2009年7月31日金曜日

昨日は暑かった!

今日はトテモ涼しくて、凌ぎやすく、歩くのも楽だったので、雪谷まで足をのばして必要なものを求めてた。

昨日、朝から燃えるような暑さだったので、ジムの帰り少し回り道して買い物を済ませた。  その道すがら、私にはお婆様としか見えなかったが、一人の女性がにこにこと、わたしの方に近ずいていらっした。  近くで見てようやくOさんだということが分かった。  今年の春にお会いした時はそんなことは感じなかったけれど・・・・。「具合が悪いのよ~。 私医者が嫌いなので・・・」と仰りしばらく立ち話をした。

思えば20年くらい前、その方も私も大田区の会議に出席 していて、私が南自治会の代表者として、区の方に、恐る恐る質問をしたら、その方をはじめとする他の自治会の婦人部の方たちが「南が何を言うのよ!」と言われたことがある。  それも無理からぬこと。  その前の会長がご自分一人で責任をとっていいてくださったので、会議に出た事がなかったからだ。   私はそれを取り返すため、そちらの方を通る時は気をつかって、頭を下げ、立ち話もして、「南の伊藤」を誇示した。 その後は他の自治会の方々とも、挨拶をする中になった、と自負している。

2009年7月29日水曜日

草冠?

今日満期になった定額預金を別の通帳に移し替えようと思って、朝早めに本局へ行った。
さすがに郵便局は空いていて、三冊の通帳の記載を感じよく引き受けてくれた。

ところが、空いていた所為もあって、私が書きこんだ私の名前について、三冊の通帳の名前の書き方が違っているから訂正しておいた方がいいと局員の男性が言う。  以前久が原の出張所でも同じ指摘があった。  

つまり、私の名前 英子 の草冠がつながった一本棒ではいけないから離して書いてくれと言い 通帳の表記も、作り変えた方がいい、という。

  今、パソコンで打ってみても草冠は 伊藤も英子も一本棒になっている。  そんな細かいこと言わないでもいいじゃない!・・・・と思いながらも、やっぱり気になる。   皆さまはどうお思いでしょう?

2009年7月25日土曜日

久しぶり・・・・

3週間ぶりで、ジムに行く。 土曜日は健体操のある日ので、なるべく出席したいと思っていたが、それも中々叶わなかった。  今日からはなるべく出ようと思って、朝から色々用意をする。
少し早めにジムに着いたが、受付あたりでも、ロッカーでも「しばらくいらっしゃらなかったみたいだけれど、どうなさったの?」と何人もの方に訊かれ、スタジオに入ってからもアチコチから声がかかる。

前もって「姪が出産するので、手伝いに行く」と言っておいた方があったのだけれど・・・・心配して下さる方々があるのは嬉しいことながら、説明するのが大変だった。 私もこのジムで、可也古株になったものだ。 それに、私ってケッコウもてるのです。

2009年7月24日金曜日

悲しいお知らせ

夕方、青山学院時代のお友達Nさんのご主人様からお電話があった。

今年の初め三年ぶりのクラス会を銀座のイタリアンレストラン「サバティー二」で行った時、幹事さんの一人だったNさんがクラス会の前日に倒れて、救急車で運こばれたという事で、急きょ私がお手伝いする羽目になった。 その後彼女は6か月間も入院されていて、ご主人によると、今月には退院できるということだった。   ところが、退院ご老人施設に入られ、ご主人ともどもお食事をなさるはずだった今夕、急に心臓発作で亡くなられたとご報告があぅた。

彼女は中国系台湾生まれで、学生時代は面倒見がよく、常に学級委員をしていて下さり連続クラス会幹事でいてくださった。  ジャズ、芸能界にも詳しく、「橋幸夫」さんのファンで、度々私たちの大森の家で食事をしながら、私がその頃聞いたこともないアメリカ人のジャズ歌手の名前などもよく知っていらっして、夫とも話が合った。 今の、年下のご主人との強引な馴れ初めもよく知っている。

彼女がいなくなるなんて、誰も想像さえしないだろう。  何人かのお友だちにそのことをお知らせして
驚きをお伝えした。   どなたも、もう八十近いのだから、私だって明日はどうだか?・・・・という応えが多かった。  それはそうよね?

