2010年10月28日木曜日

奥沢辺り

今日、ジムの若いお友だちが奥沢のフレンチレストランでお昼をしませんか?と誘ってくださった。 何時も家に来て下さってお茶をするお友だちと二人、二人とも食いしん坊なので、直ぐお誘いに乗った。

生憎の雨だったが、その年下のお友だちが大きいベンツで送り迎えをしてくださるというので、大喜びで11時すぎにピックアップして頂いた。  先月、下の妹の次男一家が奥沢のイタリアン・レストランにつれて行ってくれたばかりで、急に「奥沢」が身近になった感じ。

結婚するまで何十年も大岡山に住んでいたのに、奥沢は知人を尋ねたことと、結婚する前、お友だちが行きつけのお寿司屋さんに招待してくださった以来、のこと。 甥がご馳走してくれたイタリアンもピザ、スパゲッティなども美味しかった。  自由が丘の隣の駅なので、ケッコウ穴場なのかも?

そのフレンチレストランも先日甥達につれて行ってもらったレストランと同じくらいの大きさのお店だった。
12時になったらお店は満員。 ほとんどが、30代の女性客ばかり。  メニュ―を見て驚いた! 何とお安いこと! お二人に従って、2000円のコースを選んだ。 前菜、メイン(私はお魚を選んだ)皮がからりと揚がっていて(はただった) お友だちは二人とも肉料理ビーフストロガノフを選んだけれど、私はそれは自分でも作れると思ってあえて魚を選んだ。  最後に出たデザートが女性好みでかなり豪華、アイスクリーム、とイチゴのシャーベット、チョコレートのケーキがトテモおいしかった。

奥沢を見直さなければ・・・というのが私の今日の感想。

2010年10月26日火曜日

クラス会の幹事って? その2

およそ、五十人の方々に三人の幹事が手分けしてハガキの宛名書きをした。  
「中々、お返事もらえないわよ!」と四人の幹事のうちの一人がそう仰ったとおり、ハガキを出して三日経った頃、三通、その翌日に又三通とぽっりぽっり・・・。  今日ようやく27通となった。

そのうち「宛所にたずねあたりません」として戻ってきたはがきが三通。 「他界いたしました」との御家族からのお返事ガ悲しい。  「ケア・ハウスに入りました」と言う方が二人。 その裏側で起きたことをお察ししながら、考え込んでしまう。 

幹事四人を含めて今のところ二十人がご参加いただけるかな? 考えようによっては、齢八十歳にして、五十人のうち、二十人以上の方々がご出席なされるというのは、立派なことかな~と思ってみる。

未だ、指定の日まで五日ある。 

2010年10月18日月曜日

帝釈天

月曜日はジムもお休みだし、昨日の日曜日は勢を出して家のかたずけをしたし、歩かなかったし・・・の理由で急に思い立って近所の友人を誘って、彼女が行きたがっていた柴又の帝釈天に行かないか?と誘ってみた。

思い立ったのがまるで急だったので、行き方などをパソコンで調べてみたけれど、どのルートで行くのがいいか、決めかねて、とりあえずGOOGLEの説明通り東京駅から小岩行きのバスに乗って~に従おうとしたが小岩行きのバスが無い。 とりあえず、駅そばの交番のお巡りさんとバスの運転手さんのお勧めにしたがって、
都バスで最寄りの?駅まで行き、そこからタクシーを拾って柴又に着いた。

家を出たのが遅かったので二人ともかなりお腹が空いていたので、タクシーが止まってくれた川魚で有名に”川甚”でかなり高価な?幕の内弁当を頂き、二人ともお腹がいっぱい!

ところで肝心のの帝釈天はそこから5分ほどのところにあった。 テレビなどでよく見たことのあるお寺より実物はかなり堂々とした古めかしいお寺だった。  本堂を包むように生えている松の緑が鮮やかだった。
思ったほど所謂俗っぽくはなかった。 参道に沿ってある店もテレビを通して見るよりこまごましていて、
妙に草団子にあんこのついた折を売っている店が多かった。 下町の所為か人々がトテモなつっこく感じた。 柴又駅の真ん中に‘寅さん”の銅像が懐かしそうに例のかばんを持って私達を見下ろしていた。

帰る道はバカバカしいほど、簡単だった! 柴又駅からつぎの駅、高砂で降りて乗換、まっ直ぐ五反田。
行きはよいよい、帰りは怖い!の真反対!  
ちなみに、たったひとつ買った干支の木彫りの午の”ねずけ”の店の名前は’園田’だった!

2010年10月10日日曜日

クラス会の幹事って?

先週、クラス会の幹事四人が集まって、相談することになった。
場所は以前ジムのお友だちが紹介してくださった青山学院中等部近くの瀟洒なフレンチレストランがいいだろうと私は独りで決めていた。

幹事のうちお一人はそのレストランに直接行く、ということで残り三人は渋谷駅で待ち合わせるととにした。渋谷は通学時に利用していたわけだから,分かりやすいだろう…と思っていた私は甘かった。  三人のうち一人は、山手線の池袋方面から来られるので、池袋駅の階段下、ということに決めた。 もう一人は井の頭線だというので、山手線の池袋に近い出口・・と言った私が悪かった!  待てど暮らせどその方は現れない。私はもう一つの出口と行ったり来たり二回も往復したけれど、いらっしゃらない!  三度目の時にふと、気がついた。 私はよく説明したつもりだったけれど、井の頭線からまっすぐ来たところの出口でその方は立っていらっした。

’ロアラブッシュ’というレストランの場所、環境、お料理、従業員のマナーなどはトテモ喜んでいただいてお店の中で午後三時ごろまで居て下相談をした。  お金を預かる方、往復ハガキと印刷を担当する方、
そして私は店の紹介者?なのでハガキを受け取って出席者をチエックしてレストランに連絡する係。 
ケッコウ返事が遅くてこの係りは大変らしい。 その上ハガキにあて名書きは手分けですることになった。
学生時代はわたしはどちらかと言うとおとなしい方だったのに、長ずる?に及んでトテモ行動的になったらしい? すべて電話は私にかかってくる。 一日に三人と応対するのもケッコウ大変! そして結果もそれぞれに報告しなければならない。  やっぱり幹事って大変! まだまだ、これから~

2010年10月8日金曜日

多分、青山学院’英三”最期のクラス会

以前は’青山学院専門部英文科”のクラス会は三年に一回の割合で開きましょう・・・と卒業時の約束だった。 そしてこれまでは台湾系出身のお友だちが中心になってすべてを決めてくださっていたので、私達は、ただ、出席をすればいい・・という立場だったけれど、昨年のクラス会の前日に日本橋の高島屋で、倒れられそのあとしばらく入院された後、あっけなく亡くなってしまった。

今年はほとんどのお友だちが八十歳になられるので、今年で最後にしようと、いうことで、今まで世話役をしたことがなかった、私を含める四人が世話役を引き受ける羽目になった。  今、急に思い出したことは、
四十年くらい前、その友人が豪邸?を建てた時、そのお宅でクラス会をして、私は彼女のために、招いたお友だちのために巻きずしや前菜など作ってあげたことがあったっけ。  無論何のお礼もなしだった。

私たちは、戦後、三年目の英文科のクラスだったので、学生の数は5五十人だった。  その後二年生のころ昭和女子大から五人ほど編入学生があったりで、卒業時は七十人ほどだったけれど、今度名簿を見るとお亡くなりになった方々、海外サ在住者などを除くと五十七人になっていた。