2009年6月27日土曜日

今年もまた・・・同じころに・・・

今朝早く目が覚めて、 顎のあたりが妙に固くなっていて気になったけれど、起きて鏡を見て、左の頬あたりもなんとなく赤くなってきた。  今日は健美操の日でどうしても出席したかったが、どうしてそうなったか? 又明後日から姪の出産入院のこともあるので、変な病気だったら心配なので、朝一で行きつけの皮膚科の医院に行ってみた。 早めに行ったつもりなのに、八人くらいの方が診察を待って いた。 
先生は以前からのカルテを繰りながら「また、かぶれですね」と仰る。 「植物に触ったり、木の下を通ったりしませんでしたか?」と尋ねられたけれど、直ぐには思い出せなかった。 医院を出てから、そう言えば、昨日書道が終わって、家に入る前に夏はぜの芽生えを触った・・・。 またやられた! その時、芽生えは毒性が強いかも?などと思ったが直ぐ忘れてしまった。 でも手はよく洗ったつもりだった。

何しろ、かぶれを抑える飲み薬は夕食後、塗り薬はステロイドが入っているので、一日二回しかぬれない。  汗をかくのもよくないだろう、とは思ったがせっかく久が原方面に少し歩いたので、駅近くのブテックに行ってみたら、十時半開店、とあるので、近くのスーパーで時間をつぶして、頼んであったパンツをゲット。 なんだか破れかぶれの気分。 

午後、少し日が落ちてから、明日の料理教室の ための買い物をし、お友達とは会いたくないのに、こういう時に限って、何年ぶりかの方に声をかけられる。 私もその方が少し老けられたな~と思ったのだから、彼女も私をそう思われたに違いない。  立ち話もしないで、お別れする。  夕方になったらもっとひどくなってきた。  あ明日の地域の防災訓練はパスしよう。

子に季節、今年もまた・・・

今朝、少し早めに目が覚めたら、顎のたりが妙にかたい。  もう  少しねたかったので、まだベッドにもどる。  それでも気になって部屋を明るくして鏡にうつしてみたらかたいばかりでなく、赤くなっていて、顔の他の部分も赤みがある。

2009年6月25日木曜日

まち・町・街

1 わがまちの、私の家の先の角で、久が原小学校に登校する生徒達を見守ってくださる方がある。  実は、そういう方が必要ということを聞いて、いつもその四つ角でタバコを吸っていらっる定年後のKさんを推薦した。 それから何年経ったことか 寒い日も暑い日も登校する生徒達を見守って立っていて下さる。  最近、その方が通り過ぎる生徒達に「おはよう!」と声をかけていらっしゃる。 気にかけているが、大方の生徒達は無言で通り過ぎていく。「おはようございます!」 と応える子は少ない。 家でそういう習慣がないのか?

2.我が町の ジムで、最近、インストラクターとして指導して下さっている青年が「私、結婚したいんです」と言う。 もう35歳ということなのだけれど、自分は料理も家事も出来るので、しっかりした務めをしている人がいい、と言う。  とても逞しく、指導も上手なのに・・・。

3 街で、最近ほんの時々疲れた時は、タクシーを拾うことがある。 そこで感じたのだが、黒塗りの車が多い。 先日も赤坂サカスから五反田まで、車に乗ろうと思って,通りかかった国際タクシーを止めようとして一瞬ためらった。   もしかして、ハイヤーかも?  乗り込んでから運転手さんに訊いてみた。 先日乗った国際タクシーも黒ぬりだった。  乗って走りながら周りを見渡しても、黒塗りが多い
「どうして? 世の中不景気だから?」 運転手さんの答えは「高級感があるからです」との答えだった。
皆さま気をつけて見てごらんなさい、オンジ色にチェックとか緑色とかがめっきり少なくなっている事に気ずくと思う。

2009年6月22日月曜日

思い出話

私の実の弟よりず~っと弟らしい従弟が下の妹と私をランチに誘ってくれた。
赤坂辺りは待ち合わせるのが大変なので、五反田駅で会い、JRと地下鉄を乗りついで、赤坂の、いとこの行きつけの店に行く。 新しくて清潔な店だった。 そのあと話が尽きず、近くのTBSビルでお茶しながら遠慮のない話が尽きない。
  
