2011年10月13日木曜日

あれから、、もう50年以上!

今日夕方の報道番組で、有楽町の駅近くのビルが男性専門のブティクの変身する・・・という。

まさにそのビルは亡き夫が寝食を忘れて、汗をながした”日劇”の跡なのだ。  円形の劇場で道を隔てて朝日新聞社があった。  そんなことは今や遠い昔の物語なのだ。  戦後、その劇場に入るために、五重まきにお客様が取り巻いた。 それは山口淑子さん(李香蘭)を見るための事だったと聞く。

私が初めて、お料理を教えていただいていた女性登山家でも有名だった黒田初子先生に夫を紹介されて目白のご自宅から駅までの道で後の?夫から「これは僕が作ったレビュウです、見てください」と二枚の入場券をももらって、妹を誘って日劇でレビュウを見た。それまで「日劇」はおのぼりさんの行くところだ・・・と思っていた。  バレー、ありショート・コントありケッコウモダンで楽しいものだ、と思った。

本題から離れるが、その後夫は私との連絡もなく、30人くらいの踊り子さん、越路吹雪、ジェームス・繁田さんなどを引き連れて、プロデユーサーとして四か月間もオーストラリア、ニュウジーランドへ海外公演で出かけた。 むろん、東宝株式会社の社員として・・。 

私も当時の羽田空港に送りに行ったが、ほとんどクチをきくことができなかった。 それはそれとて・・・。夫が出かける前、日劇では渡辺プロを動員して、”ロカビリー・ショウを企画したのも、そしてそれが大当たりだったのも、夫が渡辺プロの晋さん、美佐さんに託したのだと後に聞いた。
  
その頃までが、日劇が新人のトウリュウ劇場として、ニューヨークのカーネギー・ホールと同じ役目を果たしてきた時期だったと思う。

2011年10月11日火曜日

墓参その2

下の妹の二男の嫁がから電話で「お墓に行きませんか?」と誘ってくれて、しばらくご無沙汰してて、気になっていた園田家の墓地、春秋苑へ行くことになった。 妹の孫たち、英里ちゃん里彩ちゃんたちに会うのも嬉しいこと。
下の妹とは墓地で待ち合わせることにして、私は二子玉から甥たちの車にのせてもらった。 当初、行けないといっていた甥も、妹の夫も来てくれて、にぎやかなお墓詣りになった。 伊藤家のお墓は私一人でお墓の掃除とか線香立てとかもしなければならなかったのに、小学生になった英里ちゃんと里彩ちゃんがまめまめしくお墓の掃除をしてくれて、ラクちん! 私達はただお参りをするだけ。 また来年もよろしく!

その後、何時ものように妹宅へ寄って、常に一人で夕食をとっている私は大勢の、楽しい夕飯を頂くことができた。
何時も有難くそれでも、心中、申し訳なさでいっぱいなのだけれど、甥たち一家が大雨の中、家まで送ってくれて大助かり、ご先祖様のご加護がありますように!

2011年10月4日火曜日

押入れの整理

春と秋に洋服の入れ替えのついで?に押入れの整理をすることになる。
今日も少し暇があったのと、お天気が良かったので、冬服を出しながら夏服を洗って収納の準備をした。

必ずと言っていいほど、整理をしながら、時に、その昔亡き夫から送られた外国からの手紙を読んだりして中々はかどらない。 今日は整理しようと思いながら捨てられないでいる、私が十九才のころ書いた「小説」を、今回は捨てようと思って読み返してみた。  読んでみて(大学ノートに書いてある)字がだんだん薄れてきているけれど、読んでみて、我ながらかなりよく書かれている・・・と自画自賛の状態になって、もう少しとっておくことにした。 

乙女心の初恋の描写がケッコウ、いけてる・・・と思ったのだ。 いつか暇をみて、パソコンに残しておいてもいいかな~と。 戦後のあのころの乙女心を・・・。  ついでに? 亡き夫からの英国、オーストラリア、ニュージーランドからの手紙、まるで旅行記、大勢の女の子(踊り子)さん達を引き連れて行った海外公演の報告便みたいなものもいつの日にか読みやすいようにまとめてみたいと思う。 

そうすれば、私の(ある意味)生きた記録にもなるかもしれない。  先日、夫の妹宅に行き、伊藤家の墓石のこと、伊藤家も私が最後になることがはっきりして、少し鬱になっているところ。 そう言いたくはないし、認めたくはないが、伊藤家は私で絶家となるわけだ。