2009年4月29日水曜日

国際展示場

今日は周りは連休の始まりで、静か。 
私はミサワのUさんに勧められて東京ビッグサイトのTOTOのリモデル・スタイル・フェアに行ってみた。

洗面台が不具合で、思い切って代えようかと思ったりしているので、とりあえず最近の洗面台とかお風呂場とかがどうか、と言うのを見てみたかった。 もう一つには国際展示場、とか時々報じられている東京ビッグサイトがどんな所なのかも興味があった。

新橋から久しぶりで乗ったユリカモメも余り混み合ってなくて辺りの景色を見ながら国際展示場前までは可也距離があって、降りてみて余りの広さに驚いた。 駅まで出てくださったUさんの案内でその国際展示場は色々な会議とかオリンピックの関係に利用されているそうだ。 案内なしでは中中行けないような処だった。 TOTOは外の会社よりも可也高価だと言うことだったが、上を見ればキリがない、と思わせられるほど進化しているのを感じる。

世に言う「衣・食・住」の中「住」が一番進化しているのではないかしら?と思える。 これからの人たちは羨ましいな~。 考えるに、これから十年生きるとして、まあ、食には満足しているし、衣も満足に近い。 住に就いは・・・? 何十年も使った洗濯機を買い換えたら、度々使う洗面台の不具合が気になっている。

2009年4月23日木曜日

坦々麺

時々ランチに誘ってくれる夫の甥が一ヶ月くらい前から、横浜の中華街に坦々麺の美味しい所を見つけたから、行かないかと誘ってくれていたが家の修理とかその後ジムに行きたかったりして、果たせないでいた。

余り何度も行けないでいるのも申し訳ないと思い、今日はジムを休むことにした。  正午少し過ぎて何時ものベンツで迎に来てくれた。 第二京浜沿いの「コジマ」に立ち寄って、第二京浜を横浜に向かった。 中華そばを頂くために・・・・?とは思ったけれど、私は乗っているだけ、何年かぶりで二国を通って横浜に向かう、なんとも懐かしい感じだった。 何年ぶりのことだろう? 中華街のそばの駐車場に車を止めて中華街の坦々麺が美味しいという店に行く。 小さい店だったけれど、出された坦々麺は、汗がでてくるほど辛かったけれど、複雑な味で美味しかった。

夫の甥とは中学生の頃、まだ夫と結婚する前から義姉に頼まれて英語を教えていたので五十年以上の付き合いになるが、時々食事に誘ってくれて、未だにアメリカ式に車のドアーを開けて私を乗せて閉めてくれるレディーファストで接してくれる。 近くに住んでいる所為もあるけれど、秋のお彼岸ごろには夫の多磨のお墓にも行ってくれるし、誠に有り難い存在。 今日も帰り道又電気店の「コジマ」に立ち寄って私が求めた電気釜を持って家まで送ってくれて、買い物などで重いものがあったら何時でも言ってくれ、と優しい言葉を掛けてくれる。  独り息子の家族はカリフォルニアに住んでいるし、妹はニューヨーク郊外に住んでいるので、年に何度もアメリカに行く。 この連休も仕事もかねて10日くらいアメリカに行くと言っていた。  

2009年4月20日月曜日

築地市場? 河童橋?

近くに住む友人が河童橋に行きたいと以前からいっていらっしたので、今日案内することにした。 
何日か前にテレビで河童橋のことを紹介してたからだろう。  河童橋だけでは少し物足りないと思って、ついでに帰り道築地市場へも行こうかとも思ったが、浅草の地下鉄の階段と浅草から河童橋まで歩くので・・・と思っていた。 河童橋まで歩いている中にお昼になって、途中おすし屋さんに寄った。 ランチ・サービスで茶碗蒸し、味噌汁つき、にぎりの種もケッコウよくて、1500円は可也のものだった。

「言っておくけれど、河童橋は貴女の思うほど面白くはないわよ」とお料理に余り興味を持っているとは思えない友人に前以て言っておいた。 昨年ニューヨークから留学していた英美は料理ずきだったので、欲しいものが一杯だったことを思い出していた。 