私たちの母方は兄弟も多く、したがって従弟たちの数も可也のもので、’杏の会”と名ずけた従弟会を結成しているが、従弟たちも年をとったり、亡くなったりで、中々集まるのも厳しくなってきた。

この従弟は父親が戦争中ニューギニアで戦病死して、戦後の食糧難の時期、私たち家族が埼玉県の戸田橋近くに住んでいたころ、その母親と彼を預かっていた経緯がある。 食料のない時期だったので、私たちの父母は隣接の土地に色々な野菜などを作って子供達の食料生産をしていた。 

父もその当時は戦争中の所謂レッド・パージをまぬかれて製鉄会社の役員に返り咲いていた。  とは言え、二人口増えるのは可也大変なことだった。  その従弟の感じていたことは、彼の母親は彼の母親の実家がある宮崎県で過ごすべきだった・・・と言っていて、その美談はかき崩れた。  それもそうだ・・・と今だから言えることだ。    
今時の、何不自由ない生活をしていける若い方たちには到底理解できることではないことは確かだ。

2009年6月18日木曜日

あやめと菖蒲?

7時蒲田集合、というのは私には少し厳しい。 前日も出かけていたし、友人が6時15分に誘いに来る・・・と言っていたのに、6時5分に、ベルがなる。
バスは蒲田から大井町、五反田、目黒と立ち寄ってお客?を乗せていく。  今日は木曜日なので道路状況は良好。 私は当初潮来に行くのは余り気が進まなかった。 案の定、可也俗っぽくそれでも色とりどりのあやめが咲き誇っていて、その種類多さにまず驚かせられた。 ここでは、「あやめ祭り」と謳っていた。 
次に行った佐原の水生植物園に咲いている花は菖蒲だという。  こちらの 方が少し自然な感じがしたし、種類も多く、きちんと花の名も付いていて見やすかったと思う。  その後銚子の方へ向かったがそれは単に魚類の買い物をさせるためだった。  とりたての?いわしと目ヒカリという魚とピーナッツを買い込んで、どうやって持って帰るか少し心配になってきた。 そのあと醤油工場を見学して、醤油の小瓶をいただき、荷物は更に増す。  その上急に物凄い雨が降ってきた。 一番前の席に座って いたので疲れても強い雨が気になって眠るどころではない。  それでもその後都内に 入ったらまるで雨の感じはなくなってきた。  なんて、幸せ!  帰宅後何本もの電話。 つかれたよ~

2009年6月17日水曜日

アフタヌーン・ティ

ジムの仲良しの三人に「何時か、ペニンシュラ・ホテルのアフタヌーン・ティに行かない?」と話したら「じゃ、今度の伊藤さんのお誕生日に行きましょう」と言ってくださり、三人の中でもレストランなどの予約をいつもとって下さる50代のお友達が早速予約を入れてくださり、今日バス停でまち合わせた。

香港のペニンシュラ・ホテルには義弟に二度も連れて行って頂いた。 そのホテルのティ・ラウンジの案内人が何十人も待っているお客の中から正しく順番どおりにお客を導きいれるのを見て、トテモ感激したものだった。おう

日比谷のペニンシュラ・ホテルは明るく広々としていて、予約をしていたせいか、二時半丁度に席に案内され、従業員のマナーも良かった。 以前下の妹に帝国ホテルのアフタヌーン・ティをご馳走になったけれど、彼女も言っていたとおり、可也失望した。  

ペニンシュラ・ホテルのものはロンドンで頂いたものより充実していて、特にスコーンとこの店の特別お勧めのマンゴー・プリンは絶品で、入れ物の小さいのが誠に残念だった。 食いしん坊の私は残さず全部頂いたけれど、さすがに夕食は頂けなかった。

2009年6月16日火曜日

夕立って夕方降るから?

夕立って夕方降るから夕立って言うの?

