去る12月22日(奇しくも亡き父と同じ命日)に亡くなった青山学院時代の親友と言える方の死は、予期しないわけではなかったが、突然やって来た。
女は長い間、病床にあって保土ヶ谷の老人施設に5年くらい前からご主人と向かい合いの部屋で療養生活を送っていらっした。 私も友人と一緒にお見舞いがてら、思い出話をしに何回か伺った。 病名は分からなかったが、歩く事も立ち上がることも難しい状態だった。 食事もかろうじてスプーンで流し込む状態だった。 ご主人様は東大出のお医者様だったが、とうに引退していらっしゃった。
初めて彼女にお会いしたのは青山学院の今は本部と言われている教会の二階の教室で英文学の生徒は50人ほどだったし、彼女は大磯からの通学だったので湘南電車でお家から渋谷までは2時間以上かかり時々遅刻する事があって、そのお教室は入り口が前しかなかったので、何時も申し訳なさそうに入室なさる姿だった。
その後席が近くになって話すようになったけれど、彼女は、常に引っ込み思案で地味なかんじで、何時も授業が終ると急いで帰宅なさり、私たちのように授業を抜け出して映画を見に行くなどという事は絶対なかった。 どういう切っ掛けでお友達になったか記憶は定かではない。 彼女の成績は常に上位2,3番だった事を知って私は仰天した。
その後突然大磯に遊びに来るようお誘いを受けて、海にも連れて行っていただき母上はトテモ気を遣う方で、泊めて頂いた後も御近所の有名なはんぺんやさんで沢山のお土産を買って持たせてくださった。 多分その前何度か私の家にもお呼びした事があったような気がする。 彼女のご実家は日本橋の紙問屋さんだのだが、そのことを知ったのはお知り合いになってから何年も経ってからだった。
当時私の父は、製鉄会社が最も盛んだった頃の役員だったけれど、私はそんな事をひけらかしたりした事は無かったと思う。 だだ、就職の時、父の勤めていた会社の外人役員の秘書に彼女を推薦して入社が決まっていたのに、ご家庭の都合で父上の代わりの事業を継ぐことになったことで、父に迷惑をかけたことを何時までもトテモ気にしていらぅした。
もう一つは、卒業後私は時々従兄とその友人達私の友達と集まってパーティを開いていた。 Hさんという男性(その方は従兄の友人ではなく、私の卒業した女学校の生物の教師だった方で、男性の数が足りなかったのと、背が高くハンサムだったので仲間に入っていただいた)Hさんの彼女への感想は「貴族的な方ですね」というものだった。
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