2009年3月3日火曜日

長電話?

昨日から我が家のう屋根工事が始まり、先ず立派な足場が組まれ、午後にはそれに紗幕のような布が張り巡らされた。 工事の方達は皆丁寧で感じがいいのが嬉しいけれど、天気が定まらず、これは誰もどうしようもない。 でも易では2日か3日に着工となっているので、今日はムリにお願いし形をつけていただいた。

ところで、とりあえず家にいると、友人からの長電話に少し当惑している・・・と言っては申し訳ないけれど、私が屋根の工事中、と言ってもそれに反応はなさらず、ご自分のことばかり話しつずけられる。 殆どがご自分の体調のこと、足が痛いの、腸の手術をして、癌だと言われたけれど取ってみたら癌ではなかった・・・とか、私もお返事の仕様も無い。  1月のクラス会で私達の’星’で当日の幹事だった方がクラス会の前日高島屋で倒れられ、救急車で日大病院に運ばれ、そのご主人は私しかご存知ないので、私が連絡係になって、色々な方々への連絡口になったため、そのお問い合わせが時々来るのだ。

1時間半以上もお付き合いして話していたけれど、その中で気がついたことは、自画自賛になるけれど、私は普段若い世代の方とのお付き合いが多いので、判断力、記憶力がシッカリしているな、と感じた。 旧姓とその方の特徴が直ぐ言えること。 逆に普段若い方達と話していると中中出て来ない言葉などもするすると出る。 その方が考えていらっしゃるのがもどかしく思える。 しかもその方は学校時代は実にシッカリしていらっしたのに・・・。 要するに、殆どの方が、自分の周りの事しかお話にならない。 又、亡くなった方々の話をしていて、フト気ずいたことは、大方の方に言えることは、几帳面な方々が多い気がする。  今日もクラス会の日がご葬儀だったというお友達のご長女からのハガキでその方はキチンとした字を書かれ、普段のご生活も実にキッチリしていらっした。

 80歳近くなつたわけだから、誰もが死を身近に考えないわけは無い。 そしてそのことだけは誰もが同等に考える事だけは確かな事だ。 今日もお友達と話した事は’死に方’の問題で、それは選ぶ事が出来ないから・・・と結論ずけた。

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