2011年4月12日火曜日

那覇

那覇については、私たちの年齢では戦争中の思いがあるものの、私たちが行くのを決めたところは、首里城でそこへ行くのに御多分に漏れず長い坂道を上り、異国情緒?満点の首里城に入る。 どちらかというと日本の城の感じというより、中国か韓国のイメージが強く、かなりカラフルな感じ。 

ただ、米国に占領されていた期間があったので、道は広く、整然とした感じだった。 町を横切るように通っているモノレールが印象的だった。
にぎやかな通りにある大きなお菓子店で沖縄名物のお菓子をお土産にたくさん買った。 

最後の寄港地、新宮では那智の滝を見た。  小学校の修学旅行で訪れた記憶とはだいぶ異なり、石畳をしばらく下って滝壺から滝を眺めるのだが、私はその石段がつらくて、途中で見下ろして、失礼した。

以上、もっといろいろなところを訪ねたけれど、歩くのがだんだんつらい年になって、それでも一応妹達とアチコチ行けたのはしあわせだった。

気候もよく、運よく晴れた日ばかりで、ただ途中必ず水を求めてスーパー・マーケットに寄り、日本のはずれのどの都市でもペットボトル入りの水を求めることが出来ず、東京での異常な水戦争に驚き果てた。

大雑把に船旅の事を書いてみたが、飛鳥での何日かのクルージングの時間も有意義に過ごし、何しろ毎日のお食事がトテモ変化をつけてあっておいしく、バイキングの朝食の後、上のサロンでおいしいコーヒーをいただ着ながら外の景色をたのしみ、また、サービスしてくれるフイリッピン人の誰もがトテモ礼儀正しく、日本語もマナーも完璧でホントに気分がよかった。  私たち三人について、彼らは三人とも英語が話せるグループとして評価してくれたようだった。 

2011年4月11日月曜日

飛鳥の寄港地でどこが良かった?

・・・と友人たちから訊ねられた。

さあ?・・・最初の寄港地大阪も訪ねたところは初めてのところだった。  港近くの”海遊館”という水族館もかなり見応えがあった。  初めて行った大阪城も歴史的背景も加味して、その雄大さに感動したし、阪神優勝で何時もテレビで見る道頓堀付近の散策も楽しかった。しかし、私には、近くて遠い大阪だった。

次の寄港地岩国でのメインは錦帯橋だったが、テレビなどでおなじみの太鼓橋は五連のアーチの橋で登るのも大変! その上風がひどく私はようやく一つ登るのがせいぜいの感じだった。 向こう岸まで渡って戻って来た方々もあったが、私たちは近くのホテルでコーヒーを飲んで時間をつぶした。 聞くより見るが?・・・渡るが・・・?

厳島神社は以前訪れたことがあったので、感動も少ない。 ただ、その折は夫の従兄弟の奥さんが張り切って案内してくださり、夫と一緒の旅だった事を思う。 その後広島の従兄弟の勤めていた銀行の寮で(従兄弟がその銀行の役員だったのと、その銀行は伊藤家の親族が開いたものだったので、)かなり手厚いもてなしだったのを記憶している。

屋久島の印象は屋久杉が強い印象! 何千年もたった杉の切り口の大きさに感動! 穏やかな街並みが印象的だった。

2011年4月5日火曜日

’飛鳥’に乗船11日

地震の後なので、少し控え目に・・・3月21日から4月1日まで予定どうり、横浜港に向かったが、生憎、意地悪な雨。  これが二度目の飛鳥クルーズ。 以前は台風の後でいろいろ行く先がカットされたので、十分クルージングを楽しむことができなかった。

大勢の乗務員が入口で乗客をむかえてくれる。 それが、私たちの少しのうしろめたさを和らげてくれる気がした。 妹は二か月前に上の妹達夫妻と乗船したので、乗務員の方たちの中に顔見知りの方たちがいて、華やかに声尾をかけ合っていた。

初日の夜はベッドに入っても船体が時々揺れて、その揺れが地震を思い出させた。 
女性たちにとって、食事の用意をする必要のないことは、そのことに余り意識を感じない私としても、かなり幸せな感じ。 しかも飛鳥の食事はフレンチにしても日本料理また最近とりいれられた中華もかなり満足感を感じる。

少し日が長くなったせいか、夕食をいただくこころはまだ、外を眺めることができた。
クルージングを続けて、まず大阪港に翌日の夕方に入港。  京都に泊まるかたがたなどが一時下船。
その夜は夕食後ホールで音楽を楽しんだ。