私は昨年寄ったお箸専門店で手作りの吉野杉の箸を求めた。 昨年求めた箸をどこかにしまって、どうしても見付からないので、とりあえず5組求め、箸袋も、求めようとしたら、店主らしい老人が「奥様、このお箸には箸袋は要りません。 このままお箸置きにお置きくださいませ」と丁寧に言ってくださった。

しばらく歩いていて、昨年はなかったドイツのヘンケルの店を見つけた。 小さい店だったけれど、品揃えは多く、私はドイツへ旅行した時ブランデンブルグ門の近くのヘンケルの店で求めた包丁研ぎをお友達に無理やり買わせた。
私は何方かその研ぎ器機を欲しがっていらっしゃる方があったのを思い出して、一つ求めておいた。 ¥4200.
何方か心当たりの方は私までお申し出でください。 ドイツまで買いに行くよりはずい分お安いと思いますよ!
ホントに使いやすく便利なのだ。 その他に丈夫そうな皮むき器も求めた。

二人とも可也疲れたので浅草寺近くでコーヒーを飲んで、そのまま帰宅。 築地市場は次の機会に・・・。

2009年4月19日日曜日

英里ちゃんと里彩ちゃん

昨日英里ちゃん一家を夕食にお誘いした。 お天気もよく午後三時前に一家が到着。 このブログを見てくださる方達にも英里ちゃんはおなじみの名前となったようだ。

二人とも車を降りる前から私に、にこやかに手を振ってくれた。 昨日は珍しくパパも一緒に来てくれた。 私は前の日から料理の買い物と下ごしらえをしておいて、10時まえから何時の健美操に行った。 健美操は、アチコチのツボを伸ばしたり、押さえたりして身体の調整を一時間十五分間にわたって指導を受けるので、一週間に一度のこのレッスンは逃したくないと思っている。

前菜、スープ、魚料理、肉料理は少し変わった、白ソースのものとブラウン・ソースの二種類をサフラン入りのライスと一緒に頂くものとさっぱりしたサラダをの用意が整ったところに一家が来てくれたのでそれからお持たせの和菓子で賑やかにアレがいい、コレガいい!と見比べながら楽しんだ。 

二人とも遊びたかったのだろうけれど・・・後で思ったのは、下の里彩ちゃんが賑やかに振る舞い又トテモ行動的なので、遂そちらを構いたくなるので、英里ちゃんは少し淋しかったのではないかしら? 食欲も進まなかったし・・・。 食事前に下の妹、つまり英里ちゃん達のおばあちゃまが来て、少し元気が出たようだった。  私は弟と二歳違いだけれど、父に必要以上に可愛がられていたので、反って弟の方が淋しい思いをしたと思う。 子供もだんだん育って、我が出て来て、親も大変だな~とある程度客観的に見ることのできる私は思ってしまう。

2009年4月17日金曜日

ひとりで暮らす  2

このブログに二回も投稿したのだけれど、パソコンの不具合で公表できなかったので、改めて・・・・

朝日新聞の土曜版の「人生デザイン」の「ひとりで暮らす」に老後資金としてどれだけ必要か・・・という記事があった。 その暮らし方にもよるが、老後が定年後60歳として、男性は800万~3100万、女性は長生きするので、1900万~3700万とある。 年金にたよるとしても、住宅と老後資金は個人差があるので、それ以外に病気などの非常時などを考えて生活費の半分程度の預金が必要となるということだ。 

前回述べたシングル女性の仲間女性を支える会、NPO法人SSSネットワークの会員、50代60代のシングルの女性は年収200万円未満{年金も含む)が一番多くその貯蓄額は1000万以上だそうだ。  つまりあくまでも平均として、60歳からの生活費は 一ヶ月夫婦2人で23.2万円、独り暮らしは16、2万円 は必要と言う試案となる。 世にいう、二人口は食べられるが一人口は難しい、独りぐらしは二人暮しの半分では生活できないと言うことと思う。 私個人としてはとりあえず夫の遺してくれた寡婦年金で最低限の生活ができると思うので、改めて時々仏壇に向かって感謝することがある。 

2009年4月16日木曜日

テスト

一時間半ほどかかってニフティとパソコンの点検をしました。     2001年から使っているので、もうそろそろ替える時期かな?

2009年4月9日木曜日

おのろけ?