退院後順調に回復されていたようだったが、近夕急に亡くなられたとお電話があった。

「伊藤さんとは一番仲良くさせていただいたので・・・・」とご主人は仰っていた。  一時期、彼女がまだ結婚されてなかった頃、大森の私宅に、よく来て下さり、ジャズを始め芸能関係に詳しく、夫とも話があって、時々は一緒にゴルフをしたり、家で食事をしたり、年下の今のご主人とのなれ合いの話なども、よく知っている。

2009年7月19日日曜日

従弟の子は、何ていうの?

昨日は下の妹の次男家族が諒ちゃんのお祝いに妹宅へ来てくれた。  私も英里ちゃん里彩ちゃんに会うののは久しぶりのこと。  二人は玄関でやや緊張気味で、諒太ちゃんに会うのを楽しみにしているようだった。  ところが肝心の諒ちゃんは先日の諒ちゃんのパパのご両親がいらっした時と同じく、ぐっすり眠っていて、周りの騒ぎにも動じなかった。

次にターゲットになったのは、大伯母の私だ。  どういうわけか私は子供にモテる。  遂には髪の毛はぐしゃぐしゃ、子供ギャングに襲われた牝牛?状態。  短い時間だったけれど楽しい時間だった。  

諒ちゃんが育って、下の妹の長男の萌彩ちゃんも加わって、私がこれ以上のお婆さんになったらどういうことになるかしら? などと、嬉しいような少しもの悲しい思いを感じた。

どころで、従弟の子達はハトコではないし、何というの?

2009年7月17日金曜日

一か月以上遅れの誕生祝い

下の妹の長男が、私の誕生日を祝ってくれると言ってくれた。

 朝、「ちょっと暑いけれど大丈夫?」と何時もながらのやさしい言葉を掛けてくれて、指定の銀座ソニービルの中のMAX'Mに行く。 出かけるまでは、MAX'Mなんて、大丈夫?・・・・と思っていたが、彼が現れてから驚いたのは、次々にあいさつに来る支配人、副支配人などの態度が、異常に緊張状態というか,気を使っていて、それほどのお得意さんなのかしら?と、いぶかりながら献立を決める。

ワインも貴腐ワインなどまでサーブされて、驚き。  前菜はホアグラの三種、メインは子羊を選んだ。
当然、燕尾服を着たスタッフたちが並んで「お誕生日おめでとうございます!」と言ってくれた。 これは
夫が在世中六本木のクラブで当時著名なミュウージシャン達が夫にあいさつをして、その司会者の指図で私のためだけに’ハッピー・バースディを奏してくれた時以来のことだった。

しばらく甥と話をしている間に、甥がなぜこんなに尊敬され、気を使われていたかの理由が判ってきた。  ご時世で、店も経営がうまくいかず、甥の経営コンサルタントとしてのノウ・ハウを学ぶためだったのだ。  食事後、店内で支配人などに色々な彼の知識を指導することになっていた様だった。

外に出たら、やはり、真夏の暑さ、頂いたケーキと花を持って、このまま帰るのも・・・・と思って、渋谷の妹宅へ直行、妹二人と姪とで、ケーキをいただいた。

2009年7月16日木曜日

僕の名前は諒太です!