二日つずいて大雨? 暮れてから、夕立があった。

昨夜は、渋谷の妹宅へ二泊して、姪の出産のためのかたずけを手伝って(妹と姪と散歩したり、グルメしたりして)私としては良いことをしたと自負しての帰り道)渋谷駅までバス、JRで五反田、その後五反田から又バスに乗って、馬込かあたりから、ものすごい雨。  私は晴雨兼用の傘しか持ってなくって荷物を引きながら、何とも情けない感じ。  こんなことなら、もう一泊してくればよかった・・・と思ったりした。

ただ、この辺りは木も多く思ったほどは濡れずに家に飛び込んで、お風呂に入って、さっぱりした。
夕立三日、と言うからまた明日も降るのかしら?  明日は午後からジムのお友達三人が私の誕生祝いをして下さることになっている。

易の先生からの電話で、今月は午が三匹なので、カッカ?しないように注意して・・・、と電話があった。
 

2009年6月12日金曜日

誕生祝いの食事会おう

京都から出てきている妹と出産のため富ヶ谷の両親宅に来ているその娘(いつも姪と私が言っている)と下の妹が私の誕生日を祝ってくれるために、九段下のホテルへ招いてくれた。

交通の便が余り良くないので、仕方なく東京駅からタクシーを拾った。  久しぶりで皇居のあたりを通って、交通量の多い毎日新聞社のあたりを過ぎ、九段下は以外に近かった。 私の本籍のある千代田区役所あたりを通ったのも久しぶりだった。 

 伊藤の家も戦前は三番町にあって、200坪もあるところだったと聞くが、2.26事件の時のことなども亡夫から聞いたことがあった。  戦争がなかったら、その家もあっただろうか?  あのあたりも空爆で丸焼けになったわけだが、戦後に建てられたビルも建て替えの時期に来ているようだ。

ところで、お昼は地下の中華料理店でお料理を頂き、その後32階のバーでケーキとお茶をいただき、楽しい時を過ごした。 70代も最後の誕生日を一人心の中で思いつずけた。

2009年6月9日火曜日

ジムの誕生祝い?

私の通っているジムでは、最近スタッフがすっかり変わり、前からいらっしゃる方は一人だけという状態。
今日も更衣室で「Kさんがいらっしゃらなくなって、なんかしまらないわね?」と若い方たちが話していた。  受けつけの女性を除いて、新しく入ったスタッフは四人? 皆一生懸命だけれど、何方がチーフなのかはっきりしない。

ところで、私の誕生日6月の月初めに受付の女性が「伊藤さん、今月はお誕生日ですよね?」と言って
スポーツドリンクを一本下さった。 私は喜んでそれを受け取った。 そのまた翌日、別のスタッフが「伊藤さん、今月お誕生日ですよね?」と言ってまたスポーツドリンクを一本下さりそうになったので「昨日頂きましたよ」と言ったら、「いいんです」とまた一本。 次の日も又一本。 どういうルールなのだろう。

他の方に伺ったら、私お誕生日でも何もいただかないわよ・・・と仰る。  なんだか人気とりみたい。
今日は入口に見慣れたスタッフが数人いらっした。  また「伊藤さん、今月はお誕生日ですよね」といわれたので、「私毎日来るたびに頂くので、困ったわ」と言ったら「今日でおしまいですので、二本持って行ってください」と二本渡された。  今日は寄り道するので、ドリンクを持ってこなかったので、ありがたく頂戴して、途中で飲んだ。  なんだかよくわからない???

2009年6月8日月曜日

七十九回目の誕生日

よくも、長いこと生きてきたものだ!  一人で声に出して言ってみる。  まがいもなく、後一年で八十歳の大大台にのるわけだ。  大げさに、今までの過ぎてきた年を振り返ってみるのは来年にしよう。

今日は朝から梅雨に入ったかのごとく曇り時々雨の状態。 妹たちやジムのお友達は日を変えて、お祝いの席をもうけてくれるという。  今月一いっぱいは誕生月になりそう。

中の妹と姪からは朝一で’おめでとう!’の電話があった。 下の妹からは焦って?、一週間前にメールがあった。  女学校時代の親友からもパソコンにお祝いのメッセージが届いた。  皆様!有難う!  先ほど久しぶりでお電話したお友達も「確か、お誕生日?と尋ねられ、貴女をお手本に、華やかに生きたい」と言っていただいた。

夕方、ニュー・ヨークからコンサートで訪れている夫の姪の長女の英美ちゃんに少しだけの時間会って一緒にお茶をいただいた。 今度の滞在はあまり長くないので、中々時間もとれないだろう。 およそ一年ぶりで会って懐かしさがいっぱい!  