昨日のNHKの午後一時からの番組に女優の渡辺美佐子さんが出演していた。 努力家で素晴らしい女優さんだと思う。 亡き夫が私が彼女に似ている・・・と言った事があった。 以前英語を教えていた男の子が(当時15歳くらい)「先生、越地吹雪さんに似ていらっしゃいません?」と言い「眼の動き方が・・・」と言ったことを夫に伝えたら、彼女の若い時代をよく知っていて仕事もお付き合いし、オーストラリアにもメインで同行したことのある夫が「そんなに色っぽいか?」と笑いながら答えたことがあった。 (その子もTBSに入社してヘリコプター事故で湘南沖で亡くなってしまった。) そして夫はむしろ「渡辺美佐子に似ているよ」と付け加えた。  

別の機会に、知り合いの方がアメリカ人俳優のミッチー・ゲイナーに似ていると仰った・・・と言ったら夫は「似てないよ~。オリビア・デハビランド似にてる」と言ってくれた。 今ごろの方はご存じないだろうけれど、彼女はジョーン・フォンティンという女優のお姉さんで、この方は可也の美人で売れっ子だったが姉のデハビランドは上品で感じのやわらかい人のようで、日本生まれということで、私はそれを聞いて嬉しかった。

私は容貌にむしろコンプレックスを持っていて、夫が芸能界に携わっていたので、沢山美人を見ているので、結婚する前は可也そのことが気になっていたことは否めない。 結婚以前に夫の母が走り書き程度に書いてくださり、紹介者の黒田初子先生から渡された身上書には「肥満体を好まず」とあり、そのころの私は可也細身であった。 大体の男性は細身を好むことは確かなことだ。 夫の意に反し私は結婚後ぶくぶく肥り、おかしなことに亡くなる二ヶ月ほど前「お前はとうとう痩せなかったな~」と言っていたことを時々思い出して、それでも痩せないでいる惨めな私。
夫はあの世で笑っていることだろう。「痩せろよ!」と叫んでいるかもしれない。  亡くなったから言える「おのろけ」話。

2009年4月7日火曜日

しだれ桜の乱れ咲き

今年の桜はことのほか長持ちしていて、咲き出してから何日も経っているのにまだ散らないでいる。

今日はお天気もよかったので、予定通り埼玉県の西秩父駅から’お花畑’というなんともロマンチックな駅で乗りかえて三駅、そこから徒歩十五分のところにある清雲寺まで枝垂れ桜を見に行った。 池袋から西秩父駅までの特急電車は以前二回乗ったことがあって、割りに空いていて乗り心地がいい。 今日は昨日テレビでこのしだれ桜のことを
放送していた所為か、中高年のカップルとか中年以上の女性客が多く、その仲間に附いて行けばことなく清雲寺にたどり着くことが出来た。 と言うより可也遠くから枝垂桜を見ることが出来た。 

白、薄ピンク、濃いピンクの桜が寺の下の広場に見事に乱れ咲いていた。 可也古い木もあって、皆、見上げながら写真を撮ったり、ペンチに座って眺めたりしていた。 あまりにも天気がよかったので、同行の友人は何度私が注意をしても「暑い、暑い」と繰り返し言っていた。 ただ、予想以上に暑かったので、可也疲れた。途中休みたいのにお茶を飲むところもない。 

途中の電車の中からもいやと言うほど沢山の桜を見ることが出来た。 遠く羊蹄山という山も何度か見て見慣れていたがその山は日本セメントなどの会社が切り崩してセメントの材料にするらしく山頂は形を変えていた。

2009年4月5日日曜日

独りで暮らす

一週間くらい前の朝日新聞の朝刊の「人生デザイン」という欄に「独りで暮らす」という記事があった。

最近、未婚、離婚、死別による独り暮らしの女性が増えていて、都内に住む66歳の女性が癌で亡くなったとき仲良くしていた二人が彼女のメンドウを見たそうで その方々は「シングルSSSネットワーク」と銘打って緊急時に対応出来る様に住まいが近い会員同士がグループを作っていると言い、98年にその会を作った時は20人だったのが現在は900人になるという。 私の度々の’立ち話’も意味あることなのかもしれない。

誰もが独り暮らしになりうるわけで、特に女性の方が男性より独り暮らしになる率は絶対に多い。 この欄に書いて強調していることは「お金も必要ではあるが、「貯金より、徳を積んで』とある。お金では買えないものがある、ということだと理解する。 

