた。  65歳以上は入場料500円ということで、赤いバラのアーチをくぐると色とりどりのバラの花が丁度今は最上の季節らしく咲き競っていた。
バラの植え方も最近はヨーロッパ(英国風)に1メートルくらいの高さに花茎を伸ばして、その上に丸いボール状に花を咲かせているのがアチコチにあった。 その種類の多いこと・・・! しかも固まって咲いている花々は、赤、黄色でも濃い、うすい色、ピンクの濃いもの、薄紫のもの真っ白の花々・・・と殆どが腰丈ほどに整えてあって、アーチ状のものも所々に作られている。  

老人ホームの一団が付き添いの方たちに伴われて車椅子などで訪れていたが、世話をする方たちの大変さを目の当たりに見て頭が下がる思いがした。 殆どの方方が認知症気味で、花をたのしむより、自分の荷物のことを気にして何度も何度も、付き添いの女性に確かめていたり、目は花にではなく、空とか世話をする方たちに向いているように私には見えた。 なんとも切ない風景だった。

2008年5月23日金曜日

京成バラ園はケッコウ近かった。。

2008年5月21日水曜日

五月晴れ、文字どおり・・・。

今日は天気予報どおり、久しぶりの五月晴れ、朝から気持ちがよい。 一昨日来の風と雨が信じられないほどだ。
昨日は火曜日だったので、ジムに行く予定だったけれど、朝起きた頃はまだ風が強かったので、出そびれてしまった。 
近所の友人と今週金曜日に千葉県の「京成バラ園」に行くことになったので、パソコンで行きかたを調べていたら色々な道順があって、遂には私の思い通りの行き方を見つけることが出来た。 なるべく乗り換えの簡単なこと、乗り換え駅の階段が少ないこと、等々・・・ 何しろ年をとって来たからばかりではなく、時として脚が痛み昨年末から時々トテモ辛い思いをする。 それに私は以外に気が小さく、遠慮深い?ので一緒に行動する方たちに気を使いすぎてしまう・・・らしい。 先日もジムのお友達4人とフレンチに行った時も誰かが気を使っているのではないかと思ってがんばってしまう。 

話が反れたが、そういうわけで、昨日はパソコンに熱中し、その後、携帯電話のメールに移った。 夕方下の妹から携帯のメールが入って、それに返事をいれ、友人からのメールを見直そうと思って「送信済み」を出したら、
「暗礁番号」と出て、開ける事が出来なくなった。 暗証番号、なんか入れてないのに・・・・? 私はどうも携帯のメールは好きではない。  くやしくて、夕食の支度もしたくなくなり、色々な数字を入れてみた。 私は暗証番号なんか入れた覚えはない! そう独り言を繰り返しながら、夕食後、もしかして?これでダメだったら、明日ジムに持っていってインストラクターのKさんにお尋ねしよう、と決心し最後の数字「0000」」を入れてみた、解決! 分かってしまうと何でもないこと・・・と言うのがつずく・・・・・。

2008年5月19日月曜日

窮すれば・・・・

窮すれば通ず・・・と言う言葉がある。

ここ、一ヶ月くらいトイレの水の流れが悪いと言うかトロトロと流れる。 タンクを開けてみて浮きを輪ゴムで止めてみたりしたけれど、巧く行かない。 昨日は料理教室だったので、生徒さんたちがトイレを利用するたびに気になっていた。 

今日は一日予定も無く、朝から、鍋磨きをしたりダイニングキッチンの戸棚を整理したりした。 殆ど毎日のように午前中はジムに通っているので中中丁寧に掃除する暇が無い、と言うかしない。

午後からは思い立ってトイレの掃除をした。 重曹を水に溶いて便器の中を丁寧に拭いた。 最近トイレの掃除に熱心で、色々試みている。 トイレの水垢は中中取れにくい。 下のトイレを磨きながら、フト思いついてタンクを開けて、ハンドルの付け根をねじ回しでしめて見た。 そしてハンドルを回したら水は勢いよく音を立てて流れた。大成功! 原因がわかってしまえば簡単なこと!