夜、心を許せる近所の仲良しのお友達にも電話で久しぶりの尽きない話をした。  心和やかな良いお誕生日だったと思う。

2009年6月7日日曜日

私って疲れてる?

先日、いつもの易の先生が「貴女、今トテモ疲れてるから、注意してね、」と言われた。
そう言えば、昨年に比べて、少し疲れやすくなったかな、と思った。 ジムで一時間くらいトレイニングした後、30分くらい昼寝をしたら、目覚めも良く、何でも来い!という感じだったけれど、今年は回復しにくいところがあるような気がする。

今日も朝食を済ませた後、のどが乾いて、冷たいコーヒーを二杯も飲んだせいか、それとも、久しぶりの晴天で張り切って下の部屋を夏バージョンに替えたりした所為か、ことのほか暑くなったせいか?それとも、易の先生の仰ったことを気にしていたせいか、少し昼寝をしようと思って、横になったら、お隣の奥様が、ハサミの音高く、木の枝を切って、だんだん家の方に回って来られるのが気になって、そのうち、鳥の鳴き声が”ぎ~、ぎ~”とうるさく、昼寝もできず、回復できなかった。

夕食を簡単に済ませて、早めにお風呂に入って、少しぼんやりしていたら、回復して来た様な気がする。 何時も思うのだけれど、一日、家にいると疲れるのはなぜ?  

2009年6月4日木曜日

伊東深水の・・・・

私の家には特にお宝といったものもないけれど、夫の職業上の役得というか、三点の誇れるものがある。
その一つは伊東深水画伯の「早蕨」を描いた色紙、もう一つは料亭のセンスに頂いたイングリッド・バークマンの サイン。  もう一つはジーン・クルーパー、など戦後初めて招へいした著名なジャズメンたちから頂いたサインの数々。 だだ、それには TO MR.ITOと書いてあるので、 少し値打ちは下がるかもしれないけれど、ジャズ界に名だたる方々の直筆のサインが写真と共にはいっている。

伊東深水さんの色紙は毎年今頃になると額に入れて玄関先んに飾っている。  だんだん金箔が薄れていくようで少し心配だ。 この色紙は私がまだ結婚したばかりの年末に深水さんの奥様がご自分で私宅へお持ちくださった。  

その頃私たちは大森の伊藤さんの洋館をお借りして住んでいて、そちらは200坪の中に古い大玄関と内玄関があり、私たちは21畳もある洋館に住んでいて、表札は、「伊藤」とあったので、夫の面目は立ったと思った。
奥様は控えめな日本的な美人だった。 「娘が大変お世話になっています」と仰ったと記憶している。
その頃、東郷たまみ、中尾ミエと朝丘雪路さん達を”三人娘”として日劇で売り出していた。
そのお礼だったのだろう。 これからも大事にしたい。

2009年6月3日水曜日

長電話

ここのところ、学校時代の友人から三件の電話があった。 

そのひとつは昨年ご長女とご主人を続けて亡くされ、ようやく色々かたずいてその間の大変だったこと、これからのことなどおよそ二時間にわたってご報告というか、これからの彼女の生き方について話され、私はだだ、聞いているだけだった。 彼女の健康のことがトテモ心配だった。


二つ目の電話は、私が留守をした間に何度か電話をしてくださったとのこどで、そのうち私が病気で入院したのではないかと、心配してくださったとのこと、だった。   この方とは、一方ではなく、お互いの最近の暮らし方の話とお互い一人暮らしなので、励ましあって、およそ、一時間で終わった。

三番目の電話は、いつも私が余り歓迎したくない電話で、何時も最低二時間は話しつずけ、決まって夫とその姉のことのこぼし話で、その度ごとに、よくも同じことを言いつずけるものだと、あきれはてる。
今日も午後二時からぴったり午後四時まで・・・、けっこう貴重な時間なのに・・・。