しかも、07年の国民生活白書によれば、地域からの孤立化の七割は自治会などの活動に参加していなかったり近所付き合いなどが無かったそうで、その点自分で言うのもおこがましいことながら、私は51歳から独り暮らしであり、十五年間も地域のために尽くしてきたお陰で、援けを求めたら来てくださるい友人も多いと自負している。 そして、毎日のように通っているジムでも若い友人が沢山出来た。 今後も大切にしていきたいと思う。 

2009年4月4日土曜日

昨日と今日と椿の花と

昨日は風も無く晴れ渡った良い天気。 桜の花も殆ど満開の状態。 ジムから戻って昼食を済ませ、思い立って花見がてら、久が原方面まで歩こうと、午後一時ごろ家を出て区立七中辺りの桜を見て、駅向こうの小学校の桜も・・・と少し欲張った。 時間を見たら四十分ほど歩いてしまった。 少し脚も疲れたので行きつけのブティクで座れるところがないかしらと思いながら立ち寄った。 そこで偶然友人と会って駅付近で別れ、スーパーマーケットに寄ったもののどうしても少しでも座りたくて、久が原の駅のベンチで・・・なんとも情けなくなってきた。 千鳥町まで一駅、直ぐまたウオーキング、右足の親指辺りが特に痛い。

いつも歩きなれた道なので、少し調子を取り戻して歩き出したら、お友達に会い、又立ち話。 この立ち話が私には可也辛い。 でもその友人はご主人が脳梗塞を患われて車椅子状態なので、お気の毒でこぼし話を30分。 もう人に会いたくない。 成るべく人に会いそうもない道を選んでようやく我が家に・・・。  

隣の貸家に今年は特に椿の花が見事に咲いている。 亡き母がお茶のために心して植えた白い椿そして赤い椿は沢山花をつけている。 五歳くらいと二才くらいと思われる女の子(英里ちゃんと里彩ちゃんと同じ年頃の女の子二人が赤い椿の花を折りたがっていたけれど背が届かない。 私は近寄って「花が欲しいの?」と尋ねた。 そして家に戻って花バサミを取ってきて枝ごと花を切って二人の女の子に与えた。 下の子が「今日お姉ちゃんのお誕生日なの」と言い、お姉さんは手に小さな花束を持っていた。 私が切ってあげた椿の枝を妹は手を出さずお姉ちゃまに譲った。 お姉さんは大事そうに椿の枝をもって、二人は丁寧に、「有り難うございます」と何度もお礼を言ってくださった。 妹ちゃんはお花を全部お誕生日のおねえちゃんにあげて、ただ有り難うございました、と繰り返し二人で頭を下げてくれて可愛らしかった。

長くなったが、今日も大分歩くハメになった。 午前中健美操で一時間半、その後スタジオで一時間のトレイニング。 昼食を済ませて友人宅に頂きもののおすそ分けを持って行ったら、玄関先でまた三十分以上の立ち話。 諦めようかと思ったがそのまま駅まで歩き蒲田まで行った。 蒲田の駅前は土曜なので可也ごった返していた。 その上駅に通じるエスカレーターは工事中で動かない。 デパートのエスカレーターを使うしかない。

二日間、どれほど身体が疲れに対して回復力をもてるものか試した二日間だった。 まだまだ、大丈夫! 年寄りの冷や水などとは言わないで。 極限を知っておきたいのだから。

2009年4月1日水曜日

有り難う!

今日は新しい携帯をいじっていて眼がトテモ疲れたので、ブログの書きこみを止めようと思っていたら、女学校時代の親友からメールで私のブログを見て楽しんで下さっていると仰って下さったので、疲れ眼をこすりながら書き込むことにした。

昨日からようやく今までの生活に戻り、ジムのマシン・スタジオに行った。 「しばらくお見えにならなかったので心配していました」とインストラクターが声を掛けてくださった。 二月二十六日以来だから、そんなに経ってはいないはずなのに、何人かのお友達も・・・嬉しいこと!
 
身体を動かすのはトテモ気持ちのいいことで疲れ方の性質が違う気がする。 仲間達も初めての方でも年寄り?も若い人たちも同じことを楽しむわけだから挨拶を交わすのも明るく隔てなく、私は心がけている。