先日洗面所の水が漏って修繕していただいたら2万5千円もかかった。 水洗を修理するのにも出張費などもとられるだろう。 この家も、もう建ててから25年にもなるのだから色々不都合が出てくるのも仕方のない事ながら、独り暮らしの私は何かを決めるのも、相談する人も無く、自分ひとりでしなければならない。 ボケては居られない。

2008年5月16日金曜日

お役に立ちます・・・

今朝ジムに出かけようとしていたところへ、昨年引越しをされたHさんから電話があり、およそ40分にわたり、こぼし話。 引っ越されてから余りいいことが無く、今は認知症のお兄様の看護に遠くまで通っていらっしゃりとか、お慰めと力ずけしか出来ない。
  
その後ジムに行ったら、私と同じ年のお友達が近寄って来られ、乾燥したモズクの料理法を尋ねられた。 少し水につけてやわらかくなったら熱湯をかけて二杯酢か三杯酢に漬ける・・・と教える。 それからしばらくして、すべてのマシンを終えて屈伸運動をしていたら、お料理好きの50代の方が近かずいて来られ「昨夜鰹の叩きをしたんですけれど、息子が帰ってこなくって、沢山余って、しその葉、しょうがなどつけたままなのだけれど、どうしたらいいかしら?」とのお尋ね。 私は生姜だけ残して、甘辛く煮たら美味しいと思うわよ」と応えた。 「それしかないでしょうね~」とそのお友達は仰った。 

私は仲間内でお料理の先生だということで、時々料理に関しての質問を受けることがあって、その際は出来るだけ親切にお答えすることにしている。 先日などは男のインストラクターに男でも出来る簡単なご飯かけ料理を尋ねられた。 私は簡単に作れるハヤシ・ライスの作り方をお教えした。 果たして作ってくださったかどうかは、その後尋ねる機会がない。

2008年5月14日水曜日

英美ちゃん、さよなら!

5ヶ月の予定で日本に留学していた英美ちゃんが、明日ニューヨークに帰る。 
今日は下の妹と共にささやかなお別れの食事をすることにした。 彼女のブログに依ると、フランス料理、イタリー料理などが多かったみたいだったので、日本料理はいかが?と聞いたら、余りない、とのことだったので、時々訪れる渋谷の”甍”というレストランで夕食をすることにした。

その前に、近所のホテルのティ・ルームでお茶をして、彼女はケーキが3個?乗ったケーキセット、妹と今ダイエットに努めている?私はケーキ1個で色々反省会?と思い出話に花を咲かせた。 私は彼女が5ヶ月と言う長いとはいえない日本滞在期間にお茶を始めとして、三味線、お能、歌舞伎の見学、俳句の会、焼き物にまで挑戦して、ホンと日本に住んでいる私達だって一生掛っても出来ない経験をしたことは彼女の熱意はモチロン経済的にも中中叶わぬことをやり遂げたことは賞賛に値する・・・と思う。 

”甍’は余り込んでなくて、彼女も一皿、一皿楽しんでくれてホンと良かった! 小さい器に少しずつしか盛られていないので、いかがかと思ったけれど、最後にはケッコウお腹いっぱいになり、お茶も4,5回も出してくれて、ゆっくり楽しむことが出来た。 先日私がブログに書いた、一応のお皿が終ってご飯が出るときに、サービスする女性が、きっと「これからお食事になります」と言うわよ!と話していたら予想通り「これから、お食事になります」と言ったので、三人とも笑いをこらえるのに苦しかった。 その後日本語が乱れているという話で盛り上がった。

英美ちゃん、送る方は送られる方より淋しいけれど、大分日本を楽しんでくださったわね? 又来てくださいネ!
今ごろは荷物の整理で汗をかいていることでしょう。 ボン・ボヤージ!

2008年5月13日火曜日

御待ちかねのフレンチ

4月はじめごろからジムのお友達と渋谷の妹宅の近くあるフランス料理店に行きましょうと誘いながら、中中果たせないでいた。 お誘いをした直ぐ後に京都から妹達が来て、姪夫妻とニューヨークから来ている英美も誘ってくれて妹の夫がご馳走してくれることになったからだ。  

連休中はそれぞれに予定があってようやく今日行くことになったわけ。  当初ジムで何時も食べ物の話しばかりしている私と同じくらい食いしん坊のお友達と二人で行く予定だったのが、日にちが経つにつれ、「私もごいっしょしていい?」という方方が増えて5人になった。 ヨガでわりに側で実技をする方はお友達がないので・・・と言われもう一方は「伊藤さんとお話がしてみたいので・・・」などと仰る。  

11時に池上警察前のバス停で待ち合わせだったのが、私が5分前くらいに、行くとヒルズの前に4人揃って私の通るのを待っていてくださった。  レストランには10分前についたらまだお店は閉まっていた。 丁度12時にお店は開けられた。  先日のウエーターが出迎えてくれて、シェフも「何時も有り難うございます」と挨拶してくれた。

