それから4ヶ月くらい経ってから、彼の叔母さまからハガキを頂き、彼が結婚されたとあった。
色々詮索する気も、もうその頃はなかった。 それより、私は自分の結婚相手を探さなければ・・・・という思いが強かった。 そして2,3年後亡くなった夫と黒田初子先生のご紹介で結婚した。
そのことは叔母さまを通じて彼にも伝わっていたと思う。 叔母さまとの文通で(その頃は叔父様のお仕事の都合で名古屋に転勤していらっしゃった)彼は、私が結婚した人のことをよくご存知で、また、お話をしに大阪へ行ってくださった小母さまのご主人(同じ会社の上司)のところへ挨拶にいらっしたと聞いた。 その場で種明かしがあったと言うことも・・・。 そう言えばその当時A社と日劇はお隣同士だった。
その頃は私の夫は華々しく、日劇の踊り子を引き連れてオーストラリア、台湾、イギリスへ海外公演の団長として新聞などにも写真も載ったりしていた。
そして、或る日A紙の一面に名入りで彼の記事が出た。 ワシントン総局長K特派員発とあった。 それから又何年か経って、多分彼はA紙を経済部長のあと引退なさったのだと思う。 残念なことに彼のおば様は若くして亡くなられてしまったので、お互い連絡の方法がなくなっていた。
そして又何年か経って本題の日本経済新聞文化面の彼の記事「空襲下の風と共に去りぬ」なのだ。
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