下の妹の二人の嫁たちがおせち料理を習いたいと言ってきたので、私は大喜びで引き受けた。
26日から27日まで妹の家に泊まりこみで、ごまめ、黒豆、キントン、昆布巻きを殆ど一日目に下ごしらえ、一部仕上げて、若いパワーに感謝! 翌日は黒豆を煮上げ宝ぶくろと金柑の甘煮も仕上げた。
やはり、一人で地味に仕上げるよりすいぶん時間も短縮されて、これで来年から「年末の御節料理つくりのノルマ」から開放されそう・・・・。
何しろ英里ちゃん里彩ちゃん姉妹と戯れながら作る御節の楽しかったこと。 一日目には英里チャンがお手伝いをしてくれて嬉しいような、困ったような~。 この子たちも直ぐ、本気でお手伝いを出来るようになるだろうな~と思うのは私も急速に老いていくことになるわけで、嬉しいような淋しいような・・・でも積極的に二人の妹の嫁たちが
喜んで習ってくれたのは、ホントに妹も幸せ者よね?
私は明日から来年の8日まで京都の妹宅で過ごします。 又楽しいことの待っている日々です。
2007年12月27日木曜日
2007年12月24日月曜日
クリスマス・イヴ
今夜はクリスマス・イヴで満月と言うことだ。 これは1961年?以来とのことだとか。 月明かりでサンタクロースも迷わず子供たちのところへ行ってくれるだろう。 私が子供時代には、モノもなく中中買ってもらうことも難しかったので、サンタクロースさんに頼んで、望みのものを手に入れるのがトテモ楽しみだった。
私が小学校高学年の頃、百人一首のカルタが欲しくて、それがクリスマスの朝、枕もとにあったときの嬉しさは今でも思い出す。 トテモ不思議に思いながら、それが手に入った時のよろこびは深く考えたり追求したりすることを超えた。 そのカルタを、妹が孫達のために貸してくれと言い、私は喜んであげた。
ところで、作日の鶏の残った肉をどうしよう?と考えた末、シェフ達がする「まかない料理」をしようと、気取ってみた。 そう言うより、今日は朝からお友達がお正月用の千両を届けてくださったり、作日のカタズケやら、京都行きの準備などで、買い物に行く時間がなくなってしまった結果による・・・。 骨から肉をとったらケッコウ量があった。 骨をダシに大根と人参を煮た。 取り去った肉はカップ2杯くらいもあったので、玉葱と生椎茸を炒めて少しのカレ―粉と塩、醤油を入れて味をつけあまりのご飯の上にのせて丼とした。 それに酢の物をつけて、ケッコウなまかない料理が完成! 凄く経済的な夕食、だけど考えようによっては淋しい夕食となった。
年末、浴室に温風つきのエア―コンをつけて、ガレージの照明が危険度を増していたのでそれを代えて、今年末は少々出費が増えたので、調整しなければ・・・来年には火災保険の支払いもあることだし・・・・などと、考えている他に頼る人のない私でした。
私が小学校高学年の頃、百人一首のカルタが欲しくて、それがクリスマスの朝、枕もとにあったときの嬉しさは今でも思い出す。 トテモ不思議に思いながら、それが手に入った時のよろこびは深く考えたり追求したりすることを超えた。 そのカルタを、妹が孫達のために貸してくれと言い、私は喜んであげた。
ところで、作日の鶏の残った肉をどうしよう?と考えた末、シェフ達がする「まかない料理」をしようと、気取ってみた。 そう言うより、今日は朝からお友達がお正月用の千両を届けてくださったり、作日のカタズケやら、京都行きの準備などで、買い物に行く時間がなくなってしまった結果による・・・。 骨から肉をとったらケッコウ量があった。 骨をダシに大根と人参を煮た。 取り去った肉はカップ2杯くらいもあったので、玉葱と生椎茸を炒めて少しのカレ―粉と塩、醤油を入れて味をつけあまりのご飯の上にのせて丼とした。 それに酢の物をつけて、ケッコウなまかない料理が完成! 凄く経済的な夕食、だけど考えようによっては淋しい夕食となった。