六月三十日に生まれた僕の名前は諒太(リョウタ)です。

パパとママがそれまで、色々考えてくれていて、お七夜の日に僕が生まれた慶応義塾大学病院のママの部屋で、パパとママが相談して決めた幾つかの名前の中から、何時もの易の先生に伺って
最終的にこの名前が決まったのです。

「命名」を書くのはパパの仕事だそうで、大分緊張して、練習してくれたらしいのですが、何枚か書いているうちに、どうやら様になったようで、ほっとしました。 この用紙は僕が結婚するまで取っておくと聞きましたが・・・・?  この名前に恥じないように、これから一生懸命頑張りたいと思います。

2009年7月15日水曜日

大泉学園あたり

時々私のブログに登場する、Uさんを大泉学園の易の先生宅に案内した。  以前から興味があるという事だったのだが、先生の予約が取れず三カ月も経ってしまった。 

紹介する度にお互いが気に入って下さるかどうか心配なのだけれど、お玄関に入った瞬間、先生はトテモ好感を持ってくださったことが分かった。  Uさんもお会いした時から、心を許せると感じた由を後で聞いて安心した。  先生は若い男性を占う事は珍しとのことで、可也力が入っているようだった。 

世間話も加わったりで中々帰れそうもなかった。  易で彼の好みの食べ物もわかっていらっして、あんこのもの、夕張メロンなど沢山ご馳走になった。   帰宅後、電話で「貴女は人助けをしていて、知らず知らず,徳を積んでいるのよ」と言われた。  Uさんの人を和ませる人柄は、易の先生と私との相性とも相まって、今日は暑い一日だったけれど、楽しい一日となった。 

2009年7月4日土曜日

妹の孫達

私は子を産んだことがないため、当然孫もない。  二人の妹達、上の妹は今回ようやく?ば~ばになったし、下の妹の長男には9か月になる、萌彩ちゃんと次男には英国で生まれた英里ちゃんと、里彩ちゃんがあり、私は大伯母というより、大祖母ちゃんといった感じがする。  

生まれたての姪の子は未だ命名されてないけれど、今のところ?一番年下の男の子となるわけだ。 どの子も可愛く思えて、ずーっと一緒に過ごしたいと、私でも思うわけだから、本物のお祖母ちゃまたちは、さぞや、と察する
  
下の妹は子供たちがまだ小さかった頃、実家の近くに住んでいたので、わたしの母は孫達と毎日会うことができたし、上の妹は年に何回か実家に泊まっていたので、幸せだったな~と思う。
  
私自身は子供が好きで、甥、姪達も私になついていてくれたが、夫は子供は好きではないので、ほしくない、と言っていて、半年にわたる英国出張の時手紙で論争したことがあった。  彼の両親は従弟同士でそのため、難聴の兄弟があったので、そう考えていたのかもしれなかった。 その証拠に妹の長男をしばらく家で預かっていた間、夫はトテモ可愛がっていた。  

結婚して直ぐ今の総理の伯母様に当たるY様に結婚のご挨拶に伺った時「子供を持たないのは半端家族よ!」と言われてから、お宅へ伺うのを止めてしまった。 今でも肩身の狭い思いを時々する。  これも、詮無いこと。

2009年7月2日木曜日

おめでとう!

6月30日姪夫妻に元気な男の子が誕生した。  姪はその子のために本を読んだりお灸をしたり、特別なマッサージを受けたりして、この日に備えているようだった。  私は28日、料理教室が終わった後、かたずけもそこそこ、富ヶ谷の妹宅へ急いだ。 あいにくの雨で可也大変だった。

翌日は色々の検査があるわけだけれど、中々時間通りはかどらず、姪と妹と私は部屋を出る事ができず、ただ座って待つしかなかった。  その翌日は姪の夫も上京して来て、また待ちの一日。  
途中で緊急オペが二組も入ったようだった。 ようやく順番が来て、16時49分無事大きな男の子が誕生した。  少しでも早く新生児を見たいので、三人の目は出口へ釘ずけ。 出てきた赤ちゃんは、トテモ元気そうに泣き声を立ててうつぶせのまま新米パパとバ~バの前を過ぎていく。 二人とも夢中で写真を撮っていた。

姪もしばらくして病室に戻ってきたけれど、麻酔のためか、少し頭がぼ~っとした感じだと言っていたが、半身麻酔のせいで、執刀医と話しながら手術をしたとかで、余り痛がらず、出産も昔と違って進歩したものだ。 何しろ二人とも元気で無事であることが嬉しく思った。

おめでとう!