大阪からのお返事は中中来なかった。 しばらくして来たお返事は、結核で芦屋の病院に入院なさっているという。 当時結核は不治の病とされていた。 私はそれでも、お目にかかれるようお願いした。 当時、東京、大阪間は特急でも8時間掛った。 小母さまにご無理を言って朝早く東京をでて、大阪に行き、そこから阪急電車で六甲山の中腹にある朝日が丘病院に行った。 その日はただご紹介していただいただけ。 その日のうちに帰京。
お付き合いをすると言っても相手が入院中しかも大阪と東京は可也遠い。 当時は信じられないかもしれないが、電話をかけるのにも、一度かけて、交換手が出てしばらくたってからベルが鳴って、本人が出るという感じだった。 今の時代では信じられない事ながら、外国にかけるより大変なことだった。 東京に帰ってしばらくして、芦屋から電話が掛って来た。 さすが、新聞記者だ!とトテモ感激した。
私は神戸のお知り合いの家に泊めて頂くことにして、それからしばらくして又病院に行った。 彼は個室に入院していらっしたので、勝手に病室に入ることが出来た。 一日中それこそ、いろいろなことを話し合った。 彼はその話の中で(今はその作家の名も題名も覚えていない、が若くして亡くなった作家の本を読んでください、と言った。
私は本を読むのは大好きで可也読んだものだったが、その頃はロマン・ロラン、バルザック、ツルゲーネフなど日本人のものは藤村、漱石、有島などのものしか読んでいなかった。 帰京して早速その本を読んでみた。 二人の親友が独りの女性を争う・・・といった内容で、何故彼がそう言ったかその時は理解できなかった。
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