年末、浴室に温風つきのエア―コンをつけて、ガレージの照明が危険度を増していたのでそれを代えて、今年末は少々出費が増えたので、調整しなければ・・・来年には火災保険の支払いもあることだし・・・・などと、考えている他に頼る人のない私でした。
2007年12月23日日曜日
英里ちゃんと里彩ちゃんとのクリスマス
毎年何とはなしに鳥の丸焼きをクリスマス近くに焼く習慣になっている。
昨年は料理教室で実習した。 今年は英里ちゃん一家を招いて一緒にクリスマス料理をすることにした。 何時も英里ちゃんのママが美味しいイタリアン料理をご馳走してくださるので、今度は私がお招きして・・・と思った次第。
ところ英里のパパが夕方から仕事で出かけなければならなくなって、お昼に・・・ということになり、前日は妹と買い物に行く予定になっていたので、その日の夜に仕込みをした。
クリスマスの料理としてはクラムチャウダ―と鳥の丸焼き、中にスタッフィングをするのが私のやり方。 お腹が空いていた所為か、英里ちゃんも里彩ちゃんも一生懸命食べてくれてトテモ嬉しかった。 英里ちゃんはプレゼントとして、私の肖像画をその場で描いてくれた。 紫色が好きな私のために紫色の紙をママが用意してくれて、5歳にもならない子としてはトテモ、ドラマチックな画を忽ち画いてくれた。 私の宝物。
お隣の美しい トナカイとカラフルなイルミネィシオンを英里チャンたちに是非見てもらいたい・・・と言うのが私のもう一つの願い。 二人とも塀越しにしばらく楽しんでくれて、その後少し歩いた所のクリスマスのイルミネシヨンを見に行った。 里彩ちゃんもすっかり私になついてくれて、帰るとき車に乗ってから、私に手を振りながら泣きそうな顔をして別れを惜しんでくれたし、英里ちゃんも「お泊りしてもいい!」と言ってくれた。 嬉しいこと!
また直ぐ会えるよね?! お陰さまで楽しいクリスマスのイヴ、イヴが過ごせました。
昨年は料理教室で実習した。 今年は英里ちゃん一家を招いて一緒にクリスマス料理をすることにした。 何時も英里ちゃんのママが美味しいイタリアン料理をご馳走してくださるので、今度は私がお招きして・・・と思った次第。
ところ英里のパパが夕方から仕事で出かけなければならなくなって、お昼に・・・ということになり、前日は妹と買い物に行く予定になっていたので、その日の夜に仕込みをした。
クリスマスの料理としてはクラムチャウダ―と鳥の丸焼き、中にスタッフィングをするのが私のやり方。 お腹が空いていた所為か、英里ちゃんも里彩ちゃんも一生懸命食べてくれてトテモ嬉しかった。 英里ちゃんはプレゼントとして、私の肖像画をその場で描いてくれた。 紫色が好きな私のために紫色の紙をママが用意してくれて、5歳にもならない子としてはトテモ、ドラマチックな画を忽ち画いてくれた。 私の宝物。
お隣の美しい トナカイとカラフルなイルミネィシオンを英里チャンたちに是非見てもらいたい・・・と言うのが私のもう一つの願い。 二人とも塀越しにしばらく楽しんでくれて、その後少し歩いた所のクリスマスのイルミネシヨンを見に行った。 里彩ちゃんもすっかり私になついてくれて、帰るとき車に乗ってから、私に手を振りながら泣きそうな顔をして別れを惜しんでくれたし、英里ちゃんも「お泊りしてもいい!」と言ってくれた。 嬉しいこと!
また直ぐ会えるよね?! お陰さまで楽しいクリスマスのイヴ、イヴが過ごせました。
2007年12月19日水曜日
よかった! 良かった!
先週12日に京都の妹から電話があって、乳房から出血したので、近くのお医者さんでマンモグラフフィーをしたり細胞を検査に出した・・・という電話があった。 私は気をつけて応対しながらも固まってしまった。 適当なよい返事を返すことが出来なかった。 14日に上京してきた彼女に会いに、下の妹と富ヶ谷の彼女の家に行った。 慰めようも無く皆沈んでいて、下の妹だけが妙に喋って、携帯電話ばかりいじっていた。
上の妹は幼年にはよくひきつけとか起こしていたけれど、長じてからは余り重い病気に罹ったことも無く、下の妹や私のように手術の経験もなかったので、私達姉妹の中では元気印だった。 何しろここの所の一週間はテレビで妙に乳がんの番組が多く、若くして亡くなった女性が出版した本の紹介、更にNHKでも坂口靖子のドラマがあったらしかった。 妹は「もう年だからおっぱいなんかとってしまってもいいわ!」などとメチャクチャなことを言う。 今は初期だったら温存する手当てがあるわよ・・・などと言いながらもその不安な気持ちも理解できた。 下の妹も私も昼となく夜と無く色々考えて胃痛を起こしてしまった。 検査の結果を一日でも早く!・・・という事で上の妹は作日京都に帰り、今日の午後京都から電話があった。 私はよい結果報告は無いだろうと勝手に案じていた。
「大丈夫だったわ」と言われても直ぐには信じられないほど、これは多分大変なことになるだろう・・・と思っていた。 細胞の検査の結果も無事だった、という言葉を確かめて初めて「よかったわね!」と心から叫んだ。 何しろ私は彼女より7歳も上なので、やはり順序があるじゃない?・・・・と何時も思っているわけ。
こういう時はともかく神様とご仏壇にお礼を言いたい。 「お守りくださって有り難うございました」
上の妹は幼年にはよくひきつけとか起こしていたけれど、長じてからは余り重い病気に罹ったことも無く、下の妹や私のように手術の経験もなかったので、私達姉妹の中では元気印だった。 何しろここの所の一週間はテレビで妙に乳がんの番組が多く、若くして亡くなった女性が出版した本の紹介、更にNHKでも坂口靖子のドラマがあったらしかった。 妹は「もう年だからおっぱいなんかとってしまってもいいわ!」などとメチャクチャなことを言う。 今は初期だったら温存する手当てがあるわよ・・・などと言いながらもその不安な気持ちも理解できた。 下の妹も私も昼となく夜と無く色々考えて胃痛を起こしてしまった。 検査の結果を一日でも早く!・・・という事で上の妹は作日京都に帰り、今日の午後京都から電話があった。 私はよい結果報告は無いだろうと勝手に案じていた。
「大丈夫だったわ」と言われても直ぐには信じられないほど、これは多分大変なことになるだろう・・・と思っていた。 細胞の検査の結果も無事だった、という言葉を確かめて初めて「よかったわね!」と心から叫んだ。 何しろ私は彼女より7歳も上なので、やはり順序があるじゃない?・・・・と何時も思っているわけ。
こういう時はともかく神様とご仏壇にお礼を言いたい。 「お守りくださって有り難うございました」
2007年12月12日水曜日
久しぶりで・・・・
私がまだ25歳くらいからと記憶しているから50年以上のお付き合いをしていた友人が昨年5月ごろだったか、私が彼女を傷つけることを言ったからと言う理由で、お付き合いを止める・・・と少女のような理由で絶交状態になった。 私としては何を言ったか、又傷つける気もなく、私も過去に傷つく言葉を彼女から言われたこともあったけれど、ずい分ガマンしていて、側のお友達達は「あのわがままな方?」という名前で通じていた。
ところが、今年になって私の誕生日に「貴女とは長い付き合いだから、またお付き合いを・・・」ということをきっかけにお誕生祝いの食事を・・・とお誘いを受けた。 私には気持ちの通じる妹達やお友達も沢山あるので、彼女とのお付き合いがなくても、正直言って、困ったことは全く無かった。
そのお誘いを引き伸ばしにのばして、今日一年半ぶりでお会いすることになった。 彼女のご指摘で彼女のご近所の’RED LOBSTER’へジムを終えてから行った。 私より5歳上だからお会いした瞬間「やはり、年をとられたな~」と正直思った。 妹達が「そんな失礼なことを言う方とムリに付き合うこと無いわよ」と言い、ジムのお友達達もあきれ返っていた。 私はもう80歳を過ぎた方にもしものことがあった時、自分がそのことで後悔するのは嫌だから・・・・、と思った。
久しぶりでお会いすると何十年ものお付き合いが戻ってきて、話がつきなかった。 彼女はお詫び?の印か、私の好きな色のネグりジエを下さったので、当然私は今日の支払いをするつもりだったが、彼女は思いもかけず、お誕生祝いの小さなケーキを店に用意させて、定員さんの一人が写真を撮ってくれ、ハッピー・バースディを唄ってくれた。 私は過去彼女のお誕生日、特に喜寿のお祝いとかには、可也のプレゼントはしたものの、彼女はその中に口では言わないけれど、お詫びの言葉も含んでいたと思いたい。
ところが、今年になって私の誕生日に「貴女とは長い付き合いだから、またお付き合いを・・・」ということをきっかけにお誕生祝いの食事を・・・とお誘いを受けた。 私には気持ちの通じる妹達やお友達も沢山あるので、彼女とのお付き合いがなくても、正直言って、困ったことは全く無かった。
そのお誘いを引き伸ばしにのばして、今日一年半ぶりでお会いすることになった。 彼女のご指摘で彼女のご近所の’RED LOBSTER’へジムを終えてから行った。 私より5歳上だからお会いした瞬間「やはり、年をとられたな~」と正直思った。 妹達が「そんな失礼なことを言う方とムリに付き合うこと無いわよ」と言い、ジムのお友達達もあきれ返っていた。 私はもう80歳を過ぎた方にもしものことがあった時、自分がそのことで後悔するのは嫌だから・・・・、と思った。
久しぶりでお会いすると何十年ものお付き合いが戻ってきて、話がつきなかった。 彼女はお詫び?の印か、私の好きな色のネグりジエを下さったので、当然私は今日の支払いをするつもりだったが、彼女は思いもかけず、お誕生祝いの小さなケーキを店に用意させて、定員さんの一人が写真を撮ってくれ、ハッピー・バースディを唄ってくれた。 私は過去彼女のお誕生日、特に喜寿のお祝いとかには、可也のプレゼントはしたものの、彼女はその中に口では言わないけれど、お詫びの言葉も含んでいたと思いたい。
2007年12月7日金曜日
朝からバタバタ
何時も前の晩か朝起きてから、その日の自分の行動を決めてから行動することにしている。 今朝は近所の医院に行って薬をもらって・・・と思って9時半ごろ家を出て、医院の戸を開けたら、先客が三人いらっした。 その中の一人は余り会いたくない方だった。 以前から自治会にイチャモンをつけて、何年にもわたって会長、役員を困らせている・・・。私はさりげなく「お久しぶりネ~』と言って入った。 もう一人寶塚ファンの方もいらっしたので、三人で話すことになって、ホッとしたが、彼女は自治会のことに話を持っていきたくて、話をなさるので、私も思ったことを言った。 彼女のあとに私の番が来ても、席を立たないので、先生に「チョッと困った方がいらっしゃるので血圧が高いかも」と言ったら先生は「xxさんですか?」と言われて、私を二度診察室に呼び込んで下さった。
その後ジムに行くために家を出てしばらく歩いていたら、少し後をうつむきながら歩いて来る中学生がいた。 その感じが大変異常に見えたので、私も何度も振り返って見たら、その女の子は泣いているようだった。 一人ぼっちで歩きながら泣いているのがトテモ気になったので、立ち止まって振り返り「どうしたの? 誰かにいじめられたの?」と尋ねた。「いいえ」その子は私に近ずきながら、首を振った「どうしたの? 成績がよくなかったの?」丁度学期末だな、と思ってそう尋ねた。 「それもそうなんですけれど・・・お父さんが病気なんです」その子はそう言った。 私はその子がトテモ不憫に思えて、肩を抱いて「成績は今度ダメだったら、次に頑張ればいいじゃないの」「お父さんは一生懸命働いて、一生懸命生きていらっしゃるのだから、しっかりして・・貴女はお母さんはいらっしゃるの?」「ハイ、います」「ご兄弟は?」「います」「それじゃシッカリして、元気を出して!」私はそこでジムへ曲がる所へ来て、彼女も左へ曲がるらしかったので、もう一度肩をシッカリ抱きしめた。 「有り難うございます!」と言いながらその子は行った。
ジムのスタヂオに何時もより少し遅く入った。 金曜日は割りに空いている。 サイクリングを時々ご一緒するお友達が作日私がお教えした「大根もち」を昨夜作ったらよく出来てトテモ美味しかった」とおっしゃった。 よかった! 時々私は料理の献立や作り方の伝授をして喜ばれている。 今日は週に一,二回コーチとして指導に来ているインストラクターでアメリカでも勉強したと言う方が私の近くへ来て「男性でも作れるご飯の上に何か載せる料理はありませんか?」と尋ねてきた。 多分私がマシンに乗りながら料理の話をしているのを聞いていたのだろう。
「お袋の味というのが私の妻には出来なくって・・・」と話し掛けてきた。「例えば?」私は訊ねた。 「家の妻はお結びに塩をつけないんです」と言う「塩をつけるのは湿り気を防ぐためと持ちを良くする為につけるのだけれど・・・」私は少し理解に苦しんだ。 「余りお袋の味とかを奥様に仰らない方がいいわよ」と私。 そして、男にでも簡単に出来るハヤシ・ライスの作り方を教えた。 彼は二度も聞き返して「今日はそれを作る」と約束してくれた。
その後ジムに行くために家を出てしばらく歩いていたら、少し後をうつむきながら歩いて来る中学生がいた。 その感じが大変異常に見えたので、私も何度も振り返って見たら、その女の子は泣いているようだった。 一人ぼっちで歩きながら泣いているのがトテモ気になったので、立ち止まって振り返り「どうしたの? 誰かにいじめられたの?」と尋ねた。「いいえ」その子は私に近ずきながら、首を振った「どうしたの? 成績がよくなかったの?」丁度学期末だな、と思ってそう尋ねた。 「それもそうなんですけれど・・・お父さんが病気なんです」その子はそう言った。 私はその子がトテモ不憫に思えて、肩を抱いて「成績は今度ダメだったら、次に頑張ればいいじゃないの」「お父さんは一生懸命働いて、一生懸命生きていらっしゃるのだから、しっかりして・・貴女はお母さんはいらっしゃるの?」「ハイ、います」「ご兄弟は?」「います」「それじゃシッカリして、元気を出して!」私はそこでジムへ曲がる所へ来て、彼女も左へ曲がるらしかったので、もう一度肩をシッカリ抱きしめた。 「有り難うございます!」と言いながらその子は行った。
ジムのスタヂオに何時もより少し遅く入った。 金曜日は割りに空いている。 サイクリングを時々ご一緒するお友達が作日私がお教えした「大根もち」を昨夜作ったらよく出来てトテモ美味しかった」とおっしゃった。 よかった! 時々私は料理の献立や作り方の伝授をして喜ばれている。 今日は週に一,二回コーチとして指導に来ているインストラクターでアメリカでも勉強したと言う方が私の近くへ来て「男性でも作れるご飯の上に何か載せる料理はありませんか?」と尋ねてきた。 多分私がマシンに乗りながら料理の話をしているのを聞いていたのだろう。
「お袋の味というのが私の妻には出来なくって・・・」と話し掛けてきた。「例えば?」私は訊ねた。 「家の妻はお結びに塩をつけないんです」と言う「塩をつけるのは湿り気を防ぐためと持ちを良くする為につけるのだけれど・・・」私は少し理解に苦しんだ。 「余りお袋の味とかを奥様に仰らない方がいいわよ」と私。 そして、男にでも簡単に出来るハヤシ・ライスの作り方を教えた。 彼は二度も聞き返して「今日はそれを作る」と約束してくれた。
2007年12月3日月曜日
釜石製鉄所
今朝の朝日新聞の朝刊に近代製鉄150年というタイトルで ’釜石の鉄、火は消さぬ’という記事が出ていた。
もう直ぐ亡き父の命日。 父は戦後日本製鉄に復帰して八幡製鉄と富士製鉄に分離された時富士製鉄に行き、1950年台に釜石製鉄所の所長をしていた。 その頃は鉄全盛の時代だった。 溶鉱炉の火も赤々と燃えていた。 製鉄所の側に溶鉱炉の燃えカスの山が日に日に高くなっていた。
その後1970年に八幡製鉄所と富士製鉄所が合併して今の新日本製鉄所となったわけで、父は既に引退していた。
時々テレビなどで見る釜石は単なる漁港に戻って、聞くところによるとキノコを作っているらしい・・・と言う話を耳にした。 ところが今日の記事によれば、21世紀に入って、中国、印度などの新興経済国の発展に伴い鉄鋼が世界的な規模で伸び、釜石が作りつずけていた線鉄なるものがタイヤに埋め込む補強材として世界のタイヤメーカーに出荷するのだそうだ。
この記事による、官営八幡製鉄所が八幡に操業を開始したころ私達の母親の父、すなわち母方の祖父は、官営八幡製鉄所の経理部長をしていたと聞く。 そしてその記事によれば1934年に八幡や釜石の製鉄所を母体に日本製鉄が創立された・・・とある。
「お父様! 釜石つぶれてなくてよかったわネ!」 私は仏壇に向かって言った。
もう直ぐ亡き父の命日。 父は戦後日本製鉄に復帰して八幡製鉄と富士製鉄に分離された時富士製鉄に行き、1950年台に釜石製鉄所の所長をしていた。 その頃は鉄全盛の時代だった。 溶鉱炉の火も赤々と燃えていた。 製鉄所の側に溶鉱炉の燃えカスの山が日に日に高くなっていた。
その後1970年に八幡製鉄所と富士製鉄所が合併して今の新日本製鉄所となったわけで、父は既に引退していた。
時々テレビなどで見る釜石は単なる漁港に戻って、聞くところによるとキノコを作っているらしい・・・と言う話を耳にした。 ところが今日の記事によれば、21世紀に入って、中国、印度などの新興経済国の発展に伴い鉄鋼が世界的な規模で伸び、釜石が作りつずけていた線鉄なるものがタイヤに埋め込む補強材として世界のタイヤメーカーに出荷するのだそうだ。
この記事による、官営八幡製鉄所が八幡に操業を開始したころ私達の母親の父、すなわち母方の祖父は、官営八幡製鉄所の経理部長をしていたと聞く。 そしてその記事によれば1934年に八幡や釜石の製鉄所を母体に日本製鉄が創立された・・・とある。
「お父様! 釜石つぶれてなくてよかったわネ!」 私は仏壇に向かって言った。
2007年12月2日日曜日
やや遅い紅葉
暖かかった秋の初めから最近冷え込んできた所為か、ここ久が原辺りでも落ちそこなった桜の葉が美しい赤い色で残っていたり、紅葉の葉も申し訳なさそうにまだ散らないでいる。 わたしの家の小さな庭の紅葉も今年は大分大きくなって日光があたるようになって、まだらに色着き始めた。 この紅葉の木はいわくつきのもので白金~五反田~久が原と移ってきた。 何時頃まで散らないでいてくれるのかしら?
夜になるとフィギヤー・スケートに始まり、女子バレー、男子バレー、サッカーそして今夜は日本対韓国の野球試合があって、テレビから離れることが出来ない。 今ようやく2点勝ち越した! これに勝たないとオリンッピックに参加できないので、目をしばたきながら最後まで見ることになる。
そろそろ、年越しの大掃除をしなければならないが、ジムで話したところ大多数の方が「大掃除なんてしないわ」と仰る。 皆様普段から綺麗にカタズケていらっしゃるとはトテモ思えない。 私は一人でしなければならないので、先ず戸棚のカタズケ、カーテンを洗い、次は何をすべきか? 何しろ午前中はジムに行くので、中中はかどらない。
夜になるとフィギヤー・スケートに始まり、女子バレー、男子バレー、サッカーそして今夜は日本対韓国の野球試合があって、テレビから離れることが出来ない。 今ようやく2点勝ち越した! これに勝たないとオリンッピックに参加できないので、目をしばたきながら最後まで見ることになる。
そろそろ、年越しの大掃除をしなければならないが、ジムで話したところ大多数の方が「大掃除なんてしないわ」と仰る。 皆様普段から綺麗にカタズケていらっしゃるとはトテモ思えない。 私は一人でしなければならないので、先ず戸棚のカタズケ、カーテンを洗い、次は何をすべきか? 何しろ午前中はジムに行くので、中中はかどらない。
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