最初のオードブルはホワイトアスパラとかにの身、次はホアグラの焼いたものいずれも白いお皿に美しくバランスよく盛ってあって、最初のものは冷たく、ホアグラは熱く美味。 メインは牛の頬肉の赤葡萄酒煮込み、これもとろけるようなやわらかさで皆感激していた。 デザートはさっぱりしたクリーム状のものとコーヒー。 5人の方方に連休過ぎにお会いすることが無かったのとそれぞての予算とか好みも分からないので何度もレストランに電話をして、予算も変えたりいささか困り果てていたけれど、最終的に一人3800という約束をしたのだったけれど・・・その内容と、お値段のことが心配になった来た。 トイレに入って「もし、5000円以上だったらどうしょう?」などど一人で心配した。 お一人を除いては余りお話をしたことがなかったし、それぞれのご家庭も知らなかったし・・・?  最後にシェフが「お任せで、よろしいですね}と言いチェックをみて、急いで5人で割って、一人3600円なのが分かってほんとにホッとした。 4人とも、「トテモ美味しかったし、伊藤さんがいらっしたのでずい分サービスしてくださったのじゃない」と仰ってくださり、喜んでいただけて嬉しかった。 

何時ものように私達が角を曲がって見えなくなるまでシェフは出口で私達を見送ってくださって、皆あきれ、恐縮していた。

2008年5月11日日曜日

自治会の総会、その後・・・・

今日は年に一回の自治会の総会。 過去三年にわたって’自治会あらし’と言うのが適切かどうかは分からないが、ある方が意味もなく?自治会の活動や予算などについてイチャモンをつけて、役員達を困らせている。 今日も相変わらず二人で組んでその上一代前の会長まで加わってそれぞれ離れた席に陣取って議事を妨げている。 それまでは1時間近くで終了していた総会が、その倍の時間がかかっても、終りそうも無い状態。 今年はシニアークラブの会長と私が議事録の署名人を頼まれたので、注意深く議事の進行に気を配る。  役員達と反対派のやり取りを聞いていて、私も疲れてしまった。 

午後になり、今日は「母の日」で母になり得なかった私は一人淋しくそのことを考えていたら、なんと午後、たてつずけに、下の妹、上の妹から二回、ご近所のお友達、ジムのお友達、姪からの電話があって、夕食の支度も出来ないほどゴチャゴチャになって来て、オマケにご近所のお友達が取り立ての蕗を沢山持って来てくださり、茹でた蕗を今日副会長を辞任されたお友達にお届けがてらお慰めしに行き、そのことに疲れ果ててしまった。 今日はもうこれ以上考えるのは止そう。

2008年5月7日水曜日

連休中の富士山

下の妹に半ば強引に誘われて富士山の麓の妹宅の別荘に行ってきました。
出かけた日はまあまあのお天気でしたが、翌日は雨、その雨の中を妹の運転で箱根まで出かけ、「星の王子様」のレストランで昼食をとりました。 大分前に行った時は出来たばかりで料理も働いている人たちのマナーもチグハグでしたが、ようやく様になった感じ。 その翌日は生憎の雨、それでも妹宅の周りの新緑は美しく目を和ませてくれました。 

庭には白、薄紫、濃い紫のスミレが沢山生えているのですが、何しろアチコチにスギナが生えこんでいて、若しかして土筆も沢山生えたのかもしれなかったのですが、そのスギナを抜くのが大変な作業でした。 突然のように妹の家の周りのアチコチに一面にスギナが生えてきたのはどういう理由なのか誰も説明がつかないようでした。

お天気の日には富士山が目前に迫ってくるように、五月は1年で一番美しく見られるときだそうですが、この度は裾野の裾まですっかり見ることが出来ました。 あの山が何時か噴火する等と言うことはあってはならないことと思います。 妹は一日に5000歩は歩くのだ、と一生懸命周りの山坂を歩いていましたけれど、私は情けないほど歩くのがつらく、疲れやすくなってきたのと、物忘れが酷くなってきているのを感じて、何となく落ち込んでしまっています。 
着いた時はまだそれとは分からなかった紅葉の赤い芽が帰る頃は所謂’紅葉の手’となり、五寸あやめの花を着け、
芝桜もたれさがって咲き、山つつじもアチコチで薄ピンクから薄紫の花を今をサカリに咲きほこっていました。

美しい富士山と沢山の花々を心行くまで味あうことが出来た一